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御本社 御本殿
嵯峨天皇(神野太神宮)
菅原道眞公(綱敷天神)
末社(御本社内)
喜多埜稲荷(宇賀御魂神)
(喜多埜稲荷神社
白龍大神
(白龍社)
猿田彦大神
(白龍社)
御旅社
菅原道眞公(梅塚天神)
御旅社御本殿)
玉姫大神(宇賀御魂神)
(玉姫稲荷神社)
歯神社
歯神大神(宇賀御魂神)
戦前の末社
戦前の末社の御祭神
当社ゆかりの人物
源融公
度会春彦(白太夫)
その他の人物

製作中 度会春彦
(白太夫)

 渡會、渡会、度会、渡相、と色々な書き方がありますが、全て「ワタライ」と発音します。

 この渡會というのは、元をたどれば伊勢神宮に奉仕していた神主一族で、その歴史は古く、伝えるところによれば現在の内宮が鎮座する以前より伊勢の地にすでにいたといわれ、宮川周辺(現在の三重県渡会郡)を中心に住んでいたと言われています。

 渡會氏は内宮の天照坐皇大御神に奉仕したのではなく、外宮の豊受皇大御神に奉仕していました。しかし、この豊受大御神は雄略天皇の時に丹後の地より勧請されたといわれ、それ以前は渡會氏の氏神を祀っていたのではないかと言われています。

 ですから今の外宮の別称が「渡會宮」と言われているのもその名残のように思えます。

 さて、本題の渡會春彦が何者かというと先にも述べた通り、伊勢神宮外宮の神官で禰宜(「ネギ」と読みます。神社での神職の部署一つで、一般の神社であれば宮司の次位にあたる)でした。若い頃から頭髪がまっ白であったことから「白太夫」と呼ばれていました。

 この渡會春彦がなぜ菅原道眞公と関係があるかというと、それは菅公が生まれる以前のお話になります。

 菅公の父、菅原是善公は長男、次男共に幼くして亡くなったため世嗣がいませんでした。そこで侍臣の島田忠臣(当代の詩匠と呼ばれ、道眞公にとってはの妻方の義理の父親にもあたる。)に命じて、伊勢神宮外宮神官の渡會春彦を通じて祈願し、その御神徳によってお生まれになったのが道眞公だったのです。その縁でその後道眞公のもり役として仕える事になりました。

 当社とこの渡會春彦とがどういった関係があるかというと、それはこの渡會春彦が当社の世襲社家である白江家の始祖にあたるからです。と言うのも、道眞公左遷の折り当社にお立ち寄りになりました時道眞公自らお側近くに渡會春彦以下一族を召され、これ以上の追従は大変苦しいものであるから、汝ら一族は此処に留まるべしと言われ、春彦の一族、春茂に御自身の御影を書き与えられ、「今より渡會の姓を改め白江と名乗るべし」と申され、この春茂をはじめとする一族六名、主との別れはつらい事ではありましたが、菅公の遺命に従ってこの当地に留まることとなったのです。そして残った白江の一族は綱敷天神社の神主として今につづくわけであります。

 さて、その後の渡會春彦はどうなったかというと、70歳を越える高齢でありながら道眞公と共に筑紫の太宰府までお供し、道眞公が薨去されるとその御遺物を菅公の長子にあたる菅原高視朝臣のおられる土佐国潮江村に御遺物を奉じられその後京の都へ帰らんとする途中大津村の岩崎の津という所で延喜五年(905年)正月九日、七十九歳で亡くなったと伝えられています。
(なお、当宮史料によると延喜四年(904))二月二十五日、八十三歳で亡くなったとされています)

 その墓は現在の高知県長岡郡大津村の岩崎山の北川の杉の木立に囲まれた白太夫社の南へ少し登った竹藪の中に五輪塔があり、それが公の墓であると伝えられています。渡會春彦の忠心は後世の人々に感動を与え、後に道眞公を祀るお社の末社の筆頭には渡會春彦の別称の白太夫の名を取って、「白太夫社」としてお祀りするようになりました。現在も由緒のある天神社にはこの白太夫社があります。

 ちなみに、この白太夫の一族、春茂より白江と名乗るようになったとされていますが、この名は当神社の周辺、特に大川周辺の古い地名であった新羅江(しらぎえ)がその名の由来ではないかともいわれています。 対馬に残る地名にも白江とあり、この地名は古代に交流のあった新羅から来ていることが確かな事から、新羅江→シンラエ→シラエ→白江となったとも考えられ、同じような理由で当神社周辺を古代では白江と呼び、菅原道眞公はそこから白江の名をお付けになられたとも考えられなくはありません。しかし、白太夫の「白」の字と、大川周辺の港湾を指す「江」の字が合わさって出来たという考えもある事から、白江姓の由縁についてはあくまで推論の域は出ません。しかし、近世には綱敷天神社の祠職家(宮司家)を白江宗家といった事から、白江姓の発祥地としては十分考えられる事といえます。





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