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【第1回公判】〜【第6回公判】

【第7回公判】11月4日 東京地裁八王子支部

 5月から始まった反戦ビラ入れ裁判は、11月4日の第7回公判で結審した。
検察側は、3被告に「懲役6ヶ月」を求刑。だが、弁護団のA4・64ページ
にもおよぶ最終弁論や、被告人の最終意見陳述は、無罪を確信させるに足る
素晴らしい内容だった。裁判所は無罪判決を!

弁論要旨

被告人最終意見陳述書

 大西章寛 高田幸美 大洞俊之

【弁論要旨】

平成16年(わ)第488号、同618号 住居侵入被告事件

被 告 人   大 西 章 寛
被 告 人   高 田 幸 美
被 告 人   大 洞 俊 之

東京地方裁判所八王子支部刑事第3部合議係  御 中

2004年11月4日

弁 護 人   栗 山  れ い 子

同       小  島  啓  達

同       内  田  雅  敏

同       虎  頭  昭  夫

同       山  本  志  都


目  次

第1 はじめに ………………………………………………………………………… 4

第2 自衛隊イラク派兵の問題点 …………………………………………………… 4
1 国際法、憲法そして自衛隊法、イラク特措法にすら反する自衛隊の活動
2 イラク派兵についての世論の二分状況
3 自衛隊のイラク派兵を巡る事態の急迫性
 〜法の支配が破壊されようとしているとき何をなすべきか

第3 自衛隊のイラク派兵に反対するテント村の活動 ……………………………12
1 立川自衛隊監視テント村の歴史とこれまでの活動
2 自衛隊のイラク派兵に反対する活動

第4 本件ビラ投函行為 ………………………………………………………………16
1 本件ビラ投函の目的
2 投函されたビラの内容
3 本件ビラ投函行為の態様
4 本件ビラ投函に対する「禁止」の軽微性

第5 表現の自由(憲法21条)に対する重大な侵害 ……………………………21
1 政治的表現の自由の侵害
2 自由なコミュニケーションの阻害
3 表現の自由と規制の限界
4 住居侵入罪と表現の自由の侵害
5 適用上違憲
6 小括

第6 構成要件不該当 …………………………………………………………………37
1 自衛隊官舎の敷地は囲繞地ではなく「住居」には該当しない
2 本件立入行為は住居の平穏を何ら侵害していないので住居侵入罪の「侵入」に該当しない
3 ドアポストへのポスティングのための立入行為は居住権者の包括的承諾を受けており住居侵入罪の「侵入」に該当しない
4 住居権者の意思は憲法上保障された表現の自由に制約され被告人らの本件立入行為は住居侵入罪の「侵入」に該当しない
5 居住者の総意によらない立入禁止の掲示物では意思に反する立入行為とはならない
6 及川範夫らの被告人大洞らへの「注意」は住居侵入罪の成否に影響を及ぼさない
7 階段・通路部分を住居と認める裁判例と本件事案

第7 違法性の意識の不存在 …………………………………………………………45
1 被告人らには違法性の意識がない
2 社会的に広く行われているポスティング
3 自衛隊もポスティングをしている
4 20年来続いた立川宿舎へのポスティング
5 1月17日のポスティング
6 2月22日のポスティング
7 小括

第8 可罰的違法性の不存在 …………………………………………………………48
1 藤木英雄教授の見解
2 前田雅英教授による判例の分析
3 結果・手段の軽微性
4 目的の正当性
5 手段の相当性
6 法益衡量
7 必要性・緊急性
8 小括

第9 公訴棄却 …………………………………………………………………………53
1 訴追裁量を逸脱して行われた起訴
2 政治的意図に基づく起訴
3 自衛隊の狙いは反戦ビラ
4 警視庁公安部主導で行われた捜査
5 警察主導で提出された被害届
6 検察官によるビラの内容の問題視
7 個人攻撃とテント村解体を目的とした取調
8 小括

第10 結びにかえて ……………………………………………………………………58

添付資料 「ポスティングと住居侵入罪」
      立命館大学法務研究科教授 松宮孝明

第1 はじめに

本件は、被告人らが立川自衛隊官舎にビラをポスティングした行為が、「住居侵入罪」(刑法130条)に問われているものである。
ポスティングは、きわめて日常的で、誰も犯罪にあたるなどと考えない行為である。にもかかわらず、被告人らが逮捕・勾留され、起訴までされたのは、彼らが投函したビラが自衛隊のイラク派兵に反対する内容であったからである。このことを踏まえ、本件で問題になるのは、以下の3点である。
第1は、表現の自由との関係である。住居侵入罪が、刑法上刑罰をもって処罰すべきものとして規定されている趣旨は、住居の平穏を保護するという点にあり、刑法130条自体は、憲法21条が保障する表現の自由を制約することを直接の目的にするものではない。しかし、ビラ投函に当然に伴う平穏な態様の立入行為を「住居侵入罪」にあたるとして、刑事事件化することは、ビラ投函という表現の自由そのものに対するきわめて重大な侵害行為に他ならない。このことは、被告人らの人権の蹂躙というにとどまらず、きわめて広汎な市民が従来行い、今後も行うことが予想される、類似の表現行為に強い萎縮をもたらすものである。つまり、本件が刑事事件とされたこと自体が憲法21条に反する事態である。
第2は、ポスティング自体が広く行われ、これまで住居侵入罪として公訴提起がされたことがない行為であるという点である。被告人らは、ビラを投函するためだけに自衛隊官舎に立ち入り、官舎居住者の住居の平穏を害する行為は一切行っていない。ポスティング自体が広く行われている実態に着目するとき、また、被告人らの行為が自衛隊のイラク派兵に反対するという政治的主張を個々の自衛隊員に届けようとする表現行為であることに着目するとき、被告人らの行為は、その目的、態様等に照らして、住居侵入罪の構成要件に該当せず、一片の違法性もない。
第3に、被告人らの投函したビラの内容が問題となって、本件公訴提起がなされていることである。本件は、ビラの内容が自衛隊のイラク派兵に反対するものであったが故に、警察の主導で捜査が進められ公訴提起に至ったものであり、本件公訴提起は、被告人らの思想・信条を理由とする差別的起訴であり、公訴権の濫用に該当する。
 裁判所には、以上のような、本件の本質を直視し、憲法の番人としての立場から法律判断をなすことが求められている。

第2 自衛隊のイラク派兵の問題点

1 国際法、憲法そしてイラク特措法にすら反する自衛隊の活動

(1) 国連憲章、国際法に違反する米軍の行動
イラクでの陸・海・空の自衛隊の活動は、2003年3月20日、アメリカが国連安保理での決議を得られないまま、イラクに対してなした先制攻撃に起因するものである。
 イラクに対するアメリカの攻撃は、アメリカに対するイラクの武力攻撃あるいはその差し迫った危険のない状態で、先制攻撃(予防攻撃)としてなされたものであり、自衛のためのものとは到底言えず、安全保障理事会の決議を経ることなく行える自衛権の行使を「武力攻撃が発生した場合」に限定する国連憲章第51条に違反するものである。アナン国連事務総長は、2004年9月15日、イラク戦争について、「我々の見地から見ても国連憲章上違法」と断じている(2004年9月16日朝日新聞夕刊)。このような攻撃は、国際社会が1928年パリ不戦条約以降、営々として積み重ねて来た「戦争の違法化」の試みを粉々に打ち砕くものである。
アメリカが、貧困や富の配分の不公正というテロの根源に迫ることなく軍事的な対症療法に終始する限り、そして度重なる国連決議を無視してパレスチナの地を占領・支配しているイスラエルに対する無策に見られるようなダブルスタンダードをとっている限り、アメリカが第2、第3の同時多発テロの恐怖から免れることはできない。
そして、アメリカに追随する日本も攻撃の対象から免れない。「日米同盟」という呪文によって立憲主義を破壊し、アメリカのイラク空爆を支え、イラク民衆の殺戮に加担した日本は、さらにブッシュの求めに応じて陸上自衛隊をイラクに派遣し、「東洋の英国」になろうとしている。

(2) 憲法、自衛隊法に違反する自衛隊の活動
 イラクにおける陸・海・空の自衛隊の活動は、「われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」と憲法前文に規定された「平和的生存権」に反し、武力の不保持、交戦権の否認を規定し、そして従来の政府見解によってすら「集団的自衛権」の行使を認めていない憲法第9条に違反するものである。
のみならず、この活動は、「自衛隊はわが国の独立と平和を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし」と自衛隊の存在目的を規定した自衛隊法第3条1項にも違反するものである。

(3) イラク特措法に違反する自衛隊の活動
 小泉首相は、イラク人道支援特別措置法(以下「イラク特措法」という)は、自衛隊の活動地域を「非戦闘地域」に限っているので憲法に抵触しないと答弁する。この見解が到底容認できないものであることは措くとして、小泉首相のいう「非戦闘地域」に限って論じる。
 アメリカ兵らに対する攻撃が止まないイラクの状況、1万5000人以上といわれる多数のイラク人犠牲者の存在等、混迷を深めるイラクの状況に照らせば、イラクが今、「戦闘地域」であることは自明である。やがて派遣された自衛隊員中に死傷者が出ること、あるいは逆に自衛隊員の発砲による死傷者が出ることはほとんど不可避であろう。
 しかし、国の最高責任者である小泉首相は、派兵に関する議論の中で、「イラクのどこが戦闘地域かどうかなどわかるわけがない」「自衛隊員でも襲われたら殺される可能性があるかもしれない。相手を殺す場合もないとは言えない」と、「戦闘地域」、「非戦闘地域」の区別は意味がないと公言しているのである。
そして、「非戦闘地域」の定義については、言葉の「手品」が用いられている。すなわち、イラク特措法第2条は、「非戦闘地域」とは「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」場所であるとしている。そして「戦闘行為」とは「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、又は物を破壊する行為」としている。ところが、首相は、この「国際的な武力紛争」の解釈として、「国または国に準ずる組織の間において生ずる、一国の国内問題にとどまらない武力を用いた争い」と答弁している。具体的にいえば、イラクのサマワで活動する自衛隊に対する武力攻撃があり、自衛隊がこれに応戦しても、その攻撃が「国もしくはそれに準ずる組織」のものでないとされれば、イラク特措法にいう「戦闘行為」、「戦闘地域」でなくなってしまう。「イラクのどこが戦闘地域かどうかなどわかるわけがない」という小泉首相の答弁は、いかなる事態が生じようともイラク特措法の「解釈」によっていかようにも合法性を主張できるという考え方に立っているものである。余りに欺瞞に満ちた「解釈」である。
 イラクの現状に率直に目を向ければ、自衛隊のイラク派兵が、戦闘地域への派兵であり、イラク特措法に反するものであることは明らかである。

(4) 憲法第9条の「解釈」枠を超える自衛隊のイラク派兵
 憲法第9条「戦争の放棄」は、国家の交戦権の否認と戦力の不保持を宣言している。
 しかるに、1950年6月朝鮮戦争を契機として連合国軍総司令官マッカーサーの指令により、警察予備隊が設立されて以降、その後の名称変更を経て、自衛隊は、年々、その装備及び人員を拡大し、今日では世界第3位とも言われるほどの軍事力を有しており、名実ともに軍隊となった。
 歴代政府は、自衛隊の憲法9条との整合性について、
 〃抻〕夙隊であって軍隊ではない。
◆ゞ畭綫鐐茲鮨觜圓垢詛塾呂鰺していないから憲法が禁ずる「戦力」にあたらない。
 必要最小限度の実力組織であり憲法上許される。
ぁ\貅號姫辧△垢覆錣噌馥發砲いてのみ活動し海外に派兵しないから憲法違反でない。
ァ々駭決議の下に海外に出ていくのであるから憲法違反ではない。
等々、その場限りの説明を繰り返してきた。
 しかし、上記の説明をもってしても、集団的自衛権の壁は、どうしても超えられなかった。日本の防衛に直接関係のない事態に対し、自衛隊が出動することは憲法第9条をどのように拡大「解釈」しようともかなわぬことであった。自衛隊法第3条が、自衛隊の目的について「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略および間接侵略に対し、わが国を防衛することを主たる任務とし」と規定しているとおりである。
 ところが1999年夏に成立した「周辺事態法」は、日本に対する攻撃がない場合でも「後方地域支援」の名のもとに日本が米軍の支援活動を認めることができるとし、集団的自衛権の行使を認めないとしてきた歴代の政府解釈の壁をいとも簡単に乗り越えてしまった。これは、もはや憲法の空洞化でなく破壊といってよい。
 そしてアメリカ同時多発テロを契機として成立させられた「テロ対策特措法」は 「周辺事態」という制約すらかなぐり捨て、アメリカが「テロとの戦争」を行う場合には、武器弾薬の提供以外なら、世界中どこでも、いかなる「後方支援」も可能であるとした。もっともこの「後方支援」は戦闘区域では許されないと説明されたが、ミサイル発射中の米軍艦に給油等の「後方支援」をしても、ミサイルが敵に到達しない間は戦闘区域とは見なされないから、許されるなどという内閣法制局長官の珍答弁(後日になって彼は、あれは恥ずかしい答弁であったと述懐した)も出る始末であった。
 その後もインド洋、アラビア海に派遣中の海上自衛隊の補給艦がイラク攻撃に向う米空母キティホークに間接的に燃料補給をなしたとの事実も明らかにされている。
 深刻なことは、このような憲法の根幹を揺るがすような法案がまともな憲法議論もなされないままに「日米同盟」の呪縛の下に全ての思考が停止され、「常識」(小泉首相)と没論理とで、議会の多数派によって簡単に成立させられていることである。そして2003年5月、また有事法制3法案、(武力攻撃事態法案、安全保障会議設置法改正案、自衛隊法改正案)がこれまた小泉首相の「備えあれば憂いなし」という没論理で成立させられた。「備えあれば憂いなし」というのは、本来自然災害に対しての文言であり、それを軍事に対して使うところに物事の混乱がある。
 民主主義とは多数決とイコールではなく、まず議論をすることであり、相手の見解に耳を傾けることだということが忘れられ、与党と野党第一党とのすり合わせという「国対政治」でこの国の今後の方向性が決まってしまうというのは誠に恐ろしい事態である。

(5) 小括
 以上、アメリカのイラク攻撃は、国際法上違法であり、これに加担する自衛隊のイラク派兵は、国際法、憲法に違反するものであるのはもとより、自衛隊法及びイラク特措法にさえ違反するものである。

2 イラク派兵についての世論の二分状況

(1) イラク派兵前後の状況
自衛隊がイラクに派兵されたのは2004年1月18日であるが、この前後、イラク派兵の是非を巡って、世論はまさに二分された状況にあった。
 ちなみに、各新聞社の世論調査についての報道は、以下のとおりである。
 。横娃娃廓11月25日付産経新聞は、同月21〜23日に行った世論調査について、「イラク復興支援のための自衛隊派遣について『現状でも派遣するのが望ましい』と答えた人は10.0%にとどまり、それ以外は『危険性が低くなったのを見極めてから派遣するのが望ましい』(42.6%)と『派遣しないのが望ましい』(45.4%)の二つに大きく割れた」と報道している(弁1号証)。
◆。横娃娃廓12月1日付毎日新聞は、11月29,30日に実施した全国世論調査について、「イラクへの自衛隊派遣について、『時期にかかわらず派遣すべきではない』と答えた反対派が43%、『イラク情勢の安定を待って派遣すべきだ』と条件付きの慎重派が40%を占めた。派遣反対・慎重派が8割を超えたのに対し、『可能な限り早く派遣すべきだ』の早期派遣派は9%だった。」と報道している(弁2号証)。
 2003年12月13日付朝日新聞は、同月10、11日に実施した全国世論調査について、「自衛隊派遣については『反対』が55%で『賛成』の34%を上回った」「自衛隊派遣の賛否の調査は今年6月以来5回目。6月は賛成46%、反対43%と拮抗していたが、イラク復興支援特別措置法案の国会審議中の7月以降、反対が賛成を逆転。前回の10月は反対55%、賛成32%だった」と報道している(弁3号証)。
ぁ。横娃娃廓12月16日付読売新聞は、同月13,14日に実施した全国世論調査について、「自衛隊派遣について『治安情勢が安定してから派遣すべきだ』が46%で最も多く、『可能な限り早く派遣すべきだ』が18%。この二つを合計すると派遣の時期は別にしても、3人のうち2人が、自衛隊のイラク派遣を肯定している。『派遣すべきではない』も30%とあった。」と報道している(弁4号証)。
ァ。横娃娃看1月19日付朝日新聞は、同月17、18日に実施した全国世論調査について、「自衛隊の派遣に『賛成』は40%で前回(12月)の34%から増えた。『反対』は48%。55%から減ったが依然として半数近い。」と報道している(弁5号証)。
Α。横娃娃看1月26日付毎日新聞は、同月24、25日に実施した全国世論調査について、「イラクへの自衛隊派遣の賛否を尋ねたところ、『賛成』と『反対』がともに47%で並んだ。昨年12月の前回調査と比べ、『反対』は54%から7ポイント下落し、『賛成』は35%から12ポイント増えた。昨年7月から実施している毎日新聞の世論調査では『反対』が『賛成』を一貫して上回っており賛否が同率で並んだのは初めて」と報道している(弁6号証)。
А。横娃娃看1月27日付読売新聞は、同月24、25日に実施した全国世論調査について、「国民の半数以上が自衛隊のイラク派遣決定を評価してることが分かった。自衛隊の派遣決定について『評価する』人は、『大いに』14%、『多少は』39%を合わせて53%にのぼり、『評価しない』(計44%)を上回った」と報道している(弁7号証)。
─。横娃娃看2月27日付読売新聞は、同月21、22日に実施した全国世論調査について、「イラクへの自衛隊派遣決定を『評価する』人も前月調査より増加して58%に上がった。『評価しない』は38%」と報道している(弁8号証)。

(2) 自衛隊が戦闘に巻き込まれることへの懸念
 …日新聞の2003年12月及び2004年1月の世論調査は、「イラクで自衛隊員が戦闘に巻き込まれる可能性はどの程度あると思いますか」という質問を設け、「大いにある」「ある程度ある」「あまりない」「全くない」から選択する形式となっている。
そして、2003年12月の世論調査では、「大いにある」が51%、「ある程度」が40%となっている(弁3号証)。
  また、2004年1月の世論調査では、「大いにある」が31%、「ある程度」が54%となっている(弁5号証)。
◆〇嵯仗景后Γ藤裡里裡横娃娃廓11月の世論調査では、「イラクへの自衛隊派遣は望ましいか」という質問に対し、42.6%が「危険性が低くなってから」と答えている(弁1号証)。「危険性が低くなってから」という回答を選択した人は、戦闘に巻き込まれる可能性があることを懸念していたことは明らかである。
 読売新聞の2003年12月の世論調査では、48.2%が「イラクの治安情勢が安定してから派遣すべきである」と回答しており(弁4号証)、やはり過半数近い人が、戦闘に巻き込まれる可能性があることを懸念していたことが明らかである。

(3) 小括
 政府が自衛隊のイラク派兵は人道復興支援であることを繰り返し強調していたにもかかわらず、世論は二分され、半数前後の人がイラク派兵に反対しており、その主たる理由が自衛隊員が戦闘に巻き込まれるというものであった。半数近い人が、イラク派兵という方針の見直しを求めていたのである。
このイラク派兵に反対する世論は、テント村の主張と同様の立場に立つものであり、テント村が世論を無視した特異な主張をしていたわけではないことは明らかである。「イラクに行くな、殺すな、殺されるな」、「もう一度考え直そう」という主張も同様である。
 郵政大臣、防衛政務次官等を歴任し、自民党防衛族の中心メンバーでもあった箕輪登元衆議院議員もその証言の中において、自分が自衛隊のイラク派兵を違憲なものとして、その差止めを札幌地裁に提訴したのも、本件被告人らと全く同じ考え方に立つものであると述べている(3頁)。そして、同証人は、同人の提訴した前記訴訟については、元防衛庁教育局長であった小池(新潟県)加茂市長、小泉首相にイラク派兵の非を進言したことが契機となって外務省を追われることになった天木直人元レバノン大使他、全国各地の人々から支持の声が寄せられ、提訴に対する批判の声はほとんどないことを明らかにしている(2〜3頁)。
 新聞報道等にも明らかなように、後藤田正晴元官房長官、竹岡勝美元防衛庁官房長ら自衛隊に近い立場にいた人々からも、自衛隊のイラク派兵については批判がなされている。
テント村が配布したビラの内容は、自衛隊のイラク派兵について新聞やテレビなどでたびたび報道されていたものと特に変わるものではない。その意味では、テント村のビラを読んで、自衛隊員やその家族が不安になったということは考えられない。仮に、テント村のビラを読んで不安になった自衛隊員や家族がいたとしたら、それは、マスコミ報道で既に抱いていた不安を、テント村のビラで再確認したにすぎない。

3 自衛隊のイラク派兵を巡る事態の急迫性
〜法の支配が破壊されようとしているとき何をなすべきか

(1) 戦後再出発時の精神
1945年8月15日、15年の長きにわたるアジア・太平洋戦争に敗れた我が国はポツダム宣言を受け入れ、世界に向かって新しい国家として生まれ変わるということを宣言した。
この宣言を実行するために我が国は、主権在民、戦争の放棄、基本的人権の保障の3つを基本原理とし、前文において「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」「全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と宣言する日本国憲法(1946年11月3日公布、1947年5月3日施行)を制定し、戦後の再出発をなした。
そして同時に、封建主義解体のために農地改革を断行し、民主主義の育成のため教育改革を行い、1947年3月31日、「われらはさきに日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである。われらは個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にして個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」とその前文において高らかに謳った教育基本法を制定した。また、1948年には衆・参両院において1890年制定以来「臣民教育」の基となっていた「教育勅語」の排除・失効確認を決議した。
新憲法制定後、文部省が作成した『新しい憲法のはなし』は、以下のように述べている。「みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょぅか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞおそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。・・・」
つまり、日本の戦後精神は靖国イデオロギーからの訣別──もう国のためには死なない、国のために殺すことはしない──であった。

(2) 法の支配の形骸化
 しかし、現在、小泉首相は、靖国公式参拝という歴史認識の欠如した行為を繰り返し、また、今春、「日の丸・君が代」の常軌を逸した強制という問題が生じている。
そして、戦地イラクへの自衛隊の派遣。この自衛隊派兵が憲法に違反し、また歴代の政府見解にも反するものであることは前述したとおりである。
 新聞・テレビ報道にも明らかなように、連日「爆破」事件によって死傷者を出しているイラク情勢は、混迷を極め泥沼化している。
米英暫定占領当局(CPA)は、当初予定していた2004年6月末のイラク暫定政府への主権委譲を前倒しし、同月28日にこれを行なった。前倒しの理由は、テロ攻撃に対処するためであるという。しかし、イラク暫定政府への主権の委譲がなされたからといって、事態は全く変わっていない。アメリカ及びイギリスを中心とする占領軍は、治安の維持を名目にして、「多国籍軍」と名を変え、引続きイラクに駐留している。それは、今から52年前の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約によって、日本が主権を回復した後も、日米安保条約によって、それまでの占領軍としての米軍が「在日米軍」と名を変えて引続き占領を継続したのと酷似している。
 その「多国籍軍」に、人道支援の名のもとに、イラクに派遣されている自衛隊が参加することになった。事の起こりは、シーアイランドで開催された主要国首脳会議(サミット)の開幕前の日米首脳会議で小泉首相がブッシュ米大統領に約束したことにあった。従来、政府は、多国籍軍への参加は、「多国籍軍の指揮下に入り、その一員として行動すること」になり、集団的自衛権の行使は認められないとする立場から、この参加は違憲であり許されないとしてきたが、それがブッシュ・小泉会議によって、いとも簡単に変えられてしまったのである。今さらながら、わが国における「法の支配」の形骸化を思わざるを得ない。
2004年6月1日、秋山収内閣法制局長官は、参議院イラク復興支援・有事法制特別委員会において、1980年の政府答弁書における「多国籍軍」に関する見解(目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊が参加することは憲法上許されない)に対し、「武力行使を伴う任務と、伴わない任務の両方が与えられる多国籍軍に参加することは憲法上問題ない」と述べた(2004年6月2日付東京新聞朝刊)。「多国籍軍」とは、文字どおり「軍」であり、武力行使を当然のこととして想定しているのであって、「武力行使を伴う任務」と「伴わない任務」などと判然と区別できるものではないことは、誰にでも理解できることである。
 このように、政府は、内閣法制局の見解を事実上変更することによって、自衛隊の「多国籍軍」への参加は、憲法上許されると強弁する一方、他方で、「多国籍軍」について国連決議が「統一された指揮下(アンダー・ユニファイド・コマンド)」としているのに対し、原文の「コマンド」(指揮・命令)を「司令部」と翻訳することによって、自衛隊が「多国籍軍」に参加するということは、「統合司令部」に入ることであって、「統一された指揮下」に入るのではないとも強弁している。当然のこととして、政府のこのような見解に対しては、各界から厳しい批判がなされている。
 このような法の支配の形骸化を座視すれば、法に対する信頼は根底から覆ってしまう。

