スケバン刑事 -少女新生初伝編-

狙撃手を追え! シングル トラックの決戦



「へぇぇ、結構、いるんだ」
 サキは車から降りるなり声をあげた。
 ここは、都心から車で 2 時間程度の場所にある、自然の地形を生かした巨大なアウトドア型のテーマパークである。一般に、敷地面積を野球場と比較して何面分、などという言い方をすることがあるが、ここは、その野球場が青くなるほどの大きさを誇る。
 サキは、もの珍しそうに周囲を見回していた。キャンピング カー、テント、タープ。その表情から、解放感が読める。
「あそこにいるはずだ」
「え、誰が」
「北島 寛子」
 サキは、まじまじと京を見詰めた。本当に、自分がここに来た目的を忘れていたらしい。
「あ、そうか。北島 寛子ね」
「たるんでるね」
 と、頭を軽く叩く。
 京の指す先にひときわ大きなワゴンがあった。そこから広がるタープには、“Superiorized”と書かれている。
 北島 寛子は現在、高校二年生。次のオリンピックへの出場も噂される、MTB のクロスカントリー選手である。“Superiorized”は、彼女のスポンサーをしている、世界有数の自転車メーカーの名前だった。
 寛子は、明日のレースに備えてバイク (自転車) の調整に余念がない。
「面、通して来な」
「めん?」
 京はサキを睨みつけた。
「任務の内容を最初から説明し直せって言うのか?」
「あ、はい」
 慌ててテントの方に走っていくサキ。
(ちょっと甘やかしちまったかな)
 寛子の高校は、既に連合生徒会が押さえている。
 彼女は、日々のトレーニングとレースへの参加を第一に生活を組み立てているので、授業には出席するものの、参加義務のない、あるいは後に埋め合わせの効く学校行事などは頻繁に欠席していた。連合生徒会側は、まずこれが気に入らない。
 そして、彼女が優秀なライダーであることは校内 (のみならず全国的) に知れ渡っているので、生徒たちは、そうした彼女の行動を応援している。北島 寛子は校内では「ヒロイン」扱いだったのである。これは、高見沢 幸 (みゆき) を頂点とし、全高校生の集中管理を目指している連合生徒会にとってはありがたくない存在であった。
 また逆の見方をすれば、彼女を傷つけ、あるいは屈服させることによって、全校生徒、あるいは彼女を知る全国の高校生を完全に連合生徒会にひざまずかせることが可能である。
 サキの任務は、今日明日とここで行われるレースの間、彼女を護衛することであった。
 東日本での MTB シーズンは間もなく終わる。その前に大規模な大会があるが、それには多くのメディアがやってくる。それに比べれば規模の小さな今日の大会の方が危険、と判断された。
「北島さん」
 サキが声を掛けると、寛子は顔を挙げた。
「応援しに来ました。
 明日、期待してますよ」
「あ、ありがとう」
 寛子は、工具を置いて、サキのそばにやってきた。
「女の子がそう言ってくれるのって滅多にないから、すごくうれしい。
 あなたは…バイクやるわけじゃなさそうだけど」
「知り合いが趣味でやってて、たまたま雑誌を見たら、北島さんが載ってたんです。で、カッコイイ! って」
「カッコイイ?」
 寛子は頭をかいた。
「今日はこちらに泊まるんですか?」
「はい。
 麓の、ホテル・モンブランってところ」
「あたしと同じだ」
「本当ですか?
