牛久入管収容所問題を考える会
最終更新日:2017年2月25日 / 公開日:2003年6月5日

連絡先:〒300-2642 茨城県 つくば市 高野 1159-4 田中 喜美子 方
電話:029-847-5338 、FAX:029-847-3495
郵便振替口座:00130-7-90248

メ−ル:ki_ushikunokai@yahoo.co.jp

     牛久の会入会案内    
         


難民支援協会 
 仮放免者の会  牛久の友の会  APFS(ASIAN PEOPLE’S FRIENDSHIP SOCIETY)


 編む夢日記    

 茨城県牛久市に、外国人を収容する施設があることをご存知ですか。ここには、難民申

請者を含む多くの外国人が収容されています。彼(彼女)らは、日本に生きる希望・活路を

求め、夢と希望を抱いてやってきました。

 しかし、日本政府は彼らの自由を拘束し、隔離収容をおこなっています。帰国させられる

と厳しい迫害を受ける恐れのある難民申請者、結婚や養育の問題、労災や賃金未払いな

ど、様々な問題を抱えた人たちが長期間収容されることもあります。

 私たち、牛久入管収容所問題を考える会は、面会行動を通して彼らの生の声を聞き、様

々な取り組みをおこなっています。当会は、面会ボランティア、月例会への見学・参加者を

随時募っています。また、被収容者のご家族、関係者の方、お気軽に声をかけて下さい。

お手伝い出来ることがあるかもしれません。

(牛久の会通信2月号から抜粋)。
 米国大統領・トランプによる中東・アフリカ7カ国に対する120日間の入国禁止、、中でもシリア難民に対する無期限の入国禁止方針に米国内を始め、世界中で大きな抗議行動が起きています。シリアやイラクを始めとするこれらの国は米軍主導の多国籍軍の激しい空爆を受け、生きていくのが出来ない状況を強制されている=国土を滅茶苦茶にされた国だらけです。
 もっとも日本の入管・難民政策は実態を見ればトランプの移民・難民政策と似たり・・・の状態。

 法務省入国管理局から「平成28年における難民認定者数等について(速報値)」が発表されました。過去最多の10.901人の難民申請で前年より3.315人の増、認定は28人で前年より1人増。
 
 驚くほどの難民認定者数の少なさです。特に軍事クーデターの未遂があったトルコに於いては、エルドアン大統領の強権支配が強まっており軍部の粛正に留まらず、政権に批判的と見なされた法曹界、警察、教師等の投獄、マスメディアの閉鎖等々、人権状況に対する懸念や批判が相次いでいます。シリア危機につながるトルコ・クルド地域に住む人々が日本に庇護を求めてやってきています。このクルド人達には相変わらず一人も難民認定者はいません。
 牛久にも品川にもクルド難民申請者が上陸拒否や、難民認定の却下で大勢収容されています。 

2016年年次活動報告会を皆さんのご協力で盛況のうちに終えることが出来ました。そして、28日牛久入管被収容者への一斉差入れ行動を行いました。来年もよろしくお願いいたします。 

 
 


参加と賛同・カンパのお願い 
 牛久入管収容所問題を考える会は、入管収容所への面会行動と面会行動を通じた難民・難民申請者、滞日外国人との交流を活動の基本とするボランティアグループです。当会は今年も1年間、牛久入管収容所への面会行動を続けてきました。その成果と課題を来る12月25日(日)、つくばイノベーションセンターにて開催する「活動報告会と交流のつどい」をもって皆様方と共有したいと思います。

 気候の変動も激しい年でしたが世界の政治経済体制も激しく揺れ動いています。英国のEUからの離脱、米国大統領選での「反移民」を掲げたトランプ氏の勝利、韓国では朴クネ大統領の退陣を求めるデモ、デモ、デモ。シリア、イラク、トルコをめぐって中東危機のさらなる激化と戦後最悪の難民の発生、予断を許さない東アジアの緊張関係、アフリカ諸国特に南スーダンにおける内戦の激化と自衛隊PKO活動、書き出したらきりがない激動の世の中、根本の問題は何か?解決の道はどこにあるのか?
 移民・難民として生まれ育った地を離れざるをえない大量の人々を生み出したこの新自由主義にNO!を。世界中で吹き出しているヘイトクライム、排外主義と戦争の問題を共に考える機会にしたいと思っています。
 
 この国の外国人政策の根幹・入管収容所の問題=「収容・たたきだし」政策について問題提起します。同時にこの国で暮らす正規・非正規を問わない外国人との交流を通じて彼・彼女たちの「生きぬく力」を共有したいと考えています。  例年、楽しみな「クルドっ子達の劇」、外国人部会で活動されている弁護士の講演、仮放免者等に無料の医療相談会を開催している北関東医療相談会のお話。参加外国人たちとの対話・自由討論を通じた意見交換と交流、弁護士による法律相談なども予定しています。

 どうぞ、つくば市イノベーションセンターに足をお運び下さい。なお、賛同カンパにつきましては、会の運営費、年末年始に例年行っている「牛久入管被収容者への差し入れ品」の購入等々に使わせて頂きます。ご協力お願いいたします。

11月6日 国際共同行動・労働者集会に参加しました。



 夏、やっぱバーベキューでしょう!

8月21日  豪雨と台風の隙を狙ったかのようなバーベキュー日和。通常は仕事の都合などがあって面会行動には参加出来ない会員さんも参加。仮放免者の家族連れを含めバーベキューは賑やかにおおいに盛り上がりました。今年惜しくも参加出来なかった方、来年こそ是非に! 

6月20日は「世界難民の日」です。 
 当日、当会は、お昼前後に品川入管にて抗議行動、午後から夜までは、JR常磐線牛久駅頭で難民の日キャンペーンを

展開中です。短時間での参加も大歓迎!どうぞご一緒に。
 

BBCニュースジャパンで牛久収容所の内部が取材されました。

なぜ日本は難民をほとんど受け入れないのか

2016年06月8日

ドイツやカナダで難民認定を申請すると、その約40%が認められる。英国では30%以上だ。

しかし日本では、認められるのはわずか0.2%。しかも判断を待つ間の扱いは過酷だ。

ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ東京特派員が報告する。

 
 リンク http://www.bbc.com/japanese/video-36476470

 牛久入管の門が変わりました。
 

 2016年4月27日 入管へ申し入れ書を提出しました。
  申し入れ書

東日本入国管理センター所長 北村晃彦 殿
東京入国管理局長 伊東勝章 殿
                     牛久入管収容所問題を考える会    2016年4月27日
当・牛久入管収容所問題を考える会は、東日本入国管理センターにおいて長年にわたり被収容者に対し面会行動を行っているNGOグループです。
 2016年度となり貴局の新体制に際し、国際情勢の激動下、この国と関わる最初と最後の機関をになう出入国管理が「人の安全保障」の観点からもますます重要となっており退去強制令書の発布に伴う貴センターへの収容とその処遇は更に人道的配慮が求められているとの思いから以下の点について申し入れをします。

一.被収容者のそれぞれの言語において「退去強制令書」について説明すること、  被収容者であっても受けられる権利を説明すること。
一.長期収容の是正、収容は6ヶ月を超えないこと。
  退令発布後の収容が通算で5年に及ぶ方が現在もいる。名古屋入管、品川入管で2ヶ月以上(1年近く)収容され、牛久に移送されたケースが多く見受けられる。精神的、肉体的に仮放免後または帰国後PTSDの発症、社会生活への不適合など無きように配慮する。
一.仮放免のより柔軟な摘要。
  成田等で上陸拒否になった難民申請者に対しては難民条約等の国際法上の観点からも早期の仮放免許可をすること。
一.どうあっても帰ることが出来ない「出国拒否者」=日本に家族がいる者、日本にのみ生活の基盤がある者等の同意無き強制退去の執行はしない。
一.被収容者への医療体制の改善を求めます。
@医師の診察無く薬を処方しないこと。
A外部医療機関(専門医)への通院診療を認めること。
B外部医療機関への通院に際しては手錠・腰縄付きを廃止する。
一.処遇の改善について。
@運動時間の現行40分程度から1時間への延長。
A夕食後の夜間居室内移動自由時間を再度PM6時から9時まで設けること。
B差し入れ可能品のさらなる拡充を求めます。
一.チャーター機による一斉送還、無理矢理の退令の執行、大村収容所への移送等、被収容者が裁判を受ける権利、在留特別許可の道を閉ざさないで下さい。
一.貴局に関わるNGO、NPO、被収容者との話し合いに応じること。
            以上
連絡先  茨城県つくば市高野1159-4 (п@029-847-5338)
              牛久入管収容所問題を考える会 田中喜美子            

 ネブローズ ピローズバ!Newroz pirozbe!
 3月20日(日)埼玉県蕨市の蕨市民公園でクルド人たちのネブローズ祭が盛大に催されました。日本に難民申請をしているクルド人たち1500人が参加、毎年参加者が増え、民族衣装を着た女性たちが多く加わり、賑やかになっています。
 トルコを含むクルド地域ではネブローズ、イランではノールズ、アフガニスタンはナウローズ、新しい季節の始まりを祝う催し(春を喜ぶ)があります。
 クルド人たちの間では「悪政を倒す日―闘いののろしを知らせる火をたく」としてネブローズがあり、トルコ各地・クルディスタンにおいて、ネブローズ祭は弾圧され、装甲車に囲まれての祭り、参加するのも軍や警察との闘いでした。近年は政府による規制が和らいできたようでしたが、今年はトルコ情勢は激動下にあり「何があってもおかしくない」状況にあります。
 20日、蕨での盛大なネブローズ、クルド音楽が流れ、男も女も踊りを楽しみ、ケバブには長い行列、美しいクルド女性の民族衣装。こんなにも多くのクルド人達が日本にすんでいるのか!を実感しました。


長期収容者の存在を隠すマジック 
 牛久入管収容所問題を考える会は年末年始にかけて、会として把握出来ている被収容者約160名に対し、タオル、石けん、歯ブラシ、ノート、ボールペン、手帳の一斉差し入れを行いました。多くの方々のご協力と賛同、有り難うございました。

 この差し入れ行動・被収容者への面会を通して、年末の「年次活動報告会」資料のために法務省の係官を通じて入手した東日本入国管理センター(牛久入管)の現況報告(2015年11月30日現在)中、収容期間別被収容者数に疑念がある事を見つけました。

 今年最初の一斉面会日・1月6日(水)、当会の面会参加者が上記「牛久入管の収容期間別被収容者数」に統計と合わない被収容者が存在するのではと疑問をもちました。実際に面会している複数の会員が「日系ブラジル人が2011年3月から収容されている。この3月で5年の長期収容である。」との証言。法務省・入管局からの回答では3年以上の被収容者は0となっています。
 早速、牛久入管の総務課にこの日系ブラジル人の存在について問い合わせしました。すると、けんもほろろで頑なに「誰から得た現況報告か?問い合わせにコメントすることも回答するかどうかを回答することも出来ない」の1点張りです。あまりの不誠実な対応に「何か不都合なことがあるのかな?」とも勘ぐりたくなるようでした。

 1月12日(火)、東日本入国管理センターの現況報告の問い合わせに回答して下さった法務省の係官にこの日系ブラジル人の存在について問い合わせを行いました。秘書官の入管局、牛久入管への問い合わせへの回答によると、「2011年3月から収容されている日系ブラジル人は存在する。ただし、この方が2012年の12月、一時期他の収容施設に移されていたのでそれ以降のカウントとなる。従って2年6ヶ月以上3年未満1名に該当する。」というものでした。

 1月13日(水)、本人に確認すべく当方が面会すると「間違いなく牛久のみでもうすぐ5年になる」とのことです。当方が「品川とか、大阪とかに行ったことがないか?」の問いかけに「2012年12月に2泊3日で品川に難民のインタビューに行った」ことを記憶していました。

 被収容者がインタビューのために品川入管(成田などにも)に2〜3日移送されることはよくあることです。この時本人の荷物は全て持参します。しかし、品川から戻ると同じ部屋にまた収容されます。牛久から品川、そして牛久に戻る過程で通算被収容日数が途切れるなどとは誰も思ってはいません。

 長期収容が問題です。当会は6ヶ月以上の収容で難民申請者等の「帰国を拒んでいる方」「帰れない事情を持っている方」には仮放免の弾力的運用を求めています。 当該の日系ブラジル人も定住者として25年前に来日、もうブラジルには両親は亡くなり、兄弟もいません。間違いを起こし服役しましたが日本人なら刑期が終われば自由の身です。内外人平等の原則からしても、二重の刑罰を受けているか?のようです。勿論、入管は「帰国を望めばすぐにでも帰れますよ!」というかもしれませんが、彼も含めて「どうあっても帰れない」人にとっては非常に厳しいものがあります。「納得のいかない収容の現実に」肉体的にも精神的にも痛めつけられます。「人の安全保障」などと言うとき真っ先に日本における「出入国管理・難民認定法」を問題にすべきと思います。

 それにしてももうすぐ5年、誰が考えても人権上問題がある長期収容です。牛久入管はこの現実を隠蔽したかったのでしょうか?まずはこの日系ブラジル人が2011年3月から異常にも長期に収容され続けているという現実を認めるべきではないでしょうか。そして、早期の職権仮放免、日系人としての定住ビザに戻すべきと考えます。(1月15日 文責:田中)


 


2015年次活動報告会の最後に記念写真を撮りました。


 2015年・牛久入管収容所問題を考える会活動報告会は実り多い会でした。
 戦後最悪の難民流出の時代 日本の出入国管理・難民認定法が問われています。
 体制側にとって「不都合な」外国人は「全件収容・たたき出す」と言う政策の根幹、入管収容所に面会行動を続けている当会は1年間の活動を通してこの国の外国人政策の酷薄さ、入管施設内で何が起きていたのか?を明らかにしてきました。
 報告会では「難民から学ぶ世界と日本」を刊行されたばかりの山村医師の講演、面会行動者の報告、牛久入管等収容施設での弁護活動に携わっている3名の弁護士による「実務者から見た収容問題、難民認定の現状・特に難民参与員の資質を問うひどさ」が怒りを込めて報告されました。
 バングラデッシュ人22名のチャーター機による送還、被収容者のコミュニティからの分断、品川入管から大村収容所への移送、個々人レベルで繰り返された無理矢理の強制送還、相変わらずの医療問題と相変わらず多い難民申請者等の長期収容等々と人道的に許し難い国際人権規約にもとる処遇に対する現状報告が基調の提起としてなされました。
 仮放免者の発言、クルド難民によるシリア・クルド問題の現状報告、クルドっ子たちの劇・・・この国で生き抜く道を切り開いている人々の話は希望と活力を参加者に与えました。

 当会は被収容者304名(12月10日現在)にたいし2016年も地道に面会行動を続けていきます。 まずは年末年始一斉差し入れとしてタオル、石けん、歯ブラシ、ノート、ボールペン、手帳を名前のわかる被収容者150人以上分を用意しました。多くの方のご協力に感謝いたします。
( 活動報告会報告集が必要な方はメールでお知らせ下さい。)

  2015「牛久の会・年次活動報告会」基調提起  田中喜美子

                           「収容・たたきだし」からこの国で生きる権利を!

世界中で難民問題がクローズアップ
 トルコでのG20を目前にした11月13日、フランスでISもしくはISの支持者と見られるフランス国籍の青年達(1名はシリアからギリシャで難民申請)による、同時多発テロが起きた。彼らは「オランド大統領によるシリア空爆抗議」を掲げていました。多くの人々が惨劇の被害者となりました。
 実行犯達の絶望的なテロにたいし、「テロでは未来は生み出せない,悪政を倒すのは人々の連帯・団結を求めてやまない行動だ!」と言いたい。同時にこの事件の根本原因には、大航海時代から第一次世界大戦を経てヨーロッパ帝国主義による植民地のぶんどり合戦、第二次世界大戦後のとりわけ石油資源を巡る米国、ソ連の軍事介入がこの地の人々に大変な苦難を強制している事にあります。シリアにおけるアサド政権の悪政に対して立ち上がった人々の闘いは中東地域全域を含む内戦となっています。

 有志国連合による空爆、IS(イラクへの軍事介入の過程で米軍が陰に陽に育成した)の台頭等々による地上戦の激化はシリア国民約2200万人の内半数、国内避難民700万人、国外に約400万人を難民と化しました。
 「テロとの戦い」は新たな憎しみを生み、世界的な文化遺産もインフラもお構いなしの戦闘は人々の生活を根こそぎ破壊しきっています。
 トルコ軍によるロシア機の撃墜は新たなロ・ト戦争の始まり、この地の支配を巡り「第3次世界大戦は始まっている」とも言われる最悪の事態を生み出し、EU等を目指す人々の列は留まりません。厳しい冬の季節を迎え、シリア難民は命の危機にさらされています。

 世界経済の減速、新自由主義の破産は世界支配を巡り、各国で階級対立を生み出し、差別と排外主義、戦争が煽られています。難民を受け入れ、難民を生み出さない世界を目指す、世界中の私とあなたの真価が問われています。「自由と人権を守り抜く」人々の団結・連帯行動をつなげ続けましょう。

日本の難民政策
 9月29日、安倍首相は常任理事国入りへの支持を熱望せんが為か、有志国連合の一員として、ニューヨーク・国連での一般演説で難民問題対策に970億円を拠出すると宣言しました。ただし、記者会見では日本にシリア難民は「受け入れない」とも表明、「少子・高齢化対策が先」とピントはずれまくりです。
 紛争当事国、中東地域・アジア・アフリカ、中南米から日本にも多くの難民・移民が訪れています。ただし、日本では難民としての庇護も受けられず出身母国よりひどい生活を余儀なくされている方が大勢います。
 日本では昨年5千人の難民申請があり(今年は更に増加)ましたが難民認定はたった11人。ネパール、トルコ(クルド人)、スリランカ等が多くを占め、シリアからの難民申請者もいます。ただし、難民として認定された方は3名のみ、人道配慮による特別在留(サポートは無し)が38人です。
 
 国際的批判の中で法務省は難民申請中の特定活動者の激増に「紛争待避機会」と言う在留資格の新設とアフリカで虐待を受ける女性などを想定した「新しい形態の迫害」を追加しました。しかし、一方で難民認定の審査の厳格化を徹底するといいます。全国の収容施設からの仮放免者の存在(帰国を拒否する人々)を問題視しています。
 新年早々から始まった読売新聞等による「偽装難民キャンペーン」は政府の「難民は受け入れたくない」を民間レベルで後押しする差別・排外主義そのものです。正規・非正規を問わない滞日・在日外国人をどれほど傷つけたでしょうか!当会が関わっている牛久入管の被収容者も大変な屈辱を受けたと読売新聞に抗議行動を起こしました。

牛久入管面会事情
当会は今年も1年間、面会行動を続け、被収容者達の様々な問題に向き合って来ました。「どうあっても帰れない」被収容者にとって長期収容、医療問題は根が深く、相変わらず外部病院への受診を申請しても「1ヶ月先」や、被収容者のプライドをとことん傷つける腰縄・手錠付きでの通院が続いています。
 個々人段階での無理矢理の「退去強制」も執行が続きました。
 西日本入国管理センターの閉鎖に伴い名古屋入管から牛久入管への移送があり、一方での品川入管から大村収容所への移送という被収容者にとっては「自主退去」の強制とも取れるコミュニティからの分断、非人道的措置も執られています。                             資料添付
 11月25日には牛久からの仮放免者を含むバングラディシュ人22名にたいしチャーター機による一斉送還が強行されました。裁判を受ける権利を奪い、結婚予定があるとか、個々の事情を全く認めない法務省のやり方は国家暴力そのものです。来年度もチャーター機の予算が組まれています。様々な角度からの批判と対応を検討したい。
 処遇で改善が見られたのは40分間の全日運動、午前午後とも温シャワーが出るようになった。夜間の電話が隔日交代で可能になった。
 外部への委託事業による売店が月曜と木曜のみ営業になり、外部からの被収容者への差し入れは以前より大幅に品目が可能になった。子供への配慮か?キッズコーナーが作られたり、障害者用駐車スペースが確保された。

牛久入管収容所問題を考える会にご参加下さい。
 当会はこれからも地道に面会行動を続け、この国の外国人政策と向き合っていきます。面会行動、定例会への見学・参加、通信読者への登録をお待ちしています。国境を越えた人々の連帯と団結の輪を作っていきましょう。



 

 牛久入管収容所問題を考える会・2015年活動報告と交流のつどい
参加と賛同・カンパのお願い

 牛久入管収容所問題を考える会は、入管収容所への面会行動と面会行動を通じた難民・難民申請者、滞日外国人との交流を活動の基本とするボランティアグループです。当会は今年も1年間、牛久入管収容所への面会行動を続けてきました。その成果と課題を来る12月20日(日)、つくばサイエンス・インフォメーションセンターにて開催する「活動報告会と交流のつどい」をもって皆様方と共有したいと思います。

 安倍政権による安保関連法案の強行突破に対して連日国会周辺、全国各地で万を超す人々が闘いに立ち上がりました。この闘いは現在も沖縄辺野古基地建設反対闘争、原発再稼働=福島への帰還強制に抗議する行動、TPPや消費税増税、大学の産・軍一体化と闘う人々へと続いています。安倍政権は山積する国内問題を審議すべき臨時国会も開催することが出来ず唯一の乗り切り策としてG20やASEAN首脳国会議、武器輸出と原発売り込みに走っています。
G20を目前にしたフランスでのISのテロをも利用した「テロとの戦い」を唯一の旗印として、世界的な新自由主義の破産を取り繕うとしています。
 
 新たな戦前を思わせる時代の中でこの国の外国人政策の根幹・入管収容所の問題について1年間の面会行動によってより明らかになる「収容・たたきだし」政策について問題提起します。同時にこの国で暮らす正規・非正規を問わない外国人との交流を通じて彼・彼女たちの「生きぬく力」を共有したいと考えています。 例年大変好評を博している「クルドっ子達の劇」、収容所での医療相談を行っている山村医師の報告、参加外国人たちとの対話・自由討論を通じた意見交換と交流、弁護士による法律相談などを予定しています。

 どうぞつくば市インフォメーションセンターに足をお運び下さい。なお、賛同カンパにつきましては、当日参加予定の外国人の旅費の半額負担、及び報告会の運営費、年末年始に例年行っている「牛久入管被収容者への差し入れ品」の購入等々に使わせて頂きます。ご協力お願いいたします

 毎月発行している「牛久の会通信168号」(10月18日発行)から、紹介します。

 国際的に「難民問題」がクローズアップされています。報道等で見るEUを目指すシリア地域、中東、アジア・アフリカからの難民の決死の脱出行に心が痛みます。

  9月29日安倍首相は常任理事国入りへの支持を熱望せんが為か、ニューヨーク・国連での一般演説で難民問題対策に970億円を拠出すると話しました。ただし、記者会見では日本にシリア難民は「受け入れない」とも表明!!「少子・高齢化対策が先」と相変わらずピントがずれている!と言うか?何というかです。うがった見方をすれば,970億円で難民を生み出す側の為政者に日本の金で日本の武器を買え!と言うことか。

 法務省から9月に「第5次出入国管理基本計画」が発表されました。昨年、難民申請者5000人に対して難民と認めた方が11名、国内外で大きな懸念・批判にさらされました。このことに対応するためか,「難民認定制度の運用の見直しの概要」も同時に公表されています。
 この中で
 1.新たに「紛争待避機会」という保護対象(難民認定ではない)の位置づけがされ、
 2.アフリカで虐待を受ける女性などを想定した「新しい形態の迫害」が難民認定に追加された。
 ただし、基本は制度の「乱用を押さえるため」に「審査の仕組みの厳格化」を強調しています。(26年末までの仮放免者4388人の存在を法務省は特に気にしているようです。)

牛久入管事情
*被収容者は,スリランカ、トルコ(ほとんどがクルド人)、イラン、フィリピン、中国、ネパール、ベトナム、アフリカ各国、ブラジル、ペルーなど多岐にわたる。

*名古屋入管からの移送者が増加、彼らは名古屋ですでに1年近く長期収容され、又再び牛久で長期化している。大変なストレスを抱え込んでおり、人道上問題がある。しかも許し難いことに,当会が把握しただけでもこの8〜10月にかけて無理矢理の「強制退去」が4人の名古屋からの移送者・フィリピン人に対して強行された。
 10月8日・AM5時過ぎ1B ブロックに収容されていたフィリピン人に対して20人前後の入管職員が部屋に乱入、寝ていた彼をベットから連れ去った。彼には永住者の妻(フィリピン人)がいて子供が4人、2人は元夫の日本人との子、2人が彼との子・・・残された妻子はどうなる?

*9Aブロックから被収容者39名の連名で牛久入管のセンター長宛「要望書」が出された。
要望書の内容は以下の2点について改善・配慮を求めるものでした。

1.外との電話会話は夜間が多いので、夜間の電話使用をもっと延長してほしい。
注;電話使用時間はAM9時20分から11時30分までとPM1時から4時半までの居室外自由時間(=フリータイムと称す)及び隔日の夜間PM7時〜8時、もしくはPM8時〜9時の1時間です。
2.家族や知人からの差し入れ品、特に食べ物について多くは不許可になっている。もっと認めてほしい。(以上筆者要約)

 処遇についてはセンター長の裁量権で各収容施設でばらつきが多い。牛久の場合は特に長期収容者が多い事も含め、より柔軟な処遇を要求していきたい。

*仮放免の許可は順次出されているように見られるが、牛久収容3ヶ月過ぎ頃から特にストレスを抱え込み、体調が悪化している方が多い。

8月最後の日曜日・8月30日、毎年恒例の「バーベキュー・交流会」決行しました。
トルコ国籍クルド人ファミリー,シリア国籍クルド、イラン、バングラデッシュ、韓国と様々な国籍を持った難民申請者達と会員,支援団体,弁護士とのバーベキューは大いに盛り上がりました。牛久の収容所で同じ時期に収容されていた仮放免者が久しぶりの再会に大喜び!の光景。多いに食べ、多いに飲み、語り、はしゃいで,最後は花火!楽しかった。
 今年参加できなかった皆さん,来年は是非、一緒に楽しみましょう!交流を深め合いましょう。


   

2015年6月例会の報告です    田中喜美子
例会は参加者の自己紹介を兼ねた近況報告から始まります。

 世界難民デー行動を6月20、21日と連日参加下さった会員さん達が疲れと達成感とを込めて参加、活発な話し合いの場となりました。
世界難民デー行動・20日の牛久駅での宣伝行動、21日の中野駅前・暫定広場でのフェスティバル運営 お疲れ様でした。

 当会作成の「世界難民の日リーフレット」は1500枚、保存用を残し配布しきりました。
 参加者それぞれが 来年以降も大変だけど「又やるぞ!」と思える行動はいいですね。


 面会報告として、
*この間、成田でトランジェットを利用したスリランカ人の仮放免が多い。
これらの方々が40人以上収容されていたため、面会行動が1〜2回しかできない間に仮放免となり、関係性が希薄なまま途絶えてしまった。
新たな面会行動への参加者を募りたい。

*6月中の仮放免が非常に多かった。時には1日の内に3〜4人も仮放免者がいたことも。保証金は10万から20万、減額交渉で5万の方も。
収容期間、理由は様々・・概ね長期収容者は数える程度に減った。仮放免後、治療が必要な方も多い。 
 (7月は仮放免の許可が少し止まった感がある)


*学生時代から日本の中のアジア問題に関わってきた参加者からは「東京へテロトピア」=ガイドブックとラジオを手に東京にいながら「アジア」を旅する。 留学生や移民、難民として東京を訪れたアジアの人や、その人が生きた場所、あるいはその場所と関係の深い年や国についてのリサーチを受けながら応答する ・・・という企画に関わっていることを自己紹介がてら報告。


*重い病気、体調不安を抱えている被収容者で仮放免の許可が出ない人がいる。面会時には毎回総務課に「抗議の申し入れをする」で対応する。

*現在、被収容者数は250名前後か?西日本入国管理センターが今年9月末で閉鎖される影響か? 名古屋入管から牛久への移送者が多い。被収容者がきわめて少ない大村は閉鎖にはならない!なぜか?の討論も・・・ やはり朝鮮有事?中国との関連?ロヒンギャの難民問題を含んで様々な意見が出された。

*被収容者の国別ではスリランカが相変わらず多い。クルド人も21名(含む女性1名)フィリピン、韓国(日本人配偶者の女性が多い)等々。

2015年難民デー行動を常磐線牛久駅前で!
 
 難民デー・牛久の会パンフレットを配りました。
 
 
 チラシを配りながら署名活動も。
 
 みんなで記念撮影


6月20日は世界難民デー

牛久の会は、常磐線牛久駅前にて、ハンストとアピールをおこないます。
6月20日午後3時から。ご支援・ご協力をお願いします。

今年は戦後70年、国連の場で「難民の地位に関する条約」が採択されて64年、第2次世界大戦の惨禍を経て、世界中の人々が平和な世の中を願ってきたはずなのに、アジア、アフリカ、中南米、特に中東を巡って激しい戦渦・紛争が起きています。激甚な自然災害も頻発しています。人々が、紛争や災害から逃げまどう悲劇が繰り返されています。幼い子供たちをつれて、安全な地を求め、命からがら逃げる母親たち、上陸を拒否され、あるいは粗末な船に多くの人が乗り込み、数百、数千の人々が公海上をさまよい、飢餓に襲われ、難破しているとニュースは伝えています。

 茨城県牛久市にある東日本入国管理センターは「退去強制令書」が発付された外国人を収容する施設です。収容されている方々の中には政治的に不安定な地域、紛争国から逃れ、成田空港で難民申請をしたにも拘わらず上陸を拒否された方が多くいます。様々な理由があって、帰国を拒否する非正規滞在者もいます。

 
 日本で難民申請をしたから収容されるのか?ただ真面目に日本人がやりたがらない仕事でもやってきただけなのに、たとえ犯罪を犯したとしても日本人なら刑務所で罪を償ったら晴れて自由の身なのに、外国人というだけで収容されるのか?等々です。
 被収容者達は多くのストレスを抱え込んでいます。睡眠導入剤、精神安定剤、痛み止め薬などを常用するケースが多いです。2010年には2名の方が自殺、自傷行為は頻繁に起きます。定員が700名の収容施設なのに、常勤の医師は、2年以上不在のままです。医療体制の不備が原因となった死亡事故が、昨2014年、牛久の入管だけでも2件おきました。地元自治体である牛久市の平成27年3月の第1回定例会で「東日本入国管理センターにおける医療体制の充実化を求める意見書」の提出を求める請願が出されました。
「・・国においては、東日本入国管理センターに常勤の医師を確保すること及び入国者視察委員の視察の際、医療用語に精通した通訳者を配置することに留意した医療体制の充実化に早急に取り組まれるよう求める。」賛成全員で可決。衆議院議長、参議院議長に牛久市議会名で提出されました。
 被収容者達もハンストを始め様々な創意工夫をこらした闘いで処遇の改善を勝ち取っています。

   

 



外登法・入管法と民族差別を撃つ 第26回全国交流集会にご参加を



 
 


 読売新聞による「偽装難民キャンペーン」について

日本の主要メディアの一つである読売新聞による執拗な「偽装難民キャンペーン」。あたかも「日本軍慰安婦問題」を巡る「朝日新聞バッシング」と同じ様な体制で同じ根をはらみ、キャンペーンを繰り広げています。
 2014年の難民申請者5000人の現実に法務省・入管当局はうろたえています。安倍政権(新自由主義下で体制の破綻に苦悶する)の外国人政策=入管法・難民認定法の破産的現状に対して差別・排外主義を煽ることで隣人としての日本人との分断を図り、管理の強化と「法外外国人」をたたき出し、新たな外国人労働者導入政策としての在留管理制度を推進しようとしている事への露払いのごときです。

当会は牛久入管収容所の被収容者達から読売新聞社への抗議の申し入れ書を預かりました。彼らは3月29日付け「帰りたくない」難民申請と題した記事に大変な憤りを感じ、直接読売新聞社への抗議の電話等もしています。彼らから「多くの人々に知らせてほしい」との要望でここに原文を掲載します。





4月1日より東日本入国管理センター(牛久入管)の体制が変わりました

東日本入国管理センターの所長は留任・佐藤政文氏、牛久入管の一般に関する問い合わせ等業務を行う総務課(苦情などにも対応する)

の担当職員も留任、処遇部門・面会受付を担当する室長は内部移動がありました。

面会者にとって大きな変更は *庁舎出入り口の開館時間がAM8時半(以前は8時前から開錠されていた)になりました。面会受付は4

月1日以前通り8時半です。  庁舎ドア前で並び、その後ダッシュで面会の番号札を取る!9時から最初の面会が始まる・・・ただし面会室

は一般が5部屋、弁護士面会室が2部屋(不在の時は一般も使う)ので面会番号が7番以降の面会は9時45分頃まで待たされます。

*面会受付の業務、及び面会室への「連行」・巡回等担当の民間警備会社が替わりました。民間委託の一環で一般競争入札により今年

度からは千葉に本社があるサンエスという警備保障会社になりました。以前(2年間)の警備会社は航空機のテロ対策などを「ウリ」にする

会社でしたが、今回は一般的な警備会社のようです。慣れていませんので、当面、面会業務は混乱するかも?

