スケバン刑事 -少女新生初伝編-

開いた迷路



 祐美が連れ戻されてから 1 時間ほど、7 時になると、朝食が運ばれてきた。一汁二菜であるのは女子少年院と似たようなものだったが、暖かさは全く違う。考えてみれば、昨日の昼前に少年院を出てここに連れて来られ、それっきりだった。丸一日、何も食べていなかったことになる。祐美は、その暖かさを信じて、毒の類は入っていないものと思い込むことにした。入ってても構わない、とすら思った。あっという間にそれを平らげる。
 そしてベッドの上に座り、壁に寄りかかる。今、食事を持ってきた男の言葉を反芻していた。
 ここの敷地は 3km 四方ある。
 ということは、状態のよい路面をまっすぐ歩いても 40 分程度はかかる、ということだ。
 1500m を日本記録で走る足があっても 8 分…。祐美はその考えに頭を振った。中距離をやめて 2 年半。走ることを検討するのは無意味だった。
 まっすぐに進めないとすれば距離は 3km を超える。ということは、1 時間はかかることになる。闇雲に歩いても無駄だ、ということだ。目印がいる。

 14 時。今度も鍵は開いており、見張りもいなかった。それも不思議なことだったが、祐美は考えなかった。脱出してしまえばいいことだった。
 祐美はまず、遠巻きにするように自分がいた建物の周りをまわった。そうして形を覚えこむ。とは言いながら、目立った特徴がないのでそれは一苦労だった。
 その上で、また歩き出す。時々振り返って建物を確認する。道が曲がったり、枝の加減などで建物が見えなくなると分岐に戻ってやり直した。
 まっすぐな――今度は本当にまっすぐだった――道を進む。ありがたいことに長い直線だった。
 分岐点に来たので振り返る。
 建物が見えなくなっていた。しょうがない、と戻り始める。
(…?)
 かすかだが上っているような気がする。来た時は下っているという意識はなかったのだが。
 それが勘違いでないことは進むにつれてわかった。建物の屋根が少しずつ上から見え始めたのである。
 さて、と周囲を見回す。だが、祐美はそこで動きを止めた。この風景には見覚えがある。今しがたではない。これまで何度か分岐をやり直しているが、そのどこかで見たのだ。まさか、元に戻っている? そんなはずはない。前に別の場所で、目印にしようと思った切り株も、ここにはない――
 いや、あった。さっき見たときはなかったと思ったが。
 自分は同じところをグルグルと回っているのか?
 祐美は呆然と立ちすくんだ。
「何か…」
 手がかりを求めて見回す。だが、雑然と茂っている木や背の高い草は、手がかりとなることを拒んでいた。
 似すぎている。さっきの風景に。
「まさか…わざと?」
 まっすぐだと思っていると曲がらされてしまう、ゆるやかなカーブ。下っているときはそうとはわからない、なだらかな坂。ポイントポイントで似たように作られている風景。この敷地は、脱走者を惑わせるために、わざとそういうつくりになっているのではないだろうか。
「その通りだ」
 男の声。
「あんた…」
「話がある。
 屋敷に戻ってくれ」
 零は、返事を待たずにきびすを返した。

 別の応接室だった。今度の家具はまともなのだろう。零が座ると同時にドアが開き、昨日の女がコーヒーを運んできた。
「座ってくれ」
 祐美は警戒を解かないまま、ソファに浅く腰掛けた。
「俺は、『零』という」
「レイ?」
「数字の…と言うとややこしいな。『雨』に『命令』の『令』だ」
 それは苗字か、それとも名前か。祐美は黙っていた。
「これはコードネームだ。
 この組織が俺につけた名前、ということだ」
「組織って」
「『暗闇機関』と呼ばれている。
 諜報と警察を兼ね備えた、特殊な組織だ」
「スパイなのか」
「まぁ、そんなところだ。
 じきにわかるだろう」
「あたしは、スパイにつかまるようなことはしてない」
 零はかすかに笑った。それは祐美の神経を逆なでするものだった。
「逆だ。
 我々に協力して欲しい」
「協力?」
 零は目の前のテーブルからカップを取り上げた。祐美はそれに苛立ちのこもった視線を投げつけながら黙っていた。
「説明してくれないか」
「我々の仲間になって、高校生たちを食い物にする連中と戦って欲しい」
「わかんないよ、何を言ってるんだか」
「文字通りだ」
 零はカップを置いた。
「学校というところは閉鎖社会だ。校内暴力なんかがもみ消されて、数ヶ月後にばれた、というのをニュースで見たことはないか」
「あるけど」
「だから、学校内で犯罪が行われても、既存の警察では手を出しにくい」
「それで高校生を使おうっていうのか」
「察しがいい」
「断る」
 今度は零が黙った。目が先を促していた。
「そんな話を急に持ち出されて、はいわかりました、って言う奴がいるとでも思うのか」
「いないだろうな」
「じゃぁ、なんで」
「君ならわかってくれると思ったからだが」
「ネンショー帰りだったら言うことを聞くとでも思ったのか!」
 怒りのあまり、祐美は立ち上がった。カップが小さな音を立てて揺れた。
「傷がある奴なら好きなように操れるっていうのか!」
「そんなことは言っていない」
「あたしはな」
「座れ」
 零は静かに言った。それに押されて祐美は、また浅く腰掛けた。

