薫に呼びかけられても、太一はすぐには返事をしなかった。
「ねぇ、太一さんってばぁ」
なにかの資料に没頭している。いや、没頭しているふりだった。こめかみが震えているのは苛立っている証拠。
「いいよ、もう。慎介さんに聞くから」
「社会科は管轄外」
「冷たいんだから、二人とも」
「じゃかましいわい!」
ついに太一が怒鳴った。
「ここは俺らの仕事場じゃ。
図書館と違うねんぞ!」
「だぁって、ねぇ」
「頼りにされてるんだよ、太一君は」
「お前に、『君』づけされる謂れはないわ!」
「そんな冷たいこと言わないで」
薫も慶子も堪える様子がない。
「薄情ねぇ、太一君ったら。
私たちおバカな女子高生が、あなたの知識を頼りにしてるのよ。
助けると思って」
「宿題は自分でやらんと身につかん!」
「成長したなぁ、太一君」
慎介がつぶやいた。
「おい、慎介。
そもそもお前がガキどもを甘やかすからこないなことになんねんぞ」
「そんなに嫌いなら、力ずくで追い出したらいいじゃないか」
「そんな」
慶子が泣きまねをする。
「太一君が、そんな冷酷なことをする人だなんて。
あたし、絶対に信じない」
薫も悪乗りし始めた。
「どつくぞ、おのれら!」
「『どつく』だって」
「ひどい!」
「あんまりよ、太一君!」
大騒ぎである。
夏休みも中盤を迎えつつある。
薫と慶子は、最近になって、彼らが探偵だというのは本当らしい、ということを理解した。さらに、探偵稼業に必要なものなのかもしれないが、この二人がかなりの物知りだ、ということにも気づいた。慎介は理数系が得意、太一はこう見えても社会科分野の知識が豊富だ。英語はどちらも一通りできるらしい。
たちまち、ここは彼女達の図書館と化した。二人だけではなく、クラスメート達すら顔を出す。仕事にならない、と太一は悲鳴を上げていた。
「百万歩譲って、勉強しとるだけならえぇわい。すぐ、遊びに走りよるやろ」
「乗る奴がいるからな」
慎介は、太一の毎晩の愚痴を相手にしなかった。彼はどうやら、騒音を自分の意識からシャットアウトする方法を身につけているらしい。
「俺は、お前と違ぅて温情あふれる人間やさかいな」
「『気が弱い』って言うんだろ、地球では」
決して広い事務所ではないので、移動しようとすると、椅子をずらしてもらわなければならないこともある。だが太一は、薫たちが一生懸命にノートに書き込んだりしていると、それを言い出しにくい、と感じてしまうたちなのだった。
「必要なことは言わないで、おふざけを煽るようなことは言う。半分はお前の責任だ」
そうしたストレスが積み重なっている。ここのところ、太一は日に二度は怒鳴っていた。
しばらく静かだった。慶子が、んーっと唸りながら背筋を伸ばした。
「マッサージしたげようか」
「お願ぁい」
薫は慶子の後ろに回り、首筋をもみはじめた。
「あ〜、癒されるぅ〜。
ナースになんなよ。絶対にお勧めだって」
「だぁって、英語も苦手なのに、ドイツ語なんて」
「最近は、ドイツ語、使わんようになってるらしいで」
「あれ、太一君、お仕事は」
「――!」
「いやぁ、この技を生かさない手はないと思うよ。
マッサージでも針灸でも、お医者さん系だよ」
慶子は、薫に肩をもまれながら、はぁぁ、と息を吐いた。
「そんなに気持ちいいんだ」
「そりゃぁもう。慎介さんも、やってもらったら」
「首締められるで」
「太一さんとき、やったげる」
「キッツイのね」
「一発昇天」
太一は、ケ、とはき捨てながら資料を放り投げた。
「お前みたいなガキに、俺の鍛え上げた筋肉が絞められるかいな」
「いつまでもガキ、ガキってね。
こっちは花も恥らう乙女なんですからね。言葉に気をつけて」
「恥じらい、て柄かい。
『斜交い』みたいな顔してからに」
その言葉は理解できなかったらしい。薫は慎介の方を見た。
「はすかい、って何?」
「斜め、とか、そういう意味」