*庁舎内売店が4月1日から月曜と木曜日のみの9時から午後3時までに縮小され売店場所もバックヤードに使っていたところに変更に

なりました。被収容者の買い物(月曜、木曜)に対応するだけで、私たち面会者や職員に対する利便性は無くなった。

* 飲み物自販機コーナーの事業者が替わった。この2年間50円のコーヒー等抽出機が今回の競争入札後撤退、替わりにドトールのコー

ヒー等の抽出機が設置され100円になりました。他の自販機も事業者交代、3月31日に自販機毎交換されました。

*食堂の業者は替わらず(被収容者の給食業者は別)コックは中華を得意とする、食堂のおねえさん達も相変わらず、愛想がよい。職員5

00円、一般600円。

●肝心の被収容者たちへの処遇はどう変わったか?仮放免の実施状況は?医療体制は?今後、順次報告していきます。

*3月31日から7Aブロックの被収容者たち21名が長期収容の是正、仮放免の弾力的運用、医療体制の改善、7Aブロックにおける「3月

27日の警備担当責任者との話し合い」時の制圧行動で負傷した当該に対する医療、国際的な人権基準に配慮した処遇を求めて ハンス

トを行っています。

*21名の連名による上申書に誠意ある対応がなされることを望みます。

  続報  

月曜日(6日)に入管側から、7Aブロックのかべに3枚「回答書」が掲示された。

此の回答書(後日その写しが手に入ると思う)はハンスト参加者曰く「ありきたりな内容だった」

@この施設は帰国するための施設であなたたちは帰国しなければならない。

A仮放免制度を短期間に・・・と言うことは個々人の事情を審査しなければならないので一定期間時間がかかる。

B怪我をしたTさんには「必要な治療はしている」必要なら今後も申請書を書けば外部病院には受診させる。

このようなことが書いてあった・・・と言うことですが、ハンスト参加者達には不評でした。


夜9時過ぎから10時まで処遇の責任者が来て「俺も、回答書を壁に貼る・・・と言うことだけで終わらすのは反対なんだ・・」といい、話し込んだ。

この中で、処遇責任者はハンスト参加者で日本語が通じる人の名前を挙げて「このままだと悪い方向になる可能性がある・・・(仮放免が長引く、不利)

などとも話された。

この責任者との話し合いを含めて7日朝から給食を摂り始めた。


ハンスト参加者でイラン人が4月2日倒れ緊急搬送された。1日入院で3日(金曜)に戻る・・・高血圧等の持病有り・成田で入国を拒否され牛久に移送された難民申請者

とりあえず、7日に面会したハンスト参加者は「やりきった!」満足そうににこにこ顔で「 昼のお米がうまかった」 ・・・と話していました。
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牛久収容所面会室にもキッズコーナーが出現・私たちは「今度ぬいぐるみをもってこようか、絵本をもってこようか・・・等と話していたが、本来はこんなコーナーを使う子

供の父親や母親、家族を収容するな!」と言いたい。




2015.3.22 埼玉県蕨市民公園において今年もクルド人達のネブロス祭が開かれました。ネブロス祭は1年ごとに盛大になっています。トルコ国籍クルド人達は埼玉県を中心に1500名以上が日本に暮らしています。難民申請中の人々が多い。



 抗 議 声 明
法務大臣殿
 法務省入国管理局・局長殿
 東京入国管理局・局長殿

 当・牛久入管収容所問題を考える会は法務省入国管理局が執行した12月18日(木)におけるチャーター機によるスリランカ人26名(含む女性1名)、ベトナム人6名に対する一斉強制送還に対し、強く抗議するものです。

今回、強制送還になった方の中には、東日本入国管理センターに収容され仮放免になっていた方々もいます。当会の面会行動の聞き取りでも彼らは非常に難民性は高いと思われます。
 また、19日の弁護士等の記者会見でも問題にされた日本に妻子がいる方もいます。

 当会の支援者の元に19日夜、送還された方より連絡が入りました。
 この方は難民不認定取り消しの裁判をして敗訴になり、再度難民申請をして、結果は17日に却下、その日のうちに難民申請が出来ず、仮放免の延長も出来ず、品川入管に収容され、送還(同じケースがもう1名)された。この入管のやり方に見られるように今回の送還は卑怯きわまりない、前もって周到に決定・計画していた、といわざるを得ません。

この方達からの伝えられた送還の実態は
 チャーター機にはスリランカ人・ベトナム人が搭乗、羽田を朝6時〜6時半頃離陸、スリランカ着後、同国人だけが降り、そのままベトナム人はベトナムに向かった。
 スリランカから入管の職員が3名羽田に待ち受けていた。
 日本の入管職員は100名以上同乗、医者がいたかは不明だが看護師はいなかった。品川入管から搭乗までは腰縄・手錠付き、護送のバスの中で仮眠を取らされ、手錠はスリランカまで外されることはなかった。トイレは職員がついてきてドアに足を挟んでしめることは出来なかった。食事の時だけ右手のみ手錠を外した。
 スリランカに到着後調べを受けた。警察に捕まった人も8名ぐらいいた。

 今回の強制送還現場の異様さには衝撃を受けます。当該のスリランカ人達をまるで「凶暴なテロリスト集団の護送実地訓練」でもしているかのようです。彼らの多くは日本に難民としての保護を求めている人であったり、超過滞在であったとしても日本経済を支えていた一員でもあります。仮に犯罪を犯した方がいたとしても更正施設で罪を償った方です。全くもって人道に反する人権無視の強制退去現場です。
 スリランカにおいては1月そうそう大統領選挙が予定されており、非合法の拘束、死刑などが伝えられ、秋以降多くのスリランカ人が日本に庇護を求めて来日しています。
 19日に記者会見した、高橋ひろみ弁護士によると「たとえ、これらの人々が、当局による難民不認定不適格者として、彼らを強制送還することは違法でないにしても、彼らが帰国した後、彼らの政治的活動により、彼らの国の当局による大きな迫害の危険性に直面する事実は残る。」
 日本は、スリランカ、ベトナムとも政府間の関係が良好でODE予算などの多額の資金供与を行っています。両国の国家的なプロジェクトとして今回の送還が行われたとしたら、明らかに難民条約に違反する犯罪的行為です。

 チャーター機による一斉送還は法務省にその予算が付いた時から多くの批判がありました。昨年のフィリピンとタイに対する強制送還後も国際的に多くの問題が指摘・批判されていました。
法務省は個別送還に比して「チャーター機による一斉送還が費用的にも安上がり」などと言いなしてきましたが32名の送還に対してどれだけの費用が発生したのか、明らかにすべきです。
今後、法務省は送還された全ての方がスリランカ、ベトナムに戻された後、どうなったか、を追跡調査すべきです。警察に拘束された方がいたなら解放を求め、日本への再入国・在留を認めるべきです。

 以上、牛久入管収容所問題を考える会は12月18日のチャーター機によるスリランカ人・ベトナム人への一斉強制送還に対し強く抗議し、今後全ての「同意無き送還」の執行を中止することを求めます。

             2014年12月25日
                 
                茨城県つくば市高野1159-4 田中方
                       п@029-847-5338
                 牛久入管収容所問題を考える会 田中喜美子 




年次活動報告会 

2014年12月21日(日) 午後2時開会(1時半開場)

会場:つくばサイエンスインフォメーションセンター
つくば市吾妻1-10-1 TXつくば駅徒歩3分
面会報告、弁護士報告(相談コーナー併設)
クルドの子ども達の劇、報道特集ビデオ上映


 



(2014/10/28)

上 申 書  

 

東日本入国管理センター所長殿

仮放免担当上席係官殿

牛久入管収容所問題を考える会

 

 当、牛久入管収容所問題を考える会は貴センターにおいて長年にわたり被収容者との面会行動を行っています。毎週水曜日を面会の日としています。

 私たちは被収容者と面会をするだけでなく、面会待合室に於いて様々な事情を抱えた方々とお会いします。

 

 長期に渡り、面会待合室でお見受けする方たちがいます。顔見知りになり事情をお聞きすると人生の伴侶と決めたお連れ合いが収容されていると言います。私どもはあまりにも長くこの方々のお顔を見るにつけ、お気の毒に思えてなりません。

 お連れ合いの彼(彼女)らもそれぞれに仕事を抱えながら、遠路牛久にある貴センターまで頻繁に面会に訪れています。この方たちの精神的、経済的、社会生活上の苦痛は察してあまりあります。国家は個人の幸せを守る義務があります。愛する家族を分離することは認められません。

 

 被収容者たちは、パートナーの愛情だけを頼りに不自由な収容生活を耐え、仮放免の許可を心待ちにしています。しかしながら配偶者がいる方々の収容は相対的に長すぎるように思われます。

 頻繁にセンターに面会に訪れている配偶者の愛情の深さ、しかもほとんどの方には弁護士も付いています。何よりも長期収容によって、それぞれのパートナーたちの精神的・肉体的ダメージが加重な状態となっています。

 「退去令書」が出ても、どうあっても帰れない事情をお持ちの方たちに対しては人道的配慮に基づき、長期間の収容を避け1日も早い仮放免を求めてやみません。

                   以上、ご配慮をお願いいたします。

 

                                                       2014924日   

              牛久入管収容所問題を考える会 田中喜美子

                                   連絡先  つくば市高野1159-4

                                           電話 029-847-5338


(2014/10/28)

申 し 入 れ 書

 

東京入国管理局長 坂本貞則 殿

 

 私たちは、東京入管局および東日本入国管理センターにおいて被収容者との面会行動を行ってきています。このかん、被収容者および仮放免者から数々の相談が寄せられており、その解決のために日々活動しています。

 

 法務大臣が公職選挙法違反の疑いで辞任するという前代未聞の事態が起きています。法務大臣こそ法を遵守し、人権と生命を守るべき存在でありながら、現実には法を踏みにじるものになっています。入管行政は、法務大臣の自由裁量によって運営されることになっており、大臣の資質が大きく問われる分野です。最も法の庇護があってしかるべき外国人に対して国際法を遵守する立場を貫く法務行政を求めてやみません。

 以下、私たちの要求を示します。

 

1)仮放免の許可申請について

  東日本入国管理センターにおいては、仮放免の許可申請について2009年秋以降、被収容者との交渉でこの許可判断を「特別な事情がない限り、45日間を超えない」と約束されていました。しかしながら、今春以降、仮放免許可の判断が非常に長期化しています。判断が長期化すればそれだけ収容が長期になるということははっきりしています。長期の収容が精神的ストレスとなり、自傷、自損行為も多く引き起こされています。

 仮放免の許可判断を45日を超えないという基準に戻すこと、さらに許可判断の基準を示すことを求めます。特に6カ月以上の長期収容はやめて下さい。

 

2)医療問題について

 収容されることによって健康が大きく損なわれる例は後を絶ちません。医師の診療がなかなか受けられないという現実を直ちに改善していただきたいと思います。本人の所持金の額によって、医師の診療を左右するようなことはやめて下さい。さらに外部病院への通院の際、「手錠、腰縄」は被収容者のプライドをはなはだしく損なう行為です。被収容者の人間的尊厳を尊重し、当然の医療行為をきちんと受けられるように要望します。

 

3)仮放免者の一時旅行許可問題について

 本年の4月、坂本局長が着任して以来、一時旅行許可の要件が非常に厳しくなりました。旅行の目的、訪問する相手の連絡先、その場所に留まる時間帯などを記入しなければならず、目的によっては不許可になる場合が多く引き起こされています。たとえば埼玉県に住んでいる仮放免者が東日本入管センターに面会に行く場合も必ず旅行申請をして許可をもらわなければ面会に行けません。届け出た日に都合が悪くなったらもう面会は出来ない、というのが今起きています。また買い物に行くことさえ届け出なければなりません。移動の自由は万人に認められるべきものです。一人ひとりの人権を無視し、生存権を否定するような許可の厳格化は直ちに是正すべきです。旅行許可を以前と同様に、もしくは移動の制限をしない方向に切り替えて下さい。

 

4)在留特別許可について

 昨年の難民申請者は過去最大の3260人にのぼりました。しかし難民として認定されたのはたった6人です。アメリカによるイラク、シリアへの空爆は、一挙に世界を戦争の危機に叩きこんでいます。日本政府の集団的自衛権行使容認の閣議決定はさらにこうした戦争情勢を加速させています。

 日本に難民として入国した人々を国際人権規約、難民条約の精神に踏まえ、受け入れるべきです。諸外国の外国人受け入れ実績を踏まえ、もっと柔軟に在留特別許可の決定をして下さい。

 

5)チャーター機による強制送還に反対します。

 昨年7月フィリピン、12月タイへのチャーター機による強制送還が強行されました。日本での生活実態を無視し、家族を生き別れにしたチャーター機による強制送還は人権侵害です。政府・法務省は今年度もチャーター機による送還の予算を計上しています。国内外の厳しい批判にさらされた一斉送還を予算消化の目的で強行するなら、国際的な人権・人道にもとる行為です。当事者の意志を踏みにじるチャーター機送還は断じて認められません。

  さる9月1日、東日本入管センターに収容されているクルド人が「クルド人としての庇護」、処遇改善を求めて1週間のハンガーストライキを行いました。東京においても同様にハンガーストライキに入ったことを聞きました。被収容者のやむにやまれぬ思いが、ハンストと言う行為になります。彼らの要求に耳を傾け、何が求められているのか、処遇の改善を強く求めます。

 本日、私たちは以上の点の改善、取り組みを求めて貴局に申し入れを行います。どうか人間的、人道的立場でこれらの要望を真摯に受け止めて実現して下さることを心からお願いし、申し入れをいたします。

 

 2014年10月22日

 

                              東京入管収容所を考える会

               東京都港区新橋2−8−16石田ビル4階

                             牛久入管収容所問題を考える会

               茨城県つくば市高野1159−4


(2014/09/06)

東日本入国管理センターにおいてトルコ国籍クルド人達が9月1日よりハンガーストライキ
を続けています。

牛久入管収容所問題を考える会・田中が8月後半の面会時にクルド人達より、ローマ字表
記のセンター当て文書を受け取り、日本語表記にすることを依頼された。この手紙は彼ら
がハンストにいたる思いがよくわかる内容なのでここに掲載します。

今回のハンストは成田で上陸拒否になり、牛久に移送されたクルド人達が長期収容になっ
ているにも関わらず、8月中旬以降次々に仮放免が却下されたことが大きな理由の一つで
す。難民申請者であり、それぞれに病気を抱えています。入管側はハンスト参加者達に
「仮放免に悪い影響がある!」などと脅しとも取れる言葉でハンストをやめるように説得
をしているようですが、未だハンストは継続中です。




東日本入国管理センタ−本部へ

今現在この仮センタ−収容されているクルド人の皆さんを所長さんに自分の問題
もしくはこの管理センタ−のいろいろのことに対して手紙書くことを考
えました。

まずは日本と全世界の国を避難民受ける法律にサインしている。でも、世界の
どこの国もクルド人避難民として受け入れているです。
なぜ日本クルド人を避難民として認めてないです。

この2ー3年トルコ−イラク−イラン−シリア政府を一緒になってクルド人の国
民を殺害しているのです。これは今のことじゃない(注:今の時代に通用しないこ
とです)です。昔からクルド人を自分のふるさとから追い出されています。
今現在も東入国管理センタ−に31名のクルド人収容されています。私たちは自分の
国でいろんな問題があります。だから日本に避難民として難民申請を出してます。

あなたたちは体のどこか痛いときすぐに病院行ってちゃんとした専門に診察しても
らってそれで薬もらっているのです。私たちは診察受けるまでには1ヶ月以上かか
っています。私たちは人間です。動物じゃない。

仮放免の件にたいしては今現在、非常に時間を長くなっております。この時間
の長くなっていることは私たちに精神的な影響残してます。そしていろんな病
気になってます。この問題を解決してください。

私たちは自分の国でいろいろ問題があって逃げて日本に来ました。でも私
たちをつかまてこういうところに収容されて精神的な拷問を受けています。人間に暴
力すれば体を痛くなります。その痛みは時間をたてば無くなります。でも精神的な
暴力の痛みは死ぬまで人間の体には残ります。それは生きてる間には忘れることもで
きない暴力です。

でも避難民として難民申請をしてる私たちは捕まって収容されてます。何の罪も
起こしてないのに刑務所よりひどい入国管理センターに閉じ込められてるの。
普通は人間何か悪いこと起こした場合裁判をされて刑務所に入るんで
す。刑務所に入ったときは何年もしくは何日を刑務所に入ることをわかります。
でも、私たちは何年こういうところで収容されることはわかりません。つまり、
ここは刑務所よりひどいところです。

ついでに私たちは病気になったときは入管の病院でちゃんとした診察をやって
ないです。医者行くために請願書いても1 ヶ月かかってます。病気になったとき
ちゃんと病院につれてもらいたいです。1 ヶ月後に病院に行きたくないです。この時
間の間に私たちに何かあったときは責任入管の責任です。
薬の件に対してここで睡眠薬の薬ばっかり出されてます。本当はちゃんとした専
門の医者に診察を受けてから薬を出してもらいたいです。

最後には私たち自分の国から戦争と暴力から逃げて日本に避難民として難民申請をし
ています。もう戦争と暴力のないところで平和と自由あるところで安らかな生活をし
ていきたいです。私たちも自分の家族とともに幸せに暮らしたいです。
もう、戦争と暴力のいじめのない世界人間の殺されてない世界平和と自由のある世
界がほしいです。

NO 戦争ーYES 平和YES 自由
@020 よろしくお願いします。



クルド人の皆さんからの手紙です。

以上(別紙で3 1名のサイン)


申 し 入 れ 書

 

東日本入国管理センター所長殿

総務担当上席係官殿

警備担当上席係官殿

処遇担当上席係官殿

牛久入管収容所問題を考える会

 

 当、牛久入管収容所問題を考える会は貴センターにおいて長年にわたり被収容者との面会行動を行ってきました。

 

  現在、センターにおいては、収容人員が500名以上収容されていた頃に比べ、250名程度に減少といわれています。私たち面会ボランティアとしましても長期収容者の仮放免が多くみられるのは歓迎するところであります。

 しかしながら、いまだ本人の意に反する退去強制が行われていることについては危惧の念を禁じ得ません。

 

  私たちの元には被収容者から多くの相談が寄せられます。その多くは仮放免の許可申請に関わること、および健康問題=貴センターの医療体制についてです。

 

 仮放免の許可申請については2009年秋以降、被収容者との交渉において許可判断を「特別な事情がない限り、45日間を超えない」 と約束されました。以降、概ね同期間程度で仮放免の許可、不許可が判断されてきました。被収容者にとっても自らの進退を決める上で早めの判断は大いに歓迎されたところです。

 しかしながら今春以降、仮放免許可の判断が非常に長期化しています。長期に収容されているものが仮放免の許可申請を提出してから3ヶ月後に不許可の判断が出された、70日後に不許可の判断がされた、というケースを聞きます。非常に精神的ストレスが加重されています。残念ながらこのことが主要な引き金となったな自傷、自損行為も多く聞かれるところです。

  早めの許可判断に戻すこと、納得のいく許可判断の基準を示すことを求め、何よりも6ヶ月以上の長期収容はやめてください。

 

 医療問題について

 貴センターへの収容そのものが多くの被収容者にとって不本意な収容であり、「本邦からの退去までの一時的な収容施設」としての機能とは相容れない矛盾を抱え込んでいます。様々な理由で退去を拒む方々にとってその精神的ストレスは多く、ましてや居室外自由時間の少なさ、運動時間の少なさ、居室の狭さ、雑多な人々との生活は精神的肉体的に病気を作り出しています。今春3月の2名の被収容者の死亡は許されない出来事でした。しかし、被収容者たちからは現在も医者に診てもらいたくて申請書を書いても1ヶ月後だ、ということを聞き及びます。速やかなる医療へのアクセスを求めます。

*医師の診療は重い症状なら申請当日、通常でも申請から3日以内に行うこと。

*重い症状時は週末祝日でも外部病院と連携した緊急対応体制を備えること。

 

  外部病院への通院について以前から様々な面会者・当事者から指摘をされている、「手錠、腰縄付き」をやめてください。被収容者のプライドを甚だしく損なう行為であり、当事者に対する無用な偏見・誤解を生み、正常な診察・医療行為の妨げになります。何よりも被収容者の尊厳を奪う行為であり、人道的にも許されるものではありません。

 

  睡眠導入剤、痛み止め、抗うつ剤など、安易な多用をやめてください。

 

 今春以降食事の内容に偏りがあり、これを指摘した被収容者に対し、パワハラともとれる嫌がらせが起きた・・・と聞きます。職員の人権教育を徹底するべきです。食事については収容生活において重要な部分を占めています。真摯に受け止め給食業者に要望を伝えてください。

 

 被収容者たちからは空が見えない、緑が見えない、2段ベッドの上段は天井が低すぎて閉所恐怖症になったなどの声も聞かれます。窓をせめて半分程度は透明にしてください。仮にすべてを透明にしたとしてもプライバシーを損ねるところに人家はありません。

 

  現在700名定員の貴センターには250名程度の方が収容されています。この機会に少なくても定員5名の部屋を定員3名にすべきです。

同時に面会は他の入管施設同様、従前に可能であった、5人までの面会、およびブロックをまたぐ面会が再開されることを強く要望し、上記事項を誠意を持って取り組むことを申し入れます。

以上

                                                       2014820

     

              牛久入管収容所問題を考える会 田中喜美子

                                   連絡先  つくば市高野1159-4

                                           電話 029-847-5338


仮放免者の一時旅行許可問題

仮放免者の人が住所(入国管理局に届け出ている)以外の都道府県に出掛ける場合に必要なのが、一時旅行許可書です。入管の書式に保証人の署名、捺印を貰い、出掛ける場所を記入して東京入国管理局に提出します。

もし、この許可書を不携帯であった場合は再収容される場合もあり、現にそういった事例はあります。

 

本年の4月から、東京入国管理局の所長が変わりました。それに伴って、一時旅行許可の要件が非常に厳しくなりました。

今までは行き先のみの要件が、目的、訪ねる相手の連絡先、その場所に留まる時間帯などを記入しなければならず、目的によっては不許可になる場合もあります。例えば、通院や保証人を訪ねる、難民支援協会なやRHQなどの難民支援をしている団体に行く、教会の礼拝に行くなどであれば許可はされます。しかし、通院の場合は診察券や診断書、教会であれば礼拝を行うチラシなどの提示が求められます。

 

実際に不許可となったAさんは、他県の友人を訪ねるために旅行許可申請をしましたが「遊びは認められない」と、申請窓口で却下されました。

Bさんは、他県で行われる「医療無料相談会に」行く為、申請をしましたが「ホームページから医療無料相談会のチラシをプリントアウトしてを持って来るように」と言われて、困り果て私ののところに連絡をしてきました。

Bさんはほとんど日本語が話せず、保証人を介して事情をききました。仮放免者のBさんは就労が禁止されている為、生活はけして楽ではありません。病院へ行くにも100%の支払いでは躊躇ってしまうのは、想像に難くありません。交通費も支給してくれる「医療無料相談会」に行く事は、体調の良くないBさんにとっては大変重要な事です。

事情を聞いて私は入国管理局に交渉することにしました。予想していた事ですが、押し問答となりました。私の持っているチラシ(日本語がなかったので、ポルトガル語)FAXすることになりましたが、それを送っても許可するとは限らない事を、入国管理局は最後まで言い張っていましたが、Bさんにとって命綱になるかもしれない相談会です。私も最後まで必死に訴えました。

結果は許可となりましたが、私としては当然の事だと思っています。Bさんだけの事ではありませんが、医療問題は就労と同じく、生存権の問題なのです。

 

もうお一方Cさんの例です。この人は事情があって妻と子供が他県に生活しています。Cさんは旅行許可を申請して、妻と子供に会いに行っています。これは日常の事ですが、例えば子供が急病になった場合、いちいち旅行許可申請など行えるでしょうか。また、子供が住んている場所に、専門医が居ず、他県まで行かなければならなかった場合、Cさんは旅行許可を申請してからでなければ行けないのでしょうか。

病気の子供を一秒でも早く病院にと思うのは親であれば、当然なはずです。

妻と子供に会いに行くのも、緊急の事態が起きても申請が最優先事項ですか

Cさんは入国管理局にこの質問をぶつけてみましたが、しどろもどろだったそうです。

 

友人を訪ねるのも、医療相談会に行くのも、子供に会いに行くのも人間としての当然の権利です。

そういった権利を阻害することは許されません。

これは一人一人の人権を無視した人権侵害に他なりません。

生存権を否定したにも等しい事態です。

入国管理局は直ちに、旅行許可を以前と同様、もしくは移動の制限はしない方向に切り替えるべきです。

 

政府は経済界の意向を組み、仮放免者、超過滞在者を日本から一掃し、低賃金の労働者を新たにいれようとしています。仮放免者を追い詰め、自ら帰国するように仕向けているのです。つまり、仕事もさせない、移動もさせない、どんどん兵糧攻めにして日本から追い出そうとしています。

今回の事態はその政策の一環だと思います。

就労禁止と同じく、由々しき問題であり、抗議の声を上げなければならないと考えます。

 

国籍や言語、民族や宗教を問わず、人間が人間らしく生きられる社会を実現するために、仮放免者と共に団結して闘いましょう 




6
20日は「世界難民デー」です

 

  2013年の難民申請者数は過去最大の3260人、難民として認定されたのは6人、「難民鎖

国日本」と揶揄された1990年代に逆戻りしたかのようです。

 世界中で国際紛争や内乱・内線状況は激しさを増しています。人々が戦火から逃げまど

ってもいます。昨年は激しい戦乱下にあるシリアから日本に庇護を求めてきた人にさえ日

本は難民としては一人も認定はしませんでした。先進国においては数万人規模で難民を受

け入れています。日本はたったの0.1%、あり得ない低さです。しかも、難民として認定

されても、ましてや難民申請中の庇護状況はきわめてお粗末であり、昨年暮れは「寒さに

震えるホームレス化した難民申請者」とマスコミにも報じられた現状があります。

 

国際人権法、難民条約の精神に踏まえた難民の受け入れが求められています。

 


申し入れ

法務大臣殿
法務省入国管理局長殿
東日本入国管理センター所長殿


牛久入管収容所問題を考える会



当・牛久入管収容所問題を考える会は民間レベルでの国際交流を理念とし、入
国管理センターなどへの面会行動を主な活動内容とするNGO です。
当会は東日本入国管理センターにおいて被収容者2 名が3 月29 日と30 日に相
次いでお亡くなりになったことに対し、深い悲しみと共に、東日本入国管理セン
ターの収容のあり方そのものについて、ここに憤りを込めて抗議の申し入れをします。

センター側が発表している広報資料(茨城県庁県政記者クラブ宛、面会室への
掲示)は怒りなしには読めない実態との乖離があります。
3 月29 日、PM8 時にセンターの被収容者から非常に動揺している電話がありました。

曰く「イラン人男性G・S さん33 才(9B ブロック)は28 日PM7 時半頃夕食
を2 〜 3 口食べて、食事をのどにつかえさせた。警備官を呼んだがすぐには対応
してくれなかった。30 分ぐらいしてから救急車で運ばれたが顔は黒ずんで息はし
ていないように見えた。今日(29 日)イラン人男性の様子を警備官に聞き、教えな
いなら、居室内には誰も戻らないと9B ブロックの皆が騒いだ。警備官より居室
外自由時間の終了の午後4 時半過ぎに病院で死んだ、とつたえられた。」
(「3 月29 日15 時26 分、搬送先病院で死亡」・・・牛久警察記者発表)
G・S さんは薬を大量に処方されていた。耳からの出血、ヘルニア、頭痛など、
様々なところの痛みを訴えており、最近は肩を支えないと歩行はふらつき1 日中
ボーッとしている状態だった。睡眠導入剤、抗うつ剤、痛み止めの過剰投与によ
る弊害が顕著だった。

30 日午前7時10 分、カメルーンのW・F・L さん40 才代は牛久入管内医務室
から救急車で搬送され同8 時過ぎに搬送先で死亡が確認される。
牛久の会の会員が31 日(月)、4 月1 日(火)の両日、牛久入管においてカメル
ーン人が収容されていた9A ブロックの被収容者達に面会聞き取りをしたところ、
「重篤な糖尿病で、同ブロックの被収容者達が27 日には全員でこのカメルーン人
を外部病院に連れて行くように、という要求を掲げ、連れて行くまでは居室外自
由時間が終わる午後4 時半になっても部屋には戻らない!と廊下に座り込んで抗
議行動をした。彼は自分のベットからトイレまで歩くのがやっと」という状態だ
ったのです。
警備の責任者が「俺の責任で必ず病院に行かせる」と約束したので9A の人た
ちはそれぞれの居室に戻った。カメルーン人が9A の部屋から出て行ったので9A
の被収容者達は病院に行ったとばかり思っていた。
しかし、30 日午前7 時10 分、外部病院ではなく、牛久入管内医務室から彼は
救急車で運ばれ、まもなく搬送先で死亡が確認。
(7 時に巡回の職員が容体の急変を知り救急要請)

9A ブロックの被収容者達は怒って30 日(日)、夜の9 時半頃まで、居室へ入る
ことを拒否し、「カメルーン人がなぜ死んだのか説明して欲しい」「どうして病気
の人が申請書を書いても1 ヶ月も待たされるのか」「自分たちは動物ではない」等
々と叫び激しく抗議した。この抗議行動は50 名以上の入管職員により一人一人が
力ずくで居室に戻された。カメラを回していた職員も10 名ぐらいいた。最後まで
帰室を拒んでいた2 名のイラン人が懲罰房に無理矢理連れて行かれた。
27 日の時点で9A ブロックの全員がカメルーン人のために外部病院に連れて行
くことを要求していたことからも、彼の健康状態は最悪でした。

牛久入管には常勤の医師はいません。27 日、28 日には非常勤の医師の診察があ
ったとは思われますが、29 日(土)、30 日(日)は医師はいません。医務室脇の個室
に一人置かれ、30 日に職員が見回って、初めて容体の急変を知ったのです。では
なぜ9 Aブロックの警備担当官は「俺が責任を持って病院に連れて行くから」な
どと約束したのでしょう。あまりにも無責任極まる行為ではありませんか。
以上、牛久入管収容所内での被収容者2 名の死亡に関し、かねてから、医療体
制への改善を求める要請を度々行ってきたNGOとして以下の改善を改めて申し
入れます。



1.収容所への収容そのものが病気を生み出している、との観点から、出身母国に
どうしても帰れない事情のある者の収容には慎重の上にも慎重を期すこと。
2.6 ヶ月以上の長期収容をやめること。
3.常勤、非常勤を問わず、1 日中医師が勤務していること。
4.外部病院への受診を希望する者には早めに実現させること。
5.外部病院への通院の際、人間の尊厳を傷つける腰縄・手錠はやめること。
6.薬の処方には副作用の情報開示、重複・過剰投与など慎重を期すこと。
7.当会等のNGOの求めに応じて話し合い、交渉の席に着くこと。



2014 年4 月2 日
牛久入管収容所問題を考える会田中喜美子
茨城県つくば市高野1159-4 029-847-5338



2014年3月定例会の様子
つくば市内 市民活動センタ-(TXつくば駅3分)にて
初めての方もお気軽に参加ください。

(例会は原則 毎月 第四土曜日:つくば市内)
どなたでも参加できます
直接、難民申請者とのお話ができます
(難民になったいきさつ、牛久収容所の実態、仮放免後の生活・・・など)
貴重な体験学習の機会です
(卒論・修論・学位論文等の聞取り調査もOKです)

毎週水曜日は会の面会日です
一緒に難民の方に面会しませんか
是非、ご連絡ください

連絡先 田中 喜美子 方 電話029-847-5338
メ−ル:ki_ushikunokai@yahoo.co.jp



2013年 年次活動報告・交流のつどい

12月22日(日) 
つくばサイエンス・インフォメーションセンタ-

報告:面会ボランティア、在留カ-ド制施行後の状況
講演:入国管理センタ-での弁護士活動
国際NGO活動

仮放免者とその子供達の発言

弁護士による法律相談



 申 入 書

 

法務大臣 殿

法務省入国管理局長 殿

東日本入国管理センター所長 殿

 

  法務省入国管理局は128日、タイ人46名(4歳児1名を含む男性26名、小学生2名を含む女性20人)をチャーター機による強制送還という暴挙を行いました。 牛久入管収容所問題を考える会は主に東日本入国管理センターにおいて面会ボランティアを活動の基本とするNGOです。当会は昨年来の法務省の「チャーター機による一斉送還」予算請求段階より、同意無き強制送還に反対する申し入れを幾たびか行ってきました。同じように多くの人権団体、何よりも当事者である退令発布者・仮放免者等からも「人道上大変問題が多い」と懸念や反対の声が上がっていました。

 

 帰国に同意しない退令発付者は様々な事情を抱えています。グローバルな時代において、より柔軟な入管行政が望まれています。人道的配慮による滞在の合法化が求められています。しかしながら76日にはフィリピンへの一斉送還が強行され、東日本入国管理センターにおいては本来備品として無いはずのスタンガンが使用された・・・と当事者の証言があるように無理矢理の強制送還には多くの問題点が指摘されています。今回のタイへの強制送還者においても日本人や定住者の配偶者が含まれ、家族がバラバラに分断される、仮放免申請却下と同時に即送還等という事が起きています。

 

 今回のタイへの「チャーター機による一斉送還」は法務省・入国管理局の予算請求段階での成田→マニラ、成田→北京から突然変更されたものです。マスコミ報道によると中国への一斉送還の中止は外交情勢に配慮、日中間が険悪化の中で両国間に新たな悪感情が芽生えることを避けた・・・とあります。日本と中国、日本とタイの政治・経済関係の中でタイに変更されたのなら予算消化のためのショウでしかありません。そもそも、「チャーター機による一斉送還の経済性」を盛んに喧伝していましたが46人の送還でどこに経済性があるのでしょうか?

