|
「あたし達は暗闇機関的だってさ」
報告した祐美は自分で苦笑したが、暗闇司令は笑わなかった。京はあきらかに心配そうな目をした。
それは彼らが懸念していることの一つだったからだ。
確かに、現役の高校生である弥帆と、教師を目指して勉強してきた筈の祐美が、高校生達を救うために記録の改竄しかない、と考えるのはあるべき姿ではない。
だが一方、それしかない、というのも事実だった。警視庁の刑事 15 人という程度であれば、護衛をつけるなり、謹慎を言い渡したりして安全を図ることも可能だが、清真学園だけでどうやら数十人、それが複数の学校に渡っていることを考えれば、それは非現実的だった。やはり、わかり次第、その送金記録を抹消していくしかない。それだってお世辞にも楽な仕事ではない筈だった。今から着手して、振り込んだ当人が脅迫されるまでに間に合うかどうかはわからない。いや、間に合わないと考えるべきだった。
「既に使われてしまっている奴はいるね」
京が言うと、祐美も弥帆も頷いた。
その彼、あるいは彼女は一体、何をやらされたのか。いつか祐美が例に出した様に、作戦指示のキーワードを何も説明されずに知らせただけならまだしも、爆弾を運びました、ということになれば、知りませんでした、では済まないことになる。「ケータイ刑事」達は、それも償わせろ、と言うつもりなのだろうか。
「二人とも、それ以後、連絡は取ってないんだな」
「うん」
声を揃えて答える。つまり、雷も海も関係を修復しようとは思っていない、ということだ。昨日の今日では、仮にそう思っていても行動には移しにくいかもしれないが。
「向こうはどうすると思う」
「わかんないよ。
ほかに方法があるとは思えないもん」
「峰石や和泉を逮捕する、というのはどうだ。勿論、別件だろうが」
「通帳がそいつらのところに止まってるとは思えないよね」
「しかし、彼らに指示を出している人間の事を聞きだすことはできるかもしれない」
「それはそうだけど…」
正直、面倒なことになったと思う。
祐美と弥帆を警察と一緒に行動させることによって、二人の安全を図ると同時に、こちらの動きがばらばらにならないようにするつもりが、元に戻ってしまった。となると、まずは風魔との関係を修復しておくべきだった。
警視総監はどう動くだろう。意見が合わないとはいえ、総監個人は暗闇機関に対して肯定的である。
(しかし、それだけで動く人ではない)
警察としての捜査になるだろう。いくらテロリスト集団が相手でも、この段階で超法規的手段に訴えるとは思えない。あるいは、協力体制を整えようと考えた暗闇司令の方が間違っているのかもしれなかった。
暗闇の中で結論が出かけたとき、デスクの上の電話が鳴った。
《来客だ》
受話器の向こうで側近の野口が言った。
色々な顔が浮かぶ。風魔か。警視総監やケータイ刑事達のことも考えてしまったのはまだ未練があるということだろうか。
《東京地方検察庁の多摩川ドイル検事正だ》
「東京地検の検事正?」
暗闇の声に驚いた祐美と弥帆を顔を見合わせた。
ドアを開けた暗闇は珍しくも立ち止まった。ついてきた祐美と弥帆はもっと驚いている。二人とも目が丸くなっていた。
話には聞いていた。東京地検の長たる検事正は、法務大臣を祖父に持つ 10 歳の少年である。知ってはいても、ソファに沈みそうに座っている様子、小さな顔に似合わない大きなメガネを実際に目にすると、戸惑うな、というのが無理な相談である。
「零さん、あの」
弥帆がつっかえながら言う。部屋が違うのではないかと思ったのだ。
「察するにその若い二人はあなたの配下、通称『スケバン刑事』だね、暗闇司令」
「その通りです。
検事正のお話は、この二人が関わっている事件と関連があると考えましたので、連れてまいりました。同席させてもよろしいでしょうか」
「僕の話と関わっているのだったらね」
冷たい目で二人を順番に睨む。祐美が、このガキ、とつぶやいた。
「ありがとうございます」
「そちらは」
ドイルの目は京に移った。
「私の秘書だと思っていただければ」
「つまり、正確にはそうではないわけだね」
京はさすがに表情に出したりはしなかったが、それが意地の悪い言い方であることは間違いなかった。
暗闇が正面に座る。祐美と弥帆は応接セットの脇の方に臨時の椅子を引っ張り出した。京は暗闇の横に立ったままだった。
「では、お話を」
「先日、東京地検の検事が自殺を図った。
知っているかい」
「えぇ。
遺書も見つかっていないとのことで、事件性も否定されていないとのことだったと記憶していますが」
「これがそうだ」
ドイルはスーツの内ポケットから封筒を取り出した。
暗闇はすぐには手を出さなかった。それはつまり、自殺した検事の遺書の公表を、検事正が止めていた、ということだった。
「どういうことでしょう」
「先に聞きたい。
二人の『スケバン刑事』が担当しているのはどういう事件なんだい」