 じゃ、よろしくお願いします」
「あ、いえ、こちらこそ」
「あんまり北島さんの邪魔しちゃダメだぜ、サキ」
 京は、寛子に軽く頭を下げた。
「あたしの…保護者です」
「ちょっと下が湿ってますね」
「えぇ、水曜日まで雨でしたから…。
 でも、これくらいだったら、特に問題はありませんよ。今回は 30km しかないし」
「たった 30km?」
 甲高い声をあげたのはサキだった。
「お前な…」
「え、だって 30km なんて車ならあっという間」
 京の口が、しゃべるな、と動いた。次には、寛子に向かってまた頭を下げる。
「すいませんね。まだ関心持ったばっかりなんで」
 しかし、寛子は気を悪くした様子もなかった。むしろ、笑顔である。だが、大きく見開いた瞳に、いたずらっぽい光を見て取った京は、その意味を理解した。
「やってみませんか?」
「え?」
「今日は、12:30 から体験レースがあるんです。
 やってみましょうよ。面白いから」
「え、でも、あたし」
「バイクは貸してあげますよ。
 ウェアもあるし、足は何 cm です?」
「24cm…」
「じゃ大丈夫ですね」
「え、ちょっと待ってくださいよ」
 うろたえるサキを京は黙って見ていた。面白がっている様子だ。
「でも、あたしこんな自転車乗ったことないし」
「大丈夫ですって。普通のと同じですから。
 変速機つきの奴は乗ったことあります?」
「ないんだけど」
「じゃ、それは覚えてもらわないと。
 大丈夫ですよ。距離は短いから、フロントはセンターに固定しておいて、リアだけ変えれば。
 あ、そうだ。申し込み、間に合うかな。
 行きましょう。早く。急がないと」
 京が背中を叩く。サキは、受付のテントに連れられて行った。

(子供ばっかりだ)
 参加者はわずかに 8 人。小学生が 4 人、中学生が 1 人、高校生が 2 人。この高校生はともかく、中学生に負けることはないだろう、とサキは思った。
 コースは、スキー場のゲレンデのような斜面を使い、中高生で 900m を 2 周、小学生はそれをショートカットした 1 周で 500m. 多少の坂はあるが、あれくらい、とサキは思った。
「よーい」
 皆が息を潜める。懐かしい感覚だ。この緊張は嫌いじゃない。
 ピストル。
 サキは飛び出した。一気に重いギアに上げてスピードに乗る。そのつもりだったが。
(ち)
 路面は半ば泥であった。タイヤが空回りする。四苦八苦する間に、高校生に抜かれた。
「くそ」
 グ、グと踏み込む。タイヤの空周りは収まらなかったが、前より進みはした。なんとか土の部分を抜け、芝生の面に出る。タイヤが地面を掴んだのがわかる。
(挽回!)
 だが、道は上っていた。150m くらいはあるだろうか。サキは、「立ちこぎ」に切り替えた。
「麻宮さん、ギア落として。軽くして!」
(冗談じゃない)
 そのままの勢いで登っていくサキ。だが中学生にも抜かれる。小学生のコースには、この坂は含まれないので、サキが最下位である。
「麻宮さん!」
「無駄ですよ」
「ダンシングなんかしちゃだめなのに」
「軽いギアに変えるのは『敗北』だと思ってるんでしょう」
「敗北、って」
「よくいるでしょう。そういう人。
 ケイデンスをキープするのが原則だってことを知らない人。体育会系にありがち」
「そうですけど…」
「特にあいつは気が短いから。もう頭に血が上ってます」
 それでも登りきったのはサキの基礎体力のおかげか、暗闇機関におけるトレーニングの成果か。
 そこからは下りであった。直線ではなく、くねくねと曲がりながらなのでスピードは上がらないが、サキは足を前に出してバランスを取りながら降りてきた。先行している 2 人にもうすぐ、というところで 2 周目に入る。打鐘 (ジャン) が鳴った。
 サキも考えたのだろう、今度はコースの端、泥ではなくわずかに芝の見えているところを走った。おかげで 3 人が並ぶ。
(これからだ!)
