「え?」
慎介が聞き返す。
「だって、太一の筋肉痛はしょっちゅうあるけど、慎介さんのって聞いたことないから」
「そう言えば、そうだねぇ」
太一は、「下着泥棒」の調査依頼を受けて、下見に行っている。
泥棒そのものは張り込んでいればいいわけで、犯人が別の場所で始めたりしない限り、さほど難しいことはないのだが、掴まえた後は警察に突き出すことになる。そこで、彼らの正体について差し障りのある問題が生じないようにしなければならない。地球において犯罪になる事件の調査は、単純に見えて、実は繊細な問題を孕んでいる。
そのため、雑用は本格的に着手する前に片付けておこう、と慎介は考え、まずは色々な日用品と「探偵用品」の買い物に出かけたのだった。
そこに、例によって涼みに来た薫と慶子がやってきた。ついでだから、と荷物持ちをさせているところである。
薫は、買い物袋をぶらさげて歩きながら、慎介は、頭脳労働専門なのか、と聞いたのだった。
「別にそう決めたわけじゃないけど…そうなってはいるな」
それは、別の見方をすれば、わざわざ話し合う必要も無かったからなのだが。
「そういうの苦手、とか?」
「でも、前に、太一と一緒にランニングしてたよね」
「一応、最低限のパワーは身につけておりますが」
「あ、逆に、太一より強いから、疲れが残らない、とか」
「そんなことはないよ。君達が見たことないだけ。
まぁ、確かに、あんなみっともない筋肉痛はないけどね」
慎介が言うと、慶子が笑った。
「あたしは、そんなにかっこ悪くないと思うけどな」
「え?」
薫の意外な答え。慎介が振り向き、慶子も覗き込んだ。
「だって、頑張った結果だもん。
確かに、あたしもからかっちゃうけど…」
「…」
慎介はなんと答えればいいのかわからない。あれは、肩から先が機械になっている、という太一の体の構造の問題で、全身、とくに胸と背中の筋肉には常に負担がかかっており、頑張らなければ何も起きない、というものではない。後先考えないで頑張るとよくない、というのは事実だが。
「あ、別に、慎介さんが頑張ってない、ってことじゃないからね」
薫は、慎介が黙った理由を勘違いしたようだった。
(頑張ってない…?)
そう見えるのだろうか。感じ方など、些細なことで変わるものだが、ここのところ、ほぼ毎日といっていいくらいの頻度で顔を合わせているこの二人にそう思われているのだとすると、あまり心穏やかではない。
「薫は、ねぇ」
慶子は意地悪く笑った。
「何よ」
「メーン!
キェーッ!」
甲高い声を出す慶子。
「ちょっと、ケコちゃん」
慶子の声は、剣道の気合だった。
「あ、そうか」
薫は、同じ学校の剣道部にいる少年に恋している、と太一が言っていた。それが本当なら、「スポーツマン」的な側面にプラスの評価を与えるだろう。今の言葉は、その延長線上にあるわけだ。
「ちょっと、慎介さん。何が『そうか』なんですか」
「え、薫、まさか、太一に乗り換えるの?」
慶子は、薫の前に飛び込んだ。
「そうじゃなくて!」
「野沢君と上手くいってないの?」
慎介が言うと、薫は耳まで真っ赤になった。
「なん、の話、ですか?」
「太一が言ってた。
君は、野沢君だ、って」
「どうして」
「ばれないわけないじゃん。薫、わかりやすいし」
真っ赤になったままそこに立ちすくむ薫。
「別に、あたしは、そういう。上手くいくとか、いかないとか、そんな」
慎介は、慶子に顔を向けた。慶子は、「何もアプローチしてないもん」と答える。
「ケコちゃん!」
「そうなんだ。
じゃ、頑張らなきゃねぇ」
「ほっといてください!」
薫が怒鳴る。慶子と慎介は、ニヤニヤと笑いながら歩き始めた。
「慎介さん、最近、意地悪!」
「そっち行ったで」
《お待ちしております》
太一が追う。下着泥棒は、何度も振り返りながら走っていた。振り返るものだからスピードが上がらない。
深夜の住宅地。本当なら皆が寝静まっている時間だが、男達が走り、泥棒の方は時折、追っ手の太一を見てはヒッと声をあげたりしているものだから、明かりをつけて覗き込む家もいくつかあった。
「おぉ、そっちかいな」
つぶやく太一。
泥棒が角に差し掛かる。
「う、あっ!」
何かに躓いて転ぶ。慎介の足である。蛙のようにベッタリと地面に叩きつけられてしまった。
「おっしゃ!」
太一が背中から襲い掛かった。すぐに腕を取り、ねじ上げてしまう。
「あいたたたた」
「静かにせんかい!