 以上、当会は今年度におけるフィリピン、及びタイに対するチャーター機による一斉送還に抗議し、同意無き退去強制に反対を表明し、より柔軟に非正規滞在者・仮放免者の合法化を行うよう申し入れします。

                                                     20131225

 

                牛久入管収容所問題を考える会

              連絡先 茨城県つくば市高野1159-4 田中喜美子





申し入れ書

東日本入国管理センター所長殿
総務担当上席係官殿
処遇担当上席係官殿
警備担当上席係官殿

牛久入管収容所問題を考える会

当、牛久入管収容所問題を考える会は貴センターにおいて長年にわたり、被収
容者との面会行動を行ってきたのはご存じの通りです。
さて、昨年来より度々貴センター宛に文書、または総務課・係官に対し、@被収
容者に対する処遇の改善A面会業務が滞っていることに関する改善B1回あたり
の面会人数の制限を従前通りに戻す等々申し入れを行い、責任ある立場の方々と
の意見交換・話し合いを求めてきました。
大変残念ながら、私ども及び多くの面会ボランティア(教会関係者など)の願
いは未だ実現されていません。
私どもは改めて以下のことについて話し合いの機会を作って頂けるよう申し入れ
ます。

1,面会制限の速やかなる撤廃と面会受付業務のより効率的な改善(当会試算に
よれば1 日あたり70 回の面会は十分可能と思われる)を求めます。
@警備官の立ち会いを中止する。
A1回あたり2名までの面会制限を従前の5名までとする。
B差し入れ専門の窓口を従前通り開く。

2、チャーター機による一斉強制送還の執行によりPTSD症状が出ている被
収容者がいます。(送還対象者以外の被収容者に対する配慮はどのように
お考えですか?総じて被収容者に恐怖・ストレスを増加させていることを
どのようにお考えですか?)
@人権・人道上大変問題が多い執行現場と聞きます。警備担当官の考えをお
聞かせ下さい。(スタンガン使用はありませんでしたか?消灯時間後の
執行はなぜですか?、執行現場で同じ部屋のベトナム人が持病のてんか
ん発作を起こしたことに対し、執行を邪魔したかのように突き飛ばされ
た、と聞きましたが)
A退去強制を執行された者の中には「在留特別許可のガイドライン」に充
分当てはまる方もいますが、どのような選考基準に則って退去強制の該
当者となったのですか?
Bフィリピン外務省・大使館との事前協議に反するようなことはありません
か?

例・・・女性、子供に対する手錠使用の有無、機内で親子を分けて搭乗
させたのはなぜですか? 飛行機内で手錠・腰縄付きにも関わらずトイレ
のドアが開けられていたのは?
Cフィリピン領空で仮放免不許可の書類を読み上げ本人に渡したのは異議
申し立ての権利や、裁判権を奪うものではありませんか?

3、貴センター内7Aブロックで結核患者が発生したと聞きます。(竜ヶ崎保健所
に確認済み)
貴センターにおいては過去にも結核患者の発生がありましたが、今回も教
訓は生かされていない。7Aブロックからの被収容者の移動など、どのよ
うな対策をとっていますか?感染の拡大を防止する方策はどのようにお考
えですか?

4,貴センターにおける医療問題
@上記3でも述べた結核患者の発生(見過ごし)、
A申請をしてもなかなか対応してもらえない、
B外部病院への通院の際、腰縄・手錠付き、警護付きは無用の誤解・偏見を
生み、正常な診察・医療行為の妨げになると思われます。是非廃止して
下さい。
C睡眠導入剤、痛み止め、抗うつ剤などが多用されてはいませんか?
以上、牛久入管収容所問題を考える会は貴職らの考えを聞かせて頂きたくここ
に申し入れをいたします。2週間以内の期日で話し合いの機会の日時を設定して
頂けるか、もしくは文書での返答を求めます。


なお、この文書は公開質問状として当会ホームページ上に掲載します。

2013年7月31日
牛久入管収容所問題を考える会
連絡先〒300-2642 つくば市高野1159−4 田中喜美子
029-847-5338


フィリピン人75名に対するチャーター機による一斉強制送還に抗議します

 

                     牛久入管収容所問題を考える会

法務大臣 殿

法務省入国管理局長 殿

東日本入国管理センター所長殿

 

 当・牛久入管収容所問題を考える会は民間レベルでの国際交流を理念とし、入管センターなどへの面会行動を主な活動内容とするNGOです。

  当会は本年1月11日付けで貴職らに対し、「チャーター機による強制送還計画に抗議し、その中止を 申し入れます」を行っていました。その後、東日本入国管理センターへの何回かの申し入れ等の中でも繰り返し、「同意無き一斉強制送還に反対」を伝えてきました。 また、多くの外国人に関わる諸団体からも懸念の声が寄せられていたと思います。何よりも、東日本入国管理センター等の収容施設から仮放免されている外国人の方々は、本年3月6日に法務省に対する「チャーター機による強制送還に反対!」の抗議デモでその意思を表していました。

 

 今、私どもは激しい怒りを込めて7月6日に強行された「チャーター機によるフィリピン人に対する一斉強制送還」に抗議の声を届けるものです。

 当会の面会ボランティア会員に7月5日夕方から6日の朝にかけて次々と牛久入管から「フィリピン人が連れ去られた」「職員が20数名きて無理矢理持って行かれた」「2年以上も帰らないとがんばっていた人が連れて行かれた」「夜の12時頃に職員が大勢やってきた」、等々の悲痛な電話が入りました。当会が把握するだけでも牛久入管からは30名前後のフィリピン人男女に退去強制が執行されました。

 退去強制が執行された状況を推察するだけでも、同意無き一斉強制送還の人権無視、人道上の配慮など一切無い執行現場が浮かびます。

 

 法務省発表によると現在出国を拒否する仮放免者が201210月末で2500人に上り、この方達を含め一度に効率よく強制送還出来る方法としてチャーター便での強制送還をするため予算計上した、とあります。

 どうあっても出身母国へ帰ることが出来ない仮放免者達は政治難民であったり、この国に家族がいたり、非正規滞在ながら長期にこの国に暮らし、この国の経済を支えこの国にしか生きるすべがない人々です。彼らと接する機会の多い私たちは彼(彼女)らに対し在留特別許可=正規化を認めるべきと強く求めます。

 日本は「ノン・ルフールマン原則」、「国連子どもの権利条約」に則り、難民の強制送還の禁止、家族を引き裂く、この国にしか生きる術のない人たちの強制送還を止めるべきです。

 以上、当会はチャーター機による強制送還に強く抗議します。

                                                    2013年7月8日

 

             連絡先 茨城県つくば市高野1159−4 田中喜美子

                           電話029-847-5338



出国を拒む「退去強制令書」発布者に対するチャーター機による
強制送還に反対する申し入れ


牛久入管収容所問題を考える会

法務大臣殿
法務省入国管理局長殿

当・牛久入管収容所問題を考える会は民間レベルでの国際交流を理念とし、入管センタ
ーなどへの面会行動を主な活動内容とするNGOです。


2012年 12月 19日の一部マスコミによると法務省方針として出国を拒む「退去強制令
書」発布者=仮放免者に対しチャーター機による一気に強制送還を計画しているとの報
道に接しました。

私ども、日頃から多くの外国人と交流がある会としては仮放免者をはじめとする多くの
方からの不安の声、問い合わせが来ており、今回の法務省方針に反対であり・撤回を求め
るものです。

法務省発表によると現在出国を拒否する仮放免者が
2012年 10月末で 2500人に上り、
この方達を含め一度に効率よく強制送還出来る方法としてチャーター便での強制送還をす
るため予算計上した、とあります。

そもそも、どうあっても出身母国へ帰ることが出来ない仮放免者達は政治難民であった
り、この国に家族がいたり、非正規滞在ながら長期にこの国に暮らし、この国の経済を支
えこの国にしか生きるすべがない人々です。彼らと接する機会の多い私たちは彼(彼女)
らに対し在留特別許可を柔軟に適用し、「正規化すべき」であると考えています。この様
な方々を帰国費用の削減などという理由を持ってチャーター便で一度に送還する等と言う
ことは人権上・人道上許されないことです。同報道によると法務省幹部の話としてチャー
ター便の活用は欧米では一般的とありますが、チャーター便での送還が機内での非道な扱
い、政治難民が帰国後逮捕された、帰国後処刑された等々が報告され、国際的に大問題に
なってもいます。

日本は「ノン・ルフールマン原則」、「国連子どもの権利条約」に則り、難民の強制送還
の禁止、夫婦・子どもを引き裂く強制送還を辞めるべきです。

出入国管理はこの国に対し、外国人が最初と最後に接するところです。どのように遇さ
れるのかでこの国に対する感情・印象は大きく変わってきます。日本と関わる最後のとこ
ろで無理矢理の強制退去=非人道的取扱を受けた、となると現在のグローバルな時代にお
いていかがなものでしょうか。法の番人としての貴省におかれましては軍事力による安全
保障ではない、人の安全保障の追求こそ求められていると思います。世界中で尊敬される
国としての試金石です。

以上、当会はチャーター機による強制送還計画に抗議し、その中止を申し入れます。


2013年 1月 11日

連絡先茨城県つくば市高野
1159-4田中喜美子
029-847-5338


6/20世界難民デ−・在留カ−ド制導入反対!法務省抗議デモ
牛久駅前で街宣活動&1日ハンスト行動




入管法の改悪・在留カード制の導入に反対します

 

  20097月に改定された入管法・入管特例法・住民基本台帳法による新しい在日外国人管理法が今年79日から実施予定です。

 戦後60年以上続いてきた外国人登録制度を改編し、@中長期滞在者、A特別永住者、B難民申請者などの仮放免者も含む非正規滞在者に分類し、この国に暮らす210万人以上の外国人及び中長期在留ビザで新規入国する外国人を対象としてその個人情報すべてを治安管理の対象として法務省入国管理局が一元的にデータ管理しようとするものです。

これにより現在、地方自治体が日本に90日以上滞在する「全ての外国人」を対象に交付している「外国人登録証」は廃止され、外交・公用を除く中長期(一般永住者を含む)の在留ビザを持つ外国人には顔写真がついた「ICチップ付き在留カード」が、特別永住者には「特別永住者証明書」が交付されます。

 

  法務省入国管理局のデータシステムの中に氏名、生年月日、性別、国籍、居住地はもちろんのこと、過去の違反・犯罪歴、出入国の記録、所属している機関(学校、会社等)の情報が事細やかに記録・集積・管理されます。資格外の行動は微細なことでも摘発が可能になります。特に「就労制限の有無」はカード上に大きく記載されます。

 雇用主には「就労制限の有無」の確認、届け出の義務があり、違反すると刑事罰を受けます。

 16歳以上の中長期在留者には刑事罰を伴う常時携帯義務、提示義務があり、受領拒否、提示拒否は「1年以下の懲役または20万円以下の罰金」不携帯は「20万円以下の罰金」が科せられ懲役刑を受けると退去強制になります。虚偽届け出、7年ごとの在留カード更新を忘れた永住者も同様に懲役刑を受け退去強制にもなります。

住居地変更などの登録事項の変更は14日以内に届けなければ「住民基本台帳法での行政罰:5万円以下の科料」プラス外国人にのみ「入管法での刑事罰:20万円以下の罰金」を科せられ、90日を超えて届け出が遅れるとビザそのものが取り消されたりもします。

  また、彼らが所属している企業や学校などは定期的に国への個人情報の提供・報告義務があります。

 

   現行の外国人登録証では「在留の資格無し」とされながらも、地方自治法上、地域住民の国籍は関係なく、誰もが行政サービスの対象となりますが「在留カード制」の導入に伴い、非正規滞在者や「在留カード」の適用外とされた難民申請者を含む仮放免者は生きる上でのすべての行政サービスから排除されかねません。婚姻届、妊娠→出産に伴う母子健康手帳の交付、子どもの予防接種、就学通知・・・自治体に住民登録されなくなったら公的に自らを証明するものがなくなります。

 

 新たな「在留管理制度」は摘発、収容、強制退去による外国人に対する治安管理政策をより強化するものであり、すべての在日外国人の尊厳と自由を奪うものです。外国人に対する分断、排斥・排外主義を煽る政策そのものです。誰もがこの社会で助け合って共に働き、共に暮らす人間として幸せに生きる権利があります。在留カード制に反対します。

国連難民条約から60年 「出入国管理・難民認定法」施行30周年

 

1951年 国連「難民の地位に関する条約」採択

1967年 国連「難民の地位に関する議定書」採択

1981年 日本「国連難民条約」批准

1982年 日本「出入国管理・難民認定法」施行

 

人種・宗教・国籍・特定の社会的集団への帰属、または政治的意見を理由に迫害を受ける十分に理由のあるおそれが存在するために、国籍国の保護を受けることができない人、保護を受けることを望まない人を「難民」と定義しています。

難民認定申請数は過去最大であったが、庇護数は激減(しかも、21人中14人は異議申し立てにおける認定)難民認定者はビルマが18人その他3人で相変わらずビルマ出身者以外の難民認定は厳しい。

 

 茨城県牛久市にある東日本入国管理センター(通称:牛久入管)には多くの難民申請者が収容されています。現在、難民申請者の強制退去は執行されていませんが、帰国を拒否する難民申請者や、様々な事情を抱えている方々が長期収容を余儀なくされています。

出身母国での迫害等から逃れ日本に着き、その後、長期にわたっての屈辱的とも言える不自由な収容生活は精神的・肉体的に大きなダメージを与えます。2010年には2名の方が自殺、自傷行為などが後を絶ちません。収容生活から解放後、精神科等で治療を受けている方が大勢います。国際的にも厳しい非難が寄せられています。

 

「人身の自由は人権の中で最も重要かつ基本的な人権である。裏返せば人身の自由の制約は声明の剥奪に次ぐ最大限の人権制約のひとつであり、人身の自由の保障は最大限に認められなければならないし、その制約は最小限でなければならない。・・・国際人権法」


在留カード制の導入に反対です

牛久入管収容所問題を考える会  田中喜美子


 本年7月9日より導入が予定されている、新たな外国人管理制度である「在留カード制」の導入に反対しています。
この国に暮らす約210万人の外国人を治安管理の対象として法務省・入管局のコンピューターシステムに一元管理する在留管理制度が施行されようとしています。
 09年の出入国管理・難民認定法の改定に伴い,管理システムの開発・準備期間を経て
始まろうとしているこの在留カード制には法務省が盛んに喧伝するところの「利便性の向上」などと言うこととは裏腹な外国人(私たちの良き隣人)をがんじがらめの治安管理と排除の対象とする「国家意志そのもの」が貫かれています。

 この新たな在留カード制について当事者である外国人総体でその内容についてどれくらいの人々が理解しているでしょうか?今までの外国人登録証とどこが違うのか?対象とされる人々のところには具体的な情報が知らされていない!というのが現状です。今年に入って「今までの登録事務は変わります」というお知らせが住民登録をしている自治体からあったところはまだご親切!全くなしのつぶての所もあるようです。

当会が関わっている東日本入国管理センター(以後牛久入管と記す)に被収容中の外国人も牛久入管より仮放免になっている難民申請者及び特別在住を求めている人々も状況は全く同じです。自分たちが非正規滞在者として扱われ、「在留カード制」の適用外であり、今までは、在留の資格無し!と書かれていても居住する自治体で住民登録=外国人登録証を持つことが出来ましたが、今後は自らを証明する手立ても、住民サービスからも除外されかねません。(非正規滞在者は入管のブラックリストに管理)
 私は牛久の入管への面会行動をしている者として、長期にわたってこの国でビザ無しのまま生き抜いている多くの外国人の方々がいわゆる犯罪に関わることもなく私たちのよき隣人として地域社会で生活し、税金を払い、3Kとよばれる労働現場で働き、社会を支えていることを知っています。
 在留カード制の導入によって彼らが息をするのも苦しい!状況がますます強制されます。出身母国に帰れない人々、この国で生活し続けたい!と願う人々は大勢いるのです。多くの人々はこの国が第2の故郷です。これらの人々が実際に生活することが出来ない、たとえば、それは働くことが出来ない=雇い主に就労の有無を在留カードで確認させ、怠った雇い主が罰せられる!をより厳格にしました。彼らを雇う人がいなくなる=働く場が無くなるということは生きていけない!ということです。

 在留カードが適用(16才以上)される、中・長期滞在者(特別永住者を除く、3ヶ月を超える在留資格が認められた外国人)にとってはどうでしょう?
 現在、地方自治体が外国籍住民に対して交付している「外国人登録証」は廃止され、ICチップ付きの在留カードが発行されます。ICチップには氏名、生年月日、性別、血液型、国籍、居住地はもちろんのこと、過去の違反・犯罪歴、出入国の記録、所属している機関(学校、会社等)の情報等々が事細やかに記録・管理されます。資格外の行動は微細なことでも摘発が可能になります。特に「就労制限の有無」はカード上に大きく記載されます。
 刑事罰を伴う常時携帯義務、提示義務が課せられ、登録事項の変更は14日以内に届けなければ罰金を科せられ、ビザそのものが取り消されたりもします。また、彼らが所属している企業や学校などは定期的に国への個人情報の提供・報告義務が課せられます。
例えば、永住権(他の在留カード適用者も)を持っている外国人A氏が住所を変更したとします。彼は14日以内に住民票をおいている自治体に行って転出届を出さなければなりません。その後、14日以内に新しい住所を引っ越し先の自治体に転入届を出し、同じく地方入管局に住所の変更届を出さなければなりません。これが遅れたり、しなかった場合は住民基本台帳法での罰金(5万円以下)にプラスされ入管法での刑事罰として20万以下の罰金が科せられ、これが90日を超えるとビザそのものが取り消しになります。
 在留カードに記載されている内容に変更があった場合14日以内に届けないと(例えば永住者の場合7年ごとの更新を忘れると・・・)1年以下の懲役または20万以下の罰金が科せられ懲役刑になったら退去強制事由となります。
 永住権を持っている外国人の誰もがこんなにも簡単に永住権が取り上げられ、強制退去になる!など思いもよりません。

 新たな在留カード制の導入、最悪だ!と思うことの一つに特別永住者に対する「特別永住者証明書」というカードの発行があります。戦後の悪名高き外国人登録法が廃止され外登証が無くなります。
 該当者は現在、在日2世、3世、4世、5世の人たちです。戦前・日本帝国主義下で植民地とされ,国を奪われ、言葉を奪われ、名前も奪われ、「日本人」としてカウントされ、ほんの一時期は選挙権も与えられた朝鮮半島・台湾省出身者たちの子孫です。
 今後も、6世、7世の子ども達が16才になると法務大臣発行のICチップつき「特別永住者証明書」を市区町村を経由して交付を受けます。(有効期間は7年,顔写真付き)「常時携帯義務」が無くなったはずだったのに、入管や警察の恣意的な求めに応じ、保管しているところに同行し提示する義務があり,拒否した場合1年以下の懲役または20万以下の罰金が科せられます。また、7年ごとの更新を忘れたり、「特別永住者証明書」の受領を拒否した場合も同様の刑事罰があります。この制度に反対の意志を示し、提示の拒否・受領の拒否をし、呼びかけたりすることに対し刑事罰を科す・・・。80年代に激しく闘われた指紋押捺拒否闘争の再来に恐れを抱いています
 6世・7世の代になっても在日の子ども達が自分が顔を見たこともない祖先のルーツによって「いわゆる日本人」の子どもとの違いを強烈に思い知らされます。
 特別永住者には「再入国許可と見なす」制度・・2年以内の出国ー再入国には「再入国許可が不要」が新設されました。しかし、国籍・地域欄に「朝鮮」と表示されている特別永住者だけには認められません。特別永住者の中に差別と分断を持ち込みます。韓国籍への変更、日本への帰化を強制するものです。朝鮮高校の無償化問題とも同様な問題です。
同時に住民基本台帳に「外国人住民票」が記載されます。相変わらず「選挙人名簿登録の旨」からは除外・・・・何世代にもわたってこの国に住み、どんなに税金を払っても、自分たちを縛り付ける立法府の国会議員を選ぶことは出来ません。

 許せないことに、新たな在留カード制の導入を巡ってこの国に暮らす外国人の中に差別と分断が持ち込まれています。様々な事情でこの国で暮らしている人々、同じような経緯で難民申請をし、難民として定住ビザを勝ち取った人、出身国の政治状況下での特定ビザ(定住ビザと違い就労制限など様々な制限あり)の人、日本人もしくはビザある人との結婚で配偶者ビザを取った人、長年にわたって難民申請中(仮放免中)の人、彼(彼女)らと付き合っている私にとって個々に大きな差異はあるとは思えません。しかし、彼(彼女)らの中に深刻なわだかまりをつくり出しているのも事実です。
 
 世界的な同時不況・新自由主義体制が吹っ飛び、昨年の3.11以降、この国は全てにわたってどうにも立ちゆかない状況が現出しています。為政者達は人々に犠牲(痛みの強要=共用)を求めます。この国で、孤独死や餓死が次々報告されるのに大金持ちは増えています。民主党・野田政権の下、橋下大阪市長や石原東京都知事は、非正規労働者=まともに生活設計が出来ない人々をつくり出すことに血道を上げ、労働者の団結、闘いに恐怖しています。差別・分断、排外主義をあおり立てています。
 この国に暮らす「99%」の私達にとって在留カード制の導入に反対する闘いは、この新自由主義下(資本は自由に世界を駆け巡る)、世界の闘う人々の中に国境はない!=この国に暮らす全ての人々と手を取り合えるチャンスです。誰もが幸せに生きられる権利のために、ここで生き抜き、生き抜くために闘いましょう (2012年3月16日)。









2011年「牛久入管収容所問題を考える会・年次総会」                                  

311日、東日本を襲った大地震と大津波、そして福島第一原発の破局的事故はこの国の有り様を一変させています。東日本入国管理センター(牛久入管収容所)の所在地である茨城県も福島、宮城、岩手などとは比較になりませんが様々な被害を被りました。 福島第一原発の破局的事故は「核と人類は共存しない!」を日々の現実を持って突きつけています。

 311日、午後246分過ぎ三陸沖で発生したM9.0の大地震、その余震が続く中、茨城県沖で316分頃にM7.0の地震が発生しました。これ以降の牛久をめぐる状況は日本の外国人政策が如実に表れている所=「収容所って何?」をあからさまにしています。 当日は午後の居室自由解放時間帯でした。運動の時間になっているブロックの人たちもいました。各居室の天井近くに備え付けられているテレビは大きく動き、居室内の棚の荷物は飛び出し、「這ってベットの下に潜り込んだ」、居室前・ホールのロッカーは倒れ、卓球台は片足が折れ、1993年に建てられた旧棟は亀裂が走り、運動場に出る階段は段差が生じて・・・という有り様です。何人かが倒れAEDを使用(以降の余震時も使用 )、運動場に出ていた被収容者の中にはショックで倒れた者を運ぼうとして混乱の中、ドアのガラスが割れ、血を流す者、責任者に「緊急時の対応について」説明を求め詰め寄る者もいます。パニックの最中には当局に対する怒りでガラスが割られることも起きました。断続的な激しい揺れの中、午後4時半以降、職員達から告げられた言葉は「食事が配れないから早く部屋に入って!速やかに部屋に戻って食事を取り寝なさい!」。各居室に鍵がかけられました。しかし、閉鎖空間に閉じ込められることに激しい抗議が起き、この日の夜間施錠はなくなりました。

  聞き取りをした被収容者が一様に「死を覚悟した。こんなところで死にたくはない!と思った。」と語ります。 その後も入管からは何の情報も与えられず、特に福島原発のことは「母国との電話で初めて重大性を理解した」、今後の巨大地震の可能性と被収容者の安全確保について職員に聞くと「可能性を考えたらきりがない!」と言われたそうです。

   2012年7月導入予定の「在留カード制」導入に反対の声を! 

新自由主義の破綻が世界中で激しく進行している中、200万人以上存在する(正規・非正規を問わず)日本における滞日・在日外国人の状況も大きく変わろうとしています。 

 20097月に改定された入管法・入管特例法・住民基本台帳法による新しい在日外国人管理法が来年7月をめどに実施予定です。戦後60年以上続いてきた「外国人登録制度」を改編し、この国に暮らす外国人を対象として、その個人情報すべてを治安管理の対象として法務省・入国管理局が一元的にデータ管理する「在留カード」の導入を図ろうとするものです。摘発、収容、強制退去による治安管理政策をより強化するものであり、すべての在日外国人の尊厳と自由を奪うものです。特に当会とも関係の深い仮放免者たちに対して言われている「仮放免者は適用外!」でどうなるのか?「在留カード制」に対する取り組みを強化するために,124日の総会では大きなテーマとして提起します。

 東日本大震災、福島原発の破局的事態の進行はこの国に生きるすべての人々に大きな課題を突きつけています。為政者や東京電力をはじめとする資本家達は自らが引き起こした大災害をも利用して、被災地を切り捨て「民は死しても自らは肥え太る」そのものを画策しています。目に見える形で声を出し始めている仮放免者・この国に生きる全ての外国人をそのスケープゴートにさせてはなりません。   


9・28(水)東京入管デモ!

申し入れ書


法務大臣殿
東京入国管理局長 殿

私たちは、難民申請者を含む外国人とその支援者です。私たちは、外国人に対する入管当
局の対応があまりにも非人道的であることに、日々憤りを感じています。

8月下旬から東日本入国管理センターでは、被収容者のハンガーストライキが闘われまし
た。収容所内の処遇改善を求めたハンガーストライキは一旦終息しましたが、問題が解決
したわけではありません。特に東日本入国管理センターでは被収容者からの告発で「外国
人をいじめるのが楽しい」と公言した職員がいることも明らかになりました。頻繁に自傷
行為や自殺未遂が繰り返されています。
私たちは、面会活動によって、被収容者からさまざまなお話を聞きます。法的には「船待
ち場」として規定されている収容所が、刑務所などの矯正施設と同様の現状にあること自
体が法律違反であることは明らかです。
日本は国連人権規約、難民条約を批准し、その国際法の精神を実践する立場を明確にしな
がら、現実に行われている入管施策があまりにもかけ離れていることに、私たちは怒りを
禁じ得ません。抗議の意志を表明し是正を求めます。

私たちは以下のように要求します。
1.    難民(申請者とその家族)及び移住労働者を人道的配慮に基づいて扱うこと。特
に難民申請者にあっては犯罪者としてではなく、国際法上の難民=庇護すべき対象として、
まず措定してください。
2.    仮放免者について、労働を禁じていますが、人間が働くことは生きる権利であり、
現実問題としても生きていくためには働かなければなりません。仮放免者に労働の自由を
保障してください。やむを得ず働くことが出来ない、もしくは働くことを禁ずる場合は人
間らしく生きられる保護費を支給して下さい。
3.    長期収容・再収容をやめ、仮放免時の保証金を引き下げてください。
4.2012年7月に導入が予定されている新たな在留管理制度=「在留カード」の中止を求
めます。
 3・11東日本大震災以降、日本でも失業者が増え、非正規労働者が増え続けています。
仮放免中の難民申請者や移住労働者は生活することも困難な状況に置かれています。
 東京入国管理局は、難民を含むすべての外国人にたいして人道的な立場をもって、人権
を守る施策を行うよう要求します。


2011年9月28日              9.28東京入管デモ 参加者一同


難民を人間として扱え!
収容するな! 仕事をさせろ!
反原発!反失業!


デモ呼びかけ:外登法・入管法と民族差別を撃つ全国実行委員会 

 

 

 

 

 

 
  


緊 急 申 し 入 れ

東日本入国管理センター所長 殿

牛久入管収容所問題を考える会

 東日本入国管理センターにおいて、長年、面会ボランティアとして、貴センターに収容されている外国人と関わりを持っております、牛久入管収容所問題を考える会は、8月21日より7Aブロックで被収容者の方々がハンガーストライキを行っていると聞き及びました。当該被収容者の健康問題に多大な影響を与えかねない事態を招くことの無いよう、人権に配慮した誠実な対応を求めます。特に、被収容者が求めている「責任者との話し合い」に応じて頂けるよう求めます。

 貴センター所長宛に7Aブロックの方々が嘆願書を出しています。当会はこの文書を読ませて頂きましたが、8月中旬の猛暑の中で書かれたこの文書には、当該の方々が切実に処遇の改善を求めていることがうかがわれます。
 
 本年3月11日に起きた東日本大震災以降の様々な事情はあるとは思われますが、処遇規則に基づく最大限の配慮は当然です。
 特に官給食については、他ブロックの被収容者からも苦情を聞きます。5月27日には3A、3Bブロックの被収容者からの意見書も貴センターあてに出されています。入管局のホームページに掲載されている「処遇」を見ると、被収容者から聞く現在の官給食とは大きな差があり過ぎます。改善を求めます。
  
 仮放免許可の弾力的運用を求めます。長期収容者及び再収容者に於いては「どうあっても帰国出来ない理由がある」事情を考慮して頂き、早期の仮放免をお願いします。成田で上陸拒否に会い、貴センターに移送された難民申請者には特段の配慮・早期の仮放免の許可をお願いします。刑期満了後の移送者は日本人ならあり得ない2重の処罰を受けていると取れる状況にあります。
 当会は従前より仮放免の保証金額を引き下げて頂きたいと申し入れていますが今般の経済状況の悪化に伴い、仮放免が許可されているにも拘わらず手続きが進まない被収容者が出ないようにお願いします。

 医療の問題についても被収容者は多くの問題を抱え様々な不満をお聞きします。

9Bブロックで、警備課職員による「外国人をいじめるのが楽しいんだよね!」などの差別暴言が発せられるような処遇環境の下で被収容者からの様々な苦情が聞かれます。今回のハンガーストに対し人道的配慮に基づいた対応を重ねて申し入れます。

2011/年8月24日
   連絡先:茨城県つくば市高野1159-4 田中喜美子(029-847-5338


牛久入管収容所・被収容者の嘆願書
(110826掲載)





8月の定例会は滞日の方達を招いて恒例のバ−ベキュ−












牛久入管への申し入れ(6月30日)




世界難民デ− 2011年6・20
牛久駅前でチラシ配布&マイク・アピ−ル
15名の参加でチラシ1500枚を配布
駆けつけて下さった皆さんありがとう!


 





東日本大震災に関する牛久入管への緊急・申し入れ(4月13日)

申し入れ書


弁護士の大川秀史 先生
(日本弁護士連合会国際室嘱託、関東弁護士会連合会「外国人の人権救済委員会」委員長、
東京弁護士会「外国人の権利に関する委員会」副委員長)
らが、 
 日弁連・関弁連・東京の3弁護士会の共催でこのほど、
震災外国人電話法律相談を開始されました。

下記を参照ください。
soudann0408.pdf へのリンク


2011年4月6日、仮放免者の会は牛久入管に申し入れ行動を実施


面会報告:牛久の会員のFさんは、下記の文面をHPに掲載することを依頼されました。








ネブロスは、クルド民族のお祭り
(2011年3月20日 蕨市)

東日本大震災へのカンパが寄せられました!

