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1990/3
「そうか。ご苦労だったな。
これで他の野党からは傍観の約束を取り付けたことになる。
後は、柏木 順一と、与党のほうか」
ねぎらいの言葉を掛けられても零は黙っていた。尤も、それは今に始まったことではないが。
「そっちはどうだ、有里」
「柏木は中々、強情です」
彼女は、霞ヶ関や永田町に強い。今回の件でも、主力となることを期待されている。
「やはり、党首か先輩議員辺りから説得してもらうしかないか」
与党の政治献金に関する極秘資料が盗まれた。実行犯は逃走中だが、指示を出したのは、第二勢力の野党の議員であることがわかっている。柏木という、前回の選挙で当選したばかりの若手議員である。
これが公開されれば、献金に名を借りた不正な金の動きが白日のもとにさらされることになり、与党側には大打撃である。一方、野党側にとっても、願ってもない資料ではあるが、入手した手段が「窃盗」であり、それを使うに使えないでいた。
しかし、放置するわけにもいかない。結局、その処理は暗闇機関に委ねられた。正確に言えば、どの政党も実力者達も扱いかねている。警察は論外。いつものごとく、手におえない事件を押し付けられた格好である。
チームは、吉沢という男がリーダーとなり、それに有里と布施、零、という構成になっている。布施は柏木のボディガードとして潜り込み、有里と零が政界などを走り回っている。
吉沢は、様々な事情を考慮して、穏健策で行くこととした。
夏には選挙が控えている。これの扱いを間違えば、野党与党を問わず、政界が大混乱になる可能性があった。
数年前の、いわゆる「バブル崩壊」で日本の経済状況は悪化している。そこからの回復が最優先であり、ここで、本質から外れた政争を引き起こしている場合ではない、というのが暗闇司令の意向であった。当初、穏健策に反対した零も、不承不承、この説得を受け入れた。
「与党側は私が抑えている。
有里、柏木の地元に飛んで、榊原 悦郎に会え。県議会議員だが、あの党では顔だ。柏木にも圧力が効く。
零、有里のフォローをしろ。お前も政界について勉強していいころだ」
「はい」
柏木はその資料を使う様子がなかった。自分が属する党に持ち込んでもいないし、雑誌社などに声をかけた形跡もない。布施からは、周囲から距離を置かれている様子もあり、本人すら扱いかねているのではないか、という報告が上がっていた。今のところ、コピーを取る心配すらないだろう、と思われた。
榊原は、できるだけ早く柏木と会って、資料を返却するよう説得する、と確約した。こんな剣呑なことを、というのが表情に出ている。
支援団体とも話をしたが、立候補した、というより、担ぎ上げられた、という方が正確なようだ。つまり、今回の件は小物の暴走だと考えていい。
「零」
東京に戻る列車の中。
「はい」
「まだ不満? 穏健策は」
「はい」
「相変わらず、はっきり言うのね」
有里は笑った。
「影響が大きいなら大きいで、素早く対処する必要があります。
ヤツが小物なら、逆に暴発する可能性もある」
「じゃ、全体の方針には賛成なの?」
「いえ。
どっちも泥棒みたいなもんです。何もかも公開するべきですね」
「それによって起こる混乱は?」
「起こるだろうか、と思っているのですが」
「何も起こらないかもしれない?」
「政治家が清廉潔白だと思っている人間がどれくらいいるものでしょうか。今更、政治資金の不正使用や、極秘情報の不正入手が明らかになったところで」
「まだだなぁ、零」
有里は隣の座席で、零から離れるようにして肘掛によりかかった。
「え?」
「そういう醜聞が明らかになれば、議会は荒れるわ。正確に言えば、止まる。メディアもそれにかかりっきりになる。一億総思考停止。
バブルは崩壊した、その後の手当ても効果が上がっていない。今はそんなことをしている場合じゃないのよ」
「短期的にはそうでしょうが」
「長期的にはね、そういう連中を選んだのは、この国の有権者なのよ。
君が言うように、清廉潔白でないとわかっている人間に全権を委ねている。つまり、なにもかも当然の結果」
「有里さんは、ひょっとしたら、俺よりペシミスティックなんじゃありませんか」
「分をわきまえてるだけよ。
政治の世界がどうにかなるなんて思ってないわ」
「与党筋が態度を変え始めた」
吉沢が言った。
「柏木だけを悪者にしようという案が浮上し始めている」
「どうするつもりなんですか」
と有里。
