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あらまし C
@ 綱敷天神社の創建
   嵯峨天皇の御廟、神野太神宮
A 菅原道眞公と白太夫
    菅公の生い立ち
B 菅公左遷
   梅塚と白江氏
C 喜多埜天神の建立
  神野太神宮と梅塚天満宮の合祀
D 戦国時代の動乱
    南北朝から大阪夏の陣
E 江戸文化の隆盛
   寺子屋の普及と天神さま
F 明治維新と綱敷天神社
   上知令と御旅所梅田の変容
G 太平洋戦争
   本殿の炎上、御神体の避難
H 戦災からの復興
   焼野原から崇敬者と共に
I 現代の綱敷天神社
   大阪梅田、キタの大神さま

喜多埜天神の建立

菅公から天神さまへ

九州の太宰府に左遷せられた菅原道眞公は、無念の内に延喜3年(903)2月25日に御昇神あそばしました。

 この後、京都では、道眞公を無実の罪に落とした者が次々と変死し、また、天変地異も相次ぎいだ事から、これは無念のうちに亡くなられた道眞公の祟りであるとして、天暦元年(947)6月9日、京都北野の地に、道眞公の霊魂を鎮める為に北野天満宮を創建、ついで正暦4年(993)、菅公に正一位の位を追贈し、菅公の御霊を国家規模でおなぐさめ致しました。


神野太神宮と梅塚天満宮の合祀

この時に、嵯峨天皇の御廟社である神野太神宮の地(現在の御本社のある神山町)に、白江氏の祀る梅塚天神とを併せ祀り、北野(喜多埜)天神の御社殿を建立しました。

その為、梅塚の地(現在の太融寺町)にあった白江氏の祀る梅塚天満宮跡は、御神霊の渡御を行う為の御旅所(現在の御旅社)となりました。

 しかし、暦応年中(1340年頃)、南北朝の争いにより、当地は戦場となり、社殿神宝悉くが焼失し、時の祠官であり第二十代宗家当主であった白江四良右衛門もこの年中に亡くなっている事から、戦火に巻き込まれて亡くなったと考えられています。




【あらましCの内容】
菅公から天神様へ
・両社の合祀


【関係人物】
・菅原道眞公
度会春彦



【その他】

・梅塚
・北野天満宮























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