「唯様…」
水組の、汀の屋敷。サキと天城が呼び出された。
正面に座っている唯は、泣きはらしたということではないにしろ、表情に陰りがある。零が改めて行方不明になったことが原因なのは間違いがない。
サキの表情で察したのだろう、唯は照れくさそうに視線を落とした。
「心配かけてしもうたね。
許しちくり」
「い、いえ」
サキは平伏した。いつもは、礼を失すれば直ちに叱責する汀も何も言わなかった。
「やっぱり零さんはこの世界には戻りたくないと思っちょるんじゃろ。無理もないことじゃ。
あたしが『スケバン刑事』だった頃も、こないだの集健法のときも、迷惑かけて、助けてもらうばっかりじゃったけど…お礼を言いたい、償いたいって気持ちは、こっちのわがままでしかないのかもしれん。
ね、汀さん」
汀も、それに合わせるように目を伏せた。
気持ちはわかる、とは言いながら、暗闇が汀と唯にした仕打ちはひどすぎる、と、時間が経つにつれて思うようになった。汀に銃を突きつけ、唯が来るだろうと言いながらその目の前で姿を消し。自分を信用していないから慎重に準備し、バックアップも用意する、という考えの裏返しで、彼女たちの懇願を拒絶できない彼にできるのはそれしかなかったのではあろうが。
(不器用すぎる)
前と違って、それを理解できるようにはなったが、彼の存在が彼女たちをかき回している、という事実に変わりはない。口には出さないが、サキはそう考えている。尤も、この点については、天城も同様のようだ。
「集健法のときも、これで失敗した。零さんを信じたい、仲間のはずじゃ、そう思い込んで真実を見逃してしもうた。事実を受け止めて、冷静に分析していけば、なんで暗闇機関がああいう行動を取るのか読み取れなかったはずはなか。
今回も危ういところを歩いちょる。なんとかして失踪した零さんを取り戻したい、ということと、学籍法をぶっつぶしたい、っていうことを混同しちょる」
「唯様、それは」
「サキ、天城さんからも聞いたじゃろ。今の暗闇機関には零さんが必要なんじゃ。それは、いくらあたしらの目が曇っちょっても、間違いの無いところ」
「はい…」
「唯殿」
天城が口を挟んだ。
「わかっちょる。
そのことと、零さんに帰ってきて欲しい、という気持ちは分けなきゃならん」
唯が顔を上げる。
「鬼組の長老会とも相談した。
あたしらは、手持ちの軍勢だけで学籍法と『シアン』に対処する」
汀が唯に向き直り、頭を下げた。これは、頭領からの命令だ。サキもそれに倣う。
「天城さん、汀殿。
今、水組にいる機関メンバーは 4 人と聞きましたが、その後、変化は」
「間もなく、もう二人増える予定です。私を含めて 7 人となります」
「その全員を鬼組に預けてください」
「は…それは」
「これから攻勢をかけます。そのために、『麻宮サキ』をサポートするチームが必要です。
機関の皆さんと、こちらからも何人か合流させて、自由に動けるチームを作りたいと考えています」
「自由に…」
「そう。悠希が、周議館高校や周りの状況を見ながら、私や汀殿の指示を待たずに行動するのと同じように、そのチームには、世間の動きを見て、あるいは変化を先回りして機敏に動いてもらいます。『麻宮サキ』からの要請、ということもあるでしょう。
一応、私付きというポジションにはなりますが、基本的に、私から指示を出す、ということはありません。ただし、報告は詳細に貰います。
必要に応じて、汀殿と、あと、地理的条件から考えれば、東京拠点の結花姉さまとコンタクトを取っていただくこともあるかもしれません」
「承知しました」
「受けていただけますか、天城殿」
「ご迷惑をおかけします」
珍しく天城が手をついた。
「おやめください。
何度も申し上げている通り、暗闇司令のことについては、天城殿に責任はありません」
「お気遣い、感謝します。
そのチームに関してはお任せください」
「ありがとうございます」
「唯様」
汀が、意を決したように言う。
「申し上げにくいことではありますが…零殿のことは」
「巴組に頼もうかと思っています」
「巴組に?」
「さっきも言った通り、暗闇機関の力をフルに発揮するには、暗闇司令に戻ってきてもらわなければならない。それは本当に欲しい。
今日で、私たちは、手持ちの軍勢だけで動く方に舵を切るけれども、捜索はやめたくない。
でも、鬼組や水組では、作戦と感情を分離できないかもしれない」
「…おっしゃる通りです」
「だから、こういうあれこれを伝えた上で、巴組が受けてくれれば巴組に頼むつもりです。情報収集については彼らに叶う組はないし…」
「断わられたら」
と天城。
「諦めるしかない…でしょうね。今、私たちに余裕が無いのも事実ですし」
「…」
「巴組は、水組や鬼組の生存者を集結させたときに、零殿と一緒に活動した組。面識はある。だから受けてくれるのではないか、という期待を持っていることは否定しません。
卑怯ですね」
小さく笑う唯。
サキは、似ている、と思った。
唯だけではない。おそらく結花や由真、そして汀も、天城も。
