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結花と由真は、一年前に役目を終えたはずのセーラー服に再び、身を包んでいた。
あの時、唯を独りぼっちにしたことを取り返すためには、そうしなければならなかったのだ。
唯のセーラー服の胸ポケットには、ちぎれたリボンが入っている。そこからスタートするのだ。
それを守るように進む般若は、鎖帷子をまとっている。彼も、森の入り口を固める風魔の忍たちも、固い決意だった。同じことを繰り返させはしない。
「あれじゃ」
宙に浮いた白い人影。
〈来たか。
一体、何をしに来たのかは知らぬが〉
「今度こそは、きさんの最期じゃ」
嘲笑。
〈一人として梵字を持たないお前達に一体、何ができるというのだ〉
「!」
結花と由真の体に異変が起こっていた。
梵字が消えていたのである。
長らく梵字を意識しない生活が続いていた。そのため、いつからかは判然としない。だが、今回のことが関係ある、と考えるべきだった。前に、天輪聖王に襲われたときに消されたのか、あるいは、唯を呼び戻すために力を使い果たしてしまったのか。
「それがどうしたって言うの」
「てめぇが、こないだの使い古しだってことはもうわかってるんだよ」
〈措け〉
雷が降ってきた。その隙に滑るように森の奥へ飛ぶ天輪聖王。
「待たんかい!」
追う。
それに異形の者達が立ちはだかった。
かつて、結花と由真を遅い、瀕死の重症を負わせた者達だ。
「邪魔じゃ!」
リリアンが飛ぶ。拘束した相手をひきつけ、膝を入れる。のけぞった者を結花の鶴が切り裂いた。
「小物に構うな。
進め!」
般若の声。
「後は頼むかい」
今は、いとも簡単に送り出すことができる。迷わずに後事を託すことができる。
3 人は天輪聖王を追った。
どれくらい走ったか。周囲は夕闇の明るさになっていた。陰の世界に奥深く入り込んだことになる。
オトヒとミヨズはどうなったのだ。唯の中にいる翔が痛いほどに心配していることが分かる。
足元を霧が隠す。3 人は、天輪聖王の気配は見失わないよう注意しつつ、慎重に進んだ。
風を切る音。
苦内がセーラー服を切り裂いて掠め、地面に突き刺さった。
〈お前達にはもう力はない〉
結花の腕、由真の足には梵字はない。
〈風間 唯の梵字は既に我がものとした。
お前達は無力なのだ〉
「せからしか!」
「梵字が何だって言うの」
「あたし達は、自分で決着をつけるんだよ」
〈また姉達を利用するのか、風間 唯〉
「利用じゃねぇ!」
「あたし達は一緒なのよ」
「そうじゃ。
わちら風間三姉妹、そして、きさんが見捨てた翔も一緒じゃ!」
空気が揺れた。
(まことか)
(翔様が…)
(お戻りなのか?)
かぼそい、助けを求める声。
「これは、オトヒと」
「ミヨズ!」
〈まだ迷っておったのか!〉
天輪聖王の声と同時に、雷鳴が轟いた。火柱が消えると、風が吹き、霧が飛ばされて行った。
前方に二つの塊。
一つは地面に横たわり、一つは宙を漂っていた。
稲妻を避けながら、結花が抱き起こし、由真が抱きとめる。
「オトヒ」
「ミヨズ!」
〈暖かい…〉
〈これは、紛れもなく、翔様のお手〉
「二人をこんげな目に合わせて。
出て来んかい!」
答えはない。いくばくかの嘲りが混じる空気に、天輪聖王が息を潜めているのが分かった。
「オトヒ、しっかりして」
「ミヨズ、苦しいのか」
〈翔様…〉
「あたし達を翔と勘違いしてる」
その力もないのか、まぶたを閉じたまま、オトヒが結花の手を、ミヨズが由真の手を握った。
〈翔様…〉
〈暖かい…〉
その通りだった。
二人の手から温もりが伝わってくる。
「これ、なに…?」
「姉ちゃん、どんげしたと」
「わからない。
でも、何かが」
「体の中に」
「こんなに暖かい」
「これが、陰の住人…?」
再び、雷鳴。
〈失せろ、下郎!〉
稲妻がオトヒとミヨズに襲い掛かった。が。
〈なに…〉
その稲妻は、彼女たちの間直まで迫ったが、まったく唐突に消え去った。
しかし、二人の手の力も抜けた。結花と由真は、二人の体をゆっくりと横たえた。立つ。
「結花姉ちゃん、その腕…」
頷く結花。由真の足も同じだった。
梵字が戻っていた。
そして今は、銀色に強く輝いている。
「前の、わちと、同じ」
「オトヒとミヨズの力だな、これは」
「どういうことなんじゃ」
