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あらまし I
@ 綱敷天神社の創建
   嵯峨天皇の御廟、神野太神宮
A 菅原道眞公と白太夫
    菅公の生い立ち
B 菅公左遷
   梅塚と白江氏
C 喜多埜天神の建立
  神野太神宮と梅塚天満宮の合祀
D 戦国時代の動乱
    南北朝から大阪夏の陣
E 江戸文化の隆盛
   寺子屋の普及と天神さま
F 明治維新と綱敷天神社
   上知令と御旅所梅田の変容
G 太平洋戦争
   本殿の炎上、御神体の避難
H 戦災からの復興
   焼野原から崇敬者と共に
I 現代の綱敷天神社
   大阪梅田、キタの大神さま

現代の
綱敷天神社

綱敷天神社の現況

 当社は昭和三十一年の復興より、平成十八年には復興五十年となり、半世紀を経るに至りました。
 その間、御旅所社殿の造替、社史の刊行、阪神大震災による被害、歯神社社殿への放火事件など様々な事がありましたが、平成十四年には御祭神、菅原道眞公の御神忌一千百年記念大祭である大萬燈祭が斎行され、次の半萬燈祭の行われる二十五年後に信仰の灯火を受け伝え、いよいよ神社を取り巻く環境も次代へと移りつつある時期に入ってきています。


神社周辺の変化

 夏の例祭は、交通事情や氏子数の激減により、ここ十年来は神事のみの形となるなど、祭礼の形も今ままで通りでの斎行は難しくなってきました。また、近年中に神社裏に大阪市の計画する道路が南北に開通する事となり、益々神社の周囲は大きく変化しています。
 この地域は明治以後劇的な変化を遂げた地域であり、今後もその変化は続いていく事でしょうが、平安の御代より梅田、キタの氏神さまとして慕われ、多くの人々の心の故郷として信仰されてきた当社の神さまは、今も変わらず行き交う人々を常に見守られています。



【あらましIの内容】
・綱敷天神社の現況
・神社周辺の変化


【関係人物】
・菅原道眞公


【その他】
・梅塚天満宮(御旅所)
・歯神社







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