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「ほらほらほら。
また増えてるよ」
シタリがうれしそうに竹竿を引き抜いた。
「ほう。
そんなにか」
ドウコクはまた杯を開けながら言った。
「いや、ほんの少しだよ。うちらのアヤカシがやるのとは大違いだ。
でもね、確実に増えてるんだよ、三途の川の水が」
「なんで、あんなわけのわからないもので水が増えるんだい」
薄皮太夫が忌々しげに吐き出す。
「多分、闇のせいだろうねぇ」
「闇?」
シタリは竿を片付けると奥に戻ってきた。ドウコクも目で追う。
「人間ってのは闇が嫌いなものなんだよ。
昼間ならどうってことのないちょっとしたことでも、夜になるとものすごい大事件に思えてくる。闇は人間を不安にするんだ」
「そんなもの、毎日毎日やってくるんじゃないか」
「俺たちはずっとだがな」
「だけどね、あいつの作り出す闇は違う。
突然やってくるんだ。
さっきまで昼だと思っていたのに、それが不意に暗くなる。夜の闇がすこしずつ迫ってくるのとは全然違う。
その上、あの寒さだろう」
「ふん」
「そして、ここが大事なんだが」
シタリは寧ろ楽しそうに胸を張った。シタリに胸があるのかどうかは怪しいものだが。
「その不安は全ての人間にやってくる」
「…なるほど」
ドウコクの手が止まった。得心がいったらしい。
「おや、わかったかい。さすがだね。
例えばナナシ連中が現れたとするだろう。全員が全員、怯えるわけじゃない。中には腕っ節に自信がある奴もいる。まぁ、勿論、人間が叶うわけはない、そうとわかったときには死んじまってるんだがね。
それに、すばしっこい奴がいれば、うまく逃げられることもないわけじゃない。
だけど、闇は違う。全ての人間が嫌う。ほとんど例外はないよ。悪い奴らだけだね」
自分が面白いことを言ったと思ったのか、シタリは笑った。
「奴の作り出す闇、そして寒さは、人間が悲鳴を上げたりするほどの心底の恐怖じゃぁないが、あらゆる人間から不安を搾り取る。
塵も積もれば、ってやつだね」
「太夫、一曲、歌え」
「ドウコク、いいのかい、あんな奴、のさばらしておいて」
「俺もさっきまではそう思ってた。こっちからアヤカシでも送り込んでやろうかってな。
だが、今の話を聞いて気が変わった。
これはいっそ、俺たちは黙ってた方がいい。アヤカシで賑やかにするよりは、あいつの闇で深く静かに人間どもを怯えさせたほうがいいってな」
「そうだよ、ドウコク。
ここは高みの見物といこうよ。あいつがどれだけ水を増やせるものかってね」
ドウコクもシタリも上機嫌である。太夫だけはどうしてもヤミワタリが気に食わないらしかった。
割り切れない顔で丈瑠たちは屋敷に戻った。特に、流ノ介と千明はそうだった。
迎えた彦馬は灰色に染まってしまったディスクを見て青ざめた。
「こういうの、見たことないか」
「私はございませんが…。
早速、調べます」
「頼む」
三枚のディスクは黒子達が大事そうに抱えていった。
「殿、私はやはり、風魔が何か仕掛けたのではないかと」
「じい、風魔と陰については何かわかったか」
丈瑠は流ノ介を無視するように、自分の場所に座りながら言った。
「『陰』については記録がございました」
「志葉家の記録か」
「はい。
どうやら、風間殿がおっしゃる通りのもののようです。人間であり人間でなく、獣であり獣でなく、化け物であり化け物でない。そうして、この世を闇に閉ざし、醜い争いが永遠に続く世界にしようとする、そういった存在です」
「わけわかんねーし」
「人間が欲望をむき出しにする、それが最も人間らしい、そういうことか」
「はい。
それは、180 年に一度、この世に姿を現します」
「180 年に一度?」
「それを風魔が押さえ込んできた、ということのようですな」
「復活するのでは意味がないではありませんか」
