仁井田邦夫先生著書集

【京都府職域一般吹奏楽連盟機関誌 モティーフ19号より】 平成10年 (1998年)

 今回御紹介するのは、エスポワール吹奏楽団で指揮をされておられます仁井田邦夫先生です。仁井田先生は京都府吹奏楽連盟の副理事長で大学吹奏楽連盟の理事長でもあられます。昨年97年には数々の表彰を受けられました。(ドイツのブルクレンゲン市より市民栄誉賞を又京都市より特別功労賞など。)このような素晴らしい先生が京都に居られる事を、より多くの皆さんにも知って頂こうと思い先生に自らのプロフィールを書いていただきました。

「1936年1月19日、私は韓国忠清南道予舒川で特定郵便局の長男として生まれた。家にはピアノやレコードも沢山あったが、特に母親が音楽好きで、山口県の宇部に引き揚げて来た小学校時代の誕生日に買ってもらったハーモニカに興味を持ち、高校時代には宮田ハーモニカの社長に手解きを受けた。もともと中学時代よりテニスとバドミントンの選手であったが、高校時代には友人とバンドを組み、アメリカ軍のキャンプ地ヘウクレレ弾きとしてよく行った。昭和29年立命館大学へ、当時医学進学コースがあり、南太平洋軍医総司令宮であった叔父の勧めで進学したが、スポンサーの死とともに医学への道を断念
し物理科を卒業した。その後は好きであった音楽への道に進むべく、伊吹新一氏の元へ作曲の勉強に週4日・3年間も通い詰めた。その頃先生は斎藤秀雄氏よりレッスンを受けており、東京から帰ってくると私を相手によく復習をしていた様だ。しかし、作曲の勉強が後半は指揮の指導を受ける様になった。
 昭和29年ごろの立命館大学には、音楽と言えば単なる合唱団のみで入部したが、私は2回生より団長を勤めた。(現在のメンネルコール・メディクスの前身である。)しかし、混声合唱の部が選んだ定期演奏会の曲・モーツァルト12番ミサ曲がきっかけとなり、大学に交響楽団を誕生させた。私はヴァイオリン奏者として、初代団長、学生指揮者となる。昭和33年非常に就職難であった頃、数学の教師を探していた花園高校に勤務した事がき
っかけとなり、式典にはピアノを弾かされるは、吹奏楽部は作らされるは、学校では数学、化学、物理の指導、校務分掌では担任、生活指導、放送部、視聴覚、吹奏楽部、放課後は生活のための家庭教師など、それは大変な時代だった。その後の吹奏楽活動…新年祝賀パレード、国連デーパレード、ナイターコンサート、土曜コンサート、ブラスコンサート、吹奏楽祭、コンクール、アンサンブルコンテスト、維新勤皇音楽隊の謎(国会図書館)の本についてなどは、次の機会があれば又、書くことにして、今回はこの辺りでごかんべん下さい。』

原典【花園高等学校120年の歩み】→吹奏楽部 筆者 仁井田邦夫 平成4年(1992年)

