スケバン忍法帳

サキの日常 (前編)



「いってらっしゃーい」
 サキが天城を送り出す。マンションのドアを開けると、隣の住人と目が合った。
「おはようございます」
 天城が会釈する。
「おはようございます。
 お仕事ですか?」
 その主婦は笑顔で話し掛けてきた。
 この二人が、「麻宮サキ」という妹と「麻宮シゲル」という兄としてこのマンションに暮らし始めて 2 週間になる。天城は若く見えるものの、実際の年齢で言えば、サキの父親くらいにあたる。父親にしては不在がちになることは目に見えているし、汀も出入りすることになるので、では三人親子か、というと煩雑になってしまう。結局、母親の違う兄と妹、ということにした。
 隣に住んでいるこの夫妻には子供がないらしいが、物事の裏側を読もうとしたりする種類の人間ではないようで、その話をすると好意的になった。サキも天城も人当たりがよい、ということも影響しているらしかった。
「あぁ、それなんですけど、実は私、2 週間ほど出張なんですよ」
「あら、2 週間も」
「お手すきのときで構いませんので、悪いことしてないかどうか、ちょっと見張っていてやっていただけませんか」
 ドアの影から出てきたサキが、不満げに天城をつつく。これは演技だが、自然だった。
「よろしくお願いします」
 と頭を下げる二人。
「わかりました。
 まぁ、サキちゃんなら妙なこともないでしょうけど、食事とかご心配でしょうし」
「ありがとうございます」
「ゴミですか。私が出しておきますよ」
「え、いいわよ、サキちゃん」
「いいですよ。兄を見送るついでですから」
「そう。じゃ、お願いするわ」
 階段を下りる。天城は、エージェントの常で、密室のエレベータを嫌った。サキも、足腰の訓練の一つとして、4 階ではあるが、階段を利用することに抵抗はなかった。
「芝居の訓練なんてあるんですか」
「え、なんの話?」
「あまり自然なもので」
「そう?
 じゃ、この作戦が終わったら女優になろうかな」
 明朗快活、かつ真面目。現在の若者に見られるような、性格上の「ほころび」がほとんどない。生まれついての忍、というのはこういうものなのだろうか。年齢が倍以上であることに不安がなかったわけではない天城だが、非常にやりやすい。頭もいいようだし、完成している、とは言いがたいものの術も多彩で、このまま成長すればさぞ立派な忍になることだろう。
 今のところ欠点といえるのは、「はったり」を効かせすぎることがある、ということくらいだった。敵を威嚇する、という点ではそれも武器の内ではあるが、それを貫かなければ意味がない。単なる虚言であることを見破られれば、精神的に優位に立たれてしまう。今の「女優」も、その線で捉える事ができる。あるいはそこが、若さ、ということになるのかもしれなかった。
「来週になれば汀殿が来ます。私も、学校が始まる頃までには戻りますから」
「見つかるといいですね」
「…ありがとう」
 と言い残して出かける。天城は零の捜索に出かけるのである。札幌に関係が疑われる情報があった。
 サキも、天城には好感を持っている。言葉遣いは穏やかだが、言動にぶれがない。似た世界に暮らす者として学ぶべき点は多かった。
 彼女の目から見た天城の弱点は一つ、零のことである。学籍法対策で打ち合わせたり、意見交換をしたり、あるいは一緒に行動しているときはいいが、話が零のことに及ぶと、非常にかすかではあるが、エージェントとしての表情の陰から、彼個人が立ち現れてくる。そこまで責任を感じなくてもよさそうなものだが、とサキは思っていた。