世界の多くの場所で、毎年3月21日に行っている

祭りの起源は、古代メソポタミアに

弾圧や悪政、不正や暗黒を終わらせ自由と希望
明るさと美しさの始まりを求める祭り

現代での意味は、抵抗を続けるすべての人民
抑圧された民衆解放の祭りです


面会報告;3月16日(水)田中喜美子

3月11日の東日本巨大地震後初めて牛久入管に面会に行きました。

13日頃から牛久の中の様子が被収容者達からの電話で徐々に伝わり始め大変なパニック
状態に陥っていたことが推察されました。

 JR常磐線が取手駅以北が不通のため面会受付には車が使える外国人女性がひとりと当会
の会員3名だけ。牛久入管は全くの「陸の孤島」状態。終日面会室も閑散として面会ボラ
ンティアとしては面会行動が大いにはかどり通常5組の面会が何と7組出来ました。

面会に先立って所長宛の要望書を渡し、要望書は公開することを伝えました。

面会で被収容者達は11日当日の巨大地震への恐怖、それ以降の余震等に対する不安、福島
原発の放射能汚染に対する怯えを口々に語っていました。12時50分頃には銚子沖地震の発
生で牛久入管も激しく揺れ、一瞬緊張しました。

1993年に供用が開始された旧棟に於いてはひび割れ等が発生し1A,1Bのブロックは現在閉
鎖され新棟の5A,5Bブロックに全員が居室移動になった。
この1A,1Bのブロックに於いては茨城県沖とされる2度目の地震の時、被収容者が鍵がか
けられたままで狭い居室に閉じ込められている状態に怒りが爆発し、強化プラスチックガ
ラスをぶち破り全身血だらけになる者、地震のショックで倒れる者もあり、「ドアの鍵を
開けろ」の大合唱により、12日朝まで全収容棟の居室の施錠は外された。
 
私が面会を申請した、日本について間もないクルド人は98年にトルコでがれきの下敷きに
3時間埋まったという地震の被害を受け、PTSDに陥り11日以降部屋から一歩も外に出ず、
うずくまり、帰国のサインをした、と同国人から報告されました。

現在、地震前は毎日温かいシャワーが使えたのが週2回程度に制限されている



   要 望 書

 東日本入国管理センター所長殿

 

 東日本入国管理センターに於いて長年、面会ボランティアとして、貴センターに収容されている外国人と関わりを持っている、当「牛久入管収容所問題を考える会」は以下のことについて強く要望します。

 

  311日午後に発生した東日本巨大地震と一向に収まらない余震の群発、長野大地震、315日、夜半に発生した静岡大地震とだれもが直面したことのない巨大災害の渦中にいます。特に、東日本巨大地震と続いている余震では通常閉鎖された空間に収容されている外国人にとってどれほど大きな恐怖を抱いたか?察するに余りあります。実際パニック症状を起こし倒れたもの、様々な被収容者の平静ではいられない抗議行動が起きたことを聞き及んでいます。

 この大地震に伴い現在、世界的規模の大事故として福島原発の破滅的大事故が現在進行形の形で、関係者の必死の努力にも拘わらず進行しています。当該地域住民とまったく同じレベルで茨城も放射能汚染直下にあります。

 フランスをはじめ世界各国政府より本邦に滞在する外国人に対し「国外避難勧告」が出されていることは貴職に於いてはご承知のとうりです。

 

 以上のような状況に鑑み、当会は以下のことについて早急なる対処をお願いする次第です。

  1,自主的出国を望んでいる被収容者に於いては当該大使館等との緊密なる連絡の下、「早  急、安全」な出国を実施してください。帰国費用の調わない出国希望者には国費送還  を柔軟に実施してください。

  2,仮放免の申請を出して、帰国を拒んでいる被収容者に於いては早急に「仮放免許可」  を出してください。なお、その際、茨城県、牛久市がJR等交通機関がマヒ状態に陥  っている間は当該仮放免許可者、及び保証人との協議の下、品川入管への移送「仮放  免」を行ってください。

  3,仮放免の条件が整わず「長期収容」を余儀なくされている被収容者に於いては「拘禁  性のストレス障害」等肉体的・精神的障害がますます増大していることに留意し、早  急なる「職権仮放免」等の対処を行ってください。

  4,やむを得ず、当面収容が続く被収容者に於いては放射能被爆から少しでも被害が軽  減するよう措置を執ってください。気象条件による屋内待避(運動時間)、マスクの  運動時間中常時使用、ヨウ素剤の常備等を実施してください。

  5,夜間等の各収容居室に対する施錠を中止してください。            
6,上記要望に関し早急に各国言語による丁寧な説明、具体的対応をお願いします。                                
 
2011316                       牛久入管収容所問題を考える会 田中喜美子

                          300-2642 茨城県つくば市高野1159-4 п@029-847-5338


面会報告 増田博光(110315UP)

 14日(月)、牛久で1Bブロックの人々と面会しました。

 地震発生当初は、みんなパニックになり、その過程で3人が倒れた(スリランカ2人、バングラデシュ1人)。
11日は医師は休みで、看護師がAEDを使って3人を救助した。その過程で窓ガラスも壊れた。

 懲罰房に入れられた人はいなかったが、地震発生から40分ぐらい全員を各部屋に閉じ込め鍵をかけていた。
パニックになった人々をふくめ、職員は「心配ない」「心配ない」と言って、全員が部屋のドアを叩くまで鍵は開けなかった。
1Bの人は、5Bに移され、11日から12日朝までパブリック・スペースを開放した。開放後は、12、13日とも部屋の鍵は閉めていた。

 震度が一定以上になったら全員解放すべきと考えます。

 被収容者の証言をふまえ、総務課の山岡課長に緊急申し入れを行ったが、
「収容者のことを第1に考えている」「文書を見て回答する」の一点張りで自己弁護に終始していた。

面会報告(110304UP)

2月24日・被収容者の抗議行動と27日、28日・2件の自殺未遂    田中喜美子

2月25日(金)午後、牛久入管に被収容中のクルド人から「9Aのクルド人達がひどいことになっている」との電話連絡があり、28日(月)確認のため面会をしてきました。

28日、午後2時45分頃入管で面会手続き、クルド人達は3名とも7Aに居室替えさせられており、1人ずつしか面会できないとの入管側の説明に何度か食い下がり職員立ち会いを条件に、3名一緒に面会できるようになる。

この間、警報が鳴り、多くの職員があわてて収容棟方面に駆け込む。

大分待たされ3時40分過ぎやっと面会の順番が来る。

面会室に現れた3人の内一人は興奮して「いま、一緒に7Aに移されたイラン人(牛久への再収容者)が電機コードで首つりをして心臓が止まった。職員が心臓マッサージをしてAEDの器械を使った。」

後の二人は憔悴しきっていた。

 

以下、聞き取りにより判明したこと

2月24日(木)に牛久入管内9Aブロックに於いて被収容者達による抗議行動があった。

  発端は午前中の運動時間にサッカーをしていた被収容者達が、時間が短すぎる(40分)、もっと運動時間を長くしろ!と所長との昼食後の面会・話し合いを要求した。

 所長との面会を求めて

@運動時間を長くしろ

Aなぜ難民を収容するのか

B仮放免を早く出せ

B仮放免後、すぐに再収容するな

 等々を要求したが、所長は彼らの前には現れず、現場の責任者によって午後4時半、各居室に戻るように・・・の説得があった。クルド人3名を含むイラン人等6名が居室に戻ろうとしなかったことから職員100人?位によって制圧行動が行われた。

 

クルド人3名を含む6人が7Aブロック(懲罰房的役割の1人部屋)に閉じ込められた。

この最中に顔を安全靴で踏みつけられ、後ろ手にされ引きずられての居室移動。擦り傷、打撲痕、青あざ等が残るくらいの制圧を受けた(田中確認)。

自殺を図ったイラン人難民申請者は2度目の収容で7Aに移されてから食事を拒否していた。

28日、田中面会後は7Aから居室が移動される(元の9Aに戻されるか?)とのこと。

 

3月2日の当会の面会で、27日には9Aのスリランカ難民申請者(牛久に3度め目の収容)がやはりコードで首つりをし、こちらも発見が早く大事には至らなかったことが判明しました。

 

品川に於いて「仮放免者の会」が抗議デモをした25日の牛久収容所内における連帯ハン

ストは各ブロックで参加者はまちまちでした。

 

24日、所長面会を求めて居室前ホールに座り込んだ9Aブロックの2名が27日、28

日に自殺を図るという事態はまったく異常です。

24日の当局の対応、および難民申請者に対する「再収容問題」に大きな原因があると思

います。


面会報告(Oさん)
(110301)

 二月末の面会で、頼まれたチョコレ−ト等の差し入れで心のなごむ思いをしました。

普段は様々な苦しみの訴えの中で、収容者の間での助け合いの姿は美しいものでした。
N国への国費送還者は一銭もなく帰国後のバス代もない様子に
同じブロックの仲間がお金を出し合い、
一万円とおみやげ用のチョコ菓子をプレゼントしました。

皆、金銭的には苦しい中だからこそ、こういう行動は、心温まる姿でした。


2011年2月26日の例会の様子


2011年1月22日の例会の様子

日本に住む難民にお話を聞く(バングラディッシュ国籍のMさん)


牛久の会が第25回東京弁護士会
人権賞 受賞


 

 
弁護士会館で表彰式 2011年1月5日




法務省記者クラブで記者会見 2010年12月3日



「東京弁護士会 人権賞」が発足してから2010度で25回目を迎えます。この賞は、本会及び民間の個人、グループ、団体の優れた人権擁護活動を表彰し、基本的人権の定着、発展に寄与しようとするものです。いわば在野の人権活動に光をあて、これらの人々を励まし、より一層の人権活動が活発になることを目指すものです。東京弁護士会は、この賞の趣旨を次のように述べています。

戦後、日本国憲法のもとに基本的人権は生まれて育ってきました。しかし、人権が侵される事例はまだまだあとを絶ちません。社会の変化とともに人権の中味も変わっていきますし、新しい人権をも育てていかなければなりません。日本国憲法が謳っているように、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」(97条)です。このような「自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(12条)ものです。人権は、多くの人々のたゆみない努力によって、擁護され発展し、定着していくものです。弁護士法第1条は、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」と定め、人権の擁護を弁護士の責務としています。東京弁護士会はこうした責務を自覚し、いまなお人権に対する侵害が存在し、人権の内容の空洞化などが指摘されているなかで、人権擁護活動に地道な努力をつみ重ねてこられた方々を表彰し、人権の発展、定着に寄与することが極めて意義のあることと考えております。

 

本賞の対象者は、次のような人権擁護活動です。

  1. 人権侵害に対する救済活動−例えば再審、冕罪事件の弁護活動等
  2. 国際的な人権活動
  3. 人権にかかわる立法への貢献又は阻止活動
  4. 人権思想の確立のための研究・啓蒙活動
  5. 公害・社会福祉の分野における人権活動
  6. その他、新しい人権の確立のための活動等、広く人権に関する活動

 

この賞は、東京弁護士会が制定しているため、原則として、東京都内に住所、事務所又は活動の本拠をおくものですが、その活動が全国的又は国際的な拡がりをもつものを含みます。

2006年度には「救援連絡センター」が受賞しています。



































2010年 9月 25日の例会の様子



8月恒例のバ−ベキュ−懇親会
     2010年 8月 22日(日)












日本に住む難民にお話を聞く
(イラン人Fさん:2010年 6月 26日の例会


 Fさんは1989年に、当時多くのイラン人が日本をめざし、出国していましたが、その中の一人として来日しました。彼らにとっての大きな理由の一つが当時はビザが免除されていた、ということがあります。1979年のイラン・イスラム革命、その後のイラン・イラク戦争等々でイラン国内が非情に混乱・困窮する中で多くのイラン人達が、移民・難民として国外に活路を求めて出国せざるを得ない状況がありました。日本文化については当時「おしん」のテレビが放映されていて大変な人気だった事を含め日本の戦後の発展等に興味・親近感があったそうです。
 彼は1979年のイラン・イスラム革命時代、ジャーナリストとして多くの反体制派の新聞にルポルタージュを書いていた。反動的な宗教政治に反対し、国内を転々とし、弟がFさんと間違われて獄中に入れられたことも含め身の危険を感じ国外に逃げた。奥さんとは離婚し、元妻は軍のナンバー2と再婚、現在も息子、孫と暮らしているので、今も母親や肉親との連絡も慎重にならざるを得ない。その後、弟は不審な交通事故で死亡。

 来日後、友人と連絡を取り合ってカナダへの政治亡命のチャンスを狙っていたが、病気・入院を経てチャンスを逃し、オーバースティになり埼玉県新庄市に暮らす。新庄の鉄工所で働き、社長に重用されていたが、社長の病死と鉄工所の経営破綻に伴い賃金未払いのまま「ゴミを捨てるように・・・」警察に「オーバースティのイラン人がいる」と密告され、捕まった。

 入管に収容されていたのは1回目が3年2ヶ月、仮放免後2回目が9ヶ月でした。
彼は例会参加者の大学生に体中の湿疹を見せながら、一生懸命「入管での収容生活」はストレスだらけで不衛生だったことを語ってくれました。また、歯医者は「抜くだけ」の治療のため、ほとんど歯がなくなった事も。
牛久から強制送還されたイラン人難民の安否、イラン人の被収容者達が「イラン行き」の飛行便がある月曜日と木曜日は前日から眠れず、朝早くからの物音に怯えている様を語ってくれました。
 2003年1回目の仮放免の保証金は80万でした。長い収容生活、賃金未払いでしたので所持金はゼロ。どうしようか?と頭を抱え込んだものでしたが、Fさんのお人柄も有り、弁護士さんの尽力と運良く池田香代子さんの「100人村基金」からお金を借りることが出来ました。池田さんとは昨年、パレスチナの集会で感動的な出会いを果たし、「やっとお礼を言うことが出来た。」と喜んでいました。

 Fさんはテヘラン大学でデザイン関係を学んでいたこともあり収容中に絵を描くことを勧めました。当時(2000年頃)、色鉛筆や画用紙を何とか差し入れすることが出来ました。例会当日、多くの作品を持参し、絵を見ながら収容所での生活を説明して下さいました。港町診療所・山村先生の本「壁の涙」の表紙を飾る絵もその一つです。
 尚、これらの絵は、田中が保管することになりました。以前もミニ展覧会などに使わせてもらっていますが、ご希望があれば貸し出します。
現在は昨年「病気治療」の特定ビザが出て、とりあえず仮放免状態からは解放されたのですが、2回の長期収容は彼に取り返しの付かないダメージ、PTSDを負わせています。

 彼は、「人の役に立つ」ということが本当に人生の大事なことと考える人です。ホームレスのための炊き出し、子ども達に絵を教える、食糧支援の荷物の仕分け等のボランティア活動を率先しておこなっています。

 私達は、彼のような人々とどう向き合い、共に生きていくのかが問われているのではないか?考えさせられることです。



          


 
7/14東京弁護士会 夏季研修会で牛久の会の報告


ご支援ありがとうございました
牛久収容所のある牛久市の駅前で

6・20難民デ−の取組み






















 


日本に住む難民にお話を聞く(トルコ国籍のクルド人Aさん)


2010年 5月 22日の例会の様子

1)入管による収容の実態

 

・これまで2回収容された(期間は33ヶ月間と1年間)。

・牛久での収容が3年も続く中、いつ出られるか不明だったので70日間のハンストを闘った。

・この後、収容期間を1年程度とする目安のようなものができた(しかし、今でも2年以上の人がいる)。

・被収容者の精神がおかしくなるまで外に出さない。

・東京拘置所のほうが食事も医療もはるかにまだましだ。

・牛久収容所を出たクルド人の三人に一人が精神病院に通院している。

 

2)難民をめぐる現状

 

・当人が日本人の配偶者であるのに強制送還される事例もある。

・法務省は英国の調査結果を引用し、そもそもクルド問題など存在しないと言う。

・しかし、トルコではクルド人の市長や国会議員が逮捕されている。

・イランではクルド人の教師が4人死刑にされ、弁護士が行方不明になっている。

・仮放免の更新手続きに一ヶ月か二ヶ月ごとに入管に呼び出される。おかげでこんなにポイント(印)がたまった(エコポイントになぞらえて皮肉)。笑ってしまう!(写真参照)。

・オーストラリアへの第三国出国を申請中だが34年待ちになりそう。

 

3)品川入管について

 

・品川入管の担当者は法律をろくに理解していない。そんな人が聞き取りを担当している。

・「裁判をするな」と言い、法律に無関係な強制収容をする。

・品川入管に出頭する行きと帰りで、同じ警察官に職務質問される。

・警察は、難民が入管で手続きを完了する前に逮捕したがっている。

・麻薬などの犯罪は調査・証拠集めに大変時間がかかるが、オ−バ−ステイは簡単に逮捕できる。

・品川で職務質問が多発するのは、昇進のポイント稼ぎにしているからだ。

・私服警官はすぐ特定できる。獲物を狙うような見方で外国人を見るから。





2010年 5月 22日の例会の様子




2010年 4月 24日の例会の様子

日本に住む難民にお話を聞く 4/24(スリランカ国籍のAさん:男性)

 

1)スリランカの概要
・人口約二千万人で、宗教は仏教、ヒンズ−教、イスラム教、キリスト教。

・言語は、シンハラ語(仏教)、タミ−ル語(ヒンズ−教、イスラム教)、英語(多くの人々が話す)。

・人口の72%がシンハラ語を話し、タミ−ル語を話す人々とは相互の会話はできない。

1948年に英国から独立し、セイロンに。

1956年シンハラ語公用語法案が制定されシンハラ・オンリーの政策によってタミ−ル人との対立が高まる。

1972年までは言葉をめぐる戦争があり、1990年までは民族問題で内戦。

2009年、内戦は中止したが、軍事力でコントロ−ルされているだけで政治的問題は未解決。

・いつ内戦が再発するかわからない。

 

2)難民をめぐる日本の現状

・日本で収容中のスリランカ人は、いったん成田に着き、カナダ、欧米への入国を考えていた人が多い。

・日本以外の各国はスリランカの国情を理解しているから少し待たされるが難民認定し、強制収容はしない。

・各国では難民申請の仕方を示している。日本では入国カウンタ−等での表示がない。隠しているのか?

・仮放免制度の制約はひどい。1ヶ月ごとの更新や居住地域外への通行許可申請や就労禁止等々。
スリランカでは20年以上内戦があり学校へもろくに行けないから文字の記述が不自由な人もいる。
欧米では国際弁護士が本人から直接聞き取り、難民申請書を作成してくれる。日本では見たことがない。

・収容されているから情報も満足に入手できず、ストレスの中での短期間での申請書提出など出来ない。
2年以上、牛久に収容されているアフリカからの人がいる。難民として逃れてきたから日本語も話せず、仮放免の保証金50万円 も用意できず困り果てている。

 

3)入管職員、難民審査参与員、通訳について

・入管の職員は難民条約のことをよく知っていない。日本では難民という概念そのものが理解されていない。

・難民に対応する部門と強制送還の準備をする部門を同じ入管職員が担う。日本は難民条約を守っていない。

・参与員も本当に情報を聞き出すのではなく、最初に難民認定しないという結論ありきで画一的な質問のみ。

・通訳の能力があまりにも低すぎる。

・難民を助けるための入管ではなく、日本人を守るための入管であると言い放ち、スリランカに帰れと言う。

・裁判中であるのに、「結果はスリランカに帰ってからでもわかる。裁判に負けたらどうするか」と恫喝する。

 

4)食事、医療、の問題

・入管での食事は家畜のエサに近いと言うより、エサよりひどい。

・収容が一ヶ月程度の人なら我慢できるが、12ヶ月以上だと体がダメになってしまう。

500名近い収容者に対して医者は一人だけ。外の専門医に診てもらうべきなのになかなか行かせない。

・コスト削減のため、薬は安いジェネリックが多い。内科医が精神科医の出すべき薬を処方している。

・金曜日の午後から月曜日の午前中は、倒れても死にそうになっても医者は不在。

・歯医者は一ヶ月待ちで、抜歯か痛み止めの薬のみの対応。


牛久入管の被収容者約70名が
5/10から無期限ハンスト突入


要望内容

1.難民条約に基づいた審査と手続きを
2.長期収容・再収容をするな
3.仮放免の保証金額の低減を
4.医療体制の改善を
5.強制送還時に死亡したガ−ナ人の死因解明・補償・再発防止を
6.配偶者がいる人の収容停止を
7.全ての職員に名札の着用を



牛久の会は5/14つくば市内で緊急記者会見
「思いを受け止め、仮放免の早期実現を」と訴えた



牛久の会は多くの難民の方々と共に登壇し団結を訴えました

 



 

 





日本に住む難民にお話を聞く 3/27
(トルコ国籍のクルド人・Eさん:男性、1976年 生まれ、2001年来日)

 

1)高校生時代のトルコ国内でのクルド人に対する迫害

・高校3年生の時(1994年)校長が生徒との会合の場で「ネブロスの祭りなどは存在しない、それは反政府のテロリスト達が山中で行っているものに過ぎない」との暴言を吐いた。

・この発言に対して抗議し、クルド民族の五千年の歴史ある大切な行事であることを説明した。

・校長はクルド人はテロリストだと決め付け、警察に連絡しEさんを逮捕させた。

・警察では3日間、暴行を受けながら取り調べられた。

・高校を退学させられ、PKKの支援者として登録された結果、国内のどの大学へも入学できなくなった。

 

2)トルコでの軍隊の実態

・トルコでは二十歳になると一年半の兵役が強制される。

・兵役を拒否すると死ぬまで刑務所に投獄される。

・入隊すると同胞のクルド人を殺す側に仕立てられる。

・どうすればいいか悩みぬいたが、入隊せざるを得なかった。

・背が高い(180 cm以上)こともあって特殊部隊に入れられた。

1997年の4,9,12月、クルド地区への進入・攻撃があり多くの村民が殺された。

・入隊した友人も20人が戦死させられた。
・軍のヘリコプタ−が墜落し多数の兵士が死亡した時は、誰のかが判らない肉片をかき集め、袋に入れたものが「遺体」として家族に渡された。

・軍隊の実態を写真やFAXで国内の人々に報告した。

・公安の私服警察や秘密警察から命を脅かされる状況になって、国外に逃れざるを得なくなった。

 

3)日本政府・入管のクルド人に対する迫害

2001617日に来日した。当初は特にお金がなくて困った

・難民申請し、2002年にUNHCRのインタビュ−を受けた。

・入管当局は「英国がPKKをテロリストとしている」ので難民認定しないと言う。

・英国が日本の入管のこの実態を知っているか確認したい。

・そもそも、ここは日本である。英国とは関係ない。日本の国旗は「英国旗」か?

2006年に地裁、2007年高裁、2008年最高際判決があったが全て却下。

・どの申請者に対しても、難民たる「理由が足りない」と一律的。政治裁判であり形式的なショ−だ。

・品川入管に8ヶ月間、強制収容された後、牛久入管に移された。

・長期間の非人間的な強制収容によるストレスとトルコへの強制送還(死をも意味する)への恐怖で、体重が20kgも減少した。

・収容中、十二指腸潰瘍、ヘルニヤ、目、等を患った。軍隊時代の過酷な体験や電気ショックなどの拷問や殺された友人、親戚の夢に苦しんだ。トラウマ、PTSAにさいなまれた。

・歩くことも立つこともできなくなり意識が朦朧とし、お湯も吐く状態になり出血が続いた。

・それでも入管は、車椅子使用もなかなか認めず、外の医師が必要と認定した薬もコスト削減から与えなかった。痛めていた足の状態もさらに悪化した。

・これに抗議すると、20人がかりで車椅子から引き立てられ、スペシャルル−ムと呼ばれる最悪の拷問部屋に3日間隔離された。この時トルコへの強制送還にたいする恐怖心は大変なものであった。

 

4)異議申し立て時の参与員インタビュ−での通訳の問題

・通訳担当者は、トルコ語の能力が全く不十分で、主張のごくごく一部しか通訳できていない。

Eさんが日本語で説明しようとすると入管はトルコ語で話せと強要する。

・十分の一しか通訳できない状態で本当のことが伝わりますか?

・通訳の能力不足の問題は極めて深刻です。

Eさんの締め括りの言葉は「それでも、とにかく頑張って生きていきます。人生はまだまだこれからです。」


第19回 関西研究交流集会 2010年4月19日 大阪市 東成区民ホ−ル

 

    

 


ビルマのお正月 ダジャン水かけ祭  4/11吉祥寺・井の頭公園
 

   

 


国連人権理事会移住者の権利に関する特別報告者 ホルヘ・ブスタマンテ氏と
NGOの意見交換及び収容と送還問題に関する実態調査が行われました



田中喜美子 氏        ホルヘ・ブスタマンテ氏

 東日本入国管理センターにおける収容と処遇の実態

                                                    2010324

 

  報告者  牛久入管収容所問題を考える会;田中喜美子

 

 東日本入国管理センターは19931224日に現在の地、茨城県牛久市に開設されました。出入国管理及び難民認定法に元付き、法外の外国人に対して「速やかなる退去」を強制する法務省・入国管理局下の施設です。建設当初の収容定員は300人、現在は200312月より増設され収容定員700名の施設です。

   1993年は日本における超過滞在者がピークの298646人で退去強制手続きを受けた人数もピークの7404人でした。2009年は不法入国者を含めた非正規滞在者が1213万人存在し、退去強制令書が発布されたものが24442人でした。報告者が この統計を取り上げたのは入国管理センターの開設に大きく関わるものとして日本における1990頃よりの激増した非正規移住労働者(難民も含む)の存在があり、近年非正規滞在者が大きく減少したのはこの5年間における法務省・入国管理局による「不法滞在外国人半減政策」による激しい「外国人狩り」とも言われる一斉摘発が行われたためと見ることによる。そして、これらの政治的・経済的、時代背景が出入国管理・難民認定法の矛盾=これを体現する施設としての東日本入国管理センターにおける現在の矛盾を生み出すと考えるからである。

 

  報告者が東日本入国管理センター(以後牛久入管と称す)に収容されている外国人に対する市民ボランティアとして面会行動を始めたのは1995年からです。当初は月12回、自分一人の面会行動でしたが、現在は「牛久入管収容所問題を考える会」として、面会ボランティアも常時78名が日常的に面会活動しています。100%NGO団体です。

 

  20103月現在、報告者及び当会の会員が牛久入管に於いて面会をしている被収容者は約170名程度です。そのほとんどが難民申請者及び日本に家族があり「出身母国に帰れない!」、強制退去を拒む=長期収容を余儀なくされる人々です。牛久入管には常時4500名程度の被収容者が収容されているので実に約3分の1程度が該当します。

 

 当会が面会している被収容者の出身母国は様々です。スリランカ、イラン、パキスタン、ビルマ、トルコ国籍クルド人、バングラデッシュ、ネパール、インド、ベトナム、ブラジル、コソボ、アフリカ諸国(ナイジェリア、カメルーン、アンゴラ、エチオピア、ギニア、コンゴ、マリ、タンザニア、ガーナ・・・)等々

 

 当会が面会している方々の中で、過去に牛久入管に1年以上長期収容され「仮放免」になった方々が「再収容」、「再々収容」されています。難民申請(及び家族との分離を拒み特別在留を求める人々)が却下、異議の申し立ても却下、再度の難民申請とその却下、意義申し立ても却下、それでも「帰れない・帰国を拒む」人々が収容を繰り返されています。

 

 「速やかなる送還」を目的とした収容施設に「出身母国に帰れない・帰国を拒む人々」=難民申請者・家族と一緒に暮らしたい人々が1年以上甚だしくは2年以上の長期にわたって収容されています。

 本日(3/24)、午前中に牛久入管にて面会をしたクルド人難民申請者の22才の青年は18才の時に13ヶ月、20才の時6ヶ月、仮放免で出てから日本人と結婚して、昨年末から又収容されて今4ヶ月、この4年間の内2年以上入管の中!犯罪も何もしていない!どうしたら僕を認めるのか?こう語る青年は拘禁性のストレスから来るのか?常に小刻みに震えています。

 

 彼らが収容されている居室は定員が5名の部屋(通常4名程度収容)は広さは13u程度、定員が10名(通常89名収容)の部屋は広さが20u程度しかありません。畳の部屋で寝具として毛布が58枚(夏又は冬で枚数が異なる)支給されるところと、ベットの部屋があります。畳は古く被収容者が時にはダニ等によると思われる湿疹に悩まされています。部屋の中にトイレ、洗面所が付いています。個人用の荷物だな(扉のない)、食事用のテーブル、備え付けのテレビがあります。

  この居室にAM9時半〜11時半までとPM1時〜430分までの居室開放時間以外の全ての時間、閉じこめられています。国籍、民族、言語、習慣、収用の事情が異なる人々が一緒くたに収容、一日の大半を顔をつきあわせていなければならないのはトラブルを頻繁に引き起こさせます。トイレの習慣、食事のマナーの違いは時に収容者同士のケンカ等に発展します。狭い居室にトイレが付いているので多くの人が便秘や痔疾に悩まされています。拘禁性からくる?夜尿症になった人が何人もいます。見たいテレビでのもめ事、静かに生活したい人、騒ぎまくる人いろいろです。狭い居室で1日の大半を過ごすため頭痛、腰痛、肩こり等々に悩まされています。 様々な悩み事「無理矢理の退去強制の脅え」から不眠症は誰にでも患います。外の空気や太陽に当たれるのは月曜〜金曜(雨天は無し)までの運動時間3040分間しかありません。それで1年・2年以上も収容されたら健康に重大な障害を持つと思います。

 一日の内、居室開放時間の5時間30分の内に運動の時間、午後からの温水シャワー、洗濯、電話、面会、同じ収容ブロックの人たちとのお喋りや廊下にある卓球のゲームなどをして過ごします。

 

 食事は被収容者にとって悪評だらけです。野菜が少ない、料理の仕方が違う、食事の時間も特に夕食はPM4時半過ぎに居室に運ばれるため夜PM10時の消灯までには空腹に耐えなければなりません・・等々。

 

  被収容者同志、及び職員とのトラブルは頻繁にあり、スペシャルルーム、更に「最悪の部屋へ入れる」と職員から脅かされる懲罰室に隔離収容されます。天井から監視カメラで1日中監視され、運動、シャワー、テレビはナシ、たばこは吸えず、雑誌等も持ち込めません。トイレは、しきりが無く、埋め込み式で水は職員に流して貰うしかありません。隔離収容されるときは数十人の職員に制圧され革手錠等の特殊な手錠をされることもあります。

 

 「速やかなる退去」に抗す、帰国を拒む人々にとって「無理矢理の退去強制」の影は常に身心を脅かしています。

 2009年に於いても報告者が面会していた3件に対し「退去強制」が執行されました。いずれも日本人又は定住外国人の家族との分離を拒むケースでした。早朝、数十人の職員が居室になだれ込んで本人を毛布でぐるぐる巻きにして担ぎ上げて連れ去るというものです。他の被収容者への恐怖を植え付けます。

 

 現在は難民申請中の人々にとって「退去強制」は執行されていませんが、牛久入管に再・再収容された難民申請者の中には難民申請者も退去強制された過去の事例に遭遇していた人もあり、激しいトラウマとなっています。

 

 322日、ガーナ人が「退去強制」を執行され、成田空港の飛行機の中で「無理矢理の退去」に抗して、東京入管の職員の制圧により死亡しました。本日午前中に牛久入管に於いて面会をした方2名がこのガーナ人と品川入管に於いて同室でした。

 「退去強制」を拒んで品川入管に8ヶ月以上収容されていたこの方は、日本で16年前から日本人と同居し、3年前にこの女性と正式に入籍もしていました。腹部には大きな手術跡があり、体調もあまり良くなかったそうです。

 今年21日には最初の「退去強制」が執行され、帰国を拒んだ彼は飛行機の中で暴れ飛行機は途中から成田に引き返すということがありました。推察するに今回の「退去強制」にあって激しい東京入管職員の制圧・暴行が行われたのではないでしょうか!

 

 牛久入管に於いて難民・及び家族の分離等を拒む被収容者の長期収容が問題になっています。1年以上甚だしくは2年以上も収容されているケースが多く見られます。牛久入管からの収容が解かれるのは、ごくまれにビザがでて解放される方以外は「仮放免」という手続き以外にありません。仮放免には保証人と高額な保証金が要求されます。難民申請者には50万〜100万円位要求されます。成田で入国を拒否された難民申請者(特に日本にコミュニティが少ないアフリカ系人々)にとって、保証人、高額な保証金を用意するのは政府系の保護の制度がない日本では厳しい!です。長期収容者が多い理由のひとつです。

 又、日本に非正規で超過滞在していた難民申請者は「仮放免」の許可がなかなか下りず、収容の長期化と共に所持金を使ってしまったり、外の知人、友人との繋がりが薄れ、日本の経済状況の悪化も含めて高額な保証金を用意してくれる人もなくなってきます。「仮放免」の許可が出ているのに保証金が用意できずに2ヶ月も3ヶ月も収容され続けている原因です。甚だしくは許可そのものが取り消された人もいます。

 

 多くの被収容者が身心に大きな傷を抱え込んで収容されています。38日には日系ブラジル人が前途を悲観して自殺してしまいました。報告者は、彼が自殺する前に友人に出した手紙のコピー、入管の医師より処方された薬の袋のコピー等を持っています。明らかに鬱状態であった彼に大量の薬が処方され昼間もふらふらし、よだれも流している状態でした。

 それ以降も何件かの自殺未遂が起きています。報告者は今までに自殺までは発見が早く至らなかったが自殺未遂した人を何人にも面会しています。又、不眠、体中の痛みを訴え、入管内医師から、大量の睡眠薬、痛み止めを処方され「薬漬け」になり、仮放免後も精神病院に入院、通院を続けている人がいます。

 

 

 報告者は東日本入国管理センターの収容の実態を報告し、難民申請者を「速やかなる退去を求める施設=入管収容所」への収容を直ちに中止すべきであると主張し、難民申請者、移住労働者の人権を守る施策を日本政府・法務省に求めるものです。


国連特別報告官(移住労働者の人権)ブスタマンテ氏が
牛久入管を視察&被収容者と会見

牛久の会・会員による入管前行動








ブスタマンテ氏にアピ−ル
車は徐行し横断幕に注目










3/13 「ビルマ2008年新憲法と2010年総選挙はいらない集会&デモ」


トルコでクルド人政党・民主社会党に解党命令!

在日クルド人ら100名が国連大学前緊急行動(091218

党首ら2人の議席剥奪
党員ら37名以上の政治活動禁止5年

政党の資産も没収


クルド人に政治的自由と人権を!
「牛久の会」や首都圏の労働組合・学生も断固抗議

 





「世界人権の日」12/10
国連大学前に300人が結集!


