薫は振り向いた。
夕方の下校時。買い物の人々や、早くも退社してきたらしい会社員。
誰も怪しい人はいない。誰も、薫が振り向いたことで、慌てて隠れたりもしていない。
(…と思う、けど)
だが、妙な気配を感じたのは確かだ。
それはここ数日、続いている。今日はたまたま一人だが、慶子と一緒に帰るときでもそうだった。
子供の歓声に我に返る。
(なんなんだろ)
薫は駅に向かった。自然に早足になってしまうのはどうしようもなかった。
「なに、またいたの?」
「いたかどうかわかんないけど」
翌日の下校は二人一緒だった。
薫はそれでも、遠回りではあるが、人の多い商店街を通りたい、と言った。
「薫のファンかな」
「えぇっ?」
不安げな声を上げる薫。
「狙われても不思議じゃないよ、薫だったら。
今までモテた形跡はないにしても」
「悪かったわね…」
「あたしはなんにも感じないけどなぁ。
今は?」
「今は、いない、と思う」
どちらからともなく周りを見回す。
「これからどんどん遅くなるし」
10 月には文化祭もある。その準備で帰宅も遅くなりがちだ。
「ファンだったらいいけど、ストーカーだとやばいよ。
気持ち悪いね」
「どうしよう…」
肩に何かが触れた。
「きゃぁっ!」
薫の悲鳴。
恐怖に座り込む薫。
気丈に振り向く慶子。
「え…太一!」
「急にそんな声出すな!
びっくりするやないかい」
「びっくりしたのはこっち!」
「さっきから声かけとったやないか」
「こっちは取り込み中なの!」
「取り込み中?」
二人はディデット探偵事務所に寄ることにした。
「視線…」
「っていうか、気配っていうか」
「ストーカーかも、って」
太一が笑った。
「薫にストーカーて」
慶子が睨む。薫の目はわずかに潤んでいる。さすがの太一も黙る。
「人影を見たわけじゃないんだな」
慎介は笑ったりしない。すでに探偵の顔になっている。
「うん…」
「二人のときも?」
「あたしは気づいたことないけど、薫は、一緒のときにも感じるって」
「どういうときに感じる?
休みの日とかは」
「それは、ない、と思う」
薫にはいつもの元気がなかった。
「学校から帰るときだけ、ってこと」
「そう、みたい」
「太一、お前、何か気づかなかったか」
慎介はデスクの方にいる太一に声をかけた。いつのまにか、薫と慶子がソファ、慎介がその向かい、太一は奥のデスク、というのがそれぞれの指定席になっている。
「俺は気づけへんかったなぁ」
「鈍いんじゃないの」
「考えすぎちゃうか」
「だって、気持ち悪いんだもん!」
立ち上がって抗議する薫。
「何か、気配以外のことはなかった?」
「気配以外って」
「たとえば、いつ撮られたのかわからない写真が送りつけられてきた、とか」
「ない…」
「親は。
誰やわからん奴から電話がかかってきたとかいう話は聞いたことないか」
「ない…」
考え込む太一と慎介。
「ちょっと」
慶子が苛々と言った。
「なんとか言いなさいよ。薫がこんなに困ってるんだから」
「せやから、一生懸命、手がかりを探しとるやろ」
「苛々する」
「カルシウムが足らんとちゃうか」
「あんたね」
慶子はデスクに向かって太一に噛み付いた。慎介は、その方が話がしやすい、とそれをほったらかしにした。
「学校でそういう話は」
「聞いたことない。
でも、時々、そういう注意は出る。なんか、事件が起こったときとか」
「朝は?」
「朝って、学校に行くとき?」
「そう」
「感じたこと、あった」
「同じような場所で」
「うん」
もう一度、ソファに寄りかかって、考え込む慎介。
「慎介さん…」
起き上がる。
「一つ、考えられるのは――おい」
慶子と太一の声が大きくなってきた。それを止める。
「君も聞いてくれ。