 だが、またしても上り坂。普通、上りになったら黙っていても軽いギアに落とすものだが、サキの場合、なまじ脚力があったのが災いした。全く登れないわけでもないので、そのままのギアで行こうとする。だが、ここはやはり、原則に則った 2 人の方が速かった。着実に前進し、サキとの間は離れていく。
 サキはまた立ちこぎに切り替えたが、また後輪が空回りし、一向に詰まる気配がない。
「登りで、ダンシングで、前輪加重じゃなぁ」
 京はどうやら面白がっているようだった。
「う…ん」
 寛子も唸っている。
「それほど頭の悪い子じゃないんですけどね。
 こういうケースで頭に血が上ると、制御できなくなるんだな。これは覚えておかないと」
 後半は小さな声になる。冷静さを完全に失うことはない、と思っていたが…。敵の有無が関係あるのかもしれない。今回は自分自身が相手だ。自分の中で生まれた怒りと憤りが全て自分に戻ってくる。
 道は下りになった。1 周目と同じように間を詰めていくが、追いつくに至らない。
 最後のホーム ストレート。ゴール。フラッグが振られる。サキもよく追い上げたが、結局は最下位だった。
 サキは、ゆっくりとコースから出てきた。ものを言う気力がないらしい。京が噴き出した。
「麻宮さん、大丈夫ですか?」
 黙って頷く。MTB を寛子に委ねると座り込む。
「お疲れさん」
 京はまだ笑っていた。

 夜になった。
 京はいつにまにか「報道」の腕章をつけてあちこち見て回っている。サキはホテルのレストランに入った。
 ホテル内にレストランの類はいくつかがあるが、ここは、レストランと言うよりは、朝食によく見られるようなバイキング形式となっていた。メニューも、レース参加者が定宿としているだけあって、パスタと果物の目立つ、特殊な構成となっている。
 中には、塩だけでパスタをかき込んでいる者もいたが、サキはミートソースを探し出し、それと果物をトレイに載せた。北島 寛子を視界に納めながら。
 楽しそうだな、とサキは思った。自転車に乗れること、自転車の話をできることが楽しくてしょうがないのだろう。
 目が合った。サキが軽く会釈をすると、寛子は元気に席を立って、サキのテーブルにやってきた。
「あ、さっきはどうもすいません」
 まず、サキが言った。
「え、なにが」
「『たった 30km』なんて言っちゃって」
 寛子は、いたずらっぽく笑った。
「どうでした、あのレース」
 サキは、しばらく黙っていたが、やがて、照れくさそうな顔をしながら言った。
「悔しい」
「でしょう。
 もう 1 回やってみよう、って気になりません?」
「うーん」
「麻宮さん、陸上やってたんですって?」
「中距離…」
「じゃ、脚はきっとできてるから」
「ひょっとして勧誘されてますか、あたし?」
 笑う。
「好きなんですね」
 熱っぽく語る様子に、ポツリとサキが言った。
「え?」
「自転車」
「うん。大好き。
 毎日がバイク。学校でもバイク」
「学校でも、って…?」
「あたしねぇ、勉強はちょっと、っていうか大分、苦手なんだけど、英語だけは真面目にやってる」
「英語…やっぱり、世界を目指してるんだ」
「そう。
 やるからには表彰台に立ちたいしね。世界の。
 それに、日本だとスポーツ選手って色々と面倒でしょ。みんな苦労してるし」
「永住するんですか?」
「それはわかんないけど、向こうのチームに入るとかね、そういう声がかかったとき、英語わかんなーい、そんなことでチャンスを失いたくない」
「すごい」
「っていうか。
 好きだからね。それだけ」

 話は尽きなかった。寛子の、自転車に関する話を聞いているだけ、その様子を見ているだけでサキは心地よさを感じた。これだけ熱心に自分の好きなことを語ることのできる人物を見たのは久しぶり、あるいは初めてだったかもしれない。