 昔、明治時代の後期と思われますが、花園高校にもラッパ隊又は、バンドがあったのではないかと思われる節がありました。それは蔵の中から1本のコルネットが出て来たのです。未だ謎の一つですが_
現在の吹奏楽部は昭和32年(1957年)に池田先生の下に同好会として発足したそうで、当時花園大学生であった、現浜松の大聖寺住職上村氏が指導して居たそうで、それまでの野球の応援などには、上京中学校吹奏楽部にお願いしていたそうです。そして、昭和33年(1958年)に私が赴任と同時に、部として吹奏楽部が創立し。以来今年(平成4年 1992年)で35周年目を迎えました。当時、1・2年生7名で始め、教室には電球もなく、クラブ予算は年間5万円。部費50円で、天神祭や弘法祭に500円程度の古楽器を買いに行ったり、毎月宝くじを買ったり、その上練習場はなく音を出せば近所から怒られるやら、それは大変でした。創部2年目から始まった、平安・東山・花園高校交歓演奏会(3Hコンサート)は京都の高校吹奏楽の夜明けでした。互いにコンクールや大きな催しに3校は競い合い、市民からは大変な人気でしたが、生徒減少の時代、そして男子生徒の音楽に対する興味の薄れ等々、第10回目を最後に中止となりましたが、昨年(平成3年 1991年)より、3校OB会主管の下に3Hコンサートが再開されました。
昭和40年代には自動車科設置に伴い、7年間も吹奏楽の指導を疎かにし、アンサンブル大会に出場する事が精一パイで、終わりには部員3名になった時期もありました。そして吹奏楽活動を幾度となく断念しようかと思いましたが、中学校の先生方より励まされ、再び昭和50年より活動を始め今日に至っております。
そして昭和60年代、平成時代を迎え、その間有名な音楽家小澤征爾氏の来校や外国からはマクベス、ニニロッソ、リンドンチャップマン、ジェームスキーン、デニスウィック、ジャックモージェ諸氏など世界指折りの方々が花園高校を訪れ、近年では国体、植樹祭など数多くの催しに出場し、ドイツ、韓国への演奏旅行などの国際交流と益々の発展をとげ、名実共に今日の黄金時代を築き上げて来ました。

原典【土曜コンサート30年史 発刊に寄せて  思い出の断片】→筆者 仁井田邦夫 昭和59年(1984年)

 私にとって円山音楽堂での思い出は大変なものです。土曜コンサートの開幕と同時に今日まで私は土曜コンサートが始まった頃は学生として、最初に合唱団員として出演しました。オーケストラでは昭和32年(1957年)の秋であっただろうか、山田先生の指揮で、タンホイザー序曲の頭で、会場の中央から府警音楽隊が演奏した事、当時洛南中学校の吹奏楽が大変盛んで、ステージドリルを演奏していた事、又、アメリカ空軍音楽隊がやって来て会場が満員になり、当時の市長、高山さんまで会場に来て、「皆さん帰って下さい、事故が起こりますので。」といった事など、多くの思い出を持っております。そのころ本番前には、弥栄中学校の講堂で練習したものでした。私が花園高校に勤務して以来は、吹奏楽で土曜コンサートに出演しましたが、昭和30年代は、吹奏楽連盟加盟団体も少なく、上京地区、右京地区とかいった様に、合同演奏をよくしました。その頃の奏者の中には、現在世界的に大変有名になっている人達もいます。控室も音楽堂には少ないため、楽器もよく盗られました。そして第1ステージの最初には必ず、土曜コンサートの歌を歌ったものです。そして吹奏楽ファンも大変多く、前の席には常に同じ人が居た様に思います。そのころの人達が今では指導者になり、吹奏楽の団体も大変多くなり、出演させてもらうのも大変な今日です。最近は騒音公害とかで、なかなかむつかしい問題をかかえている様ですが、会場の改善など考えて、是非いつまでも定着した素晴らしいコンサートになる様祈っています。

原典【京都府吹奏楽連盟創立30周年記念誌 編集後記】→著者 仁井田邦夫 昭和59年(1984年)
編集後記
 私はかねがね京都の吹奏楽史を作成したくてなりませんでした。その動機は省略しますが、今年は丁度連盟創立30周年目にあたり、記念誌として歴史をまとめてはと考え、此のチャンスを独断で編集してみました。決して何年も前から準備をしていたのではなく、わずか2ケ月たらずでまとめたもので、色々と不備な点、問遣っている点が多くあると思います。しかし、誰かが叩き台としていつの時代かに整理しておかないと……と思い、例え批判の対象になろうとも、その批判を踏まえ次回にはもっと正しい編集をすれば良いと思い、生意気にもその歴史を百年以上もさかのぼって見ました。持に「山国陸軍楽」「維新勤王隊」については、深い謎に取り付かれました。江戸時代にはオランダ・フランス・ドイツの音楽が様々な形で日本へ入っており、実に興味深いものばかりでした。この記念誌を見た方で、さらに素晴しい資料をお持ちの方は、次回にもっと内容あるものを作りたいと思っておりますので、是非、ご提供下さい。古い楽器の現物を見る度に吹奏楽会館があればと思います。最後になりましたが、貴重な物を気さくにお貸し下さった方々や原稿等の提供に協力をして下さった方々に心からお礼申し上げます、と共に今後も変らぬご厚情の程をお願い致します。まもなく京都は二周目の国体や建都千二百年を控えています。そして21世紀へ向かって、更に更に新しい歴史を築き上げて行くことでしょうどうか吹奏楽ファンの皆様が素晴しい歴史を発見し、未来を創造し、そしてその事実を心の宝にしてほしいと願う次第であります。合掌

