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Russian Information
ロシアの大きさは日本の約45倍。人口は約1500万人。首都はモスクワ。ロシア語が公用語ですが事実上各民族独自の言語が公用語になっています。宗教はロシア正教。少数のユダヤ教、イスラム教、仏教。
ロシアは1917年10月レーニンがソビエト政権を樹立。その後、周辺諸国を加えて1922年にソビエト連邦を樹立。共産党一党支配を基盤とした社会主義体制を確立し、以後1960年代から1980年代まで米国との2大国冷戦時代を続ける中でソビエト連邦は経済・社会共に低迷を続け、これを打破しようとミハイル・ゴルバチョフ書記長が”ペレストロイカ(建直し)”を進めるも国内は混乱していきます。混乱は一気に広がり1991年12月、ソビエト連邦は解体。その後、ロシア連邦に改名し引き継いだのがボリス・エリツィン初代ロシア連邦大統領です。民主化と市場経済化の改革を推し進めるも多くの困難を伴い、1999年末に任期を待たずして辞任。その後2003
年3月にウラジミール・プーチンが選出され同年5月に第二代ロシア連邦大統領に就任しました。現在も民主化と市場経済化の路線を推し進め続けています。
Russian れこれ
イスタンブールから飛行機でモスクワに入りました。飛行機はアエロフロートロシア国営航空を使いました。アエロフロートにはイリューシンやツポレフ、ミグといったロシア製の航空機を使用しており、”イリューシン”に乗ったのは初めてでしたが、今まで乗った飛行機の中で最悪の飛行機でした。窓際の席は冷たい風が足元から入ってきたり、座席も薄く狭いので座っているだけで苦痛でした。また、客室乗務員もいいかげんで、離着陸の時にシートベルトもしないで座席に寝そべっている乗客がいてもそのままでしたし、立ち歩いていても何も注意されません。またアエロフロートの国内線や欧州主要国以外へのフライトでは習慣でチケットの半券を渡されなかったら座席は自由席になるそうです。乗客よりも操縦士、客室乗務員が先に降りることもよくあるとのこと。ローカル路線になると旧社会主義時代丸出しのルールがいまだに運用されているようです。しかし、西側先進国へ乗り入れている路線は国際基準で運用されているそうです。成田〜モスクワ間は普通でした。
モスクワ・シェレメチェヴォU国際空港は欧州中で最低の空港だと評されていますがその通りでした。狭い、利用しづらい、わかりにくい、表示が少ない、ソファや座席も少ない、古い、汚い、喫煙、トランジットの方法がわかりにくいなど普通の国際空港では考えられないレベルでした。空港内には免税店以外たいした店もないですし、アクセスも、モスクワ中心部から空港までバスや電車も出ていないので、地下鉄レチノイヴァグザール駅やプアーニェルナヤ駅から乗合タクシーで行く方法しかありません。利用者のことは全く考えていない社会主義時代の負の遺産です。最近、近くに先進国並みの設備をもつ民営の空港ができ、エールフランスや大手欧州の航空会社が移行しているそうです。
モスクワの街は東京やニューヨークに匹敵する大きさで、交通網の地下鉄が張りめぐらされているのでどこに行くにも便利でした。地下鉄は相当深く、ホームへのエスカレーターの長さは日本では考えられないほどの長さです。また、速さも日本の2倍以上の速さがあり乗っていると案外楽しめました。また、個性があるホームが多く、美術館の様に装飾されている駅もありました。
見所のクレムリンと赤の広場は大きいので周るのに半日以上かかるでしょう。クレムリンにつながる大ニキーツカヤ通り、新アルバート通り、トゥヴェルスカヤ通りなどは見所が多い通りです。アルバート通りは歩行者天国になっていていつもにぎわっています。
