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「1982年の川崎駅」その1


私事で恐縮ですが、小生は1999年の8月に川崎市へ転居しました。臨港バスのファンページを作っていながら川崎市民歴は4年でありまして、以前の臨港バスについては全くの素人であります。ましてや20年前などは江戸川に住んでいまして、臨港バスの存在すら知りませんでした。
ところが、掲示板でもお世話になっていますレッドライン様より1982年当時の川崎駅前の写真データを頂きました。駅前の様子から走っているバスまで、今とは全く違った風景に驚いてしまいました。この驚き、懐かしさ、興味深さを小生以外の方にも伝えたい。そんな思いでこのページを製作しました。
1982年の川崎を知っている人も、そうでない人も、この変貌に驚いてください。懐かしんでください。

本ページに掲載される画像の著作権はレッドライン様が所持します(¥マークの写真については園前花月が著作権を所持します)。無断転載は絶対にお止めください。また解説文に関しては園前花月がレッドライン様より頂いた解説に種々の文献を参考に製作しています。内容の正確性には注意を払っておりますが、誤りがありました場合に生じた損害等について責任は負いかねますので予めご了承願います。またお気づきの点などがありましたらメールにてお知らせください。
サーバー容量の都合で解像度を落として掲載しております。見えづらい個所が多々あるかと思いますが、ご了承の程お願いします

前置きが長くなりましたが、写真に移る前に当時の川崎駅の様子についてご説明します。
1982年というと、地下街「アゼリア」の建設工事の始まる年、以降1986年にショッピングビル「ルフロン」の建設が始まるなど、川崎駅前が目まぐるしく変わり始めた年でもあります。
臨港バスの車両も変化に溢れる時期でありまして、1980年より冷房車両の投入が始まり、翌1981年より前面の方向幕が大型化された車両の投入が始まっています。この頃は毎年30台以上の新製車が投入されており、装備の異なる車両が川崎駅に入り乱れています。
また、現在では東口、西口とバスターミナルが分かれていますが、当時は西口発着の系統が臨港バスでは1系統のみ。現在西口を発着しているバスもほとんどが東口からの発着でした。下の地図は1979年と2003年のバスターミナルの図です。主に南側(左側)が臨港バスと京急バスの発着場、北側(右側)が川崎市営バスと東急バスの発着場(一部に臨港バスの発着場が有り)となっていました。

1-1,1979年の川崎駅前バスターミナル付近 1-2,2003年の川崎駅前バスターミナル付近

2-1,京急線ガード下八丁畷寄りより川崎駅南端側を望む 2-2,2003年の同地点(¥)

さて、ようやく写真が出てきました。
この写真は京急線ガード下八丁畷寄りより川崎駅南端側を望んだところです。右側は現在の同地点の様子です。比較するとよく分かるのですが、バスの発着の向きが90度変わっています。現在は駅に平行してポールが並んでいるのですが、昔は駅の直角方向にポールが配置されていたようです。
中央に見えるのは当時の最新鋭車であった浜川崎営業所の2H565号車(日野K-RC381 1981年式と推定)で、左側は社番が確認できませんが川23系統の川崎大師行きなので塩浜営業所のいすゞ車(いすゞBU10 1978年式と推定)と思われます。
両車を比較すると、方向幕の違いが目に付きます。左側のバスは系統番号と行き先を表す幕がそれぞれ独立していますが、右側のバスでは大型の方向幕が1つになっています。臨港バスでは1981年より大型方向幕装備車の投入が始まり、右側の大型方向幕装備車は初期にあたる車両でした。


3-1,京急線ガード下八丁畷寄りより日航ホテル側を望む 3-2,2003年の同地点(¥)

