余波は続いている。
コーラルエレクトロニクスという会社の社長が自殺した。ミカミエレックの炊飯器がリコールされたのは、タイマー周辺に問題があり、最悪の場合には発火する虞があるからだが、そのタイマー部品を供給したのがコーラルエレクトロニクスである。不良品だったのではないか、という疑いがかけられ、まもなく事情を聞かれることになるだろう、という話が出た矢先のことだった。
弥帆は、新聞から顔を上げると、ソファに寄りかかり、天井を見てため息をついた。
「何も死ななくたって…」
仮に部品に問題があるとしても、結局、発火事故は起こっていない。ご飯が炊けなかった、という苦情は多かったが、それだけだ。
「会社がつぶれちゃうのかもよ」
「え?」
理枝が横からジュースの入ったグラスを突き出した。起き上がってそれを受け取る弥帆。
家で新聞を読んでいるとからかわれるようになったので、兄がいるところでは読まないようにした。その分、理枝の家に遊びに来たところで詳しく読んでいる。学校の図書館に行くこともあるが、そういうときの周囲からの視線もなんだか家にいるときと同じような気がする。
「火は噴いてないかもしれないけど、そういう可能性のある部品を出荷しちゃったんだし。ミカミからは出入り禁止を食らうかもしれない」
「んー…」
「こういう小さなところは、大きい取引先から切られちゃったら立ち行かない、ってところは多いよ」
「死んでお詫びしますから、会社をつぶさないでください、なの?」
「そんな感じ」
「納得できない」
「もうちょっと大人になんな」
「これに納得できるくらいだったら、大人になんかならなくていいよ」
「ピーターパン症候群?」
「はい?」
理枝は弥帆の向かい側に座った。面白がっている。
「あたし達の頃、そういう、大人になりたくない連中のことをそう言ってた」
「なんで?」
「なんで…って、あんたピーターパン知らないの?」
「緑色の服着て、空飛ぶ人、くらいしか」
「ダメだこりゃ」
頭を抱えてみせる理枝。
「どういう育ち方したんだか」
「ガサツですいませんね」
「情操教育ってものがなってない」
「あたしは音楽愛好者だよ」
「ロックでベースってのを情操教育だと思う人は、そんなにいないと思うよ。まして社長令嬢なんだし」
「別になりたくてなったわけじゃないもん」
「弥帆」
いつもはふざけあっている二人だが、理枝はこういうときには真面目になる。色々な経緯はあるが、征一は征一で、真面目に弥帆を育ててきたのだ。
「ピーターパンの話くらいでシビアにならないでよ」
「水島社長はね」
「別にケチなんかつけてないでしょ。
あたしの二人目の父さんであることまでは否定しないよ」
「弥帆…」
彼女は自分の生みの親の顔を知らない。
自分は水島弥帆だと信じてきた、いや疑う理由などなかった。水島が自分の生まれた家だと思って育ってきたのだが、中学に入った年に、もう大人の仲間入りなのだから、と真実を告げられた。お前は、この水島家の娘ではない、本当は浅海 弥帆 (あさみ やほ) なのだ、と。
弥帆が自分の気持ちをもてあますのは当然であった。生みの親の死に、育ての親が関係を持っている。事実はそうではないらしいが、こいつが実の親を殺したのだ、と考えることがあったとしてもまた当然だった。
既に弥帆は清真学園中等部の生徒だったが、素行不良、出席日数の不足を理由に退学を勧告され、公立の中学校に移った。そうした環境の変化も往々にして事態を悪化させる要因となるが、その頃に出会ったのが、福原理枝だった。
本人がそう言っている通り、昔「スケバン」であった彼女には、弥帆の気持ちが手に取るようにわかった。むしろ、理枝の「素行不良」は単なる遊びだった、とすら思える。勿論、出会った頃には正面衝突をし、どちらの家にも言い訳の難しい怪我をしていたものだったが、そうしたことの積み重ねによって、二人は「友人」となる。
