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ヘッドホンのベルトをコンコンとたたかれ、舞はそれとアイマスクを外した。車は地下駐車場らしい場所に着いていた。ゆっくりと降りる。反対側から男も降りた。女はそのまま二人を置き去りにして車をまた発進させた。
「ここが、暗闇機関…」
その名前は、警視になった時に聞いた。必要に迫られない限り、その名前を口に出すな、とも言われた。詳しい説明はしてもらえず、スパイ組織のようなものなのだろう、と思っていたが、この厳重さはやはりそれにふさわしいものだった。
「こっちだ」
その男が、その総司令官、暗闇司令だった。
エレベータの前、男は、スリットにカードを差し込み、小さな台に両手を当て、小さな円を覗き込んだ。すべてセキュリティ チェックである。
「私はいいんですか?」
暗闇司令は、そうやって開いたドアに舞を招いた。
「君は、ここに出入りすることにはならない。一時的な客だ」
「そうですか」
「もう少しだ」
暗闇司令も、その側近であるらしい「お京」と呼ばれる女も、詳細を語らない。暗闇機関のメンバーだということで、どうやら、警察以上に機密管理の厳しいところらしい、ということはわかったので、舞もそれ以上は要求しなかった。
エレベータを降りる。しばらく歩くと、暗闇は立ち止まった。また認証する。
大きくはないが、そのドアは普通以上に重いようだった。
舞は、一歩、踏み込んだところで止まった。二人の女の視線が飛んできたからである。
敵意は感じない。年上らしい女の方は、よかったね、という声が聞こえてきそうに微笑んでいたし、もう一人、舞とさして変わらない年齢の女の方も、笑ってはいないものの、ほっとしたように小さく頷いていた。
暗闇司令はそれを追い越して、正面のデスクに座った。
「最初に言っておくが、君はこれで暗闇機関と直接のコンタクトを持ったことになる。自分で望んだことではないと思うが、一応、覚悟はして欲しい」
「覚悟?」
「一言で言えば、ここは『ヤバい』ところだ。
曲がりなりにも公安組織ではあるが、犯罪者に対しては勿論、他の公安組織に対してすら牙をむくことがある。敵ばかりの組織だ、と思って欲しい」
「わかりました」
「返事が早すぎるな。
さっき発砲したが、俺自身は威嚇射撃をしていない、ということを思い出してくれ。警官がやっているが、俺はそのつもりはなかった。
ここは、必要があれば、背後から胸を打ち抜く、ということをするところで、それを表立って咎めることができる者はいない、そういう組織だ」
「…」
舞は黙っていた。この男はなぜわざわざそんな言い方をするのだ。敵ができるのはそのせいではないか、と思った。
暗闇は、その反応の方が気に入ったらしい。説明を始めた。
「君の姉さん、銭形 愛は、彼女の組織が保護している」
「場所は…えぇの?」
唯は、許可を得るように暗闇を見た。暗闇は、適当なところまで、と言った。
「神奈川におる。
あたしの仲間がちゃんと守っちょるから安心してえぇ」
「あの」
どこの人だろう。少なくとも神奈川の言葉ではないような気がする。
「風魔、っていう名前は聞いたことある?」
「…忍者の、ですか?」
「そう。
風魔忍者は今でも生きちょる。
それも、昔のままじゃ。暗闇司令やほかの人と一緒に暗躍しちょる。時々、こういう風に表に出てくるんじゃ」
舞は記憶を手繰った。風魔は確か、北条氏が抱えていた忍者だ。
「だから、神奈川なんですね」
「よく知っちょるね。
会いたいじゃろうけど、もうちょっと待っちくり。生きちょるとわかればまた狙われる。もうちょっと状況が整うまで」
「わかりました」
「妹の銭形 零は、高村巡査や五代巡査部長と一緒に君たちを捜索中だ」
「捜索?
