ケータイ刑事 銭形 聖

登場! 慈悲を説く刑事!!〜右往左往殺人事件〜 (前編)



 響くサイレン。急転回で悲鳴を上げるタイヤ。
「次、左です」
 シートベルトにしがみついたまま、助手席の男が言った。運転している男は黙ってハンドルを切った。またタイヤが鳴る。
「う、運転うまいですね、高村さん」
「パリ仕込みだからね」
 高村と呼ばれた男は得意げに鼻を鳴らした。
「3 ヶ月で追い出されたくせに」
「何か言った?」
「次を右。その先が現場です」
「!」
 高村はブレーキを踏んだ。つんのめる二人。
 そのすぐ先、車を一顧だにもせず走り抜けていく MTB. 短い髪が風になびいている。まるでそれはスローモーション。「デ・ジャ・ヴュ」という言葉が思い浮かんだ。
「柴田、今の」
「まさか」
 高村と柴田は顔を見合わせた。見覚えのある後姿。
「そんな馬鹿な」
「いや、でも、あの制服は…青葉台学園のものです。
 制服研究歴 15 年の私が断言します」
「だって…なんか聞いてる?」
「いえ…」
「偶然か」
 クラクション。後ろの車だった。高村は慌てて車を発進させた。

 現場に到着。すでに立ち入り禁止の黄色いテープが張られ、警官が忙しげに動き回っている。高村は車を降りた。現場特有の緊張感にネクタイを締めなおし、背広の裾を直す柴田。
 お疲れ様、と敬礼をしつつ門をくぐる。二人は無意識のうちに、いくらかオドオドしながら、さっきの MTB があるのではないかと見回していた。見当たらなかった。
「ないようですね」
「当然。
 彼女達は四人姉妹なんだよ。もう打ち止めだ」
 高村は、いつものように高い声で、自分を励ますかのように言った。
 彼らは、警視庁の刑事である。
 数々の事件を解決、修羅場を潜り抜けてきた高村 一平と柴田 太郎は現在、捜査一課の刑事としてコンビを組んでいる。
「誰かが戻ってきてる、ということもあります」
 柴田は諦めなかった。元鑑識としては、現場を見て、科学の目で調査するまでは判断を控える癖がついている。また彼の場合、いくらかの期待があることも事実。
 殺人事件の通報があったのは、ほんの 20 分前。
 被害者は、この家の主、麻生 日太郎 (あそう びたろう)。発見者は、妻の真由美。
 二人は、先行していた警官の案内を受けて、居間に入った。
 立派な応接セット。サイドボードの前に男が倒れている。
「鑑識は?」
 警官が、まもなく到着します、と答えた。
「なんだ、まだなのか。
 私がいないと、こうもだらしなくなるものかね」
 柴田は、妙に得意げに眉を動かした。
「ノビノビやってるんじゃないの。邪魔者がいなくなって」
 顔をゆがめる柴田。死体のそばにしゃがみこむ。
「鈍器で、背後から殴られている」
「鈍器?」
「なんでしょうね。花瓶か、置物か」
 柴田が立ち上がった。
「頭部への打撃一発で死亡した模様。あざやかですね。
 着衣が乱れている様子も無し」
「何がだい。こんなだらしない格好じゃないか」
 下はスラックスだが、上は肌着。椅子の背もたれにハンカチがひっかかっている。
「これは、単に下着姿だというだけです。誰か本人以外の人間が服をどうかしようとした痕跡はありません。
 このハンカチが湿ってるところを見ると、被害者は汗をかいたんでしょう。こっちには新しいワイシャツもある。着替えの途中と見るのが妥当ですね。
 この辺は、元鑑識の僕にお任せください」
 黙って、不快感を表情に出す高村。柴田はそれを無視した。いつものことだった。
「死体は真実を語っている」
 得意の台詞である。
「あぁ、本物の鑑識も来たみたいだ。じゃ、現場はこれくらいにして」
 高村の「本物の鑑識」に柴田は抗議しようとしたが、今度は高村が無視した。
「発見者はどこ?」
「は、既に事情聴取を」
 警官の言葉に二人は目をむいた。
「事情聴取?」
「誰が?」
「高村さん、柴田さん、現場の確認は終わりましたか?」
 若い女の声。
 二人は、いくらか怯えながら、その声の方を振り返った。
 女子高校生。
「さっきの」
