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「もう、悔しい!」
「まぁ、落ち着けって。
ほらココアでも飲んで」
「音楽かけましょうか。
マッサージいかがです?」
「いりません!」
取り付く島がない、とはこういうことを言うのであろう。松山や束志がどれほどご機嫌をとってもなだめすかしても、海の怒りが収まることは無かった。警視庁のいつもの会議室で大きな声を上げ、足を踏み鳴らしたり、時折、机を叩いたりしている。
「まぁ、3 日の停学で済んでよかったじゃないか。これで退学なんてことになったら、捜査どころじゃないんだし」
「そんなこと言って。
松山さんのせいですからね!」
「俺はケンカなんかしてないだろう」
「浅海弥帆に正体がばれたことですよ。
何回言っても『銭形』って呼ぶし、『松山先生』って呼ぶと『合格!』って叫ぶし!」
「それは、まぁ」
言い訳できない。松山は頭をかくしかなかった。束志も諦め顔である。
「これで、この 3 日の間に何か事件が起こったらどうするんですか!
あの浅海弥帆に先を越されちゃいますよ」
松山と束志は顔を見合わせた。
停学にされてしまって面白くないのはわかるが、事件が起こることよりも、弥帆に先を越されることが問題になるとは。どうやら海はいつもの冷静さを完全に失っているようだった。
もし細かく原因を探っていくとすれば、あるいは、「深海弥生」という偽名も問題だったかもしれない。潜入に当たって偽名が必要になり、さしたる理由もなしに「海」という字は残そうと思った。生徒の名前をチェックして、浅海という苗字があることはわかっていたので、それは避け、名前の方はこれも意味はなく語感だけで選んだ。つまり、実は潜入前に、それがどういう人物かは知らないにしても、浅海弥帆という生徒がいたことは目にしていたのであり、結果的に良く似た形になってしまった。それが弥帆の関心を引くきっかけになったのだから、そもそも原因は海にある、とも言えた。そのことが逆に持って行く場所のない苛立ちを生む。
矛先は祖父の警視総監にも向いた。事の次第を報告しに行ったとき、「スケバン刑事」がいる、という情報が事前に伝えられていなかったせいだ、と海は言い放った。名前が変わっていたし、弥帆はもう「スケバン刑事」ではなかったのでやむをえない面はあるが、潜入先にそういう要注意人物がいることを調べておかなかったことは、海に指示を出す側の問題だ、という理屈だった。
総監も当然、その指摘、というより命令のような八つ当たりを受けて動向を確認させたが、暗闇機関は今のところこの件については動いていないようであった。
「時間だ。松山さん、行きますよ」
「え、どこに」
「峰石友歌をマークするんです」
「お前、停学中にあいつに会ったりしたら、今度こそ退学だぞ」
「いいんです、あたしは清真の生徒じゃないんですから。
ごちゃごちゃ言ってないで、早く!」
「は、はい!」
弥帆はまたため息をついた。
叔父と叔母にはこっぴどく叱られた。この時期にケンカとはどういうつもりだ、と二時間にわたる説教もされた。
ケンカの理由を説明するわけにもいかず、生意気だったから、と嘘をつくしかなかった。浅海家では全面的に弥帆が悪いことになってしまっていた。
外での勉強は禁止された。停学中だから基本的に外出はできないのだが、このままでは停学が解けた後も家にいさせられそうな雰囲気である。家の手伝いをします、ということで、お使いに出かけることでやっと一息つけた。スーパーに向かうところである。
(それにしてもあの銭形って奴)
結花の説明を思い出した。海も同じ歳、つまり受験生の筈だ。向こうは青葉台学園の優等生らしいからそのままエスカレータなのかもしれないが、そんなことをしている場合ではない筈だった。
(ふざけやがって)
「豆腐がつぶれるぞ」
弥帆は棚から取り上げた豆腐を握り締めていた。
「え。
零さん…じゃない、暗闇司令」
「それを口にするな」
「あ、ごめん」
かつて、「零」というコードネームを持っていた暗闇機関のエージェントであった。今は、その暗闇機関の総司令官、つまり「暗闇司令」になっている。