連絡はとってくれないんですか?」
「同じ理由だ。
君が無事だとわかれば、向こうも動き出す。
尤も」
暗闇は舞の抗議を押さえつけた。
「部下が捕まっているから、じきに気づくだろう。だから、君の家族に君の無事を知らせるのはそう先のことではない。これも状況を見ているところだ」
「おねえちゃま、銭形 泪は」
「今――」
「捜索中だ」
暗闇は、今度は祐美の言葉を遮った。
祐美は暗闇を睨みつけながら続けた。
「泪はケータイを持ったままだから、その大まかな場所は掴んでる。でも、場所を頻繁に変えてるから、まだ保護できていない」
「『泪』って…。
あの、お知り合いですか?」
鋭い。暗闇と唯は顔を見合わせた。
祐美は、まだ不満はあるようだが、それでも確認を求めて、暗闇の方を向いた。頷く暗闇。
「実は、大学で一緒なんだ」
「まさか、あなたは『スケバン刑事』」
唯は、降参、という顔で頭を振った。事情を詳しく説明しなくても、この天才少女は次々と気づいてくれる。
「元、ね」
「姉をよろしくお願いします」
舞は深々と頭を下げた。
「…。
わかった」
「概略は以上だ。
身柄については君も同じだ。すぐに返すことはできない。しばらくここに留まってもらう」
「ここですか?」
背後のドアが開いた。京だった。
「部屋の用意をさせてるところだよ。きれいでおしゃれ、とは行かないけど、そう殺風景でもない」
「ありがとうございます」
口ではそう言っているが、納得していないのははっきりとわかる。
「では説明しておこう。
君達、いや、君達に限らないが、海王星団から退陣要求を出されている人の関係者の一部は、安全のために身を隠すことを、海王星団への敗北だと考えている」
「当然です」
「だが、ああやって拉致されたりしているわけだ」
嫌味な言い方だ。だがそれも事実。反論はできなかった。舞は次第に、この恩人と話すのに疲れてきた。
「我々はそういう考え方は持たない。海王星団を叩き、なおかつ、関係者全員の安全を確保することを考える。それには、護衛の必要な人はどこかに隠して、できる限りの戦力を、対海王星団に使いたい。
平たく言えば、警察側と我々の方針は衝突しているわけだ。
結果的に、我々は独自行動をとることにした」
「私は人質ですか」
「違う」
暗闇は即答した。気を悪くさせてしまっただろうか、と舞は思った。いくら意地が悪くとも、助けてくれたのはこの人だ。だが、それは自業自得というものである。
「君がどうしても帰りたい、というのであれば、家に送り届けても構わない。
だがそれでは、同じ事を繰り返してしまう虞がある」
「そんなことは」
「可能性は 0 だろうか」
「零みたいなこと言わないでください」
一瞬の沈黙の後、3 人の女が吹き出した。暗闇も、毒気を抜かれたような顔で、椅子に沈み込んだ。
「なんですか。
馬鹿にしないでください!」
「いや、ごめんよ。
別にそういうつもりじゃないんだ」
だが、京は暗闇司令の顔を見ては、何度も吹き出していた。
「舞ちゃん、この暗闇司令は昔、『零』っていう名前じゃったんじゃよ」
「え?」
「そりゃ、零さんの言うことだからね」
祐美も、意趣返しのつもりか、まだ笑っている。
舞もつられて笑った。
確かに、畳に寝転がるのは気持ちのいいことだ。だが、続けていればいくらなんでも飽きてくる。
「あ、悠希ちゃん、悠希ちゃん」
障子の向こうを影が通った。愛はそれを呼び止めた。
「はい」
「ねー、あたし、ちょぉっと暇かなー」
澤里 悠希は、そうでしょうねぇ、と言った。日に何度も言われて閉口しているのだが、それは我慢する。忍者でない者にとって、何もない忍の里が退屈極まりないものであろう、ということはわかる。
だが、この都会の少女は気晴らしに山歩きへ誘っても拒否する。つまり、帰らせろ、ということなのだが、それはまだ、自分の師匠にあたる風魔水組の幹部、汀 (みぎわ) からも、風魔全軍の頭領である風間 唯からも許可が出ていない。
「だって、あたし、ここにいてもお荷物だし」
