スケバン刑事外伝・番外編 -“Obituary ZERO”-

“PACIFIC”-ケータイ刑事 vs. スケバン刑事 [take 3]-


二つの海 (前編)



 弥帆はうーんと伸びを打った。
 周りに気兼ねをする必要はなかった。ほかの生徒達も、肩を揉んだり、目の間をマッサージしたりしている。
 2 月の空気は冷たいが、図書館の中は暖かい。窓ガラス越し光はやわらかく穏やかだった。
(別に根つめる必要もないんだけどな)
 これを言うとまたひとしきり説教になるから家では言わないようにしているが、それが偽らざる心境である。
 数ヶ月前まで彼女の名前は、「水島弥帆 (みずしま みほ)」であった。
 だが、ある事件に巻き込まれ、いや、彼女は間違いなく当事者だった。その事件の最中に育ての親を失い、彼女は実の父の妹に引き取られることになった。今は、「浅海弥帆 (あさみ やほ)」である。これが彼女の本当の名前だった。
(途中に変なのもあったけどね)
 その事件が解決する頃、一度だけ、「麻宮サキ」を名乗ったこともあったが、それは例外である。
 弥帆は教科書を閉じ、肘をついた。
 清真学園高等部の図書館。
 今は授業中だから、ここにいるのは登校義務のなくなった受験生達だけである。弥帆に見えているのは 10 人ほど。塾、自宅、公立の図書館、場所はそれぞれだろうが、通いなれた学校がいい、という生徒もいくらかはいるわけだ。
 育ての親である水島征一は、今はもうない「ミズシマ・スポーツ」の社長であった。したがって弥帆も「社長令嬢」であり、このいわゆる「お嬢様学校」である清真学園に在籍するのは至極当たり前のことだったが、叔母の家は普通の会社員で金が余っているわけではない。このまま清真学園の大学部に進級するのは気が引ける。通うのに無理がなく、学費もさほど高くないところをいくつか受けることにしていた。当然、国公立に入れればその方がいい。
 確かに机に向かっての勉強が得意なタイプではないのだが、その気になってやり始めてみると、全くできないこともなかった。名前が変わって生活が落ち着いたのが秋も遅い頃だったことを考えれば明らかに遅すぎるスタートだが、どうにかなりそうだ、と言えた。
 問題は別のところにある。
(あたし、何すんだろうね、文学部とか行って)
 やりたいことがあるわけではない。成績から言って理系でないことは間違いないのだが、本人の希望が、あやふやどころか、ないと言っていい状態なので、志願先はさきほどの条件に合致するところ、ということで決めることになり、その結果、学部も学科もまちまちであった。
 これは一度だけ口にしたのだが、いっそ浪人してゆっくり考えた方がいいのではないか、という意見は叔母夫婦の猛反対にあった。努力して不合格になった上での浪人はいいが、初めから逃げるつもりでの浪人などまかりならん、ということだった。第一印象は非常に穏やかそうだった叔母は、そのときは真剣に怒っていた。
 それはつまり、浪人したときには予備校に通わせてくれるつもりはある、ということで、確かに弥帆のことを考えてのことではあるのだが、なんとかなりそうだ、というのが見えてきたせいもあり受験勉強にはどうしても身が入らなかった。じっくり考えさせてくれたっていいじゃん、とは思うのだが、それまで考えてこなかった自分の責任であった。
「水島さん――あ、ごめんなさい」
 担任の滝元という教師だった。
「いいんです。
 あたしもまだ慣れてないんで」
 その通りである。苗字もそうだが、「やほ」というのは、「みほ」であった頃、からかわれるときに使われる呼び方だった。それが自分の名前だというのは、どうにも複雑なものであった。
「熱心ね、毎日通って。
 前よりもちゃんと来てるんじゃないの」
「先生、それキツい」
 学校の内外でトラブル解決を頼まれることの多かった彼女は、そのために学校を休むことも多く、教師達の評価としては「不良生徒」だった。確かに、朝から晩まで毎日登校するというのは、中学一年生の頃以来のことかもしれない。
 それは確かに、「なんとかなりそう」というのは「合否ラインすれすれの学校がある」ということでもあり、真面目に勉強しなければならないという事情もあるのだが、急に家族となった叔母とずっと一緒にいると正直、息が詰まる、ということもある。「社長令嬢」であった時代は、ことによると一軒家と同じくらいの大きさの部屋をあてがわれており、家族と顔を合わせないようにしようと思えば方法はいくらでもある、という生活に慣れてしまっていると、「普通の家庭」というのはなかなか窮屈である。
「どう、調子は」
「まぁ、なんとか」
「あなた、素質あったのねぇ。前から真面目に勉強してれば、もっといいとこ狙えたのに。
 いっそ浪人してじっくり勉強してみたら?」
「縁起でもないこと言わないでくださいよ」
 そもそも、あの事件に巻き込まれたのはトラブル解決屋みたいなことをしていたからであり、そういうことをしていると命を落としかねない、ということがわかったので弥帆は大人しくなった。それが「いい子になったふり」ではないことを知った滝元は急に親しげな口を利くようになった。悪意は感じないので、いくら短気な彼女でも怒ったりはしないが、それもまた複雑な気持ちがするものである。
「さて、ちょっと失礼して」
 滝元は弥帆から一つおいた席に座るとファイルを広げた。
「え、なんか調べに来たんじゃないんですか」
「逃げてきた。
 職員室がピリピリしてて」
「受験シーズンですからね」
「んー、1 年生の方」
「…。
 登校拒否の方ですか」
「そう」
 今、清真学園の教師達を悩ませているのは登校拒否の問題であった。
 のんびりと育てられたお金持ちの生徒達がいるところで、弥帆のようなケースは例外中の例外である。尤も、わがままし放題ということで授業をサボる生徒もいなくはないが、全く学校に来なくなる、ということはない。
 それがここ数ヶ月のところはっきりと増えており、いまや 2 クラスに一人という状態である。これは、ほかの学校ならいざ知らず、清真学園にとっては異常事態であった。
 原因とかわかったんですか、と聞こうとした弥帆はそこでやめた。学校に来なくなる理由など千差万別、人によって違う。自分のクラスにいるのならともかく、それを担任に聞いてもしょうがない。
「親御さんが会わせてくれないってこともあるらしいのよね」
 滝元が自分から言った。
「なんでですか」
「それがわかれば苦労はしない」
 確かに。
 金持ちの中には体面を極端に気にする者もいる。教師が行っても門前払いというのはそういうことだろうか。
 お嬢様学校とはいえ今時の学校。ほかの学校に比べて穏やかとはいえ、いじめがないとは言わないが、だからといってこれだけ増えるということがあるだろうか。そう言えば、確かに去年の夏くらいから増え始めて…。
(またやってるよ、あたし)
 頼まれもしないのにあれこれ考えている。
 数が多いと言うだけで、こればかりは個人の事情。弥帆の出番はない筈であった。
 何より今は、自分のことを最優先にしなければならない時期である。

