祐美は部屋のドアをあけた。誰もいない。
「おい!」
叫ぶ。
「誰かいるんだろ!
用事があるんだ」
廊下の奥の方で、ドアが開く音がした。そして靴音。
「なんでしょう」
相変わらず迷彩服だが、妙に丁寧な言葉づかいだった。一昨日まで祐美を殺しそうな勢いで迫ってきた連中の仲間だとは思えない。
「零って人に会わせてくれ」
昨日の応接室だった。やはり、同じ女がコーヒーを運んできた。
「聞きたいことがある」
零は頷くと自分のカップを取り上げた。
「木島が死んでるってのはどういうことだ」
「どう、と言うと」
「あたしをヤろうとして、あたしがネンショーに入る原因になった男が死んでるんだ」
「調査中だ、としか言えない」
「嘘をつけ!」
祐美はテーブルを叩いた。昨日も同じ事をしたような気がする。
零はカップを置いた。
「活字になったものが欲しい、というのなら」
立ち上がる。奥にあるデスクに載っているコンピュータの電源を入れた。それは本物らしかった。
起動するまでの間 (ま)。零は CD-ROM を見せた。大手の新聞社の名前が読めた。
「去年の縮刷版だ」
「しゅくさつばん?」
零は戸惑っている祐美をしばらく見つめていた。そして立ったまま、その CD-ROM をコンピュータにセットした。何か操作した後、無言のまま、顔つきだけで画面を示す。
小さいものだったが、木島 晃一が首をつって自殺した、という記事だった。
「本当だったのか」
「この通り、公式の記録では、木島は自殺している」
「公式の記録?」
「自分の犯した罪にさいなまれて、という推測がなされている」
祐美は、画面を見つめた。
それはそうだろう。祐美を襲おうとして逆に大怪我をし、その上で前科者になるのだから。
「けど、昨日の仲間は、殺されたって」
「我々の調査では、その可能性は否定されていない」
「もったいぶるな!」
零は祐美に向き直った。
「実はこういうことでした、と俺が説明したとして、君はそれをそのまま受け入れるか?」
祐美は黙った。確かにその通りだった。どういうわけか、この男が嘘を言っている、という感じはしないのだが、それを全面的に、無条件に受け入れる気になれない、というのは事実だった。
「俺は嘘は言っていない。
君の両親の死も、木島の死も、公式の記録が胡散臭いとは思っているが、それは出鱈目だ、と断言するだけの根拠も持ち合わせていない」
「でも、疑ってるんだろ」
「そうだ。
だが、まだ確証がない」
「それをあたしに調べさせようって言うのか」
「いや」
零は、ソファを指し示した。座れ、ということだろう。祐美は大人しく戻った。
「君にやって欲しいのは、高校の方だ」
「繋がってる、って言ってなかったか」
「言った。
だが、役割は分担した方がいい」
「それに答える前に、木島のことをはっきりさせたい」
「そうだな」
ソファの背に手を乗せて動きを止める零。
「小村のこともある」
零は、祐美を襲おうとした、もう一人の男の名を口にした。
昨日、零が逮捕した、盗品を売りさばこうとしていた少年との面会は簡単に許された。どうやら、暗闇機関というのは警察に顔の利く存在のようだった。
木島の他殺の可能性を示唆した少年は、しかし、小村 一雄のことは知らないようだった。
彼の言葉を信じるなら、木島や小村は、ワルの高校生の中でも、グループを作らずに悪事をする「タチの悪い」連中のようだった。足取りをつかまれないように巧妙に動いており、木島を知っているからと言って小村を知っているということはないのだった。
祐美を人質に取ろうとした少年は、小村も自殺したと聞いた、と言った。彼は、本当にそれ以上のことは知らないようだった。
それはつまり、彼らが悪事に手を染めながらも、自分の身を守るための暗黙の了解というものを確立していた、ということだった。有名人であっても仇名か通称しか知らない。信用を得られればケータイの番号を教えてもらえることはあるが、ケータイは、身分を偽って手に入れることは容易、捨てるのも簡単であり、数ヶ月も経てば途切れるルートだった。祐美は、彼らからの情報収集を諦めた。
「『しゅくさつばん』ってのは特別なものなのか」
「特別?」
「スパイ組織でないと持ってないもんか」
「図書館に行けばある」
二人はその足で図書館に向かった。小村の件を確認しようとしたのだった。
簡単に見つかった。彼は、夜中の繁華街でチンピラに絡まれ、そのときのケンカで腹を刺されて死んでいた。
「どういうことだ!」
祐美は、静かな図書館の中で大きな声で叫んだ。
図書館の周囲に広がる公園――正確には、公園の中に図書館があるのだが――で、祐美は同じ問いを零に突きつけだ。
「同じだ。
