「はい、いらっしゃ――」
ドアを開けた太一の顔は強張ったが、さすがにそこまでだった。
「――いませ」
向こうには、同じように強張った表情の南田 薫が立っていた。山岸 慶子はさほどでもない。
先日、ある事件の捜査で、見直した、と言われたこともある。太一は彼女達に悪態をつくのはやめることにしていた。
「なんや。用があんねんやったら入らんかいな」
「お邪魔…します」
中に入る二人。薫は上目遣いに、慶子の方は不躾に室内を見渡している。
「意外に立派」
「うん」
「『意外』は余計じゃ」
「いらっしゃい」
慎介の方は朗らかである。元々、彼女達と角をつき合わせていたのは太一だけで、慎介には何のわだかまりもない。
「そちらは。お友達?」
二人の後ろに、背の高い少女が立っていた。同じく、菫城学園の制服だったが、薫と慶子がどちらかといえば細身なのに比べて、こちらは「肉感的」である。
「あら…」
太一は、えらい違いやな、と言いかけて口をつぐんだ。
「で、なんや。依頼かいな」
「うん…」
冗談のつもりだった太一はずっこけた。
「ほんまか」
「ちょっと…」
「ま、それやったら座り。
慎介、茶や」
「コーヒーでいいか?」
「なんでもえぇがな」
「お嬢様方に聞いたんだ」
太一は、ロリコンが、と毒づいた。
応接セットは四人掛けである。薫と慶子は席を譲り合っていたが、結局、薫が座った。3 人目の少女は、薫に引きずられるようにして隣に座る。
「依頼主は、あんたか」
「中山 恭子と言います」
その少女は、大人っぽい風貌の割に、おどおどしている。というよりは、思いつめている、と言うべきか。
「なんや、彼氏の浮気調査か」
「無神経」
後ろに立っている慶子がつぶやいた。
「なんやと」
「太一、お前、デスクに行け」
「なんでやねん。俺はここの」
「お客様優先だろ」
慎介は、恭子の表情が気になっていた。話を進めたい。太一を離さないとつまらないケンカになる。
ぶつぶつ言いながら立つ太一。慎介が慶子を呼ぶと、慶子は、素直に慎介の隣に座った。それも癇に障る。太一は、ハーレムやの、とつぶやいた。
「ということは、当たってたのかな」
「あの…」
恭子は口を開かない。薫が助け舟を出そうとしたが、言いにくそうであった。
「父なんです」
意を決して吐き出すように言う恭子。
「お父さん?」
恭子は黙って頷いた。
「詳しく聞かせてくれないかな」
また口をつぐむ。
「話をしてくれないことには、調査のしようがない」
「見たんです」
「何を」
「父が、知らない女の人と、レストランで食事をしてるところ」
「なるほど」
「その日は、仕事の打ち合わせで遅くなる、って言ってたんです。
なのにあんなところで…嘘をついて」
「うん」
「だから…」
太一も身を乗り出していた。深刻な話だ、ということはわかった。だが、恭子はまた黙った。
「それは、どれくらいの頻度なの?」
「見たのは、その時だけです」
「一度だけ?」
「はい」
太一が声を上げた。
「一度かいな」
慶子と薫の視線が飛ぶ。
「それで、浮気て言うのは、お父さんが可哀想やで」
「じゃ、なんだって言うんですか」
「本当に仕事の話かもしれへんやろ」
「レストランで?
二人っきりで?」
「そういうこともあるわいな」
「ちょっと」
「静かに!」
やむを得ず大きな声を出す慎介。太一はデスクに戻り、薫と慶子も座り直した。
「悪いが、太一の方が正しいと思う。
レストランで食事をしているのを一度見た、というだけで浮気に結びつけるのは早合点と言われてもしょうがない」
「でも、最近、多いんです」
「外食が?」
「はい。
週に 2、3 回は、帰りが遅くなります」
「夜中とか」
「いえ。
9 時ころですけど」
「微っ妙やなぁ」
また薫と慶子がにらんだ。恭子は体を小さくしている。
「お母さんは何か。疑ったりしてる様子はない?」
「いえ…」
「答えにくいかもしれないけど…洗濯の時に何か」
「いえ…」
慎介はソファに寄りかかった。やはり、太一の言っていることの方が正しいような気がする。
「あの…」
その雰囲気を察したらしい。恭子は不意に立ち上がった。
「すいません。お邪魔しました」
恭子はそのままバタバタと部屋を出て行った。
「恭子ちゃん!」
「待ってよ。
この、人でなし!」
慶子は、二人に罵声を浴びせると、恭子を追いかけて行った。薫は厳しい顔つきで振り向いた。
「恭子ちゃんは嘘なんかつきません!」
「勘違いってことはあるやろうが」
「だって」
「彼女とお父さんの仲はどうなんだ」
「とっても上手く行ってるって」
「それの裏返しということもある」
「石田さんまで」
まで、てなんやねん、とつぶやく太一。
「落ち着いてくれ。
食事しているのを一度だけ見た、というのでは根拠にはならない。
帰りが遅いのだってそうだ。本当に仕事をしているのかもしれないじゃないか」
「お願いします!」
薫はふいに立ち上がって体を折り曲げた。
「恭子ちゃん、ずっと悩んでて、顔色も悪いし、笑わなくなっちゃったし。本当に悩んでるんです」
「だから、それはやな」
「お金は私が出します。
アルバイトして、絶対に払いますから。
お願いです」
膝に額がつきそうなほどに頭を下げる薫に、二人は言葉がなかった。
「9 時やろ?」
太一は缶ビールを飲み干した。
「6 時に会社を引けたとしてやな、家に帰るまで 3 時間や。