仁井田邦夫
〒616京都市右京区宇多野福王子町5−51昭和59年12月吉日・記

原典【吹奏楽部創立30周年記念誌 発刊の辞】→著者 仁井田邦夫 昭和63年(1988年)

 日頃皆様には我が花園高校吹奏楽部を何かと心にとめてご声援を戴いておりますことを心から嬉しく有り難く思っております。文化活動の数ある中でまさに三十年一日の如く、孜孜として弛みなく練習を重ねて来たクラブの一つとしてためらいなく自賛することが出来るのが、この吹奏楽部であります。低迷時期もありましたが、毎日練習に励んでいる生徒の姿を見ていますと、まさに楽器の虫であり、今日迄幾人もの先生方に厳しい指導を受け、猛練習をしてきた生徒の姿は、実に高校生らしく、清純で美しいなあと感嘆することが度々であります。二百八十四名に達する先輩諸氏が歩んで来た道を、現在五十四名の部員が受け継ぎ、あたかも吹奏楽にとりつかれたように、練習に日々励んでいることこそが、我が花園高校吹奏楽部の誇りと信じております。是が非でも記念の行事をしなければならないものではありませんが、記念誌の発刊、記念演奏会、記念式典を再び新しいステップとして、花園高校吹奏楽部につながる各諸氏が喜びも悲しみも分かち合いながら、我が道一筋に、今後も精進を重ねていきたいと祈願するものであります。一つの山を越せばまた未知の新しい山がそびえています。我が吹奏楽部の道も広く遠くはるかです。努力し、くじけず、自信ある態度をもってこの道を進まなければならないと思います。と共にこれからの新しい部員も必ずやこの期待に応えてくれるものと信じております。我が花園高校吹奏楽部に対して、皆様方の今後も変わらないご激励とご声援を賜わらんことをお願い申し上げ、ごあいさつと致します。尚、記念誌発刊に伴い、ご協力下さった皆様に厚く御礼申し上げます。

原典【吹奏楽部創立30周年記念誌 ごあいさつ】→著者 仁井田邦夫 昭和63年(1988年)

 無我夢中に過ごした30年、思い出が湧いて来るはずの昨今、どうしても身近な年月、身近な人々に思い出が馳せる。
いやがられながら指導された卒業生、その教え子の息子達を、今は教えるように迄なった。その永い年月に、どれ程の方々にご迷惑を掛け、無理を言い、お世話になったかと思うと、今さらながら深く深く頭を下げざるをえなく、改めて心から厚く御礼申し上げます。
通り一遍のクラブの成り立ち、苦労話の回想は20年史に記載したので今度は省略しますが、ここ10年間花園高校吹奏楽部は海外との交流が深まり、後記に紹介させてもらっておりますが、特に生徒達は西ドイツでの経験した、人間性、音楽性等々、国際人としての知識を彼等なりに身に付け学んだ事を、私は大変嬉しく思っております。
さて、30周年記念行事には、各方面より絶大なるご支援を賜りましたことを心から感謝しております。この度の記念誌には、多くの方々より、お祝いの言葉、思い出話、激励など30周年を飾るのに相応しい文章を頂きました。これを教訓にこれからも身体の続くかぎり、一生懸命吹奏楽作りに励み、立派な社会人になるように、部員の指導に務め新しい世代に向かって、私もぼけない様に邁進するつもりです。どうかこれからも、花園高校吹奏楽部と私を除け者にしないようにお頼みし、末永いご指導を願って、ごあいさつと致します。

