「大丈夫か?」
薫は生あくびで返事をした。
「無理せん方がえぇんとちゃうか?」
「大丈夫だよ」
「学級閉鎖とかしないの」
「人数がちょっと足りないみたい。もうすぐなるかもしれないけど」
逆に、その予想が、薫が忙しくなってしまう理由になっていた。
菫城学院の周辺で風邪が流行していた。発熱はさほどないらしいのでインフルエンザではないようだが、咳とくしゃみはひどいらしい。
その生徒が何かの委員をやっていたりするとその業務は滞る。数日のことならどうということもないが、各クラスで数人ずつ、という数の生徒が欠席しているため、影響が無視できなくなってきた。学級閉鎖や学校閉鎖が予想されるのであれば、その前にやっておかなければならないことも出てくる。そのしわ寄せが、まだ感染していない生徒にやってくる。
薫には、イの一番にその役割が回ってきた。
というのも、彼女はこれまで、風邪を引いたことが一度もないらしい。
「意外やな。言うたら悪いけど」
「あたしもそう思う。
まぁ、一つくらいとりえがないとね」
自分で言う。
「ケコちゃんは、ああ見えて、意外と風邪引きやすいんだ。
だめ。眠い。
ごめん、30 分経ったら起こして」
「おい、こんなとこで寝んと、帰り――」
言い終わらないうちにソファに体を倒す。まもなく寝息が聞こえてきた。慎介が奥の部屋からブランケットを持ってくる。
「風邪引いたことないて」
慎介は、やめろ、という顔で部屋の隅に手招きした。万が一にでも聞かれたくない。
「風邪の類似ウィルスはどこにでもいる。そのことは関係ないと思う」
「でも、体質の変化、ちゅうことは」
言葉を選ぶ二人。薫が地球人ではないことが関係あるのかと思ったのだが、そうとも言えない。これは調べてみなければわからないが、薫の遺伝子の一部が、母星の太陽に含まれない波長を浴びたせいで破損していることはわかっている。
「まぁ、ないとは言わないけどな」
「ここで居眠りする言うんは、ちょっと」
「ひとつだけ言っておく」
「なんや」
「なんでも『あのこと』に結びつけるのはやめろ」
「…どういう意味や」
「お前はわかり易すぎるんだよ。彼女達が感づいたりしたらどうする」
「そやけど」
「両親は今のままで行きたいと思っている。俺達もそれには賛成した。だったらそういう風に行動しろ」
「うん…。
わかったわ」
「あれ?」
「どないした」
太一がビール、慎介がコーヒーを飲みながらニュースを見ていた。慎介が急に声を上げる。
「風邪が流行ってるんじゃなかったのか?」
「なんや急に」
「菫城学院は学級閉鎖するとかしないとかって話になってるんだろ? そろそろニュースになってもいいころだ。
お前、どこかでそんな話、聞いたことあるか?」
「…そない言うたら、聞いたことないな」
「局地的な流行、ってことか…」
「えぇ、あっこの学校だけ、て、それはおかしいで」
「調べてみるか」
「なんで」
「お前も今、おかしいって言っただろうが」
「薫がおるからちゃうんか」
太一がニヤニヤしながら言った。
「どういう意味だ」
「なんでも異星人に結びつけたらあかんで、慎介はん」
「あぁ、じゃ、きっと、ごく局地的な流行、ということなんでしょうね。あなたがおっしゃるのなら」
「まった、すぐに怒る。冗談や、冗談」
「ここで寝るな、ちゅうのに」
「お願い、30 分だけ」
と言って事務所のソファに横になってしまう慶子。
流行は一段落したようである。正確には、熱が出ないおかげで、鼻詰まりで頭がぼうっとしたり、咳やくしゃみで体力を消耗したりするのを別にすればさほど深刻に考えることもない、ということを皆が理解した。出られるものは学校や職場に復帰するようになって来た。
慶子も登校を再開したが、咳がひどく、疲れ気味のようである。であれば寝ていればいいものを、それだと薫に負担がかかる、ということで出てきている。
「友達思いもえぇけどやなぁ」
「アレルギーなんじゃないのかな。
