鎌倉時代初期までに中国から大方の仏教教理を導入し終えたわが国の仏教は、鎌倉、室町時代を通じて、わが国の実情に合わせて内容を充実させるとともに各宗派がそれぞれの特色を生かして布教活動を活発に行ったことから一般民衆に浸透し大衆化されました。

この時期、仏教が飛躍的に大衆化したのは、室町時代になって葬式儀礼を取り入れたことによるのでしょう。古来、日本人は「穢れ」を忌むところから葬式儀礼はわが国固有の神道ではなく、外来の宗教である仏教の営むところとしたのです。仏教が葬式儀礼を導入したことは江戸時代になると寺檀制度につながります。
また、室町時代に臨済宗は幕府と結びついて一大勢力となり、五山の制度を確立して配下の寺院の系列化を図ります。こうした動きは各宗派にも広がり、やがて本寺末寺制度として江戸時代に確立されます。
寺檀制度と本末制度は近世仏教の基礎となっているのです。


         9.近世の仏堂  

余間

余間

内陣

外陣

脇陣

脇陣

外陣

天台宗 輪王寺金堂 (栃木 江戸時代)

日蓮宗 妙成寺本堂 (石川 桃山時代)

内陣
(土間)

全体的に住宅風の仏堂です。外周りは角柱で広い縁と深い庇が付きます。内部外陣内陣とも畳敷きで襖や欄間が入る。広くとった外陣は縦方向に矢来(敷居)で三列に、さらに前後に分けられ様々な行事に対応できるようになっています。内陣外陣の仕切りは非常に緩やかな仏間風の仏堂です。

宗派別の仏堂

江戸時代前

矢来の間

大衆を対象としているためどこからでも出入りできるよう外陣を全て開口部とする開放的な仏堂です。内陣を取り囲むように外陣が配置されます。内陣の周りで踊念仏行ができるようになっています。踊り念仏行は太鼓や鉦を打ち鳴らすため天井は反響の良い鏡天井になっています。

外陣

内陣

内陣

外陣








時宗 清浄光寺 (神奈川 昭和再建)

浄土真宗 本願寺本堂 (京都 江戸時代)

浄土宗 知恩院本堂 (京都 江戸時代)

真言宗 護国寺本堂 (東京 江戸時代)

外陣

基本的に密教の本堂と同様で、中世の仏堂様式をそのまま踏襲しています。内陣と外陣を蔀戸や格子戸を使用して厳格に区分しています。内陣を広めに取り、外陣は正面一間通り程度とします。初期のうちは外陣を吹き放ちとする例が多い。

時宗 西郷寺本堂 (広島 南北朝時代)

外陣

内陣

外陣

脇陣

脇陣

内陣

内陣と外陣の結界は密教本堂に比べると比較的緩やかになります。この仏堂では蔀戸で仕切られていますが、普段は開いた状態です。外陣および脇陣とも出入口が多く参詣者が多い時はすべて開放することができます。また人々は本尊に近侍することができます。

内陣と外陣を厳格に区分するのは天台宗と同じく密教系の本堂に共通です。内陣の左右には参籠者のための余間が設けられます。内陣外陣とも床張りで縁は周囲に付きます。

密教の行道(ぎょうどう)空間である内陣を閉鎖的にし、礼拝空間である外陣を開放的にするとともに内陣と外陣は板扉と格子戸で厳格に区分します。
内陣は土間とし須弥壇を築き、その上の厨子に仏像を安置します。外陣は床張りで広い空間としますが入側柱を残し、縁は外陣にのみ付きます。

脇陣

脇陣

内陣

日蓮宗 法華経寺法華堂(旧本堂)
(千葉 室町時代)

浄土真宗 照蓮寺本堂 (岐阜 室町時代)

浄土宗 知恩院勢至堂 (京都 室町時代)

内陣

須弥壇

外陣

入側柱

天台宗 延暦寺転法輪堂 (滋賀 南北朝時代) 

中世になると大衆化により仏堂は一層大型化し、特に参詣者のための外陣を大きくすることに注力するようになります。
特に、室町時代になると仏教の各宗派が確立されていくなかで、仏堂も宗派によってそれぞれの教理に基づく目的に沿った内部の設えを構成をするようになります。
なお、禅宗の本堂は鎌倉時代の導入時の様式をそのまま受け継いでいます。、

無宗派 善光寺本堂 (長野 江戸時代)

真言宗 西国寺金堂 (広島 室町時代)

南北朝・室町時代

外陣

外陣

内陣

内陣

内陣

外陣

内陣

中陣

粉河観音宗 粉河寺本堂 (和歌山 江戸時代)

宗派別 近世の仏堂

室町時代に各宗派ごとに特色を出した本堂形式は基本的に江戸時代にそのまま引き継がれますが、一方で内部を華麗に装飾し、さらに大型化するようになります。内部を荘厳することにより教団の尊厳を民衆に知らしめる布教活動の一環であったのでしょう。

外陣

内陣

外陣

余間

余間

内陣

外陣