スケバン刑事 -少女守飛立伝世-

毒舌にうんざり (前編)



 4 時。
 いくら真夏でも肌寒さを感じる。弥帆は背中のバッグから薄いジャケットを引っ張り出した。
「あ、弥帆さん、寒いですか。
 コーヒー買って来ましょうか」
「いいよ、トイレ行きたくなっちゃうから…」
「もうすぐですからね。よろしくお願いします」
 隣のクラスの黒木益美が頭を下げた。
「って、3 時間もあるじゃん…」
「弥帆さん…」
 泣きそうな顔になる黒木。
「わかってるよ。いるってば」
「ありがとうございます!」
 夏休みじゃなかったら絶対に断るけどな、と弥帆は口の中で言った。
 弥帆は今、ライブのチケットを購入するための列の中にいる。時刻は午前 4 時である。
 このネット時代に、いや、ネット予約が普及する前にだって、電話予約という手段があったというのに、なぜ徹夜してまで並ばなければならないかというと、これが臨時で追加された公演だからだ。そのせいか、会場は比較的、小さい。まだネットでの予約システムを取り入れていないため、こういう形になってしまった。
 場所は、全国的に有名な歓楽街の近く。昼間ならまだしも、若い女性が夜中にいる場所ではなかった。
 尤も、その“GGG”という劇団は、それなりに人気のある劇団で、何度も折れ曲がる列が出来上がって劇場から係員も出てはいたが、さすがに酔っ払いなどが寄ってきては呂律の回らない口で話しかけてくるような風景はあちこちで見られた。黒木に近寄ってきたサラリーマンを弥帆が睨みつけて追い返す、ということもあった。
 弥帆自身は GGG の名前は知っていても、別に徹夜してまで見たいとは思っていない。
 本当なら、黒木には同じように熱心な友人がいるのだが、その少女の親は徹夜で並ぶことには絶対に許可を出さなかったらしい。そこで、彼女の分のチケットを確保する必要が生じ、また黒木も、同好の士が集まることになるにしても、一人ぼっちで並ぶことには一抹の不安があったため、弥帆に白羽の矢が立った、というわけだった。
 黒木は夕べからずっと、弥帆の機嫌を取っている。おかげで腹が減ったとか口寂しいとかいうことはなかった。そこまで気を使わなくともいい、と何度も言っているのだが、あるいは黒木自身、徹夜で並ぶのだということで気分が高揚しているのかもしれない。
 待ち合わせの場所に着くまでは、熱心なファンと一晩中一緒にいると、熱く語られてしまうのではないか、とそちらのほうが不安だったのだが、黒木はそこはわきまえていた。多少の解説はあったし、弥帆の質問に対する解答もいささか長めではあったがが、一人でまくし立てるような事はなかった。
 それはひょっとしたら、“GGG”という劇団の特徴によるのかもしれない。
 劇団名は「時事問題を扱うグループ」ということから来ており、それ自身は実も蓋もないネーミングなのだが、コントの内容は、新聞に目を通したりニュース番組を見たりしていないとわからない。つまり、そういうことをする人たちが支持をしているわけであり、若者が多いにもかかわらず落ち着いたファン層のようである。
 その割に「毒」がない、というのが、テレビなどで見た弥帆の感想である。時事なのだから当然、政治問題も入ってくる。それを笑いにするのだから、普通なら政治家や役人を揶揄したりしそうなものだが、それがないのが GGG の特徴だった。笑えない事はないが、なんだか小学生向けのマンガを読んでいるような、それも「楽しみながら知識が身につく」というような種類のものを読んでいる感じだ、と弥帆は思っている。
 尤も、新聞を読むようになったのがごく最近である弥帆が、ポイントを見つけられないでいる、という可能性も否定はできないのだが。
「なんだ、あれ」
 弥帆の視線の先に、数人のグループがある。彼らは列に並んではいないようだった。
 チケット購入のための整理券は既に配られていて、別に並ぶ必要もないし、現に整理券を受け取るなり終夜営業の飲み屋に向かったりしている者もいるようだが、未成年はそういうわけにはいかない。ここに並んでいる人はかなりの数だった。
 だが、そのグループは列の方をチラチラ見ながら小声で話をしている。
「なんか、不穏…」
 黒木が呟いた。確かに、ケンカを吹っかける直前にああいう行動をする者もいる。黒木は不安げに弥帆に近づいてきた。
 弥帆は視線を周囲に巡らせた。こんなところでケンカなどされては迷惑だ。近くにいるだけで十把一絡げで警察に連れて行かれたりする事だってある。避難できそうなところの目星をつけておく。
「?」
 そういうグループはほかにもあるようだった。どれも、列のある部分に視線を投げては小声で話をしている。
「誰かいるのかな」
「こんなに一杯」
「一般人じゃなくて」
 黒木とはちょっと波長が合わない。悪い子ではないのだが、なんだか話がかみ合わない感じがする。
「有名人がさ」
「マジで?!」
 そのグループの誰かが意を決して話しかけたらしい。妙に甲高い声で、ふざけた調子だったので、弥帆は一瞬、寒気を感じた。
「え、誰?」
「木田隆介」
「木田?」
「ほんと? あの木田?」
「あ、あたしも聞いたことある」
 騒然となった。
「うそ!」
 黒木が飛び出しそうになる。
「ちょ」
 弥帆は慌ててその腕をつかんだ。
「ダメだよ」
「だって、木田隆介ですよ。あたし生で見るの初めてかも」
「やめな。みんな興奮してる。危ないよ」