「まさか」
「死因は後頭部の傷だと思うんですけど、ほかには――あの…?」
 高村は柴田と共に、その少女に背を向けた。小声。
「違うな」
「えぇ。あの姉妹の誰でもありません。完全不一致」
 力強く頷きあい、体勢を元に戻す。
「君は?
 ここは高校生の来るところじゃないよ」
 余裕を取り戻した高村が言った。
「あ、まだご存じなかったんですか。急でしたもんね」
 少女は全く動揺しなかった。ポケットから手帳を取り出し、それを開く。
 だが大人達は、ハッハッハと笑っただけだった。
「わかってるよ。
 青葉台学園だろう」
「制服を見れば一目瞭然だよ、君」
 え、と驚く少女。手帳を覗き込むと、それは自分が通う青葉台学園高等部の生徒手帳だった。
「あ、失礼しました」
 改めて開き直す。今度は、堂々とかざして見せた。
 だが、高村も柴田も、また意地悪く笑うだけだった。
「やっぱり警視正」
「やっぱり銭形だ」
「以後、お見知りおきを」
 少女が敬礼する。
 高村は人差し指を立てて、チッチッチッと言った。
「公文書偽造。
『お見知りおき』を『お仕置き』に変えなきゃならないね」
 手錠を出す。
「すっかりお約束ですからねぇ」
 柴田の表情には、いやらしさえにじむ。
「二人とも、ここは殺人事件の現場ですよ。そういう不謹慎な笑い方は――あ、あーっ」
 少女は手錠を掛けられてしまった。
「ダメですよ、お嬢さん。
 警視総監のお孫さんが四人姉妹だということはもうわかってるんだ。
 ご丁寧に生徒手帳まで作ったのは誉めてあげてもいいけど、それが偽者だって事は調べなくても明らかなんだよ。
 さ、柴田、お連れして」
「ちょっと、待ってください」
 そのときだった。
《警視庁より入電中…警視庁より入電中…警視庁より入電中》
 少女のケータイの着信音が響いた。眉間にしわを寄せる大人達。
「手がこんでるねぇ、この子は」
「ちょっと悪質ですね。キツくお灸を据えてやる必要が」
 少女は、左手でケータイを取り出して耳に当てた。
「あ、大オジさま」
「『おじいちゃま』だなんて。まだお芝居してるよ」
 高村は苦笑した。だが、柴田は異変に気づいている。
「いや、高村さん…今のは、『大オジさま』」
「なんだって?」
 少女は、そのケータイを突き出した。
「高村さん、大オジさまがお話ししたいそうです」
「誰?」
「早くしてください。
 大オジさまも忙しいんですから」
 高村はその電話を手に取った。嫌な予感が背筋を這い登ってくる。咳払い。
「もしもし。どちらさんですか。あの――え、銭形総監!」
 硬直する高村。柴田は反射的に、そのケータイに向かって敬礼をした。
「え、あ、は、はぁ、はい。
 わかりました。
 失礼します」
 顔が青くなっている。ノロノロとケータイを返す高村。
「わかっていただけましたか?」
「はい…」
「手錠を外していただけますか」
「はい…」
 柴田は何が起こったかわからずにまごまごしている。
 少女は、改めて敬礼した。
「本日、警視庁 捜査一課 刑事を拝命しました。警視正、銭形 聖です」
「だって、総監のお孫さんは」
「混同してらっしゃるようですので説明いたしますが、私は銭形北家 (ほっけ) の者です」
「銭形ホッケ?!」
「って、居酒屋とかでよく見る、あの大きな」
「警視総監は、銭形南家 (なんけ) の当主でいらっしゃいますが、私のおじい様の弟に当たります。
 よろしいでしょうか」
「『大オジさま』って、そういう…」
「おそるべし、銭形一族」
「これより、高村巡査とペアを組んで捜査活動に当たります。以後、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ…」
 高村の強張っていた口元が辛うじて緩んだ。
「ぼ、僕は?」
 仲間外れの柴田が口を挟む。
「柴田さんには、鑑識への転属命令が出ています。
 鑑識は柴田さんがいないとだらしなくなるようです。よろしくお願いしますね」
「は、はい」
 こちらはいくらか頬に赤味が差しているようだった。

