Girl Guardian

Cosmeir



 シャワーを終えて出てくるともう八時を過ぎていた。今から改めて夕飯、という気にもなれない。リリィは冷蔵庫からゼリー食品のパッケージを二つ取り出した。
 一つを口にくわえ、髪を拭きながらテーブルへ。あらかた拭き終わったところでゼリーを片付けてゴミ箱にほうる。もう一つに取り掛かる前に、いつものツールをクレードルに置いた。
 クレードルのボタンを押すと、その上に映像が浮かび上がった。どうやら立体映像のようである。そして、細かな模様に見えたそれは文字らしい。だが、勿論、日本語ではないし、英語でもフランス語でもない。全く異質なもののようだ。
 リリィは、空中の文字をいくつかタッチしていった。最後に、大きな四角形をタッチすると、今度こそ絵が浮かび上がった。
 さっきの男の顔だった。
「半端じゃない強さだね」
 リリィも相当なもののはずだが、びくともしなかった。あれはちょっと怖い。
 それにしても、何者なのだろう。
 あの記者をよく思ってないことは確かだ。というか、あの記者が悪いのは間違いない。大崎をいじめたことによる第一印象も含め、だが。
 大方、ありもしないネタをほじくろうとして、あの男の怒りを買ったのに違いない。おかげで自分まで怖い目にあってしまったではないか。尤も、彼女が、記者が殴られている光景を目にして声を上げてしまったりしなければ、そんなことにはならなかったかもしれないのだが。
 まぁいい。あれだけ怖い思いをすれば、しばらくはあの記者も大人しいだろう。
 立体映像をインターネットに切り替える。
「さーって、今日は皐月観光のニュースはあるかな?」
 大きな観光開発会社なので、時折、ニュースリリースを出したり、記者会見を行ったりしている。正直、皐月観光開発の事業などに興味はないが、そういうのがあれば、大崎に電話をする格好の口実となる。皐月観光開発のオフィシャルサイトを覗き、ニュースサイトで検索するのが、リリィの日課になっていた。
「あった」
 だが、それは想像していたより大きなニュースだった。
「アスベスト?」
 聞いた覚えはあるがはっきりとはわからない。わからないままニュースリリースを読んでみると、あのホテルの地下にある設備で有害物質が使われていた、ということだった。そういう理解で十分。工期が長くなっているのは、そのことを確認するのに時間がかかったこと、その除去作業そのものにも手間がかかることなどが理由だった。
「ふうん」
 サイトに載っているのは事実関係だけだった。リリィは別の方向から探すことにした。
 今度は、テレビ局のニュース番組が見つかった。会社の記者会見の様子が動画として公開されていた。
 話しているのは中村という専務取締役であった。きちんと原稿が用意されているのだろう、隙のない受け答えだった。
 会見が終わって中村が席を立つ。会場から出ようとしている。
「え、ちょっと」
 慌てて一時停止ボタンを押そうとするが間に合わなかった。戻して見直す。
「こいつ……」
 出口の向こうにわずかに見えている男。これは、さっきの元スポーツ選手ではないだろうか。体格も印象もそっくりである。だが、画像が荒くて小さいためはっきりとはわからない。
「そうだ、テレビ」
 クレードルのボタンを操作する。映像がテレビ画面に変わった。
 チャンネルを変えていくリリィ。もう九時だからニュースをやっている局はあるはずだ。
「あった」
 もう終わったかもしれない、と思いながら待つ。その間に、ぬるくなったゼリーを片付けた。
「来た」
 クレードルのボタンを押して録画を始める。アナウンサーの解説がもどかしい。早く会見の様子をやれ。
 その気持ちが通じたのか、画面が録画に切り替わった。瞬きもせずに見つめるリリィ。
「似てる」
 録画した動画を保存する。最初の立体映像に戻して、画像解析プログラムを起動した。自動で映像をはっきりさせ、明るくする。さっきの画像と比較。それは間違いなく、あの男だった。
「どういうこと……。
 あ、そうだ」
 携帯電話を手に取る。大崎に聞けばいい。ニュースを見た、と言えばいいのだ。だが、話の順番は考えなければならない。
「よし」
 電話をかけると大崎はすぐに出た。
「もしもし?
 リリィで〜す」
《あぁ、こんばんは》
「元気ない?」
《いや、別に。普通だよ》
「本当?
 なんかニュースになってたから、ひょっとしたら、って」
《あぁ、アスベストの話ね。
 俺は関係ないしなぁ。
 でも、健康診断は受けろ、って言われた》
「うそ。
 大丈夫なの?」
 あの男に気を取られてすっかり忘れていた。有害物質のあるホテルで大崎も働いていたのだ。
《大丈夫でしょ。
 俺、そんなに地下には行ってないから》
「心配……」
《大丈夫だって》
「だといいんだけど。
 結果、絶対に教えてね」
《はいはい》
「ねぇ、大崎さんは記者会見とかしないの?」
 ちょっと話の持って行き方に無理があるか。
《しないよ》
 笑い声が聞こえた。
《俺みたいな下っ端が何でそんなこと。
 それに、あのホテルのことは何にも知らないんだって》
「えー、大崎さんのほうが、あの中村とかいう人よりずっとカメラ映りがいいと思うけど」
《何を言ってるのやら》
「ねぇ、あの人、ボディガード?
 専務さんって、そんなに偉い人なの?」
《ボディガードって、誰が》
「記者会見の最後に、ドアの向こうで専務さんを迎えてた人がいたじゃない。すんごい体格のいい」
《あぁ、あれは秘書の鵜川さん》
「秘書ぉ?」
《変な声、出さないでよ。
 まぁ、確かに、秘書っていうよりはボディガードに見えるかなぁ》
 皐月観光開発の専務の秘書。
《話をしてるとこ見たことあるけど、あれで腰の低い優しい人だよ》
 私に殴りかかってきたんですけど。それはまだ言わないでおく。
「あ」
《なに》
「あの記者は?
 まだ大崎さんのところに現れたりする?」
《う……ん。
 昨日も来た》
「このことを探ってたのかなぁ」
《そうかもしれないな。
 アスベストは話題になってるからね》
「気をつけてね」
《大丈夫だってば。
 君は心配性なのか、ひょっとして》
「そうです」
 それは大崎さんだからです。これも我慢する。
 電話は、そこからが長かった。事件のことは脇において、普通のおしゃべりになったからである。
「じゃ、おやすみなさーい。
 暇ができたら教えてね。
 絶対だよ」
《はいはい》
「健康診断の結果もだよ」
《わかりました》
「じゃ」
 見当はついた。
 あの記者はおそらく、このアスベストの事件をすっぱ抜こうとしたのだ。それを疎ましく思った皐月観光開発は記者に警告を発したが無視された。それで、あのボディーガードのような秘書が出てきた、というところだろう。
 あの事件は記者会見よりも後だから、記者はなにか抗議でも入れたのではないか。
「早とちりですねぇ、私の」
 警戒する必要もなかった。黙っていれば、あの記者が大崎の周りをうろうろする理由がなくなるわけだった。どうも、大崎のことが絡むと熱くなってしまう。
「でも、しょうがないよね。
 なんたって、これは恋なんだから」

