「しっかりしろ!」
慶子の檄が飛ぶ。保坂や野沢の声も体育館に響いた。
「そんなこと言ったって」
正座している剣道部員がつぶやいた。
「あの人達、保坂先輩にくっついて来てるんすよね。
力入んないっすよ」
「贅沢を言うな。
応援に来てもらえるだけでもありがたいと思え」
「えぇぇ」
「悔しかったら自分でファンを作れ」
「無理っすよ。
俺、保坂先輩みたいにイケメンじゃないし」
「やかましい。
ほら、とっとと行け!」
愚痴っていた青山という少年は、新主将である香山の声に、渋々、という顔で立ち上がり、前に進んだ。それでもきちんと礼をする。
「はじめ!」
今日は、菫城学院と武蔵山高校の剣道部との間で練習試合が行われている。
3 年生の保坂や野沢は既に引退、今日は、後輩達の試合を見に来る、という立場である。
それに、薫や慶子もついてきた。もう一人、彼女たちと並んでいるのは、保坂 亜子。部長だった保坂の妹である。
「あ」
保坂がつぶやいた。野沢も同じタイミングで息を飲んだ。次鋒をつとめる後輩は、相手にできた隙を見逃したのだ。
「直ってないな」
野沢の言葉に保坂も頷く。その後輩には、相手の動きをきちんと見ろ、と何度も教えてきたのだが。
下手なのではない。切れ味は中々のもので、それなりの成績を収めてきてはいるのだが、その癖が抜けず、伸び悩んでいる。
「兄貴にそっくり」
亜子がずけずけと言った。眉をひそめるが、当たっているだけに反論できない保坂。
なかなかの美人であり、入学してきて保坂が部員に紹介したときには、あわよくばマネージャーに、という期待も盛り上がったのだが、保坂とのやり取りを見ている内に、意外にキツい性格である、と言うことがわかった。
保坂自身は剣道一筋で、女子生徒にもてるのは事実だが、それは逆に他のことには無頓着、ということであり、噂は立っても、彼にガールフレンドがいたことはない。2 回目のデートが限界で、ほとんどの相手が、無骨にも限度がある、と呆れて去って行った。
「周りのことがすっぽり抜けるんだもん」
亜子は亜子で、そういう保坂を手のかかる兄、場合によっては弟扱いすることがある。菫城学院で保坂を叱責できるのは、教師と彼女だけだった。
そのようなこともあり、亜子は剣道部のマドンナというポジションにつけないでいる。
薫が副部長の野沢に憧れていることは一目瞭然で、取り入る隙は無く、造作に難はないものの性格が剣道部員そのものという慶子がマドンナになることもない。保坂の引退で、彼を見に来る女子生徒がいなくなったことで、剣道部は一気に静かになった。
「野沢だって一生懸命、教えてきたんだから」
「だって、現に苦戦してるじゃないですか」
先鋒はあっという間に負けた。次鋒は今、苦戦している。野沢も、恐縮したように黙った。
助け舟を出したい薫だが、野沢の練習を見に通っていたとはいえ、剣道のことにはまだ素人である。何も言えなかった。
「青山君、落ち着いて」
また慶子の声。
本人も自分がミスしたことには気づいたらしい。間合いを計りなおしている。
「そうだ、落ち着け」
剣先が揺れる。
「ん」
また、保坂と野沢は同じタイミングで唸った。青山の動きが変わったことに気づいたのだ。彼はペースを掴み直している。
相手が踏み込んできた。
「きぇーっ!」
パン、という音。
「一本!」
「やった!」
青山の竹刀が相手の篭手に決まっていた。拍手。
「よっしよし」
「青山、よくやった」
礼を終えて下がると、青山は面を着けまま、保坂達に向けてガッツポーズをした。
「一本!」
「っしゃぁ!」
「やったぁ」
試合は大将戦までもつれたが、結局、菫城学院の勝利で終わった。
喜ぶ保坂達。薫も、保坂の後に、わずかに頬を染めながら野沢と掌を打ち合わせた。
「よかったですね」
「あぁ!」
薫が慶子に向き直ると、入れ替わりに亜子が野沢の前にやってきた。
「あ」
一瞬、固まる野沢。
「もう、野沢先輩ってば。
はい」
「あ、あぁ、ごめん。
はい」
まだぎこちない様子でタッチ。
「よくやった」
彼らの拍手が続く。
「保坂さん」
「あ、林田さん」
近寄ってきたのは、武蔵野学園の元主将であった。
「またやられてしまいましたよ」
「いや、伯仲したいい試合でした」
「保坂さんと野沢さんがいなくなれば勝てると思ってたんですけどね」
と笑う。
「そうはいきませんよ」
「秋の大会でリベンジしますよ」
「受けて立ちます。
って、俺が出るわけじゃないけど」
お互いに長くライバルを勤めてきた間だ。買っても負けてもわだかまりは無い。
「やってみません?」
「え?」
「後輩の雪辱を晴らしたいんですよ」
「今?」
「はい。
道具はお貸しします」
にやりと笑う保坂。
「後悔するかもしれませんよ」
「それはどうですかね」
負けずに林田も不敵に言った。
剣道が好きでたまらない少年達ばかりである。準備はすぐに整い、OB 同士の「エキシビジョン マッチ」が始まった。
「野沢先輩、がんばって!」
ほかの声援をかき消す薫の声。面をつけた野沢が頷いた。
対戦は 3 人ずつ。
こちらは、野沢が先鋒、保坂が大将となる。人数が足りないため、練習試合で最初に破れた先鋒の須貝が、やはり、雪辱を果たしたい、と名乗り出て、中堅をつとめることになった。
武蔵野側は、同じく、元副部長の美川が先鋒、元部長の林田が大将。中堅は見たことの無い生徒だった。
「俺と同じクラスの 3 年生だけど、なかなかやりますよ」
「はじめまして、麻績 (おみ) と言います」
「近所に道場があってずっと習ってたらしいんですよ。
もっと早く知ってれば部員にしたのに。惜しいことしたなぁ」
「いや、頭数ってことで」
並ぶ。
「はじめ」
ゆっくりと構える野沢と美川。どちらも、1 ヶ月以上、試合から離れている。お互い慎重に間合いを計っているのは、そのせいもある。薫は、その様子を、声も出せずに見ていた。
ダン、と音がして美川が踏み込んだが、野沢はそれをきちんと受けた。また向かい合う。
野沢の声が響いた。体格によく合う低い声。林田も、それを返すように声をあげた。
次に仕掛けたのは野沢の方だった。これも受け返される。薫は、握り締めた自分の手が白くなりかけていることに気づいていない。
「や!」
長い沈黙の後、二人が同時に動いた。
ダ、ダン、と床を踏む音に続いて、弾けるような竹刀の音。
「一本!」
篭手をとられた。野沢は大きく肩で息をすると一礼した。
「野沢先輩」
薫が立ち上がった。
「大丈夫か」
「あぁ」
面を取る野沢。だが、その表情は歪んでいる。
「野沢さん、これは正式の試合じゃない。
すぐ手当てをしてください」
勝った美川が言った。それが防具のない上腕にも当たっていたことは、彼にもわかっていた。
「野沢先輩」
亜子が袖をたくし上げようとする。野沢はそれを振り切った。
「あ、すいません。
大丈夫です」
薫が走って来た。すでに、手に救急箱を持っている。
「試合を続けましょう。野沢さんは手当てを受けてください」
野沢は、申し訳ない、と言って後ろに下がった。
それと入れ替わりに、次鋒の須貝が立ち上がった。
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