事務所の空気は冷たかった。太一がエアコンを操作すると暖かい空気が噴き出しては来たが、部屋が暖まるまでには時間がかかりそうだ。
「何から…聞いたらいいんだろ」
慶子が言った。まだ立ったまま。苦笑しているような表情は、混乱しているからだろう。
「ケコちゃん…」
薫がおずおずと近づく。自然に二人は抱き合う形になった。どちらが先、ということもなく、涙が溢れ出してくる。
「ごめんね…ごめんね…」
「薫…」
静かにドアが開いて、慎介が帰ってきた。今回は、薫と慶子を保護することが最優先のため、監察軍にロイガ人の身柄を引き渡す作業を待たず、慎介を残して DDV を帰したのだ。
監察軍のリーダーは、慣例通り、慎介たちが起こした騒ぎについては不問とした。セカンドに上がっている、ということはわざわざ口にしなかった。さらに、情報操作など、沈静化の作業をするとまで申し出てきた。
ただし、交換条件はあった。
薫たち、カシ=オサニア人を、可能な限り、別の惑星に移住させる努力をしろ、と言う。
違反したのはロイガ人で、それについては監察軍が厳しく対処していくが、カシ=オサニア人が地球にいればそういう力を持ってしまうことはわかっている、そのことが好ましい影響を及ぼすことはありえない。できれば、そういう要因はなくしておくべきだ。
当然の指摘である。慎介も反論はしなかった。
薫を狙ったのがロイガ人であることはむしろ幸運だったのだ。協約に加盟しているから監察軍が動ける。もし、未加盟の星系であったら、この地球も未加盟の星系、カシ=オサニアも未加盟である。監察軍は手の出しようがない。その魔の手から守るには、地球を離れるのが一番だった。
「ま、座り」
二人が落ち着くと、太一は肩を優しく叩いて、二人をソファに座らせた。
「あのね」
「うん」
薫は、慶子の顔を見ることができないようだった。慶子の方は、薫の言葉を聞き逃さないように、としっかりと見つめている。
「あたし…あたしね…」
「うん」
「地球人じゃないの」
「…。
うん」
反射的に顔を上げる薫。
「うん、って、驚かないの? そんなバカなって」
「薫は、こんな状況で、嘘つかないもん」
「ケコちゃん…」
唇を噛む薫。
「それに、見ちゃったしね。色々と」
太一が頭をかく。
「着替えたら?
ノースリーブの季節じゃないよ」
「あ、そうするわ」
慶子の言葉で太一が奥に引っ込むとまた静かになった。慎介は、そのままデスクの椅子に座った。二人だけにしておくのはよくないような気がした。
「それでね」
「うん」
「あたしが生まれた星は、カシ=オサニアって言って、地球からはものすごく遠いんだけど…。
宇宙船に乗ってたの。5 歳のころ。
それが海賊に襲われて、お母さんはあたしを救命ボートで脱出させた。
ところがそれが故障して、ずっと宇宙をさまよって、地球にたどり着いた」
「お母さん、って、あのお母さん?」
「ううん。
お母さんとは血は繋がってないの。本当は…」
言いにくいらしい。慎介が助け舟を出した。
「彼女は、カシ=オサニアの王女だったんだ。
今のお父さんは王家の執事、お母さんは乳母だった人」
「王女?!」
その声に、薫はまた顔を伏せた。
「でも、なんか、王女っぽいかも。薫って」
「そんな…」
「どうしたの。
そんな顔しないでよ。笑ってよ、薫」
「だって」
「みんな話してくれるんでしょ。
そんな悲しい話じゃないんでしょ?」
「だって!」
薫が叫ぶ。
「どうしたの、薫」
「俺が話そう」
「慎介さん、あたしが話す。
ケコちゃんにはあたしが話したいの」
「わかった…」
太一が着替えてきた。全員が呼吸を整え直す。
「カシ=オサニアの太陽と、地球の太陽はちょっと違うの。
地球の太陽の光には、カシ=オサニアの人間の遺伝子を傷つける波長が含まれてる」
慶子の顔から笑みが消えた。
「遺伝子を…傷つける?」
「あたしの、あの、『ヒーリング・パワー』はその結果なんだって」
「嘘…」
「本当」
「でも、それだけなんでしょ。
だって、いい力じゃん。みんな喜んでるよ。太一だって」
「違うの、ケコちゃん」
「嘘…」
「あの力をきちんと制御しないで、一気に使うと、そこの部分の細胞が全部、死んじゃうの」
「でも、薫のは、あったかいって」
「こないだ、あったの」
慶子から余裕はなくなっている。
「あの人たちにさらわれそうになって、あたしは一生懸命に逃げようとした。必死になって、放して、って叫んだ。そのときに、あの力が出てきたの。
その人の腕から筋肉が削り取られてた。あたしが逃げようとして掴んだところの細胞が、全部、死んで、なくなっちゃったの」
「あいつらは悪い奴だよ!