「で、どーよ、おのオッチャンとは」
「オッチャンなんて言わないで」
「だってなぁ」
 下校中の女子高校生は、そういう会話を大きな声でする。
 亜矢が同意を求めて真美を見る。
「なによ」
 真美は否定しなかった。リリィが睨みつける。
「ちょうどいい年齢差じゃない」
「倍!」
 亜矢と真美の声が揃った。
 唇を歪めるリリィ。
 確かにその通り。そういうことになっている。
「あんた達は子供だから大崎さんの魅力はわからないの。
 あー、かわいそ」
 スタスタと足を速めるリリィ。
「全然、うらやましくないけど」
「つりあいは取れてるかも」
「あぁ、オッチャンとオバチャンで」
「うん――」
 リリィが立ち止まる。
 しまった、という顔で口をふさぐ真美。リリィの背中から怒りが立ち上っている。
「そう怒るなよ、リリィちゃんってば」
 亜矢は全く気にしてないようだった。駆け寄って背中を叩く。
「おかげであたしたち『三バカトリオ』は男を取り合ってもめるってことにならずに済んでいるわけだから」
「ね、リリィ、あたしたち本当に応援してるんだからね。
 怒らないで。ね」
 くるっと振る向くリリィ。予想に反して静かな表情。
「では、一人で帰らせていただきますので。
 失礼」
 深々と頭を下げてきびすを返す。だが、そのスピードは表情を裏切って、競歩のようだった。
「亜矢ちゃんのせいだからね」
「失言したのはあんた」
「だって」
「まぁいいじゃん。
 心置きなくものが言える間柄になってこそのお友達ってものでしょう」
「それはそうだけど……」
「何だよ」
「『三バカ』は、嫌」
 さすがの亜矢も言葉に詰まった。