(3) 権利のための闘争
憲法第12条が「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と述べていることからも明らかなように、権利及び自由は、憲法典に書き込まれることによって自動的に獲得できるものではない。憲法自らが「権利のための闘争の義務」を国民に課しているのである。
今、前述したような政府の行動によって、戦後の出発点として確認した精神はことごとく否定されようとしている。十分な論議もなされないままに、多数決原理によっても越えることのできない立憲主義の制約がいとも簡単に乗り越えられている、このような事態は、議会の多数派による立憲主義否定のクーデターとも言うべきである。
 まさに、現在「権利のための闘争」が必要な状況が生じており、被告人らの本件ビラ投函による政治的表現の自由の行使は、この「権利のための闘争の義務」を果たすといえる。

第3 自衛隊のイラク派兵に反対するテント村の活動

1 立川自衛隊監視テント村の歴史とこれまでの活動

(1) テント村の結成
戦前、立川には、陸軍航空隊の飛行場があったが、戦後米軍に接収され、基地北方の砂川では、1950年代に滑走路の延長を巡って有名な砂川闘争が起きた。その後、在日米軍基地再編計画に伴い、立川基地の米軍は横田基地に移駐し、立川基地は日本に返還されることになった。1971年、政府は自衛隊の立川基地使用を閣議決定し、1972〜73年に自衛隊が立川基地に強行移駐した。
 この強行移駐に対し、全市的な反対運動が巻き起こった。立川市も移駐に反対し、移駐した自衛官の住民登録を保留するほどであった。当時、高度経済成長の中で、立川市では大きな団地がいくつも建設されており、けやき台団地、若葉町団地、富士見町団地には各々数千人の若い住民が居住するようになり、若い都市市民層が形成されつつあった。また、1972年は沖縄返還の年であり、ベトナム反戦の時代でもあった。このような時代背景もあり、立川市では移駐反対運動が盛り上がった。その中心を担ったのは、若い団地住民などを中心に生まれたいくつもの市民グループであった。そして、このような市民グループの連絡会として、1972年12月にテント村が結成された。基地近くの公園に文字通りテントを張り、反対運動の拠点としていた。
 この結成経過から明らかなように、テント村は自衛隊移駐に反対する市民団体として誕生したのである(弁34号証「立川テント村30周年記念パンフ」(以下「30周年パンフ」と略す)・9〜11頁)。

(2) 活動の継続
 多くの市民による反対運動にもかかわらず、自衛隊移駐が強行され、反対運動の波は去った。当時自衛隊は、立川基地の使用について「3年間の暫定使用」であると発表していたが、テント村のメンバーは、自衛隊の駐留が3年で終わるはずがないと考え、継続的に自衛隊の動きを監視するとともに、ねばり強く基地反対闘争を進めていくことが必要であると考え、テント村の活動を継続することにした。
 それ以来、テント村は30年以上にわたって、基地反対運動を中心軸にすえながら、立川基地や自衛隊を巡る状況の変化に応じ、また、三多摩地区の運動と連携する中で、労働運動や反天皇制運動など様々な分野でも活動してきた。立川基地に飛来する自衛隊機の種類・頻度などを把握するための日常的な基地の監視を行うとともに、機関誌「テント村通信」(1978年3月創刊、月1回発行)の発行、街頭などでのビラ配り・署名活動、講演会・学習会の開催、デモ行進、基地への申し入れ・自衛官への呼びかけなどを行ってきた。
またテント村は、自衛官に対する働きかけを行ってきた。立川基地の自衛官に対して訴えかける反軍放送(30周年パンフ・37頁)、テント村が配布したビラを自衛隊立川基地のゲート前で読み上げ宿直司令に手渡す基地申し入れ行動(30周年パンフ・42頁)、自衛官向けのビラ「積乱雲」の投函などである。
「積乱雲」は、1976年10月〜1984年7月にかけて自衛官向けの新聞として発行したものであり、基地前で自衛隊員に渡したり、ダイレクトメールで送ったりするほか、自衛隊官舎の各戸のドアポストに投函することも行ってきた。集合ポストではなくドアポストに投函したのは、自衛官に確実に読んでもらうためであった。ビラにはテント村の住所や電話番号等が記載されていたが、この間、自衛隊官舎へのビラ配布について、居住者の自衛官やその家族から制止されたり注意を受けたことは一度もなかったし、立川警察署などから警告を受けたこともなかった。
1976年10月24日に発行された「積乱雲」第1号(弁35号証)には、発行の目的として次のような「発刊の辞」が述べられている。
「自衛隊の立川移転以来4年間、テント村は自衛隊の存在そのものに対峙する戦いを続けてきた。しかしその間、呼びかけが常にこちら側からの金網の内側へという一方向でしかないことに、少なからず物足りなさを感じ続けてきたのである。反戦放送は、我々のナマの気持ち、あるいは隊内では得られない情報を伝えるという企画であったが、それに対する金網の内側からの反応は、朝の体操の位置が変わったり、あるいはたまに出てくる上官といった程度のものでしかなかった。この月刊誌「積乱雲」はより積極的な交流を求めて創刊されたものである。・・・隊員諸氏の感想・批判をお待ちしている。」
 そしてテント村は、自衛隊員に対するこの姿勢を維持し続け、様々の訴えかけを行ってきたのである。

(3) 現在のテント村
 テント村は、反戦、反基地、反自衛隊などの運動を行っている市民団体である。メンバーは、立川市やその周辺に居住する塾教師、会社員、自営業者、学生などの市民であり、政党や政治団体・労働組合などの専従者はいない。
テント村には綱領や入会手続などもなく、テント村の趣旨に賛同して一緒に活動する者がメンバーであるという極めて緩やかな団体である。当然のことながら、上下関係や指揮命令関係もなく、メンバーが協議して活動方針などを決めている。財政は、メンバーの会費、支持者からのカンパ、廃品回収などによる収益で賄われている。
 その活動は、基地被害を明らかにする監視活動、機関誌「テント村通信」の支持者への配布・街頭でのビラ撒き・演説などの情報宣伝活動、自衛隊基地への申し入れやデモ行進、講演会や学習会の開催、他の市民団体との共同行動などであり、いずれも合法的な活動である。

2 自衛隊のイラク派兵に反対する活動

(1) 9・11事件以降の活動
 アメリカでの「9・11事件」を契機に、テント村は、立川駅頭で、ビラ撒きやマイクによる反戦情報宣伝活動を強化した。マスコミが流す情報とは違う、反戦という視点に立った情報や意見を伝えたいという思いに基づくもので、2001年末までは毎週末行い、2002年からは月2回のペースで行っている。
それと同時に立川基地への申入れも強化した。駅頭で撒いたビラをゲート前でハンドマイクで読み上げ、当直司令の士官に「請願」として手渡す活動である。テント村では、従来から事あるごとに立川基地への申し入れを行っていたが、年に数回程度であった。また、以前、立川基地側は申入書をなかなか受け取ろうとしなかったが、「請願権」を主張し公務員は請願を受ける義務があると粘り強く訴えてきた結果、数年前から申入書を受け取るようになった。兵士に発砲を命じる立場にある士官にその責任を意識させるとともに、自衛隊という殻に閉じこもる自衛官、特に兵士に対し、地域住民の声を届けようという意図の下に行われている活動である。

(2) 自衛隊のイラク派兵反対闘争
 テント村は、対テロ戦争でテロはなくならないという立場をとっている。テロの背景には、地球規模の南北格差の拡大、とりわけ冷戦後のグローバリゼーション進展による貧富の拡大があり、戦争は、むしろ第三世界の人々を更に圧迫し、矛盾を深化させるものだととらえてきた。従って、米英によるイラク攻撃に当初から反対し、「戦争は答えではない、この戦争に大義はない」と訴えてきた。ブッシュ大統領の「戦争終結宣言」にもかかわらず、占領軍への抵抗は強まり、イラク全土が戦場になっている。自衛隊イラク派兵は、この戦争に日本が加担するものであり、憲法違反である。さらに個々の自衛隊員を殺し殺される立場に立たせることになる。
自衛隊のイラク派兵についてのテント村の考え方は、以上のようなものである。
このような基本的考えに基き、テント村は、イラク戦争開始前から、戦争反対を訴え、立川駅頭での情宣活動や立川基地への申し入れ活動を継続的に行っていた。イラク戦争が「終結」し、政府は、「人道復興支援」のために自衛隊をイラクに派遣するという方針を決めた。しかし、反戦の立場に立つテント村には、イラクへの自衛隊派兵は、憲法違反であり、また、不安定なイラク情勢を見れば、派遣された自衛隊員がイラク人を殺害するおそれがあり、逆に殺害されるおそれもあるため、到底容認できないことであった。
 このため、テント村は、自衛隊のイラク派兵反対を訴え始めた。そして、自衛隊員にも直接訴える必要があると考え、自衛隊官舎へのビラ入れを実施することにしたのである。集合ポストではなくドアポストに投函したのは、自衛隊員や家族に確実に読んでもらうためであった。

第4 本件ビラ投函行為

1 本件ビラ投函の目的

(1) ビラ投函の開始
本件ビラの投函は、自衛隊のイラク派兵に関して、自衛隊員個々に対し、より直接的にテント村の意見を伝達し、同時に自衛隊員の声を聞こうとするために行われたものである。
2003年夏、テント村は、自衛隊のイラク派兵が迫る中で、立川基地に対してだけでなく、危険と実際に対面する可能性を孕む個々の自衛隊員に対して、より直接的に訴えかける必要性を痛感し、立川自衛隊官舎へのビラ投函を決め、同年10月から、毎月1回の割合でビラの投函を行うようになった。

(2) 期待された自衛隊員との交流
前述の「積乱雲」の発刊の辞に見られるように、自衛隊官舎への本件ビラ投函は、テント村の主張を自衛隊員に直接届けること以上に、自衛隊員と交流を図り、自衛隊員の抱える悩みを受け止め、互いの立場の違いを超えて、強行されようとする違憲かつ違法な自衛隊のイラク派兵を阻止していくための活動として行われたのである。そのため、ビラにはテント村の連絡先を明記すると共に、既に活動を開始していた「米兵・自衛官人権ホットライン」の電話番号も記載した。
 なお、自衛隊員と直接コミュニケーションをとろうとする運動は、立川だけのものではなく、そのために、自衛隊員の官舎にビラ等を投函する行為も一般的に行われているところである。
米軍基地・自衛隊基地を抱える横須賀で反戦・反基地運動を行っている「非核市民運動・ヨコスカ」は、自衛隊のイラク派兵に関し自衛隊員の生の声を聞くために「自衛官―市民ホットライン」を開設し、その一環として、2003年夏及び秋に、自衛隊員に対するアンケートを実施したが、アンケートの実施方法は、アンケート用紙を官舎の各戸に投函する、もしくは郵送するという方法によるものであった。その結果、自衛隊員及びその家族から、イラク派兵に対する不安を訴える貴重な意見が寄せられている。同様のホットライン活動は2003年12月に北海道でも行われ、同時に横須賀と同様の自衛隊員及び家族に対するアンケートが行われたが、横須賀と同様に、自衛隊員とその家族の貴重な意見が寄せられた(弁89号証 神奈川新聞特集、 7)。

2 投函されたビラの内容

テント村が投函したビラは、テント村のメンバーが交代で執筆したものである。メンバーそれぞれの視点から自衛官への訴えかけを行おうとするものである。
その内容は以下のとおりである。
2003年10月に投函したビラ(甲370号証)は、「イラクへの派兵が、何をもたらすというのか?」という表題の下、自衛隊イラク派兵はイラクの人々の憎悪を生むだけであり、アメリカ国内でも軍人家族からアメリカ軍による占領の即時停止と米兵の帰還を求める声が上がっており、自衛官に殺しても殺されても欲しくないという思いを伝えると同時に、自衛官や家族の不安の相談先として、「米兵・自衛官人権ホットライン」を紹介している。
2003年11月に投函したビラ(甲370号証)は、「殺すのも・殺されるもイヤだと言おう」という表題の下、政府が自衛隊派兵の条件として答弁した、 崋0造里いぞ態で派遣する」、◆嵜箸鮗蕕襪紡る武器を持たせて派遣する」、「安全な地域を選んで派遣する」という3条件が、いかに欺瞞に満ちたものであるかを明らかにした上、戦争放棄の憲法の原則に立ち返って派兵反対の声を挙げることを呼びかけるものである。
2003年12月に投函したビラ(甲369号証)は、「イラクへ行くな、自衛隊!戦争では何も解決しない」という表題の下、「戦闘終結宣言」にもかかわらず日本人外交官2名が殺害されたことをはじめとするイラクにおける戦闘の激化を伝えたうえ、イラク戦争自体の誤りを指摘し、「自衛官の皆さん、イラクへの派兵命令を拒否しましょう。でも命令を拒否するなんて無理だ、そう考えていませんか?米兵・自衛官人権ホットラインでは自衛官の皆さんの相談に答えてくれます。以下の電話・Eメールへ気軽に相談を持ち込みましょう。」と呼びかけるものである。
2004年1月に投函されたビラ(甲102号証)は、「自衛隊のイラク派兵反対!一緒に考え、反対の声をあげよう!」との表題の下、イラク戦争を巡る各国の利害と他方で犠牲を強いられる兵士を対置し、石破防衛庁長官(当時)の安易な攻撃を容認する答弁を引用しながら、「自衛官の皆さんは『命令だから』という前に、その命令が何を意味するのかいちいち考えるべきだ。そして納得のいかない派兵には、反対の声をあげよう」と呼びかけたものである。
2004年2月投函されたビラ(甲256号証)は、「ブッシュも小泉も戦場には行かない」という表題の下、自衛隊がイラクに派兵されたことを踏まえ、派兵目的とされる「人道復興支援」の欺瞞性とイラク派兵に大義がないことを述べたうえ、「殺すのも殺されるのも自衛官です。戦後、自衛官の命を守ってきたのは戦力の保持と戦争を禁止する平和憲法でした。今それが踏みにじられ、仮に自衛官が戦死すれば『その意志を継げ』と増派が行われかねない時代になりつつあります。いま声をあげなければ殺し殺される悪循環の車輪が大きく回り始めるでしょう。自衛官も、その家族も、派兵反対の声を挙げましょう。」と呼びかけたものである。
以上のとおり、テント村が立川の自衛隊官舎に投函したビラは、イラク戦争を正当化しようとする論の矛盾を明確にし、イラク戦争の惨状を提示し、人として究極の選択を強いられる自衛官に対し、平和憲法の原則に立ち返って派兵反対の声を挙げることを繰り返し訴え続けたものである。自衛隊のイラク派兵を巡って世論を二分する状況になったのは、多くの人が、意識的であれ無意識的であれ、テント村がそのビラで指摘し続けた事実に同様の思いを抱いたからに他ならない。テント村が投函したビラは、マスコミで紹介されている自衛隊イラク派兵に反対する多くの人々の意見と同じ思いを記載したものである。
したがって、テント村の投函したビラは、ビラを読んだ人に殊更不安を抱かせたり、不快感を覚えさせるものではない。

3 本件ビラ投函行為の態様

拭[川自衛隊官舎の状況
 立川の自衛隊官舎は、公道と接する部分に金網のフェンスは設置されているものの1ないし8号棟敷地から公道への出入口の間口が約6ないし9メートルあり、そこには門扉等の公道からの出入りを阻むものは何ら設置されておらず、公道からの出入りは自由な状態にある(甲264号証「実況見分調書」添付現場見取図2)。そして、隣接する道路が狭く歩道が設けられていないことから、官舎北側にある立川市立南砂小学校や、官舎南側にある同市立第二中学校(甲264号証添付現場見取図1)に通学する児童・生徒が、官舎東側の敷地を通路として通行するなどしており(弁60号証の写真、検証調書、写真12)、敷地への出入りが管理されている状態にはない。
このように、官舎の敷地は、多分に外界に開かれたスペースとして存在していたのである。

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本件で問題とされている「立入」行為は、自衛隊官舎の各戸のドアポストにビラを投函するのに付随するものであるが、被告人を含むテント村のメンバーは、自衛隊官舎北側にある南砂小学校の校門前に一旦集合し、それぞれ分担してビラをドアポストに投函するためだけに官舎敷地内に入り、投函終了後速やかに官舎を退去している。南砂小学校校門前に集合してから帰途につくまでの間の時間はせいぜい30分程度であった。
2004年1月17日、被告人らは午前11時30分ころ、南砂小学校の校門前に集まり、被告人大洞が官舎南側部分を、被告人大西がその北側部分を、被告人高田が9、10号棟部分の投函を分担し、各人の投函終了後5号棟付近で合流して、正午ころにはビラ投函が終わったことを確認して官舎を後にしている(第5回大洞・15〜16頁、第6回大西・6〜7頁、第6回高田・5〜13頁)。
2004年2月22日も被告人らは、午前11時30分ころ南砂小学校校門前に集合したが、被告人高田が遅れていたため、被告人大洞が官舎の南側部分を、被告人大西が9、10号棟部分から投函を始め、途中合流した被告人高田は、被告人大西からビラを受け取り、官舎の中央部分を投函し、同様5号棟付近で合流し、正午ころには官舎を後にしている(第5回大洞・15〜16頁、第6回高田・14〜15頁)。
したがって、被告人らの「立入行為」は、行為態様から見ても、敷地内に留まった時間からしても、自衛隊官舎居住者の住居の平穏を何ら侵害するものではなかった。
なお、浅霧修証人は、2003年12月にビラ配り等禁止の掲示を出した後、ビラ投函方法を集合郵便受けから各戸のドアポストへと変更したのは「一つの挑戦」(11頁)と証言しているが、ビラの投函方法は、2003年10月に投函を始めた当初から官舎各戸のドアポストに行っており、終始変わっていない(第5回大洞・17〜18頁)。敷衍すれば、「積乱雲」の投函方法も、「STOP!海外派兵」の投函方法も同様である。

4 本件ビラ投函に対する「禁止」の緩やかさ

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 2003年12月13日テント村がビラを投函した後、自衛隊官舎の公道との境界のフェンス及び各棟の階段の1階掲示板に、官舎管理者のよってビラ投函等の禁止を記載した掲示物が貼られた。
しかし、掲示物内容は、表題を「宿舎地域内の禁止事項」とし、禁止事項として
「一 関係者以外、地域内に立ち入ること
一 ビラ貼り・配り等の宣伝活動
一 露天(土地の占有)等による物品販売及び押し売り
一 駐車の禁止
一 その他、人に迷惑をかける行為」
を列挙するものである(甲265号証「禁止事項表示板等掲出状態報告書」添付の 112、の写真等)。この掲示は、集合住宅等に一般に貼り出されているものと内容的に異なるものではなく、特段に来訪者の注意を引くものではない。
また、掲示場所について、公道との出入口フェンスに掲示されたものは、出入口の間口が約6ないし9メートルと広く、他方、掲示物自体は屋外の掲示としては決して大きいものではないため、非常に目に付きにくいものである(甲265号証報告書添付の2ないし11の写真、撮影方向は逆であるが、検証調書写真1、同2の開放性と対比されたい)。また、各棟1階階段の掲示板への掲示については、掲示板の設置場所が階段への進行方向の右横であり、かつ、掲示板は床面から掲示板の下端まで111.4センチメートルの位置にあるため、掲示板の掲示物に注目しようとしない限りは、目に付きにくい(検証調書)。
このように、官舎の管理者が施した掲示は目に付きにくいものであったため、被告人高田は、掲示自体に気づかず(第4回高田・1〜2頁)、被告人大西は官舎居住者の「注意」を受けて1階階段の掲示板の掲示には気づいたものの、フェンスの掲示に至っては、被告人の誰もが存在に気づかなかったのである(第5回大洞・21頁、第4回大西・3頁)。
なお、この掲示がなされた経過について、浅霧証人は、2003年12月13日に投函されたビラが3回目であることから対策を講じることにし、浅霧証人が掲示物を作成して、12月18日夜に1号棟から10号棟の各棟入口フェンスに、翌19日に5号棟から8号棟の階段入口に張り、その他の号棟については、それぞれの管理する担当者に渡してやってもらったと証言したが、ビラの投函状況の調査すら行っていない(8〜9頁、21頁)。また豊川証人は、掲示の目的を、「自衛隊反対のビラを水際で止めるため」「自衛隊がこの時期非常に注目されておりましたので、任務を遂行する隊員のみならず、その基盤を支える家族にも影響のないよう、様々な対策をタイミングよく実施しなければならない立場」から、航空自衛隊が管理する1号棟から4号棟については掲示したと証言している(8〜9頁)。このように、ビラの投函を禁じる掲示は、自衛隊官舎の個々の居住者の意思とは無関係になされたものである。
以上述べたように、自衛隊官舎の管理者が設置目的を大仰に証言した割には、対外的に表示されたビラ投函の禁止の意思は、非常に緩やかなものである。

澄ヾ閏傍鐔纂圓らの「注意」
 被告人大洞、被告人大西は、2004年1月17日のビラ投函の際、官舎に居住する自衛隊員から「注意」を受けている。
 被告人大洞については、3号棟4階の341号室に居住する及川範夫から、掲示板の掲示物を指し示され、掲載事項に禁止されていることを告げられた(及川・9〜12頁)。また被告人大西についても、5号棟4階の541号室に居住する高橋祐司から、「注意」を受け、同人から投函したビラの回収を指示されたためビラを回収し、1階掲示板の掲示も指し示されている(甲270号証・高橋祐司の検面調書、第6回大西・7〜11頁)。
 しかし、被告人らが逮捕された後のサンデー毎日が報じる官舎居住者の反応は、「反戦チラシが郵便受けに入っていると迷惑ですか―――。大方はただ『う〜ん・・・』とうなるのみ。ある主婦は『捨てればいいから』と淡々としたものだ。チラシ配りそのものが殊更、住民に害を及ぼしているという印象はない」というものであり(弁75号証 2004年3月28日付「サンデー毎日」)、本件ビラ投函による「迷惑」「不愉快」を強調する及川の証言及び高橋の供述との乖離は著しい。
 また、テント村は、投函するビラに必ず住所、電話番号、ファックス番号を明記していたにもかかわらず、2003年10月以降の自衛隊官舎へのビラ投函につき、居住者個人からもとより、自衛隊の官舎管理者からも抗議の連絡を受けたことは一度もない。
 何ゆえ、このような状況が出現したのであろうか。それは、及川や高橋の行動が、警察と一体となった自衛隊の官舎管理者の指示に基くものであるからに他ならない。すなわち、官舎の管理者は、2003年12月28日、管理する官舎の居住者に対して、「反自衛隊的内容のビラ投入等に対する処置について(依頼)」と題するチラシを配布した(甲376号証)。その内容は、「最近反自衛隊的ビラがポストに投入されているので、ビラを投入ないし投函しているものを見た場合は、110番通報するか東立川駐屯地に連絡するように」というものである。ここにいう「反自衛隊的ビラ」とは、テント村が投函した一連のビラであり、ターゲットは明らかである。また、これに先立ち、警察は、2003年12月にテント村による自衛隊官舎へのビラ投函の情報を入手すると、自衛隊に対して被害届けの提出を促して被害届を提出させ(浅霧・25〜26頁)、同年12月18日には官舎居住者の事情聴取に動いている(及川・19〜20頁)。このように、本件ビラ投函について警察主導で捜査が進められる中で、前記チラシの「ビラを投入ないし投函しているのを見た場合は110番通報」との文言が出されてくるのである。
つまり、官舎居住者による被告人らへの「注意」というものは、警察の主導の下、自衛隊の官舎管理者がこれに歩調をあわせ刑事事件化を図った動きの中で、官舎の管理者によって作り出されていったものでる。