「意外なことに、停学になったのは初めてだそうだな。どうだ、気分は」
「最悪」
暗闇は笑った。
「これをやる」
弥帆の手に紙切れを乗せる。数字が並んでいた。
「ケータイの番号?」
「銭形海の電話だ」
「えっ?!」
何人かが振り向いた。暗闇は目で叱責すると歩き始めた。弥帆もカゴを持ったままついていく。
「この件、我々も調査に着手した」
「え、どうして」
「テロは本来、公安や警察の担当だが、どうも話が妙なことになっている。彼らだけでは探りきれないような気がする」
「学校だから?」
「そうだ」
「じゃ、スケ…あたしの出番だよね」
弥帆が笑顔で言った。暗闇は笑わなかった。
「それは我々の本意ではない。
唯には厳重に抗議を入れた」
「抗議?」
暗闇はカモフラージュのためか、大根を手に取って確かめるふりをした。
「これはいいか」
「え。
あ、大根ね。メモに入ってる」
財布の中のメモを確認する弥帆。電話番号の方のメモは逆に財布にしまった。暗闇はその大根をカゴに入れた。
「抗議って」
「折角、解放した者を勝手に引きずり込むな、という抗議だ。
おかげで我々と風魔は目下、冷戦中だ」
勿論、最も怒っているのは、それを主導した格好の由真である。必要だと思ったから協力を依頼したのだ、と反論する。
結花も、機関の抗議はわからないことはないが、今度の場合は、弥帆が先に、その事件を捜査している刑事と接触してしまったのであり、今更なかったことになどできない、仲間とすることで保護するにも有利だ、と言った。それは、従来の流れで言えば、暗闇機関が良く使う理屈だった。今回はどうやら風魔と機関の立場が逆になってしまっているようだった。
「冷戦って…」
「心配するな。君に悪影響が出るようなことにはしない。
我々も風魔も、お互いに大人の対応をとることはできる」
「でも、出番だと思うんだ」
「なに?」
弥帆がニンジンを取る。
「学校の中って簡単には捜査できない。だから、あのシステムが必要だったんでしょ?」
「そうだ」
「刑事なんかが入ってきちゃいけないんだ。
あたしの仕事だよ」
「…。
それで、許せないと思ったのか」
黙って頷く弥帆。
その通りである。あるいは、暗闇機関は、わが意を得たり、ということで喜ぶべきなのかもしれない。
「今の学校は色々と問題を抱えている。
問題自体は以前からあったが、今はそれが簡単に表に出てくる。警察の介入も以前よりは遥かに増えた。
我々が、あのシステムの活用に消極的になっているのはそれもある」
「だからって」
「その気持ちは大事だ。
君はどうやら、健全な高校生として生活できているようだな」
「そ、そうかな」
照れたように笑う。
「だからそれを貫いてくれ。
できる限り、我々か風魔に任せてほしい。君に頼むのは、君でなければできないことに限る。
学校を守るために、肝心の生徒が傷ついたのでは意味がない。
それに君は今、とても重要な時期の筈だ」
「そうなんだけど…」
タマネギの袋に伸ばした手を引っ込める弥帆。
「え、じゃ、さっきの電話番号はなんのため?」
「任せる相手として、銭形海を検討してもいい」
「それは」
「好き嫌いで行動するようなら君のことは外す」
出た。
暗闇機関特有の考え。プロの発想。
「目的は海王星団の壊滅だ。
誰がやるかということには何の意味もない」
「…。
うん」
その通りである。あるいは弥帆は、海への嫌悪感が先に立って、そのことを忘れていたのかもしれない。
「わかった」
弥帆が答える。暗闇はその表情を見つめ、それが嘘でないことを確認した。
「俺の連絡先はこっちだ」
「うん、ありがとう」
「では、よろしく頼む。
そうだ」
歩き出そうとした暗闇が立ち止まった。
「野口さんは元気だ」
「え」
それがそもそもの始まり。父親の知り合いが逮捕されたところを目撃したことではなく、逮捕した野口に一目ぼれしたのが、すべてのきっかけ。
「野口さんは、君がこういう形で戻ってくることを喜んではいない」
「だろうね」
自分の性格に苦笑する弥帆。
「野口さんのためにも、無茶はしないでくれ」
