その 2 時間ほど前。
平沢は、会談を遅らせて欲しい、という都沢からの要請で時間ができたため、鷺山の許可を取って出かけている。
行き先は、サキのマンションだった。
「恐れ入ります」
管理人は、ほかの例に漏れず、定年退職したらしい老人であった。
「麻宮サキさんはいらっしゃいませんか。ベルを鳴らしても返事がないのですが」
「えーっと、麻宮さんね。
あぁ、お出かけになってますよ」
「そうですか…」
セキュリティ サービスつきのマンションである。友人などと偽っても入れてもらえる筈がない。無理をすれば警備員を呼ばれる。本当にいないのであれば、入っていってもしょうがない。平沢は、無駄足だったか、と思いながら車に戻ろうとした。
「何の用ですか」
背後に現れたサキ。
「流石ですね。
気配を読みきれませんでした」
「何をしに来たんです」
「あなたが皆明学園を休学したくらいで、『スケバン刑事』が活動を止めたと考えることはできないので」
二人は向き合った。平日午後の住宅街。誰も通らない。
「それだけですか」
「都沢 惣一、という下院議員を知っていますか」
答えない。
「そうでしょう。素直に教えていただけるとは思っていません」
サキはヨーヨーを構えた。
「いいんですか。人目がありますよ」
「あなたはどうなんですか」
平沢の眉が動いた。季節には不釣合いな長袖の中にナイフが隠してあることはサキには読まれている。
「それに私たちはもう、人目を避ける必要がない。
立場は同じではありません」
「負けを認めた、ということですか。
それとも、やはりあの都沢はあなたがたの息がかかった政治家だということですか」
「どちらも間違いです」
「この期に及んで」
平沢の体が飛んできた。車のボンネットに手をついて反対側に回るサキ。ヨーヨーを放ったが、平沢は身をかがめてそれをかわした。車を挟んで対峙する二人。
「先生の理想の邪魔はさせない。
お前のような子供に何がわかる」
「子供?」
「そう、子供だ」
「皆明学園 3 年 B 組、麻宮サキ。
またの名を」
サキはゆっくりとヨーヨーを掲げた。
「スケバン刑事」
乾いた音とともに蓋が開いた。
「桜の代紋など、今更、何の役に立つ!」
サキは頭を振った。すっかりなじんだショートカットが揺れる。
「炎に巻かれた黒髪が、
悪事を追えと叫んでる。
死に損ないの小娘が望んでなったマッポの手先。
私は!」
平沢が位置を変える。サキはそれを正面に捕らえなおした。
「人を疑いの目で見張り、行動の自由を奪い、考え方すらも捻じ曲げてコントロールしようとする。
あんなものを理想だなんて呼ばせない!!」
平沢は同じようにボディに手をついて飛んだ。サキの上を飛び越える。今度もヨーヨーは当たらなかった。
しかし、サキはそれだけの戦士ではない。戻ってきたヨーヨーを直ちに打ち込む。
「!」
右腕に当たる。サキは一歩、踏み出しながら、もう一度ヨーヨーを放った。今度は手。平沢のナイフが落ちる。
「くそ」
運転席に飛びつく鷺山。
サキはその足元にヨーヨーを叩きつけた。火花とともに、落としたばかりのナイフが舞い上がる。
帰ってきたヨーヨーは、指の周りで一回転すると、また平沢に向かって飛んでいった。それが、舞い上がったナイフにヒットする。
「ぐっ!」
平沢はそのナイフで切り裂かれた右腕を押さえた。指の間から血が滴る。
「お前は…」
隠し玉だ、と平沢は思った。
いや、勿論、サキのことは知っている。だが、これまで、サキがヨーヨーを使って戦ったことは必ずしも多くなかった。彼女がそれをまるで自分の指先のように操ることができるとは流石の彼らも考えていなかった。
「武器を捨てて投降してください」
サキはヨーヨーを肩先に構えて進み出た。平沢が半歩、下がる。
鷺山は間もなく都沢の屋敷に向かう予定だ。サキもそれに参加することになってはいたが、平沢が現れたため、もう集合時間には間に合わない。
だが、それはそれでいい。既にここでその片鱗を見せている通り、平沢は鷺山のボディガードでもある。相当の使い手なのだ。ここで捕らえることは、その作戦にとって意味のあることだ。
もう一歩。平沢も、もう一歩、下がった。
「投降しなさい」
平沢が歯を食いしばる。サキはその足元へヨーヨーを打ち込んだ。
膝を掠める。スラックスに線が走った。
また金属音。サキのヨーヨーは、平沢の数歩、後ろに転がっていたナイフを巻き取っていた。
そのナイフをタイヤに突き立てる。握ったヨーヨーを叩きつけると、それはタイヤにしっかりと突き刺さった。大きな音をたてて空気が抜けていく。
「あ…」
後は平沢を捕らえるだけだ。バックスウィング。
「!」
その右手が止まった。
「ん…」
震え始める。サキの手はヨーヨーを支えきれなくなった。ゴト、と音を立ててヨーヨーが落ちる。
「遅いぞ…」
「すいません」
サキの背後の男がナイフを抜いた。膝をつくサキ。真っ白なセーラー服の背中が赤く染まり始めた。
「行くぞ。
車は捨てる」
平沢と、その部下らしいもう一人の男は辺りを見回すと走り去った。
サキの体が倒れる。
(立てないの?…サキ)
手に力を入れてみる。背中から激痛が駆け抜けた。背中だけではない。体の内側も。息をするだけで痛みが体を貫く。
(無理…)
背中が温かい。血が流れているせいだろう。その一方で、体中が冷えていくのがわかる。
(お兄ちゃん…お父さん…お母さん)
サキは目を閉じた。
(犯人は捕まえたから。ガス爆発を起こした理事は捕まえたから)
それは、暗闇機関の気遣いでもあった。サキが最初にやった捜査活動はそれである。
(だから、それで、許して…)
何か音がした。だが、サキはもうそれが何であるか判別できない。聞き覚えはあるのだが。
「佳南ちゃん!