第5 表現の自由(憲法21条)に対する重大な侵害

1 政治的表現の自由の侵害

(1) 政治的表現の自由の優越的地位
 日本国憲法は、個人の尊重(13条)を最高の価値とし、個々人の個性・思想のかけがえのなさの尊重がその本質に包含されている。思想はその本質上、外に発表されることを欲するものであるから、個人の尊重は、必然的に表現の自由の尊重を要求するものである。よって、個人の精神作用の所産を外部に発表する精神活動の自由である「表現の自由」は、個人の全人格的な発展、自己実現のために不可欠であって、人間の精神活動の自由の実際的・象徴的基盤として、人権の中でも「優越的地位」を占める。
最高裁も、小売市場営業の許可制に関する大法廷判決で、いわゆる二重の基準説を採用したとされているところである(最大判昭和47年11月22日)。
特に、政治過程においては、政治・社会に関する知識・思想などが不断に流通し、自分の意見を表明する権利が与えられ、他人の意見を聞く権利が与えられることなしに、選挙権を効果的に行使することはできないし、日常的に政治に参加し、政治に働きかける自由がなければ、主権者は代表者の暴走を次の選挙時まで忍従しなければならないことになるから、政治に関する多種多様な情報が自由に流通している状態を確保することが制度的に保障されていなければならない。また、政治的自由は、他の全ての人権の成立・展開を支える原動力となるものであり、憲法上特別な価値付与がなされているといえる。さらに、多数派や支配層に対して批判的な表現が迫害にあってきたことは、歴史上明らかな事実であり、この点についても特殊な配慮が必要になる。
よって、表現の自由の中でも、特に政治的表現の自由については特別な地位が認められるべきであり、このことは、判例・学説の等しく認めるところである。
 たとえば、京都地判昭和43年4月3日(判時518号37頁)は、公安条例に関する裁判例で、「表現の自由は、人権保障の構造体系の中でも優れて重要な地位を占めるものである。けだし、近代民主制国家においては、国民は、通常その主権を選挙を通じて行使するが、選挙には政治的、思想的意見の存在を前提とする。表現の自由は、この政治的、思想的意見の醸成を促し、選挙の本来の目的を発揮させる必須の条件であり、したがって、表現の自由は民主制社会の基礎とされ、憲法の保障するすべての自由の母体であるとさえいわれている。このように、民主制社会は、民衆の話す自由のみならず、民衆の聴く自由、知る自由、反対する自由が完全に保障されることによってはじめて成立するのである」という。
 また、代表的な学説は、こぞって政治的表現の重要性を指摘する。たとえば、「表現の自由は、知識・情報を獲得するための第一要件であり、人が真理に近づくための不可欠の前提である。それはまた、個人の形成や自己実現の方法であるとともに、社会のメンバーが政治的意思決定に参加するための基本条件でもある。この自由を欠いては、参政権なども実質的な意味を失うであろう。表現の自由こそ、デモクラシーの存立と発展の必要要件であり、民主的な近代国家の礎石として、その侵害から厳しく守られなければならない」(小林直樹「憲法講義・新版・上」東京大学出版会389頁)。
憲法学者の奥平証人は、表現の自由に優越的地位が認められるのは、「人格の発展のために、あるいは、人と人とが交流して人格を展開するということのために重要だという、いってみると個人主義的な価値が非常にある…ということが第1点。第2点は、この表現の自由の場合には、極めてしばしば単に個人主義的な利益を確保するというだけではなくて、およそ人間が共同社会を組み、特にいわゆる民主主義的な社会を組んでいって、人々がそういう共同社会をよき共同社会にしていくということとの関係で不可欠なもの、その意味で優越的な価値というふうに理解している」(3頁)からであり、その根拠からすると、政治的な内容の表現の自由は、「民主主義的という政治共同社会、政治的なコミュニティーのために不可欠なものである」(4頁)から特に保護されるべきであると述べている。
従って、政治的表現が占める優越的な地位は、規制の合憲性に関して、きわめて慎重な判断を要求している。

(2) ビラ投函の表現手段としての重要性
現代社会において、マス・メディアのように巨大な資本を基礎に強力な情報伝達手段を有する者が、情報の市場を独占しているという現状があり、一般大衆は自己の思想を他者に広く伝えることが困難になっている。
もちろん、一般大衆も、投書などマス・メディアへの働きかけによって自己の思想を表現する手段がないわけではないが、その採否は資本の裁量に属しており、商業主義により表現内容の選択が行われ、社会によって、一定の表現内容が閉め出される危険性が常に存在する。
このような中で、受け手と送り手の相互互換性は失われ、一般大衆は、通常情報の受け手の地位に封じ込められるから、ビラ配布(投函も含まれる)という情報伝達方法は、自分の思想・信条、自分が接しえた知識・経験等を主体的・積極的に、他者に伝えるための貴重な手段のうちの1つであり、その自由は最大限尊重されなければならない。

(3) 表現手段の選択の自由
大衆が比較的容易に利用できる表現方法がきわめて限定されたものになる一方、その方法であるビラ配布・投函、大衆的示威行為などの手段は、一定の場所の確保を必要とする特質から、恣意的な公権力の規制を受けやすいという性格を有する。
しかし、公権力が、「別な方法もある」ことを理由にして、これらの表現方法を制約することは許されない。たとえば、「ビラまきが認められているのだからデモ行進を禁止してもいい」「街頭演説が認められているのだからビラまきを禁止してもいい」ということが不当であることは明らかだ。ある表現者にとって、その手段が特別な意味を有するものであるとすれば、その表現者にとってその表現方法をとること自体が表現の自由の内容である。表現内容は、その性質上、表現方法(表現の手段、場所)や受け手によって規定されるものだからである。
表現者は自分の伝えたいメッセージの宛先・内容にとって、もっともふさわしく表現しやすいと判断する表現方法を選択することができる。また、表現の自由の保障の機能として自己実現の契機を重視する立場にたてば、自己が伝えたいと望む情報を自己が望むような形で伝達することに意義がある。
この点について、奥平証人は、「市民が現代社会の中で、これは重要であり、みんなに考えてほしい、で、みんなで考えてほしい人の中になかんずく自衛隊の人も考えてほしいという情報があるときに、どんな手段で行うかということになると、相手方の権利侵害にならない限りでは、こちらとしては、つまり違法でない勧誘はどのように情報を提供するか、どのように発信するかということも、その人にとって表現の自由の問題だと思います。」(12〜13頁)と証言した。
本件については、ドアポストにビラを投函するという方法をとることが、客観的にみても、合理的な場合だった。すなわち、本件ビラ投函は、自分たちの意見を直接自衛官らに伝えるとともに、情報から遮断されがちな自衛隊関係者に考えてもらう材料を与えることを企図したものであるが、自衛隊官舎は集合住宅であり、1階集合ポストからビラを取り出す際、自分や家族の行動が職場の同僚や上司に観察される危険が常にあるため、政治的な内容のビラを家に持ち込むこと自体に心理的な障壁が生じることが考えられる。また、情報を制限したいと考える管理者にまとめて抜かれてしまうおそれもあった。さらに、集合ポストには他の商業ビラも多数投函されているので、集合ポストに入れれば一緒にまとめて捨てられてしまうことも予想された。そこで、被告人らは、できるだけ直接的かつ確実に自分たちのメッセージを届けるために、ドアポストへのビラ投函という方法を選択したのである(第5回大洞・10〜11頁、第6回大西・6頁、第6回高田・7頁)。被告人らの表現は、駅頭などで一般市民に対してビラを配布するというような他の手段では目的を達することができないものであった。
 これに対し、検察官は被告人大洞に対する被告人質問で、「宿舎の敷地外で(敷地の中から出てくる自衛官に対して)配布するという方法は考えませんでしたか」と(第5回大洞・28頁)、あたかも、立入りを伴わない方法により、同様の効果があげられるとでも考えているかのような質問をした。しかし、被告人大洞が答えたように、いつ自衛官が出てくるか分からないのに、門外で待ち続けるというのは非常に効率が悪く、受け取ってもらえる可能性も低い。検察官が本気でこのようなビラ配布の方法を考えているとすれば笑止千万である。

2 自由なコミュニケーションの阻害

(1) 表現の自由の本質的内容である情報受領権
被告人らの行為に対する抑圧は、自衛隊関係者が反対意見に接する機会を奪うものであり、自衛隊員、防衛庁職員及びその家族ら自衛隊官舎居住者(以下「居住者」という)の情報受領権に対する侵害という側面がある。
表現の自由は、送り手の伝達する情報を受け取る者の存在を前提としており、送り手の情報が妨げられることなく受け手に受領されることを、当然に内包している。表現媒体を媒介として取り結ばれる送り手と受け手の社会関係自体が表現の自由にとって重要である。
この点について、奥平証人は、「表現を受け取る人は、いや、私は要りませんというような自由があると同時に、ちょっとそれ読んでみようかということがあったり、あるいは、読まずに捨ててしまうとか、読んで、ああ、ここのところおもしろいことが書いてあるとか、いや、おれ、絶対反対だとか、いろんな感想を抱いて、そこである種の情報の展開、情報の伝達というものが行われる、それが表現の自由というものが持っている意味だというふうに理解します。それを…第三者がどこかで遮断しちゃいかんということだろうと思います」と述べている(7頁)。

(2) 一律にコミュニケーションを断絶することの問題性
 本件自衛隊官舎では、2003年12月19日付及び同月28日付で、それぞれ「航空自衛隊第1補給処立川支処業務課長」「管理者」名義の「反自衛隊的内容のビラ投入等に対する処置について(依頼)」と題する書面(甲376号証、甲377号証)が、各戸に配布された。これは、「最近、自衛隊のイラク復興支援に対し、反自衛隊的内容のビラが宿舎の郵便ポストに投入されていること」「今後、このようなビラを投入又は配布している者を見かけた場合は、直ちに『110番』通報するとともに、立川分屯基地(377号証では、「東立川駐屯地」)にご連絡ください。」と書かれたものである。これは証言によれば、「反自衛隊的内容のビラ」が問題で(浅霧・23頁)、「反自衛隊的内容のビラ」でなければ問題ではないという趣旨で(豊川・25頁)、居住者に通報を呼びかけたものである。
 このような「管理権者」の措置は、管理権者が個々の居住者の意思を「先取り」し、不安や不愉快を感じるであろうとして、ビラ投函に伴う立入行為に対して警察権力を含む強権の発動を行ってきたものと言わざるをえない。本件は、官舎の管理権者が前面に立ち、表現の受け手である個々の居住者と表現の送り手との間に介入してきた点に、特殊性がある。
これは、居住者の中に、ビラの投函を歓迎する者や少なくとも拒否しない者が少なからず存在することをまったく無視したものであるばかりでなく、管理権者が正当な判断能力を有するという前提に立つものであり、自衛官等はある種の内容の文書を読むべきではないという規制意思が背後に窺える。
管理権者が自衛官をはじめとする居住者の意思をおもんばかるという形をとることで、実際にはコミュニケーションを阻害するばかりではなく、居住者に一定の人権享有主体性を認めないという事態が生じている。一定の表現が個人に及ぼす影響を案じて、管理権者がパターナリステックな見地から一律にコミニュケーションを遮断することは、受け手の自律性を否定するものである。自衛官ら居住者の立場からいえば、これは、「真綿で保護されて首を絞められていると同じことであるかもしれない」(奥平・17頁)。
ある情報によって、不安などマイナスの感情を抱く人は必ずいるのであり、受け手の感情の侵害を理由に表現活動を制約すれば、表現の自由の保障は原理的に成り立たなくなることを考えれば、第三者が他人の抱く不安感などを理由に表現の自由の行使を妨害することは許されないというべきである。
 奥平証人は、「結局迷惑を受けるのはだれかということ、それで、迷惑をうけずに済む方法がなにかということをとことんまで考えなくちゃいかんという考え方でいきますと、個別の居住者の問題であり、居住者の中には様々な居住者がい得るわけだし、また居住者の利益を保護するためには、様々な他の手段がありうる。で、個別の居住者がすべていかなるビラもまいてはいけませんというふうに考えてるかどうかというのは分からんわけですよ。それがあり得るとするならば、個別の人たちがある程度ビラに対して許容しているという、その意味での寛容社会であるときには、個別の人たちの意見を、あるいは、ビラに対する考え方を先取りする第三者がいるというのはおかしい。しかも…それが国家であるということについていえば、僕はどうしたってやっぱりそれは憲法問題だというふうに思います」(15〜16頁)と述べている。
 参考までにいえば、アメリカでは、管理権者による住居権者の情報受領の遮断が許されないことは、すでに1940年代ころに決着のついた議論である。たとえば、キリスト教の一派である「エホバの証人」の信者が、文書を配布する目的で呼び鈴やドアノッカーを使って住人を呼び出すことを禁止する町の条例に違反するとして有罪判決を受けたことについて、この条例が違憲とされた判例があり、これは、戸別訪問に対する規制のリーディングケースとされている(1943年 Martin v. City of Struthers,319 U.S.141 )。この判決は、「ドアからドアへと(ドア ツー ドア)文書配布をする人々は、生活妨害やあるいは犯罪行為の隠れ蓑となり得る一方で、自由な議論の最良の伝統に合致する、思想の普及に関与している社会の有益な構成員でもある。多くの集団の様々な理由によるこの手段〔ドアからドアへの文書配布〕の広範な利用は、その主たる重要性を証明している」、「ドアからドアへの文書配布は、非力な人々(リトル ピープル)の貧しい財政にとって不可欠である」と戸別訪問の訪問による文書戸別配布の重要性を指摘している。

(3) 自衛官等の地位の特殊性
 自衛官をはじめとする居住者も、自衛隊の海外への派遣やイラク特措法について情報の提供を受け、自分で考え、反対する権利を有することは当然である。彼らが多様な情報に接することを、本人ではない住居の「管理権者」が阻害することは許されない。
一方で、自衛官は、その職務の特殊性から上意下達の「軍隊」システムが貫徹された組織に属しており、しかも、自衛隊官舎に居住している自衛官は、職場と住居が近接している者も多く、独居であったり、住居の近所も自衛隊関係者ばかりという環境から、多様な情報に接する機会が少なくなりがちであるという特殊性を有することからすれば、自衛官へ情報提供する機会は広く認められるべきである。
自衛官が反対意見を述べる機会や他の情報を入手する機会を奪われているという傾向は、イラク派兵を前に強まりこそすれ、弱まることはなかった。
たとえば、2003年10月、旭川の陸上自衛隊第二師団所属の隊員にイラク派遣の意思を確認する用紙が配られたが、それには、「熱望する」「希望する」「命令があれば応じる」「その他」の4項目があり、PKO派遣時の参加希望調査時にはあった「進んで希望しない」という選択肢が消えており、隊員の自由な意思の確認ができるのか、疑問の声があがっている(2004年6月「論座」・吉田敏浩「自衛官と家族は声をあげるか」)。
テント村が一連のビラ投函を始めることにしたのは、派兵について動揺していることが予想される自衛官及びその家族に対し、派遣命令がおかしいという考え方がありうることを示し、直接悩みを聞いたり、声をあげたりするルートを知らせるという、情報を伝達したいという思いからであり(第5回大洞・14頁など)、実際にもビラの内容は、自衛官等に対する呼びかけになっている。
 情報の受け手にとって、情報の多元性の確保が重要であることに鑑みると、自衛官に直接届く形で情報が提供されることは、可能な限り保障されるべきである。

(4) コミュニケーション成立の可能性
 ビラなどの情報提供や意見表明の呼びかけに関して、自衛官と市民との間にコミュニケーションが成立しうることは、「非核市民運動・ヨコスカ」(横須賀)、「自衛官と市民をつなぐ人権ホットライン」(北海道)「海外派兵に反対する立川市民の会」「湾岸戦争に反対する立川市民の会」(立川)などの活動において、実際に自衛官らからの反応があったことにより、明らかである。
 「立川市民の会」では、1997年から98年にかけて、「STOP!海外派兵」というビラを自衛隊官舎ドアポストに定期的に投函していたが、これに対しては、2回に1回程度の割合で、自衛官から連絡があり、「ビラを入れないでほしい」という話から基地問題など大きな政治的問題に話が発展することが何回もあった(大沢・6〜8頁)。
 「非核市民宣言運動・ヨコスカ」が昨年夏に約2500通を配布して行ったアンケートでは、12通の回答があり、イラク特措法や有事法制の議論で、「自衛官の気持ちや現場の事情が考慮されていない」というものが9通、入隊時には、外国を占領する軍隊に加わることを想像していなかったというものが6通あった。
「自衛官と市民をつなぐ人権ホットライン」で、昨年末から今年初めにかけて行ったアンケートでは、自衛官が住む地域で配布した5000通のうち、自衛官11人、家族14人から回答が寄せられた。意見陳述欄には、「絶対に、自衛官がイラクへ行くことに反対します。」「今回の派遣は今までの貢献とはまったく違うと思います。政府に対する憤りを感じます。なぜ、危険を冒してまで派遣すべきなのか。小泉さんの考え方が判らない。それなら自分も行くべきだ!」などの自衛官の意見が書かれていたという。また、同会が活動していた2003年12月から2004年3月までの間に寄せられた電話やファクス、Eメールなどの意見171件のうち自衛官からは6件、家族からは32件であった。同会の事務局長は、「悩みを訴える場所を求めていた」のではないかと感想を語っている(弁89号証、2003年11月付「世界」・吉田敏浩「自衛隊員の命は国家の『捨て駒』か」、「論座」前出吉田記事)。
 本件各ビラには、テント村の連絡先が明記されており、ビラの内容自体も「いっしょに考え、反対の声をあげよう」など情報交換を呼びかけるもので、テント村は積極的にコミュニケーションをとる姿勢を情報の受け手に明確に示していた。

3 表現の自由と規制の限界

(1) 「迷惑論」のおかしさ
 本件言論を規制する際の対立利益として、居住者の「ビラを受け取りたくない」という利益を考えることができる。
しかし、これは、表現の自由の制約根拠となる「プライバシー権」とは異なる事実上の利益にすぎない。
もちろん、個々人がビラ投函に対して拒否の意思表示をすることは自由である。しかし、その意思表示は、個々のポストに「ビラを入れないでほしい」というステッカーを貼るなどの方法によって行えることである。表現を受け取らないという効果を実現するために、国家が、ビラ投函に伴う立入行為を住居侵入であるとして、刑罰を科することは許されない。
ある人が迷惑と感じるもの全てを刑罰規定で取り締まれというのは、おかしい。不愉快である、迷惑であるという「感情」は、表現の自由を規制する根拠にはならない。
 商業的な活動、公的な広報、政治的な主張など「様々な意味を持ったビラが展開しているときに…ビラ一般をつかまえて…それを法律でもって適用して、そして、およそすべてにとって全く同じように迷惑だということを前提にした上で住居侵入罪を適用して、およそビラは、全くそれ自身がコミュニティーにおいて防衛しなきゃならない害悪であるというふうに考えたら問題であると思う。だから迷惑だから取り締まれということの意味が、そのこと自身が実は問われなくちゃならない、表現の自由との関係で。…現在の社会は、迷惑だと思いながらも、許容限度の関係で人々は受忍していると。…迷惑のうちのある種のものは取り締まらなくちゃならないと考え、そうであることについて、憲法上の自由を蹴散らすことができる程度の害悪があるかどうかという問題になってくる」(奥平・8〜9頁)のである。

(2) 情報社会における「受忍」限度
現代社会は、よくもあしくも、自分にとっては無価値なものも含む多数のメッセージが飛び交うメッセージ社会となっている。
もちろん、情報の送りつけが受け手の本質的な人権に抵触するような場合、そのメッセージの送付が問題とされることはありうる。しかし、ビラを投函されることは、現代社会の中では社会生活に随伴する軽微な不利益にすぎず、しかも、ビラ投函を受けた者は、ビラを捨てる・捨てない、読まない・読むという選択をする自由がある。本件でも、ビラを不要だと感じる人、不愉快だと考える人は、そのままビラを捨ててしまっているのが通常である(浅霧・47頁)。
仮に意に添わない内容のビラ投函があったとしても、そのことは「ある種の生活の慣行として受忍」されている(奥平・12頁)というのが現実であり、奥平証人が言うように、「ある人にとっては迷惑だけれども、社会一般にとっては迷惑だから取り締まるというレベルで、例えば刑法で130条、あるいは、また特別な法律を作って、迷惑防止法みたいなもので、およそビラ貼りは、およそビラまきはできないというような意味を持たせるような、そのような社会にはもはやなっていないということです。…そういう社会の中でビラまき一般が行われているし、そのビラまき一般の中で、さっきから言っている様々なビラまきが、よかれあしかれ行われていて、僕たちはそれをある程度受忍している。で、そういう社会であって、そこから様々な情報を人々がピックアップする、あるいは、捨てる、そういった格好になっているのがよかれあしかれ現状だと思いますし、その現状の中で表現というものをどう考えるかという問題だ」(11〜12頁)ということである。
「異論にさらされることによる感受性あるいは気分の侵害が甘受されなければ、民主主義社会は成り立たない」(2004年8月号「法学セミナー」・市川正人「表現の自由と2つのポスティング摘発事件」)のであって、民主主義社会では、各個人に情報の処分権がゆだねられていることを前提に、それぞれに「寛容」が求められている。何でも警察に持ち込んで公権力に判断をゆだねる社会ではなく、寛容と自律が根幹にある社会が、現行憲法下ではめざされてきたのではなかったのか。
この観点からすれば、ビラ入れを規制するための対立利益として「意に反するビラを入れさせない権利」を持ち出すことは、そもそも許されない。