薫は、背中を向け、肩で笑っている太一を睨みつけた。
「あたしの顔が曲がってるっていうの?」
「べぇつにぃ」
「訂正して。
年頃の女の子に言っていい台詞じゃないよ」
「年頃なんやったら、『じゃないわよ』くらい言ってからにせんかい。男か女かわからん言葉遣いしようてからに。
まったく最近のガキは口答えばっかり」
「『最近の』なんとか、って言い始めるのは老化の証拠」
「俺は大人やさかいな」
「じじぃ」
「なんやと」
「湿布がお友達のお年よりでしょ」
にらみ合う。慶子が席を立って避難した。
「あぁ、キレちゃった」
「機嫌悪かったのかな」
小声で話をする慶子と慎介。
「前から、ガキって言われるたびにすんごい怒ってたもん」
「そんなもんだと思ってたけど」
「薫は、小柄だからコンプレックスがあるんだ」
「コンプレックス…」
「年に一回くらい、キレるもん。
最近じゃ、薫に、面と向かって『ガキ』って言うの、太一だけだよ」
「…」
言い合いはヒートアップしている。
「偉そうなこと言うんは、色気の一つもつけてからにせんかい!」
「色気と人格は関係ない!」
「色気も人間の魅力じゃ。半人前のガキの癖して偉そうな口たたくな」
「あんただって、あたし達以外の女の子と話してんの見たことないわよ!」
「お前らが知らんだけじゃ。夜な夜なあちこちでブイブイ言わしとんねん」
「不潔!」
「へ。きらきら飾った姉ちゃん達が、太一様、太一様、ってうるさいほどや」
「飾らなきゃ見られない女なんでしょ」
顔がぶつかりそうな距離になっている。
「止めないの?」
「あれを?」
「そろそろ、まずい、かも」
慶子の顔が引き攣り始めている。
「ガキにはわからんのんじゃ、ガキには」
「また言った!」
「何遍でも言うたるわい。
ガキはガキやからな!」
「あんたね!」
「悔しかったら、アクセサリの一つもつけてみせてみいや、くそガキがぁっ!」
突然の静寂。
今度は薫の番だった筈だが、薫が反論しない。
太一は、泣くか、と思った。だが、違った。
「見せてあげる」
落ち着いた、低い声。
「え?」
「ついていらっしゃい」
「は?」
薫は、そのまま荷物を鞄に入れると、静かにドア口へ向かった。慶子は、いくらか青ざめながら、それに続いた。
「おい、どないしたんや…」
「ついてらっしゃい、って言ったんです」
有無を言わさない口調。太一も慎介もあっけにとられている。
「あれ、なんやねん」
ドアが開く。その後をついて行った慶子は、大慌て、という顔で手招きした。
その様子で、どうやら、一線を超えてしまったらしい、ということだけはわかった。太一の脇の下を冷や汗が流れていく。
「お急ぎなさい」
「はい…」
それしかないようだった。
薫を先頭とする無言の行列。太一と慎介は責任を擦り付け合っていたが、声が大きくなると、慶子が「静かに」と制止する。どうやら、相当にまずいらしい。
電車には乗ったが、薫の家はさほど遠くはなかった。きちんと手入れのされた小さな庭のある、こじんまり、という表現が似合いそうな家だった。
両親はいないらしい。薫は、鍵を開けると、無言で彼らに頷きかけた。ついて来い、という意味だろう。慶子が、少し落ち着いてきたな、とつぶやいた。
薫の部屋は二階だった。その家の雰囲気に似つかわしい、不必要な装飾のない、落ち着いた部屋である。勿論、白をベースにした色合いは、17 歳の少女らしい、とは言えるが、さっきまで口汚く罵り合っていた様子からは、いささか離れている。
薫は、机の抽斗の鍵を開けた。小さな辞書くらいの大きさの箱である。その様子からも、さっきの口論の内容からも、それはアクセサリー ケースであろうと想像できた。
それも鍵で開ける。さらに小さな箱が出てきた。
小さな音を立てて蓋が開いた。
太一も息を飲んだ。
それは、指輪であった。
透き通るような色、いや、透き通っているのだからそれには色はない。周囲の風景を映して、かつ、輝いている。しかも、その穏やかな光には、邪なものをよせつけないものが感じられる。