 その頃、キッと音を立てて車が建物の前に止まった。助手席から飛び出してきたのは女性だった。髪の長い、大きな目の印象的な女性。運転席から下りた方は、切れ長ではあるが、その目にたたえている厳しい光に違いはなかった。
 助手席にいた女性は、建物の入り口を警備していたらしい男と押し問答していたが、警備側の一人が中に入り、それで話がついたのか、二人は通された。
「野口さん」
「お久しぶりです」
 風間 唯と、側近の嶋岡 美芹が通されたのは、妙に薄暗い部屋だった。応対に出たのも、彼女たちが会いに来た零ではなく、その上司筋に当たる野口という男だった。
「零はちょっと打ち合わせ中で、手が離せないのですが」
「構わん。零さんがやっとることじゃ。野口さんも承知しとるじゃろ」
 彼女は語気鋭く言った。

 祐美は、さして押しの強くないはずの零の雰囲気に圧倒されていた。
 彼女も言うことは言っている。それは彼女の気の短さのなせる技だが、零は堪える様子がなかった。身長はせいぜい 170cm 程度というところだろうし、体格も標準的。どこにでもいる普通のサラリーマンという風情なのに、隙のなさを感じさせるところが、この男にはあった。
「ということは、あたしが鬱状態だ、っていうのもでっちあげか」
 頷く零。
「でっちあげとも言い切れないが…そう断定するよう仕向けたのは事実だ」
「なんのために」
「俺としては、どうしても君にやって欲しい、と思っている」
「なんで。
 あたしにその素質があるって言うのか」
「ある。
 昨日と今日でそれははっきりした」
「あたしを試したんだね」
「期待通りだ。
 正確に言えば、この屋敷の構造に気づくのは、予想より早かった」
 祐美はテーブルを叩いた。

「本気なんか」
 現代に生きる忍者集団、万を数える風魔全軍を束ねる頭領である風間 唯。
 彼女は宮崎で育ったのだが、頭領となって全国を飛び回り、交渉ごとを重ねるうち、その言葉の特徴は薄れてきた。だが、やはりこうした緊迫した場面になると、今でもこのような言葉になる。逆にいうと、唯の言葉遣いは、彼女の精神状態を如実に映している。唯は怒っていた。
「えぇ」
 野口は静かに答えた。彼はいつでもそうだった。
「なんでじゃ。
 こないだの事件だって、初代や二代目を引っ張り出すのには相当の抵抗があったはずじゃ」
「抵抗したのはごく一部です。
 そもそも、あれは零の決断ですし」
「野口さん!」

「両親の仇を討ちたくはないか」
 零が言った。今までと同じような調子で。ただ、祐美を見つめる瞳には、それまでよりも力がこめられていた。
「かた…き?」
 頷く。
「なんの話だ?」
「我々の調査では、あれは意図的に引き起こされた事故だ」
 祐美は呆然としていた。何か言おうとしているが、何も言えない。やっとの思いで、搾り出すように言う。
「なんで…一体、誰が」
「それは、実行犯という意味か、それとも黒幕か」
「誰が!」
「実行犯は、先頭で最初にスリップした車に乗っていた男だ、と我々は考えている。事故で死んでいるが。
 黒幕については」
「誰だ」
「候補は何人か挙がっているが、まだ絞り込めていない」
「どういうことだよ…」
「一つ言えるのは、どの容疑者の線を追っても、現在、高校生たちを食い物にし、あるいは利用しようとしている勢力につながっていく、ということだ」
「なんの話だ!」
 零は祐美を見つめた。どこまで取り乱すかを計っているかのように。
「わかんないよ。
 あんたが何を言ってんだか、全然わかんないよ!」
 祐美は、テーブルを何度も叩いた。手をつけていないコーヒーカップが揺れ、中身がこぼれていた。
「我々だってわかっていない。
 だから、君に手伝って欲しい。そう提案しているんだ」
「わかんないよ…」
 祐美の声は小さくなった。嗚咽に混じって消える。
「今、この場で、結論を出す必要はない。それくらいの時間はある。
 だが、この提案に乗るのが一番の近道だ、と俺は思う」
 零は、祐美の嗚咽が止まるまで待った。
「『麻宮サキ』を名乗り、『スケバン刑事』となれ」

