拠点での毎日に慣れてくると、最初こそ「偉いなぁ」と思わないこともなかった早朝の訓練の声がうとましくなってくる。寝つきが悪くなった分、朝の寝起きも悪いのだが、それで起こされると、持って行く場所のない怒りがこみ上げる。
食事が運ばれるわけではないし、トイレに行くこともあるので、部屋に閉じこもっているわけには行かないのだが、弥帆はそれを人がいない時間帯を狙ってやるようになった。優しい風魔の人々は、体調が悪いのですか、と聞いてくれ、口の中でモゴモゴと返事をすると、そうなのだ、と解釈してくれる。
そんなある日、居間の横を通った弥帆の目に、置きっぱなしになっている新聞が目に入った。
弥帆の目を引いたのは、「18 歳成人制本格検討へ」という見出しだった。
手に取る。どうやら公式の検討会を設置して、立法化を睨んで動き始めるらしい。
「…」
弥帆の中で何かが引っかかった。弥帆はそれと、同じ見出しのある別の新聞をつかんで自分の部屋に戻った。
引っかかったのは、木田隆介がテレビで言っていたことだった。
毒舌と、風刺というには厳しすぎる攻撃的な内容で知られる脚本家の木田は、18 歳成人制に賛成していた。社会から少しでも「老害」を排除するにはそれしかない、と言っていた。
しかし、その木田は牧童会議によって殺されている。そのことが原因ではなく、会議の宣伝部隊である GGG というコント グループに近づいたのが理由だが、果たしてその発言が無関係だと考えていいのだろうか。
はっきり言ってしまえば、この成人年齢変更の検討の背後には、牧童会議の意図があるのではないか。
弥帆の勘は当たっていた。
検討会の設置は牧童会議がしかけ、メンバーである政治家や官僚が進めたものである。
木田の発言そのものは偶然、いや、偶然というよりは、木田のような姿勢を持った者なら時折、口にして当然の話題で、木田が会議の計画を知っていたとか、妨害していたという事はない。せいぜい、会議が考えていることに口を出したことが、GGG にコンタクトを取ったことでマークされていた木田の心証を更に悪くした、という程度のことである。
時期がまずかった、ということは言える。今、検討会の設置が始まったという事は、当時はそのための工作が完了するかどうかという微妙な段階にあった、ということである。
会議の方針は、成人年齢を上げるべきか下げるべきかで意見が割れていた。
世論では、上げるべきだという意見はほとんどないが、現在の若者を信用していないという立場からすれば、牧童会議としては上げることも検討する価値がある。
一方、犯罪を起こした者に対する刑罰がその年齢を境に厳しくなることを考えれば、それを下げることによって、軽微な処罰で済んでいる犯罪者に「適切」な処分を下すこともできる。それも会議にとっては「メリット」である。
検討の結果、牧童会議は後者を取った。成人年齢を引き下げ、今、「自堕落」な生活を送っている未青年たちに一定の責任を負わせる方を選択したのである。
成人年齢の変更は、法律の条項を一つ書き換えるだけでは済まない。さまざまな法律が成人と未成年とを区別しているため、その全てを改正しなければならないのである。これは逆に言えば、牧童会議を今、止めなければ、後戻りできない変化が起こってしまう、ということだった。暗闇機関には成人年齢などどうでもいいことだったが、牧童会議の大きな計画が成功し、会議の意のままに物事が進む、という実績を認めるわけにはいかなかった。
野口が弥帆を暗闇機関から出すことにしたのはそれが理由だった。当然、そこはこれから慌しいことになる。作戦と関係のないものをおいておくことはできない。それを言えば、風魔の拠点も同じことなのではあるが、主体は暗闇機関であるということと、ほかに任せられるところがない、という事情もあった。
唯は既に宮崎を離れ東京に来ていた。幹部やリーダーたちとの打ち合わせに忙しい。
「弥帆は?」
それが終わると唯は結花に聞いた。
「部屋に閉じこもってる」
「やっぱりショックじゃったんじゃろうか」
「それだけじゃないような気もするな」
「え?」
「何もないってことが辛いんじゃないかな。
あたしたちは全員、目的を持って活動してるわけだし。
自分は保護されている立場、手伝うこともできない。立場から言っても、性格から言っても、あの子にはキツいと思う」
「そうか…」
唯は弥帆の部屋に向かった。戸を叩く。返事はなかった。
「弥帆、そこにおらんのか?」
トイレにでも行ったか。辺りを見回した唯の耳にかすかな物音。