「ダイヤ…?」
慎介がつぶやいた。
薫は、ゆっくりと首を振った。さきほどの怒りは消えている。まるで、その宝石が拭い去ったかのようだった。
「模造品だって」
「それにしても」
太一の声も小さい。
「きれいやな…」
「うん…」
4 人の目は完全に、その宝石に奪われていた。
「ちょっと…見せてんか」
と手を伸ばす太一。
慶子が、バカ、と言った。
薫も、しばらく迷っていた。だが、決心したように、それでもゆっくりとそのケースを差し出した。
「あ、いや、やめとくわ。
ごめん」
その様子を見て、流石に申し訳なく思ったのか、太一も手を引っ込めた。
「ごめんなさい。
これ、宝物だから」
「そうやな。
気のきかんこと言うてしもうた。
堪忍…」
「お父さんに貰ったの」
「宝物やな」
「うん…」
言葉が途切れる。今は、あれこれおしゃべりをするのはためらわれる。
「写真、撮ろうか」
沈黙を破るように慎介が言った。
「あ、それ、えぇな。
折角の機会や、ちょっとおすましの写真、撮っとこ――って、お前、なんでデジカメなんか持ってんねん」
「探偵の七つ道具。
お前が手ぶらなのがおかしいんだ」
「え、そんなん」
「いいから、どけ。
お前を撮るんじゃないんだ」
薫は、その指輪をゆっくりと中指にはめた。両手を前に重ねる。
「いくよ」
落ち着いてシャッターを切る。
やっと、薫の笑顔が戻ってきた。
数日が過ぎた。
「あ、つ、つ」
「なに、また無茶したの?」
太一は、事務所の奥で、うつぶせになっていた。時折、身じろぎをしては悲鳴を上げている。
「湿布ベタベタ貼って寝てたら?」
「貼ってんか」
「なんであたし達が」
薫と慶子は慎介を見たが、慎介はそっぽを向いた。
「俺の言うことをきかないからそういうことになるんだ」
先日の依頼は、またしても異星人がからんでいた。武装していたため、太一が「スペシャル グレード」の力を発揮して対抗したのだが、やりすぎたようである。
勿論、そうしたことは薫や慶子には知らされていない。彼女達も、太一が慎介の言うことを聞かない、と言われれば、それだけで納得した。慎介が、懲罰の意味で、手当てをしてやらないことにした、というのも理解した。
「しょうがないな」
薫が立ち上がった。勝手知ったる、という顔で救急箱を探し出し、太一の横に座った。
「背中出して」
「あぁ、ありがたいなぁ。どこぞのオヤジとはえらい違いや。
お姉さま、お嬢様、お姫様や」
うつぶのせままたくし上げようとするが、腕を上げた瞬間、やはり太一は悲鳴を上げた。
「へぇぇ」
薫が感心の声を上げた。
「本当に鍛えてるんだねぇ」
「大したもんやろ」
「でも筋肉痛なのよね」
「根性悪のお姫様…」
太一は、今日は反撃する余裕がないらしい。
「どの辺?」
「上の、真ん中当たり」
「ここ?」
押す。
「い!」
「その辺ね」
湿布を貼ると、薫はそこにしばらく手を当てていた。
「あ、いいなぁ。スペシャル ヒーリングだ」
慶子が言った。
「あれ。
お前、今、何かしとるか?」
「ううん。
手、当ててるだけ」
「ほんまか…。
なんか、ぬくいで」
太一の声から緊張が抜けていく。
「気持ちえぇ…」
目を閉じる。今にも眠ってしまいそうな表情だ。
「でしょう。
薫の超能力」
「また、ケコちゃんは」
「だって、昔からそうだもん」
「普通だよ。
知ってる? 『手当て』って言葉は、こういうところから来てるんだよ」
「よく…知っとるな…」
「ほかに痛いとこある?」
「ない…」
薫は救急箱の蓋を閉めると立ち上がった。
「じゃ、仕上げに、あたしのスペシャル マッサージ」
「やめ。お前のはいらん」
「なぁんだ、折角」
「いらん。間に合ぅとる――あ、痛」
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