Tabino Mitsukekata
| SerbiaandMontenegro Information ■この国は、日本人にはほとんど知られていない国でしょう。旧ユーゴスラビアといったほうがわかるかもしれません。首都はベオグラード。人口は約1000万人で日本の約4分の1の大きさです。宗教はセルビア正教やイスラム教。 この国はユーゴスラビア社会主義共和国が1991年に崩壊後、5つの共和国に分割されました。その中の1つがセルビアアンドモンテネグロの前身であるユーゴスラビア連邦共和国です。ユーゴスラビア連邦共和国はセルビア共和国とモンテネグロ共和国から構成される連邦国家です。連邦共和国になった後も、常に両共和国の派遣争いが絶えませんでした。また、アルバニア系武装組織対ユーゴスラビア連邦共和国軍・セルビア治安維持部隊との紛争(コソボ紛争)が激化し和平交渉も決裂。1999年3月NATO軍による3ヶ月間の空爆を受けました。その後、2000年9月に行われた大統領選で”市民による革命”が首都ベオグラードで発生。コシュトニッツァ新大統領が誕生し,これまで13年間の独裁政権と恐怖政治を守り続けたスロボダン・ミロシェビッチ大統領は権力の座から引きずり降ろされました。スロボダン・ミロシェビッチは政権崩壊後、戦争犯罪国際法廷から戦争犯罪人として起訴され2001年4月に逮捕、6月にオランダのハーグにある国際軍事法廷に移送されました。その後も国内は不安定な状況が続き、モンテネグロ共和国の一方的な独立運動が近隣諸国を巻込む紛争へ拡大する懸念を抱いたEU及びNATOは、セルビア共和国、モンテネグロ共和国からなる緩やかな連合国家への再編を図るためユーゴスラビア連邦共和国を消滅。2003年2月セルビアアンドモンテネグロを設立しました。 SerbiaandMontenegro あれこれ ■”ユーゴスラビア”はチトー元大統領がつくりあげた国といっても過言ではありません。チトーはナチスドイツから首都ベオグラードを解放。1945年には社会主義体制であるユーゴスラビア連邦人民共和国を設立し南スラブ人国家の統一を果しました。その後、スターリンとの確執もあり、独自の社会主義路線を歩みだし、1963年に国名をユーゴスラビア社会主義共和国に変更しました。また、チトー元大統領は1980年に87歳でこの世を去りました。 私が訪問したときはまだ国名がユーゴスラビア連邦共和国でした(2003年2月)。バスでウィーン東駅のバスターミナルから途中食事休憩や国境の入国審査で時間がかかり約10時間で到着しました。ウィーンからバスでベオグラードに行く日本人は珍しいらしく入国審査は私だけかなり時間を取られました。入国審査官の「何をしに来た?」との問いに、「観光です」と答えると、「ベオグラードは何もない。あそこは観光する場所ではない」と言われてしまいました。入国審査はユーゴスラビア連邦共和国の審査と各共和国独自の入国審査がありました。 ベオグラードは人口150万人の大都市です。街は活気があり整備された道や近代的な建物が建ち並んでいて力強さを感じます。2000年に起こった市民革命の傷跡はほとんど見られません。 私が日本へ帰国した後まもなく、2003年3月12日、ベオグラード市内でセルビア共和国のジンジッチ首相が暗殺されました。同日セルビア政府はセルビア共和国全土に非常事態宣言を発しました。 ベオグラードの情報は非常に少なく集めるのに苦労しました。日本で情報を集めるためユーゴスラビア大使館に行きましたが、ベオグラードを案内するものは何もないとのことでした。HPもたいしたものではなかったので、仕方がないのでウィーンで情報収集試みましたが本屋を3件周ってようやくベオグラードの地図をゲットできました。
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SERBIA AND MONTENEGRO
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