スケバン刑事外伝 -“00”-

SECOND MOVEMENT

存立基盤崩壊



 深夜。
 零は自分のマンションで深い眠りについていた。閉鎖社会である大学の調査は遅々として進まなかったし、二万人を数える紳明学院大学 OB のその後の経歴も確認せねばならず、やることはいくらでもある。全く減らなかった。京も零の横で静かな寝息を立てていた。二人とも疲れていた。
 その静けさを破るように、呼び出し音が鳴った。零の携帯電話だった。流石に一度のコールでは起きられず、3 度目になってやっと取り上げた。
 フリップを開き、中央部のセンサーに親指を押し付ける。指紋の認証が完了したのは、4 度目のコールが鳴り終わったときだった。
「零です」
 京も目を覚ました。
「え?
 メールですか」
 京はそれを聞くと起き上がり、ガウンをまとった。零の肩にもガウンをかけると、コンピュータのある部屋に走って行った。電源を入れる。
 専用 OS が起動し終わる頃に零がやってきた。
「まだか」
「ちょっと待て」
 メール システムが起動するのが遅い。京はキーボードの縁を指でカタカタと叩いた。
「来た」
 零は、京の背後から、機関エージェントの ID である“obsid”を入力した。一瞬の沈黙の後、データの受信処理が始まる。それが画像として表示されるまでにまた沈黙があった。
「『矢島メディカル・ビルディングス買収』?
 雪乃の会社だ」
 新聞の記事だった。明日の朝刊に載る。新聞社にいる長崎というエージェントが掴んで知らせてきたのである。
 買収しようとしているのは、紳明学院大学の医学部付属病院を建設するための合同企業体だった。これを恒久的な会社とし、矢島メディカル・ビルディングスはじめ、建設に携わっている会社を全て吸収しよう、という計画があるらしい。
《読んだか。
 出所はハッキリしていない。今、探っているところだが、噂の域を出ないな、今のところは》
「ですが、時期があまりに」
《はまりすぎだな。流石に扱いは小さいが》
「これから出ます。
 続報は作戦室の方に」
《寝てろ。まだ時間はあるぞ》
「何を言って――」
《まだ最終版じゃない。この記事が削られる可能性もある》
「それを作戦室で待ちますよ」
《『奥さん』が泣くぞ》
「…一緒です。ご心配なく」
 電話を切る。
「こないだ実験棟に入ったのがばれてるんじゃないのか」
 京は既に出かける準備を始めていた。
「可能性はあるが、おそらく、前から準備を進めてたんだと思う。小さいとは言え、仮にも矢島グループの会社だ。買収なんて話を出すだけでも準備がいる」
「自前で施設を建設できるようにしたいんだろうな」
「その辺だろうが…。
 やり口がちょっと乱暴すぎる。別の狙いがあるのかもしれない」
 どちらも準備は早い。京も、最低限の化粧だけで支度を整えた。
「お京」
 京が振り向くと、零は唇を重ねた。いつもより長かった。
「どうした…?」
 零に抱かれて、京は小さな声で言った。
「長崎さんが、お前が泣く、と言ってた」
「我慢する」
 小さく笑う。
「夕べは不満だったのか」
「な……バカ野郎」
 零は、京の背中を叩いた。
「行くぞ」