佳南ちゃん!!」
抱き起こされた。また激痛が走る。
「慧さん…」
「しっかりして。
すぐに病院に運ぶから」
慧は、サキの体を抱えたまま携帯電話を取り出した。だが、かけるより先に電話が鳴った。
「お京さん」
《サキはどうしてる》
「佳南ちゃんが、佳南ちゃんが!」
《どうした》
「佳南ちゃんが、背中、刺されてる!」
《マンションだな。すぐに人をやる》
「早く来て!」
サキの手にわずかに力がこもった。
「慧さん」
「しっかりして。
ごめんね、あたしが遅くなったから、こんな苦しい思いさせて。
すぐにお京さんが来るから。ね、佳南ちゃん」
集合時間になってもサキが現れない。サキが連絡無しに約束を破る、ということはありえない。何かが起こったのだ、と考えた慧が急行したのだが、このタイミングで到着するのがやっとだった。
「鷺山も平沢ももうすぐ掴まるよ。佳南ちゃんのおかげだよ。
佳南ちゃん!」
「うん、ありがとう…」
かすかな声でサキが言った。
「佳南ちゃん…」
「慧さんのおかげで、あたし」
「違うよ。佳南ちゃんがやったんだよ。みんな、佳南ちゃんが」
「ありがとう、慧さん」
「佳南ちゃん!」
「みんなにも、ありがとう、って…。
羽鳥さんや、零さんや、お京さんや…」
「佳南ちゃん、しゃべっちゃだめ。もうすぐ来るから」
「あたし、ほんとうに、ありが――」
言葉が途切れた。慧の腕に、不意に重みがかかる。だがサキの手からは力が失われた。
「佳南…ちゃん?」
ほんの今まで、か細いながらも言葉を送り出していた唇は、もう動かなかった。瞼も閉じられている。
「佳南ちゃん。
ダメだよ、佳南ちゃん!
死んじゃダメ!
佳南ちゃん!!」
佳南はもう何も答えなかった。
「『スケバン刑事』は封印します」
零はかすれた声で言った。
「やはり、復活させるべきではなかった。
こんな…」
唇を噛む。ニュースは、台風の発生を告げる天気予報に変わっていた。
若者達を守るためのスケバン刑事のシステム。だが、そのシステムが、高校生を殺すことになってしまった。これはやはりあってはならないことだった。
野口は、甘かったな、という言葉を飲み込んだ。今の零なら、それは言わなくともわかる筈だからだ。そして彼も、その封印には賛成だった。いや、菅原 祐美を任命したときから、彼はスケバン刑事の復活には消極的だったのだ。
慧はすっかりふさぎこんでいる。美咲は、あたしが引き受ける、とは言ったが、慧が笑顔を取り戻すまでには相当の時間がかかるだろう。彼女も、自分が湯尾 佳南を殺した、と思っているのだ。
ガラスの向こうをヘッドライトが横切った。京が帰ってきたらしい。彼女も、同じ責めを負っている。ガーデンの外での作業を申し出たのは、体を動かしていたいからだろう。
唯も、志織も、祐美も、そしておそらくは羽鳥も同じ思いを抱いている。
零はカーテンを閉めた。
(誰かが言った。
明けない夜はない)
だが、夜の闇は、一度の例外もなく、一日ごとに必ずやってくる。逃れるすべはない。
佳南を知る者を苦しめる、やり場のない痛みから逃げるすべもない。全員が、自分には防ぐことができたのではないか、と自分を責めている。
ドアが開いて、京が入ってきた。野口が、ご苦労、と言った。京は、笑顔を返そうとしたが、それはとてもできることではなかった。代わりに、ぎこちなく頷いた。
野口がテレビを消し、沈黙が部屋の中を十分に満たした、と思った頃、デスクの上の電話が鳴った。
「感傷に浸っている暇はないようだな」
野口が言った。
零は寧ろそれに感謝しながら、受話器を取った。
|