落ち着きを取り戻した弥帆は、さすがに言葉遣いや行動パターンは既に直しようがなかったのだが、「素行不良」が単なる「粗暴」になるころから、最低限の勉強をするようになり、やがて入学試験を経て、清真学園高等部の生徒となる。「出戻り」であることも、校内における彼女の立場を微妙なものにはしたが、その「粗暴」が更に丸くなり、やがて、清真には珍しい「頼れる姉御」というポジションにつく。
「俺には、できすぎに見える」
「できすぎ、ですか…」
野口の言葉を宮嶋が繰り返した。
社長の自殺は自殺だが、コーラルエレクトロニクスがミカミエレックに納品したタイマーが発火の危険性を持つに至った事情もまた調査の必要がある。通産省の役人などが入って、工場敷地内の立ち入り検査をしたが、現在の設備は確かに不良品のタイマーが製造されるような構成になっていた。調査担当者達は証拠をつかんだも同然と考えているようだった。
「それはつまり、毎日の操業記録などが改竄されている、ということだろう」
「はい」
「工員たちの反論はどうはまる」
「はまりはしませんが…」
「そのタイマーに関わった全員が虚偽の証言をしている、ということになる」
「5 人もいません。ありえないことでは」
「宮嶋、我々は警察でも通産でもない」
「あ、はい…」
野口の指摘に宮嶋はうろたえた。
「後藤がなぜミカミを選んだのかはわかるか」
「手ごろな規模だったからだと」
「それは確かにある。
だが、ミカミのメインユーザーは若年層だったことも忘れるな」
「あ、はい」
大規模メーカーの製品にくらべて、わずかに劣る程度の性能と品質を持ち、安価な家電製品を購入するのはやはり経済的に弱い若者層であった。
大人たちは、金があるというのも一つの理由だが、やはり保守的になってしまう。どうしても名の通ったメーカーの製品を買う。しかし若い世代は、例えば炊飯器なら、ご飯が炊けさえすればいい、と考える。また、大学入学や新卒で社会人になるときなど、生活を切り替える節目には、家電製品を一気に揃えなければならないことも多い。そうなれば安いほうがよい。
オーディオ製品ならわずかな性能の違いにも気をつかうだろうが、冷蔵庫、洗濯機、トースターという日用品であれば、安くてちゃんと動けば、それがどこのメーカーであろうが問題ない。ミカミエレックの一角を支えているのは間違いなく若者たちだった。
「コーラルがミカミに納品した不良品のタイマー。
牧童会議が目指していた、後藤電器によるミカミ買収。
この二つは繋がっている。その視点で物事を考えろ」
「はい」
うつむいていた宮嶋が顔を上げる。若い彼は叱責されてもすぐに回復する。
コーラルには、野口が例として挙げた操業記録の類を除けば、不良品タイマーに関する文書はほとんど残っていなかった。社長が、自殺する前に相当量を処分したらしいことがわかっている。それも、社長のなんらかの背信行為を疑わせる材料となっていた。
その動機はまだわかっていない。ありうるとすれば、ミカミのコスト削減要求が厳しかったのではないか、という程度である。全く達成できなければ切られてしまうだろうが、あと一歩、というところであればミカミも契約解除などはしない。しかし、ミカミと契約している間は、他の家電メーカーと大口の契約関係を結ぶのは難しい。そのことがストレスになったのではないか、切ってもらうように仕向けたのではないか、という意地の悪い観測もあった。警察は、個人的な怨恨という線を洗っている。
「ところが、ミカミがリコール隠しをしたせいで、思った以上の騒ぎになってしまった。それで自殺、というわけか」
「今更ですが、巧妙に計画されているような感じがします」
「そうだな。
ミカミの幹部はどうだ」
「柴崎という平の取締役をメインに追ってます」
社長の退陣と同時に、総務部門を除いた取締役全員がなんらかの処分を受けている。降格で済んだ者もいたが、製造部門担当の柴崎は、調達担当のもう一人と一緒に、責任重大ということで解任となっていた。
この柴崎が、ミカミ買収のために内部から働きかけていたのではないか、と野口達は考えている。
「リコール隠しの直接の責任を負うことになる。
普通なら行くところはない」
「今、後藤電器との接点について洗いなおしています」
「出そうか」
「今のところは…ちょっと」