4 住居侵入罪と表現の自由の侵害

(1) 本件弾圧のねらい
ア 表現内容に着目した弾圧
 本件のように、目的において正当で手段において相当な表現活動に対し、強制捜査を行い、さらに公訴を提起することは、表現の自由に対する重大な侵害であり、本件は「表現行為に対する弾圧事件」であると名付けられてよい。
 本件は、特定の表現行為の内容を問題にし、これをねらい打ちにするものであった。
 住居侵入罪の適用が問題になる場合、本来的には、立入行為そのものに着目すれば足りるはずであり、本件について検察官の起訴が正当であるというのであれば、ポストへのビラ投函のためのすべての立入行為が、住居侵入罪にあたるということになる。しかし、本件官舎には、多くの商業的なビラが投函されているにもかかわらず、それらの投函に伴う立入行為は問題にされず、政治的表現である本件ビラ入れだけが、警視庁公安部主導の膨大な労力をかけた捜査を経て、起訴されるに至っている。
 検察官は、本件公訴提起に際し、「反戦ビラが自衛隊関係者である住民に精神的脅威を与えた点にも言及した」(弁113号証 2004年3月20日付東京新聞)との報道がなされている。この報道によれば、本件公訴提起にあたっては、配布されたビラの内容が問題とされているのであり、まさに検察官は、表現の自由に対する侵害であることを自認している。
 被告人大洞を取り調べた検察官は、取調べ中に「これは双方にとって大きな事件である。」「この事件の前後で、全国の自衛隊官舎への反戦チラシの配布状況を調べて、増えているか、減っているか調べるとおもしろいだろう。」と述べており(第5回大洞・25〜26頁)、反戦運動への予防弾圧との効果を期待した本音を吐露している。
 さらに、東京地検八王子支部の相澤恵一副部長は、「今回の事件をきっかけに『ほかの団体の(違法な)活動を抑える犯罪予防の狙いもある』と」話したとも報道されている(弁114号証 2004年6月3日付毎日新聞)。
 本件では、ビラの内容に着目し、抑止によって生じる政治的影響を考慮して、捜査、・起訴がなされている。
イ 政治的意図をもった弾圧
さらに、本件弾圧には、被告人ら及び被告人らの所属団体を始めとする広汎な市民に対する政治的表現の抑制という政治的意図があったことは以下の諸事情から明らかである。
 まず、1ヶ月以上前のビラ投函行為に伴う「住居侵入」について、現行犯逮捕でなく、令状によって逮捕すること自体が異常なことであることは改めて指摘するまでもない。
 その他、被告人高田の逮捕時には、テント村事務所外にマスコミのテレビカメラが3台来ており(第6回高田・18頁)、いわゆる「引き回し映像」を撮らせるため、被告人ら逮捕に関する情報がリークされたことが疑われること、逮捕の翌日、立川署に抗議の電話を入れた市民が、「住民から被害届があったのですか」と質問すると、「自衛隊の上層部から被害届があり、法律に基づいて逮捕した」と答えがあり、「郵便受けには、いろんなちらしが入って、私も迷惑しています。被害届を出せばそれも取り締まってくれるのですか」との質問には、「今回の件は自衛隊派遣反対のビラで、こういう時期に士気が下がるとかいろんな都合がある。寿司屋やピザ屋や風俗のちらしとはわけが違う」との答えがあったこと(弁75号証 2004年3月28日付「サンデー毎日」、弁76号証 2004年3月5日付「週刊金曜日」、弁115号証 2004年4月2日付「週刊金曜日」)、逮捕後起訴されるまでの20日余にわたって、接見禁止の状態のまま、連日6〜8時間にわたる厳しい取調べのほとんどの時間が、立川テント村及び被告人個人の運動の背景や思想・信条の調査、関係者についての情報の提供の要請、運動をやめるようにという強制に使われたこと(第5回大洞・23頁、第6回大西・18頁、第6回高田・19頁)など、実際の捜査の進み方からも、弾圧の政治的意図が窺われる。
逮捕当日、被告人ら及びテント村の他のメンバー3名の住居に対して、一斉に行われた家宅捜索では、立会人が抗議したにもかかわらず(第6回高田・18頁)、第三者の住所録など個人情報が多数入ったパソコンや他団体の発行物、集会資料などが、広汎に押収された。逮捕から半年以上たった現在に至っても、押収されたものは還付されていない。パソコンとその中に入った情報が、現代社会のすべての業務においてきわめて重要であることは改めて指摘するまでもないが、本件では、テント村事務所から2台、被告人ら以外のメンバー宅から3台のパソコンが押収を受け(弁105、107ないし109号証)、その後のホームページの利用・メールでの情報交換などが困難になり、過去のデータの一部が紛失し、テント村の通常業務に著しい悪影響を与えた。
公判では、本件捜査が住民からの要請という外見をとりつつ、実際には警察主導で行われたことが、明らかになった。
浅霧証言によれば、警備強化のために立川警察署の警察官と思われる者が自衛隊に来て「何かないか」と言われたので、テント村のビラの話をしたところ、「是非被害届を出してくれ」と言われ、上司と相談して被害届を提出することになり、2003年12月13日のビラ投函について、警察官が自衛隊の事務所まで、署名捺印すれば完成する状態になっていた被害届を持参したので、署名捺印して提出した(25〜26頁、53〜54頁)というのである。また、豊川証人によれば、2003年12月ないし2004年2月にわたる3回の被害届提出時には、全て警察官が同証人の事務室まで、署名捺印すれば完成する状態になっていた被害届を持参したという(29〜32頁)。
 また、本件で問題にされた2004年1月、2月のビラ入れが行われる前に、入口と階段部分に「掲示」がなされた直後の、2003年12月24日には、実況見分調書が作成され(豊川・7頁)、テント村が翌月もビラ投函を行うことを予定した捜査がなされている。
甲336号証は、全国の「同種事案の自衛隊宿舎に対するビラ配布状況」について、警視庁公安二課の捜査員が、「各都道府県警察警備部公安課及び公安第三課を通じて」確認した「電話聴取報告書」であるが、ここでは、テント村が配布した3件を含んで24件の事案が報告されており、少なくとも2003年9月から、全国的に調査が行われていたことは明らかであって、イラク派兵を問題にするビラ投函行為について何らかの弾圧を行うことを、警察が予定していたことも窺われる。
 一方で、浅霧証言によれば、警察官は、官舎にビラが投函されているということを知らなかったことになる(54頁)から、テント村のビラ配布について、各住民からは、前述した2003年12月に配布された、110番通報と立川駐屯地宿直への通報を呼びかける「通知」(甲376、377号証)以前は、警察への被害通報はなかったということになる(このことは、甲336号証の「電話聴取書」でテント村のビラ配布が同年12月から翌年2月の3回分しか記載されていず、警察に2003年10月、11月の投函情報が捕捉されていないことからも明らかである)。つまり、住民は、それまで、ビラ投函について、警察に通報するほどの被害感情を一切持っていなかったのである。
 浅霧、豊川両証人は、被害届の提出や、掲示の張り出し、通知の配布を、ビラ投函に対する「対策」であると強弁する。しかし、上記の事情からは、被告人らは、公安警察主導で作られた「罠」の中に飛び込んでしまったというのが、本件の実情であることが分かる。このことは、まさしく、本件捜査・起訴の目的が、ビラの発行主体である立川自衛隊監視テント村とその周辺の動向を調査し、最終的には、運動に介入して全国的な反戦活動を抑圧することにあったことを示している。

(2) 住居侵入罪を利用した初めての言論弾圧
 従来、ビラ配布・貼付については、屋外広告物法・条例、軽犯罪法第1条33号、道路交通法77条1項4号、鉄道営業法35条、建造物または器物損壊罪(刑法260条、261条)などによって規制されており(そのこと自体の当否は措くとして)、住居侵入罪を直接に適用したケースはなかった。
刑法130条についての最高裁判例としては、多数の学生が、部外者の立入を禁止していた研究所構内へ通路の金網柵を引き倒して乱入したとして起訴されたいわゆる東大地震研事件や、春闘の一環として、郵便局にビラ多数枚を貼ることを目的とし、組合員数名が施錠されていない通用門から郵便局内に立ち入ったとして起訴されたいわゆる大槌郵便局事件などがある。しかし、本件が「住居」への侵入を問題にしているのに対し、これら判例は「看守者」が存する「建造物」への侵入の問題である。また、本件は、政治的表現の自由の行使に必然的に随伴する行為が問題になっている点が、これら判例とは異なる。
奥平証人は、「物理的な迷惑を前提とした上で判例が築かれていた」が、今回については、物理的な行動自体が問われているわけではなく、「ある程度受忍できる迷惑であるか、それとも、受忍することのできない迷惑であるとか、あるいは、迷惑であることの防衛をどうするかとかっていったような問題になってくる。すなわち、ここでは、住んでいる個別の人の住居の利益の問題なんですね。そのことについて真正面から問題にした判例というのは、…僕の知っている判例はないわけです。」(10〜11頁)と述べている。
ビラ投函に伴うポストまでの平穏な立入行為が住居侵入罪とされた例は、戦後ない。そんなことで、人を「犯罪者」とすることまではなされてこなかったのであり、本件はまさに異例の弾圧である。

(3) きわめて広汎かつ強力な萎縮効果
本件が、被告人ら自身の表現行為に対する抑圧であることは言うまでもない。しかし、それにとどまらず、このような起訴は、被告人以外の全ての市民が今後行おうとする表現行為についてきわめて強力な萎縮効果を与えるもので、その及ぼす影響には図りしれない。検察官は、むしろこの点を企図して、本件起訴にふみきったと言える。
もちろん、住居侵入罪は、表現の自由の行使を直接規制するものではないが、同罪は構成要件に濫用の可能性がはらまれる犯罪類型であり、これを、市民的自由を抑圧する目的で、広範な捜査権限・起訴裁量のもとで適用してくることは、構成要件該当性が不明確な犯罪類型を新たに作り出すことと同じである。
この点について、奥平証人は、住居侵入罪のような一般刑法が本件のような行為に適用されることが当然視されることになってしまえば、1人の人間が拘束されるだけでなくて、周囲に多大な影響を与え、「ほかの刑法のさまざまな問題を含めて、ありとあらゆる様々な問題の適用を、まずは取り締まって逮捕する、逮捕して、その人の周辺を洗うということができるようになる」(奥平・24頁)のではないかと危惧する。
帝国憲法下とは異なり、公安警察(高等警察)を直接バックアップするような特別法を制定し、権力にとって望ましい特別な刑法体系を作り上げることが難しくなっている中で、本来、価値中立的な法規を利用して、権力にとって都合の悪い言論を弾圧する。本来の趣旨とは離れて、法律が使われるという事態が生じている。
治安維持法について体系的な研究をしてきた奥平証人が、「今日本の社会では、僕の理解するとこによると、…特別刑法を作ること自体は恐ろしく難しい。…それだから今のところは普通犯罪法でいかざるをえない、つまり普通犯罪法というのは普通の市民の秩序を守るためのものです。で、普通の市民の秩序を守るものを、形として犯罪行為に仕立て上げて、それが機能的に役割としてこれを公安警察的に展開するということが、今後の社会の中で大いにあり得て、今までだってなかったことはないんじゃないかというぐらいのところを、今回の件は非常に見事にそれを示している」(24〜25頁)と指摘するとおりである。
表現行為の取締りを本来の目的としない法令を、表現行為の取締りに用いるという「脱法的行為」は、法律の重要な機能である「予測可能性」を著しく害する。今まで犯罪とは考えられてこなかったことが、ある日突然「市民的犯罪」として検挙される。この検挙の際、表現内容が問題とされたことはあからさまには示されないが、その本質的な目的が批判的言論の取締りであることを誰もが知っている。何が犯罪であり、何が犯罪でないのか、その境界が著しく不明確となってしまう、このような状況の中では、検挙を覚悟しなければ、批判的言論を発することができない。このことは表現者にとって、きわめて強い圧力となる。本件弾圧によって、権力者は、きわめて効率的に批判的言論に対する萎縮的効果を生み出したのである。
実際に、これまで横須賀で自衛官を対象にアンケート調査活動を行ってきた「非核市民宣言運動・ヨコスカ」のメンバーは、「事件はやはりプレッシャーになった。ビラ配布の手法などを慎重に検討している」「こうしたことで自衛官への働きかけそのものが衰退してしまうことが一番問題」と話しており、また、テント村の代表のもとには、市民団体や労働組合の一部から、今は官舎へのビラ配りは控えているという声も入ってきている(弁77号証 2004年4月6日付神奈川新聞、弁90号証 2004年5月14日付東京新聞)。

(4) 本件弾圧の背景
 本件弾圧の背景について具体的にいえば、アメリカ大使館門前でイラク戦争批判等の街頭演説をしていた女性が、同大使館前で言い合いをしたとして、本年2月、暴行罪で自宅と職場を捜索をされ、数度にわたって出頭要請された事件、社会保険庁の職員が、休日に自宅周辺で日本共産党機関紙「赤旗」号外を配布したとして、本年3月、国家公務員法違反で逮捕・起訴された事件など、政治的表現の自由に対する弾圧であるとみなされる事件が続いている(弁89号証 2004年5月24日ないし6月4日付神奈川新聞)。
奥平証人も、「今や特別刑法をもって、特別に政治的な目的をもった政治的な行為を取り締まることができない、そうすると、刑法の暴行罪でいくとか、それから国家公務員法の人事院規則14条の7でいくといった、一般法でいくとかということがあり、そしてそれが起訴される、そして、逮捕されて長く留置する、それで非常に多くの人たちに対しての情報をコントロール、すなわちコンピュータを含めたものを持っていくというようなことが、もうこれから出てくるんだったら、やっぱり治安維持法がなくても治安維持法に近いような格好の、新しい現代的な何かが出てくるという徴候を示すかなというふうに、僕を考えさせている一つのきっかけです。」(25〜26頁)と証言した。

(5) 本件弾圧に集まった注目
本件弾圧が、論者の注目を浴び、広く報道され、弾圧を不当とする広汎な市民の支持を集めたのは、多くの人が、奥平証人のいうような危惧を抱いているからに他ならない。
言論機関からは、「今回のような強引な摘発が続けば、市民が自分の意見を言ったり、集会を開いたりすることをためらいかねない」(弁74号証 2004年3月5日付朝日新聞)という意見が代表的なものだが、法学者有志56名によるもの(弁89号証 2004年5月29日付神奈川新聞)を始めとして、多くの市民が、被告人らの逮捕・勾留の不当性について、声明文を発表しており、公訴提起後も、数多くの論者が、本件弾圧の危険性について言及している。
また、自衛隊官舎に対するビラ、アンケート用紙などの投函は、立川の他、横須賀、千歳、小牧、伏見(京都)、佐世保、伊丹、末広(栃木)、函館、帯広、釧路などで広く行われているが(弁77号証、甲336号証)、これらの実施主体であった団体からも、人ごとではないという声が多数寄せられている。
被告人らが逮捕された直後、証人大沢が集めた警視庁及び立川警察署あての「共同声明」は実質3日間で703の個人・団体からの賛同が集まった(弁82号証、大沢・11頁)。また、「即時保釈を求める署名」は3194筆(4月30日現在)、「無罪判決を求める署名」は8107筆(10月14日現在)が全国各地から集まっており、非常に広汎な大衆が本件弾圧を不当なものと考えていることを示している。
被告人らは、アムネスティ・インターナショナルの「良心の囚人」の日本での初認定者となったが、同組織の日本支部事務局長は、「よその先進国では考えられない、民主主義国にあるまじき行為。日本では戦後、初めて表現の自由への典型的圧力が公になった点で注目している」と語っている(2004年4月29日付東京新聞 弁78号証)。

5 適用上違憲

(1) 違憲判断の基準
 前述したような表現の自由の優越的地位から、その制約は厳格な司法審査に服するとする二重の基準の理論が、学説上・裁判上支配的であるが、さらに、表現に関わる規制と表現内容に中立的な規制とを区別し、後者には前者に比べて緩やかな違憲審査基準が妥当するという考え方(以下「規制二分論」という)も提示されている。
 しかし、この枠組みは、最高裁では、公務員の政治的行為の制限と公選法による戸別訪問禁止の判断をするにあたって用いられただけであり、最高裁は、表現の自由規制の違憲性審査について、規制二分論に依拠して判決を下したことはない。

(2) 学説の状況
 学説の状況をみると、規制二分論が有力に唱えられているのは事実である。表現中立的規制について、緩やかな審査基準が認められる根拠としては、”集充圓和召良集渋嵳佑皺椎修世ら表現の機会ないし自由な情報の流れの重大な縮減にはならない 特定の表現手段に対して一般的に及ぶ規制であるので、見解差別的な効果を有する可能性は低く、取り締まりが不当な動機に基づくものである可能性も低い などの理由があげられる。
しかし、最近、規制二分論に対して、[昭圓魎蔽韻暴塋未垢襪海箸郎て颪如表現内容中立的規制について審査のレベルを大幅に切り下げることに十分説得的な理由があるとは思えない △△觧彖曚鯏礎するのに特別な表現態様手段もあり、手段・方法へのアクセスの容易性は個人によって異なるから、表現態様・手段が、コミュニケーションにとって有する重要な意義を軽視すべきではない 5制がソフィスケートされている現代社会で、表現の規制を実質的に問題にできなくなり、特定の表現方法の全面的な禁止につながりかねない ず本的な問題として、表現の自由とは、自己の伝えたい情報を自己の望む時・場所・方法で伝える自由であるから、安易に態様・手段の規制が認められてはならない などの問題点が指摘されるようになってきた(市川正人「表現の自由の法理」・日本評論社 の整理による)。
また、規制二分論にたつ有力な論者でも、内容の規制の定義として、「法令の文言上は内容中立的な規制であっても、強い内容差別的効果を有する場合には表現内容の規制として扱う」という立場をとっていることが注目される(松井茂記教授)。

(3) 表現内容に対する規制
 本件は、前述したとおり、政治的意図を有するきわめて強い内容差別的効果のある規制が行われたことは明らかである。つまり、ー衛隊官舎へのビラ投函が、表現者が実現しようと企図するコミュニケーションにとって、最も合理的かつ効率的な表現方法であること ⊂Χ肇咼蕕覆匹般世蕕に異なる取扱いをしており、まさに見解差別的な効果が狙われていることからいって、上述の表現中立規制について緩やかな基準で足りるという根拠が成り立ち得ない。よって、規制二分論に立つとしても、本件弾圧は「表現内容に対する規制」にあたると考えられる。
 そこで、本件立入行為に関する規制が違憲であるかの基準はきわめて厳格なものでなければならず、本件について住居侵入が適用され、これが成立すると判断することは憲法21条に反し許されない。

6 小括

憲法21条が表現の自由を保障する趣旨は、‖昭圓箸離灰潺絅縫院璽轡腑鵑鯆未犬匿由覆魴狙していくことの重要性、議会制民主主義が十全に機能するために個人ないし個人の集団が、時の政府への批判を含めた意見を表明することの重要性、そして、歴史的経緯の中で、表現の自由への弾圧により個人の尊厳を踏みにじる政治に行き着いたという事実からの深い反省に由来するものである。被告人らの行為は、憲法が保障したこの当然の権利を行使するものであると同時に、前述のとおり、憲法9条及びイラク特措法に違反して自衛隊のイラク派兵が強行される中で、沈黙することなく声をあげ続け、諦めることなく自衛官に訴えかけ続けるという行為、言論を通して日本政府の憲法違反の行為を指摘しこれを正そうとする行為なのであり、憲法12条が定める憲法保持義務を全うしようとするものである。これに対して、検察官は、自衛隊官舎へのビラ配布を起訴することで、被告人らの行為を抑圧し、自衛官と市民のつながりを遮断することを目的として、本件を起訴するという暴挙に出た。
本件による被告人らの逮捕・勾留、それに続く起訴は、これまでに表現活動を行い、今後も行おうとしている広汎な層の市民にきわめて強い打撃を与えており、万が一にも、本件が有罪になれば、広く一般大衆の表現行為に与えられる萎縮的効果の大きさは測りしれない。
弁護人らは、自衛隊がイラクに派兵されたこの時期、単なるビラ配布という行為に対して、被告人ら3名の逮捕・勾留、6箇所にわたる捜索差押という強制捜査がなされ、さらに公訴提起までされたということの実相に、裁判所が着目され、本件を、憲法で保障された表現の自由との関係において厳正に審理されるよう求める。
本件弾圧で現に生じた著しい表現の自由の侵害に鑑みれば、本件は公訴棄却されるべきであり、また、実体判断をするとしても、構成要件該当性・違法性が認められず、被告人らを有罪とすることは刑法130条の適用上違憲である。

第6 構成要件不該当

1 自衛隊官舎の敷地は囲繞地ではなく「住居」には該当しない

(1) 刑法第130条は、「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸   宅、建造物若しくは艦船に侵入した者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」と定めている。
 検察官は、弁護人の「公訴事実のうち、どの部分が住居に該当するか」という求釈明に対し、「「敷地」及び「各室玄関前」はいずれも刑法130条のいう住居である」と釈明した(第1回公判調書・2頁)。検察官は、自衛隊官舎の敷地を「住居」であると主張する。

(2) しかし、集合住宅である自衛隊官舎の敷地が、「住居」といえるためには、門扉   等によって取り囲まれた囲繞地でなければならない。
 本件における自衛隊官舎の1号棟から8号棟の建物が建っている敷地は、敷地の   周囲に金網フェンスが設置されてはいるものの、東側及び北側の公道に接する部分に8カ所に設けられた出入口には、外部との交通を遮断する門扉等の工作物は一切設置されておらず、その間口は6メ−トルないし9メ−トルで、昼夜を問わず、外部道路から自由に出入りできる構造となっている(甲246号証・貼付写真6、7、8、9、110、11、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、26、27、28、29、現場見取図2)。
 また、東側に隣接する道路は狭く、歩道が設けられていないことから、自衛隊官舎北側にある立川市立南砂小学校や、同官舎南側にある同市立第二中学校に通学する児童・生徒が自衛隊官舎東側の敷地内を通路として自由に通行していた(弁60号証・写真撮影報告書)。
 本件自衛隊官舎の敷地は、金網フェンスが設置はされているものの、門扉等の設備がなく、自由に敷地内に出入りできる構造となっているので、囲繞地ではなく、住居侵入罪の住居には該当しない。

(3) 集合住宅の敷地に関する最高裁判例は存在しないが、最高裁昭和32年4月4日   判決(刑集11巻4号1327頁)は、集合住宅の敷地と類似した石垣・煉瓦塀で囲まれた一般民家とは区画された社宅20数戸がある区域内に立ち入った事案について、同社宅の北東側、北西側及び南側に3個の門にはいずれも木製観音開戸がついており、責任者が看守していて毎晩午後10時過ぎにはその責任者が内側からかんぬきをして門を閉めることになっている社宅街構内について、「社宅20数戸を含む一の邸宅」と邸宅侵入罪として認定した原判決を是認している。
 また、正面門扉が閉まった午後10時以降に正面門扉を開けて寺院敷地内に立ち入った事案について、福岡高等裁判所昭和57年12月16日判決(判例タイムズ494号140頁)は、敷地内には住職らの居宅及び本堂等を含む建物が存し、周囲は付近の建造物やブロック塀等によって遮断されており、右敷地に立ち入ることのできる箇所は正門及び居宅裏口の2カ所にすぎない寺院敷地は、寺院の住居である建造物の囲繞地で、寺院の住居の一部と解すべきとして住居侵入罪の成立を認めている。
 上記判例や裁判例からしても、8カ所の出入口には門扉等もなく外部からの出入   りが自由におこなわれており、昼間はその敷地内を児童・生徒らが通学路などとして自由に通行している本件自衛隊官舎敷地は、囲繞地として住居の一部と解することはできない。
 したがって、本件自衛隊官舎敷地は、住居侵入罪の構成要件である「住居」には該当しないので、そこに被告人らが立入った行為について住居侵入罪の成立を問うことはできない。

2 本件立入行為は住居の平穏を何ら侵害していないので住居侵入罪の「侵入」に該当しない

(1) 住居侵入罪の「侵入」とは、住居の事実上の平穏を侵害する態様による立入行為   である。最高裁は、住居侵入罪の保護法益につき、病院敷地内に侵入した王子野戦病院事件における事案において「住居侵入罪の保護すべき法律上の利益は、住居等の事実上の平穏であり、居住者又は看守者が法律上正当な権限を有するか否かは犯罪の成立を左右するものではない」(最高裁昭和49年5月31日決定・裁判集[刑事]192号571頁)とし、建造物の囲繞地の関係につき東大地震研事件において「建物の囲繞地を刑法130条の客体とするゆえんは、まさに右部分への侵入によって建造物自体への侵入若しくはこれに準ずる程度に建造物利用の平穏が害されることからこれを保護しようとする趣旨にほかならないと解されるからである」(最高裁昭和51年3月4日判決・刑集30巻2号79頁)としている。

(2) 本件において被告人らの立入った場所は、自衛隊官舎の階段・通路部分であり、   そこは個人のプライバシ−が尊重されるべき各室の居住者が排他的に占有使用している専有部分のスペ−スとは異なり、各居住者が共同で使用している共用スペ−スである。階段・通路部分には、各室居住者が購読や購入している新聞や牛乳等の配達員や、郵便配達員や宅配便の業者だけでなく、ピザ屋、宅配寿司、不動産業者等の商業用宣伝チラシ、布教のための宗教パンフ、政党や市議会議員報告等のビラ配布のために、居住者以外の不特定多数の人が、いちいち居住者の同意を受けずに自由に立入っていることは公知の事実である。
 6号棟641号室に居住していた浅霧修は、宅配寿司やピザ屋の宣伝広告チラシがドアポストに投函されており(4〜5頁)、3号棟341号室に居住している及川範夫も、宗教関係者が自室まで尋ねて来た旨を証言している(23〜24頁)。