「でも」
「なんのためにあたしを呼んだの?」
 それを言うと黒木も大人しくなった。ただ、視線は、未練たっぷりにその群集へ注がれていた。
「で、誰なの、それ」
「え、知らないんですか?」
 知らないから聞いてるんだよ、と言いそうになったが我慢した。
「脚本家ですよ」
「GGG の?」
「いえいえ、フリーの人なんですけど、最近、GGG と一緒にやりたいってアプローチしてるって噂です」
「へぇぇ…あ」
「どうしたんですか」
「いや、なんでもない」
 思い出した。父に連れて行かれたパーティで見たことがある。いや、会わされたのだったか。何のパーティだったかは忘れたが、ミズシマ・スポーツがスポンサーをやった番組の脚本を書いている、とかいう話だった。とすると、忘年会か何かだろうか。向こうが覚えているかどうかはわからないが、黒木を止めたのは、別の意味で正解だった。
 木田は質問攻めにあっていた。
「人気者なの?」
「いえ、まだ GGG の舞台の脚本は」
 別に GGG と絡めた話を聞いているのではないのだが。
「でも、あんなに騒がれてるじゃん」
「それがですね」
 黒木の目が輝いた。何かスイッチを押してしまったらしい。
「あの人の脚本って、猛毒なんですよ」
「猛毒?」
「もう、当たるを幸い、千切っては投げ、千切っては投げって感じで」
 言いたい事はわからないこともない。
「あまりに毒性がキツくて上演中止とか、打ち切りになることもあるくらいなんです」
 そうだった。パーティから帰った後、父親の征一が、もう少し一般受けする内容を書いてくれれば、次のシリーズをやらせてもよかったんだが、と言っていた。ミズシマ・スポーツは、風刺が強烈過ぎるから木田を下ろせ、というクレームをつけたのだ。ますます、顔を合わせ辛いことになってきた。
「でも、それって GGG の芸風と会わないんですよね」
「…そうだね」
 小学生のマンガに風刺を突っ込んだら大変なことになるだろう。弥帆は結局、そのドラマは見ていないのだが、それくらいは想像がつく。
 木田は GGG の関係者としては認められていない。一緒にやって欲しいとは思っていないファンも少なからずいる。有名人を見つけたことでそこに集まっている人たちと、無関心を装いつつ気持ちだけはそちらに行っている、という人たちとに別れるのはそういうわけだ。
 係員が走ってきた。警備員もいる。声を枯らして、列にもどれ、番号順に並べ、と叫んでいるが誰も耳を貸さない。
「あー、みなさん、みなさん!」
 木田が声を上げた。さすがに人前慣れしている、ということか、よく通る声だった。
「お静かに、お静かに。
 生産的に時間を用いる方法をお持ちでない貧しい方々であることは想像に難くないのですが、係の人が困ってるようだ。ここは列に戻ってください」
 列がざわめく。貧しいと言われて不愉快に感じている人々と、むしろその毒舌を楽しみにしている人たち。笑い混じりに、バカにすんなよぅ、という声が聞こえた。
「ありがとう。
 まぁ、ここはみなさん、愚者は愚者なりに節度を保ちましょうよ。
 住む世界が違うとは言え、僕と皆さんは GGG を愛する同士だ。楽しく今度の舞台を見るためにも、ここは静かに待ちましょう。あんまり世間をお騒がせしては、僕の大好きな GGG の看板に傷がつく。それはちょっと看過できない」
 難しい単語がいくつか。は? と思っているのは弥帆だけらしい。黒木が、「見逃すってことですよ」とささやいた。
 そのせいかどうか、眉をひそめていた人たちからもいくらか笑いが漏れた。あるいは、またはじまった、ということで「見逃す」ことにしたのかもしれない。
「まぁ、この僕の事はうっちゃっておいてください。忙しい身です。こうして並びながら、次の脚本の企画を練ってるんですから」
 誰かが、GGG の?! と叫んだ。
「慌てないでくれ。
 それに、これは企業秘密だ。YES も NO も言えない」
 楽しみにしてるぞ、という声。
「じゃ、みなさん。並んでください。まだ販売開始までには時間がある。最近の若い者は体力が落ちているらしい。あまり見栄を張って騒がないことだ」
 群集は本当に、それぞれの位置に戻り始めた。何人かは木田に握手を求めたり、サインを求めたりしていたが、大半は大人しく列に戻っている。
 今度は、別の声が聞こえた。どうやら係員が、木田だけを中に入れようとしているようだった。相手は有名人である、今のような騒ぎも避けたいだろう、それも無理からぬことではあった。
 木田は、業界人らしく、芝居はこうして並ぶときから始まってるんだ、などと言っていたが、係員が何度も繰り返すと、声が変わった。
「君は、僕の楽しみを奪うつもりか」
「は、いえ…」
「僕はチケットを一枚、買いに来ただけなんだ。特別扱いされる謂れはないよ」
「…。
 あ、申し訳ありません」
 一喝されて係員が下がる。その毅然とした態度に、周囲から拍手が起こった。
「すごい人ですねぇ。
 言う事はちょっとむかつくけど、今のはなかなか骨があります」
 黒木が言った。
 弥帆には単に格好をつけているようにしか見えなかったが。
 あまり視線をやらないようにする。会ったのは一度だけだから、向こうが覚えている可能性は低いが、「業界人」は妙に人の顔を覚えていたりすることもあるらしい。今の様子を見れば、木田と面識があるなどとこの連中に知られたら、不愉快なことになるのは間違いがなかった。