 サキは、口を開けば、自分が自転車のことをほとんど知らないことがばれるかもしれない、とは思ったが、「単に寛子をカッコイイと思っただけ」という説明で納得しているようだったし、同年代の女が応援してくれている、というだけで彼女は気をよくしているようでもあった。いずれ、サキにとっては、寛子のような人間との会話は刺激的で、その時間がずっと続けばいい、と思っていた。最後には、それくらいにしろ、と寛子のコーチに怒られるほどだった。
 部屋に戻ると、京はテーブルでコース図を睨んでいた。
 サキは、京の言葉にも生返事で、黙ってベッドの縁に腰掛けた。
「どうした?」
「お京さん、あたし、あの人、気に入った」
 顔を上げる京。
「絶対に守る。
 傷つけさせたりなんかしない」
「あぁ」
 静かに、微笑みながら京は答えた。
「あの人は世界に出てって活躍する人なんだ。れん…あんな連中の好きになんかさせない」
「そうだな」
 京は立ち上がって、コース図をサキに渡した。
「あたしが気になったところは印つけといたけど、お前もチェックしといてくれ」
 上着を手に取る。
「向こうは何時に起きるって?」
「4 時半だって」
「じゃ、あたしたちは 4 時だ。
 早く寝なよ」
「お京さん、どこに?」
「もう一回りしてくる」
「あたしも」
「プレス パスは一枚しかないんだ。
 それに、明日、コースの周りを走り回るのはどっちかって言えばお前の役目だ。よく休んでおきな」
 そう言って部屋を出る。
(もうちょっと待ってくれよな。
 お前が、そういうことを見つけられるように、できるだけ早く解放してやるから)

 晴れた。
 季節柄、暑くも寒くもない、絶好のレース日和となった。寛子のコーチは、こういう天気では、湿った土の表面が中途半端に乾いて、粒の大きな砂みたいになって走りにくくなることがある、と言った。
 寛子は、朝こそサキと挨拶を交わしたが、スタートの 30 分前からは厳しい表情になった。精神を集中している。
 スタート地点は、昨日の体験レースと同じ場所に設営されていた。芝の上のコースを示すテープが太陽を反射している。
 雰囲気は全く違う。会場全体が緊張し、かつ、トップクラスのレースの展開への期待に沈黙した。
“1 minute to start.”
 レースの実況を兼ねる DJ が言った。
 それでも観客は 100 人はいない。MTB のレースはまだ、広く人気を獲得しているスポーツではないのだ。
 付け焼刃の知識しかないサキには、寛子が選手全体の中でどこのレベルにいるのかはわからないが、彼女には大きな舞台で活躍して欲しい、そう思った。連合生徒会に、象徴として叩き潰す、などということをさせるわけにはいかなかった。
「寛子さん!」
 自分でも気づかないうちに声を送るサキ。
 8:30.
 ピストル。
 一斉のスタート。土煙を上げながら 30 台の MTB が目の前を走り抜けた。そのまま、右に曲がって林の中に入っていく。
「サキ」
 京が合図した。サキはレンタルしてきた MTB、京は持ってきたものにまたがり、チェック ポイントに向かった。
 コースは 1 周 6km である。これを 5 周する。
 チェックするべきポイントは意外に限られている。
 連合生徒会が、象徴的な存在として北島 寛子を狙っているとはいえ、犯罪者集団であることを広く知らしめたいのではない。彼女が連合に屈服した、という事実が欲しいだけである。したがって、人目のあるところでは行動しないと考えられる。まして、命を狙う、ということはない。これには、現時点では、という条件がつくが。
 つまり、人の多い、ゴールも兼ねるスタート地点は除外される。また、選手の通過を確認するために要所要所に配置されている、「立哨」と呼ばれる一種の審判員がいる場所も外していい。開けた場所や真っ直ぐな道が続く場所には、観客が待ち構えていることが多いので、ここもいい。