(3) 被告人らの「自衛隊のイラク派兵反対!一緒に考え、反対の声を挙げよう!」等   と書かれたビラを自衛隊官舎の玄関ポストへポスティングする方法は、ピザ屋、宅配寿司、不動産業者等が商業用宣伝チラシを玄関ポストへポスティングする方法と全く変わらないものであり、時間的にも午前11時30分ころから午前12時ころまでの30分程度でそのビラの枚数も各戸に1枚というものであり、自衛隊官舎の住居の事実上の平穏を侵害するようなものでなかった。

(4) よって、本件被告人らの自衛隊官舎へポスティングするための同官舎の階段・通路部分への立入行為は、住居の事実上の平穏を侵害しておらず、住居侵入罪の「侵入」に該当しないので無罪である。
 自衛隊も全国各地で自衛隊員募集のためのチラシをポスティングをするため集合住宅の共用部分へ立ち入っていることは、本件公判廷における山内証人や大西被告人の証言でも明らかになっており、被告人らの立入行為だけを刑事罰を発動し処罰するというのはおかしなことである。

3 ポスティングのための立入行為は居住権者の包括的承諾を受けており住居侵入罪の「侵入」に該当しない

(1) 本件においては、前述したように自衛隊官舎の階段・通路部分への立入りは、住居の事実上の平穏を害するものではないので、住居侵入罪は成立しないものと考えられるが、住居権者の意思を重視する考え方を採ったとしても、被告人らの階段・通路部分への立入行為は、以下に述べるように住居侵入罪の「侵入」には該当することはない。

(2) 本件自衛隊官舎には、2003年12月18日、同官舎の管理者によって、「関   係者以外、地域内に立ち入ること」「ビラ貼り、配り等の宣伝活動」等について宿舎内禁止事項として書かれた掲示物(甲265号証)が各棟階段出入口1階掲示板や敷地内の出入口の横にある金網フェンスに貼り出された事実がある。

(3) しかし、このような一般的な立入禁止の掲示物が団地等の集合住宅の出入口に存   在したとしても、ピザ屋等の広告宣伝チラシやセ−ルスマン等の部外者がこれを無視し、団地等の階段・通路部分に立ち入り、各戸のドアポストにポスティングをしたり玄関のドアを叩き玄関内まで入って来ていることは、商業チラシのポスティングのアルバイト経験がある高田被告人が、部外者以外立入禁止の掲示物は、どこの団地にでも見受けられるものであり、「その張り札自体でポスティングをいちいちやめていたら、商売として成り立たないので、それを見てやめたということはないです。」(高田20頁)と証言していることや、当時立川自衛隊官舎に居住していた浅霧修が、団地等において立入禁止の掲示があってもセ−ルスマンがそれを無視して玄関まで来ていると証言している(49頁)ことからも、公知の事実である。
 そして、本件自衛隊官舎においても、及川範夫は、立入禁止の掲示板が設置された後、その掲示板を無視して、宗教関係者が自室まで尋ねて来た旨を証言している(23〜24頁)。

(4) 学説は、住居の入口に「セ−ルスマンお断り」の掲示があるにもかかわらず、訪   問販売員がその掲示を現認した上で、玄関ベルを鳴らし、玄関内に入ったという事例につき、「その貼紙は、できれば、押売りなどにわずらわされたくないという程度の意思表示であるにとどまり、やはり、消極的にではあっても、洗濯屋・酒屋などのたち入りを認めるに準じた『承諾』を与えているのが一般でなかろうか」(内田文昭・刑法各論175頁)とし、「これはあきらかに住居者の意思に反する立ち入りであるが、そうだからといって、ただちに住居に『侵入』したものとはいえないであろう。というのは、こうした立ち入り行為は、まだ住居の平穏を害する態様での立ち入りとはいえないからである。」(福田平・注釈刑法(3)242頁)として玄関内への立入行為について、住居侵入罪が成立することを否定している。
 本件は、上記事例のように玄関内にまで立ち入った事案ではなく、玄関前の階段・通路部分に立ち入っただけの事案である。そして、集合住宅の各戸に設けられたドアポストは、そもそも外からの郵便物や新聞等の情報を住居内に居住する居住者が受け取るために設置されたものであり、その情報の中にはピザ屋等の広告宣伝チラシだけでなく、本件のような自衛隊のイラク派兵反対を訴えるビラ等多種多様な情報も含まれるものである。住居権者の意思としては、部外者以外立入禁止の掲示物にもかかわらず、それらの情報をポスティングするために集合住宅の階段・通路部分への立入行為については、包括的に承諾していたものとみるべきである。

(5) 集合住宅の各部屋の玄関内までセ−ルスマンが立ち入った事例について、住居侵   入罪が問われない以上、居住権者のプライバシ−保護という点では玄関部分とは格段の差がある各居住権者の共用スぺ−スである階段・通路部分への被告人らの、一般に行われているピザ屋等の商業的宣伝のポスティングと何ら変わりない平穏な態様での本件ポスティングのための立入行為について、「侵入」に該当するとして住居侵入罪に問うことはできない。

4 住居権者の意思は憲法上保障された表現の自由に制約され本件立入行為は住居侵入罪の「侵入」に該当しない

(1) 仮に前述したように、ポスティングをするための自衛隊官舎の階段・通路部分への立入行為について、同官舎の住居権者の包括的承諾を受けているとは考えられないという立場に立ったとしても、被告人らの本件ポスティングは、国内でも世論が二分されている状況にある日本政府の自衛隊イラク派兵について自衛隊員やその家族に派兵反対を訴えかけようとするものであり、既に前項の「表現の自由(憲法21条)に対する重大な侵害」において詳述したが、民主主義社会において最大限に尊重されなければならない憲法上国民に保障された表現の自由の行使のための手段として行われたものである。

(2) 人々が様々な情報を発信・受容するためこれだけビラが出回っている情報化社会   である現代社会では、ポスティングは「ある種の生活の慣行として受忍」されている(奥平・12頁)。ビラを受け取った居住者は、ビラを捨てる・捨てない、読む・読まないという選択の自由があるのだから、ビラの内容が名誉棄損等によって個人の法益を侵害するものでないかぎり、意に反するビラを受け取りその内容が迷惑とか不愉快だと感じたとしても、互いに異質である多様な価値観が共存する寛容な社会である民主主義国家においては、それは受忍すべき範囲内のことなのである。
 すなわち、現代社会では日常的に行われている集合住宅のドアポストへのポスティング、とりわけ、憲法上国民に保障された政治的メッセ−ジを自衛隊官舎に居住する自衛官やその家族に伝えようとした被告人らのポスティングのための自衛隊官舎への立入りについては、例え自衛隊官舎に居住する住居権者の意思に反したものであったとしても、住居権者はそれを受忍すべきものである。

(3) 全逓組合員の局舎内への立入行為が建造物侵入罪に問われた全逓大槌郵便局事件において、最高裁判所は夜間、多人数で土足のまま約1000枚のビラを局舎各所に乱雑に貼付する目的での全逓組合員の局舎内への立入りは、「管理者としては、このような目的による立入を受忍する義務はなく、これを拒否できるもの考えられること」(最高裁判所昭和58年4月8日判決刑集37巻3号215頁)として、建造物侵入罪の成立を認めている。これは、正当な目的による局舎内への立入行為については、仮に管理権者の意思に反していても、管理権者は立入行為を受忍すべき義務を持っており、そのような場合は、「侵入」行為は存在せず、建造物侵入罪には該当しないということを最高裁判所自身が認めていると解することができる。

(4) よって、自衛隊官舎の居住権者の意思も、住居の事実上の平穏を侵害するような   ことのない態様でなされた憲法上保障された表現の自由の行使としての本件被告人らの自衛隊官舎へのポスティングのための同官舎の階段・通路への立入行為については内在的制約を受け、例えその立入行為が居住権者の意思に反したとしても、被告人らの立入行為は住居侵入罪の「侵入」には該当せず無罪となる。

(5) なお、国学院大学の安達光治氏は、本件事件で被告人らの立ち入ったのは共用ス   ペ−スであり、そこは各居住者の完全なプライベ−トな領域ではなく、むしろパブリックな領域というべきであるから、個々の居住者の主観的な承諾意思は問題とならず、居住者の立ち入りの承諾意思は管理権者の管理権に代表されることになるが、本件のような表現活動は憲法上特に手厚い保護を受けるのであるから、管理権はその限度で内在的制約を受け、本件のような平穏な態様の表現活動に対しては、管理権侵害は問題とならない、すなわち、住居侵入罪の「侵入」には該当しないとしている(法学セミナ−2004年8月号・安達光治「事件の刑事法的問題〜「住居」の管理権とその限界」)。

5 居住者の総意によらない立入禁止の掲示物では意思に反する立入行為とはならない

(1) 自衛隊官舎の階段・通路部分は住居の一部と解されるものであるから、同官舎に居住する自衛隊員だけでなく家族全員も含む数百人にも及ぶ複数の居住権者が共同で使用している共用スペ−スにあたる場所である。

(2) ところで、前述した立入禁止の掲示物は、本件自衛隊官舎の1号棟ないし4号棟   の管理している航空自衛隊第1補給処立川支処長業務科長を補佐している航空自衛隊第1補給処立川支処業務科長豊川一生と、同官舎の4号棟ないし8号棟と自衛隊官舎の敷地を管理している陸上自衛隊東立川駐屯地業務隊長赤塚昭美を補佐している陸上自衛隊東立川駐屯地業務隊厚生科長浅霧修の意思に基づいて設置されたものであって、本件自衛隊官舎に居住する自衛隊員だけでなくその家族も含む居住権者の総意によって設置されたものではない。
 立入禁止の掲示板が自衛隊官舎に居住する居住者の話し合いやその総意で設置されたものでないことは、3号棟341号室に居住していた航空医学実験隊に所属する航空自衛官及川範夫も認めるところである(45頁)。

(3) 本件のような住居の一部にあたる集合住宅の階段・通路部分の立入についての承   諾を拒絶できる権利は、その立入行為によって現実的に住居の平穏を侵害される恐れのある個々の居住者にあるのであって、管理者において行使できるものではない。
 すなわち、自衛隊官舎に居住する自衛隊員だけでなくその年少の幼児・児童を除いた家族全員も含む数百人にも及ぶ居住者がその承諾権を持つのである。
 そして、居住者のうち一人でもポスティングのための階段・通路部分への立入りを承諾する者がいれば、言葉を変えれば、本件自衛隊官舎の全居住者がその立入りを拒絶する意思を有しなければ、本件自衛隊官舎の階段・通路部分への立入行為は、住居侵入罪の「侵入」に該当しないことになるのである。

(4) 本件のような階段・通路部分の共有部分の立入行為の承諾権について、学説では   十分に論議がなされてないようであるが、伊東研祐氏は、「特段の取りきめが存しない限りは、非個室部分・共用部分についての各々の支配・管理は相互に謂わば排他性を有しなくなる、といえよう。このような場合、非個室部分・共用部分への一方の同意ある立入りは、他方が明示的に拒否したとしても、『侵入』には該たらないことになる。」(伊東研祐・現代刑法と刑法各論第一分冊118頁)と述べている。

(5) よって、自衛隊官舎に居住する自衛隊員だけでなくその年少の幼児・児童を除い   た家族全員も含む数百人の居住者全員が、ポスティングのための自衛隊官舎の階段・通路部分への立入行為を拒絶しているとは到底考えられない本件事案においては、被告人らの本件立入行為は、住居侵入罪の「侵入」には該当しない。

6 及川範夫らの被告人大洞らへの「注意」は住居侵入罪の成否に影響を及ぼさない

(1) 2004年1月17日の被告人らのポスティングについては、被告人大洞は3号   棟中央階段の出入口付近で3号棟341号室に居住する航空医学実験隊に所属する航空自衛官及川範夫から、「こういうものをまかれると困る」(第4回大洞・2頁)と、被告人大西は5号棟東側階段の通路で5号棟541号室に居住する航空自衛隊立川分屯基地第1補給処立川支処業務課に勤務する航空自衛官高橋祐司から、「管理者から警察に通報しろというふうに言われている」、「まいたビラを回収しろ」(第4回大西・1頁)と「注意」を受けている。

(2) 被告人両名が、自衛隊官舎に居住する住居権者の及川範夫及び高橋祐司から前記   のような「注意」を受けたのは、前年12月19日及び同月26日に、自衛隊によって「最近、自衛隊のイラク復興支援に対し、反自衛隊的内容のビラが宿舎の郵便ポストに投入されておりますが、今後、このようなビラの投入又は配布している者を見かけた場合は、直ちに『110番』通報するとともに東立川駐屯地にご連絡ください。」等と書かれた「反自衛隊的内容のビラ投入等に対する処置について(依頼)」と題するビラ(甲376、377号証)が自衛隊官舎にまかれたため、航空自衛官である及川範夫らがその命令に従って行動したものと思われる(第6回大西・9頁)。
 及川範夫らのこれらの「注意」は、その上司からの前記ビラの命令に従ったものであって、これらの注意から、同人らが真意として自衛官官舎の階段・通路部分への被告人らの立入行為を拒絶する意思を有していたかどうかは大いに疑問が残るところである。

(3) しかし、仮に自衛隊官舎に居住する住居権者の及川範夫及び高橋祐司が、被告人   らの自衛官官舎の階段・通路部分への立入行為を拒絶する意思を有していても、前述したように、自衛隊官舎の数百人にも及ぶ居住者全員が、ポスティングのための自衛隊官舎の階段・通路部分への立入行為を拒絶しているとは到底考えられない。
 よって、本件自衛隊官舎の居住者の一部に同官舎の階段・通路部分への立入を拒絶している者がいたとしても、被告人らの立入行為は、住居侵入罪の「侵入」には該当しない。

7 階段・通路部分を住居と認める裁判例と本件事案

 最高裁判所には、集合住宅の階段・通路部分について「住居」に含まれるとする   判例は存在しないが、下級審では、々島高等裁判所昭和51年4月1日判決(高集29巻2号240頁)や、¬掌轍姐眦裁判所平成8年3月5日判決(判例時報1575号148頁)のように、「住居」に含まれるとし、集合住宅の階段・通路部分に立ち入った事案について住居侵入罪と解するものが存在する。
しかし、,虜枷塾磴蓮中核派の構成員が内ゲバなどで対立抗争を繰り返してい   る対立党派である革マルの病院に入院している構成員の動静をうかがうため、1、2階が貸店舗、貸事務所等、3、4、5階が住居として利用され、屋上は子供の遊び場、物干し場として利用されている雑居ビルの階段通路を通って屋上に侵入した事案であり、△虜枷塾磴蓮▲ウム真理教出家信者が、他の信者と共謀し、教団から脱会しようとして行方をくらました女性医師を教団施設に連れ戻すため、同女の実家を監視する目的で、約10日間ほぼ連日昼夜にわたり、近隣の共同住宅の1階出入口からエレベーターを利用して14階外階段踊り場まで繰り返し立ち入った事案であり、憲法上保障された表現の自由の行使として、自衛隊のイラク派兵反対を自衛隊員やその家族に訴えかけるため自衛隊官舎へのポスティングのための同官舎の階段・通路部分へ立ち入った本件とは、その目的・態様において全く事案を異にするものである。
 したがって、ゝ擇唏△硫宍蘓海虜枷塾磴ら、本件事案において住居侵入罪の成   立を認めることは許されない。

第7 違法性の認識の不存在

1 被告人らには、違法性の認識がない

 被告人らがビラ入れのために本件自衛隊官舎敷地内に立ち入ったのは事実であるが、以下に述べるように、立入行為が違法であるという認識は全くなかった。

2 社会的に広く行われているポスティング

奥平証人が述べたように、現在の日本はビラ社会である。毎朝、新聞には大量の折込広告が入っているが、それ以外にも様々なビラが各家庭に配られている。本件自衛隊官舎に居住している浅霧証人も、チラシの数がものすごく多いと証言している(61頁)。配布された者にとって、関心のないビラは単なるゴミにすぎず、邪魔であり、配布されること自体が迷惑である。
 マンションなどには「ビラ入れお断り」の掲示があるところも多い。しかし、そのような掲示があるにもかかわらず、日常的に集合ポストやドアポストにビラが投函されているのが現実である。派遣アルバイトでポスティングをしたことがある被告人高田が述べているように、貼り紙を見てポスティングをいちいちやめていたら、商売としても成り立たないし、依頼主からなるべくドアポストの入れてくれと言われる場合もある(第5回大洞・21頁、第6回大西・14頁、第6回高田・20〜21頁)。
 我々は、このような社会に生活しているのであって、「立入禁止」や「ビラ入れお断り」などの掲示があるにもかかわらず、敷地内に立ち入ってビラを配布した者がいたからといって、誰も配布した人間が住居侵入したとは考えないし、配布する側にも住居侵入という意識はない。ちなみに、及川証人は、最初は、本件ビラ入れで被告人らが当然刑事罰を受けるとは感じなかったと証言している(42頁)。スピード違反もありふれた行為であり摘発された者は「他の人もやっているのに、なぜ自分だけが摘発されるのか」と自己の不運を嘆くが、少なくとも交通法規に違反したという意識はある。これに対し、ポスティングはそのような意識さえないのである。

3 自衛隊も行っているポスティング

 検察側証人らは、本件ビラ入れが不愉快、迷惑だったことを強調する。
 しかし、自衛隊も、以下に述べるように自衛隊員募集などのビラのポスティングを行っている。
山内敏弘・龍谷大学法学部教授は、2004年7月28日、京都市伏見区のアパートの集合ポストに自衛隊員募集のチラシ(山内調書添付)が投函されているのを見つけた旨証言している。
重松朋宏・国立市会議員の国立市のアパート1階集合ポストには、2003年10〜12月、及び、2004年3月下旬の2回にわたって、自衛隊員募集のビラが投函されていた(第6回大西・14〜15頁)。
石埼学・亜細亜大法学部助教授の昭島市のマンション1階集合ポストには、2004年4月15日、自衛隊員募集のビラが投函されていた(第6回大西・115〜17頁)。
上記3例は氷山の一角であり、自衛隊もさかんにポスティングを行っていることは明らかである。このことは、ポスティングが社会的に広く行われ、容認されていることを物語っている。
 自衛隊は、本件ビラ入れ目的の敷地内立入行為について被害届を出すとともに住民に対して見かけた場合には110番するように指示しておきながら、一方では自衛官募集のポスティングを行っていることについて、被告人らが矛盾を感じるのは当然である(第6回大西・17頁、山内・1〜2頁)。

4 20年来継続的に行われてきたポスティング
 
テント村は、1976年10月から1984年7月まで(第1号から93号まで)「積乱雲」という自衛隊員向けの新聞を毎月1回発行して自衛隊員に配布していたが、本件自衛隊官舎のドアポストに入れるという方法もとっていた(弁37号証の4枚目「『積乱雲』の配布」参照)。しかし、自衛隊や住民などから抗議や注意などを受けたことは一度もなかった。1979年ころからテント村のメンバーとなった被告人大洞は「積乱雲」の配布に数年間携わっていた(第5回大洞・9頁)。被告人大西と被告人高田がテント村に関与するようになったのは、「積乱雲」のポスティングが終了した後であるが、他のメンバーから「積乱雲」のポスティングでは何も問題はなかったことを聞いて知っていた。
 テント村では、本件ビラ以外にも、ここ数年間、不定期ではあるが、本件自衛隊官舎へのポスティングを行っており、被告人大洞はこれに関与していた(第5回大洞・17〜18頁)。
 1992年に結成された「自衛隊の海外派兵に反対する立川市民の会」は、同年11月から1998年9月にかけて「STOP!海外派兵」というニュースを36回にわたって発行し本件自衛隊官舎に配布したが、その方法もやはりドアポストに入れるというものであり、テント村のメンバーも個人的に「STOP!ストップ海外派兵」の配布に関わっていた(第5回大洞・8〜10頁)。被告人らは、「STOP!海外派兵」のポスティングでも何も問題は生じなかったことを自らの経験で、あるいは他の人から聞いた知識として、知っていた(大沢・5頁)。
 これらのポスティングに対し、住民から止めるようにという注意を受けたことは一度もなかったし、自衛隊からの注意や抗議、警告などもなかった。立川警察署などから、ポスティングは住居侵入に該当するなどという警告を受けたこともなかった(第5回大洞・36頁)。
イラク派兵に反対する反戦ビラのポスティングは2003年10月から始まっており、2004年1月17日のポスティングは4回目であったが、それ以前の3回について、住民や自衛隊からの注意などもなければ、警察からの警告もなかった。
 自衛隊官舎へのポスティングは、長年にわたって、全国各地で、様々な市民団体等によって行われているが、住居侵入として問題になったことは一度もなかった。「世界」2003年11月号の「自衛隊員の命は国家の『捨て駒』か」(吉田敏浩)という記事では、「自衛官−市民ホットライン」が2003年7月ころ、横須賀市内の自衛隊官舎2400世帯にアンケート用紙のポスティングを行ったことが報道されているが、ポスティングが問題となったような記載は全くない。
 ポスティングが社会的に広く行われているありふれた行為であること、本件自衛隊官舎へのポスティングも20年以上にわたって断続的に行われていたが何らの問題もなかったことから、被告人らは、本件自衛隊官舎へのポスティングが住居侵入に該当するなどという認識は全くなかったし、違法であると認識する可能性もなかった(第5回大洞・17頁、第6回高田・15頁)。

5 1月17日のポスティング

 1月17日のポスティングでは、被告人ら3名はフェンスの掲示板に気付いていない。大西被告は、住民から「注意」された際に、1階階段入口の掲示板を示されて、立入禁止の貼り紙があることに初めて気がついた。大洞被告は、配布の途中で貼り紙に気付いている。
 しかし、このような貼り紙は、多くのマンションなどでもよく見かけるものであり、これを無視して立ち入ったことが住居侵入になるなどという認識は生じなかった(第5回大洞・22頁)。

6 2月22日のポスティング

 1月17日のポスティング後の会議で、住民から「注意」されたことが話題になったことはあるが、住民からの「注意」は個人的なものであり、自衛隊からの抗議や警告などは全くなかったために、テント村はポスティングを継続することとして、2月22日のポスティングを行った。自衛隊にとって、本当にビラ入れが困るのであれば、ビラ入れを止めるようにテント村に抗議や警告をしてくるだろうと考えるのは自然であって(ビラには住所、電話番号、メール・アドレスが記載されており、連絡は容易であった)、被告人らには、2月のポスティングにあたっても、立入行為が住居侵入に該当するという認識はなかった(第5回大洞・22〜23頁、第6回大西・12頁、第6回高田・14頁)。

7 小括

以上述べたように、被告人らにはポスティングのために立ち入る行為が住居侵入に該当するという認識はなかったのであって、違法性の認識は全くなかった。

第8 可罰的違法性の不存在

1 藤木英雄教授の見解

 藤木教授は、「わたくしが主張している可罰的違法性の理論とは、刑罰法規の構成要件に該当する形式外観をそなえているように見える行為であっても、その行為がその犯罪類型において処罰に値すると予想している程度の実質的違法性を備えていないときは、定型性を欠き、犯罪構成要件にはあたらないのだということを認めていこうとするものである。換言すれば、構成要件該当性、定型性と言うときには、形式的・外形的判断に留まらず、その罪において予想される、あるいはその罪として処罰に値するだけの定型的な実質的違法性−違法の軽重という量的意味のみならず、法益保護の目的からみた質的面を含めて−をそなえていることが前提とされていると解すべきだ、という主張である。」と述べているが、可罰的違法性の理論は人によって理解が違うと述べている(「可罰的違法性」9頁)。
 学問的にどの学説が正しいのかを検討してもさほど意味があるとも思えず、とりあえずの理解としては藤木説で充分であり、実務的には、可罰的違法性の理論を取り入れた判例がどのような要素に注目しているかを検討することの方が有意義である。

