![]() |
蓮興寺縁起
一、
蓮興寺・・・日蓮正宗。正応5年(1292)10月、大石寺2世日興上人開基。古事暦年不祥。中世に伊豆の江梨に居た鈴木重行5代の孫正行が、当地井出郷に来住して井出氏を称し、甚助正次の代に徳川家康に重用され、慶長6年(1601)志摩守を名乗り、駿河・伊豆の代官や駿府町奉行などを勤めた。この井出氏により蓮興寺が整備され、本廣寺・妙光寺(正光寺)の「根方三山」が厚く保護されたという。蓮興寺の中興開山は大石寺20世の日典上人。同上人筆写の曼荼羅の端書に承応元年(1652)云々の記載がある。以後今日の関戸慈誠師まで27代。
二、
戦国時代から駿河国東部の愛鷹(あしたか)山麓で、井出氏の活動があり、その菩提寺の蓮興寺を始めとする法華の「根方三コウ寺」が、やがて生まれる素地がつくられつつあった。井出氏は江戸時代の『駿河国新風土記』によると、南北朝時代に伊豆国江梨郷に来住した熊野水軍の将、鈴木重行より5代の孫、藤九郎正行が戦国時代に駿河国井出郷に来住して井出氏を称したことに始まるという。一説に正行の「藤九郎」と言う通称などから藤原系、それも二階堂流などとする説もあり、また正行を正直とするものも有る。明治27年刊行の『静岡県家歴鑑』の「井出甚平氏」の項には〔駿河国駿東郡浮島村井出ニ住ス、其ノ祖ハ遠江守藤原某ノ後裔ト云伝フト雖モ其来歴ヲ詳ニセサルヲ以テ暫ク之ヲ省ク〕と記している。また〔当家ハ代々仏法ヲ信ジ当村蓮興寺ヲ建立、又石川村本廣寺境内ヲ寄付ス〕とある。これは同書にある〔中興ノ祖井出志摩守甚助(正次)〕の業績であろう。但し蓮興寺は明治9年の同寺の県提出文書に〔創立、正応五年(1292)壬辰十月大石寺開山・開基日興〕とあり、本廣寺も同様文書に〔創立、寛正六年(1465).開基日有上人〕と見えている。それに従えば蓮興寺は鎌倉時代後期、本廣寺は室町時代末期(応仁の乱直前)の創建となり、井出正行正次父子の時期よりもずっと古くなる。あるいは井出氏の井出来住がも
・ っと早かったかも知れない。それにしても井出氏が来住後、既にあった寺を改めての蓮
興寺としたのであろう。また石川にあった寺に新たに土地を寄進して、その拡大と維持の安定化を図ったのではなかろうか。『駿河記』・『駿河資料』『駿河国新風土記』共に本廣寺に井出志摩守正次夫妻の墓が有るとして、その戒名を書いているのも注意すべきであろう。実はこの3冊の本は幕府から委託された3人の作者が一緒に国内を歩き、共同で納めるべきものを別々に書き上げ、刊行されたものである点実に興味深い。ところでこの3書に見える正次夫妻の墓であるが、これが現在本廣寺にはない。実の墓は伊豆の三島.国分寺にあり、本廣寺にあったものは塔婆塔であったと思われるが、いつの間にか不明になってしまったのである。
(郷土史家・小野真一氏拝記)
三、
@ 駿河志料「日蓮宗、富士大石寺末除地八十三合「玉泉庵 蓮興寺扣」
A 駿河記「妙法山蓮興寺日蓮宗富士郡大石寺内除地八斗三合開山日興玉泉庵蓮興寺扣」