スケバン刑事 -少女守飛立伝世-

350 度 (前編)



 弥帆 (みほ) は、自動ドアの前で躊躇した。そこに立ってドアが開けば、外の熱気が飛び込んでくるに違いないのだ。せっかく涼を求めてコーヒースタンドに入ったのに、ここを出るのは愚行に思えた。
 しかし、この店に寝泊りできるわけではない。入ろうとした人のためにドアが開き、覚悟はしていたが予想以上の熱気が飛び込んできたことで、却って覚悟がついた。思い切って日差しの中へ歩き出す。
「あ…」
 弥帆は不意に立ち止まった。
 どうということはない。隣の本屋が、雑誌の入荷を知らせる紙を店頭に貼っていただけだったのが、それで先日、アルバイト募集の紙をはがしている店のことを思い出しのだ。
 あのときは、夏休みの時期になって高校生が一斉に応募してきて定員に達したのかと思ったのだが、そうではないのかもしれない。
 年の離れた友人である福原理枝が言うには、労働者の雇用状況を安定させるために、正社員の雇用を増加させろ、という通達を役所が出している。それまで派遣、フリーター、パートの主婦といった形で雇っていた人を正社員とした結果、アルバイトの必要がなくなった。高校生や大学生がアルバイトをする場所がものすごい勢いで減っている、らしい。
 あの時、募集の紙をはがしたのは、定員になったからではなく、アルバイトの募集そのものをやめたからではないのだろうか。
 だとすれば妙な話である。雇用状況を安定させろ、という通達そのものが、アルバイトとは言え、若者の働く場所を奪っているのだ。しかもそれは、会社側にとってコスト増大になっている。苦しい会社も少なくないらしい。相変わらず、大人のやる事はわけがわからない。
 ポケットのケータイが震えた。この震え方は電話が来たのではなくメール、しかも、電話会社からのどうでもいいようなお知らせだ。それでも弥帆はケータイを開いた。
「値下げ…また?」
 安くなるのだから別に文句を言う筋合いはないが、こう頻繁に値下げがあると逆に心配になる。確か 6 月頃に、夏休みシーズンを狙ったキャンペーンがあって、春先にも乗り換え需要を狙った体系変更があった筈。あるいは、前の値段が高すぎたとでも言うのだろうか。
「まぁ、いいんだけどさ」
 幸か不幸か、弥帆の電話はそう頻繁には鳴らないし、弥帆もそれほどかける事は多くない。安くなればなっただけ得になる。
「友達いないからね」
 冗談でもなさそうな顔で呟く。
 確かに、弥帆の「腕っぷし」と、学校に多額の寄付金をしている親の影響力に期待してトラブル解決を依頼される事は多い。当然、そういう場合には電話番号を教えあう。内容によっては頻繁に連絡を取り合うことになるが、それはトラブルが解決した時点で終息する。鳴らないときには一週間も鳴らないことがある。
「げ、マジ?!」
 大きな声に顔を上げる。見た顔だった。清真学園の生徒、確か、同じ学年。その少女は、乱暴にもシャッターを叩いた。
「ちょっと、やめなよ」
「だって、なんで急にこんな」
「どうしたの」
 そのつもりはなかったのについ声をかけてしまう弥帆。自分はおそらく「おせっかいやき」なのだと思う。加えて、好奇心もある方だ。理枝辺りは覗き趣味と言うかもしれないが。どの道、今のような状況になってしまったのには、自分の責任も大いにあると思う。今のところ、思うだけだが。
「あ、弥帆さん」
「助けてくださいよ、弥帆さーん」
「バカ、いくら弥帆さんだって、そんな」
「なに」
「これぇ」
 少女が指差す先に紙。
 どうやらここはカラオケ屋だったらしい。閉店させていただきます、とある。
「つぶれちゃったんだ」
「どうしよう。あたしの美声、どこで披露すればいいの?」
 清真は、お嬢様学校ではあるのだが、こういうことを大真面目に言う生徒がたまにいる。本当にそう思っているのかもしれない。
「カラオケ屋なんてどこにでもあるでしょ」
「二軒目なんですよ」
 やや落ち着いている方の少女が言った。
「なにが?」
「あたしたちが行ってるカラオケ屋つぶれるの」
「それはまた運が悪いね」
 苦笑する弥帆。
「弥帆さん、冷たい」
「バカ、弥帆さんはカラオケ苦手なんだよ」
「あ、そうだっけ。すいませーん」
 苦笑するしかない。
「ほか探すしかないのかな」
「そうだよ。
 じゃ、失礼します」
「ん」
 反対方向に歩き出す。少女はまだ嘆いていた。
「ベースやってる奴が、カラオケ苦手ってこともないと思うんだけどね」
 いつの間にかそういうことになっているらしい。そういえば、自分が「ロッカー」であることは誰も知らないのかもしれない。中学生のときに何人かに話したくらいである。
「前に比べればましってこと」
 同じ学年の生徒、場合によっては先輩に「弥帆さん」と呼ばれるのにもすっかり慣れた。

