「それでは、お先に失礼します」
「里中」
夜。
司令室を出ようとした貴彦を穂積が呼び止めた。
「はい」
「いつかみたいに、ここに来たりしないようにね」
まずカレンが、次に雄志が。やがて、司令室全体に笑いが広がっていった。オペレータも肩を震わせてこらえている。貴彦は、真っ赤になってそれを見回すと、乱暴にもう一度、頭を下げて、足早に出て行った。自動ドアが閉まると、カレンと雄志の笑いは、爆笑に変わった。
「そんなに笑うな。
私が言い出したことだけど」
そういう穂積の表情も緩んでいる。
明日は、貴彦の休暇なのだが、貴彦は、それを忘れていて BML に出てきてしまったことがある。穂積は、そのことを持ち出したのだった。
「あれ、マジボケだったよねぇ」
「そうそう。
ダメ、お腹痛い」
カレンは苦しそうである。
「カレン、その辺にしときなさい」
「はい…」
カレンは声を抑えはしたが、そう言われて収まるものでもない。穂積は、苦笑しながら自分の席についた。
雄志もまだ笑っている。
「カレンのお休み、いつだっけ」
「あたし?
来週の予定」
「掃除しなよ〜」
「それはセクハラだよ、雄志」
「僕も見たことあるわけじゃないけどさ。聞いた範囲だと、すごいことになってそうだよ」
「裸足で歩いたって平気なくらいにはやってるわよ」
「進歩したんだね」
「ほっといて。
あんたの基準が厳しすぎるの」
「だって、なんでもきれいな方が気持ちいいでしょ」
「男の部屋なんか、すこし汗臭いほうがいいのよ。
貴彦が絶句したって聞いたよ。女の部屋かと思った、って」
「それもセクハラじゃないの?」
「いいの」
和やかな空気を破る警報が短く鳴った。i 光量子を検知したのだ。
彼らの顔はスクリーンに向き、オペレータたちは自分のコンソールを凝視した。
「続かない」
点は一箇所だけ。それ以後、増える様子はない。
「自然界のものですね」
「雄志、確認してきて」
「了解」
「あたしは」
「カレンは待機。
あなたの言うとおり、自然界のものだと思うから」
ため息をつくと、貴彦はベッドに寝転がった。
することがない。
大学時代の友人達は、研究所勤務もいれば、技術的知識を持った営業職もいるし、学校の教師、専攻とは無関係な分野に入った者、色々いはするが、みな普通の社会人である。平日に休みになったからといって会えたりするわけがなかった。昼飯なら時間が取れる、ということもあるが、今回はうまくスケジュールが合わなかった。
以前なら、そこをなんとかしろよ、久しぶりなんだから、ということもあった。だが、LLN から BML に移籍し、「ヘリオスクワッド」という戦闘チームの一員となってから、それはしづらくなった。
休暇とは言いながらいつ呼び出されるかわからないからである。無理やりに友達を引きずり出しても、自分に急用が出来てしまっては何にもならない。
また、仕事の内容を話すことが出来ない、というのも大きい。もともと、LLN の研究員であったときも、その研究内容の詳細は秘密だったが、今は全く性質が異なる。仮に、こっそり話したところで、「何だそれは」といわれるのがオチだろう。理学部の大学院を出て、正義の味方。実際のところを見てもらえば理解はしてもらえるだろうが、口で言っただけでは相手にしてもらえなくなってしまいそうな気がする。
思い立って貴彦はベッドの下をまさぐった。ゲーム機のリモコンが転がっている筈だ。しばらく手を動かしているとそれが指に当たった。引きずり出す。
が、貴彦は、それをしばらくぼんやりと見たあと、あった場所に放り投げた。
自分が普段、“ips”という敵と戦っているのに、休暇の日にまで戦う事はない。もっと気楽な何か、と思った彼は、本棚の横に積んであるマンガの単行本をつかむと、また寝転がった。