風邪って感じじゃないな」
「そんなこと言うてたかな」
「突然、発症するものだからな。
なんかそういう林とかあるのかもしれない」
電話が鳴る。
「はい、ディデット――」
薫だった。
《あ、慎介さん。
ひょっとしてケコちゃん、そっちにいない?》
「寝てるよ」
《うそ。早く帰って、って言ったのに》
「なんか一休みのつもりだったみたいだけど」
《辛そうじゃなかった?》
「うん、ちょっと咳がひどいみたいだね」
《そうなの。体に自信がある人はこれだから、もう》
珍しく、母親のようなことを言う。
《今から行きます》
「はい。気をつけて」
「なんや、薫か」
「お迎えに来るらしいぞ。
今日はお前が送って行け」
「了解」
その夜、慎介はまた、ニュースを見ながら、「あれ」と言った。
隣の県で、アレルギーが「局地的」に発生したことが話題になっている。
「同じだな」
咳とくしゃみ、頭痛。ただし、発熱はほとんどない。
一時、風邪の流行か、と医療関係者が色めき立ったのだが、発熱がないことから、そうではない、と方針を変更した。何が原因かはまだわかっていない。
直線で 20km. 関係があるのかどうかは、なんとも言えない。
「一応、確認しとこか?」
「そうだな」
「いやぁ、今回ほど君と組んでてよかった、と思ったことはありませんよ、太一君」
「やがばしわ」
太一は鼻を詰まらせながらも反論した。ティッシュペーパーの箱を抱え、さっきから何度も洟をかんでいる。
「少々お待ちくださいね。すぐに分析してまいりますから」
慎介は寧ろ嬉しそうである。
菫城学院の周辺に近づいた途端、太一はくしゃみをはじめた。わざとらしい、と慎介は呆れていたが、どうやら遊んでいるわけではないらしい。
感染したのであれば話は早い。わざわざ収集するまでもなく、太一の鼻と喉の粘液を調べれば済む話だった。
太一はそれから何度か洟をかんだ後、はぁ、と口から息を吐いた。
「なんでやねん…」
暖めたら鼻が通るだろうか、と思いながら立ち上がった。
そのとき。
いきおいよく慎介の部屋のドアが空いた。
「どだいや。わがっだが」
「太一、すぐシャワーを浴びるんだ。
全身だ」
「え?」
「急げ。
それから、鼻の中も洗え」
「ちょっど、どだいしでん」
「花粉じゃない」
「は?」
「インフルエンザ ウィルスでも、風邪症候群の細菌でもないんだ。
今、本部にデータを送った」
太一の顔が強張った。バスルームに走る。
本部に解析を依頼しなければならない理由は一つ。
それが、地球にはない病原菌である可能性がある、ということだ。
慎介も洗面所に向かってうがいをし、鼻にぬるま湯を流し込んだ。何度も繰り返す。
症状から言えば、太一は既に感染しているかもしれない。どちらも、銀河探偵としてやってくるに当たって、考えられる限りの予防接種は受けているが、それは自然の病原菌に対するものだ。もし、悪意を持って誰かがばら撒いているものだとしたら。
慎介の背中を悪寒が這い登ってきた。
慶子は既に感染している。
薫も、今は平気だとは言え、もともと体の丈夫な方ではない。急に症状があらわれる、ということもある。慶子が先に倒れたから、気力でもっているのかもしれない。
「くそ…」
部屋に戻ったが、まだ解析結果は送られてきていなかった。
正体はわからないまでも、部屋を殺菌しておく必要がある。紫外線照射装置を奥から引っ張り出してきた。
「手伝うわ」
「よく洗ったか」
「あぁ、消毒もしたで」
「こっちはいい。今日の服を洗濯しろ。
ああ、そうか。俺も着替える」
「薫と慶子は」
「解析次第だ」
「まだわかれへんのか」
「あぁ」
「…」
解析に手間取っているのは、対処方法のない未知の病原菌だからではないだろうか。口にはしなかったが、二人はそれを恐れていた。
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