夏だった。
菫城 (きんじょう) 学院高校の周辺は、登校する生徒達であふれ返っていた。
男子生徒は半そで、女子はそれに赤いリボン。白いブラウスとシャツがまぶしい。
そこに一人、ジーンズにサングラス、という男が紛れ込んでいた。
「あれ、何?」
「あやすい」
生徒達はその男にチラチラと視線を投げた。
怪しいと言われるのも無理はない。その男の視線は低く、時折、覗き込むように顔を下げている。
「ノゾキ魔?」
「変態?」
警戒感を露にした、生徒達のひそかな声。
男はついに屈みこみ、さらに低い視線をあたりに彷徨わせた。
「先生に言った方がいいかな」
「警察じゃね?」
その男の方では全く気にする様子がない。生徒達が、気味悪げに彼を迂回して通過していくのだが、意に介さないようである。
溜息をつく。苛立っているようだ。やがて舌打ちをして立ち上がった。
その拍子に何かにぶつかる。
「ちょっと」
長袖の白いブラウスにリボン。菫城の女子生徒らしい。
「あぁ、堪忍」
「さっきから何やってるんですか」
「何て。探し物」
「嘘」
見上げた視線は厳しい。髪の長いその少女は、その男を変質者と見定めていた。尤も、ほかの解釈はなかなかに難しい、というのも事実である。
「ほんまやて」
「学校のそばで、サングラスで顔を隠して、下から覗き込んで、そんな言い訳が通ると思ってるんですか」
「ほんま。ほんまに探し物やねんて」
「同じことを繰り返すだけってのが怪しいよね」
「ね」
隣のショートカットの少女も参加してきた。
「な…俺、別に写真とったりもしてへんやろ」
「デジカメなんかポケットに隠せるもんね」
「そうです。
いいかげんにしないと警察呼びますよ」
「このガキ」
男は自分の顔からサングラスを毟り取った。それをシャツのポケットに刺し、入れ替わりに出してきたカードケースから名刺を抜いて突き出した。
「見てみい」
最初の、髪の長い方の少女がそれを手に取る。
「ディデット…探偵事務所?」
「そうじゃ。
お客さんから依頼があって探し物しとんねん。
大体、お前らみたいなガキのパンツ覗いたかてちょっとも楽しないわ」
「変な名前」
「名刺なんかいくらでも作れるしね」
「まだ言うか、このクソガキ」
「これ、何て読むんだろ。
タダ?」
「ダダかな」
「コウダや!」
「田んぼが二つで?」
「それは、『甲羅』の『甲』や!
高校生の癖して漢字も読めんのか!」
「こんな変な字体、使うからです」
少女は名刺を逆に突き出した。
「言われなかったら、これが『甲』だなんてわかりません!」
「しょうがないよね、変態だから」
「誰が変態や!」
「あなたが!」
長い髪の少女は真っ直ぐに突いてくる。
ショートカットの少女は脇から攻めてくる。
男は冷静さを失っていた。
「おのれら、えぇ加減にさらせよ。
こっちは仕事中なんじゃ。営業妨害すると、こっちこそ警察に言うたるぞ」
「言えば」
「あなたが女子高校生のスカートの下を覗いてたってこともばれますよ」
「覗いてへんちゅうとるやろ!」
「何やってる」
別の声。こちらは麻と見えるジャケットだった。この男よりは年上のようだ。
「おぉ、シイダ。
このガキどもがやな――」
男の言葉が途切れたのは、後から来た方の視線がにわかに厳しくなったからのようである。
「シイダ?」
「あ、石田…さん」
「なにそれ」
シイダなのかイシダなのかはっきりしない男は、無言できびすを返した。
「あちゃ…」
男は急に慌てはじめ、それを追うように足早に歩き出した。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
「こら、変態!」
男は、やかましい、とだけ言い残して走って行った。
相当に足は速いようである。追いつくまでにはしばらくかかった。
「待ってぇな」
答えない。
「ちょっとうっかりしただけやがな。なぁ、慎介さん」