ビルマ、クルド、イラク、チベット、エチオピア、コンゴ等
難民と支援者が「人権と自由」を訴える


「牛久の会」や
外登法・入管法と民族差別を撃つ全国実行委員会
首都圏の労働組合・学生も国際連帯

 

 

 

 


09年12/5 牛久入管収容所問題を考える会
年間活動報告会

 牛久入管収容所問題を考える会は入管収容所への面会行動と面会行動を通した難民・難民申請者、滞日外国人達との交流を活動の基本とするボランティアグループです。当会は今年も1年間、牛久入管収容所への面会行動を続け、この国の外国人政策「管理と排除」に向き合い続けてきました



基調報告

 出入国管理・難民認定法の改定ー牛久入管収容所からみる外国人政策の現実
     田中喜美子

 09年、滞日・在日外国人(難民・難民申請者を含む)の現状には大きな変化がありました。今年7月、当時の自民党政権下で民主党も賛成して十分な国会審議もなされないまま出入国管理・難民認定法が改定されました。改定の根幹に新たな在留管理制度=「3年後を目処にした在留カードの導入」があります。これにともない「在留特別許可に関わるガイドラインの見直しについて」という文書が法務省より公表されました。牛久入管、被収容者の間でも虚実入り交じった「うわさ」が飛びかいました。残念ながら「退去強制令書」が発布された彼らにとってはますますビザを手に入れることが狭き門になったようです。(新ガイドラインは法務省ホームページ参照)
 
08年後半、世界をかけめぐった「リーマン・ショック」、80年代以降世界中でもてはやされてきた新自由主義が破産し、世界中が大恐慌状況に陥っています。ささやかな生活を送っている自分にとっても勿論、ほとんどの人にデフレ=不景気は無縁ではありません。
 富の一極集中をもたらした新自由主義は所謂「南」と呼ばれる国々に於いてはもとより、世界中に激しい格差社会を作り出し、世界中で資源争奪をめぐる国際紛争は激化しています。人々が難民・移民労働者として生きざるを得ない状況が増大しています。
 イラク戦争の泥沼化、アフガニスタンに対する駐留米軍の増派等々、中東・アジアをめぐって政治状況はますます混沌としてきています。
 01年9/11以降、日本は「テロ対策」としての「外国人半減政策」=摘発を強力に進めてきました。国内の行き場のない不満が官製の排外主義とともに煽られています。08年の難民申請1599件の出現はこの裏返しとしての側面もあります。法務省・入管局にとっても「一大事の出現」だった、と思われます。

今回の出入国管理・難民認定法の改定=外国人登録法の廃止と在留カードの導入はこれまでの外国人政策を一変させる、この国に暮らす全ての外国人に対する「管理と排除」を徹底させる攻撃です。法務省のデータベースに全ての外国人の情報を一元管理するシステムであり、合法的な中・長期滞在者に対して在留カードが発行され常時携帯を義務付け、住所変更などの登録事項の変更は14日以内に地方入管局に届けないと罰金や罰則が科せられます。ビザが取り消されもします。

超過滞在者や難民申請者はいままでビザが無くても地方自治体に外国人登録をし、存在を証明され、例えば子供の教育等が保障されてきましたが、在留カードが発行されないことにより「見えない存在」・「不法な存在」とされ、いままで粘り強い交渉で勝ち取ってきた住民サービスも奪われかねません!
 難民申請者で長年にわたって仮放免のママでいた方々の扱いをどうするのか?大きな問題になりました。法務省は「難民認定の結果を早期に出す」として在留カードの適用外としました。これに伴ってか?現在際だって、難民申請者の「難民不認定ー異議申し立ての却下」に伴う、収容・再収容・再々収容が増えています。以前より相当早い「却下」の結果が出るようになりました。
 現在、意義申し立て段階で参与員制度が取り入れられていますが、3人一組9チームの28人の参与員が、(今後倍増されるそうですが、)どうやって昨年1599人の難民申請、今年も1千件を超えると言われています、それ以前の膨大な積み残しの案件、難民申請者の個々のケースを丁寧に審査することが出来るのでしょうか?

 難民申請の不許可や意義申立の不許可の隙をついて退去強制が行われ始めています。法務省データによると昨年比2倍の収容が行われており、家族がバラバラに引き裂かれるようなことが起きています。以前はあまり問題にもされず、子供が中学生以上の家族には「特別在留」がでていたケースが多かったのですが、「カルデオンのりこさん問題」以降特に、両親のパスポートが問題視され、超過滞在家族に、子供を残しての「親だけ出国」が強制されています。

 継続的な面会行動をしている当会の実感として、外国人に対する摘発が多い、難民申請の却下・及び意義申立の却下に伴う収容、仮放免の取り消しと再収容、再々収容が増えていると痛感します。牛久入管に長期収容され、やっと仮放免になり、晴れやかな笑顔で出て行った難民申請者が半年内外、甚だしくは1ヶ月後に「難民申請の異議申し立て」が却下され品川入管収容場に再収容、再び牛久に舞い戻り・・・。肉体的にも精神的にもどれだけ深い傷を負わせ、痛め付けていることか?日本に対する絶望感を植えつけていることか?・・・心が痛みます。
 
11月25日現在、定員700名の牛久入管収容所には当会が把握している方々だけでも150名以上の難民申請者が収容されています。
スリランカ27名、イラン23名、パキスタン16名、ビルマ14名、トルコ国籍クルド人11名、バングラデシュ11名、ネパール5名、インド5名、ベトナム5名、アフリカ諸国(ナイジェリア、カメルーン、アンゴラ、エチオピア、ギニア、コンゴ、ジンバブエ、ガーナ、ウガンダ・・・・各数名)合計33名、その他(コソボ等)4名。
 昨年末に比べて特徴的なのは、イラン・パキスタン人の難民申請者の際だった増加です。彼らの中には再々収容の方が何人も含まれます。イランの大統領選挙をめぐる政治的混乱と大弾圧、パキスタンの治安の悪化・・・「帰れない!・帰りたくない!」当然だと思います。
アフリカ諸国33名の存在・・・、日本が資源を求めてアフリカのどんな国にも出て行っている、政治的腐敗や内戦と深く関わっている、新自由主義の現実そのものを伺うことが出来ます。コミュニティがあまり存在しない彼らが仮放免の保証人、高額な保証金を用意するのは至難の業です。長期収容が多くなります。
 成田で難民申請をしたのに入国を拒否されている方々がいます。何のための「仮滞在制度」か?と問いたい!

被収容者は拘禁性のストレスを抱えています。離ればなれの家族のことを思い、「退去強制」の影に脅えていては当然です。ほとんどの方が不眠、頭痛、腰痛を抱えています。特に痔や夜尿で悩む人が多いのが気になります。習慣や、言語の異なる人が一緒くたに1日の大半を居室内で過ごす、8畳程度の5人部屋、12畳程度の10人部屋の中にトイレが付いている構造が排泄の問題を困難にしていると思います。

昨年まで面会者のブーイングの的だった入管の面会受付システムが改善され、面会が大分スムーズになりました。面会室を増やせ!「全件収容」をやめろ!と言い続けたい。

 入管は世界に繋がるいわば窓です。難民申請者・および移住労働者は日本に対してほとんどの方が夢や希望を抱いてやってきたのです。必死になってこの国で生きています。深夜の居酒屋、解体の現場、ゴミの回収場、養豚場や養鶏場、魚の開き、零細工場で働き、この国を支えてもいるのです。私が暮らす茨城の大規模経営農業も彼らの存在無しでは考えられません。1951年、東西冷戦が生み出した難民条約ですが、いま現在難民を生み出している元凶ーG7,G8の側が当然引き受けるべきです。私達の直ぐそばに暮らす彼らとどうやって手をつないでいけるのか?
 今日、参加の皆さんの中には11月1日の国際連帯労働者集会に参加した方も多いと思います。根本を変える力は国際連帯!の中にこそあります。法も社会も私達が主人公のはずです。変えられないものはありません。 誰もが「幸せに生きる権利」のために!


 
面会活動の報告


辻 慎也 弁護士の講演「難民申請者との面会活動」

 

 
大川 秀史 弁護士の講演「アジアの難民会議報告」

  

 
フォトジャ−ナリスト 高木 祐輔 氏の写真報告「タイ国境ビルマ難民」


 
難民申請者、滞日外国人と在日日本人との対面討論
 

 

 

 

 

 

 


全国労働者総決起集会に参加
壇上でアピ−ル「難民に人生を!」













      牛久(品川)入管で起きていること(2009年10月)
                                   
牛久入管収容所問題を考える会  田中喜美子  

 東日本入国管理センター(以下牛久入管)は定員700名の収容施設です。常時500名程度の外国人の方々が収容されています。当会はこの牛久入管及び品川入管収容場に対して面会行動を行っています。常時7〜8名の会員さんが面会行動に参加しています。この夏、当会の会員でもある弁護士の依頼を受け、全国難民弁護団連絡会議・年次総会報告の資料として牛久入管における難民申請者の現状を会員さん達の協力を得てまとめました。以下その一部を加筆した部分も含め報告します。

 09年8月19日現在、当会が把握する牛久入管に収容されている「難民申請者」は以下のようです。
スリランカ33名、イラン21名、ビルマ18名、パキスタン13名、バングラデッシュ10名、ネパール7名、ナイジェリア7名、トルコ国籍クルド人6名、インド6名、ウガンダ6名、ベトナム5名、ガーナ4名、エチオピア3名、中国2名、タンザニア2名、セネガル2名、アフガニスタン、コソボ、コロンビア、アンゴラ、ギニア、コンゴ、コートジボワール、カメルーン、ジンバブエ、ブルンジ、エジプト、キューバ各1名、                     合計157名
 ビルマ人18名はほとんどが成田で難民申請をしたものの上陸を拒否され、牛久に移送された方が多く、その中には叔父・叔母夫婦と共に来日した16才の少女も含まれている。
 ジンバブエの方は搭乗してきた飛行機より引きずり下ろされた。

 彼(彼女)達、難民申請者の最大の問題点は「仮放免」に関してだと思います。
*保証人がいない。
*保証金(難民申請者にはビルマが30万、他は50〜100万程度)が用意できない。
*仮放免後の住所、及び生活を保障する手だてがない。
 成田で上陸を拒否された難民申請者、特にコミュニティが希薄な国々のかたがたが苦戦しています。主に、ビルマ・クルド以外の難民申請者が長期収容を余儀なくされる原因のひとつです。
当方の会員で多くの難民申請者の「申請代理人」として活動をしている方がいますが、この会員に対して牛久入管の「仮放免担当官」より「『仮放免の許可』」が出されてから保証金の支払いが1週間から10日程度で用意できないものが多くいるのは問題!今後は保証金が直ぐに用意できないような者の申請が続くようだとあなたの申請は認めない!」と口頭で通告されました。

 総じて、このところ仮放免の許可が厳しくなっているようです。一年以上も収容されている長期収容者は以前は保証人が見つかって仮放免の申請をした場合1〜2ヶ月でOKがでたのですが、このところ何件かの不許可が出されました。またビルマ人難民申請者の場合、牛久収容後1〜2ヶ月で即OK!がでたケースが続いたのですが、このところ不許可がでています。数回仮放免が不許可になるとそれまで保証人を引き受けてくれた方が下りてしまうこともあります。仮放免の申請・保証人には住民票の提出、源泉徴収書や勤務証明、預金残高のコピー等を提出しなければなりません。誰も何回も預金残高のコピーなど入管に提出したくないでしょう!。

 牛久には「異議申し立て」中の人が多く収容されていますが、異議申し立ての申請書に日本語の翻訳を添付しなければならず、より詳細な異議申し立てを書いている難民申請者は「翻訳者」を見つけるのに苦労しています。(以前なら母国語での申請書が認められたのですが、現在は、突き返されます。)英文はまだしもフランス語、他の少数言語はボランティアの翻訳者を見つけるのは非常に困難です。英語や他言語の翻訳を引き受けてくださる方がいましたら、是非声をかけてください。また、 出身母国の政治状況・国内事情等へのアクセスが困難なため、難民の証拠の添付にも苦労しています。当該国の新聞、雑誌、インターネットニュース等、お持ちの方はお寄せ下さい。

 品川入管に於いて、以前は問題にもされなかった面会申込者の数を「数が多すぎる..」と受付の係官にいちゃもんを付けられるケースが出てきています。(規則では10人までOKだったはず)
品川では現在、ビルマ出身難民申請者の仮放免更新不許可―再収容が続出しています(120名?)。
品川から数名のビルマ人難民申請者が大村に移送された。

 牛久をかつて仮放免となっていた方々の「再収容、再々収容」が増えています。1年以上牛久に長期収容され、やっと仮放免になったのに、1ヶ月もしないうちに難民申請の意義申立が却下され、再収容になった方までいます。
クルドの21才の青年は来日から2年半の内に3回目の収容・・・深刻な病気を抱える

 収容が長引けば長引くほど肉体的・精神的に厳しく、相変わらず薬(睡眠薬、向精神薬・痛み止め等)の多用、入管施設内医療への不信を訴える者が多く、外部の専門医への受診はほとんど認められていません。( 高額な医療費を本人が支払えるか?)

 結婚のケースでの退去強制(抵抗する人を毛布でぐるぐる巻きにして)、もしくは泣く泣くの自主出国が増えてきています。品川からはクルドの青年に対して難民申請却下の隙をついて強制退去を執行しようとしたが青年の成田空港での抵抗によりトルコ航空側から「飛行機に乗せられない」と断られたケースもつい最近起きました。
昨日(10/1)、2名が朝5時に無理矢理、退去執行。

 かつて 牛久に2度収容され当会の定例会のゲストにも来てくださったイラン人難民申請者Sさんにやっと(6年越し)カナダのビザがでて第3国出国が決まりました。ただし前回ゲストで来ていただいた折にも語っていましたが「日本で19年間ただ真面目に暮らし、日本が大好きなのに何故カナダでまた一から始めなければならないのか?!」 心に受け止めなければならない思いです。しかも、入管はカナダへの「第3国出国」が正式に決まってからも「再、再収容」の脅しをかけてきました。非道としかいいようがありません。
日本で生きることを諦め、第3国出国を希望する難民申請者も多いのですが、世界的な帝国主義の危機の時代―各国とも移民排除・排外主義が煽られています。道は非常に狭い!というのが現実です。

 牛久で難民申請をしている方々の国名を書きましたが所謂「南」といわれる国々の出身者です。日本の資本が、世界中のあらゆる所に資源と市場を求めて出て行ってることの裏返しです。
80年代以降の世界を覆った新自由主義のもとで発生した絶望的な格差、資源争奪がもたらした国際紛争・内戦が世界中に難民、移民を生み出しています。
 この国に生きる希望、庇護を求めてやってきた彼らとどう結びあっていくのか?本年7月に自公連立政権下で民主党も賛成し、成立した改悪入管法の根幹部分―3年後をめどにした「在留カード」導入、これとどう闘っていくのか?厳しい選別、分断、排除が始まっています。「国際連帯」の闘いの中にのみ道はあります。団結して闘いを作り出していきましょう。世の中を変える力は私達自身の中にこそあります。

11月1日は日比谷野外音楽堂での国際連帯・労働者集会(12じより〜)に一緒に参加しましょう




9月例会


牛久(品川)入管で起きていること(2009年8月)

 東日本入国管理センター(以下牛久入管)は定員700名の収容施設です。常時500名程度の外国人の方々が収容されています。当会の会員でもある大川弁護士の依頼を受け全難連年次総会報告の資料として牛久入管における難民申請者の現状を報告いたしました。以下その一部を加筆した部分も含め報告します。

 09年8月19日現在、当会が把握する牛久入管に収容されている「難民申請者」は以下のようです。

  スリランカ33名、イラン21名、ビルマ18名、パキスタン13名、バングラデッシュ10名、ネパール7名、ナイジェリア7名、トルコ国籍クルド人6名、インド6名、ウガンダ6名、ベトナム5名、ガーナ4名、エチオピア3名、中国2名、タンザニア2名、セネガル2名、アフガニスタン、コソボ、コロンビア、アンゴラ、ギニア、コンゴ、コートジボワール、カメルーン、ジンバブエ、ブルンジ、エジプト、キューバ各1名、                     合計157名

 ビルマ人18名はほとんどが成田で難民申請をしたものの上陸を拒否され、牛久に移送された方が多く、その中には叔父・叔母夫婦と共に来日した16才の少女も含まれている。

  (彼女)達、難民申請者の最大の問題点は「仮放免」に関してだと思います。

   *保証人がいない。

   *保証金(難民申請者にはビルマが30万、他は50〜100万程度)が用意できない。

  *仮放免後の住所、及び生活を保障する手だてがない。

  成田で上陸を拒否された難民申請者やコミュニティが希薄な国々のかたがたが苦戦しています。主に、ビルマ・クルド以外の難民申請者が長期収容を余儀なくされる原因のひとつです。

  当方の会員で多くの難民申請者の「申請人」として活動をしている方がいますが、この会員に対して牛久入管の「仮放免担当官」より

 「『仮放免の許可』」が出されてから保証金の支払いが1週間から10日程度で用意できないものが多くいるのは問題!今後は保証金が直ぐに用意できないような者の申請が続くようだとあなたの申請は認めない!」と口頭で通告されました。

 総じて、このところ仮放免の許可が厳しくなっているようです。一年以上も収容されている長期収容者は以前は保証人が見つかって仮放免の申請をした場合1〜2ヶ月でOKがでたのですが、このところ何件かの不許可が出されました。またビルマ人難民申請者の場合牛久収容後1〜2ヶ月で即OKがでたケースが続いたのですが、このところ不許可がでています。

   牛久には「異議申し立て」中の人が多く収容されていますが、異議申し立ての申請書に日本語の翻訳を添付しなければならず、より詳細な異議申し立てを書いている難民申請者は「翻訳者」を見つけるのに苦労しています。 英文はまだしもフランス語、他の少数言語はボランティアの翻訳者を見つけるのは非常に困難です。英語や他言語の翻訳を引き受けてくださる方がいましたら、是非声をかけてください。 出身母国の政治状況・国内事情等へのアクセスが困難・・・・新聞、インターネットニュース等の情報もお寄せ下さい。
 品川入管に於いて、以前は問題にもされなかった面会申込者の数を「数が多すぎる..」と受付の係官にいちゃもんを付けられるケースが出てきています。(規則では10人までOKだったはず)

 会員の中には『日本語教育』のボランティアをしている者もいますが被収容者からの要望が非常に多い。勿論全ての方の要望のは応え切れていません。

 収容が長引けば長引くほど肉体的・精神的に厳しく、相変わらず薬(睡眠薬、向精神薬・痛み止め等)の多用、入管施設内医療への不信を訴える者が多い。

  このところ、牛久をかつて仮放免となっていた方々の「再収容、再々収容」が増えています。 皆さん心に非常に大きな傷を抱え込んでいます。いろんな団体との連携も含め問題にしていかなければ...と考えています。

 結婚のケースでの退去強制もしくは泣く泣くの自主出国が増えてきています。

 

■かつて 牛久に2度収容され当会の定例会のゲストにも来てくださったイラン人難民申請者Sさんにやっと(6年越し)カナダのビザがでて第3国出国が決まりました。ただし前回ゲストで来ていただいた折にも語っていましたが「日本で19年間ただ真面目に暮らし、日本が大好きなのに何故カナダでまた一から始めなければならないのか?!」心に受け止めなければならない思いです。

  第3国出国を希望する難民申請者が多いのですが、道は非常に狭い!というのが現実です。この国に生きる希望、庇護を求めてやってきた彼らを受け入れられる社会、入管法を変えていかなければ....と思います。



8月の例会はバ−ベキュ−大会









 

6月例会(大川弁護士が参加)での難民の方のお話


4月例会でのスリランカ難民の方のお話


■難民の方のお話〜Tさんを囲んで
●来日と収容
H)Tさんはスリランカの人で、33才の青年です。
M)皆さんご存知のように現在、スリランカ情勢が切迫しています。彼はUNP(統一国民党)の活動家で、牛久収容所に1年2ヶ月収容され、2月に仮放免になりました。シンハラ人で仏教徒です。
田中)牛久に長い間収容されて苦労したと思うんですが、そのへんのことを色々と聞かせていただきたいと思います。
M)スリランカは混乱しているけど、スリランカのそう言う状況を含めて。UNPの活動家だから、UNPのことも含めてお話をお願いします。
田)あなたも今、スリランカは大変だと思うでしょう? 今、新聞を騒がせているLTTEはタミル人でヒンズー教徒、あなたはシンハラ人で仏教徒。政府軍とLTTEの戦争でその人たちの関係もひどい状況になり、大変な世の中になっていますが、あなたが日本に来た頃にはどうでしたか? どうしてあなたは日本に来たのですか?
T)日本に来たのはスリランカの会社の仕事のため。バイクの仕事をやっていて、仕事をしているうちにオーバースティ。日本に来る時はパスポートを作るのに問題なかったけれど、その後にスリランカで選挙があって、今の政府はUNPと仲が悪い。殺されるかもしれないし帰れない状態です。
M)日本に来た時、スリランカの政府はUNPと仲が良かったんだ。
T)日本に来た後、選挙で政府が替わった。それからLTTEの問題があって、もう帰れない。日本ではオーバースティで警察に捕まって、「おまえはテロリストか?」とか言われたんですよ。それから取調べがあって、問題がなかったから入管へ移送されました。品川に4ヶ月、牛久に9ヶ月です。品川にいるとき難民申請しました。
田)日本にはいつ来たの?
T)2003年10月、日本に来ました。スリランカではバイクの会社で働いていて、日本にもバイクの関係の仕事で。
マ:スリランカではバイクの免許を持ってたんだよね?
田)来た時のビザは?
T:観光ビザ。様子見ながら働いてた。
田)4年くらい日本にいたから、色々と観られたんじゃない? どういうところに行ったの?
T)沖縄とかは行ってないけど、車で行けるところへなら色んなところへ。

●スリランカの情勢
田:今、あなたの家族は スリランカにいるでしょう?
T:お父さんと弟の2人。お母さんはいない。みんなUNPメンバーで選挙をやるけど、問題もあるし。LTTEの問題もあるから。
Q)去年UNPの事務所が爆破されたけど、爆破したのはLTTE? それとも政府?
T)分かりません。そうかもしれないし違うかもしれない。
Q)LTTEと政府は今、どういう状況なんですか?
田)今の政府はJVP(人民解放戦線)寄りでしょう? 昔、日本に来てたSさんもJVPだったけど、10年前は反政府勢力と見られていて、UNPとは考えが逆だったよね。
T:スリランカには34の政党があって、3番目がJVP。1番目と3番目の政党が一緒になって政府を作っている。【注】
Q)それらの政党の中にLTTEは?
T)LTTEは入ってない。
田)JVPはマルクス・レーニン主義の党だった?
T)1989年では反体制の党で、リーダーが捕まって殺されたんですよ。当時の政府はUNPです。
田)当時、JVPは日本にもたくさん来てたよ。Sさんはゲリラで、山で戦争してたんだ。その後、JVPは選挙で勝って政府に入ったって聞いたしね。
 LTTEについてだけど、この人達はヒンドゥー教の人達で、スリランカ北部の人たち多いらしいね。ヒンドゥーの人達はシンハラ人の政権から差別されている?
T)スリランカとは別の国を作りたいから戦争してる。
Q)スリランカは小さな国なのに34も政党が。どうしてこんなにたくさんあるの?
T)いろいろな考え方があるから。たくさんに分かれていても、大きな政党にくっついて一緒にやれる。
Q)スリランカにはサファイヤ、ルビー、ダイヤモンド、紅茶といった産物がありますね。かつてはイギリスの植民地だったわけですが、そういうことと今のスリランカの経済との関係はどうですか?
T)今、経済はダウンしてます。スリランカは1948年にイギリスから独立して、すごくよくなった国だけど、その後だんだん悪くなった。
Q)インドとの関係は? 政治や経済や文化への影響はないんですか?
T)ないです

【注】
 スリランカでは1948年の独立後、一貫して選挙による政権交代が行われている。交互に政権を担ってきたのは1946年に結成された、知識人・上流階級を基盤とする統一国民党(UNP)と、1951年に結成された、農村部・労働者階級を基盤とするスリランカ自由党(SLFP)の2大政党だが、近年はスリランカ南部の貧困層・若者を基盤とするマルクス主義政党「人民解放戦線(JVP)」や、タミル国民連合(TNA)といった、シンハラ・タミル双方の民族主義政党が台頭している。
 2001年の総選挙で政権に就いたウィクラマシンハ首相率いるUNPは2002年に、反政府武装組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」との間で停戦合意を実現したものの、2004年4月の総選挙はSLFPとJVPを中心とした「統一人民自由連合(UPFA)」が政権を奪取した。その後、2005年6月にはJVPが政権を離脱したが、同年11月に就任したラージャパクサ大統領は民族問題への対応等で国民の支持を集め、2007年1月に野党UNPの幹部議員18名を与党に取り込む等して、総議席数225の国会の過半数である113議席を維持している。2008年5月、野党第二党のJVPは路線対立等から議員11名が離脱し、「国民自由戦線(JNP)」を設立した。
 ※外務省のサイトより抜粋・要約

●収容生活
田)日本で生活して4年になると聞いたけれど、品川での4ヶ月と牛久での9ヶ月、収容されていた時の収容生活はどうてしたか?
T)品川、きついですね。
田)牛久よりも?
T)牛久では面会に来てくれる人がいるし、友達もすぐできた。品川では行ったり帰ったり、出入りが多いから友達いなくて。
Q)友達はスリランカの人?
T)いろんな国の人。牛久では同じ部屋の人から、品川では分からなかったことも教えてもらった。
Q)品川はしょっちゅう人が替わってたけれど、海とか見えたでしょう? 牛久は何も見えないけど。
田)部屋は8階だったの?
T)そう
Q)食べ物は?
T)牛久はおいしいですね。品川では喧嘩になって何回も変わったんですよ。ご飯がおいしくなくて。
マ)こんなメシ食えるかって感じだね。
田)牛久は部屋の窓に紙が張られていて外が見られない。閉鎖的な感じで、長期の人はきついね。──初めて来た方のために説明すると、フリータイムは品川で2時間、牛久は午前と午後の合計4時間です。フリータイムの時間は部屋から外の廊下に出て、シャワーを浴びたり卓球をやったりして自由に過ごせます。運動の時間には、外の空気の出入りするところに出て運動します──。それで部屋は何人部屋だった?
T)9人部屋。大きい部屋で畳が11枚。寝る時は毛布をひいて寝た。
田)毛布は何枚?
T)最初に5枚もらって、その後で頼んで4枚もらって、全部で9枚。寝る時は下に3〜4枚敷いて、上に5枚。タバコすわない部屋だったから、きれいですよ。
Q)タバコ吸ってもいいんですか?
T)いいんです。フリータイムでもできるけど。灰皿が3つあるし、ライターもある。
Q)喫煙室と禁煙室というふうに、吸える部屋とそうでない部屋があるんですね。
T)はい。
田)フリータイムの時は何をしていたの?
T)ピンポン。
Q)部屋の中では何を?
T)差し入れでもらうスリランカの新聞を読んだり、トランプを。
Q)9人部屋の他の人はどんな国の人?
T)ミャンマー、ネパール、カメルーン、マリ、ブラジル、パキスタン。
田)あなたは仏教徒だけど、マリはイスラムでしょ? 宗教で問題は起きた?
T)一回だけ。イスラム同士なんだけど、1人がお祈りする時にもう1人が「洋服、短いからやめて。やるんだったら違う服を着て」と怒ってた。
田)イスラムでもきちんとしたイスラムの人は、肌を見せちゃいけないって気にするからね。国によって幅ひろい考えのイスラムと、しっかりしているイスラムがあるからね。
M)でも11畳の部屋に9人もいたら息がつまるね。
田)それで、牛久のごはんは品川よりも良かったんだ。
T)でもある男の人は牛久に5ヶ月いて、20万円も使っちゃった。ごはんがおいしくないからカップメンばかりでタバコ吸うし、いるだけで20万円。
田)普通にご飯は食べられるの? 夕ご飯は5時頃でしょう?
T)9時頃食べるんですよ。
田)1時間か2時間、取っておいて?
T)8時か9時に食べる。
田)冷めちゃうね。だいたいみんなそう?
T)そうですよ
H)牛久で医者にかかったことは?
T)足が痛くなって注射をした。ピンポン玉くらいのおできができて、切ったんですよ。
H)中には通訳必要な人いて、医者のところへいっしょに行って欲しいとお願いしたんですけど、入管からダメだと言われました。その人はタミル語とシンハラ語しか話せない人で。そういう心配は?
T)ありませんでした。おじさん呼んでくれて、すぐ睡眠薬をもらえます。
田)牛久の人は睡眠薬を飲んでる人が多いからね。ないと眠れない?
T)昼も寝てるから。
Q)眠れない時、何を考えているんですか?
T)どうやって出るか考えてる。
田)収容の長い人もいるし、出て来るのが遅い人もいるけど、他の人が仮放免に決まった時はうれしい? それともうらやましい?
T)うらやましい気持ち、ないです。うれしい。
H)あんまり期待しちゃうと、がっかりするから。

●難民申請と現在の生活
H)難民申請の理由は?
T)UPAのメンバーで選挙のため手伝いもやっていた。今、UPAは反体制だから、政府と仲が悪い。帰ったら殺される。前、1回か2回、喧嘩になった。そのことで政府から逮捕状が出てる。帰ったら捕まるかもしれない。
M)帰ったら警察に捕まえられて、刑務所に入れられる可能性があるからな。
H)他にもう1つの理由があって、スリランカでやっていた自動車の仕事のせいです。
T)スリランカに車の修理工場があって、車をいっぱい直してたけど、政府から命令がきてやめた。軍隊が来て、私とおじいさんに、「今、テロリストを探してるから工場は閉鎖だ」と。LTTEの車も修理してた。戦争やめて3年目に修理した。
田)それでおじさんの工場に色んな人が来て、その中には軍隊の車もLTTEの車もあって、それでLTTEを支援してるとか、テロリストを助けてるんじゃないかとか疑われたわけだ。
M)生活のためにやってたんだよね。政府だからやらないとか、LTTEだからやらないとか、そういうことじゃなくて。
田)仮放免になってよかったけど、保証金は?
T)70万円。みんなからかき集めて。
田)今の生活は?
T)仕事できなくて。
田)つらいものがありますね。
T)アルバイトをしてる。
田)難民申請者の数で言うと1位がビルマ、2位がクルド、3位がスリランカとなっています。スリランカの情勢は非常に厳しく、強制退去になる人が年間1千人規模で出ています。オーバースティで品川から帰る人が多いのですが、今も牛久に30人近いスリランカ人が収容されています。
M)紛争が続けば続くほど、難民申請するスリランカ人の数が増えるんです。
H)タミルの人が増えているんですよね。UNPの人も多いし。LTTEだけではなく、政府とUNPの対立も問題ですが、日本のマスコミがとりあげないから、なかなか分からないですね。
田)反対派の弾圧が強まっているね。選挙目前だからなおさら。
T)テロはLTTEのせいだと政府は言ってるけれど、本当はそうでない。
H)UPAの指導者はどうしているの?
T)スリランカにいますよ。捕まってないです。
H)政府のリーダーとUNPのリーダーは友達みたいだけど、下にいる人はいつも喧嘩という感じです。
田)上の人達は次のこともあるから、まあまあで済ませるけど。下の人達はきついよ。
Q)今現在、国の政治に関わりありますか?
T)はい。UNPを支援している。UNPで日本にいる人と連絡取り合っている。国で新聞を出している。前は日本でも出してたけど、今はない。
Q)いっしょにやろうということで?
T)やろうと思ってるけどできない 仕事できないし。
Q)普段の生活でスリランカの人との関わりは?
T)あります。日本人も友達多いけど、だいたいスリランカ人。
Q)アルバイトは?
T)車の修理。ある時とない時があって、忙しいと呼ばれる。ユンボの修理もできます。
田)ビザが出るといいですね。
Q)スリランカがどういう国になって欲しい思いますか?
T)何年かかるか分からないけれど、日本みたいになればいいと思う。
M)麻生のいるような国に? 《笑》


      2月例会でのビルマ難民の方々のお話

           

田中)今日は牛久入管での収容中、面会を続けてきた大瀧さんと出会い、今は仮放免となって難民申請中の方と日本に入国と同時に成田で収容され、つい最近ビザをもらったビルマ難民のお二人に、色々とお話をうかがいます。

 カウン・ミャさんは昨年半ばに成田入管で難民申請をしましたが、年末に牛久入管へ移され、今年の2月4日に再び成田へ呼ばれ、そこで特別在住許可をもらいました。ヤカイン民族の方で、お父さんはビザを持って日本で生活しています。

 アウン・ミン・ウーさんはオーバースティで品川入管に収容され、牛久へ移送された後、去年の12月17日に仮放免となりました。ビルマ族民族で日本語は達者(ビルマで日本語を学んでいた)です。でも今は不況で仕事に就けないでいます。

アウン)品川の入管で仕事の紙(就労許可証)を貰えないと仕事ができない。それでも仕事があれば、少なくとも1回5時間は働いている。僕は94年から日本にいる。

田)94年の頃の様子は? 日本に来ようとしたきっかけは?

