銀河探偵 ディデット

宝石 (前編)



「ただいまー」
 薫が扉を開ける。
「入って、入って」
「お邪魔しまーす」
 慶子が続いた。
「あれ、お父さんの靴だ。
 どうしたのかな」
「忘れ物…って時間じゃないね。もう夕方だし」
「お父さん、いるの?」
 家に上がっていく二人。
「あ、ケコちゃん、あたしの部屋に行ってて」
「はーい」
 階段を上がろうとすると、居間から功がやってきた。
「いらっしゃい」
「あ、お邪魔します…おじさん、どうしたんですか」
「お父さん、顔色悪いよ」
 確かに、青白い顔をしている。こうして立っているのも辛いのではないか、という様子だ。
「風邪でも引いたのか、ちょっと頭が痛くてな。早退してきたところなんだよ」
「え、じゃ寝てなくちゃ」
「そうさせてもらうよ。
 慶子ちゃんは、気にせずにゆっくりしてって――」
 言いかけた功の膝から力が抜けた。居間のドアに捕まろうとして掴みそこなう。廊下に膝をつく音が響いた。
「お父さん!」
「大丈夫だ。大丈夫…」
「おじさん、つかまって」
「ケコちゃん、お願い。
 あたし、お布団敷いてくる!」
 薫は功の寝室に急いだ。慶子は功を肩に支えた。
「すまないね…」
「いいんです。
 無理にしゃべらなくていいですよ」
 ゆっくりと薫を追っていく。
 ちょうど、敷布団をのべたところだった。慶子は慎重にしゃがんで功の体をその上に横たえた。
 いそいでネクタイを緩める薫。ワイシャツも脱がしていく。
 慶子は、その様子に冷静さを取り戻した。薫は、いつもこうだった。体も細く、頼りなげに見えるのに、こういうときには実に的確に対処する。この両親は本当に立派に育てたんだなぁ、とそのたびに思うのだった。
 毛布をかける。次に薫が布団をかけた。
「水、持ってこようか」
「ありがと」
 慶子が立ち上がると、薫は携帯電話を取り出した。
「あ、お母さん?
 お父さんが早退してるの」
《早退?》
「頭が痛いって。
 それで、今、倒れそうになったから、お布団に」
《倒れそうって…。
 顔色は》
「よくない」
《熱は》
 額に手を当てる薫。
「体温計じゃないけど、そんなにない」
《そう。
 薫、ちょっとお願い。お薬、探して》
「うん」
《今、寝室でしょ?
 そこの箪笥の一番上の、小さい方の戸を開けて》
「ちょっと待って」
 立ち上がる。最上段は、薫がわずかに見上げる高さだった。手は届く。
「うん、開けた…」
《薬のビンがあるでしょ》
 ある。だが薫の目は、更にその奥、別の小箱の陰に隠れているビロードに注がれていた。
(なに?)
 いや、ビロードではないのかもしれない。深みのある光沢はまさにそうなのだが、それは銀色だった。銀のビロードなんてあっただろうか。それには、ところどころに黒や黄色の線が入っており――
《薫?》
 母親の声に、我に返る。
「あ、うん、見つけた。
 何これ。ビタミン剤?」
《そう。
 それを 15 粒、お父さんに食べさせて》
「15 粒?
 そんなに?」
《そう。お父さんはいつもそうだから》
「大丈夫なの?」
《昔、お医者さんに教えてもらったって言ってたから大丈夫なんでしょ》
「わかった…」
《もし、食べられないようだったら、すりつぶして、お水と一緒に》
「うん」
《お母さんも急いで帰るから》
「はい」
 薫も急いで瓶を取り出した。