2 前田雅英教授による判例の分析

 前田教授は、判断の基礎となる事情をどう構成するかという観点から、判例を分析し、以下の5つの類型に分けている。
 〃覯漫手段の軽微性
◆〔榲の正当性、手段の相当性
 目的の正当性、手段の相当性、軽微性
ぁ〔榲の正当性、手段の相当性、軽微性、法益衡量、必要性
ァ―般の事情
 その上で、前田教授は、「絶対的軽微性の,函⊂なくとも行為の正当性を要件として要求する◆践イ離哀襦璽廚吠けることができる。前者は、少なくとも表面上は、目的、手段などを考慮せず、単に処罰に値する程度の法益侵害があるか否かが問題となり、後者は、処罰に値する程度の法益侵害行為の存在は否定し得ないが、行為が一定の価値を担っていることを中心に諸般の事情を加味することにより処罰を否定するものと言ってよく、相対的軽微型と呼べる。その差異を強調して表現すれば、処罰に値する程度の法益侵害の有無の判断と、法益侵害の存在を前提として利益衡量を行った結果としての処罰に値するか否かの判断である」旨述べている(「可罰的違法性論の研究」436〜7頁)。
 以下、本件について、上記要素を検討する。

3 結果・手段の軽微性

 検察側証人らは、本件ビラについて、反自衛隊的であり、不愉快であるとか、迷惑であるとか証言した。しかし、本件ビラが訴えているのは、自衛隊のイラク派兵反対であり、その対象は派遣を決定した政府の方針であり、自衛隊を批判しているのではない。このことは浅霧証人も認めている(39頁)
仮に、本件ビラを読んだ自衛隊員やその家族が、本件ビラが自衛隊を批判しているものと受け取った場合、勤務先の自衛隊を批判されるのは決して気持のいいものではなく、本件ビラに対し、不愉快に感じることは理解できる。しかし、本件立入行為当時、自衛隊のイラク派遣についての国論は二分されており、多くのマスコミで、自衛隊派遣の問題性や危険性については、それ以前から繰り返し報道されていた。本件ビラの内容はマスコミ報道と同様であって、本件ビラが特異な主張をしていた訳ではない。ビラの内容も、もう一緒に考え直してみようという論調のもので、威圧的とか、威嚇的とかというものではないし、自衛隊や自衛隊員を愚弄したり嘲笑したりするものでもない。
 ビラの内容が不愉快であったとしても、それは個人的な感情の問題であって、住居侵入の保護法益とされている生活の平穏の侵害とは全く関係ない。読みたくない人にとって、ドアポストに入っていたビラは単なるゴミにすぎない。面倒かもしれないが、嫌な人は捨てればいいのである。浅霧証人は、「多くの人は捨てています」と証言している(47頁)。
 被告人らの立入行為は、外形的には、商業ビラ配布のための立入行為と何ら変わるところはなく、午前11時30分ころから午前12時ころまでという昼間であり、時間的にも約30分間である。
確かに、1月17日には、被告人大洞と大西は住民から「注意」を受けている。しかし、2人についても、住居の平穏が侵害されたから「注意」したとは考えられず、上から言われていたから「注意」したものとしか考えられない。及川証人は、ビラ投函が禁止事項であることしか言ってないし(9〜11頁)、被告人大西に「注意」した住民も自分自身が迷惑だとは言わずに、管理人から注意するように言われている旨述べている(大西第6回・21頁)。住民と接触した際の被告人らの態度も極めて常識的である。即ち、及川証人は、被告人大洞に威圧感を感じたり、怖いと感じたことはないと証言している(50頁)。回収するように言われた被告人大西は、素直に従って、当該階段で配布したビラについては回収している。両人の対応にはなるべくトラブルを引き起こしたくないという態度が窺われる。
 以上のことを考えると、住居の平穏という法益が侵害されたとは言えないし、仮に、何らかの法益侵害があったとしても、それは極めて軽微であり、刑事罰をもって臨まなければならないようなものではない(2004年3月5日付朝日新聞 弁75号証)。
 
4 目的の正当性

 立入行為の目的はビラ配布であり、このビラ配布の目的は、自衛隊のイラク派兵に対する反対の意思を表明するとともに自衛隊関係者にも共に考えることを訴えることにあり、憲法21条によって保障された表現の自由の正当な行使である。そして、表現の自由の中でも、政治的表現は最大限尊重されるべきものである(奥平・3〜4頁)。

5 手段の相当性

 被告人らの立入行為は、フェンスなどを乗り越えたものでもなければ、閉ざされていた門扉をこじ開けて入ったものでもない。ましてや、室内にまで立ち入ったものでもない。
 本件自衛隊官舎1〜8号棟部分は、金網フェンスで囲まれてはいるものの、門扉は存在せず、出入口は8ヶ所あり(幅約6〜9m、甲264号証の現場見取図2参照)、出入りを監視する者もおらず、自由に出入りできる。
 ポスティングのための団地やマンション敷地内への立入行為は、商業的宣伝活動の目的で、宅配ピザや寿司や不動産・個人ローン等の業者がチラシを配布するためや、自らの主義主張を広く知らせる目的で、政党や宗教団体等がビラを配布するために、日常的に行われており、社会的にみて相当なものであり、これが犯罪行為に該当するなどと考えるものはいない。
 本件自衛隊官舎も同様で、ビラ配布のために、いろいろな者が敷地内に立ち入っていることは、浅霧証言などから明らかである。
また、1〜8号棟東側とフェンスの間の部分は通学・通勤などの通路として利用されている。即ち、本件自衛隊官舎東側道路は、8号棟より北の道路には歩道があるが1〜8号棟東側道路には歩道がないため、通学・通勤時に北側歩道から南下してきた小学生・中学生などは歩道から本件自衛隊官舎敷地内に入り込み、上記部分を通路として利用している(北上する場合には、敷地内の上記部分を抜けた上で歩道を利用している。)(高田・第6回10頁)。これらの者も住居侵入に該当するのであろうか。

6 法益衡量

被告人らの保護されるべき法益は、憲法上優越的地位が認められた表現の自由であり、とりわけ尊重されるべき政治的表現の自由である。これに対し、検察官は、本件立入行為により、本件自衛隊官舎に居住している個人の生活の平穏が侵害された旨主張する。
 しかし、本件立入行為は、宅配ピザや寿司などのビラ配布のための立入行為と外形的には何らの違いもない。立入行為自体は日常的なものであり、被告人らの立入行為を見た者が、生活の平穏が侵害されたと感じるということはおよそ考えられない。
 プライベートな空間を強調する者もいる(及川・31頁)。ドアポストへの投函の際に、ポスティングの音に気付き、何らかの思考や作業が中断されることはあり得る。しかし、そのようなことは、大音量の音楽、マイクによる商業宣伝・選挙演説、飛行機などの爆音などいくらでもあることで、多くの場合受忍せざるを得ないのである。
 検察官は、自衛隊の管理権も侵害された旨主張する(第1回公判調書)。自衛隊に宿舎管理権があることは否定しないが、それは、宿舎の維持管理、入居者の入退去手続、修繕修理などであり(浅霧・2頁)、管理権の中に、居住者の意思に無関係に、一律、全面的に敷地内への立入を禁止する権限まで含まれているとは考えられない。
 以上のことを考えると、政治的表現の自由がより尊重されるべきであることは明らかである。

7 必要性・緊急性

イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を隠匿しているとして、アメリカによって一方的に開始されたイラク戦争が国際法上も違法であること、イラク特措法による自衛隊のイラク派兵が日本国憲法に違反することが、泥沼化しているイラク情勢の中でますます明らかになっている今日、いつイラクに派兵されるかもしれない自衛官や家族に対し、自衛隊派兵に反対する市民の声を届け、自衛隊内部では接することのできない情報を提供し、一緒に考えていこうと呼びかけることは、平和主義を謳い、民主主義国家を掲げる憲法を持つ日本の市民にとって必要な行為であり、緊急性があるものであり、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(憲法12条)と定められている国民の憲法保持義務にもかなうものである。

8 小括

 本件では、結果・手段の軽微性が優に認定できる事案であり、絶対的軽微性類型の立場に立てば、その余の要素を検討するまでもなく、可罰的違法性はない。
仮に、立入行為による法益侵害があったとしても、その程度は軽微であること、一方、被告人らの保護されるべき法益は、憲法上優越的地位が認められた表現の自由、とりわけ尊重されるべき政治的表現の自由であること(目的の正当性)、手段の相当性、必要性・緊急性、法益衡量などを総合考慮すれば、相対的軽微性類型の立場であっても、可罰的違法性はない。

第9 公訴棄却

1 訴追裁量逸脱による公訴権濫用

検察官の訴追裁量は、刑事訴訟法248条の要件に基づく羈束裁量であり、起訴猶予裁量違反は公訴権の濫用として訴訟障害事由となるため、これを逸脱した公訴の提起は無効となると解されている。そして、 〔世蕕に犯罪の嫌疑が存在しないのに恣意的に公訴が提起された場合 ◆^貳未竜訴猶予の基準を著しく逸脱し、明らかに起訴猶予にすべき事案についてあえて公訴が提起された場合  検察官が憲法上保障されている人権を抑圧する目的で公訴を提起したと認められる場合 ぁ^稻〜楮困鯣爾辰疹豺腓覆匹蓮憲法の基本的人権尊重の精神に反し、刑事訴訟法1条の趣旨にも反することとなるから、これらを合理的な裁量権の限界と解するべきである。
 この観点からみるに、ビラ配布に伴う立入行為のような、形式的に法益侵害が存在するにせよ、きわめて軽微な侵害しかなく、しかも従来放置されてきた態様のものについて、逮捕・勾留、家宅捜索という強制捜査を行ったばかりでなく、さらに公訴を提起したことは本件は、表現行為の抑圧あるいは被告人らの所属団体の活動を抑制もしくは停止させることを目的とするものに他ならず、本件起訴は公訴権濫用にあたり、無効である。

2 政治的な意図に基づく起訴

 本件逮捕・勾留・起訴は、自衛隊のイラク派兵に反対するテント村の活動を抑圧するとともに、同じような活動をしている全国の多くの市民団体の活動をも抑圧しようという政治的な意図に基づいて行われたものである。2004年6月3日付毎日新聞(弁114号証)には、東京地検八王子支部・相澤恵一副部長の、今回の事件をきっかけに「ほかの団体の(違法な)活動を抑える犯罪予防の目的もある」との発言が報道されている。
 2004年3月5日付朝日新聞社説(弁74号証)は、「いきなり逮捕した上、事務所から手帳やパソコンを押収していくのはあまりにも乱暴だ」「逮捕すべき事件だったのか」と述べた上で、「自衛隊派遣に反対する内容のビラだったからこそ、逮捕に踏み切ったのだろう」と指摘している。
 この指摘は、 )楫鐚衛隊官舎へのビラ入れは20年以上にわたって行われてきたが、従来一度も問題とされたことはなかったこと、◆.謄鵐搬式奮阿了毀叡賃里砲茲觴衛隊官舎へのビラ入れも同様であること、 飲食店や不動産のチラシが郵便受けに無断で入れられるのは日常茶飯事であるが、これについても摘発などはされていないこと、 ビラ入れ行為は、政治的なビラであろうと、商業的宣伝ビラであろうと、外形的には何ら変わりがなく、住居の平穏への侵害の点では何の違いも見いだせないこと、ァ)楫錺咼蕕函⊂Χ氾宣伝ビラとの違いは、本件ビラがイラク派兵に反対するものであったのに対し、商業的宣伝ビラは自衛隊とは無関係な内容であること、を考えれば、上記指摘は、まさに本件の本質を的確に指摘している。

3 自衛隊の狙いは反戦ビラ

 フェンスの掲示板や階段1階に貼られた貼り紙は、立入やビラ配布を一般的に禁止する体裁をとっている。この点について、浅霧証人、豊川証人は、いずれもピザ屋やすし屋などが入って来るのも阻止するという意図があったと証言している(浅霧・61頁、豊川・46頁)。しかし、これまで、ピザ屋やすし屋などのポスティングが問題となったことはなく放置されていたのであり(豊川46〜47頁)、2003年12月時点で、一般的に立入りやビラ配布を禁止する掲示をしなければならない事情は全くなかった。
 一般的体裁はとっているもの、立入りやビラ配布禁止の対象が反戦ビラであったことは、 。害鵑糧神錺咼蘿柯杆紊法反戦ビラ対策として掲示したこと(浅霧・8頁、豊川・5頁)、◆ 嵌深衛隊的内容のビラ投入等に対する処置について(依頼)」(甲376、377号証)は、文字通り反自衛隊的のビラのみを問題としていること、 「宿舎の安全対策について」(甲376号証)には「イラク問題に関連して、駐屯地は、宿舎地域を含め巡察を強化しています。」との記載があること、から明らかである。

4 警視庁公安部主導で行われた捜査

 本件捜査が警視庁公安部主導のもとに行われたことは、検察官請求証拠の作成者を見れば明らかである。
 防衛庁契約本部及び同技術研究本部からの被害届(甲3、4号証)の受理者である小林茂夫は、警視庁公安部公安第二課所属で、本件捜査にために立川警察署に派遣されたものである(なお、航空自衛隊及び陸上自衛隊からの被害届(甲1、2号証)の受理者は立川警察署の伊藤修司で、「係」欄は「公2」となっているが、これは公安2課ないし2係所属を意味している。)。
 警視庁公安部公安第2課所属で、本件捜査のために立川警察署に派遣されて、領置調書や員面調書を作成したのは、以下の15名である。
 _山忠広(甲7、9、11、13、15、17、65、67、352、356、358の領置調書、280、282、289、290の員面調書)
◆〔師潤一(甲19、21、23、25、27、338、340、342の領置調書、274、276、278の員面調書、)
 小林茂夫(甲29、33、35、37、233、360、362、364の領置調書、328の員面調書、同人は被告人大西の取調を担当)
ぁ[詭斂(甲31の領置調書、235、279、306、307、323、325の員面調書)
ァ〆監O孫(甲39、41、43、45、47、51、53、55、57,59、61、63、344、346、348の領置調書、245、251、274、299、300、304、308、309、313、314、315、320、324、331、332、333の員面調書)
Α‥亙嬪痢聞達僑后■沓海領涼崢棺顱■横牽魁■横牽粥■横牽犬琉面調書)
А[詭攵 聞達沓院■沓機■械毅阿領涼崢棺顱■横牽供■械横兇琉面調書)
─^羝重美(甲113、115、117、119、121、123、227、229、231の領置調書、281の員面調書、同人は被告人大洞の取調を担当)
 鈴木清二(甲125、127、129、131、133、135、137、139、141、143、239、241の領置調書、301、327、330の員面調書)
 武市勲(甲237の領置調書、298、303、305の員面調書)
 小野寺清治(甲247の領置調書、321の員面調書)
 加治俊之(甲249の領置調書、318、322の員面調書
 丹征行(甲253の領置調書、285、287の員面調書)
 木村才二(甲296、316、317、319、329の員面調書)
 橋本昇平(甲354の領置調書)

 実況見分調書(甲264号証)の作成者は丹征行であり、渡邉洋、佐藤和広、武市勲、鈴木稔、鈴木清二が補助者などである。
 禁止事項表示板等掲出状況報告書(甲265号証)の作成者は渡辺洋である。
資料複製報告書(甲369、370号証)及び証拠品分析結果報告書(甲375号証)の作成者は鈴木清二、資料入手報告書(甲371、372号証)の作成者は渡辺洋である。
 捜索押収も公安第2課である。押収品目録交付書の作成者は、海老澤忠義(弁101号証)、高木正躬(弁102号証)、高橋秀昭(弁103号証)、河村忠志(弁105号証)、堀田正博(弁106号証)であり、いずれも公安第2課所属である。弁104号証は氏名が判読できないが公安第2課所属である。本件では6ヶ所の捜索が行われたが、公安第2課主導であったことは明らかである。
 各書類の作成者を見ても警視庁公安第2課の者は20名になるのであって、警視庁公安部公安第2課が、本件の主たる捜査を担っていたことは明らかである。
 本件立入行為が住居の平穏を侵害したために逮捕に踏み切ったのであり、本件ビラの内容は無関係であるというのであれば、所轄の立川警察署が捜査すればすむことであり、警視庁公安部が本件捜査に乗り出す必要は全くない。
 本件公判期日の始まる前に、被告人らは、裁判所前でのマイク情宣や、近くの公園での集会を行っているが、いつも10名前後の公安第2課の私服刑事(被告人らを取り調べた警察官も参加)が監視している。
 公安第2課が主たる捜査を行ったということは、本件ビラの内容を問題としていた上で、テント村の活動などを解明し、かつ、その活動を抑圧しようとしていたことを物語っている。
 なお、現在、本件以外に、表現の自由に関するもう一つの重要な裁判が進行している。日本共産党機関誌「赤旗」号外を配布した社会保険庁職員が、国家公務員の政治的行為を禁止した国家公務員法102条違反で逮捕・起訴された事件である。この件は罪名は異なるが、いずれもビラ配りが問題となっており、現行犯逮捕ではなく令状逮捕であったこと、団体事務所も含めて6ヶ所の家宅捜索が行われたことなど、共通点が多い。2004年3月3日付読売新聞・日本経済新聞の各夕刊によれば、逮捕したのは警視庁公安部であり(同日付毎日新聞夕刊では警視庁公安部と月島署)、この点でも本件と共通している。
 本件や上記国家公務員法違反事件は、警察(特に公安部)や検察が、治安維持法がなくても、一般法を利用して、政治的目的を持った行為を取り締まろうとしている兆候ではないかという奥平証言(25〜26頁)が単なる危惧とは言えない時代を迎えつつあることを示している。

5 警察主導で提出された被害届

 航空自衛隊などが最初に被害届を出したのは、2003年12月13日のポスティングについてである。浅霧証言によれば、 .ぅ薀への自衛隊派遣が決まりつつある状況で警備強化のために、立川警察署の警察官と思われる者が自衛隊に来た、◆,修了点で警察官はテント村のポスティングは知らなかったと思われるが、警察官から何かありますかという質問があり、ポスティングの話をしたところ、是非被害届と出してくれという話があった、 上司と相談したところ、被害届を提出しろという指示を受けた、ぁ“鏗夏呂老抻,作成しており、署名・押印すればいい状態になっており、警察官が自衛隊事務所まで被害届を持ってきたので署名押印して提出した(注)、ァ。横娃娃看1月17日のポスティングについての被害届も同様の経過である、とのことである(25〜26頁、53〜54頁)。
(注)浅霧証人の反対尋問の際、弁護人は、当然浅霧証人が立川警察署まで出向いて被害届を提出したものと考えていたが、豊川証人が「被害届の内容確認のために事務所まで来てもらった」と証言していること(29〜31頁)、浅霧証人の被害届の受理時間が午後2時00分で、豊川証人は午後2時30分であることを考えると、浅霧証人の場合も警察官が被害届用紙を事務所まで持参したことは明らかである(甲1、2号証)。

6 検察官によるビラの内容の問題視

 検察官は、本件公訴提起に際し、「反戦ビラが自衛隊関係者である住民に精神的脅威を与えた点にも言及した」(弁113号証 2004年3月20日付東京新聞)との報道がなされている。この報道によれば、本件公訴提起にあたっては、配布されたビラの内容が問題とされているのであり、まさに検察官は、表現の自由に対する侵害であることを自認している。
 2004年6月3日付毎日新聞(弁114号証)には、東京地検八王子支部・相澤恵一副部長の「例えば、宅配ピザのチラシなら、住民は歓迎するかもしれない。だが、居住者の意思に反し嫌がられる場合は、同じチラシ配りでも意味が違う」との発言が報道されており、やはりビラの内容が問題であったことを自認している。

7 個人攻撃とテント村解体を目的とした取調べ

 被告人らに対して、逮捕後起訴されるまでの20日余にわたって、連日6〜8時間にわたって行われた取調自体が、本件に関する強制捜査・起訴が、テント村に対する弾圧という政治的意図を持ったものであることを示している。
 被告人高田は、「二重人格のしたたか女」「立川の浮浪児」「寄生虫」などという人格攻撃や「ほかのやつらは、お前に責任をなすりつけようとしている」という友人らに対する誹謗中傷を受けただけでなく、「運動をやめて立川から出て行け」「運動をやめないと、立川の町をふらふら自転車で歩けないようにしてやる」などと取調官から言われている(第6回高田・19頁)。
 被告人大西は、ビラ入れ行為とは無関係のことで長時間の取調を受け、「母親が介護保険を利用しているのは、義務を果たさずに権利ばかり主張している」「政府に反対するのなら北朝鮮に行け」などと言われている(第6回大西・18頁)。
 被告人大洞は、「家族や職場は心配ではないのか。このままでは首になるんじゃないか」とか、北朝鮮などを持ち出して、精神的に圧迫を加えるとともに、テント村の活動から手を引くように言われている(第5回大洞・24頁)。また、被告人大洞は、検察官から、全国の自衛隊官舎への他の市民団体による反戦チラシの配布が、本件により、増えたのか、減ったのかを調べてみれば面白いだろうと言われている(第5回大洞・25〜26頁)。検察官の発言は、本件逮捕・勾留による他の市民団体への萎縮効果を充分に意識したものであることは明らかである。
 被告人らの逮捕と同時に行われた家宅捜索では、立会人が抗議したにもかかわらず、第三者の住所録など個人情報が多数入ったパソコンや他団体の発行物、集会資料などが、広汎に押収された。これらの殆どが、本件公訴事実とは関係のないものである(第6回高田・18頁)。このことからみても、捜索の目的が、ビラの発行主体であるテント村とその周辺の動向を調査し、最終的には、運動に介入してその活動を抑圧することにあったのは、明らかである。
 本件公訴提起は、これら違法・不当な強制捜査に基づいてなされたものなのである。

8 小括

 本件公訴提起は、表現の自由をきわめて強度かつ広汎に侵害するだけでなく、テント村に対する弾圧を目的とするものであるから、憲法21条に違反して違憲かつ違法と言わざるをえず、公訴提起における検察官の裁量の枠を逸脱したものとして、公訴権の濫用にあたる。
 裁判所は、刑事訴訟法338条4号により、公訴棄却の判決を下すべきである。

第10 結びにかえて

民主主義の根幹をなすのは立憲主義である。そこでは議会の多数派、あるいは住民の多数派によって選出された首長が立憲主義の制約を無視して暴走する場合に、裁判所によってこれを制御する方法が講じられている。立法、もしくは行政が暴走を始めた場合に、司法が憲法第81条、違憲立法審査権に基づき制動を掛けることが予定されているのである。
2004年9月8日、中米コスタリカの最高裁憲法法廷は、7人の裁判官全員一致で、同国政府が米国によるイラク攻撃を支持したことは、軍隊の保有を禁じ、非武装中立政策を根幹とするコスタリカ憲法及び国連憲章などに反すると判断し、コスタリカ政府に米国の「有志連合」リストから同国を削除するよう米国政府に求めることを命じた(2004年9月9日付朝日新聞夕刊)。この判決の契機となった最初の提訴者、コスタリカ大学法学部の学生は、「(この判決によって)今の政府は信用を失うかもしれないが、コスタリカの人々は世界の信用を取り戻すことになると思う」と述べたという(2004年9月16日付朝日新聞朝刊)。
米国によるイラクに対する先制・予防攻撃が国連憲章第51条に違反するものであり、世界における「法の支配」を破壊するものであったことは、アナン国連事務総長らによって厳しく指弾されているとおりである。
米国が開戦(攻撃)の理由としたイラクにおける大量破壊兵器については、パウエル米国務長官自身がこれを発見することはできないと認めざるを得なくなっている。そして毎日多数の人が殺されているイラク情勢はますます混迷を深めている。新聞報道によれば、「開戦」以降1万5千人以上のイラク民間人の犠牲者が出ており、米軍の死者も1100人を突破したという(2004年10月20日付朝日新聞夕刊)。2004年10月24日付東京新聞朝刊は「宿営地着弾 安全神話、既に崩壊 サマワ攻撃続発、対象も拡大」という見出しで陸上自衛隊が駐留しているイラク南部サマワでも2004年に入って、自衛隊やオランダ軍部隊への攻撃が続き、陸上自衛隊宿舎近くに砲弾が撃ち込まれており、オランダ政府は2005年3月までの駐留期間を延長せず、イラクから撤退する方針を決定している旨報じている。
しかし、本年10月31日、イラクで人質として拘束されていた香田証生さんが殺されるという痛ましい事件が起き、翌月1日には、サマワの自衛隊基地にロケット弾が着弾し、施設に被害が生じるという事態に陥ったにもかかわらず、日本政府は、自衛隊の撤退について、真剣な検討を行う姿勢がない。
「日米同盟」の呪縛の下、米国のイラク攻撃をいち早く支持し、日本を「東洋の英国」としてしまった小泉首相の責任は免れない。もはや「(大量破壊兵器が)見つからないからといって、ないとは限らない」などと鉄面皮な言い逃れをすることは許されない。民主党の井上和雄議員の質問主意書に対する政府答弁にも明らかなように、戦地イラクで「人道支援」として水の浄化作業を行っている自衛隊は、2004年5月26日までに浄化した約8830トン水の約半分の4070トンを自家使用し、オランダ軍に対し420トンを供給し、イラクに対して給水したのは4340トンにすぎない。これがすでに300億円以上費やしているイラク「人道支援」の実態である。