 宮嶋は緊張しているようだった。来客を野口の部屋まで案内してきたとき、いつもと違い、動きが硬かった。
「お久しぶりです」
「あぁ」
 その女性は短く答えた。苛立ちが感じられる。野口は立ち上がりながら続けた。
「慧はどうしていますか」
「人並みにはなったよ。まだ、元気だとは言えないけどね」
 それは数年前、当時「麻宮サキ」を名乗っていた少女をサポートしていた女性の名前だった。そのサキは、事件がまもなく終結を見るという間際に、敵の手にかかって命を落とした。慧は、彼女を守りきれなかったことを自分の傷として抱えていた。
「それで、今日は」
「あんた、なんで慧のことを聞いた」
「なんで、とは」
「理由だよ。
 あんたみたいな冷血でも、慧のことは心配してた。違うのか」
「その通りです」
「だったら」
 女がデスクに近づいた。宮嶋は銃を取り出そうと胸に手をやったが、野口は、視線でその必要のないことを伝えた。その落ち着いた仕草が却って女を苛立たせたようだった。女は両手でデスクを叩いた。
「『麻宮サキ』を復活させたのはなんでだ!」
「そのことでしたか…」
「そのこと…?!」
 女はデスクを乗り越えんばかりの勢いだった。
「あれは我々ではありません。
 いつもの、模倣者です」
「本当にヨーヨーを使ったって聞いたよ」
「これでしょう」
 野口は抽斗を開け、弥帆から取り上げたヨーヨーを見せた。女の勢いが弱くなった。眉が動く。
「どういうことだい」
 左手で席を勧める。女はそれには従った。
「例の、『牧童会議』で、下部組織のチンピラたちがもめごとをおこしかけていたんです。そこに、このヨーヨーの持ち主がいました」
 野口は「牧童会議」の名をいとも簡単に出した。
 女の名は、浅谷美咲。
 最初の「スケバン刑事」である。
「麻宮サキ」は彼女の名前だった。彼女は、自分が「スケバン刑事」の重荷から解放された後も、次々に誰かが「麻宮サキ」を名乗って「スケバン刑事」として活躍していることを知り、無用のトラブルに巻き込まれることを嫌って、その名前を捨てた。
 お互いに手の内を知っている存在、時には遠く距離を置き、時には共に戦う、微妙で複雑な関係。
「もめごと?」
「それは単なる高校生のケンカです。そのチンピラたちはかつての兄貴分に当たるらしい。暇つぶしにぶちのめしてやろうとした相手がたまたまヨーヨーを持った少女だった」
「たまたま。
 それは本当なんだろうね」
「その少女は、『牧童会議』を構成する企業の社長の娘です」
「社長の娘?」
「事情を知っていれば、『麻宮サキ』などという名前を口にする筈がありません。
 いつものように伝説を面白がっただけです。
 相当に練習はしたようですが」
 野口はヨーヨーを美咲の前に置いた。確かに、傷だらけだった。
「ちょっと練習が過ぎたようですので、そのままでは自分に害が及ぶ、と忠告しました。その後は、そういうことはしていない筈です」
「あたしが聞いたのが、その子かどうかはわからないね」
「そうですね。模倣者は他にもいるかもしれませんし。
 ただ」
「?」
「あなたが血相を変えていらしたという事は、その話に相当の信憑性があったからでしょう」
 美咲は面白くなさそうに腕を組んだ。
「おそらくこのヨーヨーの持ち主だと思います」
「信憑性が出るくらいの腕前だったのか」
「えぇ。
 一人で 5 人を倒しました」
「5 人くらい」
「ただの 5 人ではありませんよ」
「…」
「彼女は、そう名乗ったわけではありませんが、『麻宮サキ』の名前を使って啖呵を切っています。向こうは本気だった筈です」
 納得したらしい。美咲はため息をついた。
「素質があるってことか」
「開花しないことを祈っているところです」
 野口は宮嶋に頷きかけた。宮嶋は静かに出て行った。
「今回の件では、『麻宮サキ』も『スケバン刑事』も登場しません。舞台が学校ではありませんのでね。潜入捜査の必要がありません。通常の体制で対処していきます。ご心配なく」
 視線の鋭さは変わらなかったが、美咲は一応、納得した風ではあった。
「まずかったら答えなくてもいいんだけど、社長の娘って?」
「ミズシマ・スポーツの社長、水島征一の娘です」
「“M-Style”か」
 ミズシマ・スポーツは、ここ十年ほど、そちらのブランド名を主に使っている。若者は「ミズシマ」という名前より“M-Style”で記憶していることが多かった。
「小人閑居してってやつだね。
 金も暇もある奴はろくなことをしない」
「おっしゃる通りです。
 水島に近すぎて排除に手間取りました。ご心配をおかけしてしまったのはそのせいだと思っていただければ」
「わかった。
 今日のところは帰る」
「お送りしましょう」
「いらない。
 そうだ、例の通達、追ってる?」
 美咲はドア口で振り向いた。
「えぇ。
 もうすぐ萱嶋滋を連行する予定です」
「萱嶋…労働省の政策局長だっけ」
「えぇ。彼を排除すれば自然消滅するでしょう」
「わかった。
 よろしく頼むよ」

Ver.1.0: 2008/7/27

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