原典【吹奏楽部創立30周年記念誌 国際交流】→著者 仁井田邦夫 昭和63年(1988年)

 1976年イングランド州ハロゲート市へエスポワール吹奏楽団と共に行ったことが始まりである。その国際青少年音楽祭にてのレセプション席に於いて、各国代表の芸の披露に私は日本の音楽を中国風にとられてはと思い、何気なく「菩提樹」を歌ったところ、ドイツの数カ所から来ていた新聞記者が、私のことを記事にしたらしく、翌年街上げて私を招待してくれたのがBurgrengenfeld Stadt なのです。以来私個人は8回訪独しておりますが、高校生を連れては3回この町を訪問し、常に2週間近くの家庭滞在をし、いつもお世話になり、彼等もよく京都を訪問しております。状況の全ては、他の原稿、写真等でその雰囲気が想像されると思いますが、今年の訪独には13年前に友達になったSt.Vitus Kapelleの団長Josef R單dl氏が一昨年癌でこの世を去り、続いて心傷ついた彼の妻は病に倒れ、昨年の春に主人の後を追う様に他界された事を知らされました。大変悲しいことだと思い、この度彼の作った日独親善の記念に、燈籠を送り、当地では墓前に花を添え、教会へのミサの参加等大変意義のある訪問でした。彼は第二次世界大戦後シベリアに抑留され、戦後Burgrengenfeldに帰国された方で、なまりの強いドイツ語で、学歴の無い方でしたが、戦後結婚した為子供もまだ若く、未婚の二人の子供を残し他界されたのです。
Harrogate以来12年間の友でしたが、日本語、英語は全く話せませんでしたが、大変心の温かい人で若者にも大変人気があり、大変お世話好きな方でした。9年前には77人のSt.Vitus Kapelleを連れて京都に2週間滞在した事もありました。今年は特に燈籠の除幕式と我々の演奏会を聞きに、ボンよりドイツ連邦議会議員のドクター・ディオニス・ヨープスト氏(独日友好議員連盟会長,キリスト教社会同盟連邦議員会副会長)が来られました。

記念碑(燈籠)

銘板

An den seligen Josef Roedl
Wir haben uns im Jahr 1976 in Harrogate in England kennengelernt.
Nun sind Sie von uns gegangen‐Wohin?
Doch die Freundschaft,die uns damals verband und die Laender
und Meere ueverspannte,1ebt‐wie Sie sehen‐fort,
denn wir sind wieder hier‐hier in Burglengenfeld,
August 1987
Das Blasorchester des Hanazono
Gymnasiums in Kyoto

私達は1976年イングランド・ハロゲイト市で知り合いになりました。貴殿が作った海を越えての友情は今もここに続く,貴殿はどこへ行ってしまったのだ_!ほら,私達は又やって来たてはないか___
                                         1987年8月贈花園高等学校吹奏楽部・京都

人に知られず 咲いては散れど 深山桜も花のうち 花のうちなら 散らねばならず 春がゆく世の 人知れず

                                                  贈 仁井田邦夫と有志

銘板
Still und unbemerkt
bluehen und verbluehen die Kirschblueten
tief in den Bergen
Dennoch bist du die Blumen alles Blumen
A11e Blumen sind
zum Verbluehen bestimmt
Sie ist das Leben
Es gleicht dem Fruehling,der dahineilt.

                     ueberrecht von Kunio Niida 8.1987

原典【吹奏楽部創立40周年記念演奏会 プログラム ごあいさつ】→著者 仁井田邦夫 平成10年(1998年)

