児童詩は花ざかり     江口季好選
 

20076月号

さんぽ

   山口県通津小学校

一年いはら しおり

さんぽにいっていると

おとうと

「おつきさま、なんでついてくるの。」

っていいました。

しおりは

「どうしてかなあ。」

とおもいました。

おとうとが、

「おつきさまにはあしがあるの。」

っていいました。

わたしは、

きゅうがまわっているんじゃないか」

とおもいました。

(指導吾郷芙紗子先生)〈子どもってすてき二〇〇〇)

 しおりさんの弟は四歳か五歳くらいでしょうか。この年齢の子どもは知識欲のかたまりのようです。外界について不思議に思うことをつぎつぎに質問してきます。夕ご飯のひとときでも「しょうゆは、どうやって作るの。」「きゅうりはあおいのに、にんじんはどうして赤いの。」など、この旺盛な好奇心、科学的な探究心はこよなく面白く楽しくまた大切なものです。

ところで、しおりさんも一年生ですから、弟の質問に共感し、真剣に考えています。このふれ合いがこの詩のすばらしいところです。もちろん低学年の子どもはこの弟の質問に答えられる知識や説明力はありません。そこで、しおりさんはこの詩の最後のことばを弟への説明ではなく、自分が思ったことを書いています。これはじつにみごとな表現で光っていることばです。

弟や妹と、また友達と話し合って考えたことはたくさん書かせたいものです。

その対話の中には、自然界の理解だけでなく、社会認識や人間理解が豊かに成長していく基盤があります。

 子どものある時、ある場所での対話の詩は教師にとっても親にとっても今日の子どもたちの内面を理解するうえで大切にしたいものです。

2007年5月号

にじ

    群馬県藤岡小学校

    三年 岡崎まさみ

うちの前の大きなひろばに

にじがでた

はげしいゆうだちと

すごいかみなりがおわった あとに

にじがでた

一つ出たら また一つ

にじがでた

わたしは生まれてはじめて みた

あんまりきれいで

先生に知らせたかった

わたしはいそいで

手紙をかいた

(指導 大前忍先生)〈児童詩のすすめ二〇〇六〉

 うちで虹を見て「きれいだなあ。」と感動して、その喜びを先生に知らせたいと思って手紙を書いたという詩。この詩について大前先生は『児童詩のすすめ』(本の泉社刊)に「私はその手紙を手に自分の部屋のカーテンを開けて、窓からふと空を見上げました。その日はどんよりとした空模様でしたが、私のこころにはたちまち青空が広がり大きな虹とまさみさんの生き生きとした笑顔が浮かんできたのでした。」とこの詩が生まれたときのことを書いていられます。

 子どもが家にいても旅行したときでも「きれいだ」「楽しい」と感じたとき、すぐそのことを先生に知らせようと思う子どもと教師の心のつながりはじつに大事なことだと思います。

この心のつながりは詩の指導によって感受性や表現力が育つなかで生まれてくるものではないでしょうか。  

最後から二行目に、まさみさんは「いそいで」と連用修飾語を入れています。これは意識して書いたのではなく、自然に体から出たようなことばで、このときの気持ちをよく表しています。大前先生の高い指導力が感じられます。

                        

20074月号

動物

福島県上大越小学校

四年 宗像 亮

いつも、よく見る動物。

でも、一ぴき一ぴきには、ちゃんとしたとくぎがある。

たとえばイルカは、およぐのがじょうず。

ライオンは、えさつかまえの名人。

サルは、木のぼりの名人。

ゴリラは、大声の名人。

そして、最後は、人間。

人間のとくぎは人を助ける名人。

    (遠藤梅子先生)  〈青い窓 二〇〇六〉

 イルカの特技、ライオンの特技、とこの詩の楽しい一行一行を読んできて、最後の「人間のとくぎは人を助ける名人」というのを読んだとき、私は「うーん。」と考えさせられ、この詩が大好きになりました。

 じつは宗像君も、いまテレビや新聞で殺人事件がたくさん報道されていることをよく知っていて、こう書いているのだと思い、だからこそ、こう書いたのだなと考えました。人間の特技は、人を助けることでなければならないと主張したくてこう書いたのだなと感得ながら、また「うーん。」とこの詩にひきこまれ、大きな感動につつまれました。

じつに、みごとな、すばらしい詩ですね。こんな詩を読むと、わが国の偉大な詩人である北原白秋が子どもの詩をたくさん読みながら『児童自由詩集成』の序に「―之等の児童を通じて日本民族の優秀性を思ふ者は私ばかりではないと信ずる。」と書いたことと同じ喜びを感じます。

 宗像君に私は大きな喜びをいただきました。

      

 三重県緑ヶ丘養護学校

     六年 市川孔明

すうっーと

おちてきて

地にすいこまれていくように

きえてゆく雪。

たったいっしゅん

地についただけで

きえていく雪。

すこしの命。

 

ぼくなんて

しあわせなほうだ。

病気でも

もうー一年

生きている。

 (指導 牧田 繁先生) 〈感動の力 二〇〇六〉

 「雪」という子どもの詩は私のところにも数百編あるようです。雪合戦、雪だるま、雪つり、雪おろし、スキー、吹雪、かまくら、風花など、じつに多様な詩があります。私はこれらの詩について、子どもが自分の生活をとおして雪をとらえた詩を大切にしたいと思います。もちろん雪にかぎらず、他の多くの詩についてもこう考えています。

 この市川君の「雪」という詩は自分の生活をくぐりぬけた「市川君の雪の詩」で、だれの「雪」の詩でもありません。ここに、この詩の質の価値、高さがあります。

日本の国語教育の偉大な先達者、芦田恵之助は『読方教授』の中に「読むとは自己を読むなり。」と書いています。―この「読む」は「外界すべて」と読んでもいいと思います。―そこで「雪」を見るときも「自己を見る」という考え方、指導のし方を私も第一義の道としてきました。

 雪をじっと見つめながら自分を見つめてこの詩を書いている市川君の姿を、多くの子どもに深く感じとらせましょう。

 この指導理論に立って実践すれば、それぞれの子どもの表現は、それぞれの子どもに大きな価値を生み出すものとなります。

 この詩は駒草出版から出ている『子どもの詩から見えるものB感動の力』(江口季好編)の中にあります。

                          

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