 リリィは音がしそうな勢いで歩いている。いつもの駅に行けば、あの二人や、リリィが大崎を追い掛け回していることを知っているクラスメートに会うかもしれない。一駅、先まで行くことにした。
 が、急に立ち止まる。
 胸に手をやる。内ポケットから、いつものツール、「コズメア」を引き出してみると、ランプが点灯していた。
 辺りを見回す。後ろで急に消えた人影がある。
(あいつ……)
 記者のデバイスを粉々に壊し、リリィを襲った男。皐月観光開発専務秘書の鵜川。
 そのときのデータを登録し、身の回りで確認されたら警告するようにコズメアをセットしておいた。そうは言っても携帯型だし、データそのものも不確かだから期待はしていなかったのだが、まさかこんなにすぐ反応するとは思わなかった。
(どうしよう)
 人ごみにいれば襲われることはないのだろうが、ずっといることもできない。撒けるだろうか。
 いや、鵜川は記者を尾けたときにリリィのマンションまで来ている。そこは知られていると考えるべきだった。
(じゃぁ、方法は一つ)
 正体を確かめ、尾行をやめさせるしかない。
(襲っていただきましょうか。
 コズメアで無敵になったこの私を)
 リリィは駅前の商店街とは反対方向に曲がった。

 だが、そうはいかなかった。
 強い。
 リリィはあの時と同じようにコズメアをなでたハンカチを使って、男の攻撃を受け止めようとしたが、そうはいかなかった。受けてはいるのだが、腕に伝わってくる衝撃が全く違った。前回は小手調べだったかのようだ。
 そのたびにバランスを崩しそうになる。リリィの足は辛うじて踏みとどまったが、この誰もいない駐車場のアスファルトに叩きつけられるのは時間の問題のようだった。
 後退するのを追ってくる鵜川。リリィは低く入り込み、つま先で思い切り向こう脛を蹴ってやった。
「えっ?」
 全く堪えないらしい。転ばないまでもたたらを踏んだので捕まらずに済んだが、リリィはアスファルトに手をついて逃げなければならなかった。
「どうやって鍛えればそうなるわけ?」
 神経が筋肉に保護されず骨と皮の間を走っているから、向こう脛が弱点になるのだ。その痛みを我慢できる人間がいるとは思わなかった。
「その辺でやめておけ。
 大怪我をするぞ」
「こっちの台詞よ。
 正体を明かしさない。
 皐月観光の専務秘書なんてのじゃなくて、本当の正体を!」
「……」
 鵜川はしばらくリリィに視線をやったまま黙っていた。
「黙ってないで――」
「お前は、知っていてはならないことを知っていて、知っているべきことを知らないようだな」
「なんですって?」
「『ガール・ガーディアン』などという気楽な偽名を思いつくのもうなづける。
 だが、俺がなすべきことに変わりはない」
 飛ぶ。
 リリィはかわそうとしたが、鵜川は、次の瞬間にはリリィの隣に着地していた。そのまま左腕を振り回してくる。
 アスファルトを蹴って下がる。これは有効だった。着地直後なので体の自由が利かなかったらしい。
 だが、戦えば戦うほど鵜川が想像していた以上に強いことがわかってくる。やむをえない。
 リリィは、駐車場の入り口まで走った。
 鵜川も追いかけてきた。早い。
 追いつかれるか。
「や!」
 最後の一歩はジャンプ。
 リリィが掴んだのは、立ち入り禁止を示す、樹脂の鎖だった。
 力任せに鎖を引きちぎる。そのまま振り回して距離を稼いだ。
 コズメアを取り出すリリィ。その黄色い鎖を、ツールの上で滑らせた。
 すると、その鎖は一瞬、細かく震えたかと思うと、急に細くなった。元は三センチ位の幅だったものが一センチになった。当然、二メートルくらいの長さは七〇センチほどに縮んだが、それでも振り回すには問題ない。
 鵜川は、今度は両手でつかみかかってきた。リリィは体を沈め、その鎖を振り上げた。チ、と鋭い音がして、鵜川の服の袖が千切れる。