学校の近くでしか、その気配を感じない、っていうのがひっかかるんだ」
「それはそうやな」
「別の人に対するストーカーってことは考えられる」
「別の人?」
「そう。
同じ学校の生徒か、たまたまその辺に住んでる人、その辺で働いている人。
君は、稀に、そのストーカーの気配に気づくことがある、という可能性」
「別の人…」
「証拠は?」
慶子はまだ食ってかかる。
「あるかいな。
お前らの話を聞いただけやさかいな」
「となると、ターゲットは君の方かもしれない」
「あたし?」
自分の顔を指差す慶子。
「いつも一緒やろ。
お前に惚れたアホが、ひょっとして慶子様に会えるんちゃうか、と思て、薫をつける、ってことはあるで」
「うそ。ケコちゃんが」
「アホって何よ」
「こりゃえろうすんませんな」
「君とも限らないが、とにかく、誰か別の人、ってことだよ」
「本当に?」
「絶対そうだ、とは言わない。
でも、学校近辺でしかその気配を感じない、しかも気づくのは一人だけ、ということは、それで説明がつく」
納得していないのがはっきりわかる。
「あんな」
太一がソファに戻ってきた。
「そのかわり言うたらなんやけど、何か見つけたら、すぐに連絡しや」
「え?」
「なんでもや。その人影を見た、とか、なんか心当たりのない荷物が来た、とか、そんなんがあったら、すぐや。何日も経ってから、そういえば、ちゅうのはなしやで」
「うん」
「人影の場合は、絶対に追いかけたりしないこと。これも守って欲しい。
仮にそれがストーカーだとすれば、歪んでいても、一応は恋愛感情だけど」
慶子が、ゲロゲロ、と言った。
「そんなことをした瞬間に、恨みに変わる事があるから。
身の危険を感じるようだったら、助けを求めること。絶対に自分で反撃しない。いい?」
頷く二人。
「じゃ、今日はここまで。
送ってく」
「君は追いかけそうだからな」
「否定はいたしません」
慎介の言葉に、慶子は苦笑するしかない。
「じゃぁ、学校の連中にも聞いてみた方がいいのかな」
「そうだな。あんまり騒ぎにならない程度に」
「了解。
あ、ここだよ、あたしんち」
犬の声が響いてきた。
「あれが、ロン?」
「そ。
番犬になってくれるほど大きくないんだけどね。
ありがと、慎介さん」
「あ、そうだ」
ポケットから名刺を取り出す。
「これ、俺達の携帯の番号。
事務所は誰もいないかもしれないから」
慶子は、それを受け取ると、しばらくカードを見つめていた。
「ありがと…」
「親にも、一応、話しといた方がえぇな」
「え」
「世間話程度やろな。お前がつけられとるとはかぎらんし」
「わかった」
「それから、慶子には気ぃつけや。あいつ、無茶しよるからな」
「はいはい」
「これ、持っとき。携帯の番号、知らんかったやろ」
名刺を渡す太一。
「ほな、おやすみ」
「まだ、そんな時間じゃないよ」
薫は、ベ、と舌を出した。
幸か不幸か、ディデット探偵事務所には、そこそこの依頼が来るようになっていた。ネコ探し、イヌ探し、というのもまだあるが、浮気調査や身上調査といったいかにも探偵らしい仕事も増え、貴重品の輸送、身辺警護などの繊細あるいは危険な仕事もある。
ほかならぬ南田 薫が不安を感じ、あるいは山岸 慶子がストーカーのターゲットになっている、というのだから、いつもなら「暇つぶしを兼ねる」という言い訳を用意して行動を起こすところだが、それができる状況になかった。
《俺や。こっち終わったわ》
《お疲れ》
《難儀なクライアントやで。今度、何か言うてきたら、口実つけて断ったるわ》
《結構、払ってくれるみたいですけど?》
《ほな、お前がやれ》
《だって、甲田様ご指名ですもの》
《指名客を横取りするくらいの根性みせんかいな。
俺、これから飯食うたら、菫城学院行てみるわ》