「おるんじゃな。
入ってもえぇか」
やはり返事はない。しかし、中にいるのは間違いない。
「入るかいね」
戸を静かに引く。人影はない。唯は中に入った。
「!」
と同時に戸が閉まり、唯の首に腕が巻きつけられた。
「なんの真似じゃ」
唯が低い声で言った。腕に力を入れる。
「動くな」
唯は腕を下ろした。
「あんたたち、何をやってる」
「何のことじゃ」
「ここんとこ、なんだかバタバタしてる。何かやろうとしてるんじゃないの」
「ここは道場じゃ。バタバタするのはいつものこと――」
「道場は静かだよ。
賑やかなのは人の出入りと電話の音だ」
そこまで観察していたか。
「たまにはそんげなこともある」
「成人年齢の件、牧童会議がしかけたの?」
羽交い絞めにされたまま唯の目が大きく開いた。
その程度のことなら新聞でもテレビのニュースでもわかる。だが、「関係者」である弥帆にとっては、そのことと牧童会議とを結びつけることも難しくはなかった、ということだった。
「それを聞いてどんげする」
「決戦に持ち込む気なんだろ」
やはり、ここで保護したのは失敗だったらしい。尤も、だからと言って、牧童会議の手の届かない安全なところ、しかも、暗闇機関や風魔からは離れていて、なおかつ、ショックを受けていた弥帆を見守ることができる場所には、唯も野口も心当たりはなかったのだが。
「じゃから、こんげなところでケガするわけにはいかん――うっ」
弥帆は唯の首を更に絞めた。
「今日中に解決するんだったら大人しくしててもいい」
「バカなこと言うたらいかん」
「あたしには親も兄弟もない。たった一人の友達もいなくなった。あたしには何にもないんだ。
たった一つ、『将来』って奴を別にすればね」
唯の目が弥帆を追う。真後ろではそれも叶わないが、今の弥帆の顔を見たい。今、弥帆が言おうとしている事は、瞳と瞳を見つめあいながら聞きたかった。
「あんた達が失敗すれば、あたしはそのうち、会議に殺される。だったらそれはどうでもいい。
でも、もしあんた達が成功したら、あたしはあんたたちのお膳立てした将来を生きていくことになる。
それは」
言葉が止まる。
「大して変わらないことなんじゃないのか」
やはり。唯の中に、絶望と、かすかな喜びが生まれる。やはり弥帆は「麻宮サキ」だったのだ。
「牧童会議がつぶれても」
唯は喉から言葉を押し出した。弥帆の力がかすかに緩んだ。
「あんたがその場にいた事は、裏の世界に知れることになる」
「…」
「万が一、生き残りがいれば、あんたを恨むじゃろうし、全く別の悪い奴らが、そういう実績を持ったあんたを兵士として使おうとするかもしれん。
あんたの大事な将来が、そんげなことになってもえぇのか」
「なんとかする」
「弥帆」
「二代目は弁護士として活躍してる。
あんたみたいに忍者の頭領にならなくたって、なんとかすることはできる」
「本気か」
「本気だ」
「死ぬ覚悟と、殺す覚悟はあるんか?!」
「…」
「今の躊躇はなんじゃ。あんたは、本気で」
「会議の連中を殺してどうする。生きたまま捕まえて洗いざらい白状させなきゃしょうがないだろう」
「向こうはこっちを殺す気で来る。それには」
「だったらやるよ」
「弥帆」
「ほかに方法がないんだったらしょうがないだろう!」
「本当じゃな」
「しつこいね、あんたは」
「わかった。
説明しちゃる。放しちくり」
弥帆はゆっくりと腕を緩めた。唯は首をさすると、弥帆に向き直った。
「もう大丈夫じゃよ、結花姉ちゃん」
「?」
と困惑していると、戸が開いた。結花と、部下が二人。結花は、組んだ腕の指先に折鶴を挟んでおり、部下は短い刀を手にしていた。
「仮にも風魔の頭領をしめあげた度胸は買うけど。
ちょっと修行が足りないみたいね」
「お願いいたします!」
征一はその場に膝を折り、両手をついた。
「やめてください、水島社長」
男は姿勢を変えたりせず、征一を見下ろしながら言った。
「お願いします、議長!」
床の絨毯に額をこすりつける征一。「議長」と呼ばれた男は、不快そうに、真っ白な眉をわずかに動かした。
そのまま数十秒、二人は沈黙していた。
「気が済みましたか、水島さん」
のろのろと顔を上げる征一。「議長」の冷たい視線が待っていた。
「全国に名の知れた、あの『ミズシマ・スポーツ』の社長が土下座をしたのです。
あなたは、義理の父親として十分に責任を果たした、そう思いませんか」
「議長…それでは」
「無理です。
あの少女を生かしておく事はできません」
「お願いです!