 体勢を入れ替える。鵜川は、何が起こったかを理解したらしい。一瞬、呼吸を整えると、姿勢を低くしてつっこんできた。両方の拳を組みあわせて右に引く。
 それをそのままくらったら危ない。リリィは反対側にかわすと同時に、鎖を前に払った。
「ぐわっ」
 狙い通り、鎖は、鵜川の胸元から首筋をひっかいた。同じように布地が千切れる。
 にらみ合う。鵜川は、その痕に手をやった。どうなったかを確認しているようだ。
 血は出ていない。なんと言っても元はただの樹脂。直接、当てない限りそんな怪我はしない。
 靴の音。間合いを計っている。鵜川が進めば、リリィは下がった。次には、右へ。
 だが、鵜川は予想外にも蹴りを入れてきた。足が右から回ってくる。間に合わない。
 リリィはそれを両腕で受けた。衝撃が肩から頭にまで伝わってきたが、なんとか受け止めることができた。
 彼女も素早い。鎖を持った右手を、足先でくるりと回す。足を絡め取った鎖を持ったまま、全身の力で後ろに下がる。鵜川はバランスを崩して尻餅をついた。
 そのまま横に走るリリィ。鵜川の体がひっくり返る。
 どうするべきか。背中が見えたのだから、ここに一撃を加えれば勝負はつくかもしれない。だが、そんなことをしていいものかどうか。一瞬の躊躇。
 その間に鵜川は立ち上がってしまった。
 どうする。どうやら、防御だけではどうしようもない相手のようだ。傷つけることを覚悟しなければならないらしい。
 この鎖をどう使うか。首か。だが、気を失わせる、というところで止められるかどうか。そんな微妙な加減ができる自信はなかった。
 こんなことならきちんとした護身術を習っておくんだった。コズメアがあれば大丈夫、いや、コズメアすら使わずに済むのではないか、と思っていた。まさかこんなことになるとは。
 鎖を両手で引くリリィ。鵜川は重心を低めにしてじりじりと進んでくる。そのまま突っ込んでくるのか、それともまたジャンプするのか。
 ふいに甲高い音がした。
 サイレンだ。
 鵜川が周囲を見渡す。リリィは、視線を外せば飛び掛ってくるような気がしたので、そうはしなかったが、赤いランプの点滅が遠くに映っているのはわかった。
「今日はここまでだ」
「……」
「頭を使え。
 自分がどういう状況にいるのかをきちんと考えろ。
 困ったことになるのはお前のほうだぞ」
 鵜川は砂を払うとリリィに背を向け、何もなかったかのように歩き去った。
 その姿が角の向こうに消えると、やっとリリィは息を吐いた。救急車が走り抜けていった。
 ふいに色々な考えが浮かび上がってきた。だが、それを追うことができない。まだ興奮状態にあるし、第一、量が多すぎる。
 帰ろう。帰って、シャワーを浴びて、それから考えよう。腕には痣ができているかもしれない。
(大崎さん……)
 続いて、大崎のことも。
 ということは、だいぶ弱ってるな、とリリィは思った。
(会いたい。
 大崎さんに、会いたいよ)
 残業していなければもう帰っている頃だ。あるいは電車の中か。アパートの前で待っていれば会えるかもしれない。そうすれば、きっと、何か優しいことを言ってくれるに違いない。
 だが。
 自分が普通の状態ではないこともわかる。このまま大崎に会えば、甘えた末に、自分が何を口走るかわからない。今日はダメだ。
 諦めるためのため息をついて歩き出す。だが、リリィはすぐに立ち止まった。
 地面で何かが光っている。
 見慣れない輝き。いや、最近、見ていない、というだけで、自分の知らない輝きではなかった。
 拾い上げる。それはバッジのようだった。青と緑の、やけに角ばったデザイン。
「どこかで……」
 記憶にある模様だ。どこで見たのだろう。
 考えるのは後だ。リリィはそのバッジを右のポケットに、鎖を左側に押し込むと公園を後にした。

Ver.1.0: 2007/8/12


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