流ノ介が言ったが、丈瑠に無言で睨まれた。
それは、彼らサムライも同じことだった。ドウコクが復活したのは、丈瑠の父には倒すことができず、封印するのが精一杯だったからである。
「で、サムライは」
「志葉家が直接、陰に立ち向かったという記録はありません。
しかし、たまたま外道衆の復活と陰の復活が重なった折には、相当に苦戦をしているようです」
「そりゃそうでしょうね。両方を相手にするんだとすれば」
茉子が言う。それは今しがた自分達がやってきたことだ。
「いや、だから、サムライが陰を相手にしたのではない。
別に、取り決めをしたのではないが、我々が外道衆を、風魔が陰を倒している。その順番が前後することはあったようだが」
「じゃ、なんで苦戦するんですか。
それぞれの敵だけを相手にしてるんやったら、わざわざ記録に残すようなことにはならんと違うやろうか」
「陰の活動期には、人の心が乱れる」
「乱れる?」
「善悪の区別がつきにくくなり、普通の人々が平然と悪事を働くようになる」
彦馬が差し出した昔の本。丈瑠はそれを見ると流ノ介に渡した。
「これは、一揆というのとは違うのですか」
農民と思しい人々が蔵を壊そうとしているところだった。
「いや、この年は豊作でな。貧しい農民でも食うものには困らなかったそうだ。
この者たちはさしたる理由もなしに家を壊しているようなのだ」
「外道衆にとっても活動しやすい時期だというわけか」
「人々が自分から外道集に協力した、ということもあったようです」
「じゃ、まさか、今が」
「それはわからん」
「わからん、って」
「今が、『陰』の時代だとすれば、なぜアヤカシにならなければならないのか、という疑問は残るな」
丈瑠が冷静に言った。
「そっか。自分にとって有利な状況だとすれば、アヤカシの力を借りる必要はないわけだ」
茉子の言葉に、千明とことはが頷いた。
「向こうは知ってるのかもしれない」
丈瑠が呟くと、流ノ介と千明が腰を浮かせた。
「冗談じゃねぇ」
「殿、あんな無礼な者たちを」
「いい加減にしろ、二人とも」
「そや。
あの人たちはきっとうち達と一緒なんや」
「どこがだよ」
「代々使命を受け継いで、悪い奴と戦ってきた。一緒やないですか」
「あたしも同感」
「お前たちは甘すぎる」
「180 年だぞ」
丈瑠の声は低いままだった。
「一世代を 30 年としてみろ。
受け継いだ技と心構えを実際に戦いに活かせるのはたった 1/6 だ」
「1/6…」
「6 世代の内の 5 世代は、実際に敵に立ち向かうことなく、次の世代に伝えるだけで命を終えていく。
風魔はそれを重ねてきたんだ。
俺は辛うじて――」
「殿、無理はなさらず」
「親父の最期を見てる。だから外道衆がどういう奴らか知ってるし、闘志を掻き立てることもできる。
だがあの人たちは違う。
敵に立ち向かう世代に実戦を教えてくれる人は誰もいないんだ」
「確かに…」
「だが、それをちゃんと受け継いできている。
それをすごいことだと思わないのか」
「おっしゃる通りです」
流ノ介は下に降りると膝をついた。
「この池波流ノ介、怒りの余り頭に血が上り、真実を見誤っておりました。実にお恥ずかしい限りです。
千明、お前もここに来て、殿にお詫びしろ」
「んでだよ」
「なんという恩知らずなのだ、お前は」
「なんの話だっつの」
「あの時、殿は、我らが愚弄されたとお怒りになって、刀を取ってくださったのだぞ。まずはそのお礼を申し上げないか」
「それは…いい」
居心地が悪くなったのか丈瑠は立ち上がり、奥への襖に手をかけた。
「殿!」
「お前たち」
振り向く丈瑠。
「これだけは忘れるな」
「なんでしょうか」
「俺たちは、ヤミワタリに勝てなかった」
全員の顔が強張る。千明は唇を噛み、ことはは目を伏せた。
丈瑠は静かに襖を閉めた。
「千明ー?」
「あ?」
翌日。
千明は縁側に寝転んでいた。珍しく誰もいない。茉子は満面の笑顔で近寄ってきた。