弥帆は私が命にかけて矯正いたします。なんとか、命だけは」
「水島社長」
男は鋭く征一を見下ろした。
須藤重喜。財界の重鎮、総合経済人連絡会議の名誉会長として、それこそ全国に知られている。
そして、「牧童会議」議長。
「よりよい社会」の構築を理想とし、それを推進する者と、推進するための道具とに人々を二分する組織。その最高位にいる。
「あなたは取引の材料をお持ちでない」
須藤はわずかに下がると胸ポケットからシガレットケースを引っ張り出した。白い頭髪と、紙巻タバコの白さが薄暗い部屋で浮かび上がっている。その細長いタバコと、年の割に長身のスタイルもまた同じように目を引く。
銀色のライターで火をつけ、深く吸い込む。会議テーブルの上にある灰皿に灰を落とした。
「あの少女をここに伴っているのであればまだ検討の余地はあったでしょう。
私が直々に尋問し、矯正の可能性があるものかどうか判断することもできたかもしれません。
だが、あなたは『ファイヤーバード』だけでなく『シェパード』まで動員したというのに、その逃亡先を解明させることができなかった」
「猶予を。
いま少しの猶予を」
「それはあなたの問題ではないのかもしれません」
意外な言葉に征一が顔を上げた。ガラス張りの傍聴席からわずかに漏れる光に、須藤のシルエットがにじんでいる。
「ファイヤーバードもシェパードも、優秀な兵隊達です。それでも見つけることができないのだとすれば、あの少女はやはり、『暗闇機関』の手に落ちたのではないか、と考えざるを得ない」
「まさか、そんな。
あの子に、暗闇機関などと接触することができたとは」
「この問題は既に議論済みです。あなたもそこにいたはずですね、水島社長」
「…」
「彼女は『麻宮サキ』を名乗り、ヨーヨーを使い、私たちの計画を妨害した」
「それは、あの子の、悪ふざけ…」
「それを、牧童会議上級理事たるあなたの家で暮らしている間に成し遂げたのです。
並大抵のことではないと思いませんか」
「それは、私が…」
「あなたが指示したのですか?」
「ち、違います。
それは断じてありえません!」
両腕を床に突っ張り、しかし顔を上げて反論する。
「わかっています。
最初にこの情報が舞い込んだときに、調べました。
あなたが牧童会議を転覆させるために養女をもうけそのように育てたのではないか」
「議長!