そんなこと」
立ち上がる慶子。
「でも、あんな風に傷つけていいってことはない」
「いいんだよ!」
「あたしは嫌なの!」
「薫」
「この力は武器になる。
だから、ああいう人たちが狙ってくる。
多分、前にあった、変質者の話もそうだったんでしょ」
「あぁ」
慎介が短く答えた。
「今回が最後じゃない。あたしは、地球にいる限り、狙われつづける」
「薫」
「そしてそのたびに、人に迷惑をかける。
そんなこと、許されないよ」
「薫」
「もし――
もし、さっき、ケコちゃんが怪我してたら、あたし」
「薫」
「ケコちゃん」
「かお――」
慶子はその場に崩れた。椅子に座れず、テーブルとの間に崩れ落ちた。
「や…か…や…」
意味のわからない言葉を繰り返す。彼女はもう、薫の決心の内容まで理解してしまっていた。
「ケコちゃん!」
薫は立ち上がり、床に膝をついて慶子を抱いた。もうすべては終わったのだ。
「ごめんね。
あたし――ごめんね」
「薫――」
事務所の中を二人の嗚咽が満たした。
当然、ケーキの話など忘れられてしまった。
ただし、翌日を泣き暮らした後、二人はまるで何もなかったかのように、笑顔を取り戻していた。
それは意識的に作っている笑顔ではあるが、それでいいのである。二人が一緒にいられる時間、薫が「南田 薫」として菫城学園の生徒でいられる時間は限られている。それを満喫するべきだ、と示し合わせたわけでもなく、二人は決めたのだ。
「来たぞ」
「何がや」
改めて二人にカイリストが渡される。今度は、全く隠す必要がなくなったので、解析機能だけを外したものである。薫の操作ミスによる誤報がなくなったのは、彼女が意識を改めたためだろう。
「カシ=オサニアのギルド加盟までの日程」
「いつや」
コンソールで地球の暦に換算する慎介。
「来月末だ」
「…ちょうどえぇとこやな」
今年度末で転校、ということにできるだろう。
ロイガ人は大人しくなった。というより、地球からは追い出された筈である。
結局、10 人を超えるロイガ人が薫を捕獲するためにやってきていたことになるが、監察軍は、火星の近くにロイガ人の戦艦を発見した。それを根拠に、「セカンド」を「ファースト」に上げるべきだ、という意見が出され、それを察したロイガはその戦艦を撤退させた。「ファースト」といえば、犯罪者の身柄拘束という段階ではなくなる。制裁のための軍隊派遣と言っていいレベルなのである。その戦艦などは、少しでも反抗的な態度を見せれば、監察軍から一斉砲撃を受けることは間違いない。戦争国家のロイガと言えども、監察軍と全面衝突する愚は犯せない、ということだった。
慎介と太一もギルド本部から処分を受けた。意図的に通知を見落としたことは見抜かれていたのである。ただし、カシ=オサニアのプリンセスを守りきったことで心証がよかったのか、罰金で済んだ。
「カシ=オサニアてどんな星や」
「地球に似てはいるが、ちょっと平均気温が低いようだな。これも太陽の加減だろう」
「そうか。
ボディが機械やったら大したことないやろ」
慎介は、ポケットに手を突っ込んでいる太一を見た。
「いくら生まれた星ちゅうても、生活習慣も違う、知らん奴ばっかりのところや。
それに今度は、自分がプリンセスやったちゅうことを隠さないかん」
「…」
「防衛体制はしっかりしとるようやけど、あの力が消えるまでには何年かかかる。
あいつには支えるもんが必要や」
「条件がある」
「なんや」
「山岸 慶子にも支えがいる」
今度は、太一が黙る。
「お前は残れ」
太一は、いつもそうするように、慎介のベッドに寄りかかった。
「『もう、友達なんかできないかも』――そんなこと言いよった」
「思いつめてるな」
「『無二の親友』て、あんなんを言うんやろな。
残酷な話やで」
「彼女は強いだろうから、友達を作れない、ということはないと思う。
だが、この件を知っている者はほかにはいない。それを話せる相手が必要だ」
「そやな――
あ、ちゅうことは」
「なんだ」
「俺、一人前になったちゅうことかいな」
「なに」
「だって、師匠が、独り立ちせぇ、ちゅうてくれたんとちゃうの」
「バカなことを言うな。
ギルドがお前を放し飼いにするわけないだろう。俺が開業する場所を変えるって申請したら、間違いなく、ほかの探偵のリストが送られてくる」
「なんや、まだ修行かいな」
「あたりまえだ!