 問題になるのは、「シングル トラック」と呼ばれる、一人分の幅しかない、林の中を縫うように走る山道だろう、とサキ達は考えた。木の陰に隠れることもできるし、追うにも邪魔になる。
 そうやってリストアップした地点を、二人で一つおきに回っていく、というのがサキたちの作戦である。
 サキは、各ポイントの安全を確認しながら、寛子のレースを見守った。寛子の真剣なまなざしがサキの胸を熱くする。
 レースは、平均時速が 15km/h に届きそうなハイ スピード レースとなった。寛子を含む 3 人からなるトップ集団は、1 時間 45 分を過ぎたあたりでファイナル ラップに突入した。
 ここまでは何も起きなかった。これも、京の読みどおりだった。自転車に限らず、最初の段階では全選手が固まっており、それが次第にばらばらになって行く。つまり、レースの序盤では、ある特定の誰かだけを狙うことは難しい。先頭を切っている者が落車すれば、直ちに後続に影響が出る。彼女たちの懸念は寧ろ、後半になってもトップ集団が固まったままで、寛子一人、という状態にならない場合、他の選手をも巻き込んだ大きな事故になることにあった。
《山科が遅れ始めたらしい》
 サキの携帯電話に京から連絡が入った。トップになった寛子が後続を引き離しつつある。これは逆に、寛子が狙われやすい状態になった、ということだ。
《了解。次に向かいます》
 途中には、地形の関係で、色々なチームのサポート メンバーが集まる場所があった。ほぼ真中の地点で、ここでレースの全体を見ながら、改めて指示を出したりすることがある。寛子のスタッフもいた。
「どうですか」
 寛子の友達、ということで顔を覚えられているサキは、その青年に声を掛けた。
「いいペースだね。
 これで、この先のドロップオフまで距離を稼いでおければ」
「ドロップオフって?」
「えっとね。
 崖みたいになってるところ。一応、道はできてるけど、かなり急なところのことだよ。上から見ると垂直に見えたりするね」
 青年は手で角度を描いて見せた。
「寛子ね、ドロップオフが苦手なんだよ」
「そうなんですか」
「ドロップオフは、腰を思いっきり後ろに引いて、お尻をリアに乗せるくらいにして一気に降りるんだけど、その『思いっきり』ができないことがある」
「…」
「前に怪我したことがあったらしいんだ。それで一瞬、躊躇することがあるんだよね。タイミングを失って、バイクを降りて、ズルズルっと下ることになるんだけど、後続との距離がないと、そこで一気につめられたりする」
「その、ドロップオフを降りてる状態って、バランスが」
「そうだね。短い時間だけど、危険な状態ではある」
「それ、どこですか」
 サキはコース図を差し出した。
 青年がゆっくりと指でたどる。
「現在地がここだから…この辺だね。
 この道から近くまではいけるんじゃないかな。藪だから入るのはちょっと大変だけど」
「ありがとうございます」
 MTB に飛び乗る。その状態なら、横から力を加えれば、あるいは、目の前に何かぶつけるとかすれば、簡単に転倒するのではないか。
(あれか)
 サキは MTB を投げ出して斜面を登った。
(いた)
 前方、コースを挟んで反対側に、キャップを目深にかぶった少年。ここから見た範囲では、そこは観戦ポイントではない。入っていくだけでも一苦労のはずだ。
 ゆっくり、できるだけ藪を動かさないようにして進む。
 なんとか足場の確保できそうなところで止まった。
 時折、風の音。
 少年は電話を手に取った。仲間から連絡があったのだろう。それが終わると、スリング ショットを取り出した。何かの弾をつがえてゴムを伸ばす。
(させない!)