「暇でしょ。
ちょっと付き合ってよ」
「買い物ならことはでも探せよ。俺は忙しいから」
「どこが」
千明はバツが悪そうに背を向けた。
「ヤミワタリをどうするか考えてるんだよ」
「じゃ、なおさら都合がいいわ。
はい、起きて起きて」
無理やり引き起こす。
「なんだよ」
「ヤミワタリを倒すんでしょ」
「だから」
聞いているのかいないのか縁側から引き摺り下ろす。
「おい、スニーカーくらい履かせろよ」
「早く」
門の外に出ると駕籠が二つ並んでいた。
「乗って」
「どこ行くんだよ」
「いいから。
じゃ、お願い」
黒子達が駕籠を担いで走り出す。
「おい、ヤミワタリのことなんだろ。丈瑠とか流ノ介とか呼ばなくていいのか?」
「丈瑠はなんか彦馬さんと古い本を調べてる。
流ノ介とことはがいないんだよね」
「なにやってんだよ」
「ふて寝よりいいんじゃない?」
「考えてたんだよ」
「何か思いついた?」
「…。
まだだけどさ」
「知ってる人がいるんだよね。あいつを倒す方法」
「え、誰だよ」
「行ってのお楽しみ」
「なんだよ、それ」
駕籠が止まったのは、ヤミワタリが消えたショッピングセンターの近くだった。
「減ってるよね、人」
「だな」
もうすぐ昼だ。平日であっても買い物客が多数、訪れている筈だが、明らかに少ない。手持ち無沙汰げな店員も少なくはなかった。逆に警備員の数は増えていた。
「ヤミワタリのせいか、これ」
「うん」
千明は自分の掌を叩いた。
「で、奴を倒す方法を知ってるのってどこにいるんだよ」
「どこだろう。
黒子さんが見つけたって教えてくれたんだけど」
二人は中庭にたどり着いた。ロープが張られ、立ち入り禁止になっている。きれいなタイルはあちこちではがれ、白い柱に傷もついている。
「どこなんだよ――おっと」
苛々と怒鳴りかけた千明は、ふいに黒子が現れたのでのけぞった。
「どうしたの、黒子ちゃん」
黒子は上を指差した。見上げた二人の目に一瞬、人影が映った。
「行くわよ」
走り出す茉子。千明も続く。間もなく二人は屋上にたどり着いた。
「あ」
千明が叫びながら指差す。
その人影は、風間由真と副官の暁だった。何かを調べていたのだろう、そのための道具をしまっているところだった。
「あんた…。
ちょっと待て、ヤミワタリの倒し方を知ってるって、こいつか」
「本当に口のきき方を知らねぇガキだな」
茉子にくってかかろうとした千明は、由真を無視した。
「帰る。
俺はこいつらと手を組む気はない」
「じゃぁ、どうする気」
「なんとかするよ」
「だから、どうする気なの。
言ってみなさい」
「茉子…」
「言って。
あのヤミワタリ相手に、あたしたちに何ができるの」
千明には答える言葉がない。由真は暁と顔を見合わせて肩をすくめた。
「何もめてんだよ」
「教えてください」
茉子が振り向いた。
「あのヤミワタリを倒す方法を」
「そいつに頭なんか下げなくていいよ」
「いつまでも子供みたいなこと言ってないで。
この人たちは、あたしたちが負けたあのアヤカシに勝つ方法を知ってる。
それに丈瑠も言ってた。
この人たちは多分、尊敬に値する先輩なのよ」
「え」
由真の困惑。そんなことを言われるのは初めてかもしれない。暁がからかうように笑う。
「ま、要するに、あの化け物を倒したい、ってことだろ」
「えぇ」
「教えてやるよ、方法」
「本当ですか」
「あたしらに任せな」
千明は、ざけんな、と声を上げた。
「結局、そういうことだろ。
あんた達が手柄を上げたいだけなんだろ」
「手柄?」
「そうだよ。
自分達が倒しました、そう言って褒められたいんじゃねぇのかよ」
「誰も褒めないよ」
「うっせぇよ」
「あたしらのことなんかね。
忍ってのはそういうもんだ」
由真の声は静かだった。茉子と千明は取り残されたような気分になった。
「あんた達、文字の力で戦うんだって?」