 朝になった。
 実際の紙面では、記事の扱いは、最初に見たのよりも小さくなっていた。内容も簡単になっていたが、逆に、憶測を呼びかねないものになってしまっていた。誰の発言が元なのかは、やはりわからなかった。
 7 時。業界の関係者は朝食を摂りながら慌てているところかもしれないが、まだ世間が動き出すには早い。
 他のメンバーには既に招集をかけてある。
 柴田には、新聞の販売店に寄って、建設業界の業界紙を集めてくるよう指示を出した。三人で目を通したが、それに触れている記事は一つも無かった。他の一般誌は勿論、経済紙にも無い。テレビやラジオで取り上げられている、ということもなかった。その、関東新報だけ、ということになるが、これがスクープ扱いされるほどの重要なニュースかどうかは判断の難しいところだった。
 矢島メディカル・ビルディングスは、医療分野に特化した会社であるため、矢島グループの中でも規模の小さい方である。雪乃が兼務で社長をやっているのはそのせいで、赤字ではないが特に儲かっているわけでもないこの会社を整理しないのは、矢島グループが医療に強い関心を持っている、ということを誇示するためと考えられていた。逆に、この時期に医療関係の業務を縮小すれば、マイナス イメージを与えてしまう虞がある。
「株価はどうなっている」
 京の、矢島メディカル・ビルディングスに関する説明が終わると、野口が言った。
「矢島メディカル・ビルディングスは上場していません」
「その合同企業体の他の会社は」
「上場しているのは、春海建設だけですね。
 1 か月分出します」
「柴田に任せろ。
 柴田、関連企業も一緒に調べておいてくれ」
 零が指示を出す。柴田は自分のコンピュータですぐに作業に取り掛かった。メンバーの視線が零に集まる。
「これはスクープなのかもしれないな。
 ただでさえ建築・建設業界はアップアップだ。ここに、春海建設の絡んだ買収劇が噂になれば、無関係の会社まで巻き込んで、また大騒ぎになりかねない」
「春海建設が買収されるというのも考えにくいがな」
「お京、紳明 OB は春海建設に何人いる」
「ちょっと待て」
 お京は自分のコンピュータを操作した。
「…10 人。結構いるな。
 まだ、経営陣というところまでは入り込んでないけど、部長クラスに三人」
「決定的とは言えないが、零」
「樋口、春海建設をあたれ。
 今日はバタバタしてるからもぐりこみやすいだろう」
 樋口が飛び出して行く。
 野口は、目の前の新聞の束を脇に寄せ、肘をついてマグカップを口に運んだ。
「あの胡散臭い実験棟みたいなものを他に作るつもりか。
 建設中の付属病院も怪しいもんだな」
「矢島メディカル・ビルディングスに誰か忍び込ませて、図面を手に入れますか」
「検討した方がいいな。
 頭部に処置を施した学生が量産できるようになるのかもしれない」
「一つ、気になるんだけどさ」
「なんだ」
 京は零の横に立った。
「なんで、見出しが矢島メディカル・ビルディングスなんだ?」
 零が顔を上げた。野口と目が合う。
「業界を揺さぶるのが目的なら、最近、ぱっとしないとは言え、名の通ったゼネコンだ。春海建設の名前を出すべきじゃないか」
「知る人ぞ知る、というポジションの矢島メディカル・ビルディングスを出すのは不自然か…」
「つまり、関東新報では紳明 OB が動いている、という前提ですね」
「それは長崎さんが」
 エージェント達が各自の考えを述べ始めた。零はそれを黙って聞いていた。ブレイン ストーミングに近い、このような会話を零が止めることはなかった。その時点ではありえないと思えても、後に、それが当たっていた、ということは少なくないからである。
 柴田だけは、二桁に登る企業の 1 ヶ月間の株価の動きをまとめるのに忙しかった。

 紳明 OB は、矢島メディカル・ビルディングスにこそいなかったが、紳明学院大学建設に関わったほとんどの会社に在籍していた。関連会社を計算に入れても同じだった。春海建設で 10 人と多いのは、そこが大企業だからで、どこでも 1 人、稀に 2 人という程度で、ポジションから言っても、重鎮であったり若手であったりとバラバラではあるが、そこに紳明学院のマークがつくのは確かだった。
 春海建設は、確かに騒ぎとなった。一応は有名なゼネコンである。経営状態は楽ではないが、大手でないがゆえに、風当たりもそれほど厳しくは無かった。そこに降って沸いたような買収の噂で、会社では噂を消すのに躍起になっていた。会社の警戒は思ったよりも強く、樋口というエージェントは、どうしても経営陣と接触することができず、盗聴マイクをしかけるのがせいぜいであった。
 それでも、部長クラスにいるという紳明 OB は、特殊な動きをしているわけではない、ということがわかった。その騒ぎの善後策で手一杯のようであった。
 関東新報はダイレクトだった。経済欄の責任者が紳明 OB であった。見出しに「矢島メディカル・ビルディングス」の名前を出すよう指示を出したのはその男であった。ただし、行きすぎであった、という理由で、内部的な処分が検討されている、ということであった。