ア)国の中のことが原因で、お母さんに危ないから逃げるように言われた。僕のおじいさんはNLDの議員で、選挙で当選した人です。僕は議員になったおじいさんと一緒にいて、若いから危険だと。どこに行きたいかお母さんに聞かれて、日本に行きたいと言ったらブローカーがパスポートを作ってくれた。

田)NLDが選挙で勝った時にはどうしていたの?

ア)運転手のような役目で、いつもおじいさんの後ろにいた。

田)どうして日本を選んだの?

ア)日本へ行くのはお金もかかるし難しい。だから冗談のつもりで言ったのだけれど。でも日本はデモクラシー(民主化運動)のグループが多いから、気になっていたけどね。でも今、僕のお母さんは病気がいっぱいで、心配だけど国に帰れない。

田)捕まるまでの日本での生活は?

ア)友達がいっぱいいても94〜96年頃はまだ日本語がよく分からない。グループにも入っていなかった。その後で入ったけれど、98年にそのグループがダメになって、それからはどこのグループにも入らないでボランティアをやっていた。グループが分かれた時は悲しかった。その後で牛久に4ヶ月、収容されていた。

田)昔は2年くらい収容された人もいるけど。

ア)今はビルマ難民にはスペシャルビザが出るでしょう?

田)法務省も「難民なのになぜ収容するんだ!」という抗議の声に押されてね。

ア)入管では食事のことは悪いことが多い。味がおしいくない。日本の味は好きだけど、出される食事は薄味よりもっと抑えた感じ。僕も料理作るからわかりますけど(コックをしていた)、一番好きなのはカレー。これしかない。

田)入管では、2週間で1度のカレーが楽しみだったんでしょう? 私も20人くらいのクルド人達の所に招かれて、カレーを作ったことがありますよ。ビルマの人もカレーが好きですか?。

ア)そうそう、カレーが出る日は幸せな日です。

田)今日、初めて定例会に参加した大学生もいるので教えて欲しいのだけれど、入管での1日のスケジュールは?

ア)朝7時に起きて、7時半に朝食。パンとミルクとジュースが出て、ジュースは毎日替わる。パイナップルとかオレンジとか。パンは3種類で、食パンかロールパンかコッペパン。それにゆで卵が1個。朝は幸せです。でも昼と夜の食事は味がおかしい。

 朝食を食べ終わるのは8時〜8時半。8時半に点呼があって、9時半になると部屋のドアが開いて外に出られる。

田)アウンさんの部屋は5人の部屋でしたか?

ア)5人の部屋、ベッドの部屋です。ベッドとベットの間には、腕を広げれば落ちないくらいのスペースがある。

田)入管は旧棟と新棟に分かれていて、部屋は5人部屋と10人部屋。新棟の5人部屋(8畳大)には2段ベッドが2つと平ベットがひとつがついています。

ア)部屋の外には多目的ホールと呼ばれている廊下があって、ピンポン台や洗濯機やシャワーがある。でも、お湯が出るのは1時から。

 9時半〜11時半の間はおしゃべり。その間の10時20分〜11時が僕たちのラインの運動時間になっていた。品川では外でサッカーが出来た。牛久では僕の部屋は3階の9Bで、運動の時は建物に併設している高い塀に囲まれた運動場まで移動した。

 11時半になると部屋に戻されて昼ごはん。お弁当で、ご飯とおかずとスープが別々になっていて、美味しいこともあるけれど、ごはんがまずい。僕の好きなのは味噌汁。でもスープはコンソメで水っぽい。品川は味噌汁で、牛久はスープと決まっている。

ア)ご飯はちょっと温かいけど、ご飯の色が黄色い。スープはみんな飲まない。味がついてないし出汁もついてないから、「これ水だよ」って言っている。

 午後1時になると部屋のドアが開いて、それから4時まで自由時間。コーヒーを飲んだり シャワーを浴びたり、おしゃべりしたり、本を読んだりする。

 4時半にまた部屋に戻されて、それから夕飯のお弁当がすぐに来る。5時20分に点呼だから、その前にご飯を食べる。

田)そしたら夜が長いね

ア)夕方の5時20分から次の朝の9時半まで、ずっと部屋の中だよ。

田)あなたの場合、5人の部屋だね。

ア)イラン、フィリピン、中国の人と一緒だった。国によってそれぞれの食事のマナーがある。部屋の中にトイレがあって、トイレのマナーや顔洗うマナーもそれぞれだから、気にする人もいる。僕の場合、「きれいにして下さい、ゴミを片付けてください」と何度もお願いしました。掃除は交代交代で、部屋は6部屋ありますから、やる時はみんなで一緒に。

田)きれい好きだね。

ア)テレビは消灯の時まで。でもテレビでは同じ映画(録画されたビデオ)を何回もやっている。8時からはBBCニュース、5時からは日本のニュースがあって、僕はそちらを観たいのだけれど、他の人は言葉が分からないから映画を観ている。

田)次の日の朝までの過ごし方は?

ア)夜9時頃になるとコーヒーやパンやカップ麺など買ってあったものを食べる。みんなカップ麺が好きだ。好きというよりお腹が空いているから。夜1時にカップメンを食べることもある。お茶やコーヒーを飲みながらしゃべったりもするけれど、喧嘩になることもあるので、何も言わないで食べているときもある。

田)お母さん(大瀧さん)との面会は待ち遠しかった?

ア)ミャンマー人はみんなお母さんのことは好きです。

田)仮放免の後は?

 今週、カウン・ミャさんと一緒に面接に行きました。カウンさんはまだ言葉がよくしゃべれないので、「仕事の紙、出して下さい」と頼んできました。紙がないから仕事できない。ビザもらったけど登録証がまだ出来てこない。一緒に住んでいる友達も、食べ物や家賃で大変だから。      この続きは次号になります。



08年 難民申請者1599人の出現と
(彼女)らの現状について


牛久入管収容所問題を考える会 田中喜美子

 法務省が1月に08年の難民申請者数を公表しました。この国で難民認定制度が発足して最大の1599人が申請をしました。この数は07年の申請者が816名ですのでいかに大変な数の人々が難民申請をしたのかが理解できます。申請者数で多い順にビルマ979人、トルコ(クルド人と思われる)156人、スリランカ90人と続きます。

 同時に08年に難民として認定されたものは異議申し立てにより認められた方を含めて57人(ビルマ人が54人)です。又人道的配慮による在留を認められた方は360(ビルマ人329)です。

 07年の燃料費、物価の高騰に端を発した軍政批判のデモ、これに対する大弾圧、08年のサイクロン被害、新憲法案に対する軍制圧下での国民投票等々、軍政を逃れて日本に来たビルマ人の難民申請者が圧倒的に多いのは頷けます。079月「サフラン革命」の首謀者としてビルマ88世代学生運動の活動家MIN KO NING 氏らに軍事政権は懲役65年を言い渡したのに続いて、この1月、20代の学生活動家DE NYEIN LIN氏に104年の刑を言い渡しました。多くの政治犯が劣悪な刑務所にとらわれているのです。あるビルマ難民から以前「ビルマに軍事政権が続く限りビルマから逃げてきた人々は全て政治難民として認めるべきだ」と言われました。全くそのとおり!。

  80年代からのグローバリズム・新自由主義経済体制の下で、いわゆる南と言われる国々に於いては先進諸国より一足先に国家体制・経済体制の矛盾が爆発しました。

   私ども牛久入管収容所問題を考える会は品川入管や牛久入管への面会活動をしているNGOですが面会行動を通じてひとつの側面として、今、世界が陥っている状況を知ることが出来ます。品川入管収容場や牛久入管収容所にどこの国の人々が難民申請者として収容されているのか?08年後半、牛久に於いて最大収容グループはスリランカ人で29人、次いでクルド人19、ビルマ15,パキスタン6,イラン6,ナイジェリア6,ベトナム5,バングラデシュ5,ネパール4,カメルーン3,マリ2,インド、アンゴラ、セネガル、ギニア、コソボ、タンザニア、アフガニスタン、コロンビア、フィリピン....これらの方々は当時何らかの形で面会が出来ていた難民申請者です。(品川にはビルマの難民申請者が大勢収容されていました。)

 1951年、東西冷戦下での政治難民の発生は国連難民条約を成立させました。現在のグローバリズム・新自由主義経済体制の破綻下での大量の難民・移民労働者の発生ーその根本原因は先進諸国と言われる我々の側にあります(もっとも現在、進行しているのはG7、G8側の壊滅的危機ですが...)。日本との関係性に於いて難民・移民労働者が私達の「お隣さん」に存在するのです。    

  現在、牛久入管に於いて特徴的なことは07〜08年頃に1年から2年の長期収容から仮放免になった難民申請者及び日本人の配偶者等が「異議申し立て却下」に伴い再収容されるケースが多くなってきていることです。「仮放免!」が許可されたときのあの晴れやかな顔と「再収容」後の何とも言いようのない顔...法務省・入管局の非道さを思い知りますが、それでも皆、この地で生き抜くために再度の仮放免を目指し屈せず、頑張り抜いています。そして、再度の「仮放免!」を勝ち取っています。

 同時に成田で難民申請をしたにも拘わらず「仮滞在許可」が下りず、成田収容場から牛久に移送されてくるケースがあります。ビルマ、クルドが多く、ぽつぽつとアフリカ各国出身者もいます。ビルマ、クルド共に日本におけるコミュニティの存在と出身母国において厳しい状況に曝されいていることが原因でしょう。彼・彼女らに於いては全く日本語が通じない方が多く困難さを強いられています。このグループに於いてもビルマ出身の方は「仮放免の許可」が早く、「ビザが出て」出るケースが増えています。
 総じて、保証人がいない・保証金が用意できない方(アフリカ各国出身者....等々)を除くと以前に比べて難民申請者の収容から仮放免許可の期間は大分短くなっています。

 牛久を仮放免になった方々、ビザをもらえた方々から電話が掛かってきたり、お会いしたりします。「牛久の中も大変だったけど外も厳しいよー」の声がこのところ急に増えてきています。仕事がない!金がない!アパートを貸してもらえない!1つの仕事を二人で1日交替でやっている。一人の給料で仮放免中の3人が食べている。この大不況・大恐慌時代の中でビルマの人々が多く働いている製造業、飲食業で倒産、賃金未払い、突然の解雇が続き、公園で野宿した、2日間何も食べてない!助けて!の話も聞きました。クルドの人たちが多く働く建設関連・解体の現場でも年長者を中心に「仕事がない!」。

 ビザを持っている人はまだしも「仮放免中」の人は週に何日かのアルバイトにありつくのも大変な現状を聞きます。みんな本当にある意味で「我慢強く」コミュニティで助け合って生きています。

 日本に政治難民として逃れてきて、日本で経済難民になる?!。現実です。日本は1981年に批准した国連難民条約にもとずいて本来なら難民・及び難民申請者に対する「庇護」をしなければなりません。しかしながら昨年12月には外務省が主管官庁である政府系難民支援事業「難民事業本部=RHQ」による生活困窮者に対する一時金さえストップする事態が起きました。08年難民申請者1599人の出現と難民・難民申請者のより困窮化が難民事業本部の予算を枯渇させたのです。幸いこの措置は他の予算から財源が回され直ぐに撤回されましたが日本における難民政策の貧困さを物語っています。もっともRHQの1時金は3〜4ヶ月間、1日あたり1500円と家賃の補助しかありません!何とか「命をつなげる」だけです。

 08年難民申請者1599人(プラス07年までに申請をしていながら結果が出ていない方々を併せて)の出現は日本における難民認定制度の破綻的現状を生み出していると思います。難民認定に関わる専門的な知識を持った入管の審査官は何人いるのでしょうか?難民申請段階の最後の拠り所たる「参与員による」異議申し立て制度、難民審査参与員は現在28名、3人で1チーム、東京入国管理局に8チーム、大阪入国管理局に1チーム。一人一人の難民申請者の出身母国の政治状況、難民申請者の個別の事情、政治的背景...等々を丹念に調査して結果を出す、等というのは夢物語に近づいています。     

 09年法務省は「出入国管理・難民認定法」の根幹部分の大幅な改悪「在留カード(罰則付きの携帯義務)」の導入と「外国人台帳法」構想を図ろうとしています。世界的な政治・経済状況の激動化・流動化の中で滞日・在日外国人総体を法務省が一元的に情報管理するものです。「在留カード」が発行されない、「外国人台帳」に乗らない難民認定中の仮放免者や非正規滞在者は今まで「在留の資格無し」と書かれてはいても自治体による「外国人登録書」の発行により存在そのものは証明され、子供の「教育」などが保証されてきました。粘り強く地域自治体との交渉により勝ち取ってきた権利です。これらを奪い、不法な存在として摘発・追放しようとするものです。法務省は仮放免中の難民申請者について「速やかなる難民認定の判断」によって....等と言いなしていますが4〜5年も仮放免中の人が存在し、そのようなケースが増え続けるであろう現状をどうするのでしょうか?! 「在留カード」導入反対!「外国人台帳法」構想反対!の声をより大きくしていきたいと思います。

  誰もがここで幸せに生きる権利がある。
連帯して手をつないで権利は闘い取りましょう。

 
撮影:TAKAGI
2009年 2月18日 国連大学前ひろばにてビルマの民主化活動家達の抗議行動


■例会報告 2009 1/24

■****さんのお話

田中)今回はトルコ国籍クルド難民の****さんにお話を伺います。****さんは2004年に来日し、家族がクルドの運動に関わっていたことから、クルド問題について色々と考えています。牛久入管には2度収容されました。

●収容生活について

 私は去年の12月18日、2度目の仮放免となりました。最初の仮放免から8ヶ月、外で暮らしていたのですが、難民不認定に対する異議申し立てが却下されて品川入管に収容され、そこから牛久に移動となったのですが、2度目の収容は割りと短いものでした。今は裁判を提訴しているところです。お世話になっている大橋弁護士によれば「裁判にする価値のあるものを担当する」ということなのですが、自分の場合は難民性が高いということで担当してもらっています。

●クルド人の歴史について

 クルドのことについて、日本人の皆さんには分からないことが多いので、埼玉の蕨市に作られたようなクルド人の協会のように、クルド人のサポーターや日本人のサポーターをたくさん作っていきたいと考えています。

 今はトルコという国の中で生活しているクルド人は、1万年前から国(注1)をもっていた民族です。オスマントルコ帝国が崩壊するまでは、クルド人とトルコ人が共存した時代がありました。後にトルコの大統領になるムスタファ・ケマル・アタチュルクは、1907〜1909年にかけて、クルド人と話し合いながら戦争(注2)していました。

 1923年にはトルコ人とクルド人が兄弟のように住む国を作ろうということで、今のトルコが出来ました。

 ところが1925年頃から、クルド人はクルド語を話すことができなくなります。トルコは法律を作りました。クルド語でしゃべると死刑になったり、村を燃やされたりします。これはクルド文化の破壊です。

 1938年になると、トルコはクルド人の住むところに軍隊を送り、迫害は1946 年まで続きます。クルドのリーダー達は「なぜ私達にこんなことをする?」と怒り、トルコと戦争が始まりました。トルコの軍隊は女たちに悪いことをしたり、村を燃やしたり、クルド人を家と一緒に燃やしたりしました。

 1946年にはトルコにこれまでと違う新しい政党が生まれ、そのリーダーは「これからは私がクルド人のことについて自由にしましょう」と約束しましたが、そのリーダーは1949年にトルコ政府が死刑にしました。

 私のお母さんはトルコ語を話せないのですが、今も私はお母さんと(外では)クルド語でしゃべれません。かつてはしゃべると捕まって刑務所に送られたり、へんな所に連れて行かれて拷問されて殺されたりします。

 商売で羊を売りたい、山羊を売りたい。でも親はトルコ語を話せないから、代わりにその小さな子どもがトルコ人を相手にトルコ語で売り買いをすることもあります。

 日本人はクルド人のことを何も知らないだろうから、そういう歴史があったことを知って欲しいです。

注1:クルド人の歴史は紀元前8世紀に建国されたメディア王国にまで遡るといわれるが、メディア王国の滅亡後、クルド人の土地は近隣の強国に分割支配され、今日に至るまで独立した祖国を持たない民族となっている。

 

注2:現在はギリシア領である旧トルコ領での戦争のことと思われる。アタチュルクは軍人時代、クルド人の協力を得て戦争を続けたと言われている。

●トルコの迫害

 1970年代になって、アブドラ・オジャランをリーダーとしてPKK(クルディスタン労働者党)が作られました。

 今では力ある国々がPKKをテロとイメージづけていますが、PKKがなければクルドは生き残れなかったのです。

 1980年までにトルコは3千以上のクルドの村を燃やし、人々をあちこちばらばらにしました。1979年にはマランの町、1980年にはシーワスの町が全部燃やされ、そこの人々はフランスやドイツに難民となって逃げました。

 PKKはクルディスタンを作るためではなく、自分の民族と文化を守るために戦っているのです。PKKは銃を持ってシリアの山奥に入り、トルコとの戦争の準備をしました。1984年8月15日からはトルコに入って、トルコの軍隊と戦っています。それまではトルコの南と東で戦っていました。

 トルコの北と西には学校が多いのですが、南と東では刑務所やモスクが増えます。その建設のためにトルコはまず道路を作り、その道路を使って軍隊を送り込みます。クルド人が軍隊に捕まっても17歳ではトルコの法律で死刑にならないから、年齢を5〜6歳引き上げて、21〜22歳ということにして死刑にすることもあります。

 トルコだけで700万人のクルド人が難民となり、うち1万3千人が逃げる途中で死にました。2002年か2003年の話ですが、私の田舎の人がコンテナの中でイギリスに行く途中で死にました。7人死んで、6人が難民となってイギリスで暮らしています。

 私も同じブローカーにお金を渡して、フランスに行く準備をしていたのですが、人が多いから後になるよと言われました。

 1991年2月5日になると、トルコのトゥルグト・オザル大統領が、クルド語でもしゃべれるよう法律を作りました。でもオザル大統領は3ヶ月後に死にました。ドクターの調べだと心臓病ですが、トルコの軍隊は「私達が殺した」と言っています。

 トゥルグト・オザル大統領はクルド語を許可しましたが、3月21日のネブローズ(注3)だけでもクルド人が1000人も死に、1万人以上が捕まって、84人くらいが1〜2年の刑で投獄されます。

 私も4年9ヶ月の刑を宣告され、トルコで2人の弁護士がついたのですが、「戦争をやめましょう」といくら言っても全然だめです。

 トルコでは18歳になったら軍隊に行かされ、行かないと3年、刑務所に入れられます。軍隊のクルド人の85%はPKKとの戦いに送られ、死んでも「クルド人だから」ということで、それっきりです。刑務所に入れられても罰金を払って、外に出て生活している人もいます。

 2006年4月8日には8〜19歳の8人殺され、14〜18歳の249人が刑務所に入れられました。

注3:新年を祝うクルド人の祭。トルコでは長い間禁止され、祭の参加者は迫害を受けた。近年になって、EU加盟を目指すトルコ政府は人権上の配慮から対クルド政策を緩和し、ネブローズ祭もトルコ国内で開かれるようになったが、トルコ人による妨害は未だに続いている。

●日本で

 1995年からはクルド人が日本にも来ていますが、難民として認められません。証拠を出しても、日本政府は「嘘だ」とい言います。

 トルコの厳しい生活から逃れて日本へ来ても、そこで難民と呼ばれるのは恥ずかしい。難民は行くところがない人だからです。今もクルドの37の村には1人も住んでいなくて、みんなバラバラです。

 日本のクルド人はみんな、いつ日本政府が強制送還するのか恐いと思っています。

 私は自分でも色々調べて本を書いているけれど、本を出すのが怖い。やっと自由になったからクルド文化を人に伝えたいのに、でも出来ない。どこかで名前が出たら恐い。

 でもトルコの目で見ると、自分の民族のイメージは恐いでしょう? 日本政府もトルコと同じ考えで、テロのイメージがあるから収容するんです。でも大橋先生は、私をテロリストじゃないと言ってくれます。

 ドイツ、フランス、アメリカ、イギリスは違います。ドイツでは150万人のクルド人がいて、うち100万人が難民認定されています。フランスが90万人、イギリスが20万人です。

 日本にいる私達は、いつテロリストでしたか? 2003年、厳しい生活から逃れて日本へ来たのに、また迫害です。今は朝6時〜夜8時まで仕事で、アスベストの処理をやっています。喧嘩はしない、なのにテロリストのイメージで見られます(注5)。

田中)日本では難民認定の異議申し立て段階に参与員という制度が出来たけれど、クルド人の難民認定には繋がっていない。クルド人の難民申請者300人のうち、弁護士がついてくれる人は50人くらいしかいないよ。クルド問題の分かる弁護士をたくさん作らないと。クルドの問題をより多くの人に説明しないと日本人は100人に1人も分からないよ。

 トルコ政府がクルド人のことを分からないように、トルコの学校にいてもクルドの民族のことは分かりません。クルドの学校を作らないとだめです。

 私のお兄さんの話ですが、結婚式にトルコの軍隊が100人もやって来ました。結婚式ではトルコの旗を掲げないとだめなので、それを見に来たのです。

 私の家の隣にはモスクがあって、そこにも50人の軍人が寝泊りしていました。学校には戦車が止まっています。学校では、私はトルコ人。でも学校では、一言もトルコ語が分かりません。18歳になって日本に来てからやっと、私はクルド語での読み書きを始めることができました。

 牛久の会とは、これからも一緒にやっていこうと思います。

注5:2006〜2007年にかけて、埼玉県蕨市に居住していたクルド人の8人が逮捕され、公安部の取調べを受けた。彼らの中にPKKの支援者が含まれていたことで、テロ活動支援の嫌疑をかけられたからである。

●質疑応答

 参加者の質疑応答の中で、****さんから次のような説明がありました。

 ドイツ、フランスなどのヨーロッパ諸国、およびアメリカに住むクルド難民はネットワークを使っていて、日本にいる自分はインターネットで情報を収集しているとのこと。ただしメールの使い方はよく分からないそうです。最近行われたクルド人の結婚式でも、ライブの映像をパソコンで世界に発信しています。

 クルドにはクルドのためのメディアがないので、トルコの中からはインターネットで現状を伝えています。イラクのクルド自治区やドイツにはRJ・TVがあります。

 クルド人の中にはクルド語の分からない人もいるので、放送はクルド語とトルコ語で行われています。アンテナがあれば受信可能で、トルコはそれを止められません(注4)。

注4:近年、国外からのRJ・TVの放送に対し、トルコ政府がTVの信号にスクランブルをかけ、トルコ南東部のクルド人が受信不能となったことも、日本の一部のメディアで報道されている。



法務大臣  森 英介 様

 私、1964年生まれ、イラン国籍の******は
貴殿に謹んで申し上げます。

イランのイスラム坊主たちによるファシスト・宗教政権に追われる政治難民に対し、日本の入管その他政府管轄下の法当局がとっている侮辱的な対応は、陰謀の臭いがします。イラン国民の抵抗運動と自由主義運動を敵にまわし、間違いなく反人道的な坊主政権の望みにかなった入管のやり方がこれ以上エスカレートした場合、事故をまねきかねない結末が待ちうけていることを、私は貴殿に申し上げる必要があると考えました。

10年近い入管の私たちへの対応は、私たちの政治難民申請が日本政府、元法務大臣たち、及び入管局長にとって大変高くつくもの、日本政府と坊主たちの関係にひびを入れるものとみなされてきた事実を示しています。これほどの残酷な対応はどんな外国人犯罪者にもなされたことはありません!

 祖国に帰れないことを証明する個人的書類をあべこべにし、申請書で人を惑わす質問をし、わざと曲解し、私たちの状況と異なる陳腐な申請書を作成し、あるいは根拠薄弱な証拠とするために書類を盗み、反人道的政権のプロパガンダを借用するなど、私たちがあの政権に引き渡されても生命と安全が脅かされることは全くないという証拠を出すべく、常識では考えられない手を使うのです。

 手続きの間何年も収容し、書類を集めたり弁護士を雇うことを阻止し、第三国に難民申請する道を閉ざし、茶番劇の取調べをし、イランにいる私たちの家族を脅す目的で政権の諜報員たちが収容所に立ち入るのを許可することから、渡航証と航空券の用意、イランでの逮捕までを見れば明らかです。

 入管は麻薬犯罪者たち(その首謀者たちはイラン大使館職員と政権の諜報員でした)のの送還は急がないどころか、彼らが刑務所から出た後、何度も在留許可を更新しました。一方、まだケースの裁判中で、入管収容所で過ごしていたあるイラン人難民については、坊主たちの大使館に渡航証を出させて航空券を用意し、無理やり引きずって顔じゅう血だらけにさせながら空港まで連れて行き、イラン航空の機内で政権の諜報・治安員の手に引き渡しました。この人さらいの経過が記録されたビデオを見た法当局があるでしょうか?

 数人のイラン人難民が日本国民の惜しみない努力で保証金を納め、イランの政権に引き渡されることを免れ、数年ぶりに収容所を釈放されましたが、貴殿は彼らの心身状態をご存知でしょうか。私はそれを貴殿にお知らせすることが必要だと考えます。入管は彼らイラン人難民を4年以上長期間収容することで、彼らの生きる力を最後まで奪おうとし、心身に癒えることのないダメージを与えました。彼らは収容中、1週間ごとに、今週強制送還になるのではという動揺を常に受けていました。体の病気は皮膚病、心臓病、歯や頭髪が抜けること、視力を失うことなどで、心の病気は断続的な動揺、不眠、健忘症などです。これらの病気は長期間の動揺から来るものだと入管医師が診断しました。入管は収容時に収容者の歯の本数をチェックして報告書を作成しますが、仮放免時に作成したことがあるでしょうか。あるいは報告する歯が残っていないために作成しないのでしょうか。私たちは収容所から出た後、入管医師の勧めどおり医者に行きたくても、経済的に苦しく、そんな余裕はありません。強制送還を逃れるため第三国に難民申請しなければなりませんが、そのような手続き自体数百万円かかります。日本の難民申請の新制度では、まるで申請の結果があらかじめ出ているようです。退去強制命令があらかじめ出ているように。

 1980年代末期、坊主たちによるファシスト・反動政権はイラン国民の支配を軍・警察面で完全に掌握するため、イラク政権とのむこうみずな戦争を終結させねばなりませんでした。それと同時に3万人以上の政治犯(その90%が20歳未満の若い男女でした)を2週間の間に最も残忍な方法で虐殺し、まとめて埋めました。この事件は「人類虐殺」で有名です。この悲惨な国の坊主たちは若い女たちをレイプした後、焼き殺し、死体を埋めた場所を家族に教えなかったどころか、家族から処刑費用を取りました。このように、描写できないほど残酷で、言うことも恥ずかしく、涙がとまらない当時の状況下で、私たちが何らかの抵抗をすれば、政治犯たちと家族が復讐を受けていました。地下生活も逮捕と隣り合わせでしたが、各人が何とか国を逃げ出すことができました。そして世界をさすらうことになりました。

そして一部は大量のイラン人労働者にまぎれて日本に入国しました。私たちはいずれも20年近く、社会的権利がないまま様々な産業で働き、税金を払ってきました。事業主たちの話では、工場は賃金の高い自国民を使うだけで外国人なしには、生産・サービスのサイクルを維持できなかったそうです。

国連難民条約にもとづいて私たちが難民と認められるのは私たちの権利です。しかし日本政府がこれを認めたことはありません。私たちが今このようにあわれな状況にあるというのに、日本政府からは入管その他の法当局を介して「お疲れさま」の一言だけとは!

このような侮辱的な対応は、入管に日本国民と国際社会への説明を求めるべく、イランにある日本の外交・経済の拠点が狙われかねないところまできています。

入管は私たちを逃げ場のない袋のねずみであるかのように扱います。入管の対応は坊主政権の意向に沿ってイラン国民の抵抗運動・自由主義運動に敵対するものです。

日本のUNHCRという怪しげな事務所の立場が日本政府を説明するのに十分です。この事務所はいつも、強制送還の危機にさらされている難民の哀れな状況にたいする侮辱的な対応を、人道という言葉で覆い隠してきました。その責任もこの事務所よりさきに貴殿の政府にあります。そのため日本のNGOや世界の難民事情を知る人々の怒りをかっています。

収容所にいる難民たちはどこへもアクセスできず、強制送還の危機にさらされています。日本の難民認定制度により、強制退去命令は外務省とUNHCRに伝わり、もしくは伝えられねばならず、このような場合この事務所の役割は、国際社会に支援を呼びかけることなのに、この問題を覆い隠し、入管の強制送還に協力するため、自分たちのニュースサイトに日本にいる難民の嘆かわしい状況とは何の関係もないイベントや歴史的人物の賞賛などばかり掲載しています。

UNHCR駐日代表の滝澤氏(当時)はイベントを開き、日本政府の未熟な行為におべっかを言い、事務所の職員たちに「日本政府は全ての収容者に保証書を出して釈放した」と演説させます。そして日本国民に、保証書とは何か、何の役に立つのかと尋ねられても、彼らは何も答えられないのです。

牛久入管の高山所長(当時)は、私たちの家族をいじめるイランの諜報員が収容所に立ち入ることを断れないのは、イランとの大規模な貿易のためだと述べました。

法務大臣殿に申し上げたい。イランと日本の関係は日ごとにより不可欠になっていきます。将来、イランが民主国家になった時、日本政府は間違いなく非難されるでしょう。イランが反人間的で野蛮な坊主たちの足蹴に喘いでいた時代、日本はイランの最大貿易相手国として、中世さながらの坊主に対抗するイラン国民の抵抗運動・自由主義運動にたいし、どんな立場をとっていたのかと。高山氏と滝沢氏のような説明はイラン人にとって納得できるものとなるでしょうか?

日本政府が現在、国際社会に協力する立場を表明しているため、私は事故をまねきかねない入管の結末を申し上げましたが、国際社会に協力するという意味がイラクの泥沼にはまり込むことであれば、向こう見ずな坊主たちは、戦争を口実にイラン国民を抑圧するため、米軍を中東とペルシャ湾に引っ張り込んだのです。

法務大臣殿、こういう言葉があります。「目の見えない人から杖を盗む人たちには何もお願いすることはできない」。卑怯な人に優しさを求めるのは無理だということです。しかし、目の見えない人を騙してその杖を盗むことができる人たちは誰でしょうか。日本にいる外国人は言葉の問題から、目の見えない人と大して変わりありません。難民裁判の裁判官の不正で違法な後ろ盾を享受している元法務大臣たちの代理人たちは、目の見えない人を騙してその杖を盗む人たちに似ています。

難民申請書にこういう質問があります。「あなたはあなたの国に反逆する活動をしたことがありますか?」。私がNOと回答したことをうけ、インタビューの時に私が言ったことに反して彼らは、私が国に帰れないのは政治信念や政治活動によるものではないと結論付けました。政治信念を持つことには、まるで政権に対する反逆でなく、国に対する反逆活動が不可欠であるかのようです。インタビューの時、申請書のこの質問の仕方を私が正したにもかかわらずです。

私の裁判を担当した裁判長の裁きについて申し上げます。この方は誰が見ても正しいことをあべこべにし、目の見えない人をも騙して杖を盗んでいた人々を無罪放免にし、私の強制送還命令を承認しました。これは日本人の慣習、日本の入管法、国連難民条約に違反することです。この方は多くのことを欺き偽るうえ、ある日など、まだ前夜のアルコールが抜けていなかったようで、あるいはイランの坊主政権の野蛮な暴虐さを考え、この政権にたて突く意見を出したくなかったのか、私の弁護士を怒鳴りつけました。「アラビア語の書類を日本語に訳しなさい」と!

 法務大臣殿、私のモジャーヘディーネ・ハルゲ・イラン(イラン人民聖戦士機構)への所属にかんし、元法務大臣たちは弁護士らの述べたことに反して、米英外務省の言ったことに基づき、この組織を一つのテロ組織だとしました。しかしこの組織がテロ組織だということはどんな裁判でも証明されておらず、坊主たちのテロリスト・ファシスト政権にポイントを与えようとする米英の宥和政策から来たものであるだけでなく、昨年ドイツのいくつかの裁判所が、モジャーヘディーネ・ハルゲ・イランの所属者・メンバーが難民であるという意見を出し、過去の裁判とドイツ入管の意見がイラン政権の陰謀だったと明言しました。

 今年英国のある裁判所が、モジャーヘディーネ・ハルゲ・イランはテロ組織ではないという意見を出し、英国会は首相にたいし、この機構をテロ組織リストから削除する命令を出しました。そして英国会は、モジャーヘディーンを筆頭としたイラン国民の抵抗運動に正式に謝罪し、イラン国民の自由主義運動への支持を表明しました。これに関連し、英首相の控訴請求は上級裁判所によって却下されました。

 これらに加えて、近頃パリで開かれたモジャーヘディーン指導者の演説集会には、世界中の要人、政治家、宗教家、芸術家、政党党首、文筆家、法律家、裁判官、弁護士、国会議員など数千人が集まり、坊主政権に対するモジャーヘディーンの闘いを支持することを表明しました。

 一方、坊主政権の首脳たちは、イランで「人類虐殺」を犯し、イラン国外でモジャーヘディーンのメンバーやその他のイラン人政治活動家・人権活動家にテロ行為を行い、世界各地で爆弾テロ行為を行ったために、様々な裁判所でその逮捕状が出され、国際警察に追われています。

 私は日本に長く滞在し、日本の国民と文化に愛着があるため、イランと日本の関係拡大を望んでいます。欧米の政治家がイラン人の抵抗運動及び坊主政権との宥和政策で歩み、後に謝罪することになった道を、日本がこれ以上歩まぬことを望みます。

 法務大臣殿、私たち難民は各自あなたの国に滞在中、何の罪も犯さず、法律も破ってきませんでした。のみならず、この間、働いて得たお金から、法務省と入管職員の少なくとも給料2ヶ月分を税金として払ってきました。18年間滞在しても、未だに運転免許取得試験を受ける権利すらありません!