最近ではもう、4 コママンガばかりを読んでいる。最初は、今日のように手持ち無沙汰になったときに、目新しいものを、と思って手に取ったのだが、呼んでみると、ギャグだのコミカルだのだけでなく、体裁が 4 コマだ、というだけでちゃんとストーリー仕立てになっているなど、意外にバリエーションが豊かである。しかも、難しいことを考えなくていい、というマンガの基本は維持している。そのせいか、単純なものの筈なのに何度同じものを読んでも飽きるということがない。今夜はこれで終わりそうだな、と貴彦は思った。
いや、今夜も、だった。
「カレンを呼び出しますか?」
「…」
「いいと思いますよ。どうせ掃除もしないで寝てるんだろうし」
まさにその通りであった。まもなく 12 時。カレンは 7 時頃に目を覚まし、水を飲んだ後、また眠りについている。
穂積はスクリーンを睨んでいた。
映し出されているのは巨大な円盤である。
宇宙人の乗り物という意味ではない。それは単に、黒い円だった。直径が 100m、厚さが 1m というところで、上面中央部に直径 5m ほどの突起があり、それがどうやら i 光量子を使った推進機関らしい。
今のところ、その円盤は何もしていない。宙に浮き、ゆっくりと移動するだけである。始めに発見されたのは東京西部の山間部、都心方面に向かっているのは確かだが、まだ警戒の段階である。
「うかつに落とすわけには行きませんからね」
「落とすだけでも一苦労だけどね」
穂積の言葉は、貴彦の半歩先を行っていた。
ヘリオスクワッドは空を飛ぶことができない。そのような装備も持っていない。
推進機構は彼らにもある。r 光量子を使ったエンジンであれば、今のジェットエンジンよりもはるかに効率がよく強力である。勿論、費用の問題はあるが、少なくとも技術的な問題はない筈だった。
ラボ・ルナティックが HSQ 活動のお墨付きを得た今も、敢えてそれに踏み切らないのは、そこまで行くと「兵器」になるからである。研究者である三枝は勿論、ベース・ムーンライトの司令官である穂積も、そこはできることなら足を踏み入れたくない領域だと考えていた。
しかし、それを知っていたものとは思えないが、ips はいち早く空を制する作戦に出てきた。当面、この件については警察や防衛軍の「装備」を借りるしかないだろうが、自分達もそういう「装備」を持つことを考えるべきなのだろうか。
「司令、どうしますか」
「起こしちゃいましょうよ。無駄な休暇なんですから」
穂積は二人を見た。そうなれば彼らにも訓練を施す必要がある。航空機の操縦は一朝一夕にできるものではない。ましてこの場合は「戦闘機」となる。いくらリフスーツに耐 G 機能があるとはいえ、お世辞にも簡単なことではない。それによる負担が、他の場面に悪影響として出てくる可能性はないか。彼らは科学者だ。それは大いにある、いや、間違いなく生じる。
「司令?」
「いや、まだいい」
今、できることはない。
「休暇に無駄も有意義もないしね」
しかしカレンは電話をかけてきた。
「今はまだいいよ、カレン」
《でも、何かが起こってからでは》
「防衛隊が調査中。それで何かが出たら呼ぶかもしれない。それまでは休んでて」
《でも…》
「現時点では何もすることがない。貴彦も雄志も暇をもてあましているんだ。カレンまでそれに加わる必要はない」
「掃除でもしててよ」
《…。
セクハラだって言ったでしょ、雄志》
「順調のようですね」
リダ・ローダが言った。
不満を隠している、ということは、マスター・バシュトワルにはわかった。しかし、敢えて指摘したりはしない。
「構造は旧科学のもの。脆弱さは抱えているが、長年の実績があるのは確かだ。この程度の目的にはそれで十分。
i 光量子エンジンの実験にはな」
その「円盤」は、デアバ・ルーンと名づけられていた。
「ですが、マスター・バシュトワル」
「なんだ」
