銀河探偵 ディデット

黒髪萌え? イヤーッ! (前編)



「おっつー」
「明日ねー」
 夕方の菫城学院。
 運動部はまだまだ練習が続くが、文化部は帰宅を始める時刻である。
「まだ暑い…」
「明日の朝まで暑いんじゃないのかな」
「言うなよぉ」
「言い出したのはケコちゃんだよ」
「くっそー。
 つか腹も減ったし。
 なぁ、やっぱ裁縫はまた別の機会にしようぜぇ」
「だーめ。夏は浴衣っていうのが家庭科部のルール」
「えぇぇ。
 遅くまでやるんだから腹へってしょうがないよ。調理実習にしようよ」
「あたしじゃなくて部長に言って」
 南田 薫と山岸 慶子は、小学六年生からの付き合いである。
 薫が家庭科部に所属しているのは、「生きていくために最低限、必要なことだけは自分でできなければならない」という父親の教育の結果である。衣食住は人の基本、それくらいは一人でできるようにしておかなければならない。
 これには、「人は、自分一人では生きていけない。どうしても他人の助けが必要になるのだから」という但し書きがつく。衣食住の「住」を例にとれば、家を建てることはできなくてもいいが、その掃除と簡単な手入れくらいはできるようにしておけ、というのが父親の方針だった。
 スポーツがあまり得意ではない、ということも事実ではあるのだが。
 逆に、慶子の方は、実は体を動かすことが好きである。夏は、海だ、山だ、プールだ、と忙しい。だが、彼女は「汗臭い集団行動」というのが大嫌いなのだった。そのため、運動部に入る、ということが選択肢に入ったことはなかった。かと言って、何もしないでいると色々とわずらわしいため、「仲良しの薫ちゃんと一緒」ということで家庭科部に入った。特に不器用ということはないが、どちらかと言えば、雰囲気をにぎやかにする、という役目を負っている。
「だめだ。暑い。
 明日、床屋、行こ」
「ケコちゃん…お願いだから、美容院って言って」
「同じだよ。別に何してもらうわけじゃないんだから」
「もう。
 あたしたち、お年頃なんだから」
「ババくせ」
「何?」
「毛に引っかかるような男なんか興味ないよ、あたしは」
「け…毛って…」
 立ち止まる二人。
 眉間に皺が入る。
 気配を感じる。
 目だけを動かして意志を疎通。
 素早く振り向く。
「!」
「あ…」
 白衣。
 青白い顔。
 乏しい頭髪。
「え…へ…」
 その右手が何かをつまんでいる。
 それは髪の毛であった。
「キャーーーッ!」
 二人の悲鳴。
「変態!」
「誰か!」
 バタバタ、と足音。
 それを耳にすると、白衣の男は急に慌てた様子で走り去った。
「どうした」
「変態だ、変態!」
 そのグループを見て、薫の表情が固まった。
「先輩…」
「あっちか。
 野沢は、ここにいてくれ」
「わかった」
「追うぞ」
「ッス!」
 それは同じ菫城学院の男子剣道部であった。主将らしい男が駆け出すと、部員達が一斉に続いた。
「ランニングですか」
 慶子が口を開く。
「そうだ。
 お前たちは大丈夫か」
「まぁ」
 薫はうつむいていた。
「よかったねぇ、野沢先輩が助けに来てくれて」
「ケコちゃん…」
 慶子のブラウスの裾を引っ張る薫。
「あれはひょっとして、例の、あれか」
「そうみたいですね。髪の毛つまんでにやついてたから」
 最近、この近辺で出没する妙な痴漢である。髪の毛を集めて喜んでいるらしい。噂になり始めた頃は、女性のロングヘアをいきなりなでる、ということもしていたらしいが、最近は、それはしなくなったようだった。
「そうか。南田の髪、きれいだからな」
 慶子が、え、と言った。薫は、一気に耳まで赤くなった。
「野沢先輩、それって」
「なんだ」
 野沢は、自分が言ったことの意味を理解していなかったようである。
「あ、あ、いや、俺は別にそんな、いやらしい意味で言ったんじゃ」
 慶子の視線をたっぷり浴びて、ふいに気づいたらしい。慌てて弁解を始めた。
「だから…すまん。
 どうも、この無神経は治せ、と保坂にも言われてるんだが…」
 保坂というのは、先頭を切って追って行った主将のことである。慶子は、無神経つか唐変木、とつぶやき、また薫に裾を引っ張られた。
「あ」
「どうした」
「こないだの変態」
 慶子が指差す。
「変態?!」
 薫も顔を上げる。見覚えのある二人。両手に袋を提げている。
「待て、そこの二人!」
 野沢は血相を変えて走っていった。
「動くな」
「な、なんや、おい」
「大人しくすれば痛い目には遭わせないでやる」
 野沢が立ちふさがる。それは、太一と慎介だった。
「なんの真似だ。
 菫城学院剣道部は『ゴロツキ』の集まりか」
「なぜ菫城の剣道部とわかる。
 さては貴様達、学校の周りをうろついて偵察していたな」
 肩をすくめる二人。胴衣の胸に刺繍がある。一目瞭然だ。
「どないします、慎介先生」
「今日はお前が食事当番だろう」
「きちんとやるがな。どっちも」
「一般市民とのトラブルは厳禁なんですけどね」
「そやけど、ケンカ売って来たんは、あっちやで」
「トラブルを平和裏に解決するのも、探偵のスキルってもので」
「そやったらお前がやりぃな」
「君子、危うきに近寄らず」
「自分で『君子』て」
「ゴチャゴチャうるさい!
 お前達は漫才師か」
「大阪弁やから漫才って発想は貧困やで」
 慎介がそらした視界に薫が入った。
「手ごわいのがいるな」
「なんや、援軍――あいつらかい」
 肩を落とす太一。
「お前ら、そんなに俺らを好かんか。
 こんなチンピラ使うてからに」
「な…!」
 薫が走ってくる。
「先輩をチンピラ呼ばわりしたわね!」
「そやないか。いきなり言いがかりつけくさって。
 俺らが一体何をしたちゅうねん」
「噂の『ヘア・ハンター』というのはお前らのことだろう!」
「なんて? 『ヘア・ハンター』?」
「とぼける気か!」
「野沢、どうした!」
 追って行った部員達が戻ってきた。
「保坂!
 こいつらが例の『ヘア・ハンター』だ!」
「なに!」
 あっという間に取り囲まれる二人。
 歯軋りをする太一。慎介の表情も厳しく変わる。
「俺、ちょっともよおしてきたわ」
「もれそうなのか」
「素手にしとくさかい堪忍してんか」
「その年で粗相は恥ずかしいぞ」
 レジ袋を下において足場を固める二人。興奮した相手が 10 人では、落ち着いた解決は難しい。
「あのー」
 と慶子。だが、もう誰も耳を貸さない。部員達はそれぞれに構え始めた。そして、飛び掛ろうという瞬間。
「ちょっと待って!」
 突然の大声に全員の視線が集まる。薫にそんな声が出せるとは誰も思っていなかった。
「その人たちは、違うと思います…多分」

