「サキ、待ちなさい!」
無視。サキは苛々しながら靴を履いた。その腕を天城が掴む。
「放して」
「落ち着きなさい」
「放せってば!」
その腕を振り解こうとするサキ。天城の腕が壁にぶつかった。一瞬、顔を歪める天城。壁に赤い点。
「落ち着けと言っているんです、サキ!」
天城の様子に、サキもいくらかは落ち着きを取り戻した。
「奪われたものの中に StID カードが入っている以上、軽率に動いてはダメです」
サキの息は荒い。何も言えずに、ただ頷いた。
周議館高校の 1 年 C 組、サキを慕ってくれている山吹 美月や川本 茉莉花たちが、町で「カツアゲ」にあい、金を奪われたという。腕力に自信のない彼女たちのことで、全く抵抗しなかったのが幸いしたのか、それだけで、傷も負わずに済んだものの、怯えているに違いない、と考えたサキはマンションを飛び出そうとした。
天城はいつもの通り冷静だった。じれったげにしているサキに、携帯電話にかかってきた内容を報告させたのだが。
「何もかも取られたわけではないのでしょう?」
「茉莉花は、そう、言ってた。金と、StID カード」
「妙だとは思いませんか」
「…思う」
「レンタルの会員証があればビデオや CD は借り出せます。それを売り飛ばせばタバコくらいは買えるわけですから、放っておくのは変です」
「また、こないだみたいに…StID カードの管理を厳格にしろとか、そんなことを」
「ありえます。
十分に注意してください」
「わかった」
天城が頷きかけたので、サキは改めて部屋を出た。
山吹 美月の姉を自認する川本 茉莉花は流石に気丈で、何もなかったのだから心配はない、と言った。それも無理をしてのことだ、というのはサキにもわかったが、追求はしなかった。元気なふりをしていられるうちはいい、と思ったからだ。
山吹の方はそうはいかなかった。元々、気弱な彼女は、「カツアゲ」の被害者になったことですっかり怯えていた。何を聞いても、唇を震わせるばかりであった。泊り込むわけにもいかず、サキは山吹を川本に任せて、山吹の家を出た。
「じゃぁ、本当に金とカードだけなんですね」
「うん」
情報は川本の言ったことしかない。それでも十分に妙だった。
「さっき、汀殿から情報が入りました。
そういう例が見られるようです。結構な数の StID カードが奪われているようですね」
「何のために」
「まだ犯人が捕まっていないので。
汀殿は、警察に何人か潜り込ませることにしたようです。今後の展開はそこから入って来るでしょう」
「じゃ、あたしは、その犯人を」
「えぇ。あなたの後輩をいじめた奴を探している、ということにすれば、目立つことはないでしょう」
「本当にそうなんだ」
サキは気色ばんだ。
「その元気を活かして下さい。
ただ、今回のことは現時点では何もわかっていません。どこでシアンに出くわすかわからないので、十分に注意してください」
「わかってます」
「待て!」
追う。向こうも走っているが、足の運びはごく普通だった。サキから逃げようとしたときの顔も、それなりにひきつっていて、冷静さは感じられない。
いかにも不良が集まりそうな繁華街。昼間のことで、人通りはほとんどない。少年は時折、振り返りながら走った。顔だけでなく、体が半分、後ろを向いているのだが、そのせいで遅くなっていることに気づいていない。
サキは、中身の半分、残っているペットボトルを拾い上げて、少年の足元にぶつけた。転びそうになるのを、手をついて辛うじて支える。立ち上がったところで、サキが後ろから襟を掴んだ。
振り向きながら腕を振り回す少年。その勢いにサキは手を振り解かれてしまった。逃げる、そして、追う。
また小路に入った。投げつけるものはいくらもあるが、ポリバケツの並ぶ場所でやりあうのはかなり辛い。少年はついに、バケツそのものをサキに投げつけた。
「うわ、おい!」
それを跳ね除けて顔を上げると、既に少年は見えなくなっていた。小路を出て辺りを見回したが、陰も形もない。
「くっせー」
払い落としはしたが、匂いは残ってしまっている。これでは歩いて帰るしかない。
歩きながら考える。あの様子では、相手は素人だろう。StID Supporter や StID Soldier ではない。ただの不良。今日は逃がしてしまったが、捕まえられないことはない相手だ。
だが、シアンに繋がらない。StID カードに妙な動きがあるというのに、首都検 特捜部が無関係なのだろうか。