話が急に変わる。辛うじて茉子が返事をした。
「それって、なんか道具使うわけ?」
「はい、これが」
ショドウフォンを出そうとすると、由真が手を振って止めた。
「あぁ、それはいいよ。そう手の内を見せるもんじゃない。
それさ、消しゴムとかじゃダメなわけ?」
「ダメに決まってるだろ」
「なんで」
「ば…大体、なんで消しゴムなんだよ。
あれは字を消すためのもんだろ?」
「そうだよ」
「消すためのもので書いてどうするんだよ」
「それと同じだよ」
「…はぁ?」
「陰を倒せるのは、あたしら風魔だけだ。
あんた達がそれをやろうとするのは、消しゴムで字を書くようなもんだ」
「できない、ってことですか」
「できるとかできないとかじゃない。
そういう風になってる」
「わけわかんねーよ」
千明は手すりを蹴った。
「私も納得できません」
「じゃ、こういうのはどうだい。
あんた達、侍やめたいって思ったことない?」
二人とも答えなかった。それは、ある、ということだった。
「多分、やめられるだろ。家出でもすればね。
だけど、侍の血筋の家に生まれた事は否定できない」
「それが」
「そうなっちまってる。誰かが、こいつは侍、こいつは風魔って選んで生まれさせたわけじゃない。なんで、とか言っても始まらない。
同じだ。
あんた達は、逆立ちしたって陰を倒す事はできないんだよ」
「それは聞き飽きたっつってんだろ!
大体、あんたはどうなんだよ」
「何が」
「その陰とかと戦ったことあんのかよ。
口先だけだったら承知しねぇぞ」
「千明」
茉子が止めようとしたが千明は納まらなかった。
「聞いたぞ。
陰ってのは 180 年に一回、復活するんだってな。
ってことは、あんた達風魔の奴のほとんどは陰と戦ったりしないってことだろ。
どうなんだよ。
あんたは実際に――」
「ある」
「んなこと言って」
「人の話を信用する気がねぇんなら、初めっから聞くんじゃねぇ!」
由真の剣幕に千明も黙った。
「何を話せば信用する?
自分の親父だと思ってた奴が、本当は他人だったってことか。
風魔の大将だと思ってたら、本当は影武者だったってことか。
それとも、その親父があたし達の目の前で殺されたことか。
あたしと姉貴が、最後の切り札の唯を守るために死にかけたことか。
唯の双子の姉さんが、陰に取り込まれて、こっちに戻ってくる直前に殺されちまったことか。
答えろ!
せっかく陰との戦いが終わっても、あたしらが別の戦いに引きずり込まれて、そのおかげで般若が殺されちまったことか。
答えてみろ、ガキ!」
流石に暁が止める。千明は真っ青になっていた。
「生齧りの知識でピイチクパアチク鳴くんじゃねぇぞ」
茉子は呆気に取られていた。
由真が叫んだ事は全て、由真自身に起こった実話なのだ。そしてそれは、けっして遠い過去のことではない。彦馬が見せた、ボロボロになった本に書いてあったこととはわけが違う。茉子には、由真がすごしてきた時間が一体どのようなものだったのか、想像もつかなかった。
「すいません。
失礼なことを」
茉子が頭を下げた。
「もう一つ、お聞きしていいでしょうか」
「お聞きしてみな」
「陰の最後の復活はいつだったんですか」
「1986 年」
由真が即答する。あの一年のことを忘れる筈がない。
「そんなに最近のことなんですか?!」
「そんなに昔のこと?!」
「どっちなんだよ」
茉子と千明は正反対のことを叫んだ。
20 年前ということは、ヤミワタリは本来の「陰」ではないということになる。そのためにアヤカシの力が必要だった、ということだろう。懸念が一つ消えた。
「あなたはそれに参加したんですね」
「とってもそんな年には見えねぇよ」
「だから、どっちなんだよ!」
由真が千明を手すりに追い詰める。
「ご、ごめんなさい!」
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