食事はマクドナルドで済ませていましたが、モスクワのマクドナルドの店員の接客態度とハンバーガーの品質は世界一だと思われます。たいして美味しくも無いマクドナルドが美味しく感じたのはモスクワが初めてでした。日本のマクドナルドなど比較になりません。
かつては、モスクワ(クレムリン)とワシントン(ホワイトハウス)を中心に世界が動いていました。今はかつての大国の面影はあまり感じられず、ロシア国民の貧富の差が街中でよく見られます。
社会主義国の本家本元だった国ですから異質な空間がたくさんあり日本人にとって目新しい(珍しい)体験が期待できると思います。中東・中近東と同じく文化の違いを体験できます。

赤の広場 の広場
クレムリンの赤壁と聖ワシリー聖堂、グム百貨店、国立歴史博物館などに囲まれた赤の広場。
赤の広場はロシア語で”クラースナヤ・プローシャチ”といい、この”クラースナヤ”というロシア語は古語で”美しい”と訳されるそうです。本当は赤の広場ではなく”美しい広場”と言う方が正しいそうです。
聖ワシリー
1560年に建てられた聖堂です。9つのねぎ帽子があり、それぞれが
1つづつロシア正教の教会になっています。赤の広場では一際目立つ存在です。
聖ワシリー聖堂
国立歴史博物館 歴史博物館
1881年に建てられた4つの塔を持つ赤レンガの建物。
ロシア革命前のロシアの全歴史が展示されているそうです。
レーニン
ソビエト連邦解体まで相当な権威があった場所。
1924年1月21日に死去。その後3日後にはこのレーニン廟は建てられました。
レーニンの亡骸は毛沢東の亡骸よりきれいでした。
レーニン廟
ロブノエ・メスト ロブノエ・メス
聖ワシリー聖堂の前にあります。
かつてここから皇帝が全国に布令を読上げたり、
裁判の判決を言渡したり、処刑執行の場所でもありました。
百貨店
1893年に赤の広場に面して建てらたものを1953年に大改築をし現在の姿になりました。
3階建てで1,2階はショッピングセンターです。カフェやファーストフード゙もあります。
グム百貨店
無名戦死の墓 名戦士の墓
「1941年〜1945年の無名戦没者に捧ぐ。汝の名は不明
なるもその貢献は朽ちることなし」と書かれています。
ウクライナ・ホテ
滞在したホテルです。
詳細は
”旅のみつけ方Hotels”を参照して下さい。
ウクライナホテル
ロシア連邦内閣ビル ロシア邦内閣ビル
1991年のクーデターの時の舞台となったところです。
ロシア政府の最高機関の建物です。
コメコン本部ビル
コメコンは西側陣営のEC(ヨーロッパ共同体)に対抗してつくられた、
東ヨーロッパと旧ソビエトの経済交流の国際機関。
旧コメコン本部ビル
旧KGB本部 旧KGB本
8階建ての建物。近くで見ると、KGBの文字や旧ソビエトの国旗が建物に彫られています。
ボリジョイ
1776年に完成。その後火災により1824年に再建しました。劇場内は見学できません。
ボリショイ劇場
旧労働組合の家 旧労組合の家
18世紀末に建てられた建築物。
かつては舞踏会やカーニバルが貴族らによって行われた。ロシア革命後
労働組合連合会所有になり、労働組合の家と呼ばれるようになった。
レーニンが演説をした所で、彼の告別式もここで行われました。
旧タス信社
旧ソビエト時代の情報はこのタス通信経由で送られてきました。
現在はイタルタス通信社。
旧タス通信社
日本大使館 日本大使
老朽化した建物でした。
この大使館の建替えで豪華なサウナやプールを作ると
いったことから日本で税金のムダ使いと避難されていました。
スタンキノ・テレビ塔
1967年に完成。540メートルのテレビ塔。塔の上部には
レストランがありそこからのモスクワの展望は格別だそうです。
オスタンキノ・テレビ塔
全ロシア展示会場 全ロシア示会場
展示会場といっても何も展示されていません。周辺に遊園地らしきものがあるだけです。
この写真は会場入口近くにあるモニュメント。

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