「あら、お出かけ?」
「はい。制服を作りに」
「いいわね。出来上がったらオバさんにも見せてちょうだいね」
「はい。行ってきます」
 洋服屋に向かう。服を作るのに採寸する、というのは、前の学校に入学するとき以来だった。
(あ、違う。今年の春に、ウェア作ってもらったっけ)
 忍装束をあつらえるのと、洋服をあつらえるのとは全く別のものだが。
 サキは着るものには関心のない方である。忍としての活動で邪魔にならないかどうか、あるいは、自分たちが「普通の高校生」ではないことは自覚しているので、「普通の高校生」から逸脱していないか、という尺度で服を用意、コーディネートする。大人しめの格好になるのがほとんどだった。今日も、白いブラウスに、淡い色のスカートで、逆に、いまどきの高校生としては地味すぎるくらいである。
 手ぶらというわけにもいかない。年頃の少女のたしなみとしてもそうだし、風魔の忍、そして「麻宮サキ」としてもそうだ。
 ヨーヨーは持たせてもらえなかった。あれは暗闇機関のものだからである。桜の代紋がなければどうということもないだろう、と思ったが、そういうわけにはいかないようだった。これは頭領である風間 唯の、暗闇機関と、行方不明である暗闇司令に対する「けじめ」らしかった。ただ、重合金製ではないにしろ、目立たない武器としては有効、ということで練習だけはしている。
 かわりに、新しいポインタを貰った。今、持っている小さなバッグには、それが入っている。
 一見ボールペンだが、先を掴んで伸ばすと 1m 弱になる。前に使っていたのは市販されているもので 60cm 程度、伸ばした状態ではすぐに折れたが、これは唯が衣組 (きぬぐみ) に依頼して特別に作らせたものだ。軽い割に丈夫で、そう簡単には折れない。
 そして持ち手には彼女の抱く梵字「マン」が彫られている。鬼組の僧、堅央 (けんのう)が経を上げてくれたのだが、その刻印と、左手の親指の付け根にある「マン」とを重ねるように握り締めると力が湧いてくる。
 実は、彼女がポインタを使うようになったのは、唯が持っている、特別製の竹の鞭に憧れて、それを真似たものだ。口に出すと、十年早い、と汀に叱られそうで黙っていたが、このポインタを唯の手から直に与えられたときには体が震えた。
「では、こちらに連絡先を」
 店員が注文票を出した。そこに住所と名前を書く。さすがに「麻宮サキ」となって 1 ヶ月も過ぎると、こういう場所でつい「澤里」と書いてしまうことはなくなった。
「では、できあがりましたらご連絡いたしますので」
「お願いします」
 店を出る。晴れるのはいいが、さすがに暑い。水組にいたときは、肌の露出は危険なものだ、と教えられたので避けていたが、この都会では T シャツで動くことを検討した方がいいかな、と思った。
(もうしばらく暑いんだろうし)
 そんなこともあり、他の店も覗きながら遠回りして帰る。
 彼女の歩調は時折ゆっくりになった。
(…)
 覗きこむ店の種類が変わってきた。コンビニなどでも、髪を直すふりをしながら立ち止まる。
(一人)
 尾けられている。ガラスにはっきり顔が映っているところを見ると素人だ。何者だろう。
(わざと、ってこともあるしね)
 尾行していることを気づかせて不用意な行動を誘う、という手もないではない。
(とりあえず)
 その先にあるスーパーに入る。何度か改築しているらしく、あまり整然とした作りではない。ここを利用させてもらおう。階段を使って 3 階に上がり、反対側にもう一つある、こちらは小さ目の階段で 2 階に下りる。婦人用品売り場の試着室に入って様子をうかがっていると、向こうが見失っている様子が見えた。フロアを 1 周して 1 階に下りたのを確認すると、今度は逆に尾けていく。
 だが向こうはあっさりと店の外に出た。それでも辺りを見回しながら歩いていく。だが、商店街を出たところで仲間らしい車が止まり、それに乗っていってしまった。
「なによ」
 慌てて走ったが、ナンバープレートの下 2 桁を読み取ることができただけだった。黒塗りの、立派な車ではある。
(これじゃぁねぇ。
 拠点にお願いするしかないかな)
 流石に、下 2 桁と車種から持ち主を割り出すことは、サキにはできない。鬼組の風間 結花が管理する東京拠点に、水組の者もいるはずだ。彼らに調べてもらうしかないだろう。
(それにしても)
 尾行されたのは洋服屋を出てすぐだ。関係があるのか、あるいは偶然か。採寸している間は、他の客は見当たらなかったが、帰り際に 2 人ほどとすれ違いはした。高校生の娘がいるかもしれない、という年の上品そうな女と、大学生くらいの女。尾行してきたのは男だが…。
 途中で尾行を放棄したのは何故だ。あんなに簡単に。人違いだったのか?
(あ。
 名前だ)
 誰かは知らないが、「麻宮サキ」を知っている者がいたのではないか。それが偶然、あの注文票を目にして、あわてて尾行させた。注文票を見たのだから住所も電話番号もわかっている。別に見失っても構わないわけだ。
(これは…汀様に報告しておかないと)
 襲われても応戦はできるが、マンションで騒ぎを起こすと面倒だ。入り口にロックのあるところで、ある程度のセキュリティは確保してあるが、それゆえ逆に、住人に対する要求も細かい。追い出されたりしても困る。

参考:マン


Ver.1.0: 2004/8/22

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