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志織の、矢島 雪乃と共に掛け替えのない親友である中村 京子が、結婚してアメリカに発ったのはほんの 1 週間前のことだった。
その直前、荷物の大方は処分するが、いるものがあったら持っていけ、と言われたので、志織は京子のマンションを尋ねた。
さっぱりした部屋。持っていくものは既にまとめてある。一部はもう発送を済ませてあった。
「これが、“PRESENCE”であたしがやった最後の記事だ」
京子は雑誌を開いて志織に見せた。
“PRESENCE”という雑誌の編集に携わっていた京子は、取材で知り合ったアメリカ人のジャーナリストと意気投合、紆余曲折はあったが、渡米して結婚、向こうで二人で活動することになっていたのである。
「これ、お京がやったの?」
志織は“PRESENCE”を定期購読しているから既にその記事は読んでいたのが、京子が担当したと聞いて、呆れたような声を出した。
「なんだよ」
「まさか、この『シルバー仮面』って名前も?」
「そ。あたしの命名」
「子供番組じゃないんだからさぁ」
「銀色の仮面だから『シルバー仮面』。シンプルでいいじゃねぇか」
1 ヵ月半ほど前から、異形の怪物と銀色の仮面が戦っている様子が何度か目撃されている。
映画の撮影だろう、という当初の憶測は、各社が否定したのであっという間に消えた。警察でも実態を掴んでいない様だった。
街中での目撃例は無く、はっきりしたことはそれまでわからなかったのだが、誰もいない草原でラジコン飛行機を飛ばそうとしていた青年がカメラでその様子を捉えた。距離はあったものの、その光景を肉眼で見た彼は、それが映画の撮影でも特撮ファンのゲームでもないことを肌で感じ、硬派で知られる“PRESENCE”に写真を持ち込んだのだった。
「なんでお京がこういうのをやる訳?」
雑誌も硬派なら京子の記事も硬派。世の不正を暴く、と書いたタスキを背負っている、とからかわれることの多い京子の記事にしては異色である。
「フレディがな」と京子はパートナーの名前を口にした。「これには、なんかとてつもないことが隠れてるってきかなくてさ。それを編集会議で言ったら、じゃお前やれ、って。
ま、退社の時期もあるし、量もちょうどよかったよ」
「それで『シルバー仮面』ねぇ」
京子は目を伏せた。
「サキ…」
「ん?」
「今回のことだけどさ」
「うん」
「あたしのこと」
「どうしたの」
「いや、軽蔑されてもしょうがないなって」
「なんでよ」
唐突な問に志織は声を上げた。
「あんなに…あんなに騒いでたのに、あっさりフレディに」
「あっさりじゃないでしょ」
京子が何ヶ月も悩んでいるらしいことは志織も感じていた。やっと相談してくれた、と思ったら、異性の話だったので、確かに意外ではあったので驚いたが、志織はその話を歓迎した。京子の方は、その後もしばらく決心がつかなかったようだったが。
「私は、牧も喜んでると思うけど」
「サキ…」
「お京が一人で泣いてるなんて、牧は喜ばない」
「もう泣いちゃいないよ」
「同じよ。
牧は、お京が幸せになることを望んでる。自分のために一人でいて欲しい、なんて言わない」
「そうだけどさ…」
「フレディは、いい人だと思うよ」
「でもさ」
「いい加減にしぃや、お京」
京子は黙った。
「牧はおまんのことを信じた。そのおまんが選んだことじゃ。間違うちょるはずがない。こう考えたらどうじゃ」
これ以上は言わない。一度だけ会ったとき、フレディ自身が、「ビー玉のお京」のこと、牧 令のこと、すべてひっくるめて中村 京子をパートナーとして選んだのだ、と志織と雪乃に宣言したのだ。その大きな心を信じて、二人は京子を彼に預けたのである。尤も、彼が「スケバン刑事」のことをどこまで理解していたかには疑問が残るが。
そして、仲間内の小さな披露パーティを終えて、京子はアメリカに旅立った。
(その『シルバー仮面』にうちが会うことになるとは)
事件の翌日から志織には警察の護衛がついた。事務所への行き帰りには女性がついてくる。夜もマンションの周囲に張り込んでいるらしい。
警察からは、事件については口外するな、と言われていた。確かに、怪物と「シルバー仮面」については既に話題になっているものの、それに今をときめく大企業が関与しているとなると影響は大きい。志織は勿論、抵抗したし、事務所としても情報の隠蔽ではないか、と指摘したのだが、その二者が一体、何者かわからない以上、その公表には慎重でなくてはならない。パニックを引き起こす可能性がある、と反論された。口頭ではあるが、報道に圧力を加えるつもりはない、という言質を得た上で、彼らはその要求を受け入れた。
ただ、警察から事務所への報告では、その怪物の力を試すための材料として志織が狙われたのだろう、ということになっていた。彼女が狙われた理由は不明だが、誰かが週刊誌の記事を読み、たまたま記憶にあったからではないか、とされた。
警察が、あのペンダントのことを知らないのか、そのことも隠そうとしているのかはわからなかった。事情聴取で名前は出したが、花村も玉木も掴まっていない。ペンダントのことはまだ警察の網にかかっていないのかもしれなかった。
志織自身もそれを持ち出すのには抵抗があったが、警察の方でも、花村と玉木の名前を出すと、なるほど、というような顔で納得したようなので、結局、その話はしていない。
志織はその上で、GuCAT のことを調べ始めた。