「おや、私は『慎介』なんですか。てっきり『シイダ』なのかと思ってましたよ」
一瞬だけ顔を引き攣らせる。
「そんな嫌味言わんでも。
かなんなぁ、ほんまに」
愛想笑いをする、甲田という名刺を持っていた男。
「嫌味なんてとんでもない。
甲田 太一様にでしたら、なんと呼ばれても不満などあろう筈もございません」
「慎介…」
「なんでございましょうか」
「もう…。
俺が悪かったて」
慎介は急に立ち止まった。
「どこが」
太一もそれに合わせて止まった。恐縮しつつ答える。
「名前を…間違えました」
「他には」
「他、て」
「一般市民とトラブルを起こしてはならない。
これは鉄則だ」
「そやかて、あのガキが」
「学校の近くを捜索するのは登校時間が過ぎてからにしろ、と言ったはずだ」
「お客が、急げ、て言うとったからやな」
「それで揉め事を起こしたら本末転倒だろう」
「はい…」
歩き始める。太一も続いた。
「大体、猫が学校に迷い込んだら騒ぎになる。教師がそれを知ったら、どこかに届けるなりしてくれる。捜索の優先順位としては低いんだ。
そういう事情はお前の方がよく知ってるだろうが」
「そもそも、なんで迷い猫探しなんや。
俺らやったらもっとこう…」
「俺達は新米なんだ。仕事を選べる立場じゃない」
「でも、はっきり言ぅて楽しないで」
「じゃぁ俺一人でやる。
お前は自分の仕事を探せ」
「仕事て、なんかあったか?」
「だから、自分で探せ」
また足を速める慎介。
「そう見つかるかいな。これかて、開業 2 週間でやっとの初仕事なんやで」
「だったら、ゴチャゴチャ言わないで、この仕事を確実に仕上げろ、ガキ」
「ガキ?!」
「事実と違うことでも言ったか!?」
慎介が急に振り向く。太一は反論できなかった。
「おっしゃる通りです…」
その日の夕方。
慎介は寺にいた。
正確には、その縁の下である。
彼らが捜索依頼を受けた猫は、その下にいるらしい。
確かに、猫はいた。模様も似ている。だが、縁の下のことで薄暗く、はっきりとは見えない。慎介は、小型ビデオで撮影を始めた。
砂利を踏む音。
これは、刺身を買ってきた太一である。
彼は彼で、とにかく掴まえてみないことには話にならない、と考えた。違ったらまた放せばいいだけのことだ。おびきよせるためのエサである。
太一は、縁の下の、ギリギリ外に出るか出ないかのところに刺身を置いた。その地面をポンポンと叩く。猫は、その音に顔を向けた。そして、そこにある刺身に気づいたようであった。ゆっくりと体をそちらに向ける。
静かに後ろへ下がる太一。灯篭の陰に身を隠し、そこに置いてあった網を手にとる。
「薫、あれ」
「今朝の変態」
朝方、太一を変質者として追及していた二人が通りかかった。
「何やってんだろ」
「見るからに怪しいけど」
物陰に隠れて網を持っている男。怪しくないわけがない。二人はゆっくりと近づいた。
「こら!」
「え――あ!」
その声に驚いた猫は目にもとまらない速さで逃げていった。縁の下の慎介もこれには舌打ちをした。
「何すんねん!」
「あなたこそ何やってるんですか」
「網なんか持って」
「今度はお寺さんですか」
「寺…って。
普通の変態じゃないのかもしれないよ」
「変な変態?」
「仕事の邪魔や、言うとるやろ!
猫が逃げてしもうたやないか!」
「猫?」
「せや。せっかくもうすぐ掴まえられるところやったのに」
二人の少女は、しばらく顔を見合わせていたが、やっと納得した、という顔で頷きあった。
「猫を探してたんですか」
「本当に探偵なんだ」
「猫探しがお仕事」
「だっせ」
「やかましい!」
這い出してきた慎介は、やれやれ、という表情で頭を振ると、そのやりとりを放置して歩き去った。
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