「これだけのものを実験だけで終わらせるのはもったいないと考えます」
「例えば、どう活用する。
武器を搭載するハードポイントは用意していないぞ」
バシュトワルはスクリーンから視線を外してリダを見た。
「武器はなくとも、ビルをなぎ倒すくらいの事はできましょう。
人間達にとってはそれでも十分に打撃になります」
「ここで何を壊す」
デアバ・ルーンはやっと山間部を抜け、民家が散在する地域にさしかかっていた。
「いえ、もっと東へ進んでからのことです」
「そのためには、もっと高性能のレーダーとさまざま検知装置を搭載しなければならない」
「いえ、そのようなことは」
「人里には破壊してはならないものがある」
「破壊してはならないもの、とおっしゃいますと」
「最も極端な例を挙げるなら、原子力発電所」
「それはそうですが、しかし」
「工場の類もそうだ。
特に、化学製品を大量生産している工場などはいかん。周囲への危険が想像を絶するものとなる」
リダはバシュトワルの口から信じられないことを聞いた、という顔をした。
「想像を絶する、とは。
マスター・バシュトワルがお考えになることにそのような」
「普通のプラスチックは自然に分解される事はない。それは知っておるな」
「はい」
「その影響は数万年に渡って残る。
どのような天才であろうと、数万年も先のことを正確に予測する事はできない」
「それは…」
まだ納得していない。しかし、適切な反論が出てこない。リダは唇を噛んだ。
「確かに、化学工場を破壊し、毒性のあるガスを放出させれば、人間達を抹殺するには効果的だ。
しかしそれでは、この星をも傷つけてしまうことになる。
コスモスのルールは、それを良しとはしない」
「おっしゃる通りです…」
納得がいったらしい。バシュトワルは、リダの様子に、微笑みながら頷いた。
「化学工場の例として、肥料の工場がある。
そうした工場は、消費地に近い場所に立地していることがある」
「農村、ということですか」
「そうだ。
お前はさっき、山間部で壊すものなどない、と考えたようだが、そうではない。
私が挙げた原子力発電所もそうだ。それは人間達の旧科学の頂点と言っていい建造物だが、それが人口密集地に作られる事はない。人口密度と建造物の種類とはリンクしていない、と考えなければならない」
「お恥ずかしい限りです」
バシュトワルはデアバ・ルーンの速度を上げさせた。実験のためには、さまざまな条件で飛行させる必要がある。
「ips の戦略は、そのことによって一つの制約を受ける」
「制約、ですか」
「そうだ。
我々の科学力を持ってすれば、巨大兵器を作ることなど造作もない。
戦車しかり爆撃機しかり。
あるいは、雲をつくロボットを建造することもできよう。
しかし、それはできぬ」
「破壊対象を選べないからでございますか」
「その通りだ。
巨大ロボットなど、地下にさまざまな設備が網の目のように張り巡らされた都会では、足を置く場所もない」
「まさしく」
「そこにこそ、おまえたちの活躍の場所がある」
「承知しました。
自分の浅はかさに恥じ入るばかりです」
「よい」
バシュトワルは満足げに頷いた。
「お前は十分に優秀だ」
短い休暇を終えてカレンが戻ってくる。カレンと雄志は、掃除とセクハラについて一頻りやりあった後、貴彦達とともにデアバ・ルーンの解析に取り掛かった。
しかし、何もわからない。これまで防衛軍が偵察機を飛ばして詳しいデータは得られているのだが、どうやら中央部にある推進機関しかないようなのだ。武器の類は全く見当たらない。
「偵察、とか」
「東京のねぇ…」
雄志が言い、カレンが呟いた。当然の仮説ではあるが、ips が今更、東京の偵察をする意味がわからない。そもそも、偵察というのは隠れてやるものだ。すでに 3 日目、デアバ・ルーンは姿を隠すことも、逃げる様子も見せない。ゆっくり都心の方向に進んでいるだけだった。