 サキは立ち上がった。ヨーヨーが飛ぶ。鋭い音。少年の手からスリング ショットが落ちた。
 寛子が飛び込んできたのは、ヨーヨーが手元に戻った直後だった。十分に腰を引いた、安定したフォームだった。
 少年は、自分が失敗したのを悟ると、コースを越えて走り出した。砂利道に出る。少年は、隠してあった MTB で逃げ出そうとした。
「お京さん!」
 電話にイヤホン マイクをつないでおいたのは正解だった。京に場所を知らせながら、追う。単なる砂利道なら脚力勝負。少年とサキの間は見る間に縮んでいった。
 だが、少年は脇に入った。道があるわけではない。大きく降りた先は草原だった。何もない。何に使うところなのか、ここがスキー場であればゲレンデなのかもしれないが。
「ち」
 この急な下りはドロップオフと言ってよかった。サキは思わず MTB を止めた。だが、少年はどんどん離れていく。
(ドロップオフは、腰を思いっきり後ろに引いて、お尻をリアに乗せるくらいにして一気に降りる)
 さっきの青年の言葉を思い出す。前輪を、道に対して直角に当てて、深呼吸。そして踏み出す。寛子のフォームを思い出して、その体勢を維持。草原にたどり着いた。
「待て!」
 少年は、深い草を嫌ったのか、草原の縁を回っていく。サキもそれを追った。間が詰まっていく。サキはギアを二段階上げた。タイヤが草を千切って力がロスするのを感じたが、確かにスピードは上がった。グイグイとこいでいく。
 右側が林になった。レースのコースでも見た。この中に入るシングル トラックができている可能性がある。ここで逃がしたくない。
「待て!」
 サキはもう一度、叫んだ。前よりは声が近くなっている筈だ。少年はこちらを見た。
(やっぱり)
 右前方に、木のまばらになっているところがあった。シングル トラックだろう。
「待てっつってんだろ!」
 少年の MTB は曲がった。と、少年の体がつんのめったのが見えた。そして、ガシャ、と音。
 サキはその入り口で止まった。少年は、MTB を置いて走り出そうとしていた。
 MTB を降りる。足場を固める。
 鎖が風を切った。鈍い音とともに、ヨーヨーが少年の背中を打った。
「うあっ!」
 少年は土の上に倒れこんだ。もう一撃、鼻先へ。
「彼女は、お前なんかがどうにかしていい人じゃない」
 サキは、少年を見据えながら、一歩ずつ近づいた。
「もっと広い世界で活躍する人なんだよ」
 林の中。空気は急に冷たくなっていた。
「立ちな。
 あんたには色々と聞きたいことがある」
「お前は…!
 お前は一体、何者だ!」
「凰鳴学園 2 年 B 組、麻宮サキ」
 腕を突き出し、ヨーヨーを正面に掲げる。
「またの名を」
 ボタンを押す。
「スケバン刑事」
 乾いた音と共に、ヨーヨーの蓋が開いた。
「桜の代紋…?」
「あんたの質問には答えた。
 次はこっちの番だ」
 少年は手元の石を掴んで投げた。よけるサキ。その隙に少年は立ち上がった。何処に隠してあったのか、スリング ショットを構える。
「ざけんな!」
 弾をつがえる暇を与えない。ヨーヨーがその手元を打った。次が腹へ。
 そして、最後。鎖が少年の体を拘束していく。少年はもう抵抗する気力を失ったようだった。
 右手の指先の操作で、鎖をそのまま、ヨーヨーを手元に戻す。
「麻宮サキをなめんじゃねぇよ」
 一歩、踏み出してサキはその言葉を投げつけた。

「And, here is a Winner!
 北島 寛子!」
 DJ が、マイクの音が割れるほどの大きな声で言った。
 トロフィーが、賞状が、メダルが手渡される。
 寛子は、100 人の観客に向けて手を振った。拍手はいつまでも鳴り止まなかった。勿論、サキもである。
「コース レコードだそうじゃないか」
 京が戻ってきた。少年の身柄は、密かに警察へ引き渡した。これから、機関の取調べを受けることになる。
「うれしそう」
 確かに。だが、負けないくらいに、サキもうれしそうである。
 何か言おうとした京だが、思い直して口をつぐんだ。
「寛子さーん!」
 サキの声。
 それが聴こえたのか、寛子はこちらに向けて V サインを出して見せた。サキも両手の V サインで答える。
「寛子さーん!」
 もう一度、サキの声がした。

Ver.1.0: 2003/9/28

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