ドキュメンタリー映画『戦争と平和』製作声明決意文
〜僕は命をかけなければ「戦争と平和」なんて語れないとわかった〜

僕は今、「戦争と平和についての100の考察」についての映画を製作しています。

2001年の9.11事件、アフガニスタンでの誤爆事件、毎日報道される世界中のニュースの数々、そして10年以上変わることがなかったフィリピンの貧困の現実を目の前にして、僕はいつしか「アメリカ人の心が変わらなければ世界は変わらない」という事に気づき、アメリカ人に見てもらえる映画を製作しようと決意しました。

そして2002年の初夏よりアフガニスタンの地でアメリカ軍の誤爆をうけながらも懸命に前向きに生きているイスラムの子供たちのロケハンを繰り返し、「戦争と平和」についての映画を撮影しようとしていたその矢先、世界情勢が急に再び緊張状況に向かいました。
しかし今度は、イラクに対する攻撃を阻止しようという数千万人の反戦の声が世界中で溢れ出し、2003年の2月には世界中から、自分自身の命をかけ、「人間の盾」としてイラクに行く人々が数百人いることを知りました。僕は直感的に「人間の盾として欧米人日本人などが1000人集まれば今回のイラク戦争は止められるかもしれない」と思い、その一部始終を映像に撮るため、3月12日急遽イラクに向かったのでした。
しかしバクダッドで見たものは、すでにイラク政府と盾となる配置場所をめぐり喧嘩別れなどをして出国した「人間の盾」の残り50人の人々のみでした。僕は「この人数では戦争を食い止めることは無理だろう」と感じました。また、イラク政府の徹底した情報管理によりほとんどまともな撮影ができず、ついには命の危険も感じ、3月17日にイラクを出国しました。
そしてイラクの人々は、逃げることもできずに、恐怖と緊張感の中で開戦を迎え、極めて不安定な環境の中で生きていたと思います。またイラク人だけではなく、アメリカ軍にもたくさんの死者が出たし、現在も心に傷を負った人たちが絶対に消せない悲しみに沈んでいると思います。 

僕は今、戦禍のイラクに滞在できなかったことを後悔しています。そこでしか感じられなかったであろうこと、得られなかったであろうことを体験できずに痛烈に悔やんでいます。爆音を聞きながら、人々は何を考えたのでしょうか。自分のことか、家族のことか、社会のことなのか。諦めたのか、死を覚悟したのか、それとも・・・。

僕は戦争を体験してしまったイラクの人々と米軍の若者たちに問いたいと思います。
「戦争とは何だったのか?」「平和になるためにはどうしたらいいのか?」と。

また、米軍の捕虜や死体の映像をテレビで放映しなかったアメリカのメディアは、また、そういった内容を見ないまま戦争に関わることになってしまったアメリカ国民は、今、何を思うのでしょうか。
僕は戦争後もバクダッド市内で撮影取材をしてきました。米軍による激しい空爆攻撃は、ほとんど済んだ後でしたが、主たる政府関係の建物や、病院、学校などは略奪に見舞われ、焼け落ち、廃屋と化していました。金持ちのスーパーマーケットの棚からは、食料、水、生活用品、ありとあらゆるものが奪い去られていました。戦争が生む被害は、爆弾や銃だけでは終わらないことを思い知らされました。
また、サダムフセイン小児病院の庭には、たくさんの誤爆などで死んだ子供たちの死体が埋葬されていて、僕自身、やりきれない思いを感じました。

戦後、バクダット市民はよく「フセインも嫌だ。ブッシュも嫌だ」と言います。そんな住民たちを前にすると、サダム・フセインの独裁恐怖政治が崩壊し、人々が自由に発言し出したことは、明るい兆しにも見えてきます。
しかし、今思えば、何を持てば戦争に向かってしまう構図を止められたのでしょうか。

僕はこれからとことん「戦争と平和」について悩み、苦しみ、戦争を食い止めるための100の考察を撮影していこうと思います。そして、映画の最後に、どこかの戦争も体験しなければいけないと思っています。
今の僕の目標は戦争を食い止めるだけの力のある映画を作ることです。

どうか変わらぬご支援ご声援をよろしくお願いします。

2003年5月23日
バグダッドにて
「戦争と平和」監督 四ノ宮 浩


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