殺されたのだろう、という仮説は持っているが、証拠がない」
「大体、なんであいつらが殺されなきゃならないんだ」
「たちの悪い連中だ、という証言は聞いただろう。いつ、刺されたって不思議はない」
「だって、あいつらはあたしの件で捕まったんだぞ」
「ああいう奴らだ。自分がどういう状況にあっても、そこを出たい、と思えば脱出はする。それで羽を伸ばしていたところで誰かに絡まれたって、世間では疑問を持たない。そんなもんだろう、と思うだけだ」
「世間?」
零は、祐美の肩を押した。
「座れ。
短気なのが、君の数少ない欠点の一つだな」
「よく言われたよ」
祐美は憮然としてベンチに座り込んだ。
「通信簿にはいつも書いてあった。お父さんはいつも――」
祐美の言葉はそこで途切れた。握り締めた右手が、生徒手帳が入っている胸のポケットに向けられた。
「君のお父さんは、ジャーナリストだったな」
「あぁ」
「Internet のニュース サイトでは一定の地位を確立していた。
その人が事故で死ぬ、ということで、裏を探ろうとしない者はいない」
祐美は顔を上げた。零は何を言おうとしているのだ。
「まして、葬儀の前日に泥棒が入り、二日後に家が全焼するとあってはな」
祐美は、聞きたくない、という顔で再び視線を落とした。両手を固く結ぶ。
「だが、その意味を探り当てることができた者は誰もいなかった」
「あんたなら何か知ってるって言うのかよ」
「いや」
なんでもないことのように言う零。
「だが、我々はしつこいんだ。
執拗な調査の結果、あの交通事故が人為的なものではないか、という可能性を掴んだ。そういう目で調べていくと、色々なことが繋がって見えてくる」
祐美は何も言わなかった。手を握り締めたまま、足元を見ている。
「君のお父さんは、奴らの企みをつかんでいたのではないだろうか」
え、という形に口が開く。半ば呆然という状態で零を見る。
「そのせいで命を狙われた。
どこまで知られているのかを確認しようとして泥棒が入り、証拠隠滅しようとして家に火がかけられ、そして、ただ一人残った関係者である君を亡き者にしようとする」
「待てよ…」
零はその言葉を無視した。
「そう考えると、ピースがうまくはまるんだ。
君を襲った木島や小村が殺されたこともな」
首を小さく振る祐美。零の言ったことを拒否したい、という表情。
「本当は君を殺すつもりだったんだろう。それで、使い捨てにできるようなチンピラを利用しようとしたが、予想に反して、君はそれを撃退してしまった。
その前からの、両親の死、泥棒、火事――連続しておきた事件で君は言葉を失った。鬱状態というのは、あながち間違いでもない。
君はそのまま少年院に送致される。後は、事実の一端を知っている二人をこの世から消す。これでひとまずは安泰、と奴らは本業に精を出すことができる。あるいは、我々が動き始めるまでの間に、少年院内で君を殺そうという企みもあったかもしれない」
「待てよ!」
祐美が叫んだ。零を正面から見据える。
「本…気で言ってるのか?」
「あぁ」
「あたし…あたしに、そんなことを信じろって言うのか?」
「あぁ」
「あたしのお父さんは、そんなことを。
お母さんは…」
「菅原 道彦氏は、気骨のある人だと聞いている。
世間を騒がす…いや、ひっくり返しかねない企みのことを知ったら、そう簡単に引いたりはしないだろう」
「当たり前だ」
「君にはその血が流れている」
祐美は無言で零をにらみつけた。
「それを利用しようとしている、という解釈は可能だろうな。俺も否定はしない。
君は新聞の縮刷版というものも知らない。おそらく、君を騙そうと思えば、それはそんなに難しいことではないだろう」
「でっちあげだってのか。
図書館まで巻き込んで」
「あそこで見たのは小村の件だ。木島はどうだ。あれは俺が見せたデータだ。
君はコンピュータには詳しいか? あのデータが、ハードディスク内のでっちあげのデータではなく、市販の CD-ROM からのデータだった、という判断はつくか?」
「あんたが…そういうセコいことをするとは思えない。理由はわからないけど」
「素直なのは、美点とは限らない」
「どうしろって言うんだ!」
「協力して欲しい。
だが、見たままを信じるのは危険だ。それを指摘している」
祐美は、ドスンと音を立ててベンチに座り込んだ。混乱している。両親は、何かの陰謀に巻き込まれて殺された。自分も殺されるところだった。
そして今、敵か味方か判断の難しい男が、その陰謀をつぶす協力をしろ、と迫っている。
彼らの助けを得て両親の仇を討つことができるのなら、それはそれで好ましい申し出だと言えないこともないだろう。だが、そんなことができるのか?