「柴田、売買の実態を確認できるか」
 零はコンピュータのモニタから目を上げて言った。
「やってみます」
「野口さん、南さんは今」
 南というのは、経済分野を得意とするエージェントである。
「今、あっちの作戦から外れるのは無理だろう」
「そうですか…」
「いいだろう。俺が行く」
「お願いします」
「柴田、行くぞ」
「はい」
 翌日、矢島グループ各社の株価は全く突然に大きく下げた。グループ企業軒並みの暴落であった。
「雪乃…」
 次の日には、グループの中枢である矢島ホールディングスが記者会見をし、グループ各社の経営状態は健全であることを強調した。その場に、雪乃や夫の太一も同席している。穏やかな表情は相変わらずだったが、記者からの質問が途切れたときなど、一瞬ではあるが、疲れが覗いた。京は辛そうにその中継を見ていた。
 会見の内容は、矢島グループの常で誠実なものであり、報道のされ方も、それを受けた機関投資家や個人投資家の印象も悪いものではなかったのだが、株価は持ち直さなかった。
 そんなある日、零は暗闇司令に呼ばれた。
「大蔵の事務次官から連絡があった」
「大蔵省から?」
「矢島グループ株の暴落について意見を求められた」
 零は眉をひそめた。
「彼らも、おかしい、と感じているようだ。
 矢島の株は動かない。面白みがない、と言って全く関心を持たない投資家も少なくない。それがこれだ。
 思い当たることといえば、この間の買収の噂だけだ。あれはすぐに聞かれなくなったし、春海建設の方は、その一時だけで株価も落ち着いている。
 矢島グループだけが、しかも、上場している矢島グループの企業全てが値を下げている。確かに、不自然だというほかは無い」
「南さんにも時間を貰って検討したのですが、これという材料が見つかっていません。
 売られているのは事実ですが、今は利益確保のための売りがほとんどで、そもそもなぜ売られはじめたのか、全く分かりません」
「そうか…」
 暗闇は煙を吐いた。ゆっくりとした動作で椅子を回し、正面を向いた。タバコを灰皿に押し付けて消す。
「零」
「はい」
「これは、我々の弱点と言っていいと思う。
 政界、官界、財界、メディア、犯罪者…こうした世界では我々の影響力は確保できた。かなりの捜査力もあると自負している。
 だが、金が動く現場には残念ながら力が及ばない」
「おっしゃる通りです。
 この分野に詳しいエージェントも不足していると痛感しました」
「それはこれからの課題として、だ。
 当面の、この件をどう解決するか、という大きな問題がある」
「はい」
「確かに、矢島グループ株暴落と、紳明学院の件とは、矢島メディカル・ビルディングスという一点で繋がってはいる。だが、実は無関係、単なる偶然という可能性も 0 ではない。そこを早く見極めたい」
「はい」
「こうなれば外部に助力を求めるしか方法は無い」
「はい。
 しかし、証券会社には既に」
「いや、もっと内部の――はっきり言えば、裏側に詳しい人間を探すべきだ」
「裏側、と言いますと」
「証券業界も株式市場も人間が動かしているところだ。後ろ暗いところは山ほどある。そこに詳しい者をあてることを考えろ」
「しかし…」
「浅谷企画という事務所があるだろう」
 零は息を飲んだ。固い表情で暗闇を見つめる。
「俺が気づいていないとでも思ったのか」
 やはり無言のまま。
「浅谷企画は、日本商工ラボラトリと全国データハウス、日本の二大信用調査機関から依頼されて、無署名とは言いながら、その冊子やパンフレット、ホームページに原稿を書いている。これが表向きの実力。
 事情にも精通していて、他の信用調査機関も含め、様々な情報の裏取りを依頼されている。稀に、大きな動きがあった時に、その名前を耳にすることがある。これが裏の実力。
 お前がよく知っている筈だ」
「しかし、彼女は」
 我知らず声が大きくなっていた。
「なんだ。
 お前の感情以外に、彼女に依頼してはならない理由があるのなら言ってみろ」
 零は答えられなかった。
「では承諾したと受け取るぞ」
 暗闇は立ち上がった。
「俺が話を通す。
 後のことはお前が引っ張れ」
 しばらく動けないでいた零だが、やがて、黙って頭を下げると司令室を出ようとした。
「零」
 立ち止まる。
「俺が、歳を取ったから人間が丸くなるかもしれない、などとは思っていないだろうな」
「思っていません」
「だが、お前も変わっていない。
 個人的な感情を制御できるようになるのはいつだ」
 そのまま、零は部屋を出た。