今、何時やと思うてんねん」
「僕が一体、何を」
「何って、これとか」
慎介がかがみこみ、デジタルカメラのディスプレイを突き出した。その男が人家の庭に忍び込む瞬間が写っている。
「ほかにも色々あるけど、どれがいい?」
「そ、それは」
「それがなんやねん」
「そんな、合成写真で!」
「合成かどうかは、警察で言うたらえぇわ。
今のうち」
太一が言うと、慎介はカイリストの上部にコマンドを書き、暴れている男の首筋に当てた。
「動くなちゅうてるやろ」
太一が後頭部を押さえつける。カイリストは、それは地球人である、という結論を出した。頷きあう二人。
「さぁ、たっちして。
お、うまいところに」
「ご協力、感謝いたします!」
初老の警官が敬礼した。太一も笑いながら返す。
「ほな、後は頼みますわ」
「のちほど、お話をうかがうこともあるかと思います。その節はまた、よろしくお願いします」
「えぇで。何でも聞いてや」
「はい。
本日は誠にありがとうございました」
警官の声が大きかったせいだろうか。夜中だというのに、住民達が外に出てきた。
「ありがとうございます」
二人に依頼をした主婦が進み出てきて、深々と頭を下げた。
「ま、えぇがな。そんなに大げさにせんでも」
「助かりました」
住民達は、慎介を押しのけ、太一を取り囲んだ。口々に賞賛していたが、やがて拍手まで巻き起こってしまった。
「さすが、探偵さんですね。かっこよかった」
「足速いんですねぇ」
「勇気あるなぁ」
「ま、わしらも仕事やからな」
余裕の笑みであった。
数日後、太一が、警察から感謝状を贈呈されている様子が新聞に載った。全く緊張感の見られない、しまらない表情である。
事務所には、薫の友人達が新聞を持ってやってきた。中には、何を勘違いしたのか、太一のサインをねだる者もいた。
「やっと静かになったわ」
その波が引く。太一は、そう言いながらも満更ではない様子だった。
「鼻の下、伸ばしちゃって」
「ねぇ。
みっともないったら」
「きっと誉められることに慣れてないのよね」
「なんや、ヤキモチかいな」
太一は薫や慶子の言葉を余裕のある笑いで返した。
「なんやったら、お前らにもサインしたるで。特別に」
「すっかり天狗」
「慎介さん、どうにかしてよ、こいつ」
「知らない」
慎介は自分の部屋に入ってしまった。
「ほら、怒ってる」
「俺のせいちゃうやろ。お前らが友達連れてくるからやないか」
「そうかなぁ」
慶子はそのドアを見ていた。
「なにが」
「慎介さん、マジで怒ってない?」
「あいつは、そうそう怒らんで。
まぁ、いつものこっちゃ」
「あたしもそう思う。
誰かさんと違って大人だし」
「嫉妬はみっともないで」
「誰が『ダダ』に嫉妬なんか」
「おまえ、久しぶりに言うたな、それ。
人の体のことと名前で馬鹿にしたらいかん、って親に言われんかったんか」
「人によります」
「普段、怒らない人の方が恐いんだけどなぁ」
慶子がつぶやく。太一は、ニヤニヤしながら、薫を指差した。
「失礼ね!
人を指差さないでよ」
「お前に失礼が言えるかい」
「うるさいわね、ダダ!」
コン、とドアの向こうで音。何かを落としただけらしいが、3 人は息を潜めた。
「かんぱーい」
太一と慎介は陽気にグラスを合わせた。
今日は、例の下着泥棒の件の打ち上げである。
ちゃんと調査費はもらえたし、警察から感謝状も出て、「ディデット探偵事務所」の宣伝にもなったし、言うことのない仕事だった。久しぶりに外で飲むことにしたが、結局、二人の趣味で、チェーンの居酒屋となった。
「うめーっ!」
大きな声を出す太一に、慎介は苦笑した。
「お前も気の毒やの、この喜びがわからんとはなぁ」
太一は口元の泡を手の甲で拭いた。
「ウーロン茶でも十分、楽しめるぞ、俺は」
「そうか。そやったらえぇけど。
姉ちゃん、お代わりや。
まぁ、せいぜい食うてや。そや、今日は、このメニューの端から行って見るか」
「食いきれないよ」
「それにしても、お前も贅沢せんなぁ。たまの打ち上げや、豪勢に行ってみようと思わんか?」
「こういう店の方が楽しいだろ。
にぎやかだし、料理の種類は多いし」
「ま、それは同感やね」
「ネクタイ締めてディナーなんて柄じゃないだろ」
「お互いに」
「えぇ」
「ワインよりビール、スコッチよりチューハイやね。
地球人に生まれてよかったわ」
「おい」
太一は慌てて口をふさいだ。
「ま、酔っ払いの言うことやさかい。堪忍したって」
「はいはい」
二人はしばらく、今回の事件について、あるいは、昔の事件について、笑いながら話していた。
しかし、酒が進むに連れて、太一の呂律もあやしくなってくる。
「ま〜、わが探偵事務所は、やね。
私と、君とでもっているわけです」
「ほかにいないだろ」
「そう! おっしゃる通り!
私と、君が、ディデット探偵事務所を担っておるわけだ。わかるかね」
「…」
飲みすぎだ。そもそも飲む前から上機嫌ではあったのだが。
「君が考えて、私が動く。
君が調べて、私が走る。
君が確認して、私が戦う」
「おい」
「そのようにして成り立っておるわけです。
しかるに!」
慎介は店員に、水をくれ、と言った。
「たまには君も走ってみてはどうか、とこう思っておるわけです」
「…どういうことだ」
「どうもこうもありません。
君も走りたまえよ。
そうしないとまた今度のように、私ばっかりがフラッシュを浴びて、君は日陰者、ということになってしまうかもしれないじゃぁありませんか」
「日陰者?」
慎介の目つきが厳しくなったことに、太一は気づいていない。
「そうです。
私はちっとも注目を浴びたり、サインをねだられたり、尊敬されたり、ということに興味はありません。
ところが、わが敬愛するシイダさんが、軽んじられている、ということに、心を痛めておるわけであります」
「俺が、誰に、軽んじられているって言うんだ」
「世間です。人様です。
太一君、太一君、甲田さん、甲田さんと草木もなびいておるではありませんか。
まるで君が存在しないかのように――」
慎介が立ち上がっていた。店員が持ってきたグラスを太一の上にかざす。冷えた水が降り注いだ。
「何すんねん!」
「悪かったな、日陰者で」
慎介はグラスを静かに置いた。
「払っとけ」
そのまま店を出た。
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