 日本の司法は、立法、行政の暴走に対して制動を掛けることに極めて慎重であった。しかし、行政の暴走によって憲法の基本原理、立憲主義の根幹が脅かされようとしているとき、裁判所は国民から付託されたその権能を行使することをためらってはならない。
 日本国憲法施行後の1947年8月、文部省が中学校社会科の教科書として作成した「新しい憲法のはなし」は、司法について、「こんどの憲法で、ひじょうにかわったことを、一つ申しておきます。それは、裁判所は、國会でつくった法律が、憲法に合っているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし法律が、憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所は、たいへんおもい役目をすることになりました。
 みなさん、私たち國民は、國会を、じぶんの代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません。」と述べる。
 裁判所は憲法の人権条項については、これまで憲法第13条「幸福追求の権利」等を手がかりとして、「知る権利」「環境権」等々判例理論を創造的に発展させてきた。
ところが憲法第9条「安全保障問題」に関してはそうではなかった。その結果が現在進行している戦地イラクへの自衛隊の派遣、さらには「多国籍軍」への参加という違憲な事態の出現である。このような事態をもたらした原因は、遠く1959年12月16日の砂川事件最高裁大法廷判決に遡る。同判決が安全保障問題は「一見極めて明白に違憲無効」と認められない限り、司法審査の対象とならないと、いわゆる統治行為論を展開して以降、約半世紀に亘って同問題に関する司法審査が封印されてしまった。奇しくも本件被告らが所属する立川テント村の活動とも深い因縁を有する米軍(当時)立川基地拡張反対闘争に起因する砂川判決、すべての誤ちの出発点はここにあった。
最高裁砂川判決の問題点は、単に司法消極主義にあっただけではない。同判決は憲法第9条2項が保持を禁じているのは、日本が指令命令権を有する「軍隊」のことであり、外国の軍隊はこの限りではないとし、憲法前文中の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」を引用して日米安保条約を肯定し、「在日米軍」の存在を容認したのであった。砂川判決から約半世紀、当時の最高裁判事は、今日のような事態__国連憲章、国際法を無視した米国の先制予防攻撃に追随し、政府答弁、国会決議によってくり返し確認した「専守防衛」「海外派兵はしない」の定めを簡単に反古にしてしまう政府の態度__すなわち、憲法の条文は変わらないままに政治状況の変化だけで成文憲法がここまで変幻自在に解釈され、その結果「法の支配」が破壊されてしまうかを予測したであろうか。

 裁判官諸賢は、映画『ニュールンベルグ裁判』を視たことがあるであろうか。
 1945年5月8日、ベルリンが陥落し、ナチスドイツが降伏したとき、ドイツの第三帝国は完全に崩壊していた。戦後のドイツは、この第三帝国とは切断された国家として、ただし第三帝国の時代に犯された罪の責任は引き受けることで再出発した。ゲーリングらが裁かれたニュールンベルグ国際軍事法廷に続いて米軍によって司法界、経済界、医学界など12の分野においてニュールンベルグ継続裁判が行われた。
1961年に製作されたアメリカ映画『ニュールンベルグ裁判』は、この継続裁判のうち、ナチスに協力した裁判官、検察官らに見られる司法の戦争責任をテーマとしたものである。裁判長(アメリカの田舎の裁判所の判事出身)が、第三帝国時代の元裁判官、検察官らに対し有罪判決の言渡しをし、任務を終えて米国に戻る直前、請われてヤニング被告(ユダヤ人がアーリア人種と交わった場合に処罰されるとしたニュールンベルグ法によって無実のユダヤ人男性に死刑を言渡した高名な法学者、裁判官、当時のドイツ司法大臣がモデル)を個人的に訪問する場面があった。自分に対する有罪判決を当然なこととして受け入れたヤニングは、自分の担当した他の裁判の記録を裁判長に手渡しながら「私は(ナチスのやっていた本当のこと_600万人ものユダヤ人を虐殺した_を)知らなかったんだ。・・・信じて欲しい」と哀願するように述べる。この哀願に対し裁判長が即座に「ヤニング君、最初に無実の者を死刑にしたとき運命は決した」と言い放つ最終シーンが強烈だ。
 「初期においては些少で問題にしなくてもよいと思われる事態が既成事実となり積み上げられ、取り返し不能な状態に達する危険があることは歴史の教訓」(1997年愛媛玉ぐし料訴訟最高裁判決における、尾崎行信裁判官の意見)である。

 2004年4月7日、福岡地裁(亀川清長裁判長)が、小泉首相の靖国神社公式参拝を違憲とする判決をなしたが、その判決理由の末尾が素晴らしい。
「当裁判所は参拝の違憲性を判断しながらも、不法行為は成立しないと請求は棄却した。あえて参拝の違憲性について判断したことに関しても異論もあり得るとも考えられる。しかし、現行法では憲法第20条3項に反する行為があっても、その違憲性のみを訴訟で確認し、または行政訴訟で是正する方法もない。原告らも違憲性の確認を求めるための手段として、損害賠償請求訴訟の形を借りるほかなかった。」
「本件参拝は、靖国神社参拝の合憲性について十分な論議も経ないままなされ、その後も参拝が繰り返されてきたものである。こうした事情に鑑みるとき、裁判所が違憲性について判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高いと言うべきであり、当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え、前記の通り判示する。」
 憲法第81条によって国民から裁判所に負託された違憲立法審査権の意味を正しく理解し、その発動をなしたものといえよう。

 「立憲主義」「法の支配」の実現は、一人裁判所の責務だけではなく、国民が等しく負わなければならない責務であることはもちろんである。憲法第12条が、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。」と国民に対し、権利のための闘争の義務を課していることを忘れてはならない。
 被告人達による本件ビラ配布行為は、前述したように、自衛隊イラク派兵という政府の行為による「立憲主義」「法の支配」の破壊に抗して、また法の根拠なしにイラクに派兵されるおそれのある自衛隊員及びその家族に対して、「イラクに行くな、殺すな、殺されるな」と呼びかけ、イラク派兵の問題点を投げかけたものである。被告人らのこのような主張が特異なものでないことは、この問題をめぐって国論が二分され、本件で証人として登場した札幌、自衛隊イラク派兵違憲訴訟の原告となった箕輪登証言等にも明らかである。日本弁護士連合会も自衛隊のイラク派遣は、憲法上問題があるとして反対決議をなしている。朝日新聞社が2004年10月23、24日実施した全国世論調査によれば、同年12月に期限切れを迎えるイラクの自衛隊派兵をめぐり63%の人々が派兵延長に反対しており、また臨時国会の答弁において小泉首相が改めてイラク戦争を正当化したことについては、67%の人が納得できないと回答したという(2004年10月26日朝日新聞朝刊)。
被告人らの行為は、表現の自由、とりわけ民主主義社会で、最大限の尊重が必要とされる政府の政策を批判する「表現の自由」の行使であり、同時に憲法第12条に云う「権利のための闘争の義務」の履行でもある。

前述したように、裁判所が「憲法の番人」として国民から付託された憲法第81条「違憲立法審査権」の発動を躊躇したことによる行政の暴走が、「立憲主義」「法の支配」の破壊をもたらしているのであり、これに抗した被告らの行為を処罰の対象とするとき裁判所は二重の誤ちを犯すことになる。
 「ヤニング君、最初に無実の者を死刑にしたとき運命は決した」という、映画『ニュールンベルグ裁判』の末尾のシーンを思い起すべきである。
本件において被告らの表現行為を有罪にするとき「表現の自由」、とりわけ政府の政策を批判する「表現の自由」の運命は決するのであり、憲法に基づく「立憲主義」「法の支配」の運命が決することになるのでことを理解すべきである。
「表現の自由」が圧殺された暗黒社会、そこから私達が解放されて、たかだか60年しか経ていない。
戦地イラクへの自衛隊派兵後、日本国内ではどのような事態が進行しているか。「米国務副長官 9条・日米同盟の妨げ 国連安保理常任入り、改憲が条件に」(2004年7月22日付毎日新聞夕刊)。「軍需産業先細りで危機感? 武器輸出解禁、提言 経団連の真意」(2004年7月27日付東京新聞)、「防衛庁 敵基地攻撃力の保有検討 巡航ミサイルや軽空母、軍事合理性を優先、憲法・外交上の視点欠く」(2004年7月26日付朝日新聞朝刊)等々の報道がなされていることに気付かれただろうか。
日本に対して集団的自衛権の行使を認め、「改憲」せよと迫る米国、安保理常任理事国入りを悲願とする外務省、そのための自衛隊の海外派兵、「庁」から「省」への昇格を目論む防衛庁、「あれも欲しい、これも欲しい」という制服組、それが軍事合理性追求の行き着く先だ。いずれも「省(庁)益」しか考えていない。そして武器輸出、戦争に活路を見出そうとする経済界。これらの動きが互いに通底し合っていることに留意すべきである。
「──政府部門において、軍部と産業界の結合体が不当な勢力をにぎらないよう、われわれは注意しなければならない。意識して求めた勢力であろうと、なかろうと、問題外である。権力のそとにあるべきものが権力をにぎって、祖国に致命的な害を与える可能性は、現実に潜在しているし、これからもその危険性は去らないであろう。軍部と産業が手を結んで幅をきかせ、米国民のもつ自由と、民主的な慣行に脅威となるのを、許してはならないのである──」と米国アイゼンハワー大統領がその退任演説において産軍複合体の危険に警鐘を鳴らしたのは、約半世紀前の1961年1月17日のことであった。
アイゼンハワーの危惧が現実のものとなっているのがブッシュの米国だ。今日、米国経済は戦争なくしては成り立たない。日本の経済界も同じ轍を踏もうというのであろうか。
このような流れに歯止めをかけるためには「表現の自由」、とりわけ政治的批判の自由の保障、「法の支配」の復権、「立憲主義」の確立が不可欠であることを理解すべきである。
1972年、沖縄返還に際し「核抜き本土並み返還」の説明にもかかわらず他方で、有事に米軍が沖縄に核を置くことを認める密約があったことを毎日新聞の西山太吉記者がスクープした。西山記者はこのことを証する電文の写を外務省職員から入手したのだが、同記者はこの職員とともに国家公務員法違反(職務上知りえた秘密の漏洩)の共犯で起訴された。裁判では表現の自由、知る権利などが争点となり、一審は外務省職員有罪、西山記者無罪であったが、控訴審では2名とも有罪となり最高裁で確定した。この事件の一審において、弁護団長を務めた故・伊達秋雄弁護士は、その弁論の最後を「裁判官は憲法に殉じ法に殉ずるしかないのであります」と締めくくったという(『密約』澤地久枝・中公文庫)。
 1959年3月砂川事件一審判決において在日米軍は憲法第9条2項が保持を禁じている「戦力」にあたると明確に言い切った伊達秋雄元裁判長ならではの重さのある発言である。
 町田顕最高裁長官も2004年10月18日、新任裁判官辞令交付式において、裁判官の職務をなすにあたっては、「上級審の動向や裁判長の顔色ばかりをうかがっていてはならず自分の信念を貫かなくてはならない」と訓示したという(2004年10月19日付朝日新聞朝刊)。
憲法第76条3項に「すべて裁判官はその良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」とあるとおりである。

 被害届の作成過程から窺われるように、本件は公安警察の暴走による逮捕、勾留から始まった。この暴走をチェックすべき権能を与えられている検察庁はこれを起訴すべきではなかった。
仮に本件建物の居住者が被告らの本件ビラ配布行為に、若干の不安、不快感を抱いたことがあったとしても、それは政府の憲法秩序を破壊した行為、自衛隊のイラク派兵に起因するものであり、被告らの行為は刑事処罰をもって対処すべきような事案ではない。自衛隊が入隊勧誘ビラを各地においてマンションの郵便受けなどに投げ込んでいることも当然考慮されなければならない(山内証言)。
ところが、検察庁が本件ビラ配布という被告人らの表現行為を漫然と、しかも、本来「被害法益」を異にする住居侵入罪の容疑で起訴したことにより、裁判官諸賢は図らずも本件裁判に遭遇することになり、歴史的な判決を言渡すべき役割を担わされることになった。裁判官としての職務の持つ宿命といえよう。同じ法曹として私達弁護人も同様である。
私達弁護人は、被告人ら3名の名において、本件が発生するやその逮捕・勾留を非とする声明をいち早く挙げた法学者達、被告人らを「良心の囚人」と認定したアムネスティ・インターナショナルの人々及び本件裁判闘争を支えてくれている全国各地の人々の名において、そして、何よりも憲法及び法律の名において、裁判所に、歴史に耐え得る判決をなされることを希望する。
裁判官諸賢の識見、良心、そして勇気に期待する次第です。

以上

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【被告人最終意見陳述書】

■ 大西章寛

平成16年(わ)第488号

最終意見陳述

東京地方裁判所八王子支部刑事3部合議係御中
2004年11月4日

被 告 人   大 西 章 寛

1 全国から寄せられる励ましの声

今年の2月27日、私は、自衛隊官舎にビラ入れしたことが住居侵入罪であるとして突然、逮捕されました。75日間の勾留を経て、5月11日に保釈されましたが、保釈されて実感したことは、この事件に対して本当に多くの人々が関心を示し、注目しているという事実でした。
 私たち3人が逮捕された直後から、この事件の異常さに驚き、他人事ではないという気持ちで、多くの方々がカンパや保釈を要求する署名に協力してくれました。また、多くの市民団体や法学者、社会科学者等が抗議する声明を発しました。保釈されて以降は、こういった全国から支援してくれている方々と私は直接会い、私が受けた勾留の実態や、この事件についての当事者としての感想をお話する機会に恵まれました。
 7月に医療労働者の集まりに呼ばれてお話した際には、「自分たちもいつ逮捕されてもおかしくない」「自分が逮捕されたときにはどうしたらいいのか」という声をたくさん聞きました。また、大阪の集会で報告した際には、集会のパネリストであった弁護士、社会学者、ジャーナリストの方々は「法の支配が揺らぎ、秩序による支配が台頭している」と指摘していました。また、8月にはイラクで人質となったジャーナリストの安田純平さんとも、ともに講演をしました。イラクで3日間拘束された安田さんですら、ただビラをまいたというだけで75日間も勾留された事実に対して非常に驚いていました。さらに10月には、長野県の松本でもこの事件の報告をしましたが、そこでは「日本国内も、もう一つの戦場になりつつある」という声を聞きました。また、この事件を知った全国の方から手紙やメール等で私たちへの励ましやこの事件についてのご意見を数多くいただきました。以下に、そのいくつかを紹介します。
「今の政府にはほとほと呆れています。私は激怒しています。共に頑張りましょう」。
「このことを知って、ついに日本もここまできたかと思い、戦時体制づくりが始まったと思いました」。
「もの言えぬ世の中になっているようで怒りと不安を感じます。自衛隊のイラク派兵は明らかに憲法違反です。私も自分でできる範囲で少しずつ行動していきたいと思っています」。
「自衛隊官舎へのビラ入れへの不当な逮捕等に不安と怒りをもち、激励のカンパを送金することにしました。こんなことが許される社会をつくってはいけないと尽々思います。戦争ができる国家というのはこういうことを行うのだと痛感しています」。
「あまりにも露骨で不当な人権侵害で時代の指し示す方向性の象徴のようです」。
「こんな戦争中のような弾圧を許すことはできません。微力ですが、支援し連帯します」。
「現に平和憲法のある国で、こんな不当なことが許されていい訳はない」。
「この国には、低俗テレビ番組やゴシップ記事を発表する自由はあっても、ほんとうの自由はないようですね」。
「明日は我が身なのでは・・・という思いでいっぱいです」。
「チラシ配りで信じられない恐るべきことです。平和を望むことが、罰せられる世の中にしていってはいけませんよね」。
「自衛官と家族の目線で真正面から反戦を訴える行動だったから、イラク参戦に打撃になる闘いであったからこその大弾圧だと思います」。
「戦争反対を言うと犯罪者になるなんて、絶対におかしい」。
 このように私たちの事件を知って、実に多くの方々が、驚き、怒り、そして、何よりも自分の意見を社会に言っただけで自分も逮捕されてしまうのではないかと不安を感じています。このことは、この事件の持つ、市民運動への波及効果や社会的な影響力をはっきりと示しています。私たち3人が受けたことは、明らかに言論弾圧です。手紙やメールを寄せてくれた多くの方々の声がそれを証明しています。

2 弾圧の目的

 今回、私たちは自衛隊員に反戦を訴え、イラクへの派兵にともに反対しようと呼びかけるビラをまいたことで、逮捕され、起訴されました。私たち3人が逮捕された2月27日というのは、陸上自衛隊の本隊、イラク派兵部隊の主力第1波約150人が、クウェートに到着して5日後の日にあたります。前年末から、先遣隊を初め自衛隊が次々とイラクの地に送り込まれ、派兵がまさに本格化したその矢先に、私たち3人は逮捕されたことになります。このことは、今回の事件の性格を端的に表しています。つまり、派兵される自衛隊員や家族の高まっていた不安や疑念が反戦運動と結びつくことを食い止めようと考えた公安警察と自衛隊上層部の意向によって、私たち3人は逮捕されたのだと私は考えます。今回の私たち3人への逮捕・起訴は、自衛官に直接、反戦を訴えることを封じるための明らかな政治弾圧です。
 昨年3月に開始されたイラク戦争は反戦運動にとっても大きな出来事でした。世界中でイラク戦争反対の声が沸き起こり、これに呼応する形で日本でも開戦前の3月初旬には日比谷公園に3万人もの人々が集まる事態にもなりました。私たちが逮捕されたのは、このような反戦運動の盛り上がりの後に、イラクに自衛隊が派兵されることになり、日本全国で自衛官に直接、反戦を呼び掛ける運動が取り組まれ始めた時期でもあったのです。私たち立川自衛隊監視テント村は、自衛官に直接、反戦を呼び掛けることの重要さに以前から気付き、長年自衛官への呼びかけに取り組んできました。全国で自衛官への呼びかけが活発化する中で、私たちテント村は言わば反戦運動への見せしめとして弾圧されたのです。このことは、全国で同様に行われていた自衛隊官舎へのビラまきが、私たちの逮捕によってストップしてしまったことからも明らかです。
 そしていま、運動の現場で、いくつもの政治弾圧が相次いでいます。イラク戦争開始以降のものをあげると、2003年3月20日のアメリカ大使館前抗議行動では4名、同年4月5日のワールドピースナウの行動では1名、同年4月13日のレジスト4月デモでは1名、同年4月17日には反戦落書きで1名、同年4月19日ワールドピースナウの行動では1名、同年7月19日ストリートパーティーデモでは2名、2004年2月27日には反戦ビラ入れで私たち3名、同年3月3日には社会保険庁職員が1名、同年7月4日ワールドピースナウの行動では3名、同年7月7日には石原都知事抗議行動で1名、同年10月14日には愛知県岡崎市で屋外広告物条例違反で1名が、逮捕されています。このたった2年の間だけで、これだけ弾圧事件が相次いでいることは、異常としか言い様がありません。いまあげた弾圧は、デモや抗議行動、落書き、ポスター貼り、ビラまきなど、どれも不特定多数の他者や関係当局に対して、自己の持つ抗議や反対の意思を伝達しようとして行われた表現行為にまつわるものばかりです。いまこの社会では市民一人ひとりが表現すること、それ自体がまさに抑圧されようとしているのです。市民による表現活動のない社会とは、国家によって一方的に与えられた情報のみによって人々が判断し、行動する社会のことです。そうなれば、国家の政策がたとえ間違っていても、誰も異をとなえる者は出てきません。それは国家にとってどんなに都合がいい社会でしょうか。しかし、この日本社会が建て前であっても民主主義社会たらんとするのならば、そんなことが許されていいはずがありません。私は、この間、警察によって不当逮捕された多くの仲間たちと、そして私たち3人の奪われた声を取り戻すために、市民の表現活動に対する弾圧に強く抗議します。

3 裁判の感想

 そして、5月6日に始まったこの裁判の中でも、この事件の政治弾圧としての本質がますます、明らかになってきたと、私は感じています。これまでの裁判で、第1回公判では、冒頭手続や被告人の意見陳述が行われました。そして、第2回公判では、官舎の管理者の代理人である陸上自衛隊の事務官が検察側の証人として出廷しました。その事務官は警察に被害届を出したとされる人物ですが、弁護側の質問の中でなんと「警察に言われて被害届を出した」と自ら証言しました。これまで検察側は住民の被害感情を執拗に強調してきましたが、官舎の管理者が自ら被害届を出したのではなく、警察が自分の所に先に来て被害届を出すようにすすめたという事実が明らかになったのでした。警察が主導して自衛隊に働きかけ、反戦ビラを取り締まるように動かせたこの事件の構図がはっきりしたのです。
 また、第3回の公判でも、証言に立った航空自衛隊員は「警察がわざわざ自分の事務所まで被害届を取りに来た」と証言し、「警察がすでにワープロで作成した書類に自分はただ署名と印鑑を押しただけ」とも言明しました。被害届をわざわざ警察の方から取りに来るなんて通常ではほとんど考えられないことです。今回の逮捕劇が、いかに警察主導のものであり、意図的に仕組まれたものであるかが分かります。第4回公判では、「行動がエスカレートして白い粉をまかれるかもしれないと思った」などという証人の発言も飛び出し、具体的な根拠もないのに単なるビラ入れ行為を意図的に拡大解釈しようとする検察側の姿勢が明らかになりました。
 9月9日の第5回公判から弁護側の立証が始まり、第5回公判では、憲法学者の奥平康弘さんと、元防衛政務次官の箕輪登さんが弁護側の証言に立ちました。
 奥平さんは、ビラ入れ行為が広範に行われ、受け取りたくない情報であっても受忍することが社会的に容認されている現状の中で、特定の行為だけを政治的に選別して弾圧することの危険性を指摘しました。そして、戦前のように治安維持法のような法律をつくって表現活動そのものを規制することは難しいので、住居侵入罪のような一般法を使って形として犯罪にする手法が使われていると述べました。また、そのため、戦中と同じような社会になってしまうという危惧を強く持っているが、それを防ぐために法廷に出廷したと証言をしめくくりました。
 さらに、箕輪登さんは、自分が自衛隊イラク派兵違憲訴訟を起こした気持ちとビラをまいた私たち三人の気持ちとはまったく同じものだとまで証言してくれました。そして、イラクへの自衛隊派遣はこれまでの政府の約束=専守防衛、集団的自衛権の禁止、非核三原則を破っている、自衛隊員は法律違反をしてイラクに送られるのだから不安があって当然、自衛官や家族にいろんな情報が与えられ、議論があるのが当たり前であるとおっしゃっていました。
 そして、前回の第6回の公判では、検察官が被告人質問の中で私と高田さんに対し思想・信条を問題にする質問を執拗に繰り返し、裁判長から注意を受ける一幕もありました。もはや検察側にとっては、事実行為よりも私たちの持つ思想・信条を「過激なもの」と印象付け、それを罰することの方があたかも重要であるかのようでした。