 客間に向かう聖と高村。柴田は既に鑑識の青いユニフォームに着替え、水を得た魚のようにバリバリと現場検証していた。
「発見者は、被害者の奥さんです。
 大分、ショックを受けてらっしゃるので、質問には気をつけてくださいね」
「わかってるよ。
 君は知らないだろうが、女性の扱いにかけては警視庁で僕の右に出る者はいない。任せておきたまえ」
 ノックして部屋に入る。真由美がソファに座っていた。美人である。
「失礼します。捜査一課の高村です。
 さきほど、この子がお話を伺ったとは思いますが、ちょっと要領を得ないので、もう一度お話を聞かせていただけますか」
 聖は口を挟まなかった。関係者に何度も事情を聞くのは、確認の意味もあるし、証言内容のブレがきっかけで容疑者が割り出せることもある。彼女が高校生であることを利用するのは、当然のことだった。
「はい…」
 真由美は、頷くと、そのまま目を伏せた。その陰が、ますますその美貌を引き立てる。
「それで、発見したときの状況なんですが」
 高村は真由美の隣に座った。向かいに座った聖の表情が険しくなる。
「はい。
 主人が帰宅したのは 1 時頃だと思います」
「1 時?
 午後の?」
「はい」
「どうしてだろう。
 今日は平日なのに。何か忘れ物でも」
「わかりません。
 実は私、今日は頭が痛かったのものですから、家事を簡単に済ませた後、二階の寝室で休んでおりました」
 聖が口を挟む。
「眠ってらしたんですか?」
「えぇ。
 11 時半に時計を見たのは記憶しておりますが、その後、眠ってしまったようです。
 ですから、主人が帰ってきた 1 時というのも」
「はっきりはしていない?」
 高村は、質問するたびに、伏目がちになる真由美の顔を下から覗き込むようにする。それが聖には気になる。
「はい。
 物音がするのに気づいて私が降りていったのは 1 時半ころですから」
「11 時半から 1 時半までのどこか、ということですね」
「はい。
 そうしたら、主人が」
「倒れていた」
 真由美は、今度は返事をせずに頷いた。右手のハンカチを口元に当てる。高級そうな腕時計が光を反射した。
「失礼ですが、ご主人に恨みを持っていた人に心当たりは」
「ありません。
 主人は温厚な性格で、揉め事を嫌います。頼まれれば嫌とはいえない性格で、職場の皆さんにも慕われていたようです。恨みを買うなんて、とても」
「でしょうね。
 家でもそういう感じで?」
「はい。
 私が、家事を中途半端にして寝ていられるのもそのおかげだと思います。ほかの家では、熱があっても、そんなことは許されないという話も聞きますし」
「なるほど。
 いや、どうもありがとうございます。
 我々は全力をつくして捜査に当たりますよ。あなたのように美しい方をいつまでも苦しませているわけにはいきません」
 聖は高村を睨みつけた。