「あんたの言う『スケバン刑事』ってのは」
「待て」
零の声のトーンが下がった。祐美はその様子の変化に立ち上がった。
「どうしたんだ」
答えの代わりに零はヨーヨーを投げてよこした。
「俺に弱点があるのは知ってるな。
安全に守ってもらえるとは思わないでくれ」
「ちょっと待て」
祐美はあたりを見回した。誰もいない。
「誰かいるのか」
「いない」
「なんだ?!」
「頭を使え。
晴れた昼間の公園に誰もいないんだ」
言われてみれば。遠くに子供づれなどの影は見えるが、この区画にだけ誰もいなかった。
「迂闊だったな…」
舌打ちする零。
祐美は、ヨーヨーを固く握り締めて、零の左側に立った。零はそれを見てかすかに笑ったが、祐美には見えていなかった。
「助けは呼んだ。時間を稼ぐだけでいい。無理はするな」
頷く祐美。
それと同時に、木の上から何かが跳んできた。人だった。
着地のショックを足で吸収した瞬間を零は蹴り上げた。倒れて体が開いたところに足を踏み込む。男は悶絶した。
(すげぇ)
これが殺気というものなのだろう、と祐美は思った。表情は静かだったが、零のやることには容赦がなかった。今も、腕時計のある右手を襲撃者の眉間に叩きつけたところだった。男が押さえた指の隙間から真っ赤な血が見えたが、零はそこにつま先を入れた。
「止まるな!
死にたいのか!」
はじかれたように正面を見ると、清掃員の格好をした男が目の前にいた。祐美は、反射的にヨーヨーを握った手を振り回した。それは男の頭部にヒットし、男がバランスを失った。そこに、カウンターで零の足が迎えた。
「走るぞ」
「どこに」
「右だ。
先を行け」
零は返事を待たずに、祐美の背中を押した。勢いで走り出す祐美。確かに、そこにだけは襲撃者の隙があった。
「走れ!」
後ろから零の声。その声は、前よりも緊迫していた。何があったのだ、と思った瞬間。
空気が噴き出す音。
砂利の音。
振り返ると、零が片膝をついていた。
「おい!」
「走れ!」
零は、鬼のような形相で、それでも、自分を撃った男に発砲した。2 発。それが最後だったらしい、あたりは唐突に静かになった。
「大丈夫か!」
零は立ち上がろうとしていた。
「無理するな。今、救急車を」
「その前に、体を隠す」
祐美の支えで立ち上がり、零は木の陰に身を隠した。
「おい…」
「尾けられてたのかもしれないな…『ガーデン』ということはない…警察署あたりからか…」
零は胸から携帯電話を取り出そうとしたが、それを取り落とした。祐美が拾い上げる。
「救急車だな」
「よこせ」
「あんたは電話できる状態じゃ」
「それは、俺の指紋でないと、反応しない」
「指紋…?」
「俺の手に、握らせて、くれ」
言われた通り、零が開いた手の上に載せる。零はフリップの中央に親指を押しつけた。ランプが点るまでにかかったのは 1 秒程度だっただろうが、祐美には何分にも感じられた。
「零です。
撃たれました。
ええ、‘y’も一緒です。
ここは――」
零の息が荒い。祐美は電話を引ったくった。
「杉並の第一図書館だ。横の公園」
「噴水のある、広場の、脇、ニセアカシアの、木の、下だ」
「噴水のある広場の脇、ニセアカシアの木の下!」
祐美は、零の言葉を繰り返した。
「早くしてくれ。
この人は腹を撃たれてる。おい」
祐美が叫んだ。零は気を失っているようだった。
「急いでくれ!
今、気を失った。
おい、あんた!」
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