「海王星団がある計画を遂行中でして」
「それはひょっとして、贈収賄が絡んでいたりするかい」
暗闇は無言でドイルの目を覗き込んだ。祐美と弥帆も腰を浮かせた。
「君の推測は当たっていたようだね、暗闇司令」
「まさか、その検事も」
「はめられたんだ」
ドイルは語気を強めた。
「とおっしゃると」
「…。
読んでみたまえ」
暗闇は手袋を取り出すとその封筒を手に取った。
(そういうことか)
その検事は「収賄」をしてしまったのだ。
遺書には、言い訳がましくなく、冷静な筆致で、それが手違いに過ぎないことが記されていた。
地検の入り口にある男性がやってきた。総務部の「森」という職員の関係者だという。それなら直接、受付へ、と言ったが男は急いでいるらしく、とにかくお願いします、と彼に押し付けてその場を去った。
彼の落ち度の一つは、それを警備員に預けなかったことにあった。そうして中をチェックしていれば、このようなことにはならなかった筈である。
その辞書ほどの包みを持って総務部に行った彼は、「森」という職員がいないことを知る。
もう一つ、彼の落ち度は、それを自分の部屋に持っていったことにある。勘違いであろう、後で警備員に届けようと考えた。
そこに電話がかかってきたのだ。「お礼は届いていますか」と。彼はその時やっと、自分が何をしたかに気づいた。
勿論、収賄で裁かれることになろうと、庁内での処分に終わろうと、申し開きは可能であっただろう。彼には心当たりはないし、包みを無理に押し付けられたところは入り口の警備員も見ている。証言もしてもらえるに違いない。
しかし、彼はそれを良しとしなかった、というわけだった。
読み終わって顔を上げると、ドイルは唇を噛み、目を真っ赤にしていた。
「痛ましい話ですね」
「そんな言葉で片付けるな!」
暗闇は遺書を静かにテーブルの上へ置いた。
「あの人は、善人なんだ」
「善人?」
「僕を最初に認めてくれた人だ」
「…」
「わかるだろう。
こんな検事正を誰が認める?
だけどあの人は、検事正は検事正だ、と言ってちゃんと僕の居場所を確保してくれた。そうやって僕も仕事をすることができて、やっといくらかは周りが認めてくれるようになった。その下地を作ってくれた人なんだ。
あんなに素晴らしい人がなぜ――!」
素晴らしい人だからこそであろう、と暗闇は思ったが黙っていた。むしろ、世の中の実際をよく知っている普通の人間の方が、俺は無実だ、押し付けられただけだ、見てただろう、と騒ぎ立てて、結果的に無実であることを周りに証明してもらえたに違いない。この検事は、それを認められなかったのだ。海王星団は実に「適した」人間を選んだことになる。
目的は明白である。金を押し付けてしまうだけでいい。本人が隠し通せばこれまでの高校生や大学生と同じように手先として使うことができるし、本人が事件として公表すればそれを逆手にとって司法の腐敗として騒ぎ立てて信頼を失墜させる、その両面作戦だろう。おそらく地検かその周辺に海王星団の手先がいる。あるいは、職員や警備員あたりが既に篭絡されているかもしれなかった。
「こちらにいらした理由をお聞きしてよろしいですか」
ドイルがハンカチで涙を拭くと暗闇が口を開いた。
「決まっているじゃないか。
捜査の要請だ」
「捜査?
我々にですか」
「地検特捜部は動かせない。つまらない弔い合戦になってしまいかねないし、やはり扱いには慎重さが求められる」
「警察にお話は」
ドイルが多くのケータイ刑事達と面識があることはわかっている。むしろ、それが自然な筈だった。
「無理だ」
「何がですか」
「警察に、このような繊細かつ重大な事件を処理することは期待できない」
「…」
「彼らにできるのは正攻法だけだ。
極秘捜査や囮捜査が特別な高等戦術だと認識している組織に、任せることはできない」
「本当によろしいんですね。
我々が動いても」
「もう動いているんだろう」
「まだスローペースですので」
「急ぎたまえ」
ドイルと暗闇はにらみ合った。
機関が動くということは、事件は解決はするかもしれないが、核心部分が表沙汰にされず闇に葬られるかもしれない、ということだ。ドイルが善人と絶賛する検事も、陥れられたのだという事実が誰にも知られず、理由のわからない自殺のままになってしまうかもしれないのだ。
しかし、ドイルはそれもやむなしと考えた。そのことよりも、海王星団の計画を止めることを選んだのだ。
「わかりました」
暗闇は立ち上がった。
「早速、ギアを入れます」
「頼むよ、暗闇司令」
ドイルが小さな手を差し出してきた。握り返す暗闇。
「こちらにいらしたことは誰にもおっしゃってませんね」
「あぁ」
「では私達も忘れることにします。
お京、検事正をお送りしてくれ」
「わかった」
「失礼します」
「頼んだぞ」
「えぇ」
その言葉通り、足早に出て行く暗闇。
祐美と弥帆は、さっきの自分の表情など忘れたように、ドイルへきちんと頭を下げて、暗闇に続いた。
|