「内容を隠したまま、柏木が書類を盗み出した、ということにする。実際の書類が何かについて別のものと置き換えることは、奴らには朝飯前だ」
「警察に圧力をかける気ですか」
零が声をあげた。
「落ち着け」
「吉沢さん」
「零、座れ。
まだ決まったわけじゃない。強硬派からそういう意見が出ている、というだけのことだ」
「しかし」
「零、座りなさい」
憮然とした表情で零は席についた。
「その動き、大きいものですか、吉沢さん」
零が座ったのを見届けると、有里が言った。
「今のところはごく一部だ。
自白調書はどうにかなっても、裁判になったときに否認されればアウトだ。リスクが大きすぎる。流石に、この案を真に受けるやつはいない」
「でも、このままだと」
「そうだな。早めに決着の道筋をつけないと、強硬な意見が支持を得てしまう可能性もある。
吉沢は認めた。
零は、ジリジリとした様子でそれを見ていた。
「零、そっちから回って」
布施から、柏木を尾行している者がいる、という情報が入った。零が向かい、有里が後から合流したが、敵の動きは速かった。支持者からの陳情を受けた後、車で移動しているところを、オートバイで挟まれた。車は無理やりにとめられた。
上下は黒いライダースーツ、ヘルメットもゴーグルも黒。運転席を開けようとした男に零が飛び掛った。
後から襟を掴んで引き剥がす。そのまま足を引っ掛けて倒した。
有里も、車の後部座席に近づいた男に、正面から足を入れた。声は聞こえなかったが、うめいたようだった。
零が引きずり倒したほうは拳銃を取り出したが、零は、間髪いれずに発砲して銃を弾き飛ばした。
すると二人は、普通はありえない「先制攻撃」にただならぬものを感じたのか、あたふたと逃げ去った。零はそれに向かって構えたが、何人か野次馬が顔を出しており、今度は撃てなかった。ナンバープレートは記憶したが、無駄だろうと思われた。
「いいかげんにしてください!」
零が叫んだ。
吉沢は、柏木が所属する党の党首と会う、と言った。その後で、与党とも改めて会う。
「もう、強硬派は実力行使に出ているんだ。
上のヤツを経由して説得している場合じゃない!」
柏木は、地元をまとめる榊原の説得を受け入れなかった。嘘か本当かは知らないが、既に公開のための準備を始めているという。あるいは、強硬派はそれを察知したのかもしれない。殺意があるかどうかは不明だが、少なくとも、脅迫しておく必要は感じたのであろう。
「ではどうしろと言うんだ!」
「柏木に書類を返却させればいいんだろう」
「何を混乱している。
実力行使に出た、と言ったのはお前だろう。書類が帰ればいいという段階は」
「それを押さえ込むのがあんたの仕事だ!」
「なんだと…?」
吉沢が低く言った。
零は深呼吸をした。
「吉沢さん、この任務から外れてくれ」
「零、貴様!」
「奴らは動いてしまった。既に、表沙汰にするのを避けて、なおかつ、事態を収拾することは不可能だ。
あんたの方針ではもうどうしようもない」
「外れるのはお前のほうだ。
なんでも正攻法で片がつくと思ったら大間違いだ。お前のやり方で総選挙になったら政治に空白が生まれる。そうなったら」
「柏木が殺されたらどうする!
今だって布施さんがたった一人で守っている。あんたの判断は甘すぎる。
外れてくれ」
二人はにらみ合った。耳に痛いほどの沈黙。
「有里、お前の意見は」
絞り出すような声で吉沢が言った。
「柏木とその周辺に危険が及んでいます。
他者を経由した説得、というのは時期を逸していると考えます」
有里の落ち着いた声。吉沢は黙った。
その日のうちに、この事件は暗闇司令が自ら預かることとなった。部下二人に反旗を翻された形の吉沢は外れ、有里と零はそのまま残ることとなった。
ミーティングの結果、有里と零の案が採用された。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
柏木が慌てて怯えた声を出した。
ここは柏木の事務所。
翌日、布施は、「身分を隠して警護についていた警察官」という、偽の身分を明かした。そして、警護はここで打ち切る、と宣言したのである。
「ものがなんであれ、窃盗ですから、これ以上の護衛はできません」
「おい。私は襲われているんだぞ」
布施は取り合わなかった。
「自首をお奨めします。
そうすれば、窃盗事件の重要な関係者として改めて警護することは可能です」
「馬鹿をいうな。そんなことをしたら」
「ご理解ください。
窃盗犯を護衛することは、我々にはできません」
「待て!