「誰もいないじゃない」
「弥帆さんのおかげだったりして」
「…。
何言ってんの」
三上春香は首をすくめて笑った。弥帆よりもよっぽど社長令嬢らしい仕草だった。
彼女はどうやら「弥帆信者」になってしまったらしい。春香の友人二人もそうなのだが、学校で見かけると「弥帆さーん」と手を振ってよこす。
弥帆にしてみれば、父親の会社がリコール隠しで叩かれ始め、それが原因で不登校になりかけたところを、父親と直談判、娘を泣かすな、と怒鳴りつけただけである。確かにそれは感謝されてもいいことかもしれないが、その結果、父親は退陣を決意したのだ。
世間はそれをプラス評価、株価は落ち着きを取り戻し、矢島グループという後ろ盾がついたのも喜ばしいことなのかもしれないが、弥帆としては「引導」を渡してしまったような気持ちである。どうしても後ろめたい感じがぬぐえない。
三上が退陣時期の目安として設定した「回収率 70%」には既に到達している。日程も決まり、三上はまた会社に泊り込みで後片付けや引き継ぎ作業をしている。弥帆は、着替えや身の回りのものを運ぶ春香の護衛としてミカミエレックに来ていた。
前と同じように、メディアの人間がうろうろしているかもしれない、と言われ、そういう時期ならそうかもしれない、と思ってついてきたのだが、拍子抜けするほど静かだった。世間の興味はもうミカミから外れ始めているらしい。
受付に行く。受付嬢は社長の娘に対しては丁寧に頭を下げたが、弥帆の顔を見ると、やや強張った表情になった。弥帆は、別にあんたを脅したわけじゃないだろうが、と言いたかったが黙っていた。もうすぐいなくなる社長の娘、というのは中々微妙なポジションではないだろうか、と思ったからだ。妙なことをすれば、春香に迷惑がかかる。
「お父さん、着替え持ってきたよ」
机の上で何かを書いていた三上が顔を上げた。
「おぉ、春香か。すまないな。
あ、水島さん」
ボソボソと、どうも、と言って会釈。
「すいませんね、娘につきあわされてるんでしょう」
「弥帆さんは、私のナイトだから」
「それ、男」
弥帆が言うと、春香はまた首をすくめた。苦手とは言わないが、弥帆と波長の合う相手ではない。理枝とガンガン言い合っているほうが楽だ。いや、それを言えば、清真学園自体が弥帆とは合わないのかもしれないが。
「先日はどうもありがとうございました」
三上が言う。だから、それはやめてくれ、と思うのだが、その表情が晴れ晴れとしているのには気づいた。退場間際の社長の顔ではない。
「娘から聞いたのですが、ミズシマ・スポーツの水島征一社長のお嬢様だとか。
道理でおっしゃることが立派だと思いました」
何が「道理で」なんだか。血も繋がってないのに。弥帆はそれも我慢した。
しばらくそういう世間話に付き合わされる。弥帆を助けたのはノックだった。三上が許可を与えると、入ってきたのは三上と同じくらいの年の男だった。
「柴崎君か」
「最後のご挨拶に伺いました…」
深々と頭を下げる。
その様子から、同じようにやめていく人間なのだろう、ということは弥帆にも見当がついた。こちらは、三上とは対照的に精彩がない。
「じゃ、私、帰るね」
春香に続いて社長室を出る。柴崎とぎこちない会釈を交わした。
また一階へ。春香は、三上と交換した鞄のバランスが悪い、と待合室のソファーの上で口を開いた。下着が飛び出してくるような事はなかったが、中の物の場所を入れ替えている。
(なんで楽しそうなんだよ。
あんたも、あんたの父さんも)
迷いがなくなった、ということなのだろうか。そういえば、社長をやめた後どうするのかを聞いていない。会長と言っても、不祥事を受けての退陣だ。威張って高給を取れるとは思えない。普通なら、別の会社の名誉職についたりするのだろうが、この場合はやはりそう簡単ではないだろう。
「ごめんなさい。終わりました」
二人してビルを出る。
頭を上げると同時に踵を返す影があった。柴崎のようだった。それは、今まで世話になっていた会社に対する最後の礼だっただろうか。
(にしては…)
そのまま歩いて行く。やがて地下鉄の階段に消えた。
(早くない?)