「うん。
ごめんね、って伝えて。
野口さんに」
「わかった」
主婦と子供でにぎわうスーパーから、秘密組織のリーダーが出て行くのを弥帆は見送った。
(やっぱりいた)
停学は明けた。海はどうやら、怖い先輩のせい、ということにされたらしく、回りから浮くどころかどちらかと言えば悲劇のヒロイン扱いされていた。ここで清真学園にいづらくなっても困るので、海はその雰囲気を活用することにした。
弥帆の方も、停学期間中に大人しくしていたのが利いたのか、叔母夫婦から学校に行くことは許された。必要なとき以外は図書館から出ない、終わったらすぐに帰宅する、ということは約束させられたが、なんとか動く時間を確保することはできた。
ターゲットは峰石友歌だ。
登校しなくなっている生徒達は相変わらず誰とも口を利かないのだが、調べた範囲では、どの生徒も来なくなる前に峰石に何らかの相談をしていることがわかっていた。だが、どの相談も大したことではない。森田久美子の場合はテストの成績のことだが、悩むほどの低下ではなかったし、ほかの生徒もごく日常的な些細なことで、例えば話題が恋愛であっても、失恋したということではなく、どうやってアピールすればいいのか、というようなことであり、その相談と登校拒否とがつながっているとは考えにくかった。どこか、まだ見えていないところで何かが起こっているのに違いない。
それには峰石に接触するのが手っ取り早い。幸い、今回の停学騒ぎで、峰石に「もうしわけありませんでした」と謝りに行くという口実はある。相談がキーだというのなら、この気の短さをどうすればいいでしょうかとでも言ってみればいい。
しかし、邪魔者がいる。音楽室に向かう弥帆の前を海が歩いていた。
であればこっちも邪魔するまでだ。弥帆は携帯電話を取り出した。
柱の陰に隠れて様子を伺う。海が立ち止まり、同じように壁際によって電話を耳に当てた。
《はい》
「初停学はどうでしたか、銭形警視正」
《…。
浅海、いえ、麻宮さんですね》
「どちらへいらっしゃるんですか」
《あなたには関係のないことです》
「担任に言いつけちゃおっかな」
《私には後ろ暗いところはありませんよ》
「本当ですか、深海弥生銭形警視正」
《…。
どういうつもりですか》
「仕返しに決まってるだろ」
《あなたって人は》
音楽室のドアが開いて峰石が出てきた。海は慌てて会釈したが、峰石の顔は厳しく、校内でのケータイの使用は禁止よ、と言われた。
《お望みの結果になったようですね》
「そうみたいだね」
《あなたもコンタクトはできなくなりましたけどね》
「今日のところはね」
電話はブツっという音を上げて切れた。
「ざまーみろ」
弥帆は海が苛立たしげに行ってしまうのを見送った。
今日はいない。弥帆はドアに手をかけた。
すると突然、弥帆のポケットで音楽が鳴り始めた。携帯電話だった。
「げ」
サイレントモードにするのを忘れていた。弥帆は慌ててそこを離れた。
「誰」
《深海です》
相手を確認しないで出てしまった。
「じゃ、そういうことで」
《いいんですか。
情報提供してあげようと思ったのに》
「え?」
《海王星団が活動しているのは清真学園だけではないようです》
「だろうね。
有益な情報をどうも」
《大学もターゲットに入っているようですよ》
「大学?」
《メールアドレスを教えていただければ一覧をお送りします》
「誰があんたなんかに――ちょっと待て、あんたなんであたしの番号!」
《その気になればいくらでも調べられます》
「だから警察は」
《今回は調べてませんけど。
先に電話をかけてきたのはあなたですよ》
しまった。前にかけたとき、非通知にしていなかったのだ。痛恨のミスだった。
《もうすぐ卒業なさるんですから、そちらを調べた方がいいのではありませんか》
「あたしはまだ清真の生徒だ」
《愛校心をお持ちだとは思いませんでした》
「そんなんじゃねぇよ。
あ」
《どうしました?》
「なんでもないよ!」
峰石は音楽室に鍵をかけて出て行ってしまった。
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