友人かもしれないし、後輩かもしれない、ごく少数の人間を救いたい、という一点から動けないでいる。彼らが、初めて会った小娘――それが「麻宮サキ」であるにしろ――の命を心配できる男、つまり零に惹かれるのは、彼らがお互いに似ているからだ。
(それが、必要なのかもしれない)
由真に言われた。StID カードの危険性を理解させるためだからと言って、商店街の店がつぶれていいということにはならない。そうした考えもこの線上にあるのだろう。彼女たちは、そうした諸々を背負った上で命令を出しているのだ。
自分の認識が甘かったことをサキは悟った。自分が、命令を遂行するだけの存在だということを改めて知った。
暗闇司令が、部下たちの死に耐えられなくなった、ということが、実感を伴って迫ってくる。自分はなんということを言ってしまったのだ。
自分でも気づかぬうちに、サキの頭が下がった。
「また先回りされた」
唯が明るい声で言った。
「悠希、あんたにも新しい話がある」
頭を下げたのを、自分に指示があることに気づいたから、と思ったらしい。
「サキ?」
帰り道。運転席の天城が言った。
「どうしました」
返事が無い。天城はもう一度、助手席のサキを呼んだ。
「え、は、はい」
「上の空ですね」
「だって」
天城が笑う。
「緊張することはありませんよ。別にあなたが全――」
「あーっ、言わないで。プレッシャーなんだから」
天城は声を出さずに笑っている。肩が震えていた。
「何の用?」
サキは、その少女に向き直った。
「こんなところまで来ておいて、今更」
尾けて来ているのに気づいたので、倒産したタクシー会社の車庫まで連れて来た。それは、向こうの言う通りだった。
「転校早々、行動が派手すぎるので注意してやろうと思ったんだが」
「そう?
こっそりやったつもりだったけどな。これでも気を遣う方なのよ」
「口の利き方も気に食わない、ということも言っておく」
「まぁ怖い。『気に食わない』だなんて」
サキは大げさに驚いて見せた。
「お里が知れるわよ」
「馬鹿にしてるのか!」
「えぇ」
サキが口の端で笑って見せると、少女が飛び掛ってきた。それをカバンでいなす。
「すごい勢いだこと。
流石は、StID Supporter」
少女の表情が強張る。
「知っていてやったのか」
「そうよ」
「お前」
「だって、私、あのカード嫌いなんだもの」
「いいことを教えてやる」
「あら、是非、聞きたいわ」
「学校を辞めれば、カードを持たずに済むよ」
「今のところはね」
少女が踏み込んだ。右足が、小さな動作で飛んでくる。後ろに下がるサキ。
ついた右足を軸にして、次は左足。もう一歩、下がる。
「お下品ね。スカートの中が見えるわよ」
「では、これはどうだ」
拳。左右が交互に凄まじいスピードで飛んでくる。確かに鍛えられている。サキはそれを左右にかわしつづけたが、やがて壁に押し付けられてしまった。
「最後だ!」
が、その瞬間にしゃがむ。少女の拳は、既に脆くなっていた壁に何 mm かめり込んだ。
横に飛び出す。
頭を振って、ボブの髪を整えるサキ。この少女は思っていたよりやるようだった。呼吸を整える。
少女がジリジリと進んでくる。サキは右手を構えたまま、その場を動かなかった。
「や!」
襟を捕まれる。続いて右手が飛んできたが、サキはそこにカバンを突き出した。大きな音。
「つっ!」
「痛いでしょう。
鉄板が入ってるのよ、このカバン」
「貴様!」
「壁の漆喰の次に鉄板だから、かなり堪えたでしょ」
と言いながら、カバンを上に抜き、素早く振り下ろす。縁が少女の手首に入った。うめき声が車庫内に響く。
「まぁ、1 週間くらいはだめでしょうね、その右手」
「貴様ー!」
「降参して、StID Supporter を辞めます、って言えば、医者に行かせてあげる。
急がないと、1 週間じゃ効かなくなるわよ」
「ふざけるな!」
立ち上がる。踏み出せば右手に響くであろうに。内心、その根性を誉めてやってもいい、と思わないこともないサキだが、「シアン」が高校生をそこまで洗脳している、ということには怒りを覚えた。
「それだけの根性があれば、大会でそれなりの成績を残せるでしょうにね。
StID カードなんかに関わって、あんたは貴重な高校生活をだめにすることになるのよ。少しは自分の頭で考えてみたらどう!」
「やかましい!」
飛んできた右足をサキは再びカバンでいなした。だが同じように左足が向かってくる。
サキは大きく飛び下がった。カバンを地面に投げ捨てる。
それをどう読み違ったのか、少女は走りこんできた。飛び蹴り。
襟元の細いリボンを引き出すサキ。それをしごくと、なぜか金属の音がした。
足先をかわしつつ、リボンを持った右手を伸ばす。リボンが足に絡みつくと、サキはそれを引き摺り下ろした。少女の体が地面に叩きつけられた。
上からのしかかり上着の襟をつかむ。左手の甲が首筋の頚動脈を圧迫していた。
「う…き、貴様、一体、何者」
「口もきけないのか!」
少年は木刀を払った。宙に飛び、それをよけるサキ。あくまで無言。