 終業ベルが鳴った。昼休みである。
 弥帆はノートと教科書を閉じてカバンに入れると食堂に向かった。叔母は弁当を作ってくれると言ったが、図書館は飲食禁止だし、教室には誰もいないから寒くて食事どころではない。勢い、食堂ということになる。あの喧騒が嫌で今までほとんど利用していなかったが、意外においしいことを知った弥帆は、なんだか損をしたような気分になっていた。
「ね、ちょっと待ってよ」
 角を後輩達が曲がってくる。その後ろから走ってきた少女が弥帆とぶつかりそうになった。
「あっ」
 気配に気づいていた弥帆が体を引いたので正面衝突ということにはならなかったが、肩がぶつかり、少女は持っていた教科書を落とした。
「大丈夫?」
「あ、ごめんなさい」
 美人だ、と弥帆は思った。切れ長の目、長い髪、すらっとしたシルエット。まさにお嬢様を絵に描いたような少女だった。
「先輩こそ、大丈夫でしたか。
 私、ちょっと慌ててて」
 律儀に腰を折って謝る。逆に照れくさくなった弥帆は、少女が落とした教科書を拾いあげた。
「え」
 名前が書いてある。
 深海弥生。
「ふかみ…やよい、さん?」
「あ、ありがとうございます」
 よく似た名前があるものだ。自分は浅海弥帆、この少女は深海弥生。
「あの…」
 弥帆は知らずにその名前と少女の顔を見比べていた。
「先輩?」
「あ、あぁ、ごめん。
 はい」
 後ろで、深海さん、早く、という声が聞えた。
「気をつけて行きなよ」
「はい。
 どうもすいませんでした」
 弥帆は小走りにかけていく弥生の背中を見送った。

「失礼します」
 放課後、深海弥生は職員室へ向かった。広い部屋の奥の方に進路指導の教師がいる。
「松山先生」
「合格!」
「…」
 弥生の切れ長の目がさらに細められる。目に責めるような光が感じられるのは気のせいか。
「あ…。
 いや、時期的にいいだろ。俺がこうやって『合格』を連発してれば、生徒達も合格間違いなし」
 これでもかという位に日に焼けた松山という教師は、慌てて取り繕っているということがはっきりわかる口調でまくしたてた。
「進路指導の方、お願いします」
「あ、あぁ、わかった。
 先に指導室に行っててくれ」
 弥生は職員室を出るときに、首をかしげた。舌打ちしたいのを我慢している、という風だった。
 三年生が登校しなくなって生徒の数が 2/3 になっているとは言え、放課後はどことなく慌しい雰囲気になる。その中をしっかりとした足取りで進んだ弥生は、進路指導室のドア口で驚いて立ち止まった。
「あ、ごめん…あれ」
 ふいにドアが開き、弥帆が出てきたのだった。
「先輩…」
「あんた、さっきの」
「先ほどはどうもすいませんでした」
 弥生は今までの厳しい表情から一転して笑顔になった。
「いや、別に。
 ぶつかってないんだし」
「受験、頑張ってくださいね」
 弥帆は頭をかいた。
「いや、まぁ。あたしは滑り止めの学校、探しに来ただけだから。
 あんたは進路指導?」
「はい。先生に相談しておこうと思って」
「そ。
 あんたも頑張って」
「はい。ありがとうございます」
「おい、ぜに――」
 男の声がした瞬間、弥生は鋭くそちらを向いた。
 表情の変化に弥帆は驚いた。それは怒りの目だった。
「あ、深海か…。待たせたな」
 松山だった。
「誰だ、友達か」
 松山はまた取り繕うように言葉を続けた。
「さっき図書室の前でぶつかりそうになったから改めて謝ってたんです」
 その声にもまだ険がある。
「そのバッジは三年生か。
 どうだ、調子は」
「まぁ、なんとか」
「ここまで来たら体力勝負だからな。風邪だけはひくなよ」
「はい、気をつけます」
「よし。
 じゃ、深海、中に入るか」
 弥帆と弥生はお互いに軽く会釈を交わした。弥生と松山が中に入り、弥帆は廊下に出た。
「何をそんなに怒ってるわけ」
 弥帆は、教師の声に怒りを見せた弥生にひっかかりを感じながら玄関へと向かった。

Ver.1.0: 2009/3/15

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