 法務省職員たちが私たちの個人書類を曲解したうえ、私たちに対抗するため、反動的で血に飢えた指導者へのおべっかばかりを昼夜並べ立て、政権内の様々な翼からも認められていない、政権で最も遅れている新聞(「イスラム共和国(Jomhuriye Eslami)」紙。)を、それも裁判で取り上げるなんて、正しいことでしょうか!? 私たちは元法務大臣たちの代理人や弁護人たちがイラン政権メディアのプロパガンダを借用することで犯したごまかしを、却下すべきものとみなします。

 あの政権に屈し、政権への協力を宣言した人と、あの政権に決して屈しない人との間には大きな違いがあります。そして日本の責任者たちは人為的な理由で、実際には坊主政権の大使館と協力することで、難民にたいする陰謀を企もうとしているのです。

 あの政権に屈し、謝罪し、政権への協力を宣言したとして、万が一それが受け入れられたとしたら、必ずや、軍の監視のもと、イラン国民の鎮圧に参加しなければなりません。もちろん合法的に市民権を享受することも決してありません。その代わり、政権の反人道的支配を確固たるものにすべくイラン国民の心にあらゆる恐怖を植えつけて戦利品を得る権利は与えられるでしょう。

 ゆえに日本の入管当局のごまかしは、あらゆる難民協定と国連人権規約に違反します。

 法務大臣殿、未だ免許試験を受ける権利もなく、9年以上事務手続きと収容所と裁判の繰り返しに翻弄され、私のために市民権を剥奪されていた家族の安全も危険に晒されることになった私のこの国での18年の経験を考えれば、こうして私の難民申請を認めてくださいとお願いして認められないのは正気の沙汰ではないでしょう。

 どうか私やその他の同胞たちの滞在を合法的なものにしてください。もし外国人の滞在が受け入れがたいものならば、私たちが合法的に、問題なく第三国へ出発できるようにしてください。

この申請書は私の最後の申請書になります。どうか入管にまかりとおっている未熟さを入管に指摘してください。坊主たちの反人道的政権が私たちに用意した残虐な状態を考えると、私たちが祖国に帰れる可能性は全くありません。ゆえに私たちの安全の責任は日本政府にあります。

私は自分が難民であることを証明する個人的書類を、貴殿の代理人である入管の広川氏を通じて貴殿に送付します。よろしくお願い致します。

敬具

イラン国籍 ******* 2008/11/05

この文書のコピーを下記の団体・個人に送付します。

日本国総理大臣 麻生太郎様

衆議院議長 河野洋平様

参議院議長 江田五月様

外務大臣 中曽根弘文様

入管局長 西川克行様

駐イラン日本大使

UNHCR日本事務所

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08年・年間活動報告会&年末一斉差し入れのご報告

12月6日・つくば市アルスホールに於いて「年間活動報告会」を開催いたしました。
当日は難民・難民申請者を含め多くの在日・滞日外国人の参加も有り、
落ち着いた中にも熱気のある集会となりました。
報告会前半は基調報告、面会行動報告、特別ゲスト「東京弁護士会 外国人の権利に関す
る委員会」副委員長・大川弁護士による08年1年間の活動報告がなされました。
後半はビルマの民族舞踊の披露と外国人参加者との対面討論・交流が行われました。

 報告会及び年末一斉差し入れに向けて呼びかけた賛同金の呼びかけに
多くの団体・個人からカンパが寄せられました。
当会が面会をしている被収容者120名超に「ノート、ボールペン、タオル、石けん」を
差し入れすることが出来ました。併せてご報告をし御礼といたします。

2008年 活動報告会

 

08年「牛久入管収容所問題を考える会」年間活動報告会・基調報告  

                             田中喜美子

 米国金融危機に始まった世界経済の恐慌状態が激しく世界中を覆っています。新自由主義・グロ−バリズムの破産があらゆる所で沸き起こり、人々が政治的流動化を深めています。アジア、アフリカ、中南米諸国に於いては至る所で資源の争奪をめぐって内戦・国際紛争が激しさを増しています。8加盟国においてもこの日本を見るまでもなく激しい格差社会が生み出され、食糧暴動を始め「もう、このままでは生きていけない!」という叫びが渦巻く社会となっています。これに対して世界各地で組織された労働者のストライキが闘われています。今や世界中でより多くの人々が難民・移民として生きざるを得ない社会も又、生み出されています。

 牛久入管収容所問題を考える会は今年もこの国の外国人政策を如実に反映する東日本入国管理センタ−(=牛久入管)への面会行動をやり続けています。人道・人権などと言う言葉のかけらもない摘発現場で何が起きているのか? 牛久入管に於いて何が起きているのか?所長の「裁量の範囲内」で仮放免の基準、被収容者の処遇、面会窓口の対応がどのように変わっているのか?報告したいと思います。

 0810月現在で難民申請者1150名超(12月で1500名超)、8月末現在で認定者44名(内ビルマ42名)、特別在留取得者279名(内ビルマ262名)......。

 この国に生きる正規・非正規を問わず、在日・滞日外国人の現状はどうでしょうか?恐慌の到来の中で働く場を見つけるのも困難になっています。労働条件はますます厳しくなっていると聞きます。官製排外主義そのものとも言える「外国人半減政策」の下、様々な排外主義的動きも起きています。そんな中にあっても人々は結婚もします、新しい家族も誕生します。仲間同士助け合って必死で生きています。

 9月末、ある研究者に依頼され、現在「東日本入国管理センタ−」=牛久入管に収容されている難民申請者の国別人数、成田着陸後、難民申請をしたにも拘わらず、「仮滞在制度」が受けられず、そのまま牛久に移送され収容され続けた難民申請者を調べました。

  現在、熱心に面会行動を続けている当会の会員さん達のデ−タを総合した結果、牛久入管被収容中の難民申請者は以下のようであることが判明しました(当会把握分のみ)。

 スリランカ29,トルコ国籍クルド19,ビルマ15、パキスタン6,イラン6, ナイジェリア6,ベトナム5,バングラデシュ5,ネパ−ル4,カメル−ン3、マリ2,インド、アンゴラ、セネガル、ギニア、コソボ、タンザニア、アフガニスタン、コロンビア、フェリピン、トルコ各1........

 皆さんはこのデ−タを見てどのように考えますか?

スリランカ出身の難民申請者29名の収容−改めて具体的にリストが上げられると驚きです。今年に入ってLTTE(タミル・イ−ラム解放の虎)との停戦が破棄され政治状況が非常に不安定化していることを受け、「帰ることが出来ない!」人々が続出していると思われます。

ビルマ、クルドも相変わらず多くの方が収容されています。パキスタン、イラン...。そして、アフリカ出身の難民申請者達....特に彼らに於いてはコミュニティ−がさほどあるわけでもなく、支援団体はなく、言葉の問題をとってもフランス語(フランスの植民地だった)を話せる日本人は少なく、仮放免の保証人、保証金等、全てに於いて苦戦しています。

現在特徴的なことは、昨年中に難民申請者(配偶者問題の人も)で長期収容から「仮放免」になっていた人々が難民認定の「異議申し立て」が却下されたのを受けて、「仮放免の取り消し」=再収容され始めていることです。

例えば、067月頃に成田に降り立ち、難民申請をしたが認められず、仮滞在も認められず、そのまま収容され続け、やっと0710頃に仮放免になったクルド人達がいます。今、このクルド人達が、5月頃より「異議申し立ての却下」により、再収容され始めています。「外にいたのはたったの4ヶ月!」「俺たちは日本に難民申請しただけなのに!難民申請したことが犯罪なのか!」と問います。

彼らは多かれ少なかれ心に大きな傷を負わされています。現在、小学5年生と4才の子の父親である、あるクルド人は「家族4人、この3年間一度も誕生日を一緒に過ごしたことがない!」と訴えます。4才の子は「ぜんそく持ち」です。真夜中発作を起こし、日本語をあまり話せない母親はパニックになります。この子は父親が入管に再収容された日から「僕も入管に捕まるからお父さんの面会には行かない!」といいます。「子供の権利条約」を批准していることを法務省はどう思っているのでしょうか?ビルマ人難民申請者については、今のところ「異議申し立ての却下」を受けての再収容は聞こえてきていません。サフラン革命の首謀者としてビルマ学生運動の88世代学生活動家 Min Ko Ning氏ら13名にビルマ軍事政権は懲役65年を言い渡しています。デモをしているお坊さんに水を差しだした人まで刑務所に入れられているビルマからの難民申請者です。

あるビルマ難民から以前「ビルマに軍事政権が続く限りビルマから逃げてきた人々は全て政治難民として認めるべきだ」と言われました。本当に「その通りだ!」と思っています。しかしながら、ビルマの軍事政権を揺るがした昨年9月以降、成田に降り立ち難民申請をしたにも拘わらず上陸拒否にあい、牛久入管に移送された人は30名(当会把握のみ)にも上ります。成田で「帰れ!帰れ!」の上陸拒否に会い泣く泣く帰国を同意した人もいるようです。

今のところ、難民申請者達の無理矢理の退去・送還はないようです。ただし、相変わらず日本人の配偶者で無理矢理に帰させられる例が後を絶ちません。

昨年1120日より日本に入国する全ての外国人から指紋等の採取を義務づけた日本版US=VISIT から1年、政府は来年、外国人の個人情報を法務省・入管局が一元管理する「在留カード」の導入を狙っています。非正規滞在の方々はこの制度からはじき出され、登録証もなくなり(=即摘発)、今まで曲がりなりに認められていた子供の教育を受ける権利などの各自治体の窓口サ−ビスも奪われかねません。

牛久入管への面会行動を1年続けています。さすがに3年以上の長期収容者も存在した頃を経て昨年頃よりは保証人さえいれば1年程度で「仮放免」が許可されるようになってきました。今年は収容期間が更に短くなっています。ただし、ビルマやクルド人達のように何とか保証人が見つかれば...の話しであり、アフリカ系の方達などコミニュティ−の少ない方達の保証人探し・保証金の用意は困難を極めています。出身国によっての差異は明確にあり、収容者同士に対する分断攻撃のひとつです。

 この場をお借りして、「保証人になってくださる方をご紹介ください!」と呼びかけます。

  当会は面会行動への参加、定例会への見学・参加を随時呼びかけています。牛久で貴方は多分、日本の外国人政策がどんなものか瞬時に理解することになるでしょう!。今年は面会行動が基になって当会のメンバ−が発起人となった「ビルマ助け合いの会」の誕生もあり、熱心に活動を続けています。運動の拡がりと言えるでしょう!

新自由主義がもたらした経済格差、南北問題、資源問題等それらが凝縮した形で難民問題・移住労働者問題として現れてきます。そして、根本の所を変えなければ問題は解決しないところまで世界は来ています。国際的な労働者階級の団結・連帯した闘いこそが世界を変えることが出来る力です。貴方も、私もその一人です。       08126日 





大川弁護士

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 米国金融危機に始まった世界経済の恐慌状態が激しく世界中を覆っています。新自由主義・グロ−バリズムの破産があらゆる所で沸き起こり、人々が政治的流動化を深めています。
 アジア、アフリカ、南米諸国に於いては至る所で資源の争奪をめぐって内戦・国際紛争が激しさを増しています。
 G8加盟国においてもこの日本を見るまでもなく激しい格差社会が生み出され、食糧暴動を始め「もう、このままでは生きていけない!」社会となっています。世界中で組織された労働者のストライキが闘われています。
 今や世界中でより多くの人々が難民・移民として生きざるを得ない社会も又、生み出されています。

 当「牛久入管収容所問題を考える会」は今年も12月6日、つくば市アルスホ−ルに於いてこの「1年間の活動報告会」を開催いたしました。
 この国に生きる正規・非正規を問わず、在日・滞日外国人の現状はどうでしょうか?恐慌の到来の中で働く場を見つけるのも困難になっています。労働条件はますます厳しくなっていると聞きます。外国人に対する排外主義的な動きも横行しています。そんな中、結婚もします。新しい家族も誕生します。仲間同士助け合って必死で生きています。
 
 今年も当会と関わりのある難民申請者をはじめとした滞日・在日外国人の方々が「収容の実態を知って欲しい!この国で幸せに生きる権利がある!私達の現状を知って欲しい!」と参加してくださいました。


     2008年9月27日定例会から

              ■■ジャマルさんの お話■■
革命の経験

田中)今回はイランのジャマルさんにお話をうかがいます。イランの現状と出国の経緯、日本での生活、牛久での長期収容、仮放免後の生活と裁判、国連大学前でのクルド人との座り込み、9.11イラン大使館前での抗議行動といった事について話してください。
ジャマル)ジャマルです。私はイラン労働者共産党のメンバーですが、皆さんが私の話を聞いて、それが難民問題やその研究に関わる上でお役に立てる情報となれば光栄です。
 マスコミではイランがイスラム社会だという、そのことばかりが爆発的に宣伝されています。しかしそれは歴史的には大きな嘘です。
 最初に出国までの経緯をお話ししましょう。
 マスメディアは取り上げませんが、1979年にイランで最初に起きたのは労働者革命です。
 当時、私は11歳でした。小学4年の終わり頃です。
 革命の発端となったのは、100人の学生が町に流れて、「王制反対!」と叫びながらデモを始めたことです。デモはあっという間に数千人〜1万人に膨らみましたが、私はずっとデモの中にいて、その流れを見てきました。
 私が住んでいたのは南側の下町で、労働者が多くて自由な運動が広がっていた地域です。デモはテヘランの中心にある大学街を目指して進みました。
 途中で軍隊が現れて「解散しろ!」と命じ、デモ隊と軍隊とがもみ合いになって、軍隊の攻撃が始まりました。私は近くの店に逃れましたが、外ではものすごい音が聞こえ、救急車が走って行きます。30分後、「軍隊は帰ったぞ」と知らせがあり、外に出たら町に火がつけられていました。
 この革命の経験が、後の私の人生に影響を与えています。

イスラム革命の嘘

 あの革命はイスラム革命と呼ばれていますが、それ以前のパーレビ(パフラヴィー)王制の時代にはイスラムも認められていました。国王は宗教を味方につけようとしていたので。
 それがなぜイスラム革命と呼ばれるのか? これには当時の冷戦の問題が関わっています。ソ連はまだ存在していたし、西側陣営に属するイランは人口が多く、重要な国でした。
 革命が避けられない情勢となり、いろいろな政治組織や団体がパーレビ王制に反対しましたが、それに代わる政権を作ろうという時に現れたのが、愛国的イスラム主義です。
 革命勢力にはイラン共産党、毛沢東主義の中国派など、色々な勢力がありましたが、まとまりがありませんでした。そのため後から忽然と現れたホメイニに支持が集まります。
 これは革命を起こした学生・女性・労働者を弾圧する勢力への支持であり、西側もホメイニを支持しますが、この流れを阻止できなかったのは革命勢力のリーダー達の失敗です。
 イラン・イラク戦争も大きな影響を与え、愛国的イスラム主義は力を強めました。国外からの攻撃は、国内の弾圧を正当化する理由となりました。
 ホメイニは何年もかけて独裁を強化したのです。最初の2年間は自由な状況がありましたが、4年後には全てが否定されます。社会主義や進化論は認められず、男女間の自由な恋愛は禁止され、革命は押し返されました。
 革命直後、イランの北側では農民が土地を管理し、会社も労働者によって運営される状況がありました。しかし労働者には政党組織がなく、革命を潰すための勢力であるイスラム政党と戦えませんでした。
 パーレビ王制時代を終わらせたのは革命勢力です。イランから見れば政治的に自由なヨーロッパは目の前で、ソ連からも情報が入ってきて、革命勢力は王制を倒す力を得ることが出来ました。しかしイランの労働者革命には弱点があり、イスラム政権に革命を乗っ取られました。
 今でもイスラム政権と労働者・女性・学生との戦いは続いています。

日本へ

 私が13歳の時に目にしたのが公開鞭打ちです。下町の人口が多いところに1万人くらいの人々が集められ、その目の前で鞭打ち係が「これは犯罪者だ」と宣告して、犯罪者を鞭打つのです。
 次に目にしたのが公開広場で行われた男女2人の処刑です。
 死刑は増え、刑務所での射殺も行われるようになりました。
 私の住んでいた下町では、学校の先生も生徒もあっという間にいなくなりました。
 代わりに宗教者がやってきて、「戦争に行って死ね 次の世界は楽しいぞ」と演説します。殉教者は天国にいけると信じているのです。
 こんな状況が嫌になり、私は15歳でイスラム政権と宗教を否定し、17歳には自分が社会主義者だと自覚しました。
 その後、たまたま日本に来るチャンスが出来たのでイランから脱出し、1990年11日に日本へ来ました。目的はあくまでも政治活動で、国外の社会主義組織とのつながりでイランの状況を伝えられればいいと思い、イラン政治難民のフェデレーション(連合会)に参加して雑誌を出したりもしました。
 しかし当時、国外内に限らずイスラム政権は反対勢力の暗殺を繰り返し、アメリカでも200人が殺害されました(注1)。大使館はスパイ大使館でテロ行為に加担するという危険な状況です。
 2000年、私はひどい事件に巻き込まれ、2001年に難民申請しました。ところが2003年に不認定の結果が出て逮捕され、入管収容所に収容されてしまいました。入ったらこれがとんでもない状況で、このことを日本社会に明かすべきだと考え、またイランの状況を伝えたいとも思い、釈放後にクルド人と国連大学前で座り込みを行いました。この行動はニュースとなって世界中に流れましたが、この時に私は国連大学と日本法務省の共謀で弾圧を受け、でっち上げで逮捕されました。
 座り込みを行った2004年頃から、欧米でも難民・移民の受け入れ制限が強まりましたが、難民の数は広がっています。アメリカではメキシコからの入国者に対する取り締まりが強化され、ヨーロッパでは1つの動きとして難民を西アフリカに持っていこうという計画が出されましたが、これは反対で潰れました。
 日本政府は「国際的なレベルで権利を守りますよ」というポーズを示していますが、紙の上では受け入れていても、現実には受け入れていません。かつてはマンデート難民(注2)を第3国へ出国させるルートがありましたが、今ではそのルートがなくなりました。
 冷戦時代とその崩壊後の流れを見ると、戦争・貧困・難民が世界中で拡大しています。日本でも福祉が削られ、人権が制限されてきています。

 注1:日本でも1991年7月11日、反イスラム的とされたサルマン・ラシュディ氏の小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳した筑波大学助教授・五十嵐一氏が、学内で殺害される事件が発生している。
 注2:UNHCR(国連難民高等弁務官)事務所が同事務所規程に基づいて認定した難民。

イラン大使館への抗議

 9月11日には田中さんと一緒に、イラン大使館への抗議を行いました。目的は組合活動を続けて逮捕された教師ファルザード・キャマンガルさんの死刑を阻止するためです。
 2年前、イラン国会前で2万4千人の教師がデモを行いました。これはイスラム政権にとってはとんでもないことで、恐怖を感じて弾圧を強めました。
 ファルザードさんは16ヶ月間に渡って拷問を受け、何の証拠もなく死刑判決を下されたのです。
 一つだけ言わせてもらえば、このような抗議行動を2年前に呼びかけても、実現は難しかったでしょう。今の状況はさらに難しいのですが、その分、反発も強まり、その影響もあってか大勢の支持者が集まってくれました。
 現在は難民認定を求めた最高裁での裁判の結果待ちです。ただし結果がいつ出るかは分かりません。他に地裁で係争中の裁判もありますが、法務省の手に握られている裁判は信頼できないので、国際キャンペーンで100万人の仲間を集めて、日本の難民制度の現状を国外へ訴えようと考えています。

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質疑応答

Q)かつてのイランは民主化された国だったのに、なぜパーレビ王制に反対したのですか?
A)民主化とは何でしょう? パーレビ王制のイランに民主主義はありませんでした。政党や言論の自由がないので、政府に反対する人は地下活動を続けました。イランの国外には700万人のイラン難民がいます。昔も今もです。

Q)パーレビ王制とホメイニ、どちらがいいのでしょう?
A)どちらもよくない。でもホメイニの方がもっとひどい。世界の流れを見ても、50年のシャーの独裁が続いた当時は革命しかなかった。しかし革命後の82〜89年には十数万人が処刑されました。イラン・イラク戦争では200万人が犠牲になったけれど、ほとんどが徴兵された未成年です。
 ホメイニのイスラム政権は、ヒトラーやピノチェットにも比せられる卑劣な政権です。

Q)イラン革命はイスラム革命と労働者革命のどちらだったのですか? 2つは別々の革命なのですか?
A)イランの革命は労働者革命だった 労働者なくして革命は成功しなかった
 最初に学生と知識人が立ち上がり、次に労働者のストが広がって、革命は勝利しました。
 その後からイスラム政権が現れて、「これはイスラム革命だ」と宣伝し、西側のメディアも「これはイスラム革命だ」と認めました。当時は冷戦下にあり、西側は革命を労働者革命と認めたくなかったのです。

Q)当時の西側諸国と東側諸国の革命に対する反応は?
 ソ連はホメイニ政権を支持し、これはブルジョア革命だと宣伝しました。
 西側は別の言い方をして、「イランの市民の大多数がホメイニの革命を認めているから、これは正当なものだ」と主張しました。
 当時のソ連は反米が全てで、アメリカに支援されたパーレビ王制が倒れればいいということで革命を支持したのですが、アメリカもBBC他全てのメディアを使って、「これはイスラム革命だ」と宣伝したのです。
 ソ連も本当は国家資本主義で、労働者革命はよくないものだから、「これはこれはイスラム革命だ」と主張したのです。



「2008年 世界難民の日・全国リレ-
での発言

(7/5東京集会:渋谷 JICA地球広場)
主催:2008年世界難民の日実行委員会
後援:アムネスティ−・インタ−ナショナル日本、協力 日本UNHCR協会

                  牛久入管収容所問題を考える会  田中喜美子

 世界難民の日・全国リレ-東京集会にご参加下さった皆様方に東日本入国管理センタ-(牛久入管)への面会行動を続けている者として牛久入管の現状及び牛久入管から「仮放免」を勝ち取った難民申請者達の状況を御報告したいと思います。

 7月2日現在、当方が知り得る限りに於いて牛久入管には難民申請者が74〜5名が収容されていると思われます。スリランカ、ビルマ、トルコ国籍クルド人、イラン、パキスタン、バングラデッシュ、ベトナム、ネパ−ル、アフガニスタン、コロンビアそして、つい先だって「アフリカ開発会議」が横浜を舞台に開かれましたが、アフリカ諸国..コンゴ、カメル−ン、エチオピア、アンゴラ、タンザニア、セネガル、ナイジェリア、マリ、ト−ゴ、ギニアからと様々な国の人々が収容されています。

  「成田」で入国を拒否された方や、「仮放免」の更新が不許可になり再収容された方を含め74〜5名が難民申請者、結婚の問題を抱え「帰国を拒否」する方々(−彼らに対する強制退去がかなり頻繁に起きています。)を何人も見受けます。G8サミット厳戒態勢の中で「外国人狩り」とも呼べそうな摘発の強化で品川入管、牛久入管に新たな難民申請者の収容が増え始めています。

 私が牛久で面会している3人のクルド人女性達についてお話ししましょう。今年2月から3月にかけてそれぞれ日本で難民申請をしている婚約者との結婚のため、または新婚間もない夫(彼は06年成田入国時に難民申請をしたが入国を拒否され牛久を仮放免されるまで1年3ヶ月以上収容された)との「夫婦が一緒に暮らしたい!」という、ごくごくささやかな人間としての当然の願いを叶えるために来日したのです。

 成田で難民申請をしたにも拘わらず、仮滞在が認められず、成田の収容場に収容され、それぞれ1〜2週間後には牛久に移送されています。もう5ヶ月以上収容されています。本人達も勿論、外にいる仮放免者であるそれぞれのパ−トナ−達も経済的にも精神的にも疲れ切っています。もし、彼女たちが諦めて帰ったら、それぞれのパ−トナ−達も日本での難民申請を諦めるか、別離の道か?を選ばなければならないかもしれません。「絶対帰らない!!」女性達の決意は固いです。私は自分の娘のような年頃の女性達と面会をしながら、この国の入管体制について怒りを禁じ得ません。

 同じように、クルド人男性、ビルマ人男女、アンゴラ人、等々が成田で難民申請をしながら「仮滞在」が許可されず収容されています。皆さん、庇護を求めてこの国に生きる希望・活路を求め、夢と希望を抱いてやってきているのです。にも拘わらず、彼らを待っていたのは、「帰れ!、帰れ!、認めない」、政治的亡命者としてのプライドを打ち砕く「犯罪者扱い」であり、収容所での「ただ待つ」生活も日本語がわからず大変苦労しています。

  昨年9月7日段階で難民申請者141名が収容されていましたが年末に架けて多くの人に「仮放免」が許可されました。保証人、住む所、保証金(30〜50万)を用意してやっとの思いで勝ち取った「仮放免!」。では、難民申請者の仮放免後の生活は?というと多くの人は「厳しい!」の一言です。外に出ても「全てが入管の管理下」にあるといってもいいような状況、長期収容がもたらした様々な病気・障害に悩まされています。拘禁性のストレスが昂じて昨年10月にはクルド人とビルマ人の難民申請者が仮放免後すぐ精神病院に「措置入院」しました。何時、仮放免が取り消されるのか?脅える日々。

 また、難民認定及び特別在住もビルマの難民申請者を中心に大分多く許可され始めていますが、不況下のこの日本で彼らも又ビザがあるというだけの一人の外国人労働者としての日常があります。(勿論、ビザがあると無しとでは天と地の差があり、同じ難民同士、亀裂が持ち込まれもします。)

 仮放免者のなかから早くも(4ヶ月後の人も)、異議申し立てが却下され、その場で収容される方が出始めています。昨日も7ヶ月後に再収容された、難民申請者から電話が掛かってきました。「今朝、同じ部屋の中国人が無理矢理帰された。日本人の奥さんがいて、彼女は妊娠中なのにだョ!」目の前で起こる「無理矢理の帰国」に自分を重ね、彼自身も痛んでいるрフ声。良くない、本当に許せない!と思います。

  80年代以降のグロ−バリズムの名の下に行われた新自由主義政策は今、世界の状況を見るまでもなく資源争奪・戦争・飢餓と貧困、激しい格差社会をもたらしました。人々が、難民・移民として生きざるを得ない状況を作り出しています。G8「洞爺湖サミット」が始まろうとしていますがG8こそ、その元凶です。別の視点で言い換えるならばG8参加国こそ、全ての難民を引き受けるべき責務があります。日本は5年10年と長期にわたって滞在し、この国を支えている難民申請者・移住労働者を正規化すべきです。ただし、現実政治の上では、難民・移住労働者の存在はG8体制そのものを食い破る歴史的存在であり各国とも彼らを閉め出す方向へと進んでいます。

 牛久に収容されている難民申請者を知ってください。日々の新聞報道・国際面を読んで下さい!彼らの出身母国の状況を知りましょう。目の前にいる私達の友人である在日・滞日外国人、難民申請者と共に「人々が難民・移民として生きざるを得ないことを強制する社会体制」そのものをひっくりかえましょう!。日本の労働者・民衆、G8参加国の労働者・民衆と全世界の労働者・民衆の連帯した共同闘争こそが世界を変えることが出来る力です。

 牛久で長い間、面会行動をしてきました。収容されている難民申請者達は実に様々です。先程「アフリカ開発会議」のことを申しましたが、牛久に収容されているアフリカ出身の被収容者は「国をダメにしている連中ばかりだ!」と怒っていました。驚くほど政治的に優れた人だったり、インテリだったり、真っ正直だけど上手に世渡りの出来ない生き方が下手ないいヤツ!だったりします。面会していて「もう一人の自分」を見る思いになったりします。長期収容でぼろぼろにされながらも、同じ仲間を心配し助け合っています。
 私共は面会行動ということで難民問題に関わっていますが、皆さん!ぜひこの集会をはじめとした様々な取り組み、切り口で難民問題に関わる人々の裾野を拡げていきましょう!

   誰もが幸せに生きる権利を持っています。ともに頑張りましょう!