心配するな。俺がいーい先輩を選んでやる」
「お前よりいい先輩なんておるんかいな」
「なに?」
「おおきに」
太一は、そのまま正座しなおした。
「お前には命を助けてもろうて、仕事まで叩き込んでもろうて、ほんまに感謝しとる」
慎介は背を向けた。熱くなった頬をさする。
「それに、俺を助けたときも、今回も違反しとるやろ。俺のせいで、評価は大分、下がっとる筈や。
すまん」
別に、とつぶやく慎介。
「ほんま…おおきに」
指をついて頭を下げる。慎介にもその気配はわかった。
「俺は…楽しかった。
お前と一緒にやれて」
「せやな。
この半年――」
ふいに音がした。ドアを叩く音。
「誰や、この夜中に」
「大晦日に、探偵事務所に客か。
忙しい星だな、ここは」
ドアを開ける太一。
「太一!」
「慎介さん!」
薫と慶子だった。
「お前らかい!
今、何時やと思うてんねん」
「いいじゃないの。お正月なんだから」
「あほ、今はまだ」
カイリストを突き出す二人。
「え、うそやん。
もう 12 時、回ってんねや」
「初詣行こ!」
見れば、二人とも振袖である。
慶子は青、薫は赤。
「馬子にも衣装、っちゅう奴やな」
「元旦から感じ悪い」
「今年も人でなし路線で行くわけ?」
「お前らに言われたないわ。
あぁ、もう、俺ら、仕事中やねん」
「ちょっと、中に入れなさいよ。寒いんだから」
返事を待たずに入っていく二人。部屋の中はいつもと全く同じだった。
「何も準備してないんだね」
「貧乏暇なし、ってやつ?」
「罰金取られたらしいしね」
「大きなお世話や。
ちょい待ち。師匠に相談するわ」
顔を出した慎介は、太一と同じように、もう日が変わったのか、と驚いて見せた。しかし、振袖に気がつき、「お正月なんだねぇ」と目を細めたところは、太一と違っていた。
「じゃ、行くか」
「そうそう。
あんた達ボディーガードなんだし」
「か弱い乙女を夜中に放り出したりしないわよね」
にぎやかに歩く薫と慶子の後ろからついていく太一と慎介。
確かに、あちこちの明かりがついている。どの家も夜更かししているようだった。
「ね、あそこの神社の神様って、カシ=オサニアも担当してるのかな」
「大丈夫じゃない? 神様なんだし。銀河の一つや二つ」
「お前ら」
慌てて駆け寄る太一。
「そんなこと大きな声で言うな。秘密やねんど」
「誰が、そんなこと間に受けるって言うのよ」
「正月だから浮かれてるんだねぇ、っでスルーしてくれるって」
「聞いてるのが地球人とは限らんやろうが」
「そうなったら、立派なボディガードがねぇ」
「しっかり働くように」
「そう。プリンセスのお言葉は絶対ですよ」
唇を歪ませる太一を置いてまたにぎやかに歩き出す薫と慶子。
慎介は笑っていた。
「あいつらには同情するけど、どうしても『憎ったらしい』ちゅう感情が消えんねん。
これって、俺が半人前やからか?」
「まぁ、半人前なのは事実だけどな」
「くっそ、後 3 ヶ月のどっかで絶対にギャフンて言わしたるからな」
「ギャフンだって」
「古くしゃーい」
「オヤジ」
「オヤジ、オヤジ」
「やかましい!」
下駄を鳴らして走り始める二人。太一がそれを追いかけ、慎介は笑って見守っていた。
あと数ヶ月は、彼らの笑顔が見られる筈である。
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