「零さん…!」
 応接室の大きな鏡はマジック ミラーであった。唯は、零が祐美を説得する様子を隣の部屋で見ていた。
「なんでじゃ、零さん」
「それが必要だからです」
「あれがどんだけ残酷なシステムか、あんたたちだってわかっとる筈じゃろ!」
 野口は、ゆっくりと唯に向き直った。
「風魔と暗闇機関の協力体制が確立して何年か経ちました。先日も、一緒に大きな事件を解決したばかりです」
「それが」
「私たちは、同じものを見聞きしているんです」
 唯は、野口が何を言い出そうとしているのか図りかねていた。
「我々も、あの方法がベストだとは思いません。
 ですが、『スケバン刑事』でなければならない理由があります」
「『スケバン刑事』でなければならない理由?」
「もし、それに自力で気づくことができないのなら、この件で風魔の皆さんをパートナーとすることはできません」
「なんてや?」
「事態は既に進行しています。零は時間があるようなことを言っていますが、実際には余裕はほとんどありません。一刻も早く、高校生の世界に楔を打ち込む必要があるんです」
「わちらも、それに気づいて当然。そう言うんじゃね」
「そう期待しています。
 今度の事件は大きくなります。我々だけでは手に余る可能性がある。
 ですが、この状況からそうしたことを読み取ることのできない人を仲間に加えるわけにはいきません」
「あんた…」
「もしお気づきでないのなら、我々にできるのは、可能な限りご注意ください、と申し上げることだけです」
「それだけの陰謀が、既に進行しているということですか」
 美芹が口をはさんだ。風魔を貶められた、と思って憤っていたが、野口の表情は真剣だった。そういう事態なのだ、と知った。
「はい」
「わかった。
 出直す」

 祐美は、部屋でヨーヨーをもてあそんでいた。
「スケバン刑事」という特命刑事のシステムと、それが、偽名を必要とするようなものであることを聞かされた。同時に、「麻宮サキ」は何人もいる、ということも。
 彼女たち一般人の知らないところでそういうシステムが稼動、つまり、そういうシステムでないと解決できないような事件が何度も起こっている、ということだった。
 それ自体は納得がいった。世の中というのはそういうものであろう、という、極めて浅い理解ではあったが。
 だが、両親のことは別だった。すでに警察の調査は完了し、あれは、耐用年数を超えた古いタイヤで高速を走ったことが原因の多重衝突だ、という報告が出ている。警察が嘘の報告をした、ということだろうか。10 人を超える人間が死んでいるというのに。
 祐美は、そういう疑問を抱いたまま眠りについた。不思議なことに、今までの中で最も深い眠りだった。疲れていたから、というだけではないような気がした。

 同じような朝食を終えると、ノックがあった。入ってくる様子がないのでドアを開けると零が立っていた。
「ちょっとつきあってくれ」
「どこに」
「木島 晃一の消息を知りたくはないか」
 それは、祐美を襲おうとした男の一人だった。この男がいなければ、祐美が投獄されることもなかった。だが、木島は自分と同じような処遇になったのではなかったのか。
「消息?」
「自分で確認した方がいい」