                                                                2008,7,5


2008年6月例会から





6月の定例会の記録:編集・構成:岩崎綾之

■■NYIさん仮放免おめでとう■■

 難民申請の異議申し立てが却下されて品川収容所に収容され、6月下旬に仮放
 免されたNYIさんにお話をうかがいました。

■品川入管収容所に収容されて
 品川入管収容所の中の生活について説明します。

 朝7時、電灯が点きます。
 朝食はパン2枚に200ccのミルク、それに日替わりでバターとジャムが出
 ます。
 朝食を食べてからは自分の部屋の掃除で、その後で休憩を取ります。

 朝9時、点呼の時間です。
 職員から「ミャンマーのNYIさん」と呼ばれ、「はい」と返事します。
 9時からは部屋のテレビが見られます。

 朝9時半から昼12時まではフリータイムです。品川入管ではフリータイムが
 1日1回だけで、それ以外の時間には部屋の外に出られません。
 ちなみに牛久と長崎の収容所では、1日に2回のフリータイムがあります。
 私は品川入管の9階、Eブロックに収容されていました。フリータイムの間に
 シャワーを浴び、洗濯をし、電話をかけることになりますが、フリータイムの
 時間はすぐになくなってしまうので、慌ただしく過ごすことになります。
 電話は1人10分しか話しません。
 Eブロックには7つの部屋があって、そこに40〜50人が収容されていまし
 たが、とにかく電話が大変で、みんな並んで順番を待っています。
 テレホンカードはKDDIカードしか使えません。誰かの携帯電話にかければ
 3200円のカードが35分で使い終わってしまいます。
 それでも朝の9時半だと、知人の家にかけても誰もが仕事で出払っているので、
 仕方なく携帯電話にかけることになります。

 昼12時、点呼の後で昼ご飯を食べ、部屋に戻ります。部屋の外で過ごせる時
 間はそれで終わり。以後、その日は部屋の外へ出られません。
 翌日はフリータイムの始まりが午後1時からにずれ込んだりしますが、それま
 での長い時間を部屋で過ごします。

 夜8時50分、部屋のテレビが終了します。
 ただしスポーツの試合がある時は、9時2分頃まで点いている時もあります。
 収容者はみんな、テレビの試合では外国チームを応援しています。(みんな日
 本に悪感情を持っているので)日本が負けるなら何でもいいという雰囲気です。

 夜11時、点呼の後、消灯です。
 ただし大声を出したりせず、周りに迷惑をかけなければ、消灯後も会話ができます。

 なお品川入管では、土曜・日曜は部屋の外に出られません。つまり月曜まで、
 部屋の外のシャワールームが使えないということです。だから濡らしたタオル
 で体を拭くしかありません。
 自分が収容されたのは6月6日の金曜日ですが、品川入管についての予備知識
 もあったので、タオルや着替えなどを準備して出頭しました。この時に保証金
 も用意し、保証人にも同行してもらいましたが、入管からは認められず収容さ
 れてしまいました。
 赤ちゃんがいる奥さんや、妊娠した女性の場合だと、保釈金を入金すればすぐ
 に出てこれるそうです。

 サミットが開かれる関係で、今の入管は混んでいます。さながら「入管のお祭
 り」ですね。
 私はシニアインスペクター(上級監督官)の私的な話を聞きましたが、「ばん
 ばん捕まえる」「肌の色が黒い人への取り締まりが厳しくなる」と、口にして
 いました。
 計画では日本にいる17万人のオーバースティを、2008年中に14万人に
 まで減らすということで、今年だけで3万人を強制送還させなければなりませ
 ん。入管には上からの強い圧力がかかっている様子で、この目標を達成しない
 と入管の立場がなくなります。
 誰かが面会に来てくれると、部屋の外に出られるのですごくうれしいです。2
 006年に収容された時も、知り合いが面会に来てくれたのが、すごくうれし
 かったです。
 その経験が自分にはあるので、5/4に出所した後、5/9から入管を訪れて
 面会を開始していました。収容されている人たちの希望を聞き、洋服など必要
 な物を差し入れたり。女性ならば生理用品を差し入れることもありました。
 今回の収容は17日間と短期間でしたが、これも皆様の支援のお陰です。本当
 にありがとうございます。

■今後の予定
 今後、進むべき道としては2つの選択があります。
 1つは再申請、もう1つは裁判ですが、弁護士と相談して決めます。
 再申請する場合、以前の難民申請と同じ内容で申請しては駄目で、以前の申請
 と違っている点があればいいそうです。
 近々、入管の法律も変わるらしいのですが、収容者に優しくなることを期待し
 ています。
 入管の職員からは、「NYIさんは裁判を選んだ方がいい、日本での2年間の
 活動は無駄にならないから」と言われました。
 入管に収容されているビルマ人には、日本で反ミャンマー軍政の政治活動を行
 っていた人が多いのですが、自分はそうではなく難民の支援者として活動を続
 けてきたからです。


■■アフシンさんの話■■
■NYIさんの話を聞いて
 俺が最初に収容されたのは東十条(東京入国管理局第二庁舎)だったけれど、
 昔はもっと酷い状況があった。
 今ではテレビも見られるし、不便はあるにしても外に電話もできる。
 だけど、入管はタダで今のようになったわけじゃない。
 自分の時は収容所内で色々なことをしでかして、殴られ、蹴られ、血だらけに
 なり、懲罰房にぶち込まれもした。
 シャワーは1週間に1回、それも10分だけだ。シャワールームのカーテンは
 カビだらけ。10分を1秒でも越えたら、裸のままでシャワールームから出て
 行かなければならない。
 電話は一切できない。外に電話する場合は「何月の何日、誰々さんに電話した
 い」と、予め申し込み用紙に記入して箱に入れるのだが、100人中99人は
 無駄に終わる。
 職員からは、「誰々さんは電話に出られない」という答が返ってくる。
 冷房はなく、暑い日も扇風機だけだ。それも収容者が事故を起こさないように
 ということで、自由に手の届かない場所にある。
 そんな過去の状況が変わったのも、入管の中で必死に戦い続けてきた多くの先
 輩たちがいたからだ。入管がここまで変わったことに対して、俺は先輩達にお
 礼を言いたい。
 現在の俺が、イラン難民の代表として言わせてもらうなら、俺は入管収容所よ
 りも府中刑務所を選ぶ。3〜4年の間、刑期を務めるにしても、その間は強制
 送還されずに済むからだ。
 俺が入管に収容されていた頃、月曜と水曜の前の夜は、とてつもないプレッシ
 ャーに襲われた。月曜と水曜にはイランへの航空便があるので、朝まで眠れな
 い。眠れないから、明日になって職員20人で取り囲まれて空港に連れて行か
 れた時、どう対策を立てればいいのかをずっと考えていたりする。
 入管では10分のシャワーも電話もいらないから、そのプレッシャーを何とか
 してくれ。
 テレホンカードにしても、かつてはNTTで便利に使えたのに、それがなぜK
 DDIに変わったんだ? KDDIしか使えないなら、企業は入管でボロ儲け
 じゃないですか?
 俺は過去に2回、牛久収容所に収容されていたけれど、所長が代わると中味も
 かわる。日本のいい加減さの現れというか、全体が自分の色に変わってしまう。
 前の所長の時には電話も自由にかけられたし、ウォークマンも聴けたのに、所
 長が代わるとそれが出来なくなった。そんな現状を変えたくても、収容者には
 その権利もなく力もない。

■日本に来た理由
 俺はイランで、モジャヘディン(注1)で活動していた。
 イランは(政府を批判する)1枚の新聞を配っただけで逮捕され、死刑になる
 国だ。 男も女も、14歳の少年だって死刑になる。これまでに1万人近くが
 死刑に処されたと言っても過言ではない。
 出国すればイランの政府は追及してこないので、それで俺は日本に来たが、日
 本に来たのは間違いだった。
 難民の間では、日本は先進国で民主的な開かれた国だという誤解がある。さら
 に、日本は難民条約を批准した国だというお墨付きもある。だから難民は日本
 を信じ、日本にやって来てから間違いに気づく。
 かつて、俺は入管の職員に提案した。
「日本は難民条約から撤退すればいい。そうすれば日本を信じてやって来た難民
が、日本で苦しむこともなくなる」
 職員は答えた。
「日本は難民条約をそれなりに守っています」
 だけど日本の現状は、ノルウェーやスウェーデンとは大違いだ。
 かつて、俺が強制送還されかけた時、入管の職員が成田空港に向かうバスの中
 で、血まみれの俺に言った。
「あんたバカじゃないでしょう? 日本が難民を認めないことは分かっているで
しょう?」
 俺は頭にきたので、言ってやった。
「日本が難民を認めないなら、俺が直してみせる」
 すると職員は言った。
「じゃあ直してください」
 後でUNCHRでこの話をしたら、担当官はこう言った。
「それは政府の人間が話したことじゃない、あの人の個人的な意見だ」
 俺は1990年に来日し、2000年に収容されたが、日本では難民申請イコ
 ール強制送還に承諾するサインだ。
 俺がラッキーだったのは90年代、バブル経済のはじけていなかった日本に来
 たことだ。当時の日本は外人が欲しかった。当時は入管に出頭して、本国に送
 還して欲しいと申し出ても、逆に日本で仕事を探すようアドバイスされるよう
 な状況があった。だが結局、日本は外人を使って使って使い捨てにした。

【注1】イランの反政府グループ。

■難民と犯罪者を一緒にするな
 最初に難民申請が却下された時、俺は入管からこう言われた。
「あなた達に却下の理由を説明する義務も必要もないです」
 渡された書類には日本語での説明とその英訳が書かれているけれど、俺が難民
 であることを認めない理由については英訳されていない。法務大臣と入管の責
 任者の判が押された書類だというのに。
 英訳が載っていたなら、俺はこれを欧米のメディアに送ってやりたいくらいだ。
 なぜ英訳がないかというと、それを載せれば欧米のメディアにバカにされるこ
 とを、入管も分かっているからだ。
 入管収容所では難民申請者と、日本で逮捕されて収容された犯罪者を別にすれ
 ばいいのに 申請者と犯罪者を一緒の部屋に押し込めるような嫌がらせばかり
 だ。入管は収容者の間でもめて欲しいのだ。どうやって収容者を不利な状況に
 追い込むか、それを狙ってやりたい放題だ。
 収容所から弁護士と話をする時も、最初に収容された時には自由に電話が出来
 た。
 2度目の収容では、電話はフリータイムの10分間のみ。周りに人がいてうる
 さいので、落ち着いて話もできない。
 こんな状況だから、強制送還の1日前にそのことが分かったとしても、今のシ
 ステムでは対処出来ない。
 オーバースティで収容された犯罪者の中には、イラン大使館と連絡を取ってい
 る者もいる。大使館に弱みを握られて協力させられ、収容所の中のことを知ら
 せているのだ。なのに収容所はそんな犯罪者と難民を一緒にして、部屋の前に
 は収容者の名前を詳しく書いて張り出していたりする。どうしてそんなことを
 するんだ?

■UNCHRが入管をダメにした
 これまでで一番驚いたことは、戦争捕虜のところには人権団体の代表が派遣さ
 れ、捕虜の話を直接聞いていることを知ったことだ。捕虜収容所の中で虐待が
 あっても、これならすぐに分かる。
 日本ではそんなことは一切ない。UNCHRもアムネスティも入管の扉の向こ
 うには行けない(注2)。俺は捕虜以下だ。
 たとえば入管の朝ご飯に、ミカンが1個ついてることがある。そんなことは普
 通はありえないのだが、そんな朝ご飯が出た時は、決まって誰かが入管の視察
 に訪れた時だ。視察があるときに限って、食事もいい物が出る。
 だけど収容者と話が出来れば、
「今日の飯はウソですよ」
 ということが分かるだろう?
 例えば、NHKが扉の向こうに行ったら分かるじゃないですか。かつてビルマ
 人のハンガーストライキが行われた時、NHKは入管を難民収容所として報道
 したけれど、あれは難民収容所ではなく刑務所が形を変えたものだ。

 日本はUNCHRに対しては、「日本はちゃんとした国で、難民も認めている」
 という顔をしている。
 日本の入管をダメにしたのはUNCHRだ。職員はただで給料をもらっている
 だけで、入管への監視も抗議もしていない。
 今の入管では最初に「これにサインして下さい」と書類を示し、
サインをさせ たその後で、書類の説明書を出して言う。
「あなたはこれにサインしないこともできましたよ」と。
 それをされた時、俺は笑ったよ。
「あんた達、どこまで堕ちているの?」
 これが入管のやり方だ。示す順序が逆だろう?

【注2】入管はプライバシーの保護を名目に、収容者と外部の人間の接触を認めていない。

■2006年2月2日の事件
 入管の責任者は俺に言った。
「日本の法は私に関係あるけれど、難民条約は関係ない」(注3)
「法務省の面子にかけて、私は絶対にあんたを強制送還してみせるから」

 当時、俺は難民認定を求めて最高裁で裁判中だったが、強制送還される1日前
 にそのことが分かった。日本は北朝鮮じゃあるまいし、まさか裁判中の人間を
 強制送還するような事は起こらないと思っていたが。
 結局、俺は20人の職員に囲まれて、血だらけになって手錠をかけられ、成田
 空港に向かうバスに乗せられた。
 飛行機で一緒に送られる荷物の中には、俺が関わってきた政治グループの文書
 類がごっそり入っていた。この有り様で、政府を批判する新聞1枚配っただけ
 で、死刑になる原理主義の国に送られるのだ。
 幸いなことに、飛行機の機長はイスラム革命で追放された国王側の人間だった。
 口髭をたくわえ、ポマードをつけて整髪した欧米かぶれな装いで、まるでイス
 ラム政権側の人間には見えなかった。彼を見た瞬間、俺は機長のナショナリズ
 ムに火をつける以外に助かる道は無いと思った。
「あなたの背負うイラン3千年の歴史は、こんな血だらけの人間を強制送還する
ことを許せるのか」と訴えると、機長は、「俺に任せろ、何も喋るな」
 と言ってくれた。
入管職員は「大丈夫です、乗せてください」
 と、しきりに懇願していたが、機長は頑として聞き入れなかった。
それで俺は助かった(注4)。
 この事件の日付はずっと覚えていて、その日になるとこの記念日を1人で祝っ
 たりしている。

【注3】難民条約(難民の地位に関する1951年の条約)はその第33条で、難民の
追放と送還の禁止を掲げている。
【注4】このアフシンさんの事件以来、難民申請者の強制送還はなくなった。

■こんなに酷い入管の医療
 牛久入管では長年働いている医者がいるが、処方する薬の9割は精神安定剤だ
 (注5)。頭痛も腹痛も怪我も全てそれを処方する。かつて俺は21錠をいっ
 ぺんに飲まされたこともあった。
 かつてはいい先生も来てくれた。俺を診察して、
「こんな状態ではつらかったろうね。私の手には余るから、外の病院を紹介して
あげるね」
 と、親身になって話をしてくれて紹介状を書いてくれたが、1週間後に医務室
 に来てみると、その先生はもういない。入管は収容者を外に出すことを嫌がる
 から、辞めさせられたのだろう。
 それで、収容者を外の病院へ行かせず、精神安定剤ばかり処方する医者ばかり
 が長く居座ることになる。俺はその医者に言ってやった。
「おまえ、赤ヒゲの映画観ろよ」

 俺は強制送還されかけた時に、頭を打って血だらけになったから、仮放免され
 た今もその後遺症が残っている。目がよく見えないし、手も震える。
 空港から戻った時に、俺はレントゲンを撮られた。写真には色々な症状が映っ
 ていたはずだが、それを見ながら俺が、「これ何ですか?」
 と尋ねても、医者は、「大丈夫ですよ」としか言わない。

 入管で使われる精神安定剤の量は異常だ。
 入管職員はポケットの中に、安定剤だけはたくさん入れている。何かあった時
 に収容者を大人しくさせるためだ。
 収容者の間では、タマゴなど個人の持ち物と安定剤を交換することが流行って
 いる。収容のストレスが耐え難いからだ。
 強力な薬を飲んだ後は、誰かが面会にやって来てもふらふらで話も出来ないよ。
 だけど安定剤にはメリットもありますよ。安定剤を飲んでいる間は痩せません。
 俺も入管で安定剤を飲まされ続けて、仮放免された時には体が膨れた感じにな
 っていたけれど、一見すると健康そうに見える。入管はそれも計算に入れてや
 ってます。ガリガリに痩せた人間が入管から出てくれば、中でどんな非道いこ
 とが行われているんだろうと問題になるけれど、太った人間が出所するから中
 ではちゃんと食べさせているんだなということになる。だから入管の中の悪事
 が目立ちにくいんだ。

【注5】統合失調症の薬など、強力な向精神薬が投与されることもある。

■強制送還のプレッシャー
 牛久収容所に収容される時も、それまで俺がいた収容所から牛久行きのバスに
 乗せられた。バスが出るのは月曜か水曜で、イランへの航空便が出る日と一緒
 の日が選ばれている。道も分からないし、行き先はバスが着くまで分からない。
 これが入管の汚いやり方だ。
「いずれ体も心もボロボロになって、帰国の同意書にサインする時が来るから、
その時まで待ちます」
 という考えで収容者を追いつめる。
 俺には仲のいい入管の知り合いがいるが、そいつが俺に言ったことがある。
「イラン人は可哀想だ。収容者の中でイラン人が唯一、帰国の直行便を持ってい
るから」
 イランへの航空便は、1人あたり9万1千円しかかからない。
 収容所にはケニア人もいて、彼らには失礼な話だが暴れたり口汚く罵ることも
 しばしばで、態度の悪さから職員からはうるさがられている。それでも彼らが
 ケニアに強制送還されることはない。なぜならケニアまで強制送還するのに、
 1人あたり150万円かかるからだ。同じ金でイラン人なら20人近く強制送
 還できるから、イラン人ばかりが強制送還されることになる。
 1〜4月は日本の強制送還のシーズンだ。これも入管が年度内に予算を消化す
 るためだ。難民の生命とは関係なしに、金の問題として実行されてしまうんだ。
 俺は仮放免の後、マンガ喫茶で寝ていても、月曜と水曜の前の夜は自然に目が
 覚めてしまう。週に最低4回はその夢を見る。

■今の日本に対して
 俺の話を聞いて、日本人は俺と入管のどちらを信用するだろうか?
 入管からすれば、俺は嘘つきということになる。だけど嘘をつくにはメリット
 がなければならないでしょう? メリットもなく嘘をつくのはバカですよ。今
 のこんな日本に対して、俺が嘘をつく必要がありますか?

 日本人だって、今の日本から逃げられない。ニュースを見れば、飛び込み自殺、
 ナイフを振り回して殺人。自分の仕事だけで精一杯で、ギリギリの生活を続け
 る人間ばかりだ。前の総理は「美しい国・日本」と言ったけれど、今の日本に
 何の良さがある? 何の美しさがある? 毎日が破壊されているだけじゃない
 ですか?
 俺も本能から言えば、日本から逃げたい。そして、出来ることなら本当の民主
 国家・本当の先進国というものをこの目で見たい。

 俺は仮放免されても労働は禁止だ。だけど仮放免で渡された入管の書類には、
 その事が書かれていない。事実上黙認なのだけれど、入管にとって都合が悪い
 人間が出れば、いつでも逮捕して収容することが出来る。だけど文書ではその
 ことを明らかにせず、自分にとって都合のいい解釈が出来るようにしておく。
 大事なことを曖昧にするのが入管の手口です。

 入管の態度もそうだけれど、日本は全てを曖昧にしたがる。
 日本の曖昧さは、世界に対しての曖昧さだ。
 例えば「田中さんのこと、どう思う?」と聞いたとする。
 「別に」と答えるのが今時の日本人の態度です。
 「好き」と答えれば田中さんと仲の悪い人が敵になるし、「嫌い」と答えれば
 田中さんと仲の良い人が敵になる。だから曖昧に答えるんだ。
 難民問題をはじめ世界の問題に対しても、日本は曖昧な態度を取り続けてきた
 けれど、白黒はっきりさせない曖昧さの反動で社会が壊れている。
 秋葉原の事件は、日本だから7人も死んだ。他の国なら1人で済んだはずだ。
 なぜなら1人が刺されたと分かれば、周りの誰かが犯人を取り押さえるから。
 白黒はっきりさせず、犠牲を払わず、それでいて全てがうまくいくことを望んでいる。

それが今の日本人の態度ですよ。


2008年4月例会から



4月26日の定例会では、当会の会員でもあるビルマ人難民申請者NYIさんに、
現在のビルマの状況、軍事政権が強行しようとしている、憲法草案を
めぐる国民投票や、サイクロンの被害についてお話しして頂きました。

 Q)ビルマは今、どうなっているのか?
  A)シンガポール在住ビルマ人と在日ビルマ人は、ビルマ大使館に納税しなければならない。日本では最 低でも月に一万円。払わないとパスポートが延長されない。オーバーステイで1年滞在の場合、納税しないとパスポートを返してもらえない。帰国後に支払うか、投獄される。ミャンマーの刑務所はひどい環境&nbs p;です。学生運動のリーダー、ミン・コー・ナインさんは、刑務所で失明の危機であり、過酷な取り調べで 精神失調になっている。密閉された部屋の中で単調な水音を聞かせる拷問も受けている。
 
 Q)国民投票について
  A)4月26日、ビルマ大使館前に日本にいるビルマ国籍者・難民申請者が集まり、投票を要求して整然 と待っていました。ビルマ国内では5月10日に国民投票の予定。現在の憲法に代わり軍事政権が創った憲法。この憲法の問題点は、外国人と結婚した人、外国に住む人は政権から排除されること。これはスーチーさんの排除が目的です。憲法に反対する人たちが集まったが大使館によって排除されました。午後2時頃には日本の警察が強制排除した。この時の警察の暴挙により一人が逮捕され、骨折者1人を含む12人が救急車で運ばれた。ワシントンDCでも昨日から投票が始まった。大使館内に入れた人は大使館に呼ばれた人ばかり。賛成票を投じる人しか呼ばれていない。投票結果はミャンマーに送られる。現地大使館の発表は無いので、投票結果が操作される恐れもある。日本では6000人のビルマ人のうち、1000人くらいが選挙権をもつ。学生や仕事の関係で来日した人だが、パスポート没収のおそれから賛成票を投じるだろう。
  ミャンマー国内では、政府関係で働く人は反対できない。刑務所では賛成の代わりに減刑などの取引が行われる。ミャンマー国民の不安は高まっている。5月10日に騒乱のおそれがあり、それまでビジネス契約も出来ない。米価も上昇している。弁護士も政治関係の裁判には手を出せない。“NO!”のTシャツを来ただけで大量の逮捕者が出た。昨年9月のビルマ民主化闘争では、デモをしている僧侶に水を差しだしただけでも逮捕・投獄された。グループを作って僧侶を支援した俳優も家族ごと逮捕された。現在は釈放されたが仕事を禁止されている。しかし、ミャンマーの人々は応援している。
  最もおかしい点は、憲法がまだ決まっていないのに2010年に選挙を実施すると発表された事。銃を恐れて反対を口には出来ないが、人々は心中では反対している。仏教国ミャンマーで、最も尊敬される僧侶が殺害されているのです。これをリードしているのは中国で、ミャンマーでの僧侶に対する弾圧を、チベットでの弾圧にまねしている。中国とミャンマーはバーター貿易の関係、ミャンマーの資源、宝石や木材が中国に渡っている。
  インフレでミャンマーの貨幣価値が下落している。かつてのロシアのような状態。食べるだけで精一杯の生活で就学率が低下している。かつては、シンガポール、タイからヤンゴンの大学に学生が来たが、今ではミャンマーからシンガポールやタイに渡っていく。軍事政権は国外への宣伝のため、田舎にたくさん大学を建てたが中身が伴っていない。政府は学生を恐れているので、学生を分散させるのも大学乱造の理由。かつては国が負担していた医療費も今は自己負担になった。
 
 Q)ビルマの現状に対して日本は?
  A)現在はODAは少ない。日本政府はなぜかミャンマーに優しい。エコノミーマーケットの関係。かつて、アメリカに同調して日本もビルマと経済関係を絶ったが、その間に中国、マレーシア、韓国にビルマ市場を持って行かれた。
  ミャンマーは農民が30%、労働者が70%くらい。軍人は60万人。政権に近い軍人に富が集中。教育・福祉にまわすべき予算が軍事費に回っている。 ミャンマーでは国内の移動、宿泊も許可がいる。区役所に届け出を出す。南部からの移動は厳しい。外国人には優しいが、外貨が目的。いいところしか見せない。泊まれるのはホテルだけで、ビルマ人の家には泊まらせない。ビルマ国内での反政府活動は命がけで、その点では日本での活動は恵まれている。
  日本での労働は男は調理場など、ほかに工場、現場仕事、女はウエイトレスなど。夜の仕事が多い。最近は深夜の仕事をしながら、日中は活動や面会を行っている。家賃、携帯電話の負担も大変で、さらに面会などのボランティアで大変。
 
サイクロン被害について
 5月2日夜〜3日にかけて、ビルマ西部のデルタ地帯をサイクロンが襲いました。ヤンゴン周辺の海沿いのデルタ地帯は大きな被害を受け、死者は10万人以上、行方不明者4〜5万人、200万人以上の人たちが家を失った。5月10日の国民投票を強行しようとして、軍事政権がサイクロン情報を出さなかった。そのため、国民が何の対策もとっていなかった事が、被害を破壊的な規模にしました。被災地の復興活動において軍事政権は国際社会の救援活動の申し込みに対しても、救援物資のみを受け入れ、医療スタッフなどの国連およびNGO関係者の入国を拒否。コレラやマラリアの感染など二次的な被害も拡大。水、食料、生活物資の不足が伝えられています。

 2008年2月23日の定例会にて、難民のお話を聞く会はAさんとFさんをお招きしました。
今回は仮放免中の生活についてお話をしてくださいました。非常に深刻な現状について、みな衝撃を受けながら聞いていました。

仮放免者の現状

 Fさん)2度目の収容は理由なしにされた。2度目の仮放免から2年、仮放免の意味がない。仕事が出来ないので将来の見通しがたたず、安心感がない。病気やストレスで意欲が減退し、考えもまとまらない。入管の中と外でも変わらない状況。いつまた入管に収容されるか分からなく恐れている。今は一ヶ月に2回、絵を描きに先生のところに通っている。絵を元にしてはがきをつくったり、王子の教会では月一回人を集めて絵を見せている。アムネスティの人、大学の人、子どもたちが来てくれるとすごくうれしい。一緒に絵を描く仲間もいます。アムネスティはお金がないので、イラン料理のパーティを催し、ハガキも売って少しでもお金を稼いでいます。入管に収容されていたときは田中さんとの面会を一秒一秒心待ちに待っていた。つくばでもパーティをやりたいけれどまだ場所が見つからない。去年のクリスマス会(東京アンドレ教会)は100人くらい集まり、3日間寝ないで料理作りをした。
Aさん)アメリカ在住のイラン人には医者や科学者、料理人などいて、貴重な人材がイラン国外に流出している状況。革命でイランは優秀な人材を失った。
日本は仮放免でも就労の自由がない。国に帰ることも出来ない。中途半端な立場。居住もダメ、入院もダメ、結婚もダメ。登録証は薄っぺらで粗末。ハッキリ言って政府によるいじめだ。生活の保障が無ければ生きるためになんでもやりかねない。状況が(犯罪に)追いつめている。
保証人にも限界がある。裁判の費用が20万もするのもストレス。相談しても理解されなければ、「入管から出なければよかった」という思いになる。
F)入管にイラン大使館の人が来たとき、職員が収容者に帰国するようにし向けていた。裁判と難民申請のさなかに強制送還の圧力がかけられる。
刑務所に収容中の中でイラン人が3位、中国人が1位。日本政府のことを許せない。私が何をしたのか。結婚も出来ない、家賃も払えない、自分の面倒も見られない。日本から外国への手紙も紛失される。なぜ?手紙のせいで弟が殺された。家族に危害が及ぶから連絡も取れない。今までの18年間は何のためにあったのか?私は普通の人間になりたい。イラン大使館と日本の法務省はどう繋がっているのか?イランは今ひどい状況。14歳の少女を石打ちの刑で処刑している。
大瀧)生きていきたくないという気持ちも分かるけど、Fさんは大きな、大事な仕事をしている人だから、イランの問題を知ってもらう為にも。
A)自分の保証人は「帰されるよ」という。大事な仕事をしていたとしても、支える人がいないのは問題。
Fさん:入管の担当には「Fさんはおとなしい」といった。病気を訴えると強制送還の危険があったので、ずっと我慢していた。入管の面会で少しでも話が出来るのはいいことです。
大瀧)仮放免された人を支える体制ができていないのは問題。ビルマ人の助け合いの積み立てが話し合われている。
F)助け合うのに国は関係ない。「何かをやりたい」気持ちは同じ。
田中)Aさんに質問。仮放免から2ヶ月後の状況は?クルド、ビルマはコミュニティーがあるのでなんとかなるが、あなたはどう?やっていける?
A)入管の中が変わっても外の状況が変わらないのはおかしい。10年前と今とでは社会の変化についていけない。保証人を切られたら自分で勝手にやるしかない。入管の中ではストレスの固まりだった。入管を出てもサポートする人がいなければ、どうやってまっとうな人生を歩むのか?周囲の優しさや思いやりはあっても限界はある。飲んで歌を歌っても、飲み終わったら元の淋しさ。友達がいない人もいる。追いつめられ犯罪を犯したら入管から出た意味がない。ちゃんとした住まい、ちゃんとした仕事が必要。友人の家に泊まり込んでも数日が限界。
F)いつまでこんな生活を我慢すればいいのか?数ヶ月?数年?
A)この問題を軽く見られるのはすごく嫌だ。
F)仕事をしたくても入管の方針とあわない。
大瀧)入管は今では働いている仮放免者を逮捕しない。
F)どこの会社でも仮放免の者を雇ってくれない。
大瀧)ビザ無しだと働けない制度を変えないと。
F)クルド人もミャンマー人もみんな一緒に仕事をしている。今は何も出来ない。ウォッカを飲んで寝入る。生活パターンが変わった。ディズニーランドに誘われたけれど断った。お金がない、楽しくない。

「世界難民の日」記念シンポジウム7・8

 





「牛久の会」の田中さんも発言

「日本に来て難民申請をしたことが、私の罪なのか!」

(強制収容された難民の叫び)

収容所から見た日本の難民制度について

                        田中喜美子

 牛久入管収容所が出来たのは1993年の1224日です。この年は、退去強制された外国人の数が69136人と言われています。退去強制が一番多かった年です。そういう時に牛久の入管収容所は開所されました。私たちの会は94年から活動を開始し、95年頃から面会活動を行うようになりました。当初は、イランの方たちを中心とする面会活動でした。1989年、90年、91年、この頃は非常にたくさんのイランの方が日本に入国した年です。それによって摘発も頻繁となり、収容されると言うことも起きてきました。その人たちに対する面会行動を私たちの会は始め、それから天安門関連の中国人、パキスタン人、・・・、そして現在に至っているわけです。

 56年前までは牛久に収容されている難民の方、難民申請者の方は、せいぜいの所、10人か20人程度でした。皆さんご存じの2001年、アフガニスタンから多くの方が日本に入国したとき、20何人かの方が牛久入管に収容されました。この時でもイラン、ビルマ、トルコの方、それぞれ34人ずつ、というような状態でした。ところが現在、皆さんビックリすると思いますが、なんと140名前後の難民申請者が牛久に収容されています。本当に驚くべき事ですね。これはどういう状況なのか、どうしてなのかを申し上げたら、やはり、渡辺弁護士が先ほどおっしゃっていましたね、06年の難民申請者が954人もいらした。そして、認定者が34名で、不認定者が389名、難民認定未処理件数が、昨年は、それまでの案件も後押しになり、976件も難民認定未処理件数がある、と言われているわけです。したがいまして、非常に多くの人たちが、現在80名強のビルマの方もいます、22名のクルド難民の方もいますが、そういう方たちが今後とも残念ながらそれほど減らないで、当分の間、牛久に収容される、と言う状況が起きてくるのではないか、というふうに私は思っています。大変なことだと思います。

 牛久の入管でその人たちがどういう状況に追い込まれているのか、もちろん、難民申請者の人たちです、自分は何にも悪いことをしていない、犯罪を犯していない、でも犯罪者扱いされて収容されている、これは人格、人間の品位を傷つけるものだ、と思います。特に現在二回目の牛久収容の方、それからですね、成田に来て、上陸を拒否された人達、成田の入管から牛久入管に移送されている人達、これが非常に多いですね。この人達はとても大変です。日本語がほとんど分からない、その中で、私の罪は何?という事になると思うんです。私の罪は、日本に来て難民申請をしたことが罪か?という気持ちに多くの方たちがさせられているんじゃないか。私もひどいことだなと思っております。憤っています。そして、そういう中で、長期収容になっております。この間、クルドの方達でも、昨年の、9月、10月くらい、早い人で6月くらいから、成田に到着してそして、牛久へ移送されている人たちがたくさんおられます。こういう方たちは非常にストレスがたまっています。したがって、眠れないとか、あちこち痛いとか、はたまた、自分の境遇を悲観して、壁に頭をぶつける、そういうことをする人が出てきているわけです。それでは、こういう人たちに対して、入管はどういう事をするんでしょう。自傷行為、自殺未遂という人に対して、与えられているのはスペシャルルーム(懲罰房)です。そして、具合が悪くなって、外部の医者に連れて行って欲しいということを言う方がいます。この人たちに対して、所持金を5万以上もっていなければ外部の病院には連れていかない。それから、非常に悲しむべき事ですが、外部の病院に連れて行ってもらうとき、両手錠、腰縄付きです。そういう手錠をかけられ、腰縄を付けられて、病院を歩かさせられる、これがどれほどの屈辱感か。本当に日本というのはどういう国なのか、と暗たんたる気持ちになります。入管とそういうことに関して所長交渉などをすると、人権に配慮した処遇をしています、と入管側は答えるわけですが、とんでもないことですね、どこが人道に配慮しているのか。

 牛久の入管収容所から解放される時、極まれに特別在留をもらって出る人もいますが、ほとんどは仮放免という制度によります。仮放免の手続きには保証人と保証金が必要です。現在、保証金は、ビルマの方でだいたい皆さん50万くらい、運のいい方で30万くらいの方もいましたけども、だいたい50万くらいの保証金を要求されています。これは、ひどいね。ほんとに怒り無しには考えられない。この50万を作るためにビルマの人たちがどれほど苦労しているのか。それから、その保証金が払えなくて、集められなくて、ずっと牛久に収容されている方がたくさんいます。今、ビルマの人たちが80人以上収容されていると言いましたけど、じゃあ、50万かける80人といったら、いくらになりますか、皆さん、4000万になるんですよね。ビルマのコミュニティでその金を出せますか、いままでは出せたかもしれない、しかし、生活も大変だし、ギリギリのところで生活しています。どうするんですか、と私は思うんです。これから、ビルマの人たち、申請した人たちは1回はふるいにかけるために、品川、牛久に収容されることを覚悟しなければならないと思うんです。そのときに、皆さんが50万の保証金を要求されたらどうするの?こういう、保証金制度、仮放免に保証金を要求する難民認定制度は絶対に変えていかなければならないと強く思っています。そういうことを私は非常に憤っております。

 現在、私の所に第三国に出国された方から時たま電話が来ます。その人が仰るわけですね、「田中さん、私はこの夏、イタリア、フランス、スペインと旅行に行った」と。私の「うらやましいね」という言葉に対して、「日本ではどこにも行けなかったからね」という言葉が返ってきます。この人が日本でどこへも行けなかった、そして今、第三国へ行って、いろんな所へ旅行している。そういうことを聞きます。それから、あるマンデート難民の方は、第三国へいってですね、そこで観光地で、警察と仲良く記念写真を撮ったりしている。ということを仰います。日本で、その人は、朝起きて、駅に行けば、パスポートを見せてください、外国人登録証を見せてください!そしてまた、繁華街へ行けば、また、違う警察官からパスポートを見せてください!在留許可を持っているんですか?旅行証明書を持っているんですか?何回も一日の内に言われる。でも、この人が、第三国へ行っても、同じ人です、この日本、どれほど人間の人格、人権、品位を傷つける行為をやっているのか、ということを私は残念に思います。難民条約というのは、当初東西冷戦下で出てきたものです。ただ、今、日本が帝国主義と言われる、グローバリゼーション・新自由主義下で国際紛争、内戦、いあゆる「南」と言われる地域にしわ寄せが押しつけられ、難民を輩出する、という風に私は考えております。

 多くの日本の若い人が会場にお見えになっています。私たち、牛久入管収容所問題を考える会は、是非、多くの方たちに面会行動をお願いしたい。そして、牛久に収容されている難民を作り出している、日本の難民認定制度はどうなんだ、おかしいんじゃないか、変えていこうじゃないか。私たちが本当に変えていかなければならない、ということを声を上げるためにも是非現実を知って欲しいと思います。皆さん、私はそういうことを声を大にして訴えたいと思います。よろしくどうぞお願いいたします。



私達は、「あらゆる難民を受け入れるべきだ」、
「全ての収容・強制退去をやめよ」との立場から、
牛久の入管に収容されている外国人の方々への
支援を行っています。しかし、難民に対して
排除の政策を取りつづける日本では、
多くの難民や外国人労働者が収容所に
閉じ込められ、強制退去されています。
国に帰ったら生命が危ないという難民までもが
送り返されているのです。
東日本入国管理センター

面会申し込み手続き用紙記入コ−ナ

面会室への入り口

収容棟


牛久の会員らによる現地調査・学習行動

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