それは一時的なものだ。暗闇司令がそれを許すとは思えないが、彼女達はおそらく、東京に戻れば、海王星団を一網打尽にするべく走り回るに違いないのだ。悠希は、その日まで預かるのが自分の勤めだ、と解釈していた。
「ね、助けてもらったことは一生、恩に着るから」
聖真学院大学は、寄付金が潤沢なせいか、単科大学の割に敷地が広い。体育館は 3 つ、グラウンドは 4 面もあり、それぞれの間に更衣室や運動部のクラブハウスなどが並んでいる。それが、死角を作ることになり、あの事件の遠因となるのだが、そのことが同時に、同じ建物の、別の出口からやってきた、顔のそっくりな学生が取り違えられる、という結果を生んだ。
暗闇は、退陣要求者の中に先代の暗闇司令の名前があることに気づいた時、既に警視総監に話してある通り、ほかの組織と分断する作戦である可能性を考えた。そもそも、それがなくとも、機関とほかの組織は折り合いが悪く、独自の行動を取ることになる可能性は高い。そして、その関係者の一部が、日常生活を維持しようとしていることにも危険を感じ、別の形での護衛を検討した。その一部として、風魔水組の若い忍、澤里 悠希が愛のもとに派遣されたのだが、それはまさに、事件が起こった瞬間であった。
機転を利かせたのは悠希である。愛にそっくりな女性が襲われた。もし死んだのであれば――助かるとは思えなかった――それを愛だと誤解させることは有効だ、と考えたのである。
愛は、自分だけが遠くに保護されることには断固、抵抗した。だが、風魔も暗闇機関もそこを譲る気はなかった。いち早くこの山奥にある忍の里につれてきたことが幸いし、愛は脱走することもできず、抗議はしながらも保護されている、という状態だった。
戦術は毎日、入れ替えている。今日は、悠希の情に縋ろうと考えているらしい。
「ねぇ、きっとおじいちゃまも心配してると思うんだー。
そうしたら捜査に支障も出るかもしれないしー」
生え抜きの忍びである悠希にその手は効かない。もうしわけありません、を繰り返すだけだった。
「ゆーきーちゃん?」
頭を下げる悠希。
「ゆっきっちゃん?」
無言で頭を下げるだけ。
「こら、悠希。
あたしは年長者だぞ」
まだ無言。
「そっかー」
会話の接ぎ穂を探してか、立ち上がり、部屋の隅にある棚に近寄る愛。
乗っていた新聞を開く。ふんふん、という顔で読むふりをする。
「じゃーねー。
悠希ちゃんって忍者なんだよねぇ」
「はい」
愛はいきなり振り向くと新聞を畳に叩きつけた。
「これをどうにかしなさいよ!」
愛の「死亡」が報道されている。
「あの子達が無茶して、何かあったら、あんたのせいだよ!」
エージェントが絶句した。
「え、あ、あぁ、そうか」
目の前の資料を顔の前に上げて読み直している。
隣のエージェントは肩をすくめた。
舞に、見落としを指摘されたのである。
暗闇は黙っていたが、唯は、そうそう、という顔で頷いた。
舞は、ただ保護されているのは嫌だ、海王星団のことで活動するのなら、それに加えろ、と要求した。
暗闇司令は当然、拒否したが、唯が、別に外に出すわけじゃないんだから構わないんじゃないか、と言い、舞も、海王星団のことは自分も関わったし、姉は直接の対決もしている、提供できる情報もある、と言ったため、まずは、唯のアドバイザーということにした。
ところが、唯の口頭の説明からも舞はさまざまな隠れた事実を引き出し、鋭い仮説を導き出したため、暗闇が唯の説得を容れる形で、会議に参加することになった。これが、その二度目である。
それが、海王星団を知っているからこそできることなどではないことは、彼らにもわかった。そもそもの出来が違う、ということだった。
結局、暗闇司令も、自らコーヒーを入れてやる、という形で、舞を認めざるを得ないことになった。
暗闇は、カップを口に運んだ舞が、そういう笑顔を見せるのは久しぶりのことだろうな、と別のことを考えていた。
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