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あらまし H
@ 綱敷天神社の創建
   嵯峨天皇の御廟、神野太神宮
A 菅原道眞公と白太夫
    菅公の生い立ち
B 菅公左遷
   梅塚と白江氏
C 喜多埜天神の建立
  神野太神宮と梅塚天満宮の合祀
D 戦国時代の動乱
    南北朝から大阪夏の陣
E 江戸文化の隆盛
   寺子屋の普及と天神さま
F 明治維新と綱敷天神社
   上知令と御旅所梅田の変容
G 太平洋戦争
   本殿の炎上、御神体の避難
H 戦災からの復興
   焼野原から崇敬者と共に
I 現代の綱敷天神社
   大阪梅田、キタの大神さま

戦災からの
復興

戦後の混乱

 戦後まもなくは、折からの物資不足で、社頭運営もままならない状態であり、世情混乱の時代であった為か、社地を無断使用されたり、知らぬ内に売却されていたりと大変な時代でした。
 しかし、昭和も二十年代後半にもなると、町もだんだんと落ち着きを取り戻し、それまで仮設の小屋であった綱敷天神社の御社殿を復興しようという動きが活発になってきます。


御社殿の復興

 昭和二十八年、それまで仮設の社殿であった当社をきちんとした御社殿と復興するべく工事が開始され、昭和三十一年七月十五日、当社の例祭日に併せてコンクリート造りの御社殿が復興し、御神霊の遷御祭が執り行われました。
 社殿にコンクリートを用いたのは、やはり耐震や防災などの意味もありますが、何と言っても戦争で炎上した本殿への思いから、燃えない御本殿をと、株式会社ヤマシタの会長であらされた中野常三郎氏の助言もあり、今の御社殿が完成しました。


御社殿の造り

 御社殿は、本殿、幣殿、拝殿の三つから構成される、いわゆる権現造りで、さらに御祭神に嵯峨天皇をお祀りする由縁から、拝殿、幣殿、本殿と順々に高くなっていく造りとなっています。(通常の権現作りは拝殿と本殿の高さが同じ場合が多い)
 復興した御社殿には、日夜参詣の足が途絶えることなく続き、その後、御旅所、稲荷社、白龍社、随身門などの建物も復興され、現在の姿へと移っていきます。



【あらましHの内容】
・戦後の混乱
・御社殿の復興
・御社殿の造り


【その他】
・梅塚天満宮(御旅所)
・喜多埜稲荷神社
・白龍社







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