生化学系メーカーとして設立以来 30 年弱というところだが、80 年代末に役員の入れ替えがあり、その頃から頭角をあらわし始めた。今ではすっかりバイオテクノロジーの旗手である。
だが、それは表向きのことだ。噂のレベルの情報を集めていくと、違法行為すれすれの人体実験をしているとか、いや既に法律を犯しているとか、そんなことも聞こえてきた。
どうやら、たたけば幾らでも埃の出てくる会社の様だった。
翌朝。
いつもは距離を置いて近づいてこない護衛の女が、玄関先で待っていた。
「早乙女さん、この事件には深入りなさらないで下さい」
「え?」
「今やっている調査はすぐにおやめください。これ以上、向こうを刺激すれば危険です」
志織は黙って女を見つめた。
「あなた方はどこまで掴んでいるんです」
「お話しできません。
お願いですから、手を引いてください。
「私の職業をお忘れのようですね」
「早乙女さん!」
「これは私自身のことです。それはありえません」
鍵をかけると女を置いて歩き始める。
護衛だけだと思っていたら、志織のやることを把握している。それも不愉快だが、あのオルゴールが関わっている以上、志織が手を引くことに同意するはずが無かった。
「遺伝子操作?」
GuCAT が遺伝子操作の研究に着手しており、既に実践的な段階に入っている、という情報が入ってきた。
(あの、ライオンの怪物も)
そして、それ以前に目撃されている怪物たちも、その実験で生まれたものだとしたら。PRESENCE 誌に載った戦いはあっという間に決着がついたとのことだが、先日の戦闘ではシルバー仮面が苦戦していた。研究が少しづつ進んでいるのかもしれない。もし、鬼怒良の宝のエッセンスが注ぎ込まれているのだとしたら。
「恐ろしいことになる」
深夜、情報を整理しながら、志織は悪寒を覚えた。
「早乙女君、ちょっと」
所長の神山が声をかけた。机の方に向かうと、応接室に呼ばれた。
(あれ)
自分のせいではないとは言え、今回はトラブルが起こってしまった。改めて小言でも食らうのだろうか。
座る。神山はなんだか言いにくそうだった。
「なんでしょうか…」
「うむ…。
君、GuCAT のことを調べているそうだね」
「はい」
悪いことをしているつもりのない志織は素直に答えた。
「まずいんだ、それは」
「まずい…と言うと」
神山は黙って顎をさすっている。確かに、まずいことが起こっているようだ。
「所長…?」
「危険だよ。
また誰かが狙われたりすることになってはね」
それは、他の所員が怪物に狙われたりしては、ということだろうか。志織は神山の真意を探ろうと耳をそばだて、目を見開いた。
「でも、それを防ぐためにも調査が必要だと思います」
「それは警察がやってくれている。君がやることではない」
「所長。
現に、あの会社には胡散臭い噂が山ほど」
「だからこそやめた方がいいと言っているんだ。君は自分が何をしているかわかっていない」
「所長はご存知なんですか?!」
声が大きくなる。
逆に、神山の声は小さくなった。
「私は、君にここにいて欲しいんだ。手放したくはない」
志織は息を飲んだ。握り締めた手から力が抜ける。
(GuCAT が圧力を)
直接ではないかもしれない。あれほどの大企業であれば、直接の証拠は残さず、だが、GuCAT の意向であることを臭わせつつ、志織の行動を抑えるよう仕向けることは可能だろう。
「警察には…」
「大人しくしてくれ、早乙女君」
(またじゃ)
いつもこうだ。自分の意志を貫こうとすれば、どこからか横槍が入る。そういうことで苦しんでいる人のために弁護士になったというのに、自分が再び押さえつけられていれば世話はない。
「ほんのちょっとの間、大人しくしててくれればいい」
(そんなはずはないちゃ)
神山もそれはわかっているのかもしれない。だが、ここで志織が我を通せば、間違いなく、他の所員に迷惑がかかる。自分を引き立ててくれる先輩や、慕ってくれる事務員の顔が浮かんだ。
(それもただの暴力と違う)
あんな怪物に狙われたら。自分だって、あそこでシルバー仮面が来なかったらどうなっていたか。
その光景を思い出すと、志織の頭は不思議に冷えていった。
(警察は、あのペンダントのことを知っちょるのか?)
捜査の最初の段階では、ないだろうとわかってはいても、一応、なぜ自分が襲われたのか心当たりはないか、と確認するのが普通だ。だが警察は、花村の名前を出すとそれ以上は聞いてこなかった。
シルバー仮面が現れたタイミングのよさを考えても、花村が以前からマークされていた、という可能性はある。だとすれば尚更、今度のケースではどんな手口を使ったのかは確認するべきではないのか。
(ひょっとしたら、うちが麻宮サキということも。
じゃったら、また暗闇機関が関与しちょる可能性もある)
久しぶりに思い出す名前だ。
この仕事に就いて、短いとは言えない時間が過ぎた。だが、この、犯罪などの事件から決して遠くない世界にいても、暗闇機関の全貌はつかめない。それどころか、そういう組織の存在が感じられたことがない。隠し方が巧妙になったのか、それとも、あの時期の出来事が異常だったのか。いずれ、その頃と同じ、ザラザラした手触りを志織は感じ始めていた。
(そういうことなら、ここの人たちは宛てにはできん。逆に巻き込むことになる)
「早乙女君…?」
志織は静かに立ち上がり、あなたを恨む気はない、という気持ちが表情に出ているといいが、と思いながら頭を下げた。
「お世話になりました」
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