着地すると、上から木刀が降りおろされる。
「!」
サキはそれを両手で挟んだ。
「白刃取りだと…」
少年は動けなくなった。
神社の参道。葉ずれだけが聞こえる
体ごと右に回りこんで、少年の体勢が崩れたところで、サキの足が少年の腹に決まった。崩れ落ちる。サキはその木刀を拾い上げた。
残った二人のうちの一人が、上段に構えたまま踏み込んできた。すれ違い様、木刀を前に振り出す。鈍い音とともに、少年の腹部に木刀がめり込んだ。カラン、と音がして竹刀が落ち、続いて少年の体も崩れた。
あと一人。
サキは深呼吸した。ポニーテールがかすかに上下する。
少年は構えたままで打ちかかってこない。
サキは靴の分だけ、前に出る。
少年は、逃げることもできず、かと言って踏み込むこともできずに、その位置に立っていた。
その目に余裕が戻った。背後で靴の音。3 人。
目の前の少年を視線で牽制すると、木刀を左に持ち替えて、竹刀を拾い上げる。そのまま、後ろを振り向くと、サキは飛び上がった。
空中で回転し、あっという間に背後を取る。
右手の竹刀が最後尾の少年の肩に決まり、慌てて振り向いた少年の面に入る。
先頭だった少年が打ちかかってきたが、左手の木刀で竹刀が飛ばされると抗いようが無い。右手の竹刀の束 (つか) が腹に入った。
最後の少年が、チャンスと見定めたのか、剣道特有の声を上げながら襲い掛かってきたが、サキは慌てずに左手の木刀を、右手で逆手に持ち替えた。もう一度、深呼吸。
すれ違う瞬間に、体を落として、木刀を滑らせる。
静寂。
葉ずれ。
カサ、と音がすると、少年の詰襟のポケットから蓋が落ちた。サキとすれ違った半身が切れている。それはシャツをも切断、うっすらと肌にも赤い線が走っている。
「!」
サキが振り向く。素早く進み出ると、その首筋に木刀を当てた。
「木刀で、こんな…。
お前、お前は一体、何者なんだ!」
サキはうっすらと笑った。そして口を開く。ここに来てから初めて発する言葉だった。
「中台高校 3 年 B 組、麻宮サキ」
「知りたい?」
サキは、少女の襟からリボンを引き抜くと、それを使って少女の手を背中で縛った。
「でも、変なものよね。同じ学校なんだし」
立ち上がり、自分のリボンを、丸い襟のブラウスに戻す。また、鎖の音がした。
「聖真学院高校 1 年 B 組、麻宮サキ」
唯は、以前から「バックアップ」として準備していた計画を実行に移した。
StID カードの実験を行っている全ての学校に、「麻宮サキ」を送り込んだのである。それは勿論、学籍法対策ではあるが、同時に「シアン」――首都検察庁 特捜部 青少年特別対策室の境田に対する明確な「宣戦布告」、そして「挑発」であった。
全ての「サキ」は、直ちに校内で StID 妨害のための工作に着手する。
これはやがて人の口に上る。その時、全ての学校に同じ名前の転校生がいることが明らかになるのだ。この異様な事実を、ワイドショーなどを扇動して、スキャンダラスに、面白おかしく取り上げさせる。これによって、StID カードは「冗談」となり、傷もつく。エリートには我慢のならない展開となることを風魔は期待している。
つまりこれは両面作戦である。
そして、それによって浮き足立った瞬間が勝負となる。
「わかりました」
天城が電話を切る。サキ――澤里 悠希――が心配そうに見ていた。
「中台高校と聖真学院で StID Supporter を叩き伏せたそうです」
サキが周議館高校でやったことの詳細は汀から唯に伝えられている。そうした「ノウハウ」は既に各地の麻宮サキに伝えられているのだが、もし予想外の事態になった場合、サキは先輩として意見を求められることがある。
「何も、ない?」
「ありません」
ほっとして座り込む。
「心配しすぎです」
今のところ、その計画は無いが、万が一の場合、この「30 人の麻宮サキ」を束ねるのは彼女である。それがプレッシャーとなっていた。
「胃でも痛みますか?」
「食欲ない、かも」
「気持ちはわかりますが、心配の先取りはいいことじゃありませんよ。
今のあなたに、『サキ』を全員、引っ張れと言っているんじゃありませんからね。命令の内容は、正確に把握してください」
「だって」
「全員、あなたの仲間でしょう。そんなに信用できませんか?」
「…」
確かに。「麻宮サキ」を名乗っているのは風魔の忍だ。しかも、サキが周議館に転入する頃から、「麻宮サキ」となるべく訓練を受けている。あるいは、サキよりも優秀な者がいる、という可能性もある。
「仮にそうなったとしても、全員をあなたが把握して、詳細な指示を出す、ということにはなりません。おそらく班のようなものを作ることになるでしょうし、私たちもサポートします。
あなたは周議館の心配をしてください」
「はい…」
だがサキは、暗闇司令のことをどうこう言った罰があたったのではないか、という気もするのだった。
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