それはあまりです。
私が、会議に弓を引くような真似をする事など、絶対に」
「ですから、わかっている、と言ったではありませんか。
であればやはり、あの少女には外部からの働きかけがあったのだと思うしかない」
「それは…」
「そうなってしまった以上、抹殺するしかないのです。
冷静に考えなさい。
水島弥帆はすでに、われらが牧童会議に弓を引く存在。暗闇機関と同じ存在なのだということを認めるしかありません」
「しかし…。
そこを…」
「では聞きましょう」
須藤は再び、征一の前に立った。
「牧童会議が掲げる理想、百年の、いや、千年の計。
あなたとは血のつながりのない未成年。
どちらを取りますか」
征一はうつむいた。
「考えていますね」
上から覆いかぶさるように体を曲げる須藤。
「まさか、牧童会議を捨てる可能性がありうる、とでも」
「いいえ!」
顔を上げる。征一はすぐ目の前に現れた須藤の顔に怖じることなく視線を返した。
「両立することを考えているのです。
弥帆を取り戻し、正しい道を教え、将来は、牧童会議のために働かせる方法を考えているのです!」
「不可能です。
今、成人年齢について検討を加えているところなのはあなたもご存知でしょう。
数字については異論があるにしても、人間はある一定の年齢になると矯正ができなくなります。まして彼女の場合は、そもそも出生の環境が指導者層のものではない。そのほころびが出たのかもしれません。
ここまでの悪事を働いた者に矯正など無意味です」
「議長、それは」
「あんまりだ、と言うつもりではないでしょうね。
それならば、後藤電器の計画が潰えたことを、あなたはどのように償うのですか。
さきほども言ったはずです。あなたは、取引材料も持たずに懇願しているだけです。そのような感情に左右された言葉で、牧童会議を動かす事はできません」
「しかし、議長!」
征一は膝を着いたまま、前に進み出た。
「肉親の愛情を蔑ろにすることが、牧童会議の理想に合致するとは思えません。
なにとぞ、再考をお願いいたします!」
絶叫しながら須藤の靴に額をこすりつける。
だが、須藤の表情に、更に濃い不快感が現れただけだった。
チャ、と小さな音がした。
「議…長?」
「おしまいです。
あなたは牧童会議の理想に異議を唱えてしまった」
須藤は征一の後頭部にハンカチを載せると、そこに小さな拳銃を押し付けた。
今度は、ブ、と何かが震えた。
「電話のようだ。
心配は無用です。あなたを処分した後にすぐに出ますから」
言葉の通り、須藤は素早く引き金を引いた。破裂音に続いて、征一の体が絨毯の上に崩れ、広がった。
更にその直後、会議室の入り口にある赤色灯が回った。
「何事だ」
では、今の携帯電話はその連絡か。須藤は銃を征一の体の上に投げ捨てると、出口に走った。
大きなドアが開く。
「どうした、何が――!」
須藤はそこで足を止めた。
そこにいたのは、野口、宮嶋、暗闇機関のエージェントたちだった。複数の銃口が須藤に向いた。
「水島征一を殺したのか」
「なんのことだ」
「貴様の事は、重鎮であるだけに別件逮捕も難しかった。それで今まで手を出せずにいたが、これで堂々と逮捕できる」
部下達が取り囲んだ。
見れば宮嶋の背広の肩口には血がにじんでいる。もう一人の部下は、白いワイシャツに返り血が飛び散っていた。
ビルの入り口は零と京を中心にしたチームが押さえている。一気に突入したチームが素早く各フロアを鎮圧していた。
須藤は落ち着いた表情で言った。
「窮鼠猫をかむ、というわけだ。
思い切った真似をしたものだな。
その思い切りが自分の首を絞めることになるぞ」
「もっと早く思い切るべきだった、と思っているくらいだ。
犠牲者を一人、出してしまったからな」
「一人…?」
野口が今日を選んだのは、須藤と征一の会談が行われるからである。元々、このビルに部外者が招かれる事は多くはないが、そうした場合の警備体制と、メンバーだけがいる場合の警備体制の違いを考えれば、比較の問題とはいえ、後者が緩い事は間違いがない。
そして、人数の多い理事会ではなく、二人だけ、しかも、個人的な密談。これをおいて他にチャンスはなかった。
しかし、それでも遅かった。やはり尋常の警備体制ではない。すばやく警備本部を押さえて、この会議場に連絡が来ることを防ぐ事はできたが、双方とも多くの怪我人を出し、水島征一は殺された。
「犠牲者が出たのは不幸なことだ」
「…」
「君たちも警察としての権能は持っているはずだ。早く犯人を捕らえてくれ」
須藤が笑った。
「そのつもりだ」
野口が前に出る。須藤はそれを制した。
「まさか私だと言うのではないだろうな。
証拠があるのならいいが」
議場内に鋭い音が響き渡った。野口達が顔を上げ、須藤も振り返った。
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