「つまり、あんたの早とちり、ちゅうこっちゃな」
 太一は野沢の鼻先に指を突き出した。
「申し訳ありません」
 野沢が深々と頭を下げる。
「野沢先輩は悪くありません!」
「何がいな。
 お前もお前も、俺らがその『ヘア・ハンター』やとは言うとらんのやろ?
 こいつの勘違いやないかいな」
 今度は、薫と慶子を指差す。野沢はまた頭を下げた。
「お許しください。
 我々も早合点をいたしました」
 保坂に続いて部員達も頭を下げる。太一はふんぞり返り、冷たい目でそれを無視した。
「ほんまに人騒がせな生徒ばっかりの学校やの、菫城学院も。
 どういう教育しとんねん」
「その辺にしときなさいよ」
 慶子が言う。
「ちょっと勘違いしたくらいで学校の悪口言うなんて」
「そのちょっとの勘違いで俺ら袋叩きにあうところやったやないか!」
「前科があるんだからしょうがないでしょ!」
 薫も加わる。慎介は後ろに引いた。こうなったらしばらく放っておくしかない。
「あれは猫を探しとったんじゃ!」
「女子高生のいるところで下を覗き込んだら痴漢です!」
「猫探しは仕事じゃ!」
「ついでに覗いたかもしれないでしょ!」
「覗いてへん!!」
「痴漢!」
「変態!」
「ちゃうわ!!」
「証拠を見せなさいよ」
「なんぼでも見したるわ」
「じゃ、真犯人を捕まえて連れてきなよ」
「おう、なんぼでも――」
 慎介は右手で額を抑えた。高校生にしてやられている。
「ケコちゃん、あったまいい」
「いや、今のは」
「言いましたね」
「言ったよね。痴漢を捕まえるって」
 ね、と部員達にも同意を求めるが、流石の彼らも、その剣幕に飲まれていた。

Ver.1.0: 2006/7/9

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