「二人は、翔を守りたいのよ」
「翔は唯の中にいる」
「その翔を守るには、あたし達に力を貸すのが一番だってこと」
〈小賢しい真似を〉
天輪聖王が姿を現した。
手の中にヴァジュラ。その二つの切っ先から光が飛び、オトヒとミヨズの体を貫いた。
「やめんかい!」
〈そのような小物の体など何ほどのものだ〉
「きさん…」
〈そうして、小さなことに拘るがゆえ、私に遅れをとるのだ、風間 唯〉
「きさん…!」
唯は、痛いほど拳を握り締めた。許せない。怒りで体が破裂しそうだった。許さない。
「まだ足りんのか」
ヴァジュラが槍となって伸びた。それをよける。
「!」
目を上げると、そこは荒野であった。
「何の真似じゃ」
数日前の光景。
般若が風に翻弄され、結花が怪我をし、由真が倒れている。
「子供だましね」
唯の背後にいた結花が言った。
「あたし達が苦しんでいた光景を再現すれば、またダメージを受けるとでも思っているの」
その言葉に、目の前の情景は色を失っていった。
「ガキじゃねーんだよ!」
その、モノトーンの景色から、由真が消えた。
〈!〉
「あきらめなさい!」
結花の姿も消える。
そして、般若は、魔幻の森で異形の者達を切り伏せている姿に変わった。
〈おのれ…〉
また世界が暗転した。
寺。
横に洞窟がある。その中に進んでいく唯の姿。
唯が息を飲んだ。足が、数歩、その方向に進む。
「じっちゃん…」
「唯!」
それは、唯がトリヴィドヤを得ようと入った場所。そして、帯庵が絶命した場所だった。結花の声に、我に返る。
「えぇかげんにせぇ!
天輪聖王、きさんだけは、絶対に許さん!」
唯は、怒りに振り上げた拳を振り下ろした。
すると。
〈なに…〉
熱い。
体の中が熱かった。体の中を熱が駆け巡っていた。
今、その熱が全て、額に集まっていた。
結花と由真は唯の横に進んだ。唯の額を見て、満足げな笑みを漏らす。
「戻ってきたな」
「それが唯の力よ」
カーン。
唯の力を示すカーンの文字が、まぶしいほどに唯の額で輝いている。
「覚悟せぇ!」
空中の天輪聖王に、結花の折鶴が飛ぶ。それはヴァジュラに叩き落されたが、反対側から由真のリリアン。天輪聖王の左手が自由を奪われる。
「由真姉ちゃん、わちにも!」
唯が由真のリリアンを手にとった。真っ直ぐな白い線が天輪聖王に向かって伸びる。
〈ぐあぁぁ!〉
天輪聖王がうめいた。
(これは…)
結花はそれを見つめていた。
同じリリアンなのに。
確かに由真の放った糸は白い光を帯びていた。これはミヨズの力だろう。だが、唯の糸は太さも増し、直視するのが辛いほどまぶしく真っ赤に輝いて、いや燃え上がっている。天輪聖王が味わっている苦痛は、紛れもなく唯が放った糸によるものだ。
これが唯の力、カーンの持つ力なのだ。
(じゃ、きっと、私のも)
折鶴の羽をたたむ。
秘技、戻り鶴。
それは、天輪聖王の頭上を掠めた。
「唯、折鶴を!」
糸を唯の手からもぎ取ると、糸は細く、光も白く変わった。
(思った通り。
きっと、鶴も)
唯は、天空の点となり舞い戻ってきた鶴を認めると、それに右手を延ばした。
目に見えない、凄まじいエネルギーが折鶴に殺到する。
(やっぱり)
次の瞬間、小さな折鶴は、巨大な炎の鳥に変化した。
〈これは…!〉
「最期じゃ、天輪聖王!」
炎の鳥が背後から天輪聖王に襲い掛かる。唯が鳥を力強く引き寄せると、天輪聖王の体は炎に包まれた。
〈あぁぁぁぁぁぁぁぁ!〉
すさまじい悲鳴がこだまし、天輪聖王が大きく燃え上がる。その炎は、闇をも焦がすかのようだった。
高く、激しく。
やがて、炎の中の人影は動かなくなった。
闇が晴れる。
ここは再び、荒野であった。
「また、ここか」
「無事だったか」
般若が駆けつけた。
「我らは、ずっとここにいたようだ。
あやつは、自分の身が滅んだこの場所でしか力を発揮することができないのに違いない」
「だから、使い古しだって言ってるんだ」
「天輪聖王は」
崖の上に黒い塊がある。
「あれは果信居士じゃ。
もう、完全に力をなくしちょる」
〈わし一人では死なん!〉
果信居士は膝立ちのまま、手からか細い光を放った。それは、三姉妹の背後で、オトヒとミヨズの体を焼いた。
「オトヒ!」
「ミヨズ!」
「まだわからんのか、果信居士!」
唯は仁王立ちになった。
危険だ。それを庇おうとした結花と由真は、息を飲んだ。