4 市民運動、表現活動と法律

 私たちは、この1月と2月、自衛隊員たちに是非ともビラを読んでもらいたいと考え、自衛隊官舎にビラ入れをしました。これを弾圧したことは、一人ひとりの自衛隊員の情報を受信する権利をも侵害したのだということを、改めて私は訴えたいと思います。
 法は、自由な個人と社会との契約であると言われます。つまり、民衆どうしが相互に議論しあい、合意した内容を、諸個人が社会との契約として明文化したものが法であると呼ばれます。したがって、民衆どうしの議論、情報の伝達と意思の交換がなければ、法すらも成り立たないのです。そうであるならば、今回の弾圧は、法の基礎、民主制社会の根幹を、踏みにじる行為であるはずです。法の番人である裁判所が、もし私たち3人に罰を下すようなことがあるとすれば、それは法の精神を裁判所自らが踏みにじったということになります。
 ビラ入れ行為は、民衆の自由な自発的な表現活動の重要な手段です。私たちも、そして自衛隊員一人ひとりも、同じ社会に住む民衆の一人です。私は、今でも自衛隊官舎に住む住人の中に、私たちのビラを読んでくれていた人がいたはずだと確信しています。なぜなら、自衛官であるからといって、いや自衛隊員であるからこそ、私たちの反戦のメッセージを受けとめてくれた人がいたはずだと考えるからです。裁判所は、私たちと自衛隊員との対話の手段を奪わないで下さい。そして、裁判官は、司法の独立性を堅持して、政府や警察に負けないで、私たちに無罪の判決を、勇気を出して宣告して下さい。
 以上で、私の被告人意見陳述を終ります。
以上

■ 高田幸美

平成16年(わ)第488、618号

最終意見陳述

東京地方裁判所八王子支部刑事3部合議係御中
2004年11月4日

被 告 人   高 田 幸 美

1 裁判の感想

 私たちが逮捕されてから8ヶ月あまり、裁判が始まってから半年が経ちました。この8ヶ月の間、さまざまな団体や個人が、自衛隊の官舎へのビラまきを、少なくとも当面は断念せざるを得なくなりました。
 私が何を申し上げたいかと言うと、今回の逮捕・起訴自体によって官舎住民と外部とのコミュニケーションは、判決が未だ出ていないにも関わらず、第三者の手で既に阻害されているということです。
 6月5日、私たちは立川の街に2万枚のポスティングをしました。この問題を、地元立川の市民に広く知ってもらう必要があると考えたからです。もちろん、起訴されている状態では官舎には入れられません。それが悔しく思われてなりませんでしたが、みんなで手分けして2万枚を無事に配り終えました。
 ところがその時、官舎の近くの地域を担当した人によると、官舎の前にはものすごい人数の公安警察が張り込みをしていたというのです。
 誰もが何の疑問を持つ事もなく行ってきたポスティングを、「逮捕・起訴される可能性のある危険な行為」として広く市民に知らしめること。しかもそこに、「反戦ビラだとことさら危険」という思想差別を忍び込ませ、反戦運動を孤立させ、最終的には潰すこと。それこそが、今回の逮捕・起訴の狙いだったように思えてなりません。
 
 公判を闘ってきた印象としましても、検察官の私たちに対する質問は、例えばテント村以外で諸個人が参加した活動をとりたてて悪く印象付けようとするような、悪質なものが多かったように思います。
 検察官が私にきいた「昭和天皇記念館」の建設に反対する中で起こったエピソードは、第1にテント村が行った行動ではないし、大西さんにきいた「黒ヘルグループ」に至っては、そもそもそれが何を指しているかの説明もなく、まったく意味不明なものでした。
 こんな質問をされる為に、逮捕され起訴され75日間も拘束され、保釈後も「被告人」という不名誉な看板を背負って歩かなければならず、日常の諸活動と公判の両立に汲々とせねばならなかったのかと思うと、憤りを感じざるを得ません。

2 広範な市民のなかで共有される危機感

‐η笋鬚気譴討い詈々からの反応
保釈されて自宅に戻ってからは、まず、毎日の激励の手紙や電話の多さに驚きました。以前にも申しましたとおり、私はテント村の事務所に住んでいます。署名を集めれば毎日ポストがいっぱいになって、配達員がドア口まで届けに来、それらを開封して数えるという作業におおわらわでした。
そして、それらの署名に同封されている手紙や事務所にかかってくる電話で、ポスティングが犯罪とされるかも知れないという事態に対し、市民運動に限らず実に多くの市民が危機感を共有しているのだと知ることができたのです。
 ある手紙には「小さな商店を経営しております。私たちのような店は自分でポスティングするより宣伝の方法はありません。もしこれが有罪となれば、私たちのような店はみんな潰れてしまう」という、切実な現状が書かれてありました。
 あるピザ屋経営の方は「ポスティングなしでこの商売は成り立たない。私はこの街に知らないマンションなんか無いくらいポスティングしている。これが犯罪だったら、私は犯罪者なのでしょうか」と疑問を投げかけてくれました。

⊆衛隊関係者、防衛庁職員、自衛官の家族からの反応
また、私たちが今回、立川の自衛隊官舎に行ったポスティングに対しては、1月に大洞さんと大西さんが住民に声をかけられた以外には直接の反応はなかった訳ですが、新聞やマスコミ等でこの不当逮捕事件を知った自衛隊関係者や、防衛庁職員、自衛官の家族の方などからは、反応がありました。
 その内容は、例えば「自衛隊東立川駐屯地の幹部が、八王子の官舎で住民の自転車を大量にパンクさせた。ポスティングよりもよほど迷惑だ。その幹部は、出世のためにポスティングの件ををおおげさにした駐屯地司令の部下である」といった内部告発的なものや、あるいは「選挙のときに自衛隊出身の候補のポスターが堂々と、公共物である官舎の壁に貼ってある。反戦運動は官舎の敷地にさえ入っちゃいけないというならば、これはおかしいのではないか」といった官舎内での政治活動に関する疑問、あるいは「山形で妹とその彼が両方とも、自衛官をやっている。彼の方がイラクに行く事になってしまい、妹は行かせたくないと言っている。どうしたらいいのだろうか」といった、深刻な内容を含むものもありました。
 ただ、これは重要な事だと思うのですが、これらの手紙等は(特にご自身が自衛隊や防衛庁の関係者である場合)、その多くが匿名なのです。ある手紙には、私たちの裁判にも協力したいが立場上、自分の名前を明かす訳にはいかないのだと、ハッキリと書かれていました。
このことが何を意味するかといえば、自衛官や防衛庁の職員は常に、その言論や誰と接触したかを、日常的にチェックされているということの証左ではないでしょうか。もっと言えば、今回私たちが行ったポスティングにしても、「反自衛隊的なビラを見かけたら通報するように」といった指示がなければ、いずれ何らかの相談や反応があったかも知れないのです。

H神鎹親阿涼罎らの反応
 岩手で私たちと同様に、自衛隊基地への申し入れ等を行っている市民団体があります。彼らが基地に申し入れに行ったとき、自衛官に今回の事件について聞いたところ、「そんなことで逮捕されるんですか」と驚いていたそうです。そこで、岩手の人たちが「私たちが官舎にポスティングしても、被害届なんか出さないで下さい」と話したところ、「うちでは被害届なんか出しません。どうぞまいて下さい」と言われたそうです。
 このことからも、反戦ビラが特に自衛官に対して脅威をもたらすものだとは考えられません。他の場所では問題ないとされている事が、立川に限っては犯罪だというならば、それは法の支配から逸脱した判断だと言わざるを得ません。

3 基地の街に暮らすことの現実について

 今年の9月13日の夜、立川で異常騒音があり、立川市やそのほかの周辺自治体などの議会で問題になったのを御存知でしょうか。私もその音を聞いたのですが、間違いなく、低空を飛ぶ大型ジェット機の音でした。立川基地は滑走路が短いため、普段、大型ジェット機が来ることはありません。聞き慣れない爆音は長く響いて、私たちを不安にさせました。
市民からの不安の声を受け、立川市が自衛隊立川基地と米軍横田基地に問い合せましたが、自衛隊は「音は聞いたがうちの飛行機ではない」「どこの飛行機かは分からない」といい、米軍も「知らない」というのです。国籍不明の大型ジェット機が市街地の上を低空飛行しているなど、ありえない話です。もしそんなことが本当にあったら、とっくに国家の大問題に発展しているはずです。
 私が立川に暮らし始めた頃、市街地にあんな基地があるとは知りませんでした。ある日、道を歩いてたら突然、ものすごい轟音とともに迷彩色のジェット機が、超低空飛行でビルの陰から飛び出してきて、飛行機が落ちてきたのかと思って非常に驚いたことがあります。あとになって分かったのですが、それは自衛隊のC1ジェット輸送機といって、老朽化が激しく、30機生産したうちの3機がすでに墜落しているとのことでした。
 そんなことが日常的にある訳ですから、沖縄のヘリ事故などのニュースを見ても、他人事ではなく恐ろしくなります。もし同じ事が立川でおきたら、やはり沖縄と同じように、きちんと原因さえ明かされないのではないか、それどころか自分が事故に巻き込まれる可能性だってあるのではないかと、不安になります。日本国内に暮らしている私たちでさえ、このように不安になるのですから、ましてや、イラクに暮らしてる人たちは、武装した自衛隊が占領軍の一員としてやってくることに、どれほどの不安を抱いていることでしょうか。
 だから自衛隊で働く人たちには、自分の仕事が、自衛隊以外の人にとってどういう意味があるのか、きちんと知って欲しいと思っているし、そのご家族にも、同じ街に暮らす市民として一緒に考えて欲しいと思っているのです。
そして、職業が自衛官であろうとひとりの人として、納得いかない仕事や、隊内や官舎内での人権侵害に対してはきちんと「納得いかない」と言って欲しいし、自衛隊員やその家族が、「納得いかない」という声を出せるような状況を、私たち市民がつくっていかなければならないのだとも思っています。
 ポスティングは、私たちのこういう声を、自衛隊で働く個々の市民とそのご家族に直接届けられる、唯一の方法です。それと同時に、私たちが一個人としての自衛隊員とコミュニケーションができる可能性のある、唯一の方法でもあります。ダイレクトメールは住所や名前があらかじめ分からないと出せないし、折込チラシはお金がとてもかかるし、ポスティング業者にたのむなら自分でやったって同じことです。まして「敷地の外でビラをまく」だなんて、忙しい日常生活の合間を縫って、人っこひとり歩いていない週末の官舎のまわりでそんなことをするのは非現実的です。それに私たちが官舎に近づくとなったら、それだけで公安刑事が何人も張り込みや嫌がらせをしてくることは、想像に難くありません。
 裁判官のみなさんには、私たちが自衛隊員とそのご家族に直接声を届け、コミュニケーションを図る唯一の方法を、私たちから奪うような愚を冒すことのないよう、強く訴えたいと思います。
以上

■ 大洞俊之

平成16年(わ)第488、第618号

最終意見陳述

東京地方裁判所八王子支部刑事3部合議係御中
2004年11月4日

被 告 人   大 洞 俊 之

1.私の受けた被害

 私は、今回の弾圧で経済的にも、精神的にも大きな被害を受けました。2月27日に逮捕されて以降、3月19日に起訴されるまでの間に接見禁止が長期間ついたままだったため、職場への連絡が思うに任せず大変不便な思いをしました。幸い私の職場には練馬区職労という労働組合があり、職員の被った不利益に対してはとことんまで闘う姿勢を貫いてくれます。本件でも、私の勤める中学校の上司や同僚への連絡・説明など最大限のことを行ってくれました。しかし、私は結局起訴され、起訴休職処分に追い込まれました。籍はあるものの、給料は6割に減額されました。諸手当なども減らされ、一時金もありませんから、実際の手取りは6割減では済みません。しかも、公務員故アルバイトもできませんから、本来ならほとんど生活不能な状況に陥っているところです。今日まで苦しいながら生活し、公判闘争を闘い抜いてこれたのは地域の全国の皆さんの暖かい経済的な支援があったからに他なりません。
 また、何より心苦しいのは、職場に復帰できない状態でいることです。籍は所属する大泉北中に残ってはいますが、逆に私の穴埋めに正規職員を異動させることもできません。この間、アルバイトを雇って何とかしてもらっている状況です。私の給食調理の現場では数名の調理師で数百〜千食以上もの給食を時間までに作らなければなりません。特に私の所属する大泉北中は正規職が三名しか配置されていませんから、そこで一名欠けたことによる打撃はきわめて大きなものがあります。アルバイトの場合、この種の職業の経験者ならともかくそうでなければ戦力になるのは時間がかかります。職場の同僚も私の状況を理解して耐え抜いてくれていますが、彼らには本当に済まないという気持ちでいっぱいです。自分のためではありませんが迷惑をかけたことには変わりがないからです。
 また職場では現在、給食民間委託の提案が出ており、組合と当局の団交が続いています。組合の執行部も同僚たちもこれと闘いながら私の裁判闘争を支えてくれています。自分は組合の活動には早期に復帰し、裁判闘争や反戦運動の一方、こうした職場での労働運動をも闘い続けています。しかし、裁判が進行すればするほど、私の受けた不利益に対しますます理不尽であるという思いが強くなってきました。

2.検察側は何を裁こうとしたのか

 そもそも検察側はこの起訴で何を裁こうとしたのでしょうか?
第二回公判の浅霧証人は「ピザ屋などのビラはきれいだ」などそもそもビラ一般に本当に迷惑していたのかどうかきわめて曖昧な態度をとりました。また、第4回公判証人の及川証人もビラ一般に迷惑していたという姿勢をとってはいますが、実際に被害届が出され、起訴されたのは我々のみです。他の商業ビラの配布者に対して同様の弾圧は行われていません。恐らく、回数的には商業ビラの方がよほど入るでしょうから、証拠の採集などもその気になれば反戦ビラよりよほどやりやすかったと思います。結局、テント村の反戦ビラのみがそうした被害届の対象になったのは、特定の思想性、主張を持つビラのみが選別されたということになります。
 さらに、及川証人は4階まで上がって来たことをプライバシーな場所への侵害という内容の意見を言っています。しかし、彼は同時に宗教の勧誘が最近あったことを述べていますが、自分が他の宗教の檀家であることを理由に勧誘を断ったのみで、警察に通報したり被害届を出したりはしていません。この点でもビラ一般、セールスを含め階段上への進入一般が迷惑であるかのように装いつつ、実際は特定団体のみが通報の対象になったということを裏付けられます。
 そもそもプライバシーの侵害等を言いながら具体的な被害の内容が証言の中では全く明らかになっていません。「ビラまきを放置すると石や白い粉を入れられるかも」(及川証人)という証言も根拠がありません。いわゆる「テロ行為」が行われるかも知れないという心配でしょうが、そもそも、立川自衛隊監視テント村の活動それ自体をあまりよく知らないのが検察側全証人に共通して言えます。具体的な活動で出てきたのはC−1ジェット輸送機に対する反対運動のみです(浅霧証人)。テント村の具体的な日常活動や歴史を知らず、なぜそのような行動のエスカレートが心配されたのか、全く理解に苦しみます。そもそも、ビラの中身も自衛官も一緒にイラク派兵の問題を考えようというきわめて穏健なものでした。各証人の証言はこの「テロ行為」との関係についても全く説得力を欠いています。
 また、第5回公判での、私に対する航空祭反対行動の際に警官に制止されただろう、という質問も、テント村がとにかく過激な団体なんだという印象を強引に作り出そうとするものでした。第6回公判でも同様のことがあり、検察官は、テント村と「黒ヘルグループ」とのつながりがあったのではないか、という点を質問してきました(大西被告、大沢証人に対しての質問)。そのグループの正式名称や、どんな組織なのかすら検察側は明らかにしませんでしたから、そもそも被告もどう答えていいのか面食らう質問でした。ともかく訳のわからない団体とテント村がつながりがあり、テント村も危険な団体なのだ、という印象を植え付けるための質問だったようです。天皇制に反対した運動をやってるではないか、という質問も同様のねらいで行われたようです。しかし、裁判長が制したように全く本件とは関係のない質問でした。
 検察側がそもそも裁こうとしたのが反戦という特定の思想をもつものであったことはもはや明らかです。

3.イラク戦争のその後

 私たちがビラをまいたのは、イラク戦争に反対し、その後未だ戦闘地域といって良いところへ自衛隊が派兵されることに反対したからでした。イラク現地の情勢はますます悪化し、この春日本人人質事件が発生したときよりさらにひどくなりました。ここへ来てまた新たな日本人人質殺害事件すら起きてしまいました。自衛隊の宿営地内にも初めて砲弾が着弾するという緊迫した状態にもなっています。
 私たちは、自衛隊を送ることの是非を論じる前提として、この戦争が起きた理由そのものをまず考えるべきです。すでに米国では米大量破壊兵器調査団が2004年10月6日、生物・化学兵器の備蓄は一切なく、核兵器開発計画も91年以降頓挫していたとする最終報告書を発表しています。ブッシュ政権が開戦時に主張していた「フセイン政権の脅威」は、そもそも存在していなかったことが明白になりました。開戦の理由は存在していなかったのです。おまけに、フセイン政権は確かにそれ自体が独裁政権ではありましたが、武力で倒されても、民衆が支持するような安定した新政権は未だにできていません。治安は回復せず、ガス水道などの日常生活に必要なインフラの整備も進まず、経済も混乱したままです。戦争で民主的な政権は作れなかった、戦争が真の平和につながらなかったことは明らかです。
 そもそも、イラク戦争が開戦の理由自体がでっち上げであったなら米国はその責任を取るべきであり、外国軍は駐留する根拠がなくなります。戦争そのものが侵略行為であったし、外国軍は侵略軍でしかないからです。従って、自衛隊の派兵についても、同様で、直ちに撤兵されるべきだと思います。実際、この間スペイン、フィリピンに続き、タイ、ニュージーランドの軍隊がイラクから撤退しています。タイ、ニュージーランドは予定の期限が来たからですが、ニュージーランドの高官は治安改善が見込まれない現状では再度自国の軍隊を送る予定はないと述べています。イギリスすら来年の末には軍隊を引き上げることを明言しています。日本もこれらの国々にならい勇気ある撤兵を行うべきなのです。
 さらに憂慮すべき事態として、日本の憲法について米国の高官がしばしば言及するようになっています。憲法改正と常任理事国入りの関連について、アーミテージ国務副長官が7月、自民党幹部に「積極的な国際軍事貢献に向けた態勢づくりが必要」として改憲支持の個人的見解を伝達しています。さらにパウエル米国務長官は8月、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りに関連し、憲法改正は日本国民の問題との見解を強調しながらも「9条は吟味されなくてはならない」「国際的責務が伴う常任理事国になるには憲法改正が極めて重要な要素」と述べています。これらの発言は日本に軍隊や交戦権を持たせたいという米国の意思の表れであるということができます。このような発言の一方、各政党内でも憲法改定へ向けた動きが活発になりつつあります。9条という歯止めを取り払い、自衛隊が名実共に軍隊として海外で米軍とともに「対テロ戦争」を行う。このままではそう遠くない将来、そんなことになってしまいます。
 段階的に進む戦時体制の強化に警鐘を鳴らす必要があります。しかし、それを進めようとするものにとっては、少人数であれ、直接自衛官に対して働きかけようと言う反戦運動の存在は邪魔者であるでしょう。今回の弾圧はそうした障害排除のためのものであったと言えます。単に官舎の管理者や東立川駐屯地の上官の意思以上の大きな判断が働いた可能性もあります。
 
4.各集会に参加して

 保釈後、新聞や週刊誌の取材を受ける一方、各地の集会で発言や報告をする機会を得ました。特にこの間、練馬区・国立市では地元の市民団体や実行委員会主催の学習会で長時間話す機会を得ました。全国からのカンパや励ましも多数届いています。立川の反基地運動では過去にデモなどで逮捕者が出たことはありますが、そうした弾圧と比べても実に反響が大きかったと言えます。
 その中でも人々の感想としては「人ごとではなく我が身のことととらえた」というものを多く聞きました。これは市民運動などに携わる人々のみでなく、ジャーナリストからも同様の感想を聞いています。10月の連休中に新聞労連主催の若手記者向け研修会が都内で開催され、研修企画の一つに反戦ビラ弾圧が取り上げられました。当事者として私と東京新聞の記者の二人で講師を勤めましたが、その記者も同じことを言っています。つまり、こうした動きを放置すれば、取材などが国家権力によって厳しく規制され、自由に報道できなくなる時代がくるかも知れない、という危惧を感じたということでした。
 また、参加した記者の中で沖縄からきた記者は「沖縄では立川の問題はほとんど報じられていない。気づいたときには立川事件のような弾圧が当然のようになり、沖縄が異常にみられ、沖縄の反戦・反基地運動も弾圧される。沖縄はよく対外的に『沖縄の声』を聞いて欲しいという紙面を作る。だが、それ以外の声を聞くことを怠っていたと気づかされた思いだ。」という感想を述べています。基地問題で東京よりも深刻な被害を受けている沖縄ですが、立川の問題についてそれに引きつけて考えつつ今後さらに弾圧が強化される可能性について憂えているわけです。
 私たちへの弾圧ばかりではありません。冒頭意見陳述でも述べたように3月3日には社会保険庁職員に対する国家公務員法を利用した弾圧が発生しています。また、アメリカ大使館前でイラク戦争反対の抗議情宣を続けた女性の職場・自宅が「暴行罪」容疑で家宅捜索されるといった弾圧も起きました。昨年は杉並区の公衆便所に反戦の落書きをした男性が「建造物損壊」で起訴され、執行猶予付きの懲役刑の重い判決が出るという事件も起きています。一般に落書き程度なら器物損壊で罰金刑程度ですませる場合が多いと思いますが、量刑的には異様に重いのは、やはり落書きの内容がイラク反戦だったからということからくるのではないでしょうか。
 10月には、岡崎市で三菱自動車工場閉鎖に抗議して同社や労組を批判するポスターを電柱に貼った男性が、岡崎市屋外広告物条例違反と軽犯罪法違反の疑いで逮捕されるという事件もあります。ポスターの貼り出しは7月ですから3ヶ月も前の事件であり、わざわざ令状をとって通常逮捕したのは異様です。
 このように私たちの弾圧とは違う法律を使ったりしながらも、全国の反戦運動や労働運動市民運動などに対する弾圧と締め付けが非常に厳しくなってきています。戦前には日本が戦争に進む中で、国内の反戦運動などを根絶やしにすべく「治安維持法」という法律が制定されました。この法律にしても制定される際には反対デモなどが行えるくらいの自由がまだ日本にありました。しかし、制定後は日本の労働運動などあらゆる社会運動が大政翼賛会の傘下に組み込まれ、政府の政策を一切批判できない社会が作られていきました。言論の自由は憲法に明記されていても、それを実際に実践したと言える自由な社会運動がなければ実態はなくなっていきます。そうした憲法で定められている権利すら踏みにじられつつある動きをこの事件から多くの人々が感じ取っています。

5.終わりに

 私たちは無罪であることを確信しています。この間の検察側の主張は矛盾に満ちており、もはや私たちの行動が「犯罪行為」の構成要件を満たさないことは明らかです。今日を含めて7回の公判の中で私たちはそのことを明確に立証してきました。本裁判で曖昧な判断が下されれば、上で述べたようにあらゆる社会運動に大きな影響を与えます。ポスティングという行動はほとんどの運動体で行っている情宣手段であり、それに対して権力者がいつでも恣意的な弾圧をかけることが可能になってしまうからです。裁判所の公正な審理と判断を求めます。
以上

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