 電車の高架近く、お世辞にもキレイとは言えない雑居ビルの 4 階に浅谷企画はある。
 社員わずかに二人。だが、この事務所は、経済分野での膨大な知識と情報量を誇り、多くの信用調査機関や金融機関、果ては探偵事務所からの依頼すら受ける、という特異な事務所なのである。雑誌原稿などは無署名で受け、一般の人間が耳にすることは少ないが、ごく一部からは警戒の念すら持たれているのであった。
 夜。
 まもなく深夜になろうという時間であるにも拘わらず、その部屋だけは明かりがついていた。今日も残業なのだろうと思われる。
「来た来た!」
 若い女性の声が響いた。
 今まで原稿の執筆で忙しくキーボードを叩いていた女性が顔を上げる。
「美咲さん、来ましたよ、坂東 京助」
「あれ、今回は間があいたね」
 美咲と呼ばれた女性は、微笑みながら、というよりは、ニヤニヤしながら立ち上がり、向かいの席を覗き込んだ。
「今度は、介護サービスだそうですよ。
 いつもいつも、流行りものには飛びつくなぁ」
「もうちょっと早いと商売も楽なのにねぇ。
 ワンテンポ遅いから苦戦するんだよ」
 美咲はすっかり冷えたカップを口に運んだ。
「このままじゃ、一生、慧に笑われっぱなしだ」
 慧と呼ばれた、若い方の女性は、それでもニヤニヤしていた。
 彼女が見ているのは、新しく開業の届けを出した企業の一覧表である。この事務所には、様々な団体から、こうした情報が電子メールで送られてくるのであった。
 坂東 京助というのは、これまで何度も新しい事業を起こしては潰し、起こしては潰しを繰り返している男で、慧はそうした一覧の中に彼の名前を見つけるのを楽しみにしているのであった。最初、悪趣味と言っていた美咲も、その豊富なアイディアとバイタリティに敬意を払いつつ、どこかでそれを――つまり、倒産と復活を――年中行事として捉え、話題にするようになっていた。
「あ、今回は塊太と一緒だ」
「仲直りしたのかな」
 どうやら一癖ある者達がつるんでいるらしく、経営陣のところに並ぶ名前が時折、入れ替わるのであった。
「よかったね、元気そうで」
 美咲が言った。慧は、顔を上げた一瞬だけ照れくさそうな顔をしたが、すぐにディスプレイに目を戻した。
「今回はどれくらい持つかしらね」
「半年に、マニラ屋のカレー シチュー」
「あたしは一年。海燕亭の海鮮ラーメン」
「美咲さん、一年は無理でしょう」
「介護はね、ちょっとでも軌道に乗れば、周囲がつぶさせちゃくれないわよ」
「う。それがあったか」
「頼む方はマジだからね。経営が行き詰まりました、倒産です、なんて無理。夜逃げどころじゃ済まないわね」
「むむむ。
 でもいいや、賭け成立ってことで。
 京助の真心に期待して、ヨーグルトもつけます」
「何が真心よ。
 じゃ、あたしは、海老入り」
 と、声ばかりは楽しそうな彼女達だが、目は違った。油断なく周囲を見回している。慧は入り口を、美咲は反対側の窓を。
 慧はジャンパーのポケットに手を入れ、美咲は机の上の、銀のペーパーナイフを手にした。
 ガラっと窓が開くと同時に、部屋の明かりが消えた。
 そのとき既に、二人は姿勢を低くしていた。
 入ってきた影は 2 つ。
 美咲は、下からその内の一人の膝を払った。バランスを崩したところで、慧の手から何かが飛ぶ。男のうめき声が聴こえて、その影は床に倒れた。
 もう一つの影は、慧を後から羽交い絞めにしようとした。だが、比較的、小柄な慧は思い切ってしゃがみこむと体を前に投げ出すように飛んだ。美咲の拳が腹に入り、次の瞬間には、男は逆に背後を取られてしまった。黙ってペーパーナイフを喉に当てると、男は動かなくなった。
 そして入り口にもう一つの影。慧の腕から再び何かが飛ぶ。それは影の頬を掠めて壁にぶつかった。次の一撃を構える間に、その影は戸口のスイッチを戻した。灯りがともる。
 美咲は、その体勢のまま息を呑んだ。
「あんたは…」
「久しぶりだな。
 いや、浅谷 美咲氏に対しては、はじめまして、と言うべきか」
 美咲の、元々大きな目が開いている。彼女は、予想外の再会に戸惑っていた。
「すまないが、私の部下を放してやってくれないか。苦しがっている」
 確かに。
 右手だけで完全に動きを抑えている。左手のペーパーナイフは喉元。
 美咲は、乱暴にその手を離した。男はあえいでいた。
 慧も立ち上がる。
「狙ってる奴も多いだろうに。
 あんたがまだ生きていたとはね、暗闇司令」
 と麻宮サキ――いや、浅谷 美咲。
「お前の腕も衰えていないな、サキ」
 にらみ合う二人。
 母親の命と引き換えに危険な任務を押し付けた男と、それ以上の成果を上げた後、行方不明となっていた少女の再会であった。
 音がしそうな緊張。
 慧の目にも警戒の色があふれていた。「暗闇司令」というのが何者かは知っている。だが、この登場の仕方には納得がいかなかった。
「彼女にヨーヨーを教えたのは、お前か」
「教えちゃいない。
 慧が自分でマスターしたんだ」
「これは恐れ入った。
 起こしてやれ」
 暗闇は、やっと呼吸を整えた部下に言った。部下は、まだ倒れたままの男を起こし、活を入れた。目覚めた男は、あたりを見回し、何が起こったかを悟ったのか、いささかばつが悪そうに美咲を見ると立ち上がった。
「実は、お前達に頼みがあってやってきた」
「これが、人にものを頼むやり方なの」
 慧が叫んだ。
「無礼はお詫びする。
 だが、君達の実力を試してからでないと口にできないことなものでな」
「あんまり楽しい話じゃないみたいだね」
「そうだな。
 少なくとも、経済誌に原稿を書くよりは汗をかく作業だ」


Ver.1.0: 2003/4/27


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