「唯…」
「それとも、翔…?」
額の梵字は、アーンクに変わっていたのだ。
〈お前にまだその力が〉
「哀れなる者、果信居士!」
目を閉じ、静かに、ゆっくりと、胸の前で両手を結ぶ唯。
「今、その魂を解き放ってくれる」
それでも抵抗しようとしたのか構えていた果信居士は、そのまま動けなくなった。
〈お、おぉ〉
当の三姉妹には見えない。
だが、果信居士の目にはそれが映っていた。
唯の背後、そして、結花も、由真も。それぞれが光をまとっていた。それが陽炎のように立ち昇り、一瞬、人の形となったかと思うと、円を描き、渦を巻き、唯に注ぎ込まれては結花と由真に還流し――
そうして強さを増した光は、唯の手の中から一直線に、しかしゆっくりと果信居士に流れ込んできていた。
〈それが、アーンクの〉
その姿のまま、果信居士が薄れていく。
〈おぉぉぉ……〉
そして、それは。
「消えた…」
陰星も輝きを失い、消滅した。
あたりを覆っていた、不気味な気配が去った。心地よい風が吹きすぎると、そこは正真正銘、彼女達が暮らす世界だった。
乾いた音。
唯が膝をついた。
「唯…、唯!」
結花が抱え起こす。
アーンクの字が消えていた。
「案ずるな」
唯の手を取り、様子を確認した般若が言った
「気を失っているだけだ」
「ゆっくり休みなよ、唯」
「いつまで甘えてんだよ」
「由真姉ちゃん、冷たかぁ」
「お粥ぐらい、自分で食えよ、バカ」
「えぇじゃなかね。
昨日みたいに、あーんって」
「うるせぇな」
「ちょっと、こぼすわよ」
唯は確かに疲れきっていたようだった。
あの日はずっと眠りつづけ、翌日も、起き上がるのが辛そうだった。今日はいくらか楽になっているようだ。いや、三姉妹の「日常」が戻ってきているところを見ると、もう回復しているのかもしれない。
「だって、ほんなごつ、うれしかったんじゃもん」
「甘えすぎなんだよ。
姉貴が 3 人もいるとこうなっちまうのかね、全く」
「3 人…?」
唯の表情に戸惑いが見えた。結花は、それを見逃さなかった。
「翔のこと、全然、口にしなかったわよね。今まで」
唯は、二人から目を逸らした。
「なんで?」
「…うん…」
「あたし達に遠慮してた?」
答えない。目を伏せる。
「お前の姉さんなら、あたし達だって無関係じゃねーよな」
「そうよ。
遠慮することなんかないわ」
「じゃけんど…」
「できた姉さんだよな。
お前なんかのために命がけになって。
あたしの姉貴だって言ってやってもいいくらいだ」
「由真姉ちゃん」
「そうよ。
あたし達に遠慮なんかしないで、翔も『姉さん』って呼んであげて」
「うん…」
「そういう水臭い奴にはお粥あげなーい」
唯の回復を確認して、般若は鬼組に戻る。
「何度も、危ない目に会わせてしまうな」
「えぇんじゃ、わちら」
「唯、進路のこと、何も焦ることはない。
結花、由真、お前達もだ。自分の道を進むことに、何も恥じる必要はないのだ」
「般若」
「言うな。
自分の人生なのだ。
お前達は、自分の道を行け」
般若は、順番に三人の顔を見つめた。
「よいな。
達者で暮らせ」
車に乗り込む。
エンジンの音と、わずかな煙を残して、般若は去った。
「姉ちゃん…」
家に戻ろうとする。唯は立ち止まった。
「陰は…陰はなくならん。
また 180 年、経ったら」
結花が振り向く。由真も立ち止まった。
「わち…」
「あたし達の梵字はまた消えたわ」
「じゃけんど」
「あの現われ方、輝きの色、そして消えてしまったこと。
唯の梵字と同じだった。
それはきっと」
「あたし達はパワーアップしたってことなんだよな、きっと」
「由真姉ちゃん」
「あたしと由真の梵字が持つ力が、唯と同じ段階に到達した、ってことなのかな、って思う」
「結花姉ちゃん、その力」
「翔はどう言うかしらね」
二人の顔を見比べる唯。聞くまでもない。
「あなたが決めなさい、唯」
「どこでもつきあってやるよ。
ミヨズとオトヒもそう言うと思うよ」
「えぇの、わちが決めて」
頷く結花と由真。
空は青い。
ごく普通の、ありふれた、穏やかな午後。
「よし、電話だ」
由真の声が響いた。
「般若の奴、鬼組に戻ったら驚くぞ」
新しい、彼女達の日常。それがもうすぐ、始まる。
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