 現場に戻る。現場検証はまだ続いている。
「高村さん、さっきのあれは何ですか」
「あれ、って?」
 聖は高村の正面に立った。
「順番に聞きます。
 なんで、真由美さんの隣に座る必要があるんですか」
「リラックスさせるためだよ」
「リラックス?」
「覚えておきたまえ。正面から向かい合うのは相手に緊張を強いる体勢なんだよ。
 関係者にリラックスしてもらって、正しい情報を引き出すには、正面ではなく隣に座るべきなんだ」
「じゃ、真由美さんの顔を一々覗き込むのは」
「相手が、嘘を言っていないかどうかを確かめるには、目を見るのが一番」
「最後の、『美しい方』は」
「それは…見たままを素直に」
「いいですか」
 聖は声を落とした。つられて、はい、と答える高村。
「あの人は、ご主人を亡くしたばかりの人です」
「そうだね。うん」
「そういうときに色目を使うのは人として間違っています」
「色目なんて、僕はただ」
「ふしだらです、高村さん」
 宣告。その場にいた警官の目が高村に集まる。
「え、そんな」
 その視線の全てが、その通りだ、と言っていた。降参する高村。
「いや、だって、外国生活が長かったからさ。知ってる? パリではあれはごく普通の、挨拶みたいなもので――」
 空気は冷たいまま。
「はい、わかりました。以後、気をつけます」
「わかればいいんです」
 シュンとなる高村。
「いいかな、聖ちゃん」
 柴田がビニールの袋を持ってやってきた。
「台所のゴミ箱から、頭痛薬のパッケージを発見」
「奥さんだと思います。今日は頭が痛くて寝ていたって」
「一応、シンクのコップも確認した。洗っていなかったから指紋が残っている。奥さんのものに完全一致」
「じゃ、彼女はシロだね」
 高村がうれしそうに言う。また聖に睨まれる。
「僕もそう思うよ」
 と柴田。
「どうしてですか」
「被害者の傷だけど、右上から殴られていることがわかった。
 ということは、おそらく、犯人は右利き」
「左利きの可能性はありませんか?」
「難しいね」
 柴田は聖の後ろに回った。
「左利きの人が、利き腕を使って、右の背後から殴ろうとすると」
 殴るまねをする。
「あ、視界に入る」
 柴田の体は、聖の真後ろではなく、右側にはみ出していた。
「そう。顔を見られてしまう可能性が高い。ちょっとリスキーだね。
 かと言って、見られないように真後ろに回ると、姿勢に無理が生じる。利き腕じゃない方を使えば、ミスする虞がある。これまたリスキー」
「真由美さん――あ、えーと」
 慌てて言い直す高村。
「発見者は、右手に時計をしていた。左利きだよ」
「そうですね」
 右利きだ、ということは、犯人の手がかりとしては弱すぎる。左利きの容疑者が現れたときに、その人を除外する役にしか立たない。
「もっと探しましょう。
 何かがあるはずです」
 聖はケータイを取り出して、部屋の写真をとり始めた。死体、サイドボード、椅子の上のハンカチ、着替えようとしたらしい新しいワイシャツ…。

 トボトボと MTB を押しながら歩く聖。麻生が勤めている会社にまで事情を聞きに来たのだが、何も手がかりがない。隣の高村は変わらず元気だった。
「麻生さんってのは本当に好かれてる人なんだねぇ。これだけ悪い話を聞かない人ってのも珍しいよ。
「そうですねぇ」
「社内ではそれなりの地位にあるのに、事務所の席替えに汗かいて参加するなんて、そうできることじゃない。
 まぁ、人気が出るのも当然かもしれないね」
 聖は、今度は相槌を打たなかった。
「元気がないね。ちょっと君には難しい事件かな」
「そういうんじゃありません」
「じゃ、何」
「嫌な予感がするんです」
「嫌な予感?
 まさか連続殺人の始まりとか、そういう」
「違います。
 人の心の闇に触れてしまいそうな予感」
 高村は得心がいかないようであった。二、三度、手を動かした。
「それはそうだよ。これは殺人事件なんだから」
「そうじゃなくて。
 悪い噂がない、ってことが、逆に気持ち悪いんです」
「何を言ってるんだ。いいことじゃないか」
「いえ。
 その裏に、何かどす黒いものが隠れていそうな気が」
 聖は目をそらした。耳に手を当てる。
「響く…悪の余韻」

Ver.1.0: 2005/10/2

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