飯も食わんと励んでも、間に合うかどうかやで」
「あるいは、商談から直帰のふりをして早めに会社を出てるか」
「そんなもん、週に 2 回も 3 回もやっとったら、会社からにらまれるで。会社にも寄るやろけど。
それに、そんなペースで会うとったら、金が続かんようになるがな」
「相手が父親にぞっこんで、全部もってるとしたら」
「まぁ、数学的な確率で言うたら、ないこたないわな。数学的にはな」
「母親が気づくだろうな、普通は」
「娘にだけはひた隠しにする、ってこともあるけどな」
缶を放り投げる太一。甲高い音を立ててゴミ箱に入った。
「暇見て、一週間くらい、張ってみるか」
「暇だからな」
「それを言いなや」
冷蔵庫を開ける太一。二本目。
「あのガキ、あんなこと言うねんな」
「あぁ…」
二人は、頭を下げて頼む薫を思い出していた。
「浮気調査なんか真面目にやったら、いくらかかると思てんねん。
子供のバイトで追いつくかいな」
「へぇ、やるんだ」
「やらんのかい」
「得意の、下調査ってことで、ひとつ」
「そうそう。引き受けるかどうかを判断するための、下調査から」
一週間が過ぎた。
「なにしとんねん、こいつら…」
二人は頭を抱えていた。
その一週間で、父親の中山 雄介が女と会ったのは、3 回。いずれも、終業後である。
だが、二人が会ったのは、それぞれの職場の近くの喫茶店である。隠れて会っている、という風ではない。今回はレストランはなく、酒も飲んでいない。1 時間ほど話をして、別れて、自分の家に帰っている。そのペースだと、帰宅は、恭子の言う通り、9 時ごろ、ということになる。
相手は、曽田 和歌という会社員。中山の会社と取引のある、事務機器会社の営業担当である。
浮気と言うにはあっさりしているし、何もないと言うには頻繁すぎる。商談の割に、資料を広げたり渡したりしていない。
「たまたま、その気にならんかった」
「感づかれていることに気づいた」
「だったら会うのをやめるやろ。
今は、携帯電話て便利なもんがあるんやし。会うのは、会う理由があるからや」
「プラトニックな浮気」
「あるかい、そんなもん」
「お前の偏見じゃないのか」
「99% の確率で断言できます」
慎介は肩をすくめた。確かに、そのとおりだ。
「本気で調べなわからんかもしれんで」
「あぁ…」
「なんかえらい巧妙な手、使てるかもしれんし」
「憂鬱になってきた」
「何が」
「本当に浮気だってことがわかったら、どうする」
太一はソファの上に体を伸ばした。
「かなんなぁ。
あの子に、よう言わんで、俺」
「残りの二人も、それを聞く覚悟ができてるとは思えないしな」
「俺らが悪者にされるかもしれんで」
「それはいいんだがな…」
太一は寝そべったまま溜息をついた。
「とりあえず、調査続行ってことにするか。
わかったらわかった時だ」
「そや…な」
夜。
太一は、一日中、中山に張り付いた。中山は今日も曽田と会っている。
ただし、今回も喫茶店の、外から見える席で話をし、1 時間後に分かれて帰宅。その後に何かあるかもしれない、と自宅まで尾行したが、何もない。中山は例によって 9 時前に家に帰り着いた。
「何やってんの」
太一は突然、背中をどやされて飛び上がりそうになった。
「なんや、お前か」
慶子だった。
「お前こそ何しとんねん」
「犬の散歩」
慶子の手に持った紐の先に小さな柴犬がいた。
「お、こいつがロンかいな」
「ロン、噛んでいいよ」
「物騒なこと言いなや。
可愛いやないかい、飼い主に似んと」
ロンは、太一がしゃがみこむと、舌を出したまま尻尾を振った。
そのままロンをからかっていると、上から慶子の声がした。
「ひょっとして、調べてくれてるの」
「暇つぶしにな」
「よろしく…お願いします」
「え?」
「行くよ、ロン。
変態がうつっちゃうからね」
振り向かずに歩いていってしまう慶子。
取り残された太一は、頬をかいた。
「どいつもこいつも…可愛いガキやないかい」
太一は、中山と曽田の会話を盗聴することに成功していた。それは、純然たる商談であった。曽田からの相談、という雰囲気もないではなかったが、少なくとも、艶っぽい会話は全くなかった。
それは、慎介が調べてきた、曽田のポジションとも一致する。
彼女は、確かに営業職として頑張ってはいるのだが、成績がそれにリンクしない、という評価を受けていた。内心、後がない、と焦っているのではないか、という声もある。
「相談から火がつくってのはよくあることやで」
「今年度の前期の成績を上げるには、今の時期にがんばっておく必要がある。今は、イチャイチャしてる場合じゃない、ということはありうる」
「あと 2 ヶ月か」
「8 月は夏枯れだ。今しかない」
「確かに」
太一はコーヒーを口に運んだ。
「あー、ところで慎介先生」
「なんでしょう、太一先生」
「我々は、中山 雄介氏が浮気をしている、という前提で調査をしているようですがぁ」
「週に 3 回も会う。仕事の話はするが、契約云々じゃない。ほかに解釈が可能か」
「契約に持ってく為の準備段階、ということもあるかもしれないんですがぁ」
「終業後にか。
不自然としか言い様がない」
太一の肩が落ちる。
「そや…な」
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