Poland Information
■ポーランドが統一国家として誕生したのは9世紀〜10世紀頃です。その後、幾度となく争いが続き、悲劇の歴史の舞台となった国でもあります。大きさは日本の約5分の4。人口は3900万人。首都はワルシャワ。民族構成はポーランド人がほとんどでごく少数のドイツ人、ウクライナ人、ベラルーシ人で構成されています。宗教はローマ・カトリックがほとんど。現在のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の祖国はポーランドです。
近年のポーランドは1939年9月、ポーランド・ドイツ不可侵条約を破棄してドイツがポーランドに侵入し第二次世界大戦が勃発します。同月、ソ連もポーランドに侵入。ポーランドはロンドンに亡命政府を作るをえなくなりました。大戦後1948年ポーランドは共産党一党独裁体制を確立。幾度となく労働者による暴動が発生し、特に1980年には「連帯」運動がはじまり社会主義政権は急速に衰えを見せました。1989年にはポーランド統一労働者党「連帯」によって社会主義体制は崩壊。1990年「連帯」の議長であるレフ・ワレサ氏が大統領に就任。1991年にはEUの純加盟国になり、1999年にはNATOに加盟しました。
Poland あれこれ
■ウィーンからバスでクラクフに行きました。所要時間は約10時間。クラクフには朝5時に着きました。ホームにむかう地下道は24時間の出店があり9割が古本屋でした。駅の周辺は何も無くバスターミナルがあるだけで、城壁の中に入らないと街はパッとしません。城壁内部は中央市場広場を中心にどの道もにぎやかです。また街並みも落着いていて中世の雰囲気のある街です。第二次世界大戦中、ワルシャワは壊滅的な打撃を受けましたが、クラクフはナチスドイツの司令部が置かれていた為無傷だったそうです。見所は城壁の中に収まっているので周りやすいし半日あれば周れるでしょう。城壁外の見所は当時ユダヤ人ゲットーだったカジミエーシュ地区があります。1941年にユダヤ人ゲットーが作られ、当時クラクフにいた6万人のユダヤ人のうち1万5千人がこのゲットーへ、残りは地方の強制収容所へ送られたそうです。また、映画「シンドラーのリスト」の舞台となったところでもあります。
オシフィエンチムはクラクフから電車で約1時間半。小さな駅で駅前にはホテルが1件あるだけです。そこから30分位歩くとアウシュビッツ強制収容所跡があります。強制収容所内は観光客のためのインフォメーションセンターや各言語用のパンフレットも売られています。実際に収容所内に入ってみると映画のセットの様な感じがします。ここだけで28民族、150万人が殺されました。当時収容所は殺人工場だったわけですから、見学していると心が痛みますし色々と考えさせられます。
アウシュビッツ強制収容所から30分位歩くとビルケナウ(第二アウシュビッツ)があります。ここの強制収容所の敷地は大きく300以上のバラックが建ち並んでおり地平線までバラックが続いています。敷地の入口から各バラックまで列車の引込み線もありました。見渡す限りバラックしか見えない光景は異様です。ビルケナウの方が一般の人が想像する強制収容所に近いと思います。
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Barbakan
バルカン
旧市街の北のフロリアンスカ門を守る為に1498年に造られた防塁。
円形の防塁は今では欧州でも数箇所しか残っていない珍しい建築物だそうです。 |
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Florian Street
フロリアンスカ通り
バルカンからフロリアンスカ門をくぐるとこのフロリアンスカ通りになります。
中心の中央市場広場までにぎやかな通りです。 |
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Main Market Square & Cloth Hall
中央市場広場と織物会館
広場に面してレストラン、カフェなどが軒を連ねています。
クリーム色と茶色の建物は14世紀に建てられた織物会館。
現在1階はお土産屋。2階は国立美術館となっている。 |
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St.Mary' Church
聖マリア教会
中央市場広場に面している教会。1222年に建てられた。 |
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アウシュビッツ強制収容所ゲート入口 |
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「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)のスローガン。
この門をくぐり中に入ります。Bの文字が逆さま。 |
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集団絞首刑台 |
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絞首刑台 |
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「死の壁」
銃殺用の壁。花束がありました。 |
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切り落とされた三つ網の人髪
この他に様々な犠牲者の遺品が展示されています。 |
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チクロンB
毒殺用に使われた。 |
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ビルケナウ(第二アウシュビッツ)
鉄道の入口。ゲート。 |
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バラック小屋
見渡す限りのバラック。300以上あるそうです。 |
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バラック小屋2
地平線までバラック小屋が続きます。 |
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