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万歳町

 〒530-0028
 大阪市北区万歳町(まんざいちょう)


 大正3年6月1日施行の通町名改称で新設された町域である。北は中崎西1、2丁目、東は中垣1丁目と扇町2丁目、南は神山町と堂山町、西は中崎西2丁目に囲まれた地域である。

 ここには、もと梅田病院があった。これははじめ大正9年に古津度氏が地下室とも木造4階建ての大阪細菌研究所を建てたが、当時市内に伝染病室が不足しているのを憂い、梅田病院として病床60床を備え、当初はオープンシステムによって伝染病患者の用に供したものである。

 戦後、この敷地は曽根崎防犯協会に貸与され、「よしず児童遊園地」として広く市民に利用されていた。

 またこの地は古くから池田街道筋にあたり、宿場と宿場の「間の宿」として栄え、北野青物市場も町域にかかっていた事から、物流の拠点でもありました。また当神社の夏祭(7月15日)の折には、大坂三郷の商店はお盆で休みの為、唯一お盆の時期にやっている北野青物市場は大変な賑わいであった事が記録されています。

 なお、この町の名の由来は、現在、神山町の御本社の喜多埜稲荷神社の両脇にある、萬載橋が名の由来といわれ、元々この橋は右の写真の場所あたりに架かっていたといわれている。(ちなみに写真の撮影地は現在は神山町となっている。またこの道路が旧池田(又は能勢街道)街道にあたる)

 萬載橋の名の由来は不明だが、昔、この地域に住んでいた古老の話では、「萬の米俵を載せてもビクともしない橋」というのが名の由来と言われたが、確たる証明は残念ながらない。
 編著者のあくまで一考ですが、明治時代までは大阪でも正月やお祝い事の言祝ぎの芸として「萬歳」と呼ばれる話芸が街角や、座敷で演じられ、特に地名を冠した「三河萬歳」や「加賀萬歳」などが有名でした。この大阪では奈良から「大和萬歳」の演者(太夫と才蔵という2人1組)がやってきて話芸を披露していたと考えられ、この話芸を萬載橋の上で披露していたのかもしれない。ちなみにこの「萬載」が後に「漫才」になり、大阪のお笑い文化の基礎となっており、もしかするとこの万歳町は「お笑いの故郷」だったのではないかと考えると面白い。しかしこの大和萬歳は既に戦前の頃には継承者がなく途絶えてしまったのはとても残念である。(大和萬歳の流れを汲む伊勢萬歳はいまも残っている)

 この町の北側には都島通りが東西に走っているが、この道路の万才町寄りの側道には、毎日放送の放送開始25周年を記念して寄贈されたメタセコイヤ40本が植樹されている。このメタセコイヤは既に絶滅した樹木とされてきたが、1939年に中国の奥地で生きた状態で発見され、それ以後「生きた化石」とも呼ばれる樹木である。昭和天皇も愛された植物として名高い。世界で最も樹高の高い(樹高80m超)セコイアにその姿がそっくりな事から、植物学者の三木茂博士によって「メタ(変形した)セコイア」と名づけられた由縁をもつ。このメタセコイアはセコイアとは違い樹高35mほどであるが、それでも十分樹高の高い樹木である。大阪市内でも珍しいメタセコイヤの並木道をこの万歳町ではみる事が出来る。

 現在、この町は大阪市の道路計画の真っ只中にあり、それまで民家も多数あったが現在はごく僅かにしか残っていない。



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【万歳町の名所・旧跡】
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御本社に残る萬載橋

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