感傷のかけらも感じさせない足取りだった。
「あの人、いつもあんな感じ?」
「私、会ったことないんです。お父さんの話に出てくるくらいで…」
あるいは、詰め腹を切らされた、とでも思っているのだろうか。社長の前では神妙な顔をしていたが、ビルを出てしまえば、赤の他人、もう終わり、ということか。
(再就職先ってことで言えば、あっちのおっさんの方がきびしいのかもね)
感傷に浸っている暇などないのかもしれない。
「コンサルタント…」
野口と宮嶋は頷きあった。
コーラルエレクトロニクス社長は、自殺する直前、コンサルタントと弁護士に相談しようとしていたらしい、ということがわかった。口ぶりでは、当てもあったらしい。だが、それがどこの誰かは名刺ホルダーをひっくりかえしてもわからなかった。おそらく、「自殺」のときに処分されたのだろう。
「つながりましたね」
「タイマーに関する文書を持ち出したのは社長だ。参考にするから持参しろ、とでも言われたのだろう」
「そして、そのままコンサルタントが預かった」
「自殺させるのと並行して工場に侵入、内部の機械をいじって、不良品製造工場にしたてあげた。
操業記録が改竄されたのではなく、工場設備のほうが変わっていたんだな」
「え、不良品を作ったのではないのですか」
「牧童会議の存在をうかがわせる存在は少ないほどいい。それはわかるか」
宮嶋はまたミスをしたことに気づいた。返事の声にも力がない。
「会議が、コーラルのような小さな会社を相手にする事はない。つまり、今回の計画を実行するために、コーラル内部に人間を送り込むような真似はしない。
コーラルには会議の意向を受けて動いた人間はいない、と考えるべきだ」
「しかし、それではどうやって」
野口の目に厳しさが加わる。
「要は、ミカミが不良品をつかめばいい」
「ミカミが…」
宮嶋は、ハッとして資料をひっくり返した。
「配送中に入れ替えたんですか」
「業者の名前を見る限り、それは困難なことではないな」
牧童会議に名を連ねている運送会社だった。
「クレームの件が明らかになり、世間の目がコーラルに向きかけたところで、悩みを抱えている社長に近づいた。
下手なことをすれば会社がつぶれかねない。藁にもすがる気持ちだった社長は、そのコンサルタントとやらの言うままに社内の資料を提供した。
奴らはそれを元に工場に侵入、資料と社長を処分した。
証拠はなくなり、代わりに、背信行為を疑われる自殺者が出た」
宮嶋の視線が落ちる。自分のミスで落胆したのではない。
「工員達は嘘は言っていないんですね」
「しかし、証拠はない。
現在の設備では不良品ができてしまう、という逆の証拠だけが残っている」
工場に侵入したときの痕跡を今になって探しても無駄である。警備システムはあるようだが、その対策は当然、とってあっただろう。
「警察に入れ知恵してみるか」
「しかし、向こうは我々のことを」
「それは何か手を考えろ。
工員達が問題だ」
「このままでは虚偽の証言ということになってしまいますね」
「命の心配はないとは思うが…」
「いくらなんでも!
社長に続いて工員たちまで自殺ということになったら、人目を引きすぎます」
「あぁ。
それは置くとしても、そのコンサルタントと弁護士に関する情報は会社にはない。残っているとすれば、社長の自宅だろう。それだって怪しいものだが、急ぐ必要がある。警察にも調べてもらったほうがいい」
「わかりました」
今日は食事に招待された。また居心地の悪い時間をすごすことになるのかと思うと、弥帆は憂鬱だった。
だが、これが最後だ、ということは既に春香に言ってある。礼を言いたい気持ちはわからない事はないし、先輩後輩としての付き合いをやめるというのでもない。だが、度を越している、と思う。三上が今後どうするつもりなのかは、今夜の席でも話題に上るだろうが、仕事が決まっていないのであれば、人を招待してホームパーティなどやっている余裕もないはずだ。
(あるのかな…)
一応、小さくない会社の社長だ。すぐに生活に困ることもあるまいが、これから一生、何もせずに暮らしていけるほどの金持ちだとも思えない。これまで何度か、自分だって社長令嬢だ、知ってるものは知ってる、などと啖呵を切ってきたが、それは多分に「はったり」である。三上家の財政状態の見当はつかなかった。
家には、友達のところへ、とだけ言ってきた。父親は先日、ミカミを信用できない会社といって炊飯器を買い換えさせたばかりだ。社長の退陣と株価の持ち直しをどう評価したかは話題になっていないが、あまり言いたいことでもなかった。そもそも、どこであれ、「社長」の子女との付き合いとなると、ゴチャゴチャ言われるのは間違いないところである。
手ぶらではまずい、ということはわかる。例の二人の友人も招待されているらしいのでケーキあたりが適当なのだが、招待者は三上である。であれば、和菓子か。だが、そうなるとどういう料理が出てくるのかを気にしなければならなくなる。そこで面倒くさくなった弥帆は花束ということにした。三上が花を愛でるタイプかどうかは知らないので、その点ではケーキと大差ないが、今回の退陣を「卒業」と捉えるなら、そう悪くない選択のはずである。
聞いたとおりに角を曲がると、弥帆は立ち止まった。門の前に男が立っている。柴崎だった。
(今日はくたびれてるな…)
ミカミエレックで二度、見た。三上社長に挨拶にやってきたときには影も薄かったが、ミカミのビルを出た後は、颯爽と言ってもよさそうな早さですたすたと歩き去った。どちらが本物の柴崎なのかはわからないのだが、今の柴崎は最初に見たときよりもさらに弱々しかった。
柴崎は何度かインターホンに手を伸ばしたが、結局、ボタンを押さずに歩き出した。
(…)
余計なお世話である事は承知している。あるいは、また病気が出てきたのかもしれない。同じように逡巡した挙句、弥帆は花束を門柱にたてかけると柴崎を追いかけた。
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