「あれ、木田隆介」
 数日後、ベースの練習を終えてシャワーを浴びた弥帆がテレビをつけると、その木田の顔が映った。
「げ、こないだの」
 あの後、7 時前にテレビカメラがやってきた。それは単に、今話題の GGG のチケットを買おうと並んでいる人々、というようなどうということのない取材だったのだが、誰かがスタッフに耳打ちしたのに違いない、木田の姿が発見されて、取材の内容は急遽、切り替えられた。おかげで弥帆や黒木の顔が映る事はなかったのだが、ちょっとした騒ぎになった。
 リモコンのボタンを操作して番組名を出してみる。どうやら時事問題をネタにしたバラエティらしい。それなら、GGG を取り上げて、木田をゲストに呼ぶのも納得できる。
 長い髪を乾かしながら見るともなしに見ていたが、今回のテーマは成人年齢のようだった。どうやら政府でも公式に、18 歳で成人を認めるべきかどうかについて研究を始めたらしい。
「木田って 18 歳派なのか」
 それはきっと、毒舌がどっちに向くのか、という話なのだろう。決して、今の若者を手放しで褒めたりはしていないが、主な攻撃対象は大人のようだった。今の未成年たちを社会参加させて、すこしでも「年寄り濃度」を下げるべきだ、と熱弁を振るっている。
 バラエティ番組のせいか、大人側のゲストの反論は、どちらかといえば茶化しているようにしか聞こえなかった。あるいは、その俳優は人気脚本家に反対することができないのかもしれない。
 司会者が何度も強調していたが、この話に関係が深いと思われる文部大臣の荒井という議員は出席もコメントも拒否したのだそうである。
「それもどうよって感じ」
 弥帆にはどうでもいいことだった。たった今、成立したとしても、二年早くなるだけである。早くなったところでいいことがあるとも思えなかった。

 更に数日。
 黒木は、その公演が終わった翌日、律儀にも弥帆に電話をかけてきて礼を言った。弥帆が代打になった友人も電話口に出て長々と礼を言った。それを邪険にするのも気の毒なので携帯電話を耳から離して適当に相槌を打つ。
 それはおそらく、弥帆に対するお礼が目的なのではなく、大好きなコント劇団の公演を見た余韻によるものだろう。弥帆は、そんなに面白いかなぁ、と呟きながら電話を置いた。
 暇なのでテレビをつける。
 弥帆はここ数日、家に閉じこもっていた。暑くて出かける気がしない、というのもあるが、ここのところ出歩いてはトラブルに巻き込まれている。しばらく大人しくしていようと思った。
 今となっては野口の事はどうでもよくなってきている。もとより年齢差の問題はあるし、どうやら本当に住む世界の違う相手らしい。もともとあったかどうかわからない恋愛感情だが、きれいに消えてなくなっていた。
 その野口は、いつも穏やかな口調だったからともかく、その仲間らしいあの女の殺気。あれは本物だった。
 弥帆も色々な相手とケンカのようなものをしてきたし、その中には殺気を感じるほど強い者もいたが、それとは異質だった。相手を痛めつけることに喜びを感じる者は世間が思っているよりはるかに多く、何度も冷や汗をかいてきたが、あの女は違うと思った。それを楽しむ種類の人間ではないが、必要があれば計算の上で実行する、そういう感じだった。
「いい男なんだけどね…」
 おそらく野口もそういう人間なのだ。
 どう考えても上手く行くはずがない。
 失恋を認めるという痛みより、本当に危ない、洒落にならない、という理性の声が勝っていた。
 ぼんやりと考えに沈んでいた弥帆だが、耳障りな音に顔を上げた。テレビでやっていたのはニュースバラエティ番組だったが、「速報」という字が踊っていた。
 下らないことを仰々しく盛り上げるのがこういう番組の常だ。逆に不快感を呼び起こされてテレビを消そうとしたが、その手が止まった。
 人が死んだらしい。
 イチカワ研という名前には聞き覚えがあった。
「GGG のリーダーじゃん…」

Ver.1.0: 2008/8/17

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