 過ぎ去って観れば四そ路はやはり永い歳月でありました。その時代の移り変わりには、実に多くの方々にお世話になり多くの卒業生が巣立っていきました。七名から出発したこのクラブも、当初は楽器もなく、部員はおらず、練習する場所もなく、教室には電気もなく、楽器を得るために宝くじを買ったり、弘法さんに行ったり、昭和52年まで音楽の授業もなかった花園高校、今の生徒には想像もつかない時代でした。がむしやらなグラブ造りに、学内批判や妨害を乗り越えOB会や保護者会など多くの組織が誕生し、今ではこれらの組織より何かと応援を戴いております。平成8年からは、インターアクトクラブ(奉仕活動、国際活動、友愛活動を目的とした、18才未満のロータリアン)としても活躍しています。1976年より深い交流を持っているドイツSt Vitus Kapelleは、今年も京都にやってきました。14日間の家庭滞在でまた新しい文化を発見して帰ることでしょう。最後に大変お世話になった方々に感謝お札を申し上げると共に、今後も変わらぬご厚情を賜らんことをお願い申し上げます。

原典【吹奏楽部創立40周年記念演奏会 プログラム】→著者 仁井田邦夫 平成10年(1998年)

サンクト・フィトス吹奏楽団(ドイツ・ブルクレンゲンフェルト市)
KNABENKAPELLE ST.VITUS BURGLENGENFELD

町とバンドの紹介

 彼等の町はニュールンベルクとミュンヘンの間にあるチェコスロバキア国境に近い人口約l万人程の小さな町です。ナープ川に溶って開けているブルクレンゲンフェルト市は、古来より優雅な町並みで、穏やかな木々の丘に囲まれています。歴史は11世紀にレンゲンフェルト伯爵により、レンゲンフェルト城が建てられた頃から始まり、貿易のルートとしても位置が良いため、多くの貴族達の葉まる所となっていました。水がきれいで味も良くビール生産の中心地としても有名です。
 サンクス・フィトス・バンドは1967年の7月23日ギムナジューム・コースの男子学生を中心に、当時牧師であったMartin Sarve,Chaplain,Josef Bockの3氏の力によって結成され、教会や学校の先生、それにメンバーの両親などの協力によって今日にいたっております。社会教育の発達したドイツでのこのバンドは、友好を深め、音楽見識を高め、学生達の有益で積極的な自由時間を作るために結成され、バンド組織は協調と謙遜の精神を育てるように努力しています。1974年ローマを初めとし、ヨーロッパ各地の演奏旅行を行い、1976年には英国ハロゲート音楽祭とフランクでの音楽祭に、1977年には創立10周年記念音楽祭(京都より5大学バンド参加)やイスラエルでの音楽祭にと、国内はもちろんのこと、各地で演奏活動の成果を上げており、コンクールにおいても常に1位の座を守っております。また1990年にはオーバープファルツ音楽賞を獲得しております。その時の祝辞の中でヴァヴァリア州知事は「このバンドはヴァヴァリア民族の伝統と文化の象徴となった」と言っております。
彼等の「一緒に騒ぐ」という気質が人々を引きつけますが、これは古いヴァヴァリアとフランケンとシユヴァーベン人達の気質でもあります。彼等の人生に深く刻みこまれた敬虔さと快活さ、力に満ち、地にしっかりと足をつけた人間の待つリズム、古い民謡や民族舞踊、しきたりや民族衣裳を愛する心、そしておいしい料理と飲み物にも少なからず尊敬を払っていることなどが、お祭りのような晴れがましい陽気な雰囲気をかもしだしてくれます。親日感情は大変厚くその上同盟意識が大変に強く、また日本人とよく似た性格をしておりますので、今回の彼等の情熱のこもった演奏はきっと、みなさんの心を打つことでしょう。