「名簿の件もあります。全部が全部、シアンのしかけたこととは限りません」
マンションに戻ってシャワーを浴びる。やっとすっきりした。
「今回のも、誰かが勝手にやったってこと」
「ありえますね。
シアンの方は、私や汀殿に任せてください。あなたは、小者説を」
「お休み、ですか」
「なんか具合悪いんだって」
「そうですか」
「伝言あったら聞いとくよ」
「あ、いえ」
山吹と川本は 2-B を離れようとした。
「あ、ねぇ」
「はい」
大島に呼び止められて振り向く二人。
「あんたたち、元気?」
「え?」
「なんか大変な目にあったって聞いたから」
「あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
山吹は深々と頭を下げた。川本もそれに続く。
「麻宮さんって体弱いんだ…」
山吹がぽつりと言う。
「意外だね」
「本当なのかな」
顔を見合わせる二人。
(5 人…かな)
奪われた StID カードが使われている例が見つかった。イベント用品をレンタルしようとしたときに身分証として提示されたのが、既に盗難届の出ているカードだった。そのレンタル ショップはチェーンで、使用状況も含めオンラインで管理しているため、それが発覚したのだが、たまたまそれを受け付けたのがアルバイトで、トラブルを避けたかったその店員は、レンタルの申し込みは受け入れた上で社員に通知、それが本社から警察に通報されていた。情けない、と言うこともできるが、それによって防犯カメラの映像が提供され、天城を経由してサキに伝えられているのだから、怪我の功名と言えないこともない。
彼らは、レンタルの申込書には本当の名前と住所を書いていた。アパートの窓から見える顔とサキの手元にある写真が一致する。10 月も末だというのに窓が開いているのは、一部屋に 5 人も入っているからだろう。
ノックする。
ドアは無防備に開いた。
「こんにちは」
とサキ。開けたのは、大学生くらいの青年だった。
「えーと、どちらさん?」
「岸本さん、います?」
「いますけど…君は?」
「麻宮サキ、と言います」
「ちょっと待ってね」
何も反応がない。やはり、シアンや StID Supporter とは無関係らしい。
「岸本ー、麻宮さんって女の子のお客さん」
奥で青年が立ち上がった。周囲からからかわれている。垢抜けない感じはあるが、その笑い顔に意地の悪さがにじむ。
「岸本ですけど」
一応、シャツの裾などを整える。若い女だということで何か期待している。
「あ、そこじゃ寒いでしょうから、入ります?」
「そうですね。
おじゃまします」
狭い玄関で靴を脱ぐ。5 人の視線が集まってきた。
奥の部屋には色々な紙が散乱していた。借りる機材を使って実施するイベントの計画らしかった。
「どういう御用ですか」
お前がナンパしたんだろう、などと声。
「StID カードをどこから入手したのか教えていただきたいと思いまして」
一斉に顔がこわばる。
「どういうことだ」
「文字通り。
なぜ StID カードが必要だったのか、なんてことには関心がない。相手だけ教えてくれればいい」
サキの両脇にいる男が動いた。右を視線で牽制しておき、左の男が伸ばしてきた手を逆手で取りひねり上げる。情けない悲鳴が響いた。
「静かにしなさい!」
声が狭い部屋に響いた。
「言っておくけど、あんたたちが盗品の StID カードを使ったことはもうばれてるんだ。これ以上、妙な真似をしたって罪状が増えるだけだよ」
だが男たちは大人しくならなかった。右側の男が飛び掛ってくる。サキは、左で押さえた青年の体を勢いよくぶつけた。二人が重なって壁にぶつかる。
開いた空間にサキが入り込み、岸本の両脇の男の鳩尾へ両手を入れる。二人はそのまま崩れた。
次の瞬間には、岸本の右手はサキの右手で、首は左手で押さえられていた。
「言いな」
「こんな、ちょっと、イベント機材を借りただけじゃないか」
「うるさいな」
「ちょっと学生の振りしただけじゃないか。あんなものができたおかげで機材が借りられなくなったんだよ」
「聞いてないよ!」
サキの一括に岸本は黙った。ニセ学生が金儲けかナンパを目的にイベントを企画したところでサキには関係のないことだ。
「どこから手に入れたのかを聞いてるだけだ」
その厳しい目つきのせいか、岸本が再び口を開くにはもう少しかかった。
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