おい、待てったら」
同じ時刻に、有里と零は与党本部にいた。この件を持ち込んできた、幹事長秘書官と面会する。
「それはまた…予想外の報告ですね」
秘書官は眼鏡をハンカチで拭いた。間を稼ぐためのポーズだ。
零は、秘書官の後ろに立っている強面に対抗する形で、ソファに腰掛けている有里の横に立っていた。
「暗闇機関は、泥棒の味方をなさる、ということですか」
「我々にお任せいただけない以上、手を引かざるを得ません。
両天秤はお断りします」
秘書官の眉が動いた。
「あれは私の知らないところで起こったことです」
「それでも、あなたのところの党員がやったことには変わりはありません。
そういう解決方法をお望みなら、そちらに注力なさるのがよろしいでしょう」
秘書官の目が光る。
「もしあの書類が公表されれば、この国は大混乱に陥りますよ」
「では、被害届をお出しになることをお奨めします。
警察は、我々などよりははるかに熱心に捜査するでしょう」
話にならない、と秘書官は言った。
「いいでしょう。
我々の手で解決を図ります。
ですが、これは申し上げておきますよ。
今後、暗闇機関の活動になんらかの制限が加わるかもしれない。それはお含み置きください」
「承っておきます」有里はゆっくりと立ち上がった。
「こちらからも一言。
もし、あの議員やその周辺に不測の事態が起こった場合は、我々が先頭に立って捜査に当たります。この方針は既に機関内でオーソライズされていますので、ご了承を」
「なに…?」
秘書官が睨みつける。有里も冷ややかに見返した。
「では、失礼」
本部ビルを出る。
「運転お願い」
「はい」
零は運転席に乗り込んだ。車を出す。
「君、おいしいコーヒーを飲ませるところ、知らない?」
「え…俺は、そういうのはちょっと」
「缶コーヒーで平気なタイプ?」
「どちらかと言えば、インスタント コーヒーです」
「無粋な子ね」
有里は大きくため息をついた。
「久しぶりに緊張したわ」
「そうは見えませんでしたけど」
「形の上では、機関はこの件を途中で投げ出したことになる。
連中が柏木を襲ってくれたお陰で、どっちも動けない様にはできたけど」
「後は暴発の危険ですね」
「それは、柏木を見張ってればいいから、なんとかなるでしょうけど。
こんな不愉快な作戦は初めて。
君のせいよ」
零は黙った。
間違っていることをしたとは思わないが、もっと早く動いていればよかったのではないか、という思いは拭えない。
「冗談よ。
そこ左に入って。コーヒーがおいしいってことがどういうことか教えてあげる」
翌日、有里と零は暗闇司令に呼び出された。部屋に入ると、吉沢がいた。
二人は黙礼した。さすがにばつが悪い。
「柏木は、議員を辞職することが決まった」
暗闇が言った。
「これが、与党側が強硬派を抑える条件となった」
「なんですって?」
零の声。
「その道筋は吉沢がつけた」
「そうですか…。
そうでしょうね」
「有里、お前もまだまだのようだな。
確かに、我々が弱みを握っている、と脅しをかければ大人しくなるかもしれないが、奴らにも面子がある」
「そんなもの」
「零。
彼らは、面子が非常に、場合によっては命よりも大事な世界観の中に生きている」
吉沢が遮った。
「お前にそういう生き方をしろ、と言っているのじゃない。
そういう連中を相手にするには、そういうものなんだということを頭に入れた上で動く必要がある」
零は答えられずに黙った。有里も何も言わなかった。
「こういう、痛みわけの形にしないと、ああいう手合いは絶対に納得せん。
お前達のアイディアは、事件の解決にはなっていても、この騒ぎの解決にはなってない、ということだ。
吉沢、ご苦労だった」
暗闇が言うと、吉沢は一礼して去った。
「有里、お前にそれがわからんということもあるまい」
吉沢が下がると、暗闇が続けた。
「申し訳ありません」
「柏木に同情したか」
「…黙って公開してしまえばいいのに、という気持ちが無かったとは言えません」
「だろうな。
だが、時期が悪すぎる。わかるな」
「はい」
「零」
暗闇は零に向き直った。
「返事が無いところを見ると、ご不満のようだな」
「はい」
「それを聞いてやるつもりはない。
お前の、去年から今年にかけての任務第一の姿勢は高く評価する。だが、その方向がずれているようだな」
「間違っているとは」
「ずれている」
零は暗闇を睨んだ。暗闇の表情は変わらなかったが。
「柏木の護衛は不要になった。
二人とも、次の指令を待て」
司令室を出る。
有里が小さな声で言った。
「個人的見解だけど、君はそのままでいいと思う。
吉沢さんや司令が間違ってるとも思わないけど」
有里は零の腕をポンポンとたたくと立ち去った。
君のせいよ、という彼女の言葉を零は思い出していた。
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作詞:トミー・スナイダー
作曲:トミー・スナイダー
歌:ゴダイゴ
“RULE OF THE GAME(“WHAT A BEAUTIFUL NAME”収録)”より
Ver.1.0: 2002/4/21
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