「示威行為というのはどうだ」
「デモンストレーションね」
貴彦だった。カレンも肯定した。
これは推測というよりは確認と言った方がいいのかもしれなかった。
人々は既に、あれが ips の仕業であることを理解していた。騒ぎは、デアバ・ルーンの航路に沿って移動し、過ぎ去った地域の人々は胸をなでおろし、今まさに通過中の地域の人々は恐怖に怯え、これから来ると思われる人々の中には避難を始めている人もいた。
幸い、デアバ・ルーンが単なる「円盤」であること、これまでまったく何もしていないことなども知らされており、パニックというほどにはなっていなかったが、その度合いがこれから増していくだろう、ということには間違いがなかった。
「それはおまけじゃないかって気がするんだ」
「美穂。
いいの、向こうは」
同じ敷地内とはいえ、LLN 代表の三枝が BML 司令室にやってくるのは珍しいことだった。
「問い合わせが多くて。ちょっと逃げてきた」
「無駄だと思うけど。
で、おまけって何の話?」
「貴彦君の、デモンストレーションって意見。
それは確かにそういう効果が出てると思うんだけど」
「違うの?」
「実験じゃないかと思って」
「実験…?」
全員が繰り返した。
「ips だって空を飛ぶロボットを出してきたのは初めてでしょう。まぁ、あれをロボットと呼ぶのは問題かもしれないけど」
「だから、推進機関しか積んでない、ってこと?」
「そんな気がする」
視線はスクリーンに集まった。
デアバ・ルーンは郊外の住宅地の上を悠然と進んでいる。下で日陰となった地域の人々の恐怖はどれほどだろうか。それが、実験?
「武器がなくても、あれを落とすだけで十分に破壊力があると思いますが」
貴彦だった。
「落ちないと思う」
「落ちない、と言うと」
「仮定仮定で、証拠とは言えない数字なんだけどね、あれこれ計算した範囲では、あの円盤の中はほとんど『がらんどう』だと思う。
あれが落ちても、屋根の上にクニャっと広がるだけかもしれない」
「クニャ、って、金属なんですよね」
「あ、円盤だから速度が出ないんだ」
気づいたのは雄志だった。
円盤が浮いている。このままでは上下方向への空気抵抗が大きく、速度もゆっくりのため、仮に推進力を失ってもおそらく「ふわ」という感じでゆっくりと落ちるだけだ。勿論、紙ではないから下の建物はある程度つぶれるだろうが、重さによって「ズシン」と落ちて「ぺシャンコ」ということはないわけだった。
「じゃぁ、場所を選べば落としても大丈夫だということですか」
「それなんだけどね…」
三枝はスクリーンに目を戻した。
「どうしたの、美穂」
「普通、実験機っていうのは、技術の粋を集めたものなのよ」
「そうだろうね」
「見られたくないんじゃないかと思って」
穂積にはぴんと来ない話のようだった。最初に気づいたのは貴彦だった。
「我々に分析の機会を与えてしまうような事はしたくない、ということですか」
「えぇ…」
「私たちの手に渡したくないって事?」
「でも、武器は積んでないんでしょう?」
「自爆?」
カレン、雄志に続き、穂積が締めくくった。
「一石二鳥というわけ」
これ以上、ips の技術力を解析させたくない。
この世界を侵略したい。
その二つの目的を達することができる。
「逃げてる場合じゃないな、美穂」
「わかった。防衛軍と警察に知らせておく」
三枝は LLN に戻った。
「司令、我々は」
「雄志、お茶入れてくれる」
「はい」
「司令」
雄志は既に走って行った後だったが、貴彦は穂積に畳み掛けた。穂積は、一層厳しさの増した目で貴彦とカレンを見た。
「慎重に行く必要がある。
落としちゃいけないかもしれない、ってことになったんだから」
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