上の写真の位置より八丁畷駅側に向いたところです。当時は現在のバスターミナルの入口の位置がバスの出入り口となっていたようです。また、背後に日航ホテルが見えますが、現在ではほぼ同じ位置にルフロンが建っています。
出発の時間が重なっていたのか、多数のバスが信号待ちをしています。左から浜川崎営業所の2H558(1981年式日野K-RC381と推測)、右隣は社番が確認できませんが1976年式の日野RC381と推測されます。さらに右側が浜川崎営業所の2H559(1981年式日野K-RC381と推測)、塩浜営業所の1A425(1977年式いすゞBU10と推測)です。
先の写真では大型方向幕について触れましたが、2H558と右隣のRCの後部方向幕を比較すると、2H558の幕のほうが大きく見えます。また2H558と2H559は冷房車としてデビューしている為、屋根形状が異なっています。


4-1,日航ホテル側から京急線のガード方向を望む 4-2,2003年の同地点(¥)

今度は日航ホテル側から京急線のガードに向かったところです。背後のイワキメガネと三菱の広告があったビルは現在も残っていますが、大田総合病院は現在ではリクルートのビルに変わってしまっています。
先ほどの写真で「当時は現在のバスターミナルの入口の位置がバスの出入り口となっていたようです。」と記述しましたが、厳密には入口と出口は緑地帯で仕切られていて、現在のルフロンの前あたりが降車場になっていたようです。
中央に見えるのは先ほどの写真でも登場した2H559号車です。臨港バスでは1980年より冷房車の投入を行っており、この頃は年間35台を越える冷房車が投入され、急ピッチで旧型車を淘汰していました。2H559号車の投入された1981年は冷房化着手2年目の年でありましたが、冷房化率は21%を越えていました。


5-1,京急線ガード下八丁畷寄りより川崎駅中央側を望む 5-2,2003年の同地点(¥)

1枚目の写真より右に向いたアングルです。新旧の写真とも背後に川崎駅が見えますが、駅舎は1度改装されています。レッドライン様の話では、最上階に式が出来るホールやレストランがあったとのことで、現在の駅ビルBEとはずいぶん違った雰囲気のようです。
写真左側に三井埠頭線の車両が見えます。社番が確認できないのですが、ナンバープレートから恐らく1973年式のいすゞBU10と推測されます。1973年は臨港バスでのワンマン化が完了した年でもあり、この車のグループは最後のツーマン車両を淘汰したグループでもあったわけです。
方向幕は青字で「川崎駅−三井埠頭」と書かれています。旧型の方向幕は青字で「起点−終点」のパターンで表示されていたようで、循環系統は真中の「−」が「循環」と黒字で表示されていたようです。
右側には2H563号車(1981年式日野K-RC381と推測)、その後ろでは社番が確認できませんが1974年式と思われる日野RCが見えます。


6-1,京急線ガード下より住友銀行側を望む 6-2,2003年の同地点(¥)

京急線のガード下より住友銀行側を向いたところです。背後の住友銀行は三井住友銀行へ変わり、今年の春からはCDレンタルのツタヤに変わってしまいました。しかし建物そのものが残っているので現在の写真を撮る時には比較的迷わずにすみました。現在の写真では左側にリバークが見えますが、左側の写真にはその姿形すらありません。ずいぶん空が広く見えます。
さて、中央には富士重工3Eボディの車両が2台見えます。2台とも社番が確認できないのですが、2台とも神明町営業所のいすゞBUと思われます。右側の車両は車長が短く見えるのでいすゞBU10D(1973年式)、左側の車両はいすゞK-CJM500(1979年式)と思われます。
左側の幕形状は、右側の旧型方向幕とも若干異なる形状をしており、マーカーランプもありません。この車両は冷房化に着手した年に投入された冷房車の最初期グループの車両です。レッドライン様の話では最初期の冷房車のグループは旧来の系統番号を分離したスタイルでも、大型方向幕でもなく、細長い1枚物の方向幕が装備されていたようです。しかし1981年より大型方向幕がされたことにより横長型方向幕は少数に採用されたのみに終わったようです。  


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