Tabino Mitsukekata

BosniaandHerzegovina Information
ボスニアアンドヘルツェゴビナの人口は約430万人。首都はサラエボ。1984年の冬季オリンピックが開催された都市でもあります。1992年3月にユーゴスラビアから独立を宣言。同年4月にEC、アメリカから独立を承認されるとともに内戦に突入しました。以後1995年12月14日パリでボスニア和平協定が結ばれるまで内戦が続きました。この内戦は2つの世界大戦を除いてヨーロッパ史上最悪の結果をまねき、総人口の過半数である300万人の難民と20万人以上の犠牲者を出すに至りました。現在も復興は遅れており内戦の傷跡はほぼそのまま残っています。
BosniaandHerzegovina あれこれ
私は、ウィーンから飛行機でサラエボ・ブトミル空港に入りました。空港は小さいながら近代的な設備も整っている空港でした。空港からタクシーで市内行く途中、通称スナイパー通りといわれる片側4車線の大通りを通ります。その通り沿いに立並ぶ公団住宅や大きな建物は砲撃の跡や弾痕が無数に残っており、当時の内戦の状況がうかがえます。特にオスロボジェーネ新聞社は完全に崩壊していますが、当時この状況下で新聞を発行し続けたそうです。旧共和国議会ビルも同様に当時の最前線の激しさをそのまま残しています。サラエボに到着するなり日本人では見慣れない光景を見ることになります。ここでの激しい戦闘は想像を絶します。
市内に到着しホテルを探したのですが、満室で数件断られました。欧州からの観光客が多く、中級ホテルへ泊まるには予約が必要でした。3件目でようや1泊のみキープできました。
冬だったせいもありますが、街には活気がありません。人の動きや物の動きを感じることができませんでした。お土産屋や商店が建並ぶメインストリートもどこか閑散としています。以外だったのは、物資が非常に豊富だったことです。ボスニアアンドヘルツェゴビナ産の粉スープや調味料がEU向け商品として売られていました。
この国はUNの信託統治下にあります。したがって和平安定化部隊(SFOR)が駐留していますので、街中はUNの車が非常に多くSFORの兵隊さんが街中にいます。また、この国は1つの国に2つの国があるといわれており、セルビア人共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦という独自性の強い地方政体によって構成されている国です。よって、国の中にさらに国境があり言葉・文字・通貨・法律等も違います。私が滞在したサラエボはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側で、目の前の丘の上はセルビア人共和国になります。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦はムスリム人とクロアチア人。セルビア人共和国セルビア人で構成されています。ムスリム人はイスラム教徒ですが外見はイスラム教徒の格好もしていないし、戒律も厳しく運用されていないので見た目では何人かわかりません。
オリンピックスタジアムを見学したついでに墓地と化したグラウンドを見てきました。内戦当時、犠牲者を埋葬する所が無く補助グラウンドやサッカーグラウンドが墓地として使われるようになりました。そこは大きな霊園といった感じで、墓碑を見ると1991年から1993年に内戦で亡くなった方々の墓碑ばかりあります。案内してくれたタクシー運転手の弟さんもこの内戦の犠牲者で1992年に20歳でお亡くなりになり、このグラウンドに眠っているそうです。
内戦当時、各国の記者の拠点となっていたところがホリディイン・サラエボでした。内戦中このホテルは最前線で被弾しながら休まず営業したそうです。そのホリディイン・サラエボは現在では修復はほぼ終わり、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の中で最も高価なホテルといわれています。1泊シングルで110ユーロでした。110ユーロなりの豪華なホテルでした。

今度訪問する時は、復興の進んだサラエボであることを願います。
オスロボジェーネ新聞社 Oslobodenje
オスロボジェーネ新
スナイパー通りで破壊のひどさがとても目立つビルです。
これほどの巨大なビルがここまで破壊し尽くされていると、
戦闘の激しさは想像を絶するものだったのでしょう。
旧共和国会ビル
ホリディイン・サラエボからスナイパー通りをはさんで目の前。
ビルの四方の壁面は弾痕と砲弾の跡だらけでした。
ひっそりと修復作業をしていました。時間はかかりそうです。
旧共和国議会ビル1 旧共和国議会ビル2
グルヴィッツァの公団住宅 グルバヴィッァの公団住宅
グルバヴィッツァは戦闘の激しかった地域です。
この写真ではわかりずらいですが、すさまじい弾痕です。
この様なマンションですが人は住んでいます。
The Olympic Flame

1984年サラエボ冬季オリンピックの聖火です。
ちゃんと火はついていました。
この建物の裏が日本大使館。
サラエボ冬季五輪聖火
バシチャルシァ Bascarsija
バシチャルシ
旧市街にある職人街。近くにフェルファデイアモスクがあるせいで中東の雰囲気が漂います。
周りにはお土産屋がたくさん軒を連ねています。
Autobus
ウトブス
1998年に日本のODA(政府開発援助)で全車新調された公共バス。
バスにはJAPAN Official Developmant AssistanceCOOPERATION
JAPAN FOR BOSNIA AND HERCEGOVINAと書いてあります。
アウトブス1 アウトブス2
セルビア人共和国・ボスニアアンドヘルツェゴビナ連邦の国境 セルビア人共和国ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の国境
左側がセルビア人共和国側、右がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側。
左側の看板は全てキリル文字。

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