 その夜、また薫は夜空を見ていた。さすがに窓を開ける季節ではなくなっていたが。
 功は、そのビタミン剤を 15 粒、すりつぶして水と一緒に飲ませたところ、数十分で回復した。まだ声に力はないが、顔色も戻り、さっき、ゆっくりとしたペースではあったが、普通の食事を済ませた。
 いつもそうだ、と遥は言った。功は、今までにもああいう風に体調を崩し、ああいう風に回復したことがあるのだ。
 確かに、ビタミンを大量に投与する、という治療方法がある、というのは聞いたことがある。
(でも、あれって、危険だってことになったんじゃなかったっけ)
 別の治療方法と混同しているかもしれない。自信がなかった。
 功も遥も、滅多に寝込むことはない。そうなったとしても、医者には行かないし、薬も飲まない。それでどうこうということがなかったのだから、元来が丈夫なのかもしれない。薫自身も、風邪を引いたことがない、というのが自慢になっているくらいで、例えば手首の細さからはとてもそうは見えないが、意外に健康だ。
 そういう家系なのかもしれない。そう思うことにした。
 だが、気になることはもうひとつある。
 そのビタミン剤の奥にあった銀色の箱。
(なんだったんだろう)
 いや、その前に、どうして気になるのかがわからない。
 見覚えがあるような気がする。
 だが、いつ、どこで。
 思い出せない。
(子供の頃…?)
 考えがそこに向かうと、薫は目を伏せた。
 幼稚園に入る前のことをほとんど覚えていない。友人達は、自分達のやんちゃな思い出、家族で遊びに行った思い出、兄や姉にいじめられて恨んだ思い出、そうしたことを楽しげに話す。それが薫にはなかった。
 両親にはそうしたことはもう何年も話していない。手違いで写真が残っていないのだ。遥も功も、そのことに責任を感じているらしく、とても辛そうな顔をする。これは口にしてはいけないことだ、と小学生の頃に理解した。
(子供の頃…)
 薫は、そのことに痛みを感じていた。

 数日後、薫が帰宅すると、玄関には鍵がかかっていた。
「お買い物?…だね」
 キッチンのテーブルの上にメモがあった。あまり達筆とはいえない遥の字を読み、トントン、と階段を上がる。
(…)
 薫は急に立ち止まった。
 数日前、功が体調を崩したことがあった、ということを思い出した瞬間、二つのことが結びついたのだ。
 自分の子供の頃と、あのビロードの箱。
 根拠はない。あるいは単に、覚えていない、ということで関連がある、という程度なのかもしれない。
(でも…)
 薫は向きを変えるとゆっくりと階段を降りた。
 知りたい。
 あの箱が何なのかがわかればいい。単なる勘違いだろう、とも思う。あんなビタミン剤が入っている箪笥、鍵がかかっていたわけでもない。見てはいけないものでもないだろう。
 静かに襖を開ける。カーテンもかかったままなのでわずかに肌寒い。
 薫はそれでも足音を立てないように気をつけながら、箪笥に近づいた。爪先立って最上段の扉を開ける。
 箱はまだあった。
 薬の瓶を脇に寄せ、手前の箱を取り出して、別の段に乗せ代える。
(ビロードじゃないんだ)
 手触りは、金属のそれだった。表面の加工のせいだろうか。
「重い…」
 箱は予想外に重かった。薫は一度、足をつき、改めて爪先立ってから、慎重に箱を手前に引き出した。
(何なの?)
 大きさは、コーヒーの瓶くらい。だが、重さは辞書なみだった。ゆっくりと下に降ろす。座りながら、畳の上に置いた。
 見当がつかない。銀色で、黒いラインが入っているのは、まるで男の子向けのおもちゃを連想させる。今となっては、どうしてこんなものを見たことがあると思ったのだろう、という気さえする。
 重さに気をつけながら持ち上げる。黒いラインの所々に、まるで木の実のように黄色い楕円が配置されている。それはどうやら金属ではなく、プラスチックか何かのようだ。
 そこに親指が触れると、ポン、と軽やかな音がしてその木の実に明かりが点った。
「へぇ…」
 どういう仕掛けなのだろう。薫はそれを撫でまわした。今度は触っても反応がない。しばらくいじっていたが、木の実のランプが点ったのは、人差し指を触れたときだった。
 好奇心が勝ってきた。残った木の実は 3 つ。薫は、その一つ一つに、中指、薬指、小指と別々の指を触れた。可愛らしい音が 3 つ続けて鳴る。
 と、上部にスリットが入った。今まで気づかなかったが、どうやらそこは蓋なのだ。覗き込んでみると、それが音もなくゆっくりと開く。
 これは完全に男の子向けのオモチャだ。どうしてこんなところに――
 緩みかけた薫の頬は、その蓋が完全に開くと、強張った。
 蓋が開いて見えたその中は、黒いプラスチックのようだった。溝が一本。
(あたしは、これを、知っている)
 見た覚えがある。何かはわからないが、間違いない。
 薫は、その溝に指を滑らせた。太さは数ミリ、長さは 2cm くらい。何かを差し込む場所のように見える。
(鍵…?)
 そうなのだろうか。しかし、そのことは記憶にない。
 薫は方向を変えて眺めた。下の方や裏には何かができそうな仕掛けはない。
 顔の前に上げてみる。
「あ」
 イメージが浮かんだ。そう、ちょうど、この高さだ。蓋の部分が目の前に来る。
「何か、光ってる」
 あの溝の上に乗せた何かが光っているイメージ。大きなものではない。1cm もない…。

Ver.1.0: 2006/11/05

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