 零の車で連れて行かれたのは、高速道路の下にある、中途半端な公園だった。橋脚には、おどろおどろしい、あるいはヒワイな落書きが乱舞していた。
 そこに数人の若者がたむろしている。あたりをうかがう様子で、人目をはばかるようなことをしているという風情だった。
「あいつらが?」
 零は無言で頷いた。
 祐美は、零が話す気のないことはわかっていたし、そして、自分で聞きたい、という気持ちもあり、そのグループに向かって歩いていった。
 一人が、ブレザーの少女が近づいて来ている、ということに気づいて口笛を吹いた。続いて別の誰かが嬌声を上げた。
「どうしたの、おねーちゃん」
「俺たちとしたいの?」
「聞きたいことがあるんだけど」
「なんでも聞いて。
 きれーなおねいちゃんのためならなんでもするから」
 暑いのに毛糸の帽子をかぶった少年は、まとわりつくような視線を祐美に投げた後、近寄ってきた。
「木島 晃一のことなんだけど」
 祐美がそう言うと、少年たちの動きが止まった。
 奥にいた少年が一歩下がり、逆に、祐美に近寄ってきていた少年は威圧的に立ちはだかった。
「それを聞いてどうすんだよ」
「聞いてからだよ。
 木島がどうしたって?」
「おめーには関係ねーだろ!」
 奥の少年はすっかり怯えた様子で後ずさり、ついには駆け出そうとした。
 鎖の音。
 少年の足元にヨーヨーが炸裂し、小石が割れて飛び散った。零だった。
「なんだてめぇ!」
「助けてくれ。俺は死にたくない!」
 少年はうずくまり、零に向かって懇願した。
 今まで動かなかった少年が駆け出した。これにもヨーヨーが飛び、足を絡めとられて転倒した。
 残ったのは、祐美の前にいる少年だけだったが、これは祐美に飛び掛った。後ろから羽交い絞めにし、ナイフを突きつける。
「動くな!
 この女が死んでもいいのか!」
 零はヨーヨーを構えてゆっくりと間を詰めた。
「動くな!」
 少年は祐美の頬にナイフを当てた。
 だが、祐美は奇妙に冷静だった。ゆっくりとブレザーのポケットに手を入れる。少年の注意は、完全に零に向いていた。
 ダン、と音がしそうな勢いで足を踏みつける。少年の右手を零のヨーヨーが正確にヒットした。ナイフが落ちる。祐美は振り返りざま、ヨーヨーを握った手で少年の頬を殴りつけた。倒れる少年。
「さぁ、言いな。
 木島 晃一はどこだ!」
「死んだよ!」
 祐美の動きが止まった。
「死んだ…?」
「自殺だよ、自殺!」
 零が二人の少年を押すように歩かせてやってきた。
「殺されたんだよ!」
 と言ったのは、逃げようとした少年だった。祐美は向き直った。
「殺されたに決まってるよ。
 何日も前から、狙われてるって言ってたんだから」
「誰に」
「わかんねーよ」
「とぼけるな。
 誰に殺されたんだ!」
 少年の襟をつかんで激しく揺する祐美
「本当に知らないんだってば!」
 祐美は、その襟を引きおろし、倒れている少年の背中にたたきつけた。グエ、と蛙のような声がした。
 零は、少年たちに手錠をかけているところだった。
「窃盗と故買、現行犯逮捕というところだ」
 祐美はヨーヨーを握ったまま、ここ数日で何度目になるのか、呆然と立ちすくんでいた。
「木島が、殺された…?」

「いつまであたしの部屋にいるつもり?」
「邪魔かよ」
 京は、志織の問いに、不機嫌に答えた。
「逃げるような人間にはいて欲しくないんだけどね」
「あたしは逃げてなんか」
「本当に?」
 志織は京の目を覗き込んだ。目をそらす京。
「お京がここにいる間、牧は一人で戦ってる」
「うるせぇな」
「牧が、『スケバン刑事』を復活させる必要がある、って考えたのは、それなりの理由があるんじゃないの」
 京は答えなかった。
「その子も、スケバン刑事に任命されるだけのものは持ってるんでしょ。実力にしろ、境遇にしろ」
「だからって」
「牧は、少なくとも 3 人の『麻宮サキ』を知ってる。あたしや唯が泣き言を言ってるところも見てる。『スケバン刑事』のことで判断ミスをするとは、あたしには思えない」
「気の毒だとは思わねぇのか、あの子はな」
「両親を殺されて、その仇を討つためにスケバン刑事になる。あたしと同じ」
「会ったこともねぇ高校生に肩入れすんなよ」
「確かに、あたしはそのせいで見当違いをしているのかもしれない。でも」
 志織は、京が視線をよこすまで黙っていた。
「なんだよ」
「両親の交通事故、それはお京と一緒。
 この件を引っ張っちょるのは牧。
 それでおまんの目が曇ってるってことはないんか、お京」

Ver.1.0: 2003/8/10

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