原典【吹奏楽部創立40周年記念演奏会 プログラム 40年間の主な歩み】→著者 仁井田邦夫 平成10年(1998年)
★式典行事

・本校入学式・卒業式・西京極野球場創設50周年記念式典・三菱電機株式会社20周年記念式典・京都市右京区制50周年記念式典・京都仏教青年会涅槃会・織田信長400年祭・世界仏教徒妙心寺歓迎演奏・日中仏教団妙心寺歓迎演奏会・護国神社慰霊祭・オリンピック選手をたたえる夕ベ・小沢校長追悼式・南極展除幕式・全日本書道研究会・京滋福祉大会・身障者団体開閉会式出演・スリランカ前大統領J.Rジャヤ・ワルテオ歓迎演奏・全国高等学校野球選手権大会開閉会式・京都府吹奏楽連盟発足10,20,30周年記念演奏会・国際花と緑の博覧会オープニングセレモニー・第42回全国植樹祭開会式・妙心寺普山式演奏・京都総合文化祭開会式出場・花園幼稚園創立5周年記念演奏・少年野球開会式・京都府軟式野球大会開会式・中学・陸上競技大会開会式・スウェーデン国王歓迎演奏・ねんりんピック開会ファンファーレ演奏・第2回全国工業高等学校ロボット大会開会式・衣笠小学校新築記念祭り演奏会・高雄ラン・アンド・ウォーク開会式

★コンテスト行事

・NHK全国学校音楽コンクール・全日本吹奏楽コンクール京都予選・全日本吹奏楽コンクール関西予選・アンサンブルコンテスト京都府予選・関西アンサンブルコンテスト・全日本アンサンブルコンテスト・マーチングコンテスト京都府予選・関西マーチングコンテスト

★フェスティバル

・京都ビッグバンドフェスティバル・京都府吹奏楽祭・京都府バトンフェスティバル・国際音楽祭出演・日本アマチュア音楽祭・建都1200年ヤングフェスティバル・全日本吹奏楽祭(吹奏楽の日)・花園大学乱舞祭・日本マーチングバンドフェスティバル・花園高校主催中学招待音楽祭・大谷大学学園祭・妙心寺500年祭・鈴鹿サーキット・アメリカンフェア・スイスジュネーブフェア・ル マンフェア・オーストラリアフェア出場・京都キリンフェスティバル出演・仏青部主催花まつり・近畿総合文化祭マーチングフェスティバル・私学中高総合文化祭・信長祭鼓笛隊出演・口丹バンドフェスティバル・高校バンドフェスティバル

★体育祭行事

・京都少年スポーツカーニバル・全国都道府県対抗女子駅伝・私学総合体育祭・近畿ラグビー大会・子供会連合大運動会・日本体操祭・花園幼稚園運動会・はばたく京都のスポーツ推進大会・ホンダ・スポーツギャザーにてマーチング・自転車連盟ロードレース大会・京都府民体育大会・京都市健康ウォークのつどい・公文全国大会・NHK家族運動会・エコデンレース・本校体育祭

★パレード行事

・鉄道妨害防犯パレード・私学デーパレード・「妙心寺八百年大法要」にてパレード・亀岡仏教会7ケ寺花祭パレード・少年補導パレード・京都市長選挙啓蒙パレード・身体障害者雇用促進パレード・現代版時代祭鼓笛隊出演・プラス・エキスポ・建都1200年パレード・京都国体開閉会式・マーチング出場・田辺町中央体育館完成記念マーチング・愛のパレード・国連デーパレート・新年市中パレード・アンコール国体・マーチング・3000人の吹奏楽出場・ひらからパークパレード・ラグビー国際招待試合演奏・マーチング

★交流行事

・ドイツ遠征・6回・フランス遠征・韓国遠征・日独韓親善交歓演奏会・オーストリアナショナルユースバンド来京合同演奏・ドイツ・スイス国際学院交歓演奏会

★来校者

・マクベス(アメリカ)p et・リンドン・チャップマン(イギリス)Pet・ニニロツソ(イタリア)pet・ジャックモージェ(フランス)Tromb・ジェームス・キーン(アメリカ)Cond・小澤征爾(日本)Cond

★その他

・松竹映画出演2回・ドイツ・バイエルンTV出演・春・夏合宿・クラブ歓送迎合・エスポワール吹奏楽団定演賛助出演・浜松YAMAHA楽器工場見学・新入部員歓迎ハイキング・役員・OB‐リーダース・キャンプ・役員交代・マーチング講習会・関西TV“ザ・吹奏楽”録画撮り・各中学校文化祭・出演・各区民運動会出演・ウインドオーケストラ与謝第5同定演賛助出演・第30回尼崎東高校メモリアルコンサート友情出演・インターアクト設立総会・インターアクト地区大会・ロータリー地区大会

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