《あぁ、そろそろ下校時刻だな》
というような会話が交わされるようになったのは、一週間ほどが過ぎてからだった。
変化はない。彼らが不在がちのため、留守番電話のメッセージだったりすることが多いが、薫や慶子は丁寧に連絡を寄越す。
「こいつら、相当に不安になっとるんちゃうか」
「そうかもしれないな。
だけど、今の状況だと、送り迎えは無理だ」
仮にストーカーの仕業だとすれば、護衛がついた、ということに気づかれると、行動が陰湿なものになったりする。それはそれで捕まえやすくなるのだが、暴発の危険も増すので、タイミングは慎重に計らなければならない。
更に数日。
慎介は携帯電話を鳴らした。出ない。太一は徹夜の仕事明けだ。まだ眠っているのだろう。鳴らしつづける。
《ふぁい》
「俺だ」
《どちらの俺さんでしょう》
「すぐ来い」
《堪忍して。俺、ほんのさっきまで》
「やかましい!」
まだ文句を並べそうな太一だったが、慎介が駅の名前を告げると、わかった、と短く答えた。
菫城学院の最寄駅。
慎介も、徹夜とは言わないが、泊りがけの仕事があった。それが昼で終わり、翌日は久しぶりに予定が入っていない、ということもあり、もうちょっと頑張って薫達の様子を見ようとやってきた。
そこで彼は、異星人を見つけたのだった。
「どや」
「お食事中だ」
「どこの者や」
「隠してるんだ」
顔や手は見えており、その特徴から、地球人ではない可能性がある、という結論をカイリストが出したのだが、どこの星かはわからない。カイリストが出す電磁波を強くすればわかるかもしれないが、それをすればこちらが銀河探偵であることを悟られてしまう虞がある。
「俺がやってみるわ」
「気をつけろ」
その男は、コーヒースタンドの窓際の席に座っている。若者がよくやるような、袖と裾の長い服を着て、まだ寒くもないのに毛糸の帽子をかぶっていた。判定のための情報が得られる肌を隠すには好都合、ということかもしれない。
太一は、その店に入り、コーヒーを受け取ると、その男の後ろを通った。空いている席がないなぁ、という顔をして出てくる。
「あかんな」
外から見張っている慎介のところに戻ってくる。
「地球の繊維とちゃう。カイリストがブロックされとるわ」
だが、カイリストは、「地球人ではない可能性」を「地球人ではない」という断定に変更した。
「なんやねん…」
慎介の視線が、駅の改札に動いた。同じような格好の若者。彼らの前を通過するときにカイリストを作動させる。
「仲間か」
「そうだろうな」
相変わらず何者かはわからないが、二人の男の計測結果は似ている。
「ここを頼む。
俺は学校に行く」
「わかった」
もう授業は終わっている。部活動の予定を聞いておくべきだった。携帯電話で確認することも考えたが、それでは無用の不安を抱かれてしまう。関係ないのかもしれないのだから、まだそれはしたくない。
(DDV で来るんだったな)
偶然のような顔をして乗せることもできたのに。
足早に歩いていた慎介の足が止まった。カイリストが反応している。
(どこだ)
裾の長い男はいない。菫城学院の生徒ばかりだ。
《俺や。
すまん、一人、見失った。
けど、奴ら、そっち向かってるで》
「こっちにも一人いる」
《なんやて?!》
「関係あり、だ。
急げ」
下校中の集団に逆行するように進む。慎介はその顔を確認して行ったが、薫も慶子もいない。
十字路にさしかかる。
かすかにうめき声が聞こえた。
会社員風の男が腹を押さえてうずくまっている。それを覗き込むように近づいている、菫城学院の女子生徒。
薫だ。